ウォーター

韓国詩のコーナー


オソオセヨ! 韓国詩へ

このページでは、韓国の詩について紹介します。

目次


















































『金準泰詩集 光州へ行く道』2

黄仁淑

韓龍雲

『金経株戯曲集 オオカミは目玉から育つ』

『姜善奉詩集 小鹿島の松籟』

『金準泰詩集 光州へ行く道』

『運命 文在寅自伝』

李箕永著 故郷

申鉉林

宋竟東

金海慈

文忠誠

李麒麟

黄鐘権

陳恩英

ト・ジョンファン『満ち潮の時間』

第一回アジア文学祭

2017平昌韓中日詩人祭(2)

2017平昌韓中日詩人祭(1)

チョ・オヒョン




王秀英、時調、安ドヒョン、『生命の詩人・尹東柱』、
羅喜徳、丁章『在日詩集 詩碑』、文貞姫、宗秋月、金里博、高銀『無題詩篇』、
朴正大、上野都訳・尹東柱詩集、朴柱澤、『料理と詩のコラボレーション』、
許英子、 金達鎮、金后蘭、崔由地、金南祚、金基澤、イ・ソンボク、高炯烈、権千鶴、
金時鐘『猪飼野詩集』、金知栄、朴利道、崔泳美、崔スンホ、
シム・ウォンソプ『秘密にしていた話』、金里博『三島の悲歌』などこちらです。

金行淑、李英光、イ・ジョンロク、金南祚掌編集『美しい人びと』、
李御寧詩集『無神論者の祈り』、 蘭明著『李箱と昭和帝国』、
金一男著『韓国詩歌春秋』、金時鐘 編訳『尹東柱詩集 空と風と星と詩』、
『金恵英詩集 あなたという記号』、図書新聞書評 申庚林詩選集、
『韓国近現代文学事典』、キム・ソヨン、詩評・2012年夏号、ヨ・テチョン、
ハンサルリム、申庚林詩選集 こちらです。

「映画評、詩評2012年春号」、ペ・ハンボン、「東京新聞 祈りと脱原発の思い」
李英光、東アジア脱原発ネットワーク、韓国詩人への御礼・中央日報
エネルギー正義行動、高銀(3)、金南祚、金后蘭、権宅明、金ソヨン
李珍明(2)、陳恩英、「ASIA POEM 光と林」、文貞姫、鄭浩承
高銀メッセージ、金ギョンミ、シン・ヨンモク、張錫南(2)こちらです。

金南祚、朴羅燕、黄仁淑、ソン・ジェハク、高銀、李箱、崔グムジン、
金止女、映画「チョルラの詩」、金ミョンギ、李ミンハ、イスミョン、
朴正大、『地球は美しい』(4)、高炯烈(2)、朴ヒョンジョン、金オン、
『地球は美しい』(3)、『地球は美しい』(2)、『戦争は神を考えさせる』
(3)、朴ジンソン、馬鐘基、朴ジャンホ、アン・ミョンヒ、韓成禮、
金芝河、李珍明、崔泳美(4)、朴柱澤(2)は、ここをクリック。



ソンチャンホ、崔鐘天、鄭クッピョル、金勇範、文泰俊(2)、
『地球は美しい』、『戦争は神を考えさせる(2)』、金経株(2)、
呉世栄、鄭浩承、李起哲、『戦争は神を考えさせる』、孫澤秀、
金行淑、文寅沫、鄭百秀、金芝河(2)、羅喜徳は、こちらです。


金経株、李昇夏、105韓国詩人選、金思寅、黄炳承、高銀(2)、
崔正礼(2)、千良姫、呉世栄(2)、金恵順、朴柱澤、リュ・シファ
朴賞淳、文泰俊、金宣佑(2)、「詩と思想」2006・7月号、高炯烈(2)、
チョン・クッピョル、韓国女性小説家、金ミョンニ、羅喜徳(2)、
『今日の詩 韓国詩21人集』、崔泳美(3)は こちらです



ソン チェハク、任平模、朱耀翰、金龍済、李箱、鄭芝溶、
イ ジョンロク、金基澤、イ ソンヨン、朴ジョンデ、チェ ジョンレ、
キム ソヌ、チョン ホスン、チョン クッピョル、はこちらです

権大雄、崔勝子、王秀英、高炯烈、朴ノヘ、はこちらです

金基沢、安度呟、詩誌情報、金芝河、崔泳美、はこちらです

呉鎮賢、黄芝雨、将正一、姜恩喬、尹東柱、はこちらです

韓国現代詩小論集、張錫南、詞華集、金龍澤、崔華国、はこちらです

詩選集『新しい風』、河在鳳、高銀、呉世栄、崔泳美(2)、はこちらです

オ テファン、崔勝鎬、イ ジョンロク、鄭一根(2)、イ ムンジエ、
羅喜徳、チェジョンレ、李ソンヨン、『詩評』、『詩と思想』9月号、
朴チョンデ、金宣佑、崔勝鎬、『日韓『異文化交流』ウオッチング』
呉廷国、高在鐘、延王模、金光林、鄭一根、はこちらです


『金準泰詩集 光州へ行く道』2

受苦から創造へ―独立運動記念の年に『光州へ行く道』を読む 佐川亜紀

民衆が光を創った道をあざやかに

二〇一九年は、一九一九年の朝鮮独立を目指して起った「二・八独立宣言」
「三・一独立運動」から一〇〇周年に当たる。このことを日本人がどれだけ知って
いるだろうか。文在(ムンジェ)寅(イン)政権が徴用工問題など歴史に対する
厳しさを増しているのも韓国人の心情の底にある独立精神とつながっている
だろう。

一九一〇年以来の日本の「韓国併合」による植民地支配への抗議と自由独立を
宣言した「二・八独立宣言」は、一九一九年二月八日に東京神田YMCAで朝鮮
の留学生たちが行った。
「三・一独立運動」は、三月一日に始まり全土におよんだ全民族的な抗日運動
だ。天道教、キリスト教、仏教の民族代表三三名が署名した独立宣言書を配布し、
「独立万歳」を叫ぶ示威運動に二百万人以上が参加し、朝鮮総督府の武力弾圧で
約七五百人が死亡、四万六千人が検挙されたと言われている。
三・一独立運動には、仏教徒の詩人であった韓(ハン)龍(ヨン)雲(ウン)
(号は萬(マ)海(ネ))も独立宣言書に連なった。韓龍雲は詩「ニムの沈黙」
が有名で、江原道には立派な「萬海マウル(文学館)」が設立され、二〇〇七年
韓国近代詩百周年記念のときに韓国詩人協会に招待され、なべくらますみさんと
祝賀会に出席した。その時、日本軍「慰安婦」問題についての詩が絵とともに描
かれて多数掲示してあったのが印象深かった。
このように韓国では、民衆闘争の史実や歴史が詩として表現され、人々の共有
感情や思考として語られ続けている。
一九八〇年の光州の民主化運動も強烈な記憶として刻み続けられる運動であっ
た。本誌二〇一八年七月号の韓国詩特集でも触れたが、私は二〇一七年の一一月
に光州で開かれた第一回アジア文学祭に招かれ、歴史の血が息づく場所に立ち、
心が深く揺すぶられた。記念館に写真が掲げられ、一般市民も犠牲になった凄惨
な事件であったが、悲しみを分かち合うだけでなく、犠牲を新しい時代を切り開
くエネルギーに変えようとする前向きな力も感じた。金大中(キムテジュン)
大統領から盧武鉉(ノムヒョン)大統領、文在寅大統領にいたる民主政権の
実現はおおいなる創造であろう。また、現代芸術との融合は運動を普遍的に高め、
世界化する飛躍の契機になっている。
さらに、朝米首脳会談が実現し、朝鮮半島の分断構造に変化が訪れようとして
いる時に、『金(キム)準泰(ジュンテ)詩集 光州へ行く道』(金(キム)正勲(ジョンフン
)訳・風媒社・二〇一八年一〇月三〇日)が出版されたのは意義深い刊行だ。
光州民衆運動が起こった際、戒厳軍は報道統制をしき、「ああ光州よ、我が
国の十字架よ」という有名な詩は、世界に闘争を伝える点でも大きな役割を果た
したのである。
金正勲もその詩は、「一九八〇年五月、韓国の南部にある都市光州で戒厳軍の銃
と刀に立ち向かって起こった「五・一八光州抗争」を最初に形象化した詩で、同
年六月二日付『全南毎日』(二カ月後軍事ファッショ政権によって強制的に休刊
させられた)新聞一面に掲載され、すぐアメリカ、日本、中国、ドイツ、フラン
スなど世界の言論機関に発表された。」と記している。
日本では、発表後に金学(キムハク)鉉(ヒョン)氏による翻訳で「ああ、光州よ、われ
らが国の十字架よ」という題の詩として広まり、集会でよく朗読された。(『荒
野に呼ぶ声 恨と抵抗に生きる韓国詩人群像』一九八〇年一九八〇年一一月二五
日 柘植書房)

キリスト教的な犠牲と復活

この度、『金準泰詩集』が翻訳刊行され、@光州民主化闘争が現在につながる
運動と思想であったことの再認識。A金準泰の詩の全体像を知ること。B金準泰
の人生も分かること、などさまざまな面から発見がある。
あらためて今日、金正勲氏の訳で「ああ光州よ、我が国の十字架よ」を読み返
し、内容を考えて気づくのは、キリスト教的な色彩が濃い点である。光州の受苦
が十字架にかけられたキリストにたとえられている。

ああ、我々の都市
我々の歌と夢と愛が
時には波のように寄せて
時には墓を体に引っ被るにしても
ああ、光州よ光州よ
この国の十字架を担ぎ
無等山を越え
ゴルゴダの丘を越えていく
ああ、全身に傷だらけの
死だけの神様の息子よ

