イタリア・ドライブ記 (8) ローマを歩き回る

 

 

7月21日(金) 徒歩でローマ観光

 

7:00頃、起床

 

ホテル・エデンはボルゲーゼ公園に隣接した高台にある五つ星ホテルである。最上階のテラス・レストランからのローマ市街の眺望が素晴らしい。ルレ・エ・シャトーに入っているホテルだが、何故か赤ミシュランには載っていない。今回はダイナースカードのクラブホテルズで予約をした。計画段階では都会では安宿に泊まろうと思っていたのだが、妻がどーしてもここが良いと言い張るので渋々決めたのである。ホテルマンが非常に好感の持てるホテルだったので結果的には良かったのだが・・・。いかんせん高い。

 

9:00頃、テラス・レストランで朝食

 

昨夜は大したものを食べなかったのでハラペコである。さすがに都会ローマのホテルへ来ると宿泊客は殆ど外国人らしく、聞こえてくるのは英語8割、伊・仏各1割という感じで、従業員の英語も流暢なものである。

 

11:00頃、ぶらぶらと出発

 

リゾート地ではないのでさすがに「バカボン」で出歩くのはやめ、麻の長ズボンに革靴を履く。城壁に沿って坂を下って行くとすぐ、妻がランジェリーショップの前でウィンドウに貼り付いた。今日はなかなか前進出来そうにない予感がする。

 

早くもネグリジェらしきモノ購入。ホテルに届けてもらうことにして、また坂を下って行った。

 

サンタ・マリア・デラ・コンチェツィオーネ教会(骸骨寺)バルベリーニ広場の近くのサンタ・マリア・デラ・コンチェツィオーネ(聖マリア処女懐胎)教会に入った。ミシュランには特に解説がないが日本のガイドブックには骸骨寺として載っている。16世紀から19世紀にかけて亡くなったカプチン派修道僧の骨で作られた室内装飾のおぞましい教会である。4000体もの夥しい人骨からなるインテリアは何故か日本人に受けるらしい。一件の価値あり。

 

ちなみにカプチン派の修道僧のことをカプチーノという。修道士の服は黒が当たり前の時代に、カプチーノは区別するためか、より質素な生活を強調するためか、生成りの茶色の僧服をまとった。そこで、エスプレッソなどの黒いコーヒーに対し、泡立てミルクを混ぜて茶色くなったコーヒーはカプチーノと呼ばれるようになったそうである。しかし、ではカフェラッテ(ミルクコーヒー)とどう違うのだと言われても私は知らない。

 

さて、おのぼりさんらしく、トレビの泉、スペイン広場、コンドッティ通りと、買物をし、要所要所できちんと写真など取りつつ進む。フォロロマーノやカラカラ方面(南側)は初めから回ることを諦めているので、手近でのんびり済ますのだ。スペイン階段(正式にはトリニタ・ディ・モンティ階段)は修復工事中でフェンスが張ってあり、立ち入り出来なかった。

 

途中、柔らかい皮の大きなボストンバックを買い(約15000円)、これもホテルへ届けてもらう。カプリででかい皿を買ったし、これからもまだ買いそうな雰囲気なのでまとめて入れようという訳だ。レンタカーの移動だと強気である。

 

テヴェレ川を渡ってサン・タンジェロ(聖天使)城へ。もともと1世紀に造られた皇帝ハドリアヌス一家の霊廟が土台だけに入口付近は不気味的である。その上には6世紀にペスト流行の終結を告げたといわれる天使ミカエルを記念して礼拝堂が増築され、その後何回も増築を繰り返している。中世の教皇たちの暮らしぶりを偲ばせる。

 

ベルリーニ制作のサン・タンジェロ橋をするどくチェックして、バチカンへと向かった。そろそろ暑さと歩き疲れでへろへろになってきた。腹も減った。

 

13:30頃、バールで昼食

 

サンピエトロ広場へと一直線に続くコンチリアッツィオーネ(1929年の伊政府と法王庁との和解)通りに面したバールで昼食。パニーニとピザ、ビール、ミネラル水。

 

