イタリア・ドライブ記 (1) 車で巡ると決めてしまう
発端は1994年秋。欧州視察研修で4カ国に行き、かなりハードな日程の中、イタリアも大型バスにてベネチアからシエナを経てウルビーノまで、トスカーナをたった1日で駆け抜けたことに始まる。
インターチェンジの表示を見つつ、
ぼく 「あっ。ボローニャですよ。見ていかないんすか。」
案内人 「残念ですが時間がとれません。時間の約束がありますから。」
ぼく 「おお。フィレンツェですよ。ちょっと寄りましょうよ。ねえ。」
案内人 「シエナまでは駄目なんですってば。」
ぼく 「綺麗な風景ですよ。ねえってば。ねえ、ちょっと。」
案内人 「ですから。駄目ったら、駄目なんですっ。」
というようなやりとりがあって、くそぉ、いつか今度は自分で勝手気ままにドライブしにくるぞと心に誓ったのだった。
ぼくのこの「いつか」を「次の夏に」へと巧みに誘導したのは言うまでもなく妻である。ふと気が付けばうちの居間はイタリアの関係資料であふれ、年明けには大体の時期が何となく決まってしまい、それを前提に話が進むという情況になっていた。
まあとにかく、今回はぼくも大いに乗り気であった。よーし、それなら全行程車で巡るぞと決めてしまい、冬が終わる頃にはコースとホテル選定をほぼ終え、5月の連休前に航空券とホテル、レンタカーの予約を開始し、5月中にはすべて完了していた。
日程は以下の通りである。ただし出発時に決まっていたのは飛行機と自動車とホテルのみで、後は大体の希望予定から、行き当たりばったりで次の日どこに行くか何をするかを考えた。結果としてメジャーな観光名所を巡ってあとは買物したり、軟弱にホテルまわりで過ごしたりという、ぼく達らしい旅行になってしまったのである。
旅行記は1日1ページ形式で、表の日付をクリックするとその日のページに飛びます。写真をクリックすると拡大写真が参照いただけます。また文中いろいろなところにリンクを貼ってありますので、お役立てください。
日付 |
行程 |
ホテル等 |
7/14 FRI |
成田で前泊(駐車) |
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成田発ローマ行 フィミチーノ空港でレンタカーを借りる 取りあえずローマ泊 |
アリタリア AZ785 AVIS Fグループ HOTEL SANT'ANSELMO |
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アマルフィ海岸 ボジターノへ移動 |
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カプリ島観光 |
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ナポリ市内・ポンペイ観光 |
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ホテルで終日リゾート |
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パエツスム観光後、ローマへ移動 |
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ローマ市内観光 |
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ローマで買い物後、フィレンツェへ移動 |
ALBERGO PORTA ROSSA |
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フィレンツェ市内観光 |
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フィレンツェで買い物後、リビエラ海岸へ移動 |
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ポルトフィーノ周辺観光、ホテルでリゾート |
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ミラノへ移動後、市内観光・買い物 |
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マルペンサ空港でレンタカー返却 ミラノ発成田行 |
アリタリア AZ1790 |
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/28 FRI |
成田着 |
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ホテルはローマのエデンのみダイナースクラブを通じて、後は全部FAXで直接予約した。
ガイドブックはミシュランの赤(伊仏独英語版)と緑(日本語版)がダントツに役立った。ただし日本語版のミシュラン緑は「Museo」=「博物館」を殆どの個所で「美術館」=「Galleria」と混同誤訳している。食事関係では他にガリバー、地図はミシュランの全国図の他に、エイビスでくれた全国図が見やすかった。地域的な地図は主要な都市は赤本に載っているので今回は結局必要なかった。地球の歩き方「イタリア」はレンタカーの旅には殆ど役に立たず重いので、その他大量のガイドブックや雑誌などとともに、成田で必要なページだけ破り取って車内に置いていった。
※ その後暫くして、地球の歩き方「ヨーロッパ・ドライブ」というものが出版された。
4月からNHK教育TVのイタリア語講座を留守録して結構熱心に見た。美人のアダ・マウロさんに見とれていたばかりではない。時折使って笑いを取る程度には役だったのだ。
同時に地元の図書館にて毎週末、主に美術関係の本を借りて付け焼き刃を鍛えた。昨年のボラボラ島と違って何と準備に余念がないことか。いくら勉強しても足りないという不安感に捕らわれ続ける。
イタリア。あなどり難し。