ウォーター

韓国詩のコーナー


オソオセヨ! 韓国詩へ

このページでは、韓国の詩について紹介します。

目次


























































































































































2017平昌韓中日詩人祭(2)

2017平昌韓中日詩人祭(1)

チョ・オヒョン

『王秀英詩選集 離別』

『時調 三行詩 第18集』

安ドヒョン(2)

『生命の詩人・尹東柱』

羅喜徳(5)

丁章『在日詩集 詩碑』

崔ヨンホン

文貞姫詩集『今、バラを摘め』

『宗秋月全集』(2)

『宗秋月全集』(1)

『金里博詩集 永遠の躑躅』

高銀『無題詩篇』3

高銀『無題詩篇』2

高銀『無題詩篇』1

朴正大『チェ・ゲバラ万歳』2

朴正大『チェ・ゲバラ万歳』1

羅喜徳(4)

『上野都訳 尹東柱詩集』

朴柱澤 3

料理と詩のコラボレーション

許英子

羅喜徳(3)

金達鎮詩集『慕わしい世界があるから』5

金達鎮詩集『慕わしい世界があるから』4

金達鎮詩集『慕わしい世界があるから』3

金達鎮詩集『慕わしい世界があるから』2

金達鎮詩集『慕わしい世界があるから』1

文貞姫詩集『うん』

金后蘭詩集『光と風と香り』

崔由地詩集『共感の距離』

金南祚詩集『心臓が痛い』

金基澤詩集『針穴の中の嵐』

イ・ソンボク詩集『そしてまた霧がかかった』

高炯烈詩集『ガラス体を貫通する』(4)

高炯烈詩集『ガラス体を貫通する』(3)

権千鶴詩集『空っぽの都市の胸に電話をかける』(2)

高炯烈詩集『ガラス体を貫通する』(2)

文貞姫詩集『髪を洗う女』

金知栄詩集『薬山のつつじ』

高炯烈詩集『ガラス体を貫通する』(1)

金イドゥム

金泳勲詩集『通仁詩』

許ヨン

『詩評 2013年冬号』

『金時鐘 猪飼野詩集』

『海の花が咲きました』

『朴利道詩集』

高銀詩集『瞬間の花』

崔泳美詩集(2)

シム・ウォンソプ著『秘密にしていた話』

崔スンホ詩集『氷の自叙伝』

金里博詩集『三島の悲歌』

崔スンホ詩人と安ヒョンミ詩人

崔泳美詩集





金行淑、李英光、イ・ジョンロク、金南祚掌編集『美しい人びと』、
李御寧詩集『無神論者の祈り』、 蘭明著『李箱と昭和帝国』、
金一男著『韓国詩歌春秋』、金時鐘 編訳『尹東柱詩集 空と風と星と詩』、
『金恵英詩集 あなたという記号』、図書新聞書評 申庚林詩選集、
『韓国近現代文学事典』、キム・ソヨン、詩評・2012年夏号、ヨ・テチョン、
ハンサルリム、申庚林詩選集 こちらです。

「映画評、詩評2012年春号」、ペ・ハンボン、「東京新聞 祈りと脱原発の思い」
李英光、東アジア脱原発ネットワーク、韓国詩人への御礼・中央日報
エネルギー正義行動、高銀(3)、金南祚、金后蘭、権宅明、金ソヨン
李珍明(2)、陳恩英、「ASIA POEM 光と林」、文貞姫、鄭浩承
高銀メッセージ、金ギョンミ、シン・ヨンモク、張錫南(2)こちらです。

金南祚、朴羅燕、黄仁淑、ソン・ジェハク、高銀、李箱、崔グムジン、
金止女、映画「チョルラの詩」、金ミョンギ、李ミンハ、イスミョン、
朴正大、『地球は美しい』(4)、高炯烈(2)、朴ヒョンジョン、金オン、
『地球は美しい』(3)、『地球は美しい』(2)、『戦争は神を考えさせる』
(3)、朴ジンソン、馬鐘基、朴ジャンホ、アン・ミョンヒ、韓成禮、
金芝河、李珍明、崔泳美(4)、朴柱澤(2)は、ここをクリック。



ソンチャンホ、崔鐘天、鄭クッピョル、金勇範、文泰俊(2)、
『地球は美しい』、『戦争は神を考えさせる(2)』、金経株(2)、
呉世栄、鄭浩承、李起哲、『戦争は神を考えさせる』、孫澤秀、
金行淑、文寅沫、鄭百秀、金芝河(2)、羅喜徳は、こちらです。


金経株、李昇夏、105韓国詩人選、金思寅、黄炳承、高銀(2)、
崔正礼(2)、千良姫、呉世栄(2)、金恵順、朴柱澤、リュ・シファ
朴賞淳、文泰俊、金宣佑(2)、「詩と思想」2006・7月号、高炯烈(2)、
チョン・クッピョル、韓国女性小説家、金ミョンニ、羅喜徳(2)、
『今日の詩 韓国詩21人集』、崔泳美(3)は こちらです



ソン チェハク、任平模、朱耀翰、金龍済、李箱、鄭芝溶、
イ ジョンロク、金基澤、イ ソンヨン、朴ジョンデ、チェ ジョンレ、
キム ソヌ、チョン ホスン、チョン クッピョル、はこちらです

