2005年2月8日(火)「しんぶん赤旗」
領土返還へ大義ある交渉大切 スターリンの拡張主義を正す
「北方領土返還要求大会」で 志位委員長があいさつ

北方領土返還要求全国大会に出席し、あいさつする志位和夫委員長=7日、東京・九段会館

 政府が「北方領土の日」と定めている7日、東京・九段会館で「北方領土返還要求全国大会」が開かれました。今回で25回目の開催。元島民をはじめ、1500人が参加しました。

 大会としては初めて、各政党の代表があいさつ。日本共産党は志位和夫委員長がたち、「スターリンの領土拡張主義を正すという正義の旗印を正面から掲げて交渉にのぞむことが何よりも大切」とのべ、千島列島全体の返還を求める日本共産党の立場を表明、参加者から「その通り」と声がかかり、注目を集めました。

 小泉首相は「政府としては、四島の帰属の問題を解決して、平和条約を締結するという方針の下、粘り強く交渉を進めてまいります」とメッセージを寄せました。各党代表は「返還される日までがんばる」(民主・鳩山由紀夫衆院議員)「四島一括返還を主張していく」(公明党・風間昶参院議員)「四島返還への節目の一歩に」(社民・福島瑞穂党首)とのべました。

 会場からは4人の元島民が「生きているうちに帰りたい」「現地に現存する日本の建築物の保存に力を貸してほしい」など、切々と訴えました。
 主催は同大会実行委員会(日本青年団協議会、連合、全国地域婦人団体連絡協議会、地方6団体、内閣府などで構成)。

 スターリンと領土拡張主義 第二次世界大戦とその前後のソビエト連邦(ソ連)の最高指導者のスターリンは、レーニン死後、ソ連の実権を握り、ソ連を専制政治と大量弾圧、覇権主義の体制に変質させました。1939年にはドイツのヒトラー政権と不可侵条約を結び、ポーランドを分割支配、バルト3国を併合。45年のヤルタ会談でも日本の千島列島引き渡しを求めるなど、領土や勢力圏の拡大を追求し続けました。53年に死亡しました。


2005年2月8日(火)「しんぶん赤旗」

「北方領土返還要求全国大会」での 志位委員長のあいさつ
(大要)

あいさつする志位和夫委員長=7日、東京・九段会館

 七日の「北方領土返還要求全国大会」で日本共産党の志位和夫委員長がおこなったあいさつは次の通りです。

 日本の歴史的領土の返還を求めるみなさんの運動に、心からの敬意と、ともにたたかう決意をこめて、ごあいさつを申し上げます。
 私は、日ロ領土問題を解決するにあたって、何よりも大切なことは、日本国民がロシアに領土返還を求める大義―国際的に通用し、ロシア国民も納得させうる大義を、堂々とかかげて交渉にのぞむことにあると思います。その大義とは、スターリンによる領土拡張主義を正すということであります。
 スターリン時代の旧ソ連は、第二次世界大戦の時期に、バルト3国の併合、中国東北部の権益確保、千島列島の併合をおこないました。これは「領土不拡大」という連合国の戦後処理の大原則を乱暴にふみにじるものでした。
 このなかで、いまだにこの無法が正されていないのは、千島列島だけになっています。
 ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」やサンフランシスコ条約の「千島放棄条項」を不動の前提にせず、スターリンの領土拡張主義を正すという正義の旗を正面から掲げて交渉にのぞむことが、何より大切であることを強調したいのであります。
 北海道の一部である歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)とともに、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)から得撫(うるっぷ)、占守(しゅむしゅ)までの千島列島全体が、1875年の樺太・千島交換条約で平和的に決まった日本の歴史的領土であり、その返還を堂々と求める交渉が切にのぞまれます。
 この問題が道理ある解決をみるようにするため、力をつくすことをお約束し、ごあいさつとします。