光州民衆運動は、解放後もながく続いた軍事独裁政権への抵抗であり、根本に
南北分断からくる政治的な緊張がある。人権の観点からは、表現の自由や基本的
人権の抑圧の撤廃を求め、開発独裁による労働者や農民への負担の押し付け、貧
困化や奴隷化への抵抗が考えられよう。「だれも引き裂くことができず/奪うこ
とができない/ああ、自由の旗よ/肉と骨で蟠(わだかま)った旗よ」。
それらが、政治的なスローガンを超えて宗教的な枠組みで語られるのが、韓国
詩の特徴である。金準泰は作品「僕は神様を見た」で、有神論者でも無神論者で
もないが「神様を/僕は光州の新安洞で見た」と書いている。三・一独立運動に
もキリスト者一六人が独立宣言書に署名し、犠牲者が十字架にかけられたキリス
トに通じるという聖化と復活への祈りが人々へ伝わる感性として存在し、世界に
も共感を広めたのだろう。
さらに、市民の被害のむごさだけではなく、生き残った者が自分を責める自省
は内面性を深め、誠実さに打たれる。

ああ、生き残った人たちは
全部罪人のように頭を下げている
生き残った人たちはみな
ぼんやりして食器にさえ向き合うことが
難しい 恐ろしい
(略)
ああ、あなた!私が結局
あなたを殺したのでしょうか)

戒厳軍によって殺されたのに、自分の
無力をせめるのは、闘争の主体が自分で
あるという自覚によるだろう。
だから、最後に再び立ち上がる覚悟で
詩が結ばれる。「歳月が流れれば流れる
ほど/いっそう若くなっていく青春の都
市よ/いま我々は確かに/固く団結して
いる 確かに/手を繋いで立ち上がる。」
簡潔な表現でまとめ、「あなた」など
の言葉をくり返し、リフレインを多くし
てリズムを生み、朗読にもふさわしい作
品として普及したのだろう。

金準泰の詩の全体像を伝える

本書では、金準泰の詩と人生の全体像を知ることができる。詩のテーマは@朝
鮮半島の民主化と平和のみならず、A詩とはなにかB命の循環と自然C韓国の風
土と風習D女性の愛情と産むエネルギーへの賛美など多彩だ。
表現は、平明で簡潔であり、ユーモアにも富んでいる。
特に引かれるのは、女性を積極的に取り上げている点だ。詩「女の愛は銃弾よ
りもっと遠く飛んでいく」、「畑の女」、「智異山の女」など女性の愛情と生命力
が人間の再生にとって大切だとの思いが印象に残る。特に、「智異山の女」は、
朝鮮戦争下の一九五一年に智異山の岩の隙間に生き残った「老人の天を/自分の
地の中に深く引き寄せた」「数え切れないほど多くの子供を産みたい」と大胆に
願う想像力がおおらかな長詩である。自然と一体になった短詩も味わい深い。


「刀と/土が闘うと/どちらが勝つか/
/土を/刺した刀は/あっという間に/
土がついて/錆びてしまった」(「刀と土」)


地名をふんだんに取り入れているのも特徴であり、風土への愛を感じる。「光
州」はもちろんのこと、「清川江」「錦南路への愛」「蟾津江」など。
訳者の金正勲は、「解説」で「一九七七年初詩集『ゴマを投げ打ちながら』を
発表してから農村の現実と、その日常の真実を描写してきたのだが、一方彼の脳
裏には悲劇的体験が彼の肉体と精神を支配し、それが何か刺激を受けるとすぐに
言語的メッセージとして発信するものだったといえる」と述べている。
金準泰の人生は激動の歴史を生き、「悲劇的体験」を受け続けたものだった。
「祖父は日本帝国主義の戦争時代、大阪に労務者として徴用され伊丹空港で働く
ことになり、父は日本兵として徴兵され、太平洋戦争に参戦したからである。そし
て父は金準泰がまだ幼い時、民族分断の事件に絡んで海南で虐殺された。彼が十
歳の時、母も病で世を去った」。こうした祖父母両親の体験が民主化運動に参加
させ、光州事件の現場に遭遇して感情と思考を高められ、一気に歴史的な名作を
書くにいたったのだろう。
金準泰は自分の詩のテーマは「生命と平和と統一」だと語っている。「日本に
対して歴史的に愛憎半ばの感情を抱いている人が多いが、年を重ねて韓国と日本
は東北アジア、さらに世界平和のためにお互いに苦悩を分かち合いながら一緒に
知恵を絞って連帯してきた」と述べる。「双子のお祖父さんの歌」は、南北分
断を乗り越える願いがやさしく歌われており、最後に引用して、日本でも平和を
創るため本書が読まれるよう祈りたい。


一人をおんぶするともう一人が
おんぶしてくれと強請(ゆす)しながら泣く。
ええままよ、なるようになれ!
二人を一緒におんぶしてあげると
二人とも気持ちよく笑う
南と北もそうなってほしい。

(「詩と思想」2019年5月号掲載)











黄仁淑


間一髪
佐川亜紀訳

前の座席に落とした財布をのせて
たった今去ったタクシー
今日に限って財布が分厚かったのに

いらいらするわ
当籤番号から一つずつ
多いか少ないかの私のロトの数字

間一髪の差が大切
詩になるかならないかも間一髪の差
間一髪の差で言葉が多くなったり、言うべき言葉がなくなったり

浮んだ詩想が間一髪の差で飛んで行き
間一髪の差でバスをのがし
道を失い 日付を失い 人間を失って

間一髪の差で悲しみを失い
悲しみを表すタイミングで笑みをこぼすこともあったね
針に刺された風船のように頬を震わせながら

なくしたものみんな間一髪の差だったみたい
誰かがずっと昔に使ってしまった
魅力的な比喩も間一髪で失ったみたいな

間一髪の差でなくしてばかりいたのだろうか
つかみ取ってもいただろう、生じてもいただろう
間一髪の差で私の命が生まれて

おびただしい間一髪の差で今のわたしがこうしているんだろう
間一髪の差で
ハンカチをぬらし、パンティーをぬらして


命の価値
佐川亜紀訳

昔、ずっと昔
ジャージャー麺一皿が
50ウォンだった時代
信号も横断歩道もない車道を
仕事場とした青年がいた
その時はまだできていなかった
南山のヒルトンホテルの前だった
傾斜した車道 無断横断が
青年の仕事
様子を伺いながら渡れば10ウォン
むやみに渡れば50ウォン
一度はその青年くらい みすぼらしい身なりの中年男が
青年に50ウォンを渡した
彼のお客と10人余りの無料観客が
歩道で見守っていた
青年は目をぎゅっと閉じて車道に入り込み
大股で足を運んだ
自動車が警笛を鳴らし
中年男が心配した声でわめいた
「気をつけろ!」
は?気をつけろって?
こんなふうに死んでもあんなふうに死んでも
青年は続けて目をぎゅっとつむったのだろうか
思わず細目を開けるのだろうか

今はジャージャー麺一皿
4千ウォンだったか5千ウォンだったか


※黄仁淑 (ファンインスク)1958年ソウル生まれ。
1984年 京郷新聞の新春文芸でデビュー。
詩集『鳥は空を自由にほどいて』『悲しみが私を覚ます』
『私たちは渡り鳥のように会った』『リスボン行き夜行列車』
『終わらない愛が多すぎて』など。
東西文学賞、金スヨン文学賞、現代文学賞など。




韓龍雲


2007年に韓国・近現代詩百年を記念した催しが
江原道の万海マウルで開かれ、招待されて参加しました。
万海(マネ)は詩人・韓龍雲(ハンヨンウン1871−1944)の号です。
韓龍雲は、1919年の3・1独立運動に参加した仏教徒としても有名です。
3・1独立宣言書に天道教15名、キリスト教16名、仏教徒2名が最初に
署名しました。仏教徒は数は少ないですが、独立運動にも
大切な役割を果たしました。

3・1独立運動は以前は、1894年に起った東学農民運動
(甲午農民運動)の系譜を引く天道教の側面から、
朝鮮固有の思想による農民民衆の運動という定義が大半でしたが、
最近は、キリスト教の側面からの見方もふえたようです。
グローバル化に対応し、3・1運動の横のつながりにも
注目が集まっています。

韓龍雲の詩には、インドの詩人・タゴールの影響があると
言われています。
私は以前、「福田正夫詩の会」(福田美鈴氏、金子秀夫氏ら)の
詩誌「焔」97号に朝鮮語文芸誌「創造」「霊台」について
書いたことがありますが、3・1独立運動の前月2月に
発刊された「創造」には、7,8号にタゴール詩集『ギタンジャリ』を
翻訳し発表しています。もちろん、西洋詩も翻訳紹介していますが、
タゴールや福田正夫の詩も朝鮮語に翻訳して紹介する意欲が
1919年ごろもさかんだったことが分かります。



ニムの沈黙
大村益夫訳

ニムは去りました。ああ 愛するわたしのニムは去りました。
緑の山の光を乱し モミジの茂みに向かってのびる小道を歩き
耐え 振りきって去りました。
黄金の花のように堅く輝かしかった昔の誓いは
冷たい塵となってためいきの微風に飛んでいきました。
はじめての鋭い「キス」の思い出は わたしの運命の指針を
もどし 後ずさりして消えました。
わたしはかぐわしいニムの声に耳ふさがり、
花のようなニムの顔に目がくらみました。
愛も人の世の事、会う時にすでに別れを憂い、
気づかわないではないけれど、
離別は思いもかけず訪れて、
驚く胸は新たな悲しみにはじけます。
けれど、離別をせんのない涙の源にしてしまうのは、
おのずから愛をうちこわすことと知っている故、
こらえられない悲しみの力を
あらたな希望の脳髄に注ぎいれました。
わたしたちは会う時に別れを憂うように、
別れる時にまた会えることを信じます。
ああニムは去ったけれども、
わたしはニムを送りませんでした。
みずからの調べに打ち勝てない愛の歌は
ニムの沈黙を包んでめぐります。

