In My Blue Sphere 12
―忘却の彼方―

    




 何が、起こったのかわからなかった。
 突然、横殴りの衝撃を感じたのはわかった。大きくて無骨な手が自分を包み込んだのもわかった。だが、それ以上のことは理解できなかった。
 なぜ、あなたがそうしているの?
 なぜ、そんなに苦しんだ顔をしているの?
 なぜ……体に、穴が、開いてるの?





 「じいさんっっっ!」
 ラジェイードの叫びが、その空間を切り裂いた。いつでもどこでも自分のポーズを崩さぬ彼が、ごまかしようのない取り乱した台詞を吐いて、その現実に直面していた。
 脳の内側に痺れが走る。麻痺してしまった、感情。
 そこにあるのは、命。
 すぐ近くにあるのは確かな熱の行動。空気を焦がす、破裂した力の余韻。
 トクン、トクン、トクン。
 金髪の少年の上に、大柄な影が覆い被さっていた。それは、彼をかばうように、横なぎに力が働いたのだとわかった。無意識に、自分の頬に張り付いた彼のわずかな血液に触れた。目を逸らすことが、出来なかった。
 にわかには、信じがたかった。
 でも、ソレは、残酷なほどに現実。
 「うっ……」
 その人が、うめき声を上げた。血混じりの細い笛のような音が、かすかに漏れた。その瞬間、わかってしまった。青ざめた彫りの深い顔立ちが痛いほどに彼の状態を告げているのが。
 知って、しまった。
 自らに折り重なる、マカートニーの姿。軍用の制服に、はっきりとわかる斜めの大穴が開いていた。熱い飛沫。ウリエルのメーサーよりかばわれたのだ、とおぼろげに、わずかに残った感覚で認識する。肺を突き抜け、押さえる指の間から流れ出すのは申し訳程度の鮮血。メーサーの傷はやけどを伴うから出血しないのだ、と妙にどこか違う部分が言って。
 おかしい、と感じていた。すべてを壊してしまう悪夢。
 わずかに笑みに似た表情を浮かべたまま、その人は、ただ、横たわっていた。
 「レナ……っ!レナっ!」
 ラジェイの呼ぶ声。、どうしようもないから。自分の上に折り重なって、気づいて駆け寄ろうとする蒼髪の少女を、その人物は、わずかに手を挙げて制して。
 「無駄だ」
 もう、その喉は空気をふるわせることが出来ず……
 そんなこと言われなくてもわかっていた。レナとて、失った組織を再生させるのは限度がある。本当に死んだ人間を生き返らせるなんて夢物語にすぎない。蘇生とて、体が完璧に残っていなくては、いくら生き返らせても苦しみをのばすだけだ。そして、傷を癒やすには、彼の体力のほうが持たないことは。
 分かり切って。
 喉の奥からせり上がってくる不気味な、自分自身の内奥から噴出してこみ上げる不明瞭な何か。
 その正体を、絶望というのかもしれない。
 がしゃがしゃと機械たちに取り囲まれ始めているのをどこか遠くに認識して。ただ、離れられなくて、クロードはマカートニーの体を、自分が泣いていることにさえ気づくことができずにただ彼の瞳を見つめていた。もはや、瞬きさえも忘れてしまったように力無くただ光るだけの。
 凍えた指が、さらに冷たい体をいだく。
 叫びだしたい。自分のミスだ。ウリエルを確認しなかった自分の。
 断罪の審判。
 「このぉおおおおおおっっっ!」
 銀の天使は、もう怒りにまかせたラジェイードと、後続の軍人たちによって、すさまじいまでの質量を打ち込まれていた。叫ぶモノ、錯乱するモノ、様々に。
 おぼろげに頭のなかに滑り込む。
 この人は、とても愛されていた人だった。
 もう一人の父、と呼んだたった一人の存在を胸にかき抱いた。叫ばずにはいられなかった。空気が振動する。紅い飛沫が。紅い悪夢が。
 「なんでっ、何であなたがっっっ!なんで、そんなことをしなきゃっ……!」
 ……何で自分をかばったのか、というのか?
 もはや唇の動きでしか彼の意志を読みとることはかなわず。彼は、微笑んでいた。なぜかわからないけど、笑っていた。
 ……勝手に体が動くこと、誰しもあることだろう?お前が無事で、良かった。
 呼吸音。自分がモノを言えていないのだと言うことがわかっていないのか。
 「おじさんっ、おじさんっっっ!」
 口をついてでてくるのは、小さい頃に封印してしまった呼び名。砕かれる激しい亀裂音のように、堰を切ってあふれ出す。涙が、老提督の顔の上に落ちる。動いてしまった時。真実。止めておきたかった、とどめておきたかった切り取られた一瞬。
 「あなたがいなくなったら、どうすればっっっ!」
 頭のなかがぐしゃぐしゃになっていた。不明瞭な混乱だけが奔流となって涙を通して外にでてゆく。せっかく、父と話そうと思ったのに。また家族で食事をしたいと思ったのに。それなのに。
 あなたがなぜここで消えてしまうのか。
 違う、自分のミスなのだだ。ウリエルに同情して、そして彼の力を侮った自分の。もっと自分がうまく立ち回っていればこんなことにはならなかった。後悔に自己嫌悪にとまどいに悲しみに残酷に思慕に断罪、すべてがごちゃ混ぜに自分のなかを駆けめぐって、感覚器官すべてが閉ざされてしまったのかのよう。もはや何を言っているのかもわからなかった。
 「泣くな!」
 びくっ、とふるえた。
 胸にかき抱いた存在が、今、驚くほどの厳しい声を出したことをクロードは、思い知った。しかし、それは吐血と、そして微笑みにより中和を迎え。
 「……泣くな。わしはこれで良かったと思っているのだ。お前を救うことが出来て。これで、またあやつの悲しい顔を見なくてすむ」
 確かに、微笑んで。