領土問題 キーワード
 ◆連合国の「領土不拡大」原則 第2次世界大戦で連合国がとった戦後処理の原則。日本・ドイツ・イタリアが戦争などによって奪った土地は返させるが、そのほかの土地の割譲は求めないというもの。日本にたいしては、1943年に米英中3国首脳が発表した「カイロ宣言」で明確にされました。45年7月の「ポツダム宣言」では、「カイロ宣言」の履行が明記され、ソ連を含む連合国全体のものとなりました。
 ◆ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」 アメリカ、イギリス、ソ連3国の首脳は、第2次世界大戦末期の1945年2月、ソ連のヤルタで会談を開きました。この会談でスターリンは、ソ連の対日参戦の条件に、日本の正当な領土である千島列島の引き渡しを要求。米、英ともこれを認め、3国の秘密協定に盛り込まれました。
 ◆サンフランシスコ条約の「千島放棄条項」 第2次世界大戦後、日本がアメリカなどと1951年に調印した「サンフランシスコ平和条約」の第二条C項のこと。千島列島については、日本が「すべての権利、権原及び請求権を放棄する」ことが明記されています。この条項は、ヤルタ協定の当事国であるアメリカが、ヤルタ協定にしたがってもちこんだものです。
 ◆幕末・明治初期の日ロ間の国境画定条約 条約は2つあります。最初の条約は1855年(安政元年)の日魯通好条約で、千島列島の択捉(えとろふ)島以南を日本領、得撫(うるっぷ)島以北をロシア領とし、樺太(サハリン)は両国民混住の地としました。政府は条約を結んだ2月7日にちなんで、この日を「北方領土の日」としています。その後1875年(明治8年)に結んだのが樺太・千島交換条約。樺太全体をロシア領とする一方、ロシア領だった得撫島以北の千島は日本領としました。この結果、千島列島全体が最終的に日本の領土となりました。

"スパークNo213"から抜粋





 日本共産党はどのような日本をめざすのか   網領の話 連載15
 日本はロシア大統領に歯舞、色丹と全千島の返還をはっきり要求すべきです。
 国際的道理がないので迷走する歴代自民党政府の府露領土交渉
 現在日露間の最大の懸案は領土問題です。これがすっきりしていないのでいまだに両国間に平和条約は結ばれていません。ソ連崩壊後、文化や経済の交流は大きく進展しているのに誠に残念なことです。この問題の根本的解決なしにアジアの隣国同士である両国関係の発展はありえません。
 さて、ロシアのプーチン大統領がサミットに続いて日本を訪問するということで、この領土問題で、またまた自民党幹部の無原則的な発言が波紋を呼んでいます。幹事長が「北方四島の帰属問題を棚上げして平和条約を結べばよい。領土問題はその後ゆっくり話し合えばよい」と言うものです。この唐突な発言には他の自民党幹部もびっくりして今になって「真意をただす」といきまいてみせました。しかし、このようなことは何も今に始まったことではありません。10年程前にソ連のゴルバチョフ大統領が来日した折にも、当時自民党の実力者であった、金丸元総理は「ソ連がイヤがるのなら金で買ってもよいのではないか」と発言しています。これは長年政権与党である自民党とその政府の「北方領土」政策が日露国民と国際世論を納得させるだけの道理がないことのあらわれです。橋本・小渕・森と続く内閣がロシアと一体、何を話してきたのか、自分達の主張に自信がまったくないことの証拠です。これでは、スピーカの音量をいっぱいにして黒い大型街宣車を乗り回している「右翼」に「たるんどる」と叱られるでしょう。
 この問題での日本共産党の基本的立場は次の2点です。
 @日本政府がサンフランシスコ条約(1951年)で放棄した千島には含まれない北海道の一部である歯舞・色丹のすみたかな返還をロシアにもとめます。
 A千島放棄を宣言したサンフランシスコ条約第2条C項の該当条項を、カイロ宣言などで宣言された領土不拡大という第二次大戦処理の国際的原則に反するものとして無効を宣言し、関係各国に通告するとともに、全千島返還を内容とする日ソ平和条約締結のために努力します。

 要は戦争で奪った南樺太などと違い、元々歴史的に北海道の一部であった歯舞・色丹、及び両国間の平和的交渉で日本のものとなった千島列島は帰して下さいという当たり前の主張を堂々と行うべきなのです。
 ところが日本政府は自ら放棄を宣言した南千島に属する国後・択捉と、もともと北海道の一部であった歯舞・色丹をセットにして、「北方四島」という国際的には通用しない新語をつくってこれを返還してほしいと交渉しているのですから、ラチがあかないわけです。要はこの問題の誤りの根源はソ連のスターリンの大国主義とそれを自国の利益のために秘密裡に認めたチャーチル(英)、ルーズベルト(米)の策略、そして自民党政府の売国的外交政策にゆきつくのです。最近の身近な外交問題をみても、はたして日本政府にそもそも「自主外交」という言葉があるのか、とても疑問のでるところです。アメリカ国務省のカバン持ちになっていては国際的信頼は得られません。

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