(大村益夫編訳『対訳 詩で学ぶ朝鮮の心』より
青丘文化社 定価3000円+税)


※韓龍雲は、「ニム」に「命と思うものすべて」、
「衆生が釈迦のニムならば、哲学はカントのニムである」と
多様で奥深い意味を暗示しています。
「ニムはわたしが愛するだけでなく、わたしも愛するのだ」とも
語っています。朝鮮近代詩のはじめにこのような
思索や感情が細やかな愛の詩が書かれたことに注目します。
もちろん、去っていくニムに失われた祖国の独立、
奪われた本来の姿をこめているでしょう。
こらえられない悲しみの力を希望の脳髄に注ぐ
不屈の願いも感じられます。
また、普遍的な「神の沈黙」という問いも思います。
不条理や罪深いことに神はなぜ沈黙を続けるのか、
沈黙と信仰は、宗教の根源的な問題でもあるでしょう。







『金経株戯曲集 オオカミは目玉から育つ』

韓成禮訳


息子 外に出てみなよ。核戦争で両親を失った子どもたちが
街に溢れてるよ。死んだ母親を捜す可哀想な子どもたち。
その口の中には母乳がいっぱいだよ。涙が枯れて疲れて灰
でいっぱいになった空を眺めて子どもたちが死んでいくとき
にその子たちの口を指でこじ開けてさじですくってくればいい
んだ。
母親 涙がこぼれる話だね。だけどどうしてそれが偽の母乳
なんだい?
息子 涙が半分だから。
母親 マージンの比率が悪いね。やめよう、そんな話。
息子 母さん。放射能のせいでもう子どもはこれ以上産めな
くなったんだ。



※韓国の詩劇運動で思い付くのは、金芝河の「金冠のイエス」など
で、民衆運動の一環として取り組まれていました。
1976年生まれの金経株も詩人で、若手として最も期待され
ている才能豊かな人です。2006年刊の彼の第一詩集『私は
この世界にない季節である』は、ポストモダンの難解な詩であ
りながら、30刷にまで至りました。
彼は、詩劇運動にも熱心で大学路の小劇場や弘益大学近くの
小さなクラブで熱心に活動を行っています。

彼の詩劇第一作品『オオカミは目玉から育つ』は、従来の家族愛
的な劇を想像する人はかなり面食らう作品です。核戦争後の世界
を想定し、家族は破壊され、母親が妊娠中にマムシを飲んだために、
息子は両腕がないまま生まれたことになっています。被曝の後遺症
とも考えらます。父親は詩人で、役立たずで、森をほっつき歩いて
息子に殺されてしまいます。

作者は「私は言葉を取り扱いながら、母性に関心を持つ
ようになった」と述べていますが、伝統的なすべて
「オモニ」(母)の力で治まるような世界が崩壊したことを前提に
しているのが新しいのです。獣の内臓を取り出してはく製にすること
で生活し、死体が転がるなどグロテスクな描写もさかんに出てきます。
しかし、「産む」「育つ」という営みは繰り返され、オオカミの野生を
復権することで文明の果てを生き延びようとする光も感じます。

「詩劇は人間の無意識に入り込んだライムである」「詩的な沈黙と
行間が舞台に上がることに対する私の片思い」と作者が「詩劇論」で
述べているように、ストーリーのある劇ではなく、あくまで衝撃と
想像力を観客に与えて、観客と共により広い創造空間を繰広げようと
する実験的で斬新な作品です。韓国の詩人がこんなことを考えている
んだとぜひ知ってもらいたい戯曲集です。

訳者の韓成禮さんは、翻訳活動を30年以上にわたって取り組み、
日韓の詩文学交流に献身的に力を注いできた方です。
韓国語から日本語、日本語から韓国語への翻訳ができる
数少ない翻訳者です。


(論創社・2018年5月・1800円+税)









『姜善奉詩集 小鹿島の松籟』
(ソロクトのしょうらい)
川口祥子訳
上野 都監修

泡沫(ほうまつ)人生

誰がこの道を行ったのか?

運命だったか?
宿命だったのか?

ムンドゥンイ*として流れ込んだ道
生存競争の花火も
今は 見物だけになったね。
欲望も夢も 捨て置いたから
虚(うつ)け者のような私の人生
天下泰平(たいへい)の人生を待ち
歳月の波の果てには
虚空を裂く泡(あぶく)だけが残ったのさ。

*ハンセン病患者に対する賤称(原注)



あのころ

あのころ
この病気で棄(す)てられたので
人知れず家族のもとを発(た)ち ジプシーとなり
流浪の人生を生きていた

光復を迎えた翌年 早春の新芽が出るころ
悲痛を浄(きよ)めてやろうとの噂(うわさ)に
集まってきたハンセン人たち
トラックに載せられ日本軍の要塞の太宗台(テジョンデ)幕舎へ

「ひょっとして <好事 魔多し> じゃないか」叫んだ声も
太宗台でのつかの間の暮らしも
コレラに罹(かか)り永久(とわ)の旅路へ発(た)ち
名を呼ばれた患者は無動力船に這(は)いあがり
曳航(えいこう)する安成号 飲み込まれんばかりの荒波に船酔いだけが残った。
八歳の憔悴(しょうすい)した幼子
どこに行くのかも知らないまま
母の病気のせいで
世間に戻ってこれない島だと叫ぶばかり

「坊や 行ってはいけない」
「ちびちゃん 行くな」

「だめだよ、ぼくの母さんは
つらい茨(いばら)の道だろうと 僕がついていかなきゃならないんだ」

面変わりした母、
魂だけでも守ってやりたく 避けること叶(かな)わぬ運命ゆえに
幼な子は母の手を離さなかった。


※釜山市影島区。釜山湾を形作る影島の先端に位置する景勝地。(原注)


※著者・姜善奉(カンソンボン)1939年慶尚南道晋州で生まれ、8歳の時、
1946年ハンセン病患者(韓国ではハンセン人と呼ばれているそうです)
であった母とともに朝鮮半島の南端に位置する小鹿島に強制的に隔離され
ました。ハンセン病を発症した母を見捨てられずに一緒に行ったのですが、
保育園に別れさせられ、飢餓に苦しめられ、ついには13歳のとき自身も
発症してしまいます。植民地下であった朝鮮は貧しく、医療もまったく行き
わたらず、残酷な扱いを受けました。

しかし、その後、著者は医療従事者となり、ハンセン病患者の人権回復と
小鹿島の過去と現在を広く社会に問うための執筆活動を行っています。

訳者の川口祥子さんは、朝鮮のハンセン病患者が日本の植民地下で統治政策
により民族的尊厳と信教の自由を奪われ、労働力として酷使された史実など
を知り、衝撃を受け、日本でもハンセン人と家族の思いを理解して欲しいと
訳されたそうです。(解放出版社 1200円+税)










『金準泰詩集 光州へ行く道』
金正勲訳

ああ光州よ、我が国の十字架よ
金準泰 金正勲訳

ああ、光州よ無等山よ
死と死の間に
血涙を流す
我々の永遠なる青春の都市よ

我々の父はどこに行ったか
我々の母はどこで倒れたか
我々の息子は
どこで死にどこに葬られたか
我々の可愛い娘は
またどこで口を開けたまま横たわっているか
我々の魂魄はまたどこで
破れてこなごなになってしまったか

神様も鳥の群れも
去ってしまった光州よ
しかし人らしい人達だけが
朝晩生き残り
倒れて、のめってもまた立ち上がる
我々の血だらけの都市よ
死をもって死を追い払い
死をもって生を探し求めようとした
ああ痛哭だけの南道の
不死鳥よ、不死鳥よ、不死鳥よ

太陽と月が真っ逆さまになって
この時代の全ての山脈が
でたらめにそそり立っている時
しかしだれも引き裂くことができず
奪うことができない
ああ、自由の旗よ
肉と骨で蟠(わだかま)った旗よ

ああ、我々の都市
我々の歌と夢と愛が
時には波のように寄せて
時には墓を体に引っ被るにしても
ああ、光州よ光州よ
この国の十字架を担ぎ
無等山を越え
ゴルゴダの丘を越えていく
ああ、全身に傷だらけの
死だけの神様の息子よ

本当に我々は死んでしまったか
これ以上この国を愛することができないように
これ以上我々の子供たちを
愛することができないように死んでしまったか
本当に我々はすっかり死んでしまったか

忠壮路で錦南路で
花亭洞で山水洞で龍峯洞で
池元洞で陽洞で鶏林洞で
そしてそしてそして……
ああ、我々の血と肉塊を
飲みこんで吹いてくる風よ
やるせない歳月の流れよ

ああ、生き残った人たちは
全部罪人のように頭を下げている
生き残った人たちはみな
ぼんやりして食器にさえ向き合うことが
難しい 恐ろしい
恐ろしくてどうすることもできない
(あなた、あなたを待ちながら
門の外に出てあなたを待ちながら
私は死んだのよ……彼らは
なぜ私の命を奪ったのでしょうか
いや、あなたのすべてを奪ったのでしょうか
貸し間暮らしの身でしたが
本当に私たちは幸せでした
私はあなたによくしてあげたかったわ
ああ、あなた!
しかし私は子をはらんだ身で
このまま死んだのよ あなた!
すいません、あなた!
私に私の命を奪って
私はまたあなたの全部を
あなたの若さ あなたの愛
あなたの息子 あなたの
ああ、あなた!私が結局
あなたを殺したのでしょうか)

