ユーカラについて   (レジュメ)  
 
1、ユーカラは叙事詩である(韻律がある)
  伝承であって出自がハッキリしていて、或る特殊な能力の持ち主が受け継ぐ・・・雅語 atomte itak の巧者
  雅語とはどのようなものか ? と云えば蝶は日常語でheporap ユーカラ語では、moreureu(蝶のようにシンメトリー)
  病気は、日常語て゜shiyeye  ユーカラ語で tashum (丁寧語)~これは虎杖丸の曲に出てくる。
  
  それでは、どのような人が受け継ぐかと云えば・・・最後の伝承者ワカルパによると・・・
  「オレの子供の時迄は、男子十二、三になって言葉覚えると、昔はウコチャランケを教え
   三人、五人やり 分けて云わせ 負けると ponikoro 出させたものだ。 ponikoro は宝のつもりして童にくれるオモチャ
   クスレクノーは、沙流一番(今死す 兄弟四人今存す)のアイヌの物知りと云われ、オレとukocharanke す。」

  こうした訓練に依って祈祷語とかチャランケの作法を覚えた優れた資質の者にだけ伝授し、途切れないよう
  必ず2人以上(ミラーリング)で保持し、後進に伝授する責任も負う。それでワカルパは文字にして残した。
  この年の暮れにワカルパは亡くなるので、間一髪でユーカラを救ったことに成り、そうで無かったら・・・
  ユーカラは永遠に消えていたことに成ります・・・

 
 2、雅語 atomte itak は、ユーカラに限らずチャランケ(談判)にも inonno itak (祈り言葉) 祈祷語にも使われます。

  特徴的なのは、尊敬語は複数形に成るので、一般のアイヌも解らなかった。増して和人は尚更です・・・
  例として akoro sapo(一人) ireshpa(複数形) hine ~ 我姉、我を育てて 此で今迄の研究者が面食らい
     沙流のものは、胆振より後発であろうと考えたようです~久保寺博士など・・・

  しかし、ユーカラで特徴的なのは、 「~と云った」は沙流では sekoro itaki 胆振では ari (日常語)itaki
  それで、今迄言われて居た日高と胆振のものをユーカラと云う・・・これは間違いに成ります。
  
  似たものにhau (沙流以外の地域)が有りますが、使う言葉は雅語そのままで、新冠などのものです。
  しかし、移動の時決して空を飛ばず、舟を使います。

  樺太のユーカラは hauki と云いますが、韻律がしっかりしていて面白いです。
      http://www2u.biglobe.ne.jp/~shuuzo2/hauki_1.htm  (オチョポッカ ラマンテのもの)
   これを金田一博士が訳せたのは、沙流川の奥ヌッキペツの黒川ツナレがハウキの名人とワカルパから聞いて
   沙流の言葉では、こう言う意味だと教えて貰ったから訳せたようです。10年後にツナレに逢いに行っている。
   只、どうしても訳せない言葉が有り、正直に空白に成って居て、学者の誠意が感じられます。

  道東などのサコロペは女子の謡いもので、使う言葉はsekoro と云う雅語は使いません。itak katu ene ani と表現する

  永田方正は、「ゆうから」を明治20年に発表して、四半世紀経ってから金田一博士は筆録に着手するのですが、
  その、ゆうからはユーカラ語が滅茶苦茶で。結局、渡島にもユーカラは無かったことに成ります。
  これは、教育大学の百瀬響教授に教えて頂いて、私なりにユーカラ語に直しましたので、百瀬教授のみ閲覧できます。

 
 3、雅語辞典はあるか ?・・・有りません

  其れでは、現行の田村すず子氏と萱野茂氏・知里真志保氏の「アイヌ語辞典」で訳せるか ? ・・・殆ど訳せません。
  
  例えば、ユーカラで使われている reraruturu = rera ru uturu そよ風 通る道 間 ・・・此が無いのです。
  これは未訳のKane esaman (金獺記)に出て来て、私はいきなりずっこけました。(*^_^*) この意味がご存じの方 ?
  ※ ワカルパの解説   最初、私は「巷の風の噂」と訳して居ました・・・アイヌ語って粋ですよね~ (*^_^*)

  
 
