イタリア・ドライブ記 (2) ローマのホテルまでの長い道のり

 

 

7月15日() 出発、そして夜のローマで道に迷いまくる

 

成田全日空ホテルでゆっくりと起きて朝食をとった。

 

木曜日は夜半過ぎまで仕事を片付けており午前様だった。金曜日は昼頃から起き出して荷物の最終チェック。あらかた妻が用意していてくれたので、リストを見ながら2つのトランクに詰め込むだけ。夏なのでさほど嵩張る衣服もなく余裕で収まり、夕方5時頃、車に積み込んで自宅を出発した。

 

途中、銀座で足りないモノを買い、注文してあったスラックスを受け取るなどし、ついでに晩飯も買い込み、ホテルへ8時頃に着いて、ANAカードのサマープランでチェックイン。いつものようにプールで泳ぎ、大量のガイドブックや資料から持って行くべきモノを選別して、ぐっすり眠ったのだった。

 

10時頃ホテルの送迎バスで空港へ向かう。車は何時もの通りホテルの駐車場に置き去りにする。今回は2週間なので10日間の駐車無料期間は少しオーバーする。

 

本など買ったり現金を引き出したりして出国する。出国手続きは込み合っていたが、まだ時間の余裕はあったはずだった。ところが、免税店で煙草とバーボンを買っていると最終案内が流れ、何となく焦って搭乗ロビーまで走る。そのためか、X線検査のカウンターに大切なショルダーバックを置き忘れてしまった。検札直後に気づき青くなった。

 

幸い係りの女性がただちに走ってくれて無事発見されたが、アブナイ危ない。なにしろパスポート、現金、カード、航空券などすべての重要物件が入っている、この後名付けた「命のショルダーバック」なのだ。妻はののしるわ、自分は情けないわで、先行きに大いなる不安を感じる幕開けなのだった。

 

その後も旅行中、アナウンスに急かされることがたびたびあった。しかし、これで焦っては決していけない。それが証拠に飛行機はかなり遅れた乗客もきちんと乗せている。アナウンスがあるうちは余裕なのである。

 

イタリア人。自分は遅れようとも他人は急かす。

 

11:45発AZ785便は30分以上遅れてタキシングを開始した。

 

一路イタリアへ。時差は夏時間で−7時間。現地正午が日本時間午後7時である。以後は現地時間で記す。

 

17:15頃、ミラノ着。

 

ローマまで行く乗客は乗ってていも構わないとのことだが、13時間も乗っていた乗客は殆どいったん降りる。ぶらぶら店を覗くうちにすぐ再搭乗だ。

 

18:30頃、ミラノ発。19:20頃、ローマ・フィウミチーノ空港(レオナルド・ダビンチ空港)着。

 

荷物が出てくるのが非常に遅い。明るいうちに運転を始めたいのに外はやがて夕暮れとなってしまった。

 

20:00頃、カートを押して地下へ降り、駐車場ビルへ向かう。この中にレンタカーオフィスがあり、同じフロアーを囲んでエイビスの他にハーツなど4社くらいのカウンターがある。

 

予約を入れてあるエイビスのカウンターでは女性が一人で受け付けしており、既に一組の家族が手続きをしているのだが、ひっきりなしに電話がかかってきて、その応対の間中断されるので非常に時間がかかる。

 

やっと先の家族が終わると、たぶん夕食を済ませてきたらしい男性が来て、電話の応対は彼が担当し始め、ことがスムースに運び始める。

 

予約ではイタリア車希望としていたが、アルファロメオの小さいのしかなく、グループが一つ下で安くなるがエアコンが付いていないという。イタ車でなくても良いならBMWの新車があってエアコン付きなので、そちらがお薦めだという。考えるまでもなくそれに決める。

 

BMW318i/4Dr/MT/AC/ガンメタ/なんとたったの2000km!

 

鍵と書類を受け取り、再びカートを押して駐車場ビルの一画のエイビス専用ガレージへ向かい、いざローマ市内へ向けて出発。

 

既に21:00頃で日が長い夏のローマでも既に薄闇に包まれており、空港を出たところで早くもローマ方面の標識を見落としてしまった。Uターンしようかとも思ったがしばらく行くとまたローマ・チェントロ(CENTRO・中心)の表示があったので、「えい、ままよ」とそちらへ向かう。

 

結局、予定の幹線道路と平行した東側の道路でローマに向かうことになり、事前に頭に叩き込んでおいたホテルへのアプローチの道順はお釈迦となったのであった。

 

