イタリア・ドライブ記 (3) アマルフィ海岸のつづら折りと至上のパスタ

 

 

7月16日() ローマからポジターノへ

 

6:00頃、起床。

 

4時間ぐらいしか寝てないが時差のせいかたいして眠くなかった。昨夜は晩飯も食べずにローマ市街を迷走していたので、さすがに空腹で目覚めたのかもしれない。

 

外のテラスで朝食。たっぷりのカフェラッテとミルクティにコルネット(クロワッサン)とトースト、バターに数種のジャム。この後も宿泊に含まれる朝食のメニューはみんなこんな感じであった。しかしハラペコなので美味ーい。食後少し散歩して部屋へ。

 

10:00頃、チェックアウトして出発。

 

5日後にまたローマへ戻ってくるので少し地理を頭に入れておこうよと、午前中はローマ市街をあちらこちらと走り回ることにした。昨夜のような迷走はもうまっぴらなのであった。

 

昼間走ると嘘のように迷わない。地図見てココ行くぞと決めれば、一通通行のために多少は行ったり来たりすることもあるがちゃんと到着できる。現在位置もすぐに把握できる。

 

「なーんだ楽勝じゃん。」と夫婦ともども自信を回復するのであった。

 

1:00頃、5日後に泊まるホテル・エデンも確認し、一路南へ向かった。

 

「エーワン、エーワン。ナポリ、ナポリ。」と表示を読みつつ走るとすんなり高速1号線のインターチェンジに到着した。市街から外へ向かうのは全く簡単なのだ。

 

アウトストラーダ1号線片道3車線の高速道路は右から120km/h、140km/h程度が巡航速度のようだ。一番左は追い越し車線なので最低150km/h以上出さないとたちまちパッシングされる。追い抜いたらすぐに右に戻るのが徹底したマナーなのだ。時折メルセデスが200km/h近いに違いない速度で疾走してくるので、これの邪魔をしてはいけないのである。

 

やはりベンツはエライ。でもBMWだって少しはエライのである。

 

乾いた熱気と次第にアフリカ的ですらあると思えるようになる風景の中を突き進んでいった。快適、快適。

 

も一つ特に南部では別の意味でエライ車がある。フィアット500(チンクエチェント)である。この車、ベタ踏みでも80km/h程度しかでない。映画グラン・ブルーでジャン・レノ演じるエンゾの愛車である。イタリアの国粋主義を象徴する車であり、これを急かしたりしては絶対にいけない。と何かの本で読んだが、本当なのであった。町中でも30km/h程度、ゆっくりと唯我独尊で走っている。時々右側に寄せて腕を出し「行け行け」と追い抜きのお許しを賜るのである。

 

途中のサービスエリアで昼食。パニーニ(サンドウィッチ)とピザを折ったようなものを注文した。味はまあまあかな。アイスコーヒーはエスプレッソに砂糖をたっぷり入れて冷やしたようなものなので、ラッテ・フレスコ(牛乳)も注文して混ぜて飲むことにした。

 

さて、アマルフィ海岸はナポリの南に突き出たソレント半島の南側、つまりナポリ湾の反対側一体の海岸である。明るい褐色の岸壁の美しい奇観が続き、目も眩むような断崖の上につづら折りの道路が通っている。言葉で表現するのはもどかしい。

 

サレルノ市街遠望準備期間に読んだ幾つかの本では、ナポリ側(北)からの道路がいかにも狭くて急坂でおっかない様に書いてあったので、逆のサレルノ側(南)から行くことにした。これは失敗であった。サレルノからの道の方がよほど狭くてしかも恐かったのである。

 

サレルノからの道幅はただでさえやっとすれ違える程度しかないのに、日曜日のせいか海水浴客がびっしりと路上駐車し、ぞろぞろと歩いていた。しかし対向車に道を譲っていては永遠に前へは進めないのだ。止まって待つという考えはここには存在しないようだった。駐車している車や、すれ違う車同士のサイドミラーがボンボン当たる。

 

「おいおい。これじゃミラーが壊れちゃうぞ。」

 

と言って気が付くと半分以上の車のミラーは既にないのであった。車体もボコボコである。あわててミラーを畳んだ。車体だけはこすらないでくれぇ、と祈りながらもとにかく突き進むしかない。そんな状態の中、大型バスまでやってくる。そこへなんと強引に追い抜きを掛けて来るマセラッティまでいる。

 

ひゃー。再びイタリア人、特に南部人、恐るべし!