 4、以上でユーカラは日高と胆振のものを指すと云う事が間違いで、日高沙流のものだけと落ち着きますが・・・
   実はそうでなく、沙流でも限られた人達が受け継ぎ、又、後進に伝授する重責を負います。
   ワカルパが最後の伝承者でした。その頃は真正なユーカラを受け継ぐ若者が居なく成り絶望的でした。

  金田一博士が最初、明治39年に平村カネカツクから筆録した Pa imoka pa chepipe 首苞 首肴は厚真の
  Ikashrep 所伝で沙流のユーカラではありません。コタンピラ ヤヤシのものは、真正の伝承でもありません。
  真正のユーカラを区別する方法が有って、其れは出だしの語句で見抜きます。
  例1: 鍋沢元蔵所伝のKutune sirka (虎杖丸の曲) 其れと永田方正の「ゆうから」でも分かりますが・・・
     出だしがトミサンペツ・シヌタプカと成って居るのは、真正なものではありません。。
  例2 : 鍋沢ユキコポアヌの場合も出だしで、どちらが真正か区別される~この場合は、火の神と其の夫の Sopa kamui の
      物語りであるので、コポアヌの場合はchiseta tureshi (実の妹)で、夫婦に成れません。
 
  久保寺逸彦博士は、村では認められていないエテノアのものを扱っていたので、出版社で金田一博士に出版を
  打診しても首を縦に振りませんでした。でも、金田一博士は知里ユキエの神謡集を大正12年に出版し
  その年に大阪から東京に立ち寄った鍋沢ユキからPishka toa pishka を筆録して腰が抜けた・・・それから訳せなくなり
  36年を経過して、77歳でアイヌ叙事詩ユーカラ第一巻を刊行することに成ります。それも胆振の金成マツさんのものを
  ユーカラとして刊行する・・・それで胆振にもユーカラがあると定着してしまう・・・最悪の矛盾

 
 5、以上からして日常語(yayan itak)辞典では訳せないことが解った時点で・・・
  先にも紹介しました久保寺逸彦博士のものは、亡くなってから或る有志に依って出版されていたので
  カムイユカラなどを調べてみると原文が無く、全然役に立ちませんでした。

  又、1億円以上掛けて、萱野茂氏に依る金成マツさんのアイヌ民俗文化財ユーカラシリーズも読んでみましたが
    意訳に成って居てこれも全然役に立ちませんでした。ラジオアイヌ語教室も調べたりして行き詰まりました。
    ラジオアイヌ語教室の Ninninkeppo hokuhu numke (蛍の婿選び)では酷い訳をつけていて不誠実を感じます。
  
  一番最初に作って於いた虎杖丸の曲の注釈辞典も初心者にとっては、基本を学べましたが、翻訳には無理です。
  転記も大分進んだ頃、金田一博士がワカルパのユーカラ11曲の内、長編ばかりを4曲訳されて居る事に気付き
  独自の雅語辞典が無いと未訳のユーカラの翻訳は、不可能に近いこと知ったので、其の時、閃いたのは
  検索CGIに依る辞典・・・幸いに私のプロバイダーは、CGIを許可していたのもラッキーでした。
  
  博士は訳を古い言葉で書いてあるので、私が分かる現代語に直して、ローマ字原文を全て転記して・・・
  CGIに放り込んでみると・・・雅語辞典に成って居た。メノコユーカラとカムイユーカラは、使う言葉が在って
  それも別々に辞典を作って・・・実質5年くらいで9割くらいのユーカラ群の翻訳が終わり・・・
  最初の目的、浜益幌村でユーカラの絵を描くことが出来ました。費やした時間は1万時間・・・
  
 
 6、では、ユーカラって何なの?

  沙流のユーカラ群を殆ど訳してみて初めて解るのは、全体に語彙が散らばっていて有機的に繋がっている事
  ユーカラは矢張り軍事的な事柄 メノコユーカラは其れを補強する外伝 カムイユーカラ・カムイウゥエペケレは
  歴史的な部分を支えるもの・・・それが曼荼羅のように成って居ます。

