イタリア・ドライブ記 (7) 灼熱のパエスツム

 

 

7月20日(木) パエスツム見学後、ローマへ

 

7:00頃、起床

 

レストランで朝食後、電話がかかってきた。チェックアウトの確認であった。この時、車で行きますかと聞こえたので変だなと思いつつ「はい」と答えたのだが、これは失敗だった。

 

10:00頃、チェックアウト

 

部屋にお車の用意が出来ましたと電話がきた。単に車をまわしておいてくれたのかと思い、フロントに行くと明細にタクシー代が入っていて、ローマまでの代金だという。電話での車とは自分の車のことではなくタクシーのことだったのだ。あわててキャンセルした。

 

頼んでおいたフレッテのベッドカバーは新品がなくホテルの備品を見せられた。程度は良いようだった。日本で買うと10万円以上するという妻の言葉を信じて買うことにする(約24000円)。これは帰国後調べたら本当だった。

 

チェックアウトして上へ行くとタクシーが待っており一悶着。駐車場係に多めにチップを渡し、知らぬ存ぜぬということで話を着けてもらった。せっかく待っていた運転手のお爺さんには気の毒だった。

 

サレルノ方面への海岸通りは避けてまた半島の先を回って行った。そしてソレント半島の付け根でナポリ方面と分かれて片側2車線の高速道路をサレルノ方面へ向かう。サレルノ付近はトラックが多くいくぶん走り難い。しかし高いところから眺めるサレルノの港景色は非常に美しい。

 

12:00頃、パエスツムの表示で高速を降りる

 

パエスツムの表示に従って畑の中を突っ走るとパエスツムというキャンプ場だった。あれれと思って少し戻り、また表示に従って行くとパエスツムというホテルだった。また別の方へしばらく行くとパエスツムという海水浴場だった。ありゃ、また迷ったぞ。

 

何度も遺跡のパエスツムは何処ですかと尋ねるが、この辺では誰も英語が出来ない。手話である。5人目にガソリンスタンドのおばさんの手振りが良く解った。身振り手振りにも解りやすいヒトとそうでないヒトがいる。

 

13:30頃、パエスツム遺跡到着

 

パエスツムのネプチューン神殿崩れかけた城壁が見えた時はほっとした。ガソリンがゼロで警告灯が点いていたのである。さっきのスタンドでは適合するガスが品切れ(!)だった。しかもこの時間、もうシエスタで全部キウーソなのだ。

 

パエスツムのサクラ通り入場券は遺跡に隣接する博物館と込みである。ギラギラと照りつける太陽の下、ギリシャ神殿の廃虚が並んでいる。見事なプロポーションと美しさである。紀元前5・6世紀にこんな造形に達してしまった人類は、その後いったい何をして来たのだろう。たまにはぼくも腕組みして考えるのである。南国風の花が満開のサクラ通りがまた美しい。ちなみにサクラ通りといっても桜ではなく「聖なる道」である。

 

しかし暑い! どうしようもなく暑い。遺跡・廃虚なので日陰がない。素晴らしいが長居は出来ないのであった。

 

14:30頃、博物館隣のレストランで昼食

 

「ビッラ、ビッラ、ビッラ!」と3回連呼する。とにかく冷たいビールなのだ。乾いた熱気なので汗は流れていないが、シャツが塩吹いて粉っぽくなっている。

 

パスタとリゾットを注文するが美味くない。ぐっちゃりとして何やら臭い。たぶんややいたんでいたのではないかと思う。レストランで不味いと思ったのはイタリア旅行中ここだけだった。後で知ったことだが田舎の観光地で、地元の人が行かず、リピーターの期待できない観光客だけを相手にするレストランではこういうことが良くあるそうだ。

 

食後、博物館見学。館内は涼しくて快適だった。野外学習だろうか、高校生が集団で来ていた。

 

17:00頃、給油してローマへ向かう

 

やっぱり高速道路を運転している時が極楽だねと言いつつ1号線をローマへ疾走する。途中サービスエリアでワイン、ハム、チーズなど買った。VISAが使えるというが、きっちり残金で足りたのでなんとなくキャッシュで気持ちよく払ってしまった。これがまた失敗。

 

しまった! 高速料金が残っていない。

 

後の祭りである。英語の出来ないレジのお姉さんに頼んでも今更カードには切りかえてくれない。残ったのは小銭と非常用に妻が持っていた2万リラだけだ。安かったことは覚えているのだが足りるだろうか。何か対策を考えようと、また次のサービスエリアに入る。すると交通違反を捕まえて2人組みの違反者と何やら激しく口論している2人の警察官がいたので、取りあえず高速料金を確かめることにした。

 

2人とも英語は出来ないというので、何とかイタリア語でナポリからローマまではいくらかという質問をした。通じたようだ。つい今まで喧嘩腰で口論していた2人組に、お前ら知っているかという感じで聞いている。2人組も確かいくらだったと思うよと話に入ってきた。ここでまた真剣な議論の末、結論が付いたらしく、紙に書いてくれた。1万5千リラ。ああよかった。

 

お礼を行って立ち去ると、4人はまた本題に帰って激しく口論を始めるのだった。

 

21:00頃、ローマ市街地へ

 

なんだかんだでまた暗くなってしまった。また市街地に入るとしばらく迷う。やがてテヴェレ川畔の道へ出て現在位置が判明。ポポロ広場からボルゲーゼ公園へ城壁沿いに登っていった。ローマを出る前に走り回っておいた成果である。途中カラビニエリ(carabiniere・軍警察)がパトカーを停めていたので念のため道を確認した。

 

若い3人のうち1人が英語を話せた。ポリッツィアよりは多少エリートなのか観光客慣れしているのかは分からない。しかし城門の説明で詰まったので「ポルタ」だねと言うと、そこだけ解ったあとの2人が嬉しそうに「シィ! ポルタァ」と唱和する。いい奴らである。

 

22:00頃、ホテル・エデン、到着

 

チェックインが遅くなったためかちょっと狭めの部屋しか残っていないと言われた。明日は移れますがというので当然移るよと憮然と言って入る。ドアマンへのチップすら財布には残っていなかった。

 

妻が暑さにやられたのか食欲がないというので、ミックスサンドとフルーツカクテルだけ部屋にとって、買ってきたハムとチーズとワインで済ませる。これで夕食抜きは3晩目だ。

 

 

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