 

アマルフィの街を越えると道路は次第に海岸から高い位置を通り、それに従って海水浴客の路上駐車も減って来て、やっと美しい風景を眺めるゆとりが出来てきた。先ほど決死ともいえる強引な追い抜きをかけたマセラッティが停まり、家の門の前でニコニコ悠然と荷物を降ろしていた。

 

「何であのヒト、あんなに急いでいたワケ?」

「早く家に帰ってマンマのパスタを食わねば、てな程度の理由で命賭けちゃうんだろうな。きっと。」

と勝手な解釈をするしかない。皆目謎である。

 

そんなこんなでサレルノから20km程度の距離に2時間半ほどもかかって何とか無事にホテル・サン・ピエトロ・ディ・ポジターノに到着した。もくろみとしてはここからアルベロベッロまで日帰りで行けたら行ってみるかという考えもあったのだが、この時点でこれは無理だねぇと敢えなく断念したのだった。

 

6:00頃、チェックイン。

 

ホテル・サン・ピエトロ・ディ・ポジターノは赤ミシュランで赤い5つ屋根印の最上等推奨ホテルである。ルレ・エ・シャトーにも入っている。当然値段も高いが奮発してしまったのである。

 

ポジターノの村から1km程サレルノ寄りの岸壁に建つ、というより貼り付いているこのホテルは、ポジターノ村のホテルで働いていた何とかいうヒトが、突然一念発起して自分で岩を削り、テラスを張り出して、全く建築家を使わずに建ててしまったのだそうだ。岩窟ホテルみたいなモノだから全体の印象は何となくキッチュである。しかしディティールはとても工夫されていて居心地が良い。

 

ホテル・サン・ピエトロから臨むポジターノの街何と言ってもポジターノの村とティレニア海を臨む眺望が素晴らしい。ホテルはサン・ピエトロというとおり、一番上に小さな教会があって道路からはこれしか見えないので、知らなければホテルとは思わないだろう。エレベーターで降りて初めて広いロビーに着く。さらに何10mも下のビーチにもエレベーターで降りられる。

 

8:30頃、夕食に行く。

 

部屋のリーフレットに、ネクタイまでは要求しないが長袖シャツかジャケット着用のこととあった。長袖シャツを持ってこなかったのでジャケットを着て行く。なるほど、長袖ってのがややフォーマルな装いだったというのは初めて知った。

 

テント屋根のオープンなテラス・レストランだった。もちろん屋内部分もある。

 

まず食べたいモノは決まっていたので、メニューなどろくに読まずに注文を始めた。ホテルでは英語が通じるし、食べ物と買い物の時には強気で饒舌なわれわれなのであった。

 

「ええとね。スパゲッティでぇ、たくさんのシーフードとトマトソースでニンニクたっぷりってのは頂けるであろうか。」

 

するとカメリエレ(cameriere・給仕)はにっこりと満足そうに頷き、「もちろん、お客様。それはベスト・チョイスであります。それは至上のパスタでございます。」

 

ネイティブな英語ではあんまり使わないような気もするが、それは確かにスペシャルでもスペリアでもなく、シュプリームと聞こえたのだった。

 

その他、野菜の冷たいスープ、本日の魚のグリルをメニューから選び、地元の白ワインを注文した。もしかしてちゃんとした料理食べるのイタリアへ来て初めてじゃない?

 

パスタは最初芯がしっかり残るぐらいのアルデンテだが、暑さが少し冷めるころちょうどいい状態になる。イカ、エビ、アサリ、ムール貝、あと何だか忘れたが、しみじみ美味い。生涯ベスト3に入るうまさである。その他の料理もまけずに美味い。ワインも美味い。生きていて良かった。

 

「うーん。スッ晴らしい!」

 

ここは当時流行っていたTVドラマ「王様のレストラン」の名ギャルソン、センゴクさんに成りきって読んで頂きたい。

 

すっかり満足して酔っぱらったわれわれは、明日はカプリ島に行こうと決めた。妻はグラス半分で真っ赤になるというお手軽なヒトなので、ほとんどボトル1本ぼくが飲んだことになる。幸せである。

 

地図ではソレントあたりから船が出ている表示だったので、そこまで車で行って島に渡ろうと考えていたが、船の時間など聞こうとフロントに行くと、ホテルから毎日船が出ているという。なんだ楽チンなのだ。さすがである。伊達に最上等推奨ホテルではない。

 

船の予約を入れてもらい。12:00頃、満ち足りて就寝。

 

 

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