沙流のユーカラ定義


沙流に於いて・・・ユーカラとは?


金田一博士が沙流で定義されていることを書いているので紹介します。
これは、恐らくワカルパ翁による説明だとおもわれますが・・・

@ 男子が伝承する英雄名ポイヤウンペのみをユーカラと言う  ・
A 女子が伝承するものは、メノコユーカラと言う             ・
B 釧路〜千島のサコロペは、女子の謡物                ・
C 石狩・十勝のポノタシュツ゜ンクのものは、ユーカラでなくハウである・
D 樺太のハウキもユーカラではない。                   ・

コポアヌ媼の解説
yukara 〜 物語る 自分の心を言葉にする。
yaiyukara kamui が一番先に ainu moshiri を支配し 次に aioina kamui が支配し
次に
yairap kamui otasamunkuru が何代も支配した。
kaparape kasa 〜ユカラ神だと解る。他の人の時は kani pon kasa
オキクルミの yaye yukara(自身が語るユカラ)を Oina と云う
熊とか狐とかが云うものを
Kamui yukara と云う
Hau
と云うのは moshma (沙流以外)のものを云うハウキも Hau の一種
------------------------------以上のことから-----------------------------


オイナ カムイユーカラ ユーカラ メノコユーカラセットが存在していて・・・
それを基にして各地で独自に創作されて楽しむものとして発展したと思われます。

元の所謂、ユーカラは、特殊なもので男子のみ・・・ホントのユーカラを伝承するには

小さい時からウコチャランケなどで訓練を受けて特に優れた者だけに
その秘密が伝承されたものと思われます。女子のメノコユーカラには
そう言った一族の軍事機密情報などが含まれていないので、許されたのでしょう。

一語一句精確に伝わるべきユーカラ・・・何故か? アイヌ世界の秘密の鍵が隠されているから
本当に一族から選ばれて認められた者だけが受け持っていた役割

金田一博士が別伝としているのは、所謂メノコユーカラの類いで創作が多かった。
中世のアイヌ世界を覗こうと思うならユーカラを解かないと・・・無理です
ユーカラは、これから解いていく冒険の旅・・・
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一般的に云われている、ユーカラとはアイヌ叙事詩の総称と云うのは間違いだと思われます。
ユーカラは、沙流の三大豪族男子のものだけをユーカラと云う。
他の地域のものはハウとして、女子のものはサコロペとして定義すべし。

ここで重要なことと云ったら・・・創作と伝承をはっきり区別すべきだとも思えます。
又、他の地域のものは、その地域で発展した創作物語だと思えます。

本当のユーカラを残せたのは、金田一博士のみであると思われ、又カムイユーカラなど
残せたのは、金田一博士とロシアのネフスキーだけなのかも知れません。
そこら辺をこれから検証していかねばなりません。

アイヌ人口の一割しか関わっていない団体で国立博物館の運営に関わるには
大きな問題があり拙速過ぎると考えますが、・・・如何でしょう。 (*^_^*)
現在、云われているアイヌ文化と云うのは、幌別(ウショルンクル)と道東(メナシクル)の

文化で論じられていて、その対極のシュムンクル(西側陣営)のものが研究されていない
歴史認識が片手落ちの状態だと云うことを政府はしっかり認識した上で
共生の施設を作るべきだと思われる。アイヌの九割の人達も本当のアイヌ文化を
蘇らせて誇りに思うようでなければ、返って税金の無駄遣いになってしまう。

2010/03/31  再書き直し 2014/11/15

沙流のユーカラの特徴としては雅語(Atomte itak)で語られていることがあります。
又、古い伝承ですから伝承者も意味が解らない言葉が存在します。
そして、ユーカラ群がまるで曼荼羅のように、全部読まないと理解出来ないようにも
成っておりまして、互いに有機的に関係付けられております。
その一つの例を紹介させて頂きますと・・・

金田一博士は、筆録されておりませんが、久保寺逸彦博士と萱野茂氏が沙流の鍋澤ねぷき媼より
採録した有名なカムイユカラ『蛍の婿選び』 Ninninkeppo hokuhu numke が在ります。
この冒頭に Chimut kane と云う言葉が出て来ますが、この言葉は沙流のユカラ・メノコユカラ
カムイユカラの中で、ユカラ Ponkemarakki に一度だけ出て来ます。久保寺博士のものを
他の方が訳されているのは省きますが・・・萱野茂氏のものは、ラジオアイヌ語講座とか
イタカンロー(アイヌ語弁論大会)などでも流布されておりますので、それを紹介致します。

