In My Blue Sphere 5
―きらめきの惑星―
…そのものは、眠りについていた。 いつからここにいるのかは知らない。ただ、そのものは、太古の昔に生み出され、太古の昔よりそこに存在していた。 たとえここがもし創世神により作られたエデンであり、すべての生き物がそれを求めて醜い争いを繰り広げていたとしても、それはそのものにはまったく関係のないことだった。 そのものに課せられた使命は、たったひとつであったのだから。 そう、そのものはずっとここで眠りについているはずだった。 たとえ恐ろしい火山の噴火が起きてこの星の大地を焼き払ったとしても、母となり命を生み出す精霊の海が時折気まぐれを起こして自分の領域だけでなく星のすべてを胸に抱こうとしようとも、眠りは覚まされることはないはずだった。そう、決められていた。 しかし、そのものの気配には、感じ取れた。 そのものはゆっくりと光を全身に張り巡らせ、いずこの昔より紡いできた記憶を呼び覚ます。 低い、うなり。 なんと言っているのか、そのもの以外には理解できようのない言葉。 それを無理に訳すとこうなる。……我が主よ、お帰り下されたか、と。 巨大な影がその惑星に舞い降りる。 物静かな、しかしやや機械めいた音を響かせてそれは降り立つ。最新型というだけあったのと、降り立つ場所の大きさ、惑星の肥沃な土地柄から、着陸できる場所を探すのはけして簡単なことではなかったものの、かといってさほど難しいことというわけでもなかった。 地球連邦最新鋭戦艦、その名はキグナス。 キグナスは、もともとは伝説の天翔ける白鳥、ギリシャ神話に語り継がれるアポロンの息子とともにあった美しい少年を意味したという。そのことを知るものはけして多くはなかったが、その流線型のフォルムや日光に照らされると鈍く光る銀色のスタイルはそれを意図したものかもしれぬ。 美しき白鳥は、確かにその名に恥じず星の海を翔けめぐっていた。そして、その翼を休めるがごとく降り立ったのは、清らかな大気、肥沃な土地、そびえ立つ山々の祝福と母なる海の腕(かいな)にいだかれたまさに祝福の星。 地球のコンピューターがぶしつけにはじき出したシリアルナンバーで言えば、4793−α−008903920−578322番恒星、第6惑星。 それを、白き鳥は惑星クロノス、と名付けた。名付け親のマカートニー提督は知的生命体がこの地に存在していないことを確認すると、いつもそうしているようにわずかな人数を引き連れてこの宝物に初めて人が足を踏み入れる栄誉を自らに与えた。 「……気持ちのいい惑星ですね」 というわけで、クロード・C・ケニーは宇宙で7番目にこの星に足を踏み入れた地球人、ということになる。傍らにいるレナ・ランフォードは8番目だ。 生命の確かな息吹を感じさせるその惑星には、花々が咲き乱れ、緑の木々と小鳥たちの喧噪であふれかえり、少女の故郷を彷彿とさせた。地球とよく似た進化形態を持っているらしいこの星は、細部は違うものの、鳥類がやっと水かきを手放し始めたところらしい。もちろん、風の音も違うし大気のうなりも彼女の知り尽くしたそれとは違うはずだが、この雰囲気は瞼の裏に浮かぶ自らが生まれた記憶を容易になぞることができる。 羽を伸ばすように身を躍らせる姿は、水を得た人魚のようだ、と金髪の青年は少女のほころんだ顔に思いをはせる。 無邪気な問いかけが、ひとつ。 「ここで、何をするの?クロード」 「知的生命体がいないことは確認されたから、ここの位置情報とかを鑑みて、地理的情報、歴史的情報、進化の過程に加えてこれからの将来の可能性とか、だね」 すでに事前調査は宇宙にいる段階ですませてある。しかしそれを除いても実際に大地を踏みしめて調査しなければならない。 「あと、未知の知的生命体は今はいなくとも、もしかしたらいたかもしれない。