"スパークNo224" (2002.2)



八田ひろ子参院議員、トヨタ系の無償残業で質問、
豊田工機で 裁量手当が倍に 上がる

 昨年十二月十一日の参院決算委員会で日本共産党の八田ひろ子議員(岡崎市出身)はトヨタ系各社の無償残業問題を取りあげました。  八田氏はこの国会質問に先立ち、地元でトヨタ系各社の労働者と懇談し、以下の内容を国会で質問しました。そして、この委員会を豊田工機の労働者が当日傍聴しました。
 八田氏はまず昨年一月にトヨタ自動車が八十三名の労働者に対して合計九百万円弱無償残業代を支払った時の指導内容について問いただしました。そして、次に豊田工機の労働者の皆さんからの手紙を読み上げて厚生労働大臣に強く是正指導を求めました。「助けて下さい。主人は毎日十五時間もの労働をしており身体を悪くし、死にたいとまで言っています。子供達とも一週間に一度も会話がなく家庭崩壊しています」
 それに対して坂口厚生労働大臣は「労働基準法に違反するというものがありましたら、これはもう厳正に対処するということが基本だというふうに思っております」と答弁しました。
 日本共産党の労基署交渉や国会質問により、豊田工機では昨年十月から裁量労働手当が四万円アップし、ほぼ倍になりました。豊田工機の裁量労働制職場のAさんは昨年暮れ、次のように職場の日本共産党員に語っています。「皆さんの活動がなかったら、私たちは死ぬまで働かされることになりかねません」


写真に見る日本史の中の日本共産党      連載第5回

  宮本百合子の言葉

 宮本百合子(1899−1951)は旧姓中条。日本の代表的革命作家、思想家である。17歳で処女作「貧しき人々の群」を発表、新しいヒューマニズムを基調とする批判的リアリズムの作家として出発。後プロレタリア文学運動に参加、一九三一年、日本共産党へ入党、翌年宮本顕治(前日本共産党議長)と結婚。以下に亡くなる前年に書いた言葉を記す。

百合子の言葉
 「理性が理性であることを証明するためには、あらゆる歴史の世代が、当面する非理性的な力、無知と権力の暴力とたたかって来ました。そして、それらの暴力はいかに兇暴であるようでも、歴史の長い過程においては、遂に一時的なものでしかありえないことを実証しています。」
 1950年10月、早稲田大学で開催の予定だった「レッド・パージ反対」大会のために書かれたメッセージ「若き僚友に」の一節。

関連年表
・1945(昭和20)年8月15日    日本連合国に降伏、第二次世界大戦終結
・同年10月9日    夫、宮本顕治、網走刑務所を出獄
・1949(昭和24)年1月23日    総選挙で日本共産党35人当選
・同年10月1日    中華人民共和国成立(国家主席 毛沢東)
・1950(昭和25)年6月6日    GHQ、日本共産党幹部の公職追放指令
・同年9月1日    政府、閣議で公務員などのレッドパージを決定
・同年12月8日    宮本百合子、東大での講演でトルーマンの原爆使用発言を批判
・1951(昭和26)年1月21日    百合子死亡(51歳)


春斗用データ完全保存版 第2弾
デンソーと他社との労働時間比較(2000年度版)
<<表は作成中です。とりあえずイメージデータで見て下さい>>
  「連合」政策資料129「労働時間に関する調査(2000年度)
  2001年1月31日発行より



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