ああ、光州よ無等山よ
死と死を切り抜けて
白衣の裾を翻す
我々の永遠なる青春の都市よ
不死鳥よ、不死鳥よ、不死鳥よ
この国の十字架を担ぎ
ゴルゴダの丘を再び越えてくる
この国の神様の息子よ

イエスは一度死んで
一度復活して
今日まで、いやいつまで生きるといわれたか
しかし我々は数百回を死んでも
数百回を復活する我々の真の愛よ
我々の光よ、光栄よ、痛みよ
いま我々はさらに生き返る
いま我々はさらに逞しい
いま我々はさらに
ああ、いま我々は
肩と肩、骨と骨をくっ付けて
この国の無等山に登る
ああ、狂うほど青い天に登って
太陽と月に口づける

光州よ無等山よ
ああ、我々の永遠なる旗よ
夢よ十字架よ
歳月が流れれば流れるほど
いっそう若くなっていく青春の都市よ
いま我々は確かに
固く団結している 確かに
手を繋いで立ち上がる。



(著者注)「ああ光州よ、我が国の十字架よ」は
一九八〇年五月、韓国の南部にある都市光州で
戒厳軍の銃と刀に立ち向かって起こった「五・一八
光州抗争」を最初に形象化した詩で、同年六月二日付
『全南毎日』(二カ月後軍事ファッショ政権によって
強制的に休刊させられた)新聞一面に掲載され、すぐ
アメリカ、日本、中国、ドイツ、フランスなど世界の
言論機関に発表された。


※上記に記されているように「五・一八光州抗争」を
最初に作品として書き、発表した詩として、また意義と
犠牲について語った詩として、「ああ光州よ、我が国の
十字架よ」は日本でも有名でした。この度、その詩を表
した金準泰の詩集が金正勲さんの訳で日本の風媒社から
刊行されたのは喜ばしいことです。私も2017年11月
に光州に行き、犠牲者の民主墓地や記念館に行って、軍事
独裁の非道さ・すさまじさ、市民の抵抗と犠牲の広さに
あらためて心を揺さぶられました。光州抗争は、1987年
の民主化の原動力とも評価され、死を無駄にしない決意が
本作品からも伝わってきます。

金準泰は、短詩「春夏秋冬」で、「5、歌 詩が/いく/
蝶々のように//詩が/くる//母のように」と書いていて
優しい抒情詩も表現しています。さらに、「智異山の女」で
は、廃墟の中で、生き残った女が、生き残った老人との子供を
数え切れないほど多く産んで、智異山の村々を甦らせるエネ
ルギーにあふれた姿を描いています。女性のたくましさを
励ましているのも金準泰の長所です。
(風媒社・1800円+税)





『運命 文在寅自伝』


(文在寅著 矢野百合子訳 岩波書店)
2018年に、歴史的な南北首脳会談、米朝首脳会談開催に
力を尽くした文在寅韓国大統領。日本では、<親北政権>と
安易に規定されてしまうこともありますが、韓国民主化運動が生み育てた、
経験豊かな大統領であると分かるのが本書『運命 文在寅』です。

冒頭、ノ・ムヒョン元大統領の自殺の日から始まっていて、ノ元
大統領とのつながりの深さを感じます。韓国民主化後の
金大中、ノムヒョンと続く「参与政権」(民主・自立・統一を目指す
社会に関与する民衆運動を母体にした政権)の発展として文政権が
存在しているのです。もともと本書は、2012年12月の文在寅
の大統領出馬宣言の意味で刊行され、ベストセラーになりました。
文在寅は、父母の故郷が北朝鮮で、朝鮮戦争の避難民として
韓国慶南州の巨済島に渡り、避難生活の中1953年に生まれました。

極貧の生活を送りながら、人権派弁護士になり、ノ・ムヒョンと
合同弁護士事務所を開いたのが、参与政治を担う「運命」の始まり
でした。学生時代には民主化運動の主導的役割を果たし、逮捕
され大学から除籍処分を受け、軍隊に強制徴集されました。

ノ・ムヒョンも貧しく「サラム サヌン セサン(人が暮らす世の中)」
をともに目指します。

文在寅はノムヒョン政権のとき、「民情主席秘書官」となって、政権
中枢で働きました。開かれた政治、女性の登用、労働問題にも積極的に
かかわろうとしたのです。しかし、現実政治の困難も明らかにされて
います。金大中政権時の北朝鮮への送金問題、イラク戦争への派兵、
地域主義との格闘など、妥協と挫折も味わいました。

特に、北朝鮮との対話は、2007年のノ元大統領と金正日元総書記
との会談の蓄積を踏まえたものだとよく分かります。米国と協調し、
イラクに派兵しても北朝鮮の核問題を六か国協議にもっていった
現実感覚も注意すべきです。
イラク派兵は左派から批判されましたが。

文在寅大統領は、詩人・都ジョンファンと親しく、本書の序文には
都詩人の詩「遠く流れゆく水」が入っています。

「連れていく水をごらん
ついには再び澄み切って
遠くへ流れていくではないか
汚れた多くのものと混じりあいながらも
本来のまことの心を欠くことなく
おのれの顔 おのれの心を失わずに
遠く流れゆく水があるではないか」
(「遠く流れゆく水」部分)


転換期を迎えようとする朝鮮半島情勢を、大国の思惑を超えて南北民衆
の力で切り開きたいという文在寅の叡智と熱情と経験から学ぶものを
たくさん得ることができる一冊です。

(文在寅著 矢野百合子訳 岩波書店 2700円+税)




李箕永著 故郷

『李箕永著 故郷 朝鮮近代文学選集8』大村益夫訳


李箕永は、1925年に結成された朝鮮プロレタリア芸術同盟
(カップ)の主要メンバーで、33−34年のカップ事件による
同盟員の検挙、弾圧下にあっても「非転向」を貫きました。
長編小説『故郷』は、生命も脅かされる中、「朝鮮日報」に33年11月
から34年9月まで朝鮮語で書かれ連載されました。連載終了後一カ月
で逮捕、全州警察署に護送されるという緊迫した状況での執筆です。
舞台は、日本に植民地支配され、窮乏する農村です。農民が
小作料を巻き上げられ、それに抵抗する意識に目覚める過程が、
主題で、カップ文学の最高傑作として評価されているのですが、
この作品で目を見張るのは、自然描写や男女関係のみずみずしさです。

農民文学なのですが、韓流ドラマのように青春の恋愛物語が華やかさを
加えています。根本は労働文学ですが、この小説の最大の魅力は文章の
新鮮さ、自然描写のすばらしさ、人間造型の豊かさにあると思います。
小作人がいかに収奪されているか具体的に書いていますが、プロレタリ
ア文学が陥りがちな理念の骨だけではなく、肉付き良く、人間を書いて
います。作者は細かいエピソードも入れ、農村の人々を描くことに喜びを
抱いており、生まれつきの文才でしょう。日本の当時の農村文学より明る
い面さえ感じます。一律に悲惨だというのではなく、一人一人が悩み
うれしがり、さまざまな表情を見せます。

李箕永は日本に留学していて、モダニズムの要素も取り込んだようです。
しかし、この作品が朝鮮プロレタリア芸術同盟に対する第一次弾圧と
第二次弾圧の間に執筆され、李箕永は一次では検挙・不起訴、二次で逮捕され
一年半に渡る刑務所暮らしを送るはめになったことを考えれば、たくさんの
制約が課せられたうえでの創作だったでしょう。

それはプロレタリア文学としては、農民闘争の盛り上がりに欠ける点からも
伺えます。土地の究極の搾取者は日本ですが、中間搾取者である朝鮮人の
小作地管理人を悪人とみなしています。また、水害後の小作料免除も一揆
などではなく、管理人の私的な弱点をつく駆け引きの形で実現したのも
政治性としては物足りないです。でも、当時として農民たちが主張する様子
を表現するだけで大変なことでしょう。作者が、「当然正面から告発しなけれ
ばならなかった侵略者日本帝国主義を、あからさまに暴露糾弾することは
できなかった」と述べた苦しさを推察します。

この農民の意識化には、金喜俊という日本に留学した知識人の主人公が
重要な役割を担いますが、彼は幼い結婚により年上の妻とうまく
行かず、金儲けをしないので母親にも文句を言われるヒーロー的
でないところも明らかにされています。近代文学の定番が知識人
と庶民意識の乖離、近代化と封建制の矛盾とすると、主人公は男女
関係で最も矛盾が顕著と表現されます。政治や社会の矛盾を直接
書くのは難しかったでしょう。

最も革新的なエネルギーを体現しているのは女性たちです。
冒頭で幼い弟を子守りしていた仁順は工場に勤め、貧しい実家に
食料をもたらします。小作地管理人の父に反抗した甲淑も家を
出て工場に勤めストライキを主導し金喜俊を助けます。
方介も気に染まぬ結婚に嫌気がさし、通い女工になります。
農村では家に縛り付けられ、農作業と家同士の婚姻・出産のために
のみに生きさせられる女性が、工業化により自由な恋愛と主体的な
人生を選ぼうとしたことを認めているのはプロレタリア文学でも
稀少です。この長編小説には、女性の発言や内的な声が非常に
多く出てきます。それもさまざまに揺れ動き、思い悩み、恋愛も
肉体を伴っています。

もちろん、女工生活は苦しく、疲れ、賃金も低いものです。
日本の「女工哀史」を思い浮かべます。女工になったから、
心身とも強くなったと述べられているのは労働文学の観念性が
出ているとも感じます。近代化によりカネがすべての世の中に
なったとも作者は指摘しています。
恋愛を多く描いたのは執筆弾圧を回避するためでしょうし、新聞
読者向けのエンターテイメント性を高めるためと考えられますが、
作者の才気がそこによく出ているのは儒教道徳が根強かった朝鮮で
興味深いことです。