それも調べなければいけないし、それから進化形態もここの自然進化に任せておくべきか、それともこちらで多少操作した方がよいのかとか、まぁ、いろいろなことだよ」 「……進化を人為的に左右したりもするのね」 少女は、それにわずかにためらいを覚えるようだった。 命と生態系を決める行為にそう考えるのは、彼女の果てない純粋さを表す。 「うん。たとえば想像してごらんよ。僕たちみたいな……猿から進化したヒューマノイド、と呼ばれる2足歩行タイプの知的生命体が確かに一般的だけど、広い宇宙にはそれとは別の進化形態を果たした種族もいるよね?」 あまり言いたくないんだけどね、と一人ごちて。 「鳥とか、全く別の生き物とか。今まではそれでも大丈夫だったけど、たとえばカマキリとかが進化した生命体を考えてごらん?」 「カマキリ……」 何を想像したのか、レナは身を震わせてみせる。 きっとこの想像力豊かな少女は、食べられてしまうチョウチョにでも変身しているのだろう。くすくすと笑いながら、そう言うことじゃなくて、と告げる。 「カマキリの生態は知っているね?どうやって生まれるのか、とか」 「ええ。勉強したもの……あっ。そういうことなのね……」 「うん、そうだ……」 合格点、と、クロードはつけくわえた。 少女の顔が目に見えて青ざめていくのは、この心優しさのせいなのだろうけど。 (でも、それは現実なんだよ。容易にシミュレートできる課程なんだ) あまり想像も出来ないことなのかもしれないけれど。 この宇宙には、様々な生き物がいる。 そして、たいてい知的生命体と呼ばれるレベルになるまでは多くの進化を果たさねばならない。自分たち地球のヒューマンは猿の先祖が進化したものだ。ネーディアンやエクスペルも同じような先祖を持っていたのだという。フェルプールは、また別の地球上には存在しない、あえて言うなら猿と猫の掛け合わせ、現代ではフェルキスと呼ばれる生物からその身がはぐくまれたことがわかっている。 (僕たちは、幸運なんだ) ほかにも、別の生き物を先祖とする進化形態を持つ、種族は数多い。 宇宙の眷族とでも呼べばいいのだろうか。 しかし、もし、生まれながらにして残酷な宿命を持つものが同じように進化し、種族形態を持ち得たとしたら? (残酷な宿命を持っていたのかもしれないんだ) カマキリだけでなく、一部の生物は、ある一定の条件を満たさないと子供を産むことが出来ない。 そう。「補食」である。 カマキリの雌は、夏に雄と交尾をした後、来る冬に備えて卵を産むために雄を食する。それは、厳しい冬にはかない命を散らしてしまう彼らが子孫を残すために必ず必要な行為であるのであることは間違いないことだけれど。 (結婚した相手を喰らうカマキリ。自然の営みといってしまえば聞こえがいいけれど) あまりに残酷なものであるのは他ならない。 ただ観察しているだけならば、かわいそう、と言うだけですむことであるけれど。 宇宙は広い。倫理観や別の意識の元に進化形態を果たした種族も星の数ほどある。 そして、そのカマキリたちが、進化し、自分たちの宿命を持ったままに倫理観を身につけるまでになってしまったとしたら? 自分たちが、そういう宿命を持って生まれてきたのだとしたら? (もし僕たちが、愛する人を喰らうことでしか子孫を作れなかったとしたら) 愛する人を喰わねば、いけない日が来るとしたら? 愛する人に喰われなければいけない日が来るとしたら? それは、悲劇。 喰いたくてしょうがなくなってもうどうしようも衝動を抑えきれなくなる妻。妻が残酷な鬼に変わるとき、夫はそれを受け入れることが出来るのか。 愛する人に喰われるのならばそれでもいいと言えることが出来るのか。 ひと思いに殺してくれと願うものもいるかもしれない。