・            萱野茂氏の訳                         私の訳(Ponkemarakki)より
 

chimut kane 

atui kuruka

e makkakuru

atui tomotuye

chiyaikotomkap

chihunara kusu

paye ash awa

pirika okkaipo

chinukara koroka

utonna shiko

chiekopankara

orowano sui

chimut kane

atuiso kuruka

e makkakuru

paye ash aine

shine okkaipo

chinukara koroka

konkane shiko

chie kopankara

orowa un sui

paye a saine

pirika okkaipo

chinukara koroka

shine rettu koro

chie kopankara

orowano sui

chimut kane

atui kuruka

e makkakuru

paye a saine

pirika okkaipo

chinukara ruwe

ene okahi

shikihika poro

etuhuka tanne

kiwa ne koroka

chiyaikotomka

shirikap ne ruwe

ne sekoro

ninninkeppo

hawe an shikoro

ne hawe un

大きな体の私は

海の面の隅々まで

強い光で照らしながら

海の上を横切って

自分に似合う婿さんが

いないものかと捜しに行った

しばらくの間飛んで行くと

いい若者が目に入った

だんだん近づくと

そのお方は斜視であった

それが嫌で私は

しばらくの間飛んで行き

大きい体で飛んで行った

海の面の隅々まで

強い光で照らしながら

しばらくの間飛んで行くと

一人の若者に出会ったので

よくよく見るとそのお方は

目の色が黄金色

それが嫌で私は

そのあと再び飛んで行くと

その次ぎにまた私は

いい若者に出会ったので

よくよく見るとそのお方は

顎のところに一本のひげ

それが嫌で私は

そのあと再び飛んで行き

大きい体の私は

強い光で海の面の

隅々まで照らしながら

海の向こうへ飛んで行き暫く行くと

いい若者に出会ったので

よくよく見るとそのお方の

器量といえば

体も大きく目も大きい

鼻だけ少し長いけれど

私のようないい女に

似合いの男と思ったので

その若者を私は

お婿さんに選んだので

私の夫はカジキマグロ

強い魚が私の婿だと

一匹のホタルが言ったそうだ

気の向くまま

海の上

そこを照らして

海の中を横切って

自分に相応しい人

探そうと

旅立った

良い男居た

良く見たけれども

やぶにらみ(ヒラメ)

それが嫌だから

それから又

気の向くまま

海の上

そこを照らして

さんざん行って

一人の男居た

良く見たけれども

金色のまなこ(サメ)

それが嫌だから

それから又

行って次ぎに

いい男が居た

良く見たけれども

髭が一本生えている(タラ)

それが嫌だから

それから又

気の向くまま

海の上

そこを照らして

行って次ぎの

いい男が居たので

よく見たこと

このようであった

目が大きく

鼻の上が長く

しているけれど

自分に相応しい

メカジキマグロである

ホタルが

婿の話

言っていた

 

これが、現在のアイヌ文化と云われている状態です。
イランカラプテをコンニチハ・・・もっと酷いのは「そっと貴方の心に触れさせて頂きます」と云う意味が在る
と云うのは、男の世界ではそんな趣味の無い男にとって背筋が凍る程、
ゾッとする忌まわしい言い方です。

Irankapte Yaikoirushkare と二言で成り立つ言葉・・・これは男の挨拶の言葉であって、。
金田一博士は、色々な場所で踏査をされていて、あるときは其れで救われていて
道交う少女にイランカラプテと云ったところ・・・ニコッとするから使い出しただけで・・・
あの人、アイヌの女と一緒になったんだと話していたとか・・・

文化庁のホームページにも同じようなことが書かれていて・・・ ? (*^_^*)
Rankarap 挨拶を非常に重要視したアイヌ・・・文字を持っていなかったから
長老から鍛えられた若者でも・・・エカシと云ったワカルパ翁・・・年齢を超えた形而上学
それが、とても素晴らしいと思う・・・