イタリア・ドライブ記 (13) 終着地ミラノへ

 

 

7月26日(水) ポルトフィーノからミラノへ

 

7:00頃、起床

 

2週間のイタリア・ドライブ旅行も最後の移動となった。リヴィエラにもう一泊して直接ミラノの空港に向かうということも考えたのだが、かかる時間が今一つ不確かなことと、やっぱり最後は買い物したいだろうということで、ミラノへ行くことにしたのだった。

 

11:00頃、スプレンディド、チェックアウト

 

ホテルで朝食後、早めにホテルを出発し、サンタ・マルゲリータ・リグレで昨日見つけておいたお店で大皿、灰皿などの小物を購入した。

 

12:30頃、高速12号線に乗る

 

時折左側にリグリア海を臨む12号線をしばらく行くと、やがてジェノバの都市が見えてくる。イタリア第一の海港都市であるジェノバの景観は、港周辺の比較的近代的な街並みと、階段状の丘の斜面に広がる瀟洒な建物との対照的な混在が面白い。高速道路は山側のトンネルの多いコースを辿り、トンネルとトンネルの間の山襞から町を覗くようにかすめて行く。

 

ここでサンレモ方面への10号線とミラノ方面への7号線に分岐し、リグリア海とお別れして一路内陸へと入って行った。

 

走っている自動車は幾分こぎれいで新しくなってくる。もはや南部では大威張りだったポンコツのフィアット500は殆ど見られない。やっぱり南北の経済格差がこんなところに滲み出てくるのだろうか。

 

14:00頃、サービスエリアで昼食

 

高速道路での食事もこれで最後だね、などと言いつつピザとパニーニで簡単に済ませた。ここで、コモ湖まで足をのばしてからミラノ行きするか、直接入るか、しばし妻と協議する。

 

コモ湖まで行ったらミラノ入りは下手すれば夜になる。コモ湖の生地屋さんに行くのが彼女の目的だったらしいが、コモ湖見学と生地屋を取るか、ミラノでお買い物を取るか。ぼくはもうしんどい行程はちょっとパスしたいという思いで、後者を主張したのだった。

 

結局、コモ湖もいずれまたということにし、ミラノへ行くことにした。「いずれまた」のやけに多かった今度の旅行である。

 

16:00頃、ミラノ市街へ

 

イタリア最大の都市ミラノはドゥオーモのあるチェントロ(中心)を幾重もの環状道路が取り巻き、そこへ放射状の道路が入り込んでいる。とにかく真っ直ぐ入っていくとスフォルツェスコ城に行き当たるので、そこで地図の確認をすれば良い。ローマよりは解り易いのか、イタリアの都市に慣れたのか、単にまだ明るいからなのか。旅行初日ローマで道に迷った大騒ぎが嘘のようだ。

 

しかし目的のフォーシーズンズ・ホテルは最も内側の環状線の内部にあって、細い一方通行路の奥である。近くまで来ていながら道路規制に阻まれて、幾つもの路地の組み合わせをトライしなければならなかった。比較的すんなりホテルに到着できたのは実はまぐれであったということが、2年後の再来の時に思い知らされることになる。

 

17:00頃、ホテル、チェックイン

 

最後の宿、ミラノ・フォーシーズンズ・ホテルはブティック街モンテ・ナポレオーネ通りからちょっと路地を入った所にあり、15世紀の修道院を修復したものである。完璧に現代的なリフォームを施しているが、中庭と回廊のある構造が活かされ、中庭に面した客室は街中にありながら嘘のような静寂が得られている。ちなみに赤ミシュランでは黒5つ屋根印の豪華伝統ホテルとされている。

 

18:00頃、市街地散歩と買い物

 

ブティック街に近いので買い物には便利だ。ところが、もはや妻はさほど買い物意欲を持ってはおらず、冷やかし程度に廻ったのみであった。フィレンツェで合うサイズのなかったフェラガモのハーフコートはミラノではその品物すらなく、あえなく断念。

 

ドゥオーモの内部とりあえずドゥオーモへ行くことにした。北の街の夕刻だというのに、むっとした熱風がふいていた。ドゥオーモは巨大な外観の迫力はもとより、内部の意外に単純な空間構成がより一層印象的に心を打つ。しかしイタリアではこれ程の本格的なゴチック様式はミラノより南では存在せず、このあまりにも有名なミラノのドゥオーモはゴチック様式の傑作でありながら、実はイタリア的なものではないのである。

 

午後7時になって一般観光客は出され、正装した信者たちが次々とやって来た。何か集いがあったのだろうか。

 

ドゥオーモ広場を歩いていると背後から、済みませんが日本語を話せますでしょうかと、英語で声を掛けて来た青年が独り。こちらも英語で、ええもちろん、何故ならば我々は日本人なのでありますよと答える。お互い顔を見合わせてニヤリと笑った。

 

ミラノのドゥオーモバックパックを背負った20台前半の日本人の男の子。ドゥオーモを背景に写真を取って欲しいとのことだった。聞けば両親はスイスに滞在中で、彼独り別行動でイタリアを巡っているとのこと。やはりナポリから鉄道の旅を続けてミラノに辿りついたそうで、両親に見せる証拠写真が必要なのですと言う。

 

日本人じゃないかもと思ったと言うが、正直な奴だ。余りにも2人とも黒く日焼けしていたのだから当然だ。ナポリまで行ったのならアマルフィで泳がなくてはダメよと、何だか偉そうに講釈垂れる妻。

 

20:00頃、ガレリアで夕食

 

赤ミシュランで探して行ったリストランテが2つまでキウーソで、暑いし腹減ったしで何でも良いよと、エマヌエーレ2世ガレリアで適当にバールに入る。ミラノ風カツレツとオッソブーコ、ビール。味はいまいちで量が多く、少し残した。やはり観光スポットに美味いもの無しだ。

 

店内にいた日本人の女の子2名、我々を見て、新婚旅行かぁ、いいなあ、とやっている。声がでかいぞ。どうして日本人の若い男女が2名で外国歩いていると新婚旅行と決めつけるのかねぇ。しかも俺たちゃそんなに若くもない。

 

21:30頃、ホテルに帰る

 

まだ薄明るい街をぶらぶらと歩いてホテルに帰った。イタリアはまた来なくちゃねと早くも妻は次の旅への思いを巡らせ始めていた。

 

さて、明日は帰国の途に付くので、本格的に荷造りをした。壊れそうもないものはローマで買った柔らかい皮のトランクに、大皿や瓶ものなどは堅いトランクに、壊れ物は手荷物にと、選別とパッキング。

 

買い込んだままだったオルヴィエート・クラシコを開けて最後の一夜に乾杯。

 

 

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