権大雄、崔勝子、王秀英、高炯烈、朴ノヘ、はこちらです

金基沢、安度呟、詩誌情報、金芝河、崔泳美、はこちらです

呉鎮賢、黄芝雨、将正一、姜恩喬、尹東柱、はこちらです

韓国現代詩小論集、張錫南、詞華集、金龍澤、崔華国、はこちらです

詩選集『新しい風』、河在鳳、高銀、呉世栄、崔泳美(2)、はこちらです

オ テファン、崔勝鎬、イ ジョンロク、鄭一根(2)、イ ムンジエ、
羅喜徳、チェジョンレ、李ソンヨン、『詩評』、『詩と思想』9月号、
朴チョンデ、金宣佑、崔勝鎬、『日韓『異文化交流』ウオッチング』
呉廷国、高在鐘、延王模、金光林、鄭一根、はこちらです


2017平昌韓中日詩人祭(2)

新羅の笑みをたたえた顔 
―古代韓国の首都慶州から出土した新羅時代の欠けた一つの面

北塔(中国詩人。韓国語訳からの佐川亜紀訳)

時が二千年かけて
古代の顔の面影をかすめ取ったが
しかし あなたの微笑みは
相変わらず人の心を揺り動かす

この微笑みが一艘の小舟のように
歴史の風浪を耐え
生死にかかわらずすべてのことを忘れさせ
死さえもそれをどうすることもできないようにした

一つの王朝の胴体が腐った後
我々に残されたのはただ一つの顔の面影
手を覆った土が掘り返される時
再び日光を見たその手腕もまた埋もれてしまうのだろうか

この微笑をたたえた面影は
もうこれ以上どの王朝にも属さないだろうから
人それぞれ皆顔に載せて
自分ひとりで人生の大海に向き合うのだ




北洋航路
呉世栄
李国寛訳

厳冬の寒さ、
暖炉に火をつけながら、ふと
極地を航行する
夜の海の船舶を思う。
燃料はもう底を尽き始めたが
私は
ボイラー室で石炭を燃やす
この船の一介の老いた火夫
古い蒸気船一隻を率いて
果てしない時間の波に逆らい
ここまで来た。
外は吹雪。
まだ室内はぬくもりを失ってはいないが
出航時のときめきが去ってからすでに久しい。
目的地は未定、
航路は離脱、
信じられるのはただ北極星、十字星、
壁に吊るされた十字架の下で
でたらめな海図一枚を手に取り
暖炉の光にかざして見ている目は暗いのだが
細長い白い煙を火筒へと吐き出しながら
北洋航路
凍り付いた夜の海を漂流する、
生は
一軒の揺れるあばら家。


*北塔さんの詩は、二〇一七年九月十六日に朝鮮半島の
軍事境界線近くの臨津閣展望台の中で「平和の詩朗
誦」として朗読された作品です。時と権力を超えた笑みが
心に染みます。
呉世栄さんの詩は、二〇一七年九月一五日の「詩が流れる
アリランコンサート」で朗読された作品です。凍り付く
夜の海を漂流する古い蒸気船の「老いた火夫」と自分を
捉える透徹した省察と詩人としての熱い矜持を感じます。
*下記は、「東京新聞」二〇一七年十月五日に掲載して頂いた
文章です。


平和をめざす詩の力を信じて
  ―韓中日詩人祭に参加して   佐川亜紀

九月十五日の朝は、北朝鮮のミサイルがまた通過し
たと日本では大騒ぎだったらしいが、韓国の平昌では
何事も無く静かに詩人祭の二日目を迎えた。翌日には
軍事境界線に近い臨津閣平和公園に行ったが、たくさ
んの人たちが散歩し、遊園地では子供たちがはしゃぐ
姿に驚いた。それだけに戦争をあおるような日本政府
の態勢が異様に感じられた。日本は朝鮮半島支配の歴史
と分断に責任があり、南北の和平にこそ力を尽くすべ
きなのに、いつの間にか被害国の立場に自らを置いて
いる考え方が、かつての自衛のための戦争を思わせ恐
ろしい。

詩人は今なにができるだろうか、と焦る気持ちを抱
きながら、十四日から十七日まで韓国で開催された「
2017平昌 韓中日詩人祭」に招かれて参加した。
平原五輪のメイン会場の一つのアルペンシアリゾート
で開かれた。

韓国詩人協会(会長・崔東鎬)が主催し、日本から
十九人、中国から十五人、韓国代表詩人百人以上が参
加して、開会式には約二百人の詩人たちが集まった。
日本の顔触れは若手詩人の石田瑞穂さん、杉本真維子
さん、韓国で翻訳詩集が出ている柴田三吉さん、細田
傳造さん、韓国詩を訳しているなべくらますみさん、
北海道出身の麻生直子さん、沖縄の大城貞俊さんら。日
本詩人の詩選集や通訳には翻訳家で詩人の韓成禮さん
らの尽力によった。

東日本大震災に対して祈りの詩を書いた韓国の長老
詩人、金南祚さんは「暗い時代に人間の価値