李箕永が日本統治下で創氏改名をせず、日本語でも書かず、解放後は
朝鮮民主主義人民共和国の文壇の重鎮として活躍したことは、共和国
文学を考えるうえで注目させられます。

(大村益夫訳 平凡社 本体3500円+税)








申鉉林

愛を忘れた男
韓成禮訳

明日の飯代も稼げないのに、飯代は泡みたいに膨らんだ
自爆テロの知らせは納税請求書のように積み上がり
生活に疲れた自殺者たちはクリーニングに服も出せずに消えていった
忘れたものがどれほど多いのか、歴史を忘れ、キスも忘れ
仕事中毒になれば愛も忘れてしまう
愛を忘れた男がセックスを忘れた女とすれ違い
セックスを忘れた男は寂しさを飛び越えようと
砂糖工場だと思って入り込んだところは苦い海だった
泣くこともできず涙も忘れてしまった
腕は足を忘れ 足は頭を忘れた
何でこれほどまでに忘れていくのか
傷のせいなのか寂しさのせいなのか明日の飯代のせいなのか

詩も聖書も読まないので
  魂の腐敗の速度はとても速かった
本が防腐剤であることも知らず、熊の胆のうや犬の肉を求めて
でたらめなことを言う男は、海にクリーニング屋があることなど永遠に忘れた
求めることがなかったので海には波が立たなかった
忘れてしまったので白い紙の束だけが空に飛んでいた
飯代が無くて飢えた者たちは地球の外に追い払われたりもした
何が大切なのか知らないままただ忘れて行った



私は自殺しなかった、一
  韓成禮訳

三十回目の誕生日に私は自殺しなかった
四十回目の誕生日にも私は自殺しなかった
カエルにシェイクスピアが理解できないように
あなたが私を理解できず
私があなたを理解できなくても
「私たち」という雲のような垣根があったので自殺しなかった

人のようにキスする山鳩を見て
人生が不思議でもっと知りたくなって自殺しなかった
コーヒーの香りと温かいご飯が本当に美味しくて自殺しなかったし
花と蝶と日差しと風を贈られ
世界に借りを返せずに私は自殺しなかった
子を育てるために自殺しなかったし
さびしい私のようなあなたを訪ねて
悲しみに嗚咽し
悲しみの終わりを見るために
私は自殺しなかった



※韓国も自殺率が高い社会です。就職難、急速なIT化、伝統的家族の崩壊、
女性の地位の低さなど生き難さが横たわっています。それでも世界や自然が
与えてくれるものに感謝して生きて行く姿はすがすがしいです。
写真家でもあって、さまざまなシーンにりんごを置いた写真が個性的で、
私の「りんご人」という変わった詩を気に入って下さって、女性新聞で
紹介して頂きました。
二〇一七年十一月一日から四日に韓国の光州で開かれた第一回アジア
文学フェスティバルで申鉉林さんと出会いました。親しみやすく、気さくな
人で、手作りの服を着て、ユニークな人生を歩んでいるのを感じさせました。

※シンヒョンリム 一九六一年京畿道生まれ。一九九〇年「現代詩学」で
デビュー。詩集『退屈な世界に、燃える靴を投げよ』『世紀末ブルース』
『あなたという詩』、児童詩集『チョコパイ自転車』、写真展『りんご畑
写真館』等と活動している。






宋竟東

些細な問いに答える
 韓成禮訳

二八歳のある日
ある自称マルクス主義者が新しい組織の結成を一緒に
やらないかと訪ねて来た
話が終わりかけたころ彼が聞いた
ところでソン同志はどこの大学出身なんですか。
笑いながら、私は高卒で、少年院出身で
労働者出身だと話してやった
その瞬間、情熱的だった彼の二つの瞳の上に
冷やかで生臭いガラスの膜が一枚生じるのが見えた
うろたえながら彼が話した
祖国解放戦線を共にすることを
光栄と思えと。
悪いが私はその栄光を共にしたりはしなかった
十年余りが過ぎたこの頃
またある部類の人々がしきりに私に
どこか組織に加入しているのかと聞いてくる
私は再び隠すことなく答える
私はあの野原に加入していると
あの海の波に押し流されていて

あの花びらの前で日々揺れていて
この青い木に染まっていて
あの風に先導されているのだと
持っているもののない者たちの崩れた塀に寄りかかっていて
蹴とばされた露店、先の切られた靴
まだ生まれて来れずアメーバのように這っている
卑賤なすべての者たちの言葉の中に属しているのだと
答える。数多くの波紋を自分の中に刻みつつ
語ることのないあの川の水に指導を受けているのだと



水槽の前で
韓成禮訳

子どもの駄々に勝てず

清渓川(チョンゲチョン)市場で買ってきた二〇匹の熱帯魚が
二日の間に一二匹に減っていた
彼ら同士新しい関係を築く過程で
殺されたり食べられたりしたのだという

関係だなんて、
生き残ったものだけの残る水槽の中は平和だ
私はこの透明な世界に耐えられない


※ソン・ギョンドン
一九六七年全羅南道生まれ。季刊文芸誌「明日を開く作家」と
「実践文学」を通して作品活動を開始。詩集に『甘い眠り』、
『些細な問いに答えよう』『私は韓国人ではない』、散文詩集に
『夢見る者、連行される』など発行。5・18野火賞など受賞。
ソウル市九老工団で労働者文学運動を行い、進歩生活文芸誌
「生の見える窓」発行。朴槿恵退陣光化門キャンピング村など
の活動をしている。

※「詩と思想」2018年7月号掲載。







金海慈

耐えられぬほどゆっくりと
韓成禮訳


大きな船が港に接岸するように
大きな愛は耐えられぬほどゆっくりと訪れる
私を導いておくれ 小さな体よ、
全身の力をすべて抜いて
引き船に引かれて行く巨大な船のように
大きな愛はそのように大人しく慎重に訪れる
耐えられぬほどゆっくりと訪れる

行けども行けども遥かな海
全速力で駆けてきたが
あなたに触れるのはこんなにも大変なのか
急ぐな
私も耐えられぬほど息をひそめてあなたに向かっている
悲しむな
この生ではあなたに少ししか触れられないかもしれない



祭り
韓成禮訳


水路をかき分けて進む幼いイワシの群れを見たことがあるか
似たり寄ったりのものたちがどうやってか言葉もなく理解し合って
皆、それぞれの場所を占めて、ある者は頭となり
ある者は腰となり、尻尾にもなりつつ一体を成し
水路を泳ぎ進んでいくたくましいイワシの群れを見たことがあるか
沖の大波をかき分けてインド洋を過ぎ南アフリカまで
途中、ある者はエイの群れの中に呑み込まれ
途中、ある者は軍艦鳥のくちばしで千切られ
途中、ある者は巨大なジンベイザメの餌となるが
死に呑み込まれる最後の瞬間までくるくると踊るように進む
十数万のイワシの群れ、最後まで生き残って次の命を生まねばならぬ
青い命たちの揺らめく舞いを見たことがあるか
一つずつ多くが集まって一体を成すのなら
一つが去り一つが生まれるのなら死とは初めからないもの
生があれほどに輝くリズムであるのなら、死もまた祭りでは
ないだろうか
永遠もまたそこにあるのではないのか


※キム・ヘジャ(金海慈)
高麗大学国文学科を卒業後、工場の組立工、仕立て屋、学習雑誌
の宅配、塾講師などを転々としながら労働者たちと詩を書き、
1998年に季刊文芸誌「明日を開く作家」で文壇デビュー。
詩集に『イチジクは無い』、『祭り』、『家に帰ろう』、『海慈の占い師』、
などがあり、民衆口述集『あなたを愛しています』散文集『私の
出会った人は皆おかしかった』、詩評エッセイ『詩の目、虫の目』
など。全泰壱文学賞、白石文学賞、李陸史文学賞、美しい作家賞など。

※「詩と思想」2018年7月号「韓国詩―平和と民衆運動」に収録。

「大きな愛」は民族の友愛や世界の愛も想像させ、「耐えられぬほど
ゆっくり訪れる」に深い認識と希望を思うのです。「祭り」には、
民主化運動のダイナミズムを感じます。





文忠誠

済州の風
大村益夫訳


誕生近くに
いや
死近くにある
のろわれた済州島の山と野
海にも 空にも
からからに乾いた畑で
仕事する農民のわきであれ
額に汗をながす これら
汗のしずくの中であれ
ぼそぼそぼそ 穴をあける 済州の風は
石塀の穴を出入りし 小さな穴で
貧しい暮らしが
ぼそぼそぼそ 開けもし
眠れない島人を揺らして寝かせ 深く
この世からあの世へと行き来させる
海に出た海女たちの船であれ
魚とりにでた漁夫たちの船であれ
行くときも帰るときも
そのそばにいる 済州の風は
路地裏で走りまわる町の子どもたちのそばであれ
学生たちが体を動かす運動場であれ
勝った 見ろ 万歳の歓声であれ
勉強する学生たちのそばにいる
太平洋で吹きすさぶ台風に出合えば
全力を出し身をこごめて立ち向かっても
一度も勝てない済州の風
顔もなく 心もなく
どんなになっても木の枝にひっかかって
薄暗闇でむせび泣く
そのとき 済州の風は
わたしの命の近くにいる


※2018年は、1948年に起った済州島4・3事件から
70年目の年です。1945年の朝鮮解放後、米国軍政
による南朝鮮単独の総選挙実施に反対した左派が済州島
で48年4月3日に武装蜂起しました。初めは小規模なもの
でしたが、大韓民国の成立を経て、支配を確かにするために、
米軍政・本土・右派が討伐作戦を繰り広げ、一般住民を
巻き込み、三万人余りが犠牲となった凄惨な虐殺事件が
起きました。しかも、この事態は長く隠され、韓国軍事政権下
で語ることはタブーでした。