  ユーカラの突出した特徴は、何と云ってもポイヤウンペが空を飛ぶんですね~・・・hau では舟を使う。
  これはアイヌ(人間)の想像力を遙かに超えることから・・・何かを隠す為に夢物語に偽装している・・・
  ワカルパは、「十勝のユカラ Otashutunkuru のみで、それと戦うのは Shisarunkuru (沙流) Shimukaunkuru (鵡川)
   Nikapunkuru (新冠) Shiyapetunkuru」・・・と実名に成って居たことを伝えています。
  そこで、私はひょっとしてユーカラは、アイヌの都で代々伝わる軍事機密情報ではないかと仮説を立ててみた。
  そうしたらシュムンクル(北海道の西側の人)がレプンクル(道東など)から侵攻して来る地域を記録して
  日本海交易圏(石狩湾)を守ったと考えるとしっくりします。

  又、Tumunchi kamui (戦の魔神)丸でマジンガーZのような中に少年のような人が入っているのも敵・・・

  そして、極めつきはクルイセイ(陰を作るもの)で、空中に漂い放射能のような頭の毛と髭が無くなる
  ものが村を守っていて敵が近づけば襲いかかる・・・でも、ポイヤウンペが襲う相手を敵に向ける。
  核弾頭もコントロールシステムに細工をすればそうなる可能性ある・・・例えばロフテッド軌道にした場合
  ブーメランのように戻って来る・・・これは迎撃不可能に近いパラドックス。日本でもH3ロケット失敗したように
  ICBMが目的地に飛ぶとは限らないと云う可能性は否定できないと思った方が良い保有国は・・・(*^_^*)
  丸で、現在の戦争の構図と同じなのがユーカラの正体です。

 
  7、トミサンペツのシヌタプカ・・・とは ?

  バチェラー(向井)八重子の和歌に 「伝え聞く トミサンペチの シヌタプカ カムイイワキヒ 今いずこなる」 がありますが、。
  100年前の胆振ではユーカラカムイの在所は解らなかったことを意味しています。ユカラクルだけ知っていた。
  トミサンペツについては、永田方正は雅語を知らなかったとして、軍勢を出したる処の説は・・・却下 (*^_^*)
  私のユーカラ集の始めに書いてありますが、沙流のユーカラ群の全てを読まないと解らないように成って居る事
  脚注無しで、兎に角全部読んでみる事、・・・真正のユーカラと違うユーカラの区別が付くようになる。
  トミサンペツについては私の見解を発表しております・・・こちら

  次にシヌタプカについて決着をつけようと思います。
  金田一博士の説明では、このようにユーカラノートに残しています・・・これは、ワカルパに依る説明です。
  ずっと解らなかったことが、先の石狩市民カレッジで明らかに成ったのが地質図です・・・ビックリしました。
  トルコ大地震の亀裂の写真を百瀬響教授の御主人に見て頂き・・・更に浜益温泉のボーリングデータ
  異常磁気の分布から・・・明治30年の地図が正しくて、山頂がチャシコツと勝手に断定致しました。

 
 8、ユーカラは浜益だけの問題ではない・・・

  ユーカラに出てくる地域は全道と択捉島(チュプカコタン) 利尻島・礼文島・樺太など広域に渡っていて大きな観光資源
  其れと蝦夷の歴史を研究するにも貴重な資料です・・・特に子供達に正しいアイヌ文化を伝える必要あります。

  例えば金田一博士が童話として紹介した Kanreran wuwepekere (リクンベツの翁)は、実を云うと
      その頃、アイヌのリンチの禁止令が出て、悪い奴が助かったという沙流の記録でした。

  もう一つにイチャルパ(慰霊祭)と云うのが新聞などに載りますが、本当はIcharapa (イチャラパ)で、
  意味は全く違います・・・正しい本当のアイヌ文化を子供達に伝えるべきだと思います。
  大正4年の金田一博士の日記を読むと実際に執り行われたこと分かります。
 
 9,ユーカラの諧謔精神(ユーモア)・・・

  ユーカラには、思わず吹き出してしまう高度な諧謔精神が含まれていて・・・ゲーテの「ファウスト」も
  60歳くらいに成ると面白さが増しますが・・・それを超えるような気がしています。

 
 10、ワカルパの情報は、松浦武四郎の調査と繋がっていて歴史の一端が分かります・・・

   例えば、沙流のエカシキリ(系図)と松浦武四郎の沙流の調査を比較すると面白い事分かります。

  次回は、ユーカラとアイヌ文化に於ける歴史など興味深い事についてお話してみたいと思います。

 
  以上でユーカラについてのお話は終わらせて頂きます・・・ご静聴有り難う御座いました。