しかし、その後に待っているのは妻が夫を一つ一つ喰い尽くす恐ろしい光景。 愛しい人の手、足、すべてを食し、血まみれになりながら待っているのは次代へのつながり。たとえ喰らいたくなかったとしてもそれは種族の宿命。そうしなければ種族は生きていくことが出来ない。 生きていくことが、出来ないのに。 そうやって女性は一人、子供を産むのだろう。 身に愛する人を喰った宿命を背負って。 (そして、悲劇は繰り返す) その種族からは新しい子供たちが生まれる。雄であろうと雌であろうと、彼らは将来。 愛する人を喰い、愛する人に喰らわれる。 「……」 怖い。 レナは小刻みにふるえ、自らの体を必死に抱きしめ始めた。今この場では肩に手をかけてやることだけしかできないが。 少女が鬼へと変わるとき。 泣きながらごめんね、ごめんね、といいながら、自分に襲いかかる様。 そしてその味はきっとこれまで食べたことがないような最上級の。 悲しいくらいに極上の味。 もしもそうなってしまったとき、自分は笑って、愛していると言えるのだろうか? この手のひらの下で、想像するだけで白い肌を青ざめさせている最愛の少女へと、笑いかけることが出来るのだろうか? 「ごめんね、レナ。変な話をして」 あやまりながら、クロードは自らのそれ以上の考えを封じ込める。 そんな種族に待っているのは破滅でしかないから。 いつかそれに耐えきれなくなって、自らを殺してしまう。 (僕は生きられない) しかしそれは、自分たちには関係ないことだ。 クロードはレナの肩をぎゅっと握りしめてやった。自分の気持ちがここから彼女に伝わるように。 今、自分たちはここにいる。 大丈夫だから、と。 自分たちは、ちゃんと愛し合っていていいのだ、と。 今にもすがりつきそうに音もなく頬をふるわせる彼女は、あまりにもはかなすぎて。 カタカタと自身を抱きしめなから、ただ肩に触れる手だけに救いを求めているようで。 「そんなことをさせないために、僕たちは今、ここにいる。そういうことなんだ」 だから、おびえないで。 そして、クロードはもう一つの可能性もあるんだと心の中でつぶやいたことはいわぬままに。 もしも。 その種族が別の進化を果たし、その「妻が夫を食べる」倫理観を克服して、それを当然のことだとして、受け入れることが出来ていても、それはけして自分たちとは相容れることはないだろう。 戦争が起こるのかもしれない。倫理観の違いで戦争が起こる事例なんていくらでもそれこそ星の数より多い。どんなに努力しようとも、妻が夫を喰らう倫理観を自分たちは受け入れることは出来ないだろうから。 (愛することなんかできやしない、喰らわれるとわかっていて、喰らわれることを望むとわかっていて) そういうものを作らないために、自分たちはいる、そういいきかせる。 でもふとよぎるのだ。それは、けして自分たちの都合のいいだけのエゴとは言えないだろうか? 宇宙の営みに一石を投じることは、創世の責任を自らに課すのは、傲慢ではないのか? もし自分たちが何かをすることでこれから進化する可能性をすべてつぶしてしまう。そういうことではないのか? ある本にあった「進化への恐れ」という言葉。その本を読んだとき、彼は興味を引かれるとともに作者に賛嘆の念すら抱いた。 (僕たちは、自分たちと価値観が違い、かつ自分たちより優れた存在が現れるのを恐れているんじゃないのか?) 新時代の主になる存在をつぶすために。 「提督、あそこに何かあるようです。ひょっとしたら、古代の遺跡かもしれません」 それ以上の思い悩みは、事務的な調査官の声によって中断せざるを得なくなった。 レーダーが奇妙な音を発しているのがこちらにまで聞こえる。 小さい小鳥は、何かを振り払おうとしてまだ振り払えずに。 マカートニーのうなずきとともに、調査は始められることになった。 |