In My Blue Sphere 9
―私は、誰?―

    




 マカートニーは考えさせてくれ、といったきりだった。
 それ以上何を言うことも出来ず、調査隊はウリエルにより用意されたそれぞれの部屋に引き取っていった。この基地は、彼によると第17基地という名称が付けられていたらしい。うやうやしく彼らの話を聞いたウリエルはレナを「主の部屋」に案内しようとしたが、それを断って、ふつうの個室にて羽根を休めていた。
 少女は、ぼうっと、天井を見上げていた。
 柔らかい髪はベッドに横たわり、ふわふわと広がっている。それこそが小さな星の海のよう。ただ流れ落ちているだけのその神聖な蒼は、古代のネーディアンがよく持っていた蒼の色素が受け継がれたのだという。
 自分が母と離れたのでさえ、7億年にすぎないのに。
 39億年。
 それがどれほどの長い年月なのかは、はっきり言って大きすぎてよくわからない。
 ただ。
 彼が待ち望んでいたのだけは、痛いほどに伝わってきていた。
 ウリエルは何も望もうとしていなかった。ただ、喜んだ、だけだ。条件反射か、それとも根元から変わりようのない歓喜なのかもしれないが。
 でも、想像は出来るのだ。
 (もし、私が。このままここで暮らしたとして、もうずっと誰かと会えないなんて言われたら)
 ……きっと、狂ってしまう。
 クロードと一緒にいたいといって地球までついてきたのに。
 もし、彼ともう会うことが出来ないと突然宣告されたら。
 「いや……っ」
 心がバラバラに引き裂かれそう。あの金髪を、あの瞳をもう見ることが出来ない。そんなことには、耐えようはずもない。
 ウェスタのことを思い出す。
 いつものように、かちゃりと、首元のペンダントを目の上に差し上げて。
 「お母さん、わたし、こんな遠くまで来ちゃったよ」
 でも、離れていられるのはまたあえるとわかっているからだ。すぐに、彼女が望めば会うことが出来るのだと。
 あの暖かい母のような慈愛に満ちたまなざしに降り注がれて、少女はわずかな安息をえる。
 「We will......cerebrate.......all life.........」
 ……すべての命を祝福します。
 あなたのすべてを祝福します。
 自然にでてくる言葉たち。祝福されて生まれ出た確かな証。ずっと昔から聞かされてきた、生まれてはいけない命なんてないのだと。
 だけど、彼は。
 生み出されて。
 使命を課せられて。
 そして、悲しい瞳の奥に何かをたたえながら、あの悲しい顔のアンドロイドはずっと孤独に耐えてきたのだ。
 時の鼓動の奥深くに自らを封印し。
 応えてやりたい、と思わないわけではない。
 (主様)
 ウリエルはそう呼んだ。自分に向かって。
 いったいどんな人が、ここにはいたというのだろう?
 (あれ?)
 ……わずかな、違和感。
 主、様?
 単数形。
 そして、もう一つ。
 (39億年?)
 データベースのなかにひっかかる、なんとはなしの違和感。
 クロードは彼は十賢者が作られる前に、試作品として作られたのではないか、といっていたけど。
 大事なところが抜け落ちている。
 パズルのピースが、一つ足りない気がする。
 銀河を守るために作られた彼ら。フィリアが消え去ることにより、自分の上位自我が消え去り。それによって彼らは狂った。
 否。彼らは、彼らなりのやり方で、銀河を守ろうとしていたのだが、それは今考えることではない。
 彼らが生み出される2億年前にこの世に誕生し、フィリアという存在が最初からインプットされていない彼なら、狂うことはないだろうと、愛しい青年は、そう言って。
 39億年。37億年。
 わずかとは言えない、タイムラグ。
 それがどこから生まれるのか。
 ピーッッ。
 物思いは、ぶしつけなベルにより中断された。はい、と応える。
 「俺だよ」
 「アリアロス大尉?」
 ドアの向こうから声が投げかけられてきていた。それに気づいて、レナはゆっくりと手ぐしで髪を整えながら、どうぞと澄んだ声を響かせたのだった。