最初は慣れない右側通行だし、標識を見落としたくないので、おとなしく走っていると、それでも80kmは出ているというのに、ビュンビュン追い抜かされる。片側1車線しかなく、対向車がいても平気で追い抜きをかけてくるのには驚いた。結局車線の幅が日本より広いので、センターラインを跨いだまま対向車と3台平行してすれ違いつつ追い抜くことができるのだが、最初は面食らった。しかも反対側からも追い抜いてくる車がある。あわや正面衝突という寸前でひょいと右にかわすのである。

 

「ひゃー」 イタリア人。恐るべし。

 

この追い越しを修得するまでまだ4・5日はかかるのだった。

 

さて、「チェントロ。チェントロ。」と標識の度に夫婦で呟きつつ、次第に市街地へ入って行くが、最初から道を間違えたせいもあり、現在位置が全く判らない。ついに中心を通り過ぎると当然チェントロの表示はなくなり、隣の都市の名前が出てくる。既に22:00をまわり、車は多いが街は真っ暗である。何度か車を止めて煙草で気を落ちつかせる。流れ込む夜気が暑い。地図と通り名を見比べるうちに市街地の南西部にいることが判った。

 

一度ローマへ来たことのある妻がコロッセオまでいけば判るかも知れないというので、今度は「コロッセオ。コロッセオ。」と夫婦で呟きつつ、何とかコロッセオに到達する。ライトアップされた遺跡が美しい・・・などと言っている心の余裕はないのだった。

 

コロッセオのまわりは一方通行、ホテルへ行きたい道も反対方向の一方通行で行きたい方向に行けない。行き当たりばったりで、石畳にタイヤの悲鳴をあげさせつつ幾つかの角を曲がると、また現在位置を見失ってしまう。車を止めて煙草で気を落ちつかせる。またまた流れ込む夜気が暑い。現在位置を地図で確認する。「コロッセオ。コロッセオ。」と夫婦で呟きつつ、何とかコロッセオまで戻ってくる。

 

これを何回となく繰り返し、時刻は既に24:00近い。妻も自信を喪失して落ち込み気味で、地図を見ながらめったにない寡黙な女となる。

 

もうこりゃ車で野宿かとも思った頃、やっと一方通行の構造が頭に入り始めると、不意にホテルの近くへ到達するコースが理解できてきた。パズルが突然解けたようなものだ。何でこんな簡単なコースが判らなかったのだろうか。

 

ホテルから300m以内のアルバニア広場へ到着。ここでまた不用意に車を走らせて現在位置を見失うといけないので、妻を車に残して地図を掴み小走りに走る。広場は深夜だというのに大勢の若者でごった返しており、お祭り騒ぎである。暑い夏の週末だからだろうか。

 

広場から丘を登った閑静な住宅地の中にめざすホテル「サン・タンセルモ」はあるはずだった。真っ暗な坂道を登っていくと、暗闇に駐車した車の脇でカップルがまさに怪しげな雰囲気である。しかーし、そんなことには構っていられないのである。

 

「すみませーん。英語わかりますかぁ」

 

ぎょっと飛び離れるカップル。おびえ気味の美人。ハンサム君は慎重に身構えつつ、

 

「英語、ダメダメ。」

「オッケー。アローラ・・・。ドベ・ホテル・サンタンセルモ。ペルファボーレ。」

 

何とか通じた。後はゼスチャーまたは手話大会である。彼は不意に暗闇から現れた謎の東洋人が単なる間抜けな日本人旅行者らしいと判って少し安心したのかとても懇切丁寧に教えてくれた。美人の彼女もニコニコして加わってくる。

 

「グラッツェ。モルト・グラッツェ。」

 

イタリア人。恐るに足りず。とても良い人たちである。(^_^;

 

ホテル・サンタンセルモホテルに入り遅くなってゴメン道に迷ってねえといったが、全然ノープロブレムで、何でまた汗だくで車置いて走って来たの? とレセプショニストはかえって怪訝な顔をする。確かにテラスでは宿泊客がまだ大騒ぎしている。

 

妻が心配しているだろうと再び坂道を駆けて下り車に戻ると、口を半開きにして寝ていた。変なところ図太い奴である。無事ホテル着。24:30頃。

 

ホテル・サン・タンセルモは赤ミシュランで一つ屋根印のホテルだ。初日に付いて寝るだけの予定なのでリーズナブルなホテルを選んだのだ。エアコンもなく何もないが、広くて天井が高く、へとへとの我々には申し分のない部屋だった。

 

ビールとミネラル水だけもらって洗濯し、熟眠。26:00頃。

 

 

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