 その代わり、父はあなたのために泣くのだ。
 そう、いいかけて。それは、マカートニーの真摯な瞳に封じられた。
 驚くほど、強い意志。
 世界の終わりを見ている、神のような。刹那の時間で未来を紡ぐ。
 「クロード大尉、最後の命令だ」
 目を、見開く。
 「わしの代わりに、部隊を率いてキグナスを脱出させろ」
 「なっっ……」
 吐血とともにもたらされる、それは、驚くべき命令だった。
 何かあった時のために、副官、レイモンド少佐という名の人物がキグナスに待機している。自分より階級が上の。彼がマカートニーに何かがあった時、彼がその役割を果たすはずだった。彼がいるのに、という言葉がでてこずに。そして。
 「そんな、なぜっ、それに、階級が足りません!僕は、まだ、大尉でしか……」
 小さい一人乗り用の艦ではなく、大人数が乗る戦艦を指揮するためには、少佐以上の階級が必要なはずだった。まず何よりも、決定的にそれが、立ちはだかっている。
 「ただいまより、私の権限によりてクロード・C・ケニー大尉を連邦軍特務少佐に任命する。これで、文句はあるまいっ……?」
 マカートニーは後少しで無効となってしまう命令を出した。漏れ出す声に、血が混じる。
 その瞳に込められた。
 それは、希望。
 (お前しか、出来ないのだ)
 それは、願い。
 キグナスの脱出は困難を極める、予想はついていた。ウリエルは消滅したとしても、メカニズムは生きているのだ。キグナス脱出は危険を強いられる。戦う相手は未来の軍事施設。自分よりレベルが数段上の軍事力を相手取って、自分たちは空へ駆け上がらねばならないのだ。それに対して、実戦などでたこともなく、まさに参謀といった風情の副官は確かに役不足だった。ネーデのことを多少なりとも知り、そしてシミュレーションとは言え艦隊戦にて優秀な成績を残すクロードに対し。
 そして、無理です、という反問は許されなかった。
 とどまることのない時の砂。
 それが、彼の願い。
 限りなく優しい、時あずけ。
 「わしの子供たちを、地球に返してやってくれ……」
 微笑んで。
 蒼い瞳が、瞼に閉ざされてゆく。妻への謝罪が、最後の言葉。
 「うわああああああああああああああああっっっ!」
 その瞬間、クロードは叫ぶことしかできなかった。
 精神の蓋が破裂してしまったかのようだった。レナが泣きながら、悲しみながら抱きしめてくれていることにさえ気づかなかった。
 子供のいない彼は、そのぶん部下を愛していた。愛してくれる上官を、皆も愛しかえした。どうして、そんなに。あまりにもあっけない終わり方。
 すべてを突き崩す、無慈悲なり神の審判。
 なぜこんなことになったのか。自らの感覚器官を放棄する叫び。どうしようもない、夢を見たくない、これが夢であればいいのに、感情の奔流。
 どうしようもなく自分を責め立てながら慟哭して。
 「クロード」
 ラジェイードが目の前に座っていたのにも気づくことが出来なかった。
 「!」
 顔に一発をたたき込まれて、クロードはよろめきながらラジェイを見つめ返した。痛くて痛くてたまらない、それなのに霞がかっていた視界が色を取り戻していき、それが彼の目を覚ましたのも事実だった。
 響き渡る、奇妙に冷徹すぎる声。
 「キグナス、聞こえるか。こちらラジェイード・アリアロス大尉。マカートニー提督が殉職された。最後の命令を伝える。クロード・C・ケニー大尉を特務少佐へ任命し、彼の指揮の元で惑星クロノスを脱出せよと」
 無機質に、空間を駆けめぐる。
 通信機の向こうが、何事か叫んでいるようだった。多分あれはレイモンド少佐だろう。当たり前だった。なぜ自分ではなく。もちろんマカートニーの訃報への動揺もあったのだろう。それを一声でラジェイは黙らせた。
 「うるさい!じいさんの言うことが聞けないってのか!」
 沈黙が、答えだった。
 切られた、通信。取り囲む機械たち。
 「ラジェ、イ……」
 見上げる瞳に、覆い被せられる叱咤。
 「いつまで寝ぼけた顔をしているんだ。責めも後悔も全部後だ。泣いているんじゃない、馬鹿!お前はすでに指揮官なんだ、じいさんの言葉を無にするつもりか!」
 ……じゃあ、なぜお前も泣いているんだ。
 なぜ、そんなに、紫の瞳を紅く染め上げているんだ。
 それでも、クロードは立った。そんなことは後から聞けばいいことだったから。
 無駄にするつもりはない。彼が自分を選んでくれたのは確かだったから。それだけを信じることが、今は必要だった。
 マカートニーの制服から、ペンダントと、そして階級章を取って。
 奇妙に、落ち着いていた。麻痺しきった感情に目標が与えられ、感情を揺り動かすのを放棄したというのが正しい。
 不思議に、誰も異を唱えなかった。7人に減ってしまった調査隊の誰一人、クロードに文句を言うモノはなかった。
 折り重なる、タキコドゥスの群れ。
 微笑む、マカートニーの骸。
 もう迷わなかった。フォストブレードを構えて、クロードは立ち上がって叫んだ!
 「僕が先鋒だ。ラジェイは右翼、メルグリード中尉は左翼を担当!レナ、補助呪紋を頼む。残りの紋章術師は後続を払ってくれ!なんとしてもここを脱出する!」
 もう、何もいらない。
 無駄にしない、彼の最後の願い。
 ……自分の使命が見えたから。
 全員の意志が、いま、一つになる。
 「走れ!!」






    


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