 「結論がでたよ。やはり、封印することになりそうだ」
 入ってくるなり、勧められた椅子に腰掛けて。ラジェイはそんな風にレナへと言葉を投げかけた。
 レナは驚かない。むしろそうでないといわれた方が意外だった。クロードが父と尊敬し、敬意を払う相手がそういう決断を下さないはずがない、と心の中ですなおに納得できていたからだ。
 「……それを、言いにですか?夜も遅いのに」
 避難する風でなく、純粋な興味からレナは問いかける。簡素な部屋の割に広い。彼がはらむ微妙な緊張感があった。
 シャワーを浴びた様子もない。地球の標準気温にしてはやや熱めのこの気候で紫苑の天才は汗一つ描いた様子もないのが、多少不思議に感じられる。ただ、紫の髪だけが、わずかにもつれ、彼の疲労を語っていた。この美貌と言っていい彼の切れ長の目が、わずかに妖しい光を宿していることには気づいていたのだけれど。
 「ここの自転速度は宇宙標準時より1時間15分ほど早い。まぁ夜遅くであることは間違いないか。提督の言葉を伝えに来たんだが?」
 おちついたように、はぐらかすように。
 「だからといって、それだけのためにあなたが私の部屋に来るなんて思えません」
 それ以上、少女が言葉をかぶせる前に。
 「……察しが、いいんだな」
 「え?」
 気づいた時には横殴りの風が少女の腕をつかんでいた。とっさに反応できなかった。
 どんっ、と音がして、一瞬の反射行動の後に、ラジェイの紫の瞳が目の前にあるのが刺さった。顔のそばに腕が突き立てられていた。
 「主というのは、どういうことなんだ?」
 「なっ……」
 この男。
 レナとて、多少の格闘技術がある。それなのにそれをたやすく封じ込めてしまうほどの俊敏な動き。愕然とする思いだった。緊張が走った。
 言葉さえ、わからないはずだったのに。
 たしかにウリエルは自分のことを主様、と呼んでいた。そしてクロードが言っていたように、軍の人間、少なくともある一定以上の階級を担う人間たちは、言語能力を高めておくようにと厳命されている。どのような場所に補織り込まれても、ある程度コミュニケーションが出来るように。
 しかし、 この男は、あの短い時間でネーデ語を理解したとでも言うのか?
 「どういうことなんだか、聞かせてもらいたいな」
 「し、知りませんっ!」
 冷たい瞳に居すくまれているのに気づかれまいと、少女はのどの奥から絞り出すごとくに思いっきり叫んだ。だけれど、そらせない瞳がそこにはあった。
 「クロードに聞いても教えてくれそうになかったからな。それならば、君に直接聞いた方が早い」
 クロードの名前を出されて、レナの背筋に電気が走り抜ける。
 「そして、この、耳」
 「あっ……」
 つついっ、と彼の指が彼女の長い耳に触れた。思わず声があがってしまう。
 「君は、何者だ?」
 突き刺すような響き。その問いに、彼女は応えることが出来なかった。
 どうしていえよう?自分が、このものたちの主だと。
 危険な兵器を作り出して銀河を崩壊させようとしたものの仲間であると。
 ネーディアン。
 そう、ネーディアンが来たから、この基地は目覚めてしまった。
 逆に言えば、ネーディアンが来なければ、ここは目覚めぬままに、また永遠の時を漂流していたのではないのか?
 ラジェイは、笑った。それも目的の一つだが、といって。
 「もう一つの目的を教えてあげようか。ずっと、君を奪ってやりたいと思っていたんだ」
 「う、奪う……?」
 それは、とてつもなくおもしろそうで、それでいて冷たさをはらんだ魔的な瞳。暁のかげろいのような、あるいは銀糸を織り込んだような、あざやかな紫苑。
 「あんなにどんな女の子とつきあってもどこかつまらなそうな顔をしていたクロードが、君には本気になっている。何よりも大事にしているんだ」
 「えっ」
 「しっているかい?あいつは、女の子に優しく接したことなんてほとんどない。肩に手をかけるとか、愛想笑いさえもほとんどしなかった。もちろん、話すことはあっても、あくまで事務的だった」
 レナが、わずかに目を見張る。
 あんなに優しいのに。
 あんなにいつも、自分のために一生懸命になっているのに。
 「女の子とつきあっても、1ヶ月持ったことがない。嘘がつけないんだ。いや、嘘を鮮やかにつけるからこそ、本当の優しさを与えることが出来なかった、といえばいいのかな」
 淡々と語られる、レナの知らないクロードの話。
 それは、私だけ?
 あんな風に笑いかけるのは、私だけに?
 しかし、うれしさに胸がときめいたのはそこまでだった。言葉自体がふつうの、だが限りない辛辣さと好奇心を秘める目がそこにはあるから。
 「そんな男が、ご執心の君だ。興味がない訳ないだろう?もちろん、この耳も。そして、「主」というあの言葉も」
 そして、ラジェイが、話を引き戻した。いろんな意味で、レナは自分の甘さを思い知らされる。
 (しまった……)
 何を考えているのかが読めない。そらせない瞳に魅入られてしまったよう。
 目的がはっきりしない。どれが本物なのか?
 不透明な不安。警戒。
 つついっ、と指が少女の頬をなぞる。触れられたところから電気が走ったよう。だめ。逃げられない。このままじゃ。
 (せめてっ)
 その刹那、だった。動かそうとした腕がいきなりとらえられ、再び壁へと押しつけられる。あっ、とうめき声が漏れ、ポケットからずるりと端末が落ちた。
 クロードの携帯番号だけが、ディスプレイに表示される。
 「逃がすと思うのか?もう一度聞く、君は何者だ?」
 「知らないと、いったでしょう!離してください!」
 「ほう、知らなくて主と呼ばれているのか?そんなはずはないだろう」
 「そんなこといわれたって、知らないものは知らないんです!もうっ、やめてください!人を呼びますよ!」
 もがく。この男は危険だ。頭が良すぎる。
 もしかしたら、彼ならば理解してくれるのかもしれないけれど。それでも自分の正体を明かすのにはためらいがあった。
 しかし、捕まれた腕はゆるみそうになく。
 この、と。レナが叫ぼうとした刹那だった。突然、轟音がとどろいたのは。
 完璧に、ドアがぶち壊れていた。クロードだとしたらよくもまぁ、というつぶやきがわずかにレナの耳へと届く。
 しかしラジェイも反応していた。彼女の腕をとらえたままに身を起こし、右足にあるホルスターからフェイズガンを引き抜く。
 ドアが破られ、ゆっくりと入ってきた人影があった。
 「ウリエル?」
 いや、これは。
 そのときだった。彼女は突然理解した。
 これが「誰」なのか。
 そのものは、冷たい瞳のまま指先を此方に、いや、ラジェイに向けていた。そのまま、言葉が絞り出される。妙に流暢だった。時の彼方に忘れ去られた天使のごとく。
 「フィリアを……離せ」





    

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