In My Blue Sphere 3
―Mission Rena―

    




 かつ、かつ、と自分の足音が廊下の中に響く音がする。
 歩いているのは少女一人。ふと立ち止まり、プラスチック素材で固められた廊下を見やるすがたは、妙にこの機会仕掛けの街には不似合いだった。
 気分が高揚しているのは、気のせいではないだろう。
 「だめね、こんなんじゃ……落ち着かないと」
 苦笑して。
 彼女の蒼海の髪がかすかに空気の流れに乗り、月の優美な髪飾りがきらめいた。この見るものを不思議に暖かくさせてくれる美少女は、いつも笑顔を絶やさないのだけれど。
 スカーレット軍事基地、第18渡り廊下。
 用を終えて、少女は目的地に向かうところだった。
 時に、何かにとらわれてしまうものもあるから。
 (……不思議ね。うれしいはずなのに)
 渡り廊下の中で、ささやくのは自分一人。
 この地球という星に来てから、わずか数年しかたっていないのに、と少女はつぶやいて。
 一番最初には理想郷に見えたこの地であっても、どこもかわることなく。
 一瞬だけ、たった一人になったような感覚が走る。錯覚にすぎないとわかってはいるのに。
 この機械だらけのこの地に真の意味での夜が来ることはない、ということに気づいたときから、自分はおびえ続けているのかもしれない。
 (時の中)
 享楽と退廃。そんな中にも人は生きている。
 ぎゅっと、胸元にあるペンダントを握りしめた。すでに癖となってしまっている仕草。
 このペンダントに、何度自分が救われてきたのか。もはや数えることもできないけれど、なくてはならない存在の一つだった。
 この中に女性の像が閉じこめられているのに気づいたのは、もらってからずっと後のことだったけど。
 技術の最先端をはらむ星に来てからも、この癖は何ら変わることはない。
 少女の瞳には、壁越しに、ネオンが見える。
 壁越しに、サイレンと喧噪が聞こえる。
 (結局、何も変わらない)
 エクスぺルとはまた違う雰囲気にさざめく地球の中で、いったいどのくらいの人が自らの意志を持ちそこに立つことができるのだろう?
 (人は変わらない)
 歩みを止めたまま、彼女は目を閉じてみた。これもまた癖のようなものだ。いつも故郷でしていたように。
 さざめいているのは何かの音。
 それは、彼女のよく知っている音ではなかった。彼女の耳にいつも残るのは、木々のざわめき、小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、すべてが聞こえてくるものだったから。
 それに気づいてふと寂しさを覚えて、少女はおもむろに壁に指を滑らせた。
 そう、この壁は、自分がこうやって何かをささやいたとしても、ささやき返してくれることはない。
 何かを告げ返してくれることもない。
 「夢見がち、って昔は言われていたわね」
 苦笑して、話しかけるのをやめる。出会い、快楽、技術。すべてがそろっているように見えるこの星なのに。
 ここに来て様々な人と知り合い、様々な人に自分を知ってもらうことができた。
 そして、自分はいま、一つの階段を上ることができたけれど。
 少女の名は、レナ=ランフォード。
 この時代の地球にも画家がいて、目の前にいれば創作意欲をかき立てる魅力を持った美少女である。
 軍大学の1種課程をわずか半年間で終了してしまったこの美少女は、スカーレット医学部きっての天才という異名をすでに手にしていた。 
 しかし、いくら天才といわれてはいても。その中身まで変わるほどには彼女は弱くも強くもなくて。
 時折きらめくネオンの音が彼女を照らす。ぶしつけな室内灯も、しんと静まりかえったこの地も、彼女を飾り立てる装飾品にはならない。
 それなのに、それは彼女にも分かり切っているのに。
 ここに来たのは、どうしてなのか。
 もちろん、うれしい。ただ、自分が変わってしまうことを自覚しても、ここにいたかった。
 ふと、足音が響いた。少女は苦笑を顔の奥底に隠し、足をその方向へとむけてそれを確認した。