在日作家の金石範さんは、大長編『火山島』を発表して
世界に知らしめたのです。在日詩人の金時鐘さんは、
4・3事件の渦中にいて、生命の危険が切迫し、
両親に日本へ送り出され、大阪・猪飼野に来られたのです。
金時鐘さんの場合は、明確に語ることははばかられる事情が
あったため、比喩の表現で詩に入れ込んでいましたが、
近年やっとの思いで話されたため詳細が分かるようになりました。

上記の詩は『風と石と菜の花と 済州島詩人選』に収録されています。
訳者の大村益夫さんは「済州島は韓国の一部であるから、済州
文学は韓国文学の中の一地方文学である。しかし、韓国の
中でもっとも辛酸をなめてきた済州島の文学は、もっとも
人間的であり、もっとも韓国的であり、そのことを通じて、
もっとも世界文学たりうるのではないかと思う」と評しています。

※ムン・チュンソン 1938年済州市に生まれる。韓国外国語
大学フランス語科を卒業、同大学院博士課程修了。1977年
「文学と知性」でデビュー。詩集『そのとき済州の風』、『家と
道』など。研究書『フランス象徴詩と韓国現代詩』など。

(『風と石と菜の花と 済州島詩人選』新幹社 2000円+税)




李麒麟


ヘアーカット

権宅明訳、佐川亜紀監修


目からアヤメが匂う
水音を聞いてもカリカリ唾が乾いた

きめ細かい指を垂らしてくれるように
眠気がする灰色のカットのリズム
髪の毛を撫でてくれた手がいく筋も散らばる

切り取っても痛くないなんて
スッスッと黒い腕が顔を横切り
首の線がはっきりした女ができあがった
静脈が青い鋏の刃のような葉を出すところなのか

向う側に水音が
乾いた風がブーンと脳内を通る音に、
首をいっぱい反らしてみて

根が澄んでいく感触だ

鏡の女は手を伸ばして日差しの当たる心臓をぎゅっと押してやる
また、髪の毛は長くなるだろう




それで 薬屋はどこに

お腹が膨らんで
サッカーボールのようにみぞおちまでせり上がり

風の穴を作ってやらなくちゃ
薬を買いに行く
スカーフを巻き

錠剤のような人たちが夕方のバスを破りながら
ポンポン跳び出してきて
痛い私のお腹をキュウキュウかすめていくのに
薬屋はどこにあるのか

頭痛に出会う
頭痛が額をこすりながら
まだもっと行かなきゃ、
まだもっと行くんだ
薬になろうとする唇と目つきが行っても行ってもわいわいしている

ここにあるんだね 灯りを消した薬屋
ドアが固く閉まり
お腹と頭が痛い
光を左右にするため 瞳がヒリヒリ痛い

スカーフがさっと落ちる
うなじが踏まれ
うなじの上下が踏まれ
どのへんがまた痛くなったら薬屋が見えるだろう

あそこにあるんだね 灯りを付けた薬屋
ドアがぱっと開き 私はすべて痛くなる
薬 薬をください
薬剤師のおばさんは首をちょっと傾け 薬剤師のおじさんを呼ぶ
おじさんはあらぬ方を見ながら 薬だよ、
色とりどりの液体を口の中へ注いでくれる

ごっ、くりと、こんなの何の味
ざあっと薬をこぼす
ぬぐってもぬぐっても水薬は
乾いた唇を舐めながら
もっと行かなくちゃ

スカーフを手首に巻きつかんで
行っているんじゃない
くるりと 頭の上に
くるりと白い
   錠、錠剤
錠、   錠 薬、    薬、
薬、薬、      錠、

灯りのついた窓から根まで
そうなの、
もっと行かなくちゃ


※李騏(イ・キリン)
1965年韓国光州市生まれ。ソウル大学国語教育科卒業。
2011年『詩評』に「サファリを通り過ぎている」他3篇でデビュー。
現在、ソウル瑞草高校教師。マニラ、ジャカルタ、モスクワ等に居住していた。
「12プラス同人」。
(「コールサック」93号掲載)

※日常のできごとを違った角度から見て、不思議な想像力を
膨らませています。不気味な夢の中のようなシュールな詩です。






黄鐘権

完璧な足跡

韓成禮訳

歩みを呼ぶ場所はいつも水の中だった
波が包帯のようにほどけてきて
畳んだ靴下が先ず濡れたりもした
空っぽの腹の中
風が積もるたびに子どもたちは一人ずつ風船を手放した
集団死をした魚の目が光った もしかしたら
近くから歩いてくる眼差しは
瞳ではなかった
歩くのを我慢した
暗闇は足の甲から膨れあがった
歩みも長く耐えれば水圧を持てるようになるのか
膝がぐらぐらと沸き立った
顔が簡単に
赤くなっていた
鏡を見れば
熱いひれがはためいた
結局きれいなものは一つも無かった
逆に歩いて行くおばさんたちと出くわすたびに
人は自分の背中だけを追い駆けながら生きていくように
思った
渡れない底はいつも足の甲
靴を脱げば
川の水に突っ込みたかった
なぜ人は頭から出てきたのに足で歩くようになったのか
顔に死んだ魚たちがあふれ出ていた
棺の中に頭を突っ込みたくなる時が頻繁になり、いつも
顔ほど完璧な足跡は無いと思っていた

(「舟」岩手県滝沢市・編集発行人大坪みれ子170号より)


※「顔ほど完璧な足跡は無いと思っていた」とはおもしろい発見です。
人生が顔を作ると言われますが、生きて来た足跡とも考えらえます。
「なぜ人は頭から出てきたのに足で歩くようになったのか」これも根本
的な疑問ですが、背景に文明に対する批判を感じます。二本足で歩くこと
が人類文明の起源で、「歩みを呼ぶ場所はいつも水の中だった」のように
海中から陸上歩行への意志が始まっていたとすると実に不思議です。

「集団死をした魚の目が光った」「顔に死んだ魚たちがあふれ出ていた」
という生命の源である海を破壊する人間たちの理不尽さを超現実的な
イメージで表現しています。「波が包帯のようにほどけてきて」も傷ついた
海を斬新な感覚で捉えています。作者は若い世代ですが、文明批判と表現力
に注目すべきものがあります。

黄鐘権(ファン・ジョングオン) 1984年全羅南道麗水生まれ。
2010年 慶尚日報新春文芸で詩部門に当選し、文壇デビュー。
2013年 韓国芸術委員会が次世代芸術人材に選定する。
2016年 第五回世界文学祝典大統領賞受賞。
2016年 第18回麗水海洋文学大賞を受賞。




陳恩英

エバ

権宅明訳 佐川亜紀監修

朝が来たらあなたは起き上がって
アルミの鍋の中で沸き返っているアップルジャムのように
悲しみを煮込む準備をするだろう
庭には終日目を開けて死んでいる夢があるだろう
柔らかい夜の眉が降りてきて安らかに閉ざしてくれるだろう

あなたのベッドに行けなくて
観念の丸い肩に頭をもたれて一つの種を植えるだろう
青いリンゴの月は
浅い眠りのか細い葉たちの間で浮かび上がり

夜明けが老いて痩せた手で
リンゴを一個採ってきて暗い窓辺に置く
老婆が露で鍋を洗う間 あなたは起き上がり
心は軽くなるだろう
沸き返る油の中で浮かび上がる小麦粉の練り物のように




詩の子供は

―李箱の79周忌を迎えて

ながくなったかなしみのこども
しがつのかみそりがちょうのようにあおいそらのはだを
ひらひらときりながらとんでいくね
はりかえたばかりのかべがみのようにあかるく凶のない
そらがわたしはいちばんこわいよ
ふるいちとふるいしとふるいじかんのながいうらめんへ
こどもがかくとりのむれのようなもじたちがこわれながらとんでいくね



※李箱 (イ・サン1910〜1937)モダニズム詩人・小説家
として有名。渡日時、東京で検挙されて保釈後に死去。現在も李箱
文学賞として顕彰されている。作品では韓国語の分かち書きを無視
した書式を採ったこともあり、本詩もその書式にならっている。

※李箱の詩に「詩第一号」の題名で「十三人の子供が道路を疾走する」
「第一の子供が恐いという」から「第十三の子供も恐いという」と
続くモダニステックで異様な詩があります。李箱は以前に紹介しましたが、
韓国で先鋭的なモダニストとして今も敬愛されています。


陳恩英 チン・ウニョン
1970年韓国大田生まれ。梨花女子大学哲学科を卒業し、同大学院で
ニーチェとNagarjunaを比較した論文で、博士単位を取る。2000年
に『文学と社会』で登壇し、『七つの単語になった辞書』、『我らは毎日』、
『盗んでいく歌』等の詩集と、文学理論書『文学のアトポス』と哲学書
『ニーチェ 永劫回帰と差異の哲学』等を刊行した。現在、韓国相談大
学院で文学カウンセリングを教えている。

(日本・韓国・中国 国際同人誌モンスーン 2017年12月2号より)








