イタリア・ドライブ記 (9) 疾走するトスカーナの風景
7月22日(土) バチカン博物館見学後、フィレンツェへ
7:00頃、起床
コンシェルジュに帰りの航空券のリコンファームを頼む。週末なのでなかなか繋がらなく、何度もたらい回しにされたようだ。自分でやらなくて良かったと思う。
チェックアウト前にバチカン博物館を見て来ようと9:30頃ホテルを出た。昨日歩いて行ったのであまり考えないで歩き出したが、結構遠く、タクシーか地下鉄でも使えば良かったのにと、妻がぶつぶつ言い始める。
10:00頃、バチカン博物館
螺旋状の斜路を一気に駆け上がる。何故かみんなが走っているのだ。ぜいぜい言って登るとまださほど並んでおらず、いったい何だったのだと憮然として汗を拭く。
日本語ガイドブックを買い、時間もないので最短コースを廻った。また来れば良いわねと妻が言う。さすがに最後のシスティーナ礼拝堂ではゆっくりと壁や天井を眺めた。
1週間でも見切れないというバチカン博物館。また来ればいいさ(ホントか?)と、地下のバールでちょっと休憩してタクシーでホテルに帰った。
12:30頃、チェックアウト
最後に「ほんじゃアリヴェデルチ(arrivederci・さようなら)」と言うとフロント、コンシェルジェ総立ちで「アリヴェデルチ!」と送ってくれた。何か良い気分。
サンタ・マリア・マッジョーレ教会の前に車を止めて、サッカーフリークである会社の後輩に頼まれていたローマ銀行ラッツィオの公式ウェアを買いに、ラッツィオ・ポイントという店に入った。すると日本からわざわざファンが来たと勘違いされ、店内にいた若者たちに大歓迎されてしまった。どの選手が好きかと問われ、今さらぼくじゃないとは言えず、適当にポスターを指さした。
教会は修復工事でキウーゾなので、テルミニ駅周辺を散策し両替などする。週末なので出来るところで替えておこうという訳だ。この辺は下町という感じで少々汚い。
14:00頃、昼食
歩くための地図として「るるぶ」を持っていたので、そこに載っていたリストランテに入ったら、客は日本人しかいなかった。なるほどそういうものなのだ。しかしパスタは美味しかった。
15:00頃、ローマをあとにしフィレンツェへ向かう
高速道路1号線を北上、フィレンツェへ向かう。ローマで既にナポリ周辺の南部らしい風景とは違っているが、北へ向かうとすぐに景色はぐんぐん変化してくる。言葉で説明するのは難しいが、山並みが柔らかくなり、緑が増え、糸杉が林立し、いかにもトスカーナという感じ。(説明になってないか)
山上に密集する都市が現れてやがてオルビエートだ。
「だめ」
「どーして」
「早くフィレンツェに行きたいの」
「何で」
「だってー。明日は日曜日なんだからぁ」
そうか昼頃から何かそわそわしていると思ったら、コヤツは買い物のことを考えていたのだった。そろそろ旅も後半。フィレンツェには好きなイタリアブランドのお店がたくさんある。
そんな訳でシエナにもサンジミニャーノにも寄らず、地平線まで続くひまわり畑や、糸杉の美しい列の中をひたすら疾走するのであった。ああ、本来ぼくの目的であったはずの山岳都市の風景が後ろに飛び去って行く。
サービスエリアでオルビエート・クラシコというワイン(約500円)があったので買ってみた。
19:00頃、フィレンツェ市街へ
やはり一方通行や進入禁止が多く、多少迷ったが、ローマほど規模が大きい都市ではないので、まもなく目指すホテル、ポルタ・ロッサ(赤い門)へ通じるところへ差し掛かった。突然妻が大きな声を出した。
「すとーっぷ!」
「なにぃ?」
フェラガモ総本店であった。もう閉まっている。それでも明後日の午前中に備えてあちこちウィンドウを見たいと言う。
世の中には山岳都市やロマネスク教会の巡礼をされている真面目な旅行者もいらっしゃるというのに、ぼくらはいったい何なのだ。多少語気を荒くするが、所詮そんなものだという諦めの方が強いのであった。
20:00頃、アルベルゴ・ポルタ・ロッサ、チェックイン
北へ移動するにつれ夕暮れは遅くなり、まだ夕陽がさしている。しかしレセプションには人影がなく、コンシェルジュのカウンターで手続きをした。
コンシェルジュとは今でこそ高級ホテルのサービスの「顔」であり、何でも相談に乗ってくれる特殊なサービススタッフかと思われがちだが、もともとフランス語で「門番」「鍵の管理人」という意味なのだ。
ここイタリアではホテルの格にかかわらず、コンシェルジュはまだ本来の「鍵の管理係」という雰囲気を残している。ホテルの出入りのときに必ず顔を合わせ、挨拶をし、そして頼めば「ついでに」チケットやリコンファームの手配を引き受けてくれる。
高級ホテルならば当然その対応は有能さが満ちているし、そうでなければ鍵係りの単なるオヤジが相談に乗ってくれるというノリに過ぎない。しかし、最近日本の高級ホテルなどでコンシェルジュ・デスクなどもったいぶって構えているのは本来の機能が歪んでしまった結果というべきだろう。
このホテルには駐車場がない。道路の反対側にあるお友達(イタリアでは知り合いをとりあえずお友達という)のガレージに停められるから大丈夫だという。宿泊するのだから当然無料だろうと思っていたら、後でしっかり料金を取られた。
ポルタ・ロッサは今回の旅一番の安宿である。フィレンツェ最古のホテルだそうで、昔はグランド・アルベルゴと名乗り、明治の岩倉具視使節団もここに滞在したといわれる。前の路地もポルタ・ロッサ通りと名付けられ、地元では知らない人はいないという。今や少々ボロッとしたアルベルゴだが建物、調度品は全てアンティークでタイムスリップしたような気分になり、悪くない。
部屋にはエアコンがなかった。しかしだだっ広く呆れるほど天井が高い。ドアの高さ 2.5m、天井は4m以上ある。バスルームも同じ高さなのでまるで井戸の底で風呂に入っているようだ。これまた立てに長い窓から路地を見おろすと、3階だというのにその倍くらいの高さがあった。
21:30頃、外で夕食
このホテルにもバールがあったがここで食事する客はいないようだ。裏の路地に赤ミシュランで3つフォーク印の店があったので、予約なしで行ったら問題なしで入れた。
リストランテ・ア・ルーメ・ディ・カンデラは間口が狭いが奥行きの長い穴蔵のような店だった。フィレンツェでもナポリに続いて食べたいものは決まっていた。ビステカ・アラ・フィオレンティーナ(フィレンツェ風ビフテキ)である。あと当然生ハム、チーズ系のパスタ、再びキャンティ、その他。熟成された肉(腐る寸前ともいう)が非常に美味い。
23:00頃、ホテルに戻る
夜勤のコンシェルジュ・オヤジは妙に機嫌が良く、鍵を頼むと「ボナセーラ、ボナノッテー」と手を振る。このオヤジ、夕方は非常に愛想が悪いのだが、深夜になると何故か赤ら顔でハイになるのだ。きっと隠れて飲んでいるに違いない。こちらもワイン一本空けて良い調子なので笑いながら手を振った。
エアコンなしでも夜はさほど暑くはない。扇風機の風に吹かれて眠る。