サン・ピエトロ寺院内部14:00頃、サン・ピエトロ寺院

 

ガイドブックの受け売りをしてもしかたがない。途方もないモノ造っちゃったものだなぁという感じで恐れ入るばかりだ。巨大な歴史、宗教、文化、文明、美術、装飾の宝箱だ。一回りして裏手に回り、クーポラ見学の列に並んだ。

 

サン・ピエトロ寺院ドーム上より臨むエレベーターで円蓋の麓(平たい屋上)まで登り、階段で斜めに傾きながらドームの天井裏を登って行き、円蓋の内側の通路に出るという趣向である。足が笑った。

 

降りてきてまた寺院の中に入り、床にお尻を付けて座ると冷たくて気持ちが良い。そのまま壁にもたれて上を見上げ、凄いものだねぇ、などと言っていると反対側で同じ格好をしていた観光客が坊主に怒られている。やばいやばいと退散した。

 

バチカン博物館はもうキウーゾだった。明日また来ることにする。

 

16:00頃、ぶらぶら買物しつつホテルへ

 

再びのんびりとコンドッティ通りを買い物などしつつ戻って行った。屋台で葡萄、梨など買う。観光客向けらしく市場の5割増しぐらいの値段だが、それでも日本の感覚の半分以下と安い。

 

ボール紙やら新聞紙を持った子供が5人程、何やら訴えるようにワラワラとすがって来た。おお、これが有名なジプシーだな。でもニコニコする訳にもいかない。「だめだめ。だーめっ!立ち去りたまえ!」と大声で唱えると、ピューと消えるようにいなくなった。回りのヒトが何だ何だと注目するくらいの大声を出す必要がある。もごもご言っているくらいでは引き下がらない。

 

スペイン広場に面した店の店員は日本語が喋れる。しかしイタリア人が笑顔で「安イヨ。トテモ良イ品デース。」などと日本語で言いうと、とたんに途轍もなく胡散臭くなってしまうのは何故か。

 

結局、日本語の通じない店をわざわざ選ぶようにして、レースのハンカチなど小物を若干買った。ホテルへの道を登る途中の雑貨屋で、ハム、サラミ、チーズ、ワイン、ミネラル水など買う。こうゆう地元人向けの店のサラミやチーズはだいたい安くて凄く美味しい。チーズを100g切ってと言ったら一発で102gを切り分け、どーだとばかりにニヤリとオヤジが笑う。

 

18:00頃、ホテルへ戻る

 

フロントの客室係が部屋を変わるかと言うので、見せてもらうことにする。最初に案内された部屋は昨夜よりは広いものの、ロの字型の建物の内側の部屋で壁と屋根しか見えない。

 

「良くないね。外側の部屋はないの? カミサンが嫌だって言うんだよ。」

 

とまた妻のせいにすると、客室係は肩をすくめ次の部屋へ案内してくれた。今度は景色もばっちりで、続き部屋のあるセミスウィートクラスの部屋だった。言ってみるものである。

 

21:30頃、外へ食事に

 

すっかり気を良くしたわれわれはミシュランで星(花?)印1つ付いているイル・コンヴィヴィオというリストランテを予約して、タクシーで出かけた。タクシーは住所だけ見て出発するが、結構迷ったりしていた。

 

テヴェレ川のウンベルト橋の東側をちょっと裏に入った路地に面し、10テーブル程度のこぢんまりとした店だった。

 

何を食べたか定かでなくなってしまったが、ワインはキャンティの赤を頼み、チーズをたっぷり振ったパスタと、山羊だか羊だかの肉、前菜各種という感じだったと思う。どれもとても美味しかった。途中停電して15分ほど照明、エアコンが止まったが、テーブルの蝋燭の明かりだけで食事するというのもご愛敬だ。

 

24:00頃、満足しきって帰る

 

次の日はフィレンツェに向かう前にどうしてもバチカン博物館を見なければならない。荷造り、洗濯などをして早めに就寝。

 

 

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