 「……おめでとう、レナ」
 「……アリアロス大尉?」
 少女の蒼海の瞳に捉えられたのは、長身の影だった。視線の向こうで、20代前半と見える青年が手を振っているのが見えた。
 「つれないな。ラジェイでかまわない、といつも言ってあるのに」
 「……そんなわけには行かないですよ」
 微笑んで、レナは歩み寄ってきた長身の青年へと向き直った。硬いんだな、まぁそこも魅力なんだが、と彼……ラジェイード・アリアロス大尉は髪をかきあげる。それも一つの絵であるかのように、様になっているが。
 彼らの話す姿には、どことなく、ここに生きる人々の持ち得ぬ不可思議な雰囲気がはらまれる。
 まぁそんな彼女だから、自分もほっておかないのだが、とラジェイは何度目かのつぶやきを漏らす。
 軍事基地スカーレットの第18区画渡り廊下。ガラス張りの憩いのサンルームへと通じるこの道は、この時間だとさすがに人通りもまばらで、少し寂しい感じが漂う。これがお昼前でもあればまたにぎわうのだが。
 ラジェイはくすりと笑いを漏らし、腰に据えた手を揺らす。
 「ともかく、昇進おめでとう。これで君も士官候補生か。19の年に士官候補生なんて、またすごいな」
 「大尉だって、同じじゃないですか」
 「それでもさ。軍医科では確か最年少記録を更新のはずだ。さすがだな、レナ」
 そんなふうに言うと、少女はくすぐったそうに笑った。胸元にある階級章が光り輝き、彼女の誇りを示している。その表情にわずかにかげりが見えたとしても、それはすぐにかすんでしまって。
 ラジェイの知る限り、少女は、先ほど叙任式を受けてきたばかりだった。他の何十人かの同期生とともに、これで晴れて彼女は軍医の階級を得る。まぁ、それでも候補生であることには代わらないのだが。だが、この若さで士官候補生になっているのはまだ少ない。
 そして、さらにラジェイにとってはしてやったり、と思えることがあるのだった。
 「どうやら、クロードよりも先に……一番におめでとうをいうことができたみたいだな」
 あの同い年の青年には、昔からつかず離れずで競っているところがある。この蒼い瞳の少女のことについても。
 この少女を連れてきたのは彼だった。それも知っていたのだけれど。
 でも、それとこれとは別問題だ。
 しかし、彼女はきょとんとした顔で。
 「……なんでそこにクロードが出てくるのかわからないですけど^^ありがとうございます」
 はにかんで、レナが肩をすくめた。すっとぼける姿もまた風情がある、とわけのわからないことを心の中だけでつぶやいて。
 「何でもあいつには勝ちたいのさ。あいつより1分1秒でも早く、君におめでとうをいうということについても。そういえば、そろそろ来る時刻じゃなかったか?」
 「クロードは、まだシミュレーターだと思いますよ。それより、何か用があったんじゃありません?」
 気づかれてたか、とややほほえみながらラジェイはこの察しのよい美少女に封筒を渡してやった。
 ガラス張りの廊下から、景色を見下ろすことができる。色とりどりのエアカーやエアバイクがきらめいてネオンを発しているのが妙に美しく見える。
 それよりも鮮やかな笑顔で彼女は封筒を受け取って、ぱらぱらとめくって。
 「君のファーストミッションが決まったよ。まぁ初めての任務らしく未開惑星探査だ。ミッションナンバーは134−346895。僕と一緒に、フィアナキアセル銀河方面に出張だ。軍医は君ともう一人、それから指揮はマカートニー提督だ」
 ぱらぱらと紙媒体の命令書と資料をめくる。
 そして、ある一行を見つけた瞬間、彼女の顔は目に見えてほころんだ。
 「マカートニー提督?戦艦……キグナス?」
 確認するように、一言一句、口の中で唱えて。青いツーピースがふわりと揺れて、レースが翻る。
 「じゃあ、えーと。大尉と一緒なんですね」
 ……その大尉はどちらに向けたものなのだろう?
 ラジェイは苦笑して、そうだよ、と答えた。
 「俺と……クロードも、一緒だ」






 First Mission.
 それは、軍人にとっては神聖なもの。
 レナにいきなり未開惑星の探査任務が、しかもかなり実践的なものが下されたのは軍上層部への彼女の期待を表していると言っていいだろう。
 彼女たちは望む。
 ……任務へと。





 でも少女はとまどっている。
 自分はここにいていいのかととまどっている。




 青い星がきらめいて。
 青い星を映し出す。






 そこにあるのは希望?
 それとも絶望?






 未だ答えるものは、誰もいない……


    

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