ト・ジョンファン『満ち潮の時間』

立葵の花のようなあなた

ユン・ヨンシュク・田島安江訳


とうもろこしの葉に雨粒が落ちます
今日もまた一日を生き永らえました
落ち葉が散り北風が吹くまでの
私たちに残された日々は
あまりにも短い
朝 枕もとにごっそり散らばった髪の毛のように
あなたのからだから命がするりと抜け落ちていきます
種子が実になるまで
まだずいぶん待たねばならず
あなたと私がいっしょに耕していかなければならないはずの
広く荒れはてた畑はそのまま残っているというのに
畦道を覆う姫女苑と雑草の傍ら
しばし呆然と屈んではまた立ち上がります
薬すら思うように買えない
貧しい所帯を共にやりくりしながら
あなたは虫一匹むやみに殺すことなく
意地悪な顔など一度も見せることなく生きてきました
それなのにあなたと私が受け入れなければならない
残された日々の空は
果てしなく黒い雲におおわれています
初めのころは立葵の花のようなあなたを想うと
崩れ落ちる壁を支えているような
どうしようもない絶望に身震いしました
だがこれは 私たちにこれからも精いっぱい生きるようにと
今まで生きてきた日々に恥じない生き方をしなさいという
最後の言葉として受け止めなければならないのだとわかります
私たちが捨てられずにいた
何ほどのものでもないプライドだの栄誉だの恥辱といったものまでも
今はためらいもなく捨て去りましょう
この心のすべてを もっと辛く悲しい人と分け合う日々が
こんなにも短くなったのが悔やまれ
残された日はあまりに短く
残された一日一日を最善に生きる方法を
膿み腐った傷に 私たちが
あらん限りの力をつくして立ち向かうことなのでしょう
より大きな痛みを抱えたまま死へと向かう人たちが
私たちの周りには いつでもたくさんいるというのに
私ひとり肉体の絶望と病に倒れてしまうなんて
悔しく悲しいばかり
オンドルの床に敷かれた油紙のように 黄ばみ衰えていく顔を見ていると
こんなこととても口には出せないけれど
もし最後に 体のどこかに まだ健康なところが残っているなら
それがないと生きていけない誰かに
そっくりさしあげてから逝くことにしましょう
肉体のどの部分でもよろこんで切り取ってあげられる人生を
私も生きたいと思います
とうもろこしの葉を打つ雨音が大きくなってきました
また夜がひとつの闇の中に消えるけれど
この闇が終わり 新しい夜明けが訪れるその瞬間まで
私はあなたの手を握りずっとそばにいます


※ト・ジョンファン詩人は詩集『立葵のようなあなた』がベストセラーになり
人気が高い詩人です。愛妻がガンに侵され、亡くなる前後を哀切につづり、
感動を呼びました。また、全国教職員労組が活動を始めたころ、
教育運動に献身し、そのために免職と投獄を経験し、
民主化運動を闘い続けたことでも尊敬されています。
文在寅政権で文化体育観光部長官に就任し活躍しています。
第一回アジア文学祭にも来賓し、祝辞を述べました。
「ノーモアフクシマ」も含む主要作品を網羅したアンソロジーです。

(ユン・ヨンシュク・田島安江編訳。書肆侃侃房2000円+税)














第一回アジア文学祭


2017年11月1日から四日まで、光州で第一回アジア
文学フェスティバルが、アジア文化院の主催で
詩人・高銀を 中心にして開催され、
私も参加しました。 光州は、民主化闘争の地として有名です。
今回のテーマは<アジアの朝>で、以下の趣旨文は日本人に
とって考えさせる内容です。

「韓国詩人がアジアに向けて詠った最初の詩は<アジ
アの夜>でした。国境の向こう側を真っ暗な闇と考え
る昔の韓国人の感情は、友も隣人も見えない植民地時
代を経験して習得されたものです。しかし、私たちは
戦争と分断と独裁の中で詩を学び、無限の競争に満ち
た文明と制度の中で愛を育てながら、抑圧と暴力に満
ちた現代理念の刑務所を出て世界中のすべての生きた
精神と手を取ろうと夢見てきました。

今も私たちは相変らず分断の苦しみの中でまさに人
間の犯した地球的な災難の最大の元凶である核と原発
の人質となった現実を直視し、詩は天上ではなく、地
獄に足を踏み入れているという考えから離れられませ
ん。そうして私たちは生命の別名であるこの詩が、世
の中の弱者たちの生きる道を捜して旅立って、結局は
足場がなく再び流浪民になってしまっても、胸を痛め
る大地の草と一緒に踊ろうと希望します。そして私
たちはこの詩を朗読する声が、今日も丘を超える蟻の
群れとともに、つらい生涯を渡っていく地上の全ての
苦痛を知る者たちの耳に届くことを願っています。

韓国現代史の抑圧と差別に抵抗してきた都市光州で、私
たちは新しい<アジアの朝>を夢見て文明の廃墟に咲い
た花のように人類の精神史的伝統と、希望を持った詩を
朗読される声を聞こうと思います。光州は韓
国語で光の町という意味を持っています。闇の中でも、
いつも目覚めている伝統を持つこの光の都市で
文学を祝祭します。
(翻訳・韓成禮)」


11月1日午後にまず「国立五・十八日民主墓地」を文学祭
参加者たちが訪れ、祈りを捧げました。広大な敷地、
整然と並ぶたくさんの民主化運動で犠牲になった人々の墓、
美しく立派なモニュメントに驚きました。民主化運動の
一般人犠牲者たちを「国立墓地」に埋葬することは日本の
歴史ではなかったでしょう。

高銀詩人は、墓石をなでたり花を供えたりしながら、
埋葬されている人について人生を味わい深く語りました。
一緒の墓に埋められた恋人たちもいます。戒厳令軍と闘
った人々がたてこもった建物も記念館として保存されて
高校生の写真もありました。映画で見たデモ隊と軍がぶ
つかる十字路は想像以上に幅広いです。映画のあれこれの
シーンと重ねて当時の銃声や怒号が聞こえてきそうでした。
死者を顕彰するだけでなく、幼子から老人まで一般庶民が闘
う民主化運動を文化として根付かせる意志を感じます。

4日には高銀の詩に登場する無等山にみんなで上りました。
高銀先生は一九三三年生まれで八四歳ですが、杖も使わず、
さっさか歩かれます。途中までバスで上りましたが、山頂付近や
竹山をひょうひょうと回り、皆に歴史を語る姿に圧倒されました。
無等山は文禄の役で日本軍が押し寄せたときや、近代の
植民地支配や解放後の独裁政権との闘いでも民衆を
守る山として有名な所です。元来、神の山です。
高銀先生は無等山は皆等しく、等しいという観念もなくなる所だと
説きました。

二日から四日までの講演やシンポジウムが行われました。
今回の通訳と翻訳に関しても韓成禮さんのお世話になりました。
特別招待作家の筆頭は、ウォーレ・ショインカ(ナイジェリア)。
一九八六年にアフリカの作家として最初のノーベル文学賞を
受賞した詩人・劇作家・小説家です。「黒い大陸を告発した
黒人文学の勝利」と言われます。4日の高銀詩人とのシンポジウムで
興味深かったのは、高銀がアジア文化の個別性を強調したのに対し、
ショインカが普遍性にこだわったことです。ショインカも
アフリカの根を大切にしていますが、普遍性も必要なのでしょう。
ここには文学の深い問題が存在します。

この文学祭で一番インパクトを受けたのはインドネシアの
女性作家、アユ・ウタミです。1968年生まれで、小説『サ
マン』(1998年)が広く知られています。ジャカルタで育ち、
一九九四年にスハルト政権が三つの雑誌を発売禁止にしてから
他の新世代ジャーナリストと共に独立ジャーナリスト連盟を結成し、
民主化活動家と連携して地下活動を行いました。生き生きした表情と
力強い口調、流暢な英語で社会現実とかかわる文学を語りました。
とても美しく意志的で新世代のアジアの表現者として輝いていました。
私も、日本と朝鮮半島の歴史と現実について話し、女性ふたりが
文学と現実社会の関係を重視したのはおもしろい一致でした。

韓国の詩人、李相国さん、李時英さん、申鉉林さん、金海子さん、
済州島の詩人、金セシリアさん、許栄善さんにもお会いできて
うれしかったです。
申さんは写真家でもあり、りんごがある風景をシリーズ化している。
私の「りんご人」という詩を「女性新聞」に紹介して下さるそうです。

光州の居酒屋で二十人位の詩人と一緒に飲んだのも楽しい思い出です。
このような飲み屋で民主化運動の希望を語り、弾圧を耐え、
激論を交わし、歌いながら進めたのだろうと思いました。






2017平昌韓中日詩人祭(2)

新羅の笑みをたたえた顔 
―古代韓国の首都慶州から出土した新羅時代の欠けた一つの面

北塔(中国詩人。韓国語訳からの佐川亜紀訳)

時が二千年かけて
古代の顔の面影をかすめ取ったが
しかし あなたの微笑みは
相変わらず人の心を揺り動かす

この微笑みが一艘の小舟のように
歴史の風浪を耐え
生死にかかわらずすべてのことを忘れさせ
死さえもそれをどうすることもできないようにした

一つの王朝の胴体が腐った後
我々に残されたのはただ一つの顔の面影
手を覆った土が掘り返される時
再び日光を見たその手腕もまた埋もれてしまうのだろうか

この微笑をたたえた面影は
もうこれ以上どの王朝にも属さないだろうから
人それぞれ皆顔に載せて
自分ひとりで人生の大海に向き合うのだ




北洋航路
呉世栄
李国寛訳

厳冬の寒さ、
暖炉に火をつけながら、ふと
極地を航行する
夜の海の船舶を思う。
燃料はもう底を尽き始めたが
私は
ボイラー室で石炭を燃やす
この船の一介の老いた火夫
古い蒸気船一隻を率いて
果てしない時間の波に逆らい
ここまで来た。
外は吹雪。
まだ室内はぬくもりを失ってはいないが
出航時のときめきが去ってからすでに久しい。
目的地は未定、
航路は離脱、
信じられるのはただ北極星、十字星、
壁に吊るされた十字架の下で
でたらめな海図一枚を手に取り
暖炉の光にかざして見ている目は暗いのだが
細長い白い煙を火筒へと吐き出しながら
北洋航路
凍り付いた夜の海を漂流する、
生は
一軒の揺れるあばら家。


*北塔さんの詩は、二〇一七年九月十六日に朝鮮半島の
軍事境界線近くの臨津閣展望台の中で「平和の詩朗
誦」として朗読された作品です。時と権力を超えた笑みが
心に染みます。
呉世栄さんの詩は、二〇一七年九月一五日の「詩が流れる
アリランコンサート」で朗読された作品です。凍り付く
夜の海を漂流する古い蒸気船の「老いた火夫」と自分を
捉える透徹した省察と詩人としての熱い矜持を感じます。
*下記は、「東京新聞」二〇一七年十月五日に掲載して頂いた
文章です。


平和をめざす詩の力を信じて
  ―韓中日詩人祭に参加して   佐川亜紀

九月十五日の朝は、北朝鮮のミサイルがまた通過し
たと日本では大騒ぎだったらしいが、韓国の平昌では
何事も無く静かに詩人祭の二日目を迎えた。翌日には
軍事境界線に近い臨津閣平和公園に行ったが、たくさ
んの人たちが散歩し、遊園地では子供たちがはしゃぐ
姿に驚いた。それだけに戦争をあおるような日本政府
の態勢が異様に感じられた。日本は朝鮮半島支配の歴史
と分断に責任があり、南北の和平にこそ力を尽くすべ
きなのに、いつの間にか被害国の立場に自らを置いて
いる考え方が、かつての自衛のための戦争を思わせ恐
ろしい。

詩人は今なにができるだろうか、と焦る気持ちを抱
きながら、十四日から十七日まで韓国で開催された「
2017平昌 韓中日詩人祭」に招かれて参加した。
平原五輪のメイン会場の一つのアルペンシアリゾート
で開かれた。

韓国詩人協会(会長・崔東鎬)が主催し、日本から
十九人、中国から十五人、韓国代表詩人百人以上が参
加して、開会式には約二百人の詩人たちが集まった。
日本の顔触れは若手詩人の石田瑞穂さん、杉本真維子
さん、韓国で翻訳詩集が出ている柴田三吉さん、細田
傳造さん、韓国詩を訳しているなべくらますみさん、
北海道出身の麻生直子さん、沖縄の大城貞俊さんら。日
本詩人の詩選集や通訳には翻訳家で詩人の韓成禮さん
らの尽力によった。

東日本大震災に対して祈りの詩を書いた韓国の長老
詩人、金南祚さんは「暗い時代に人間の価値を一緒に
回復しましょう」と挨拶。各国代表の講演では、韓国
の呉世榮さんが「今、東アジアでは国家間の利益の追
求による葛藤の波が高まっている。しかし詩人は国家
の利益よりも、民族の利益よりも、人間の利益を擁護
する先頭に立つのだ」と力説された。韓国詩人が強調
したのは、詩が国家や民族を超えて人間として共感し
、人類の問題を悩み、普遍的な価値を追求するものだ
という点である。

中国代表の呂進さんは「詩は親和力と社会性を増す。
根が一緒の同胞なのに争うのは愚かしい。二十一世紀
は世界詩の重点が西洋から東洋に移る転換点だ。私た
ちは人類を調和させる芸術的原動力になりましょう」
と協力を呼びかけた。

日本代表の石川逸子さんは「詩の力を信じて」と題
して、戦争を体験した世代として歴史を省みた。石川
さんは、日本人被爆者ばかりではなく韓国人・中国人
被爆者を記録し、詩集に編み、日本の加害の面に目を
開いた著作『日本軍「慰安婦」にされた少女たち』(
岩波ジュニア新書)は韓国でも翻訳出版されている。
長年の地道な仕事に基づく深い話に、韓国、中国の、
特に女性詩人から熱い共感を得た。アジアの声を聞き、
詩作し続けた誠実さと鋭い知性、柔らかい感性が詩の
力を生み出したのだ。

十五、十六日のシンポジウムでは詩人祭の三つのテ
ーマ「平和・環境・治癒」をそれぞれ討議した。
十六日の夕方には臨津閣展望台の中で「平和の詩朗
誦」として韓国の金炯榮さん、中国の北塔さん、日本
の天童大人さんが声を響かせた。北塔さんの詩「新羅
の笑みをたたえた顔―古代韓国の首都慶州から出土し
た新羅時代の欠けた一つの面」の終連「この笑みをた
たえた面影は/もうこれ以上どの王朝にも属さないか
ら/人それぞれ皆顔につけて/自分で人生の大海に向
き合うのだ」が心に残った。  
(「東京新聞」2017年10月5日夕刊掲載)








2017平昌韓中日詩人祭(1)


熱愛
慎達子

吉村優里訳

手を切ってしまった
赤い血が長く我慢したかのように
世界の青い動脈の中へとぽたぽた垂れ落ちた
よかった
何日かはこの傷と遊ぼう
使い捨ての絆創膏を貼ってはまた剥がして傷を舌で撫で
かさぶたを取ってはまた悪化させ
つまみ食いするように少しずつ傷を怒らせよう
そう、そうやって愛すれば十日は軽く過ぎるだろう
血を流す愛も何日かは順調に持ちそうだ
私の体にはそういう傷跡が多い
傷と遊ぶことで老いてしまい
慢性リウマチの指の痛みもひどく
今夜はその痛みとごろごろ転がりまわろう
恋人役をしよう
唇にぎゅっと噛みつき
私の愛の唇がぷちっと腫れて破れて
誰が見ても私、熱愛に落ちたと言うだろう
最高だ

※シンダルヂャ 1943年慶尚南道居昌生まれ。『奉献文学』
『白痴の悲しみ』。


二〇一七年九月十四日から十七日まで韓国で開催された「2017平昌
韓中日詩人祭」に招かれて参加しました。平昌は二〇一八年の冬季オリ
ンピックが行われる所で、詩祭はメイン会場の一つのアルペンシアリゾ
ートで開かれました。平昌は緑豊かで穏やかな地方で行きのバスから
赤牛がのんびり草を食べているのが見えました。韓国はソウルもふつう
通りで、北朝鮮ミサイル発射で騒ぐ様子は特にありませんでした。
とは言っても、韓国軍が米軍と合同軍事演習し、年数回、市民の避難訓
練が行われているのも現実です。しかし、日本は過剰に反応し、電車を
止めるまでしているのは異様です。これを機に憲法まで改悪しようと
誘導するのはかつての戦争と似ています。
歴史的には敗戦国のドイツが分断されたように日本が分断されるはず
だったのに、朝鮮半島が分断されて今日の事態が生まれているのです
から、日本は和平にこそ力を尽くすべきです。

さて、詩祭には、日本から十九人、麻生直子さん、石川逸子さん、
石田瑞穂さん、大城貞俊さん、大坪れみ子さん、柴田三吉さん、
杉本真維子さん、田島安江さん、天童大人さん、飛田圭吾さん、
中本道代さん、なべくらますみさん、萩原健次郎さん、細田傳造さん、
堀内統義さん、紫圭子さん、望月苑巳さん、谷内修三さん、私が参加。
大城貞俊は台風に遭いながら沖縄から駆けつけられました。
開会式の様子などは「東京新聞」に掲載予定です。

詩人祭の三大テーマは「平和・環境・治癒」で、15日のシンポジウムで、
私は「治癒」の部で、「詩は癒しになりうるのか?」と提起しました。
韓国の慎達子さんは「内なる子供を詩でなだめる成人自我」との題で内面の
傷と和解の可能性を話されました。上の詩のように「傷と遊ぶ」
「痛みの恋人役をする」という境地になるたくましさに圧倒されます。
中国の王家新さんは「書くこと、傷と治癒」との題で、アウシュビッツ
体験と書くことについて述べられました。王家新さんはパウル・ツエラン
についての著作があり、偶然にも私が第五回を受賞した昌原KC国際詩
文学賞の四回目の受賞者でした。詩が治癒になるかどうかは、非常に難しい
問題です。私は社会派なので、歴史の問題に触れましたが、純粋詩の
立場では芸術は何かのためではなく無償性や遊戯性の中にこそ治癒が
あると考える詩人もいます。また、若いネット世代では、生の希薄感や
ネットでの治癒を感じる人もいるでしょう。短時間の話し合いでしたが、
いろいろな観点を知ることができました。







チョ・オヒョン


枕木

韓成禮訳

どんなに暗い世の中に出会って押さえつけられて生きたとしても
用の無い時は捨てられるとわかっていても
私は長い歴史の軌道に身を投じた
一片の枕木であり、年代なのだ

永遠の故郷として最後まで残るべき
太白山のふもとで腐っていく切り株よ
生きていく日々に地軸の揺れる震動もあった

見るがいい、生きるためにだけただ生きるために
どれほど真実だったはずの骨が折られたか
どれほど多くの人々がひそかに埋もれて暮らしているか

それがまさに君臨による労役だとしても
ややもすれば崩壊してしまう沈みゆくこの地盤を
最後まで支えた者があり
天があり、歴史があるのだ



光りの波紋

韓成禮訳

天にもない天の話の出ばなをくじいて
碑石からふらりと彷徨い出て、今朝死んだ男
では女も、死んだあの女も碑石から彷徨い出てきたのか

あお〜い色だ きいろ〜い色だ
あか〜い色だ まっくろ〜な色だ
宝石も、千個の宝石でさえ持てない色だ

無数の死の中に色たちが向かっている
生がついていけば気絶してしまうそれ。
私の眠りを奪って生きる幽霊、そんな幽霊だちだ。



※チェ・オヒョン 1932年慶尚南道生まれ。僧侶詩人。
1968年「時調文学」でデビュー。彼の尽力で建設された
万海村は国内外を問わず大きな文学的行事が開催されている。
詩集に『山に住む日に』『寺の物語』など。現代時調文学賞、
鄭芝溶文学賞、DMZ平和賞大賞など受けた。
※戦後70年、日韓国交正常化50年記念アンソロジー
『隣人への挨拶状』(編訳・韓成禮。詩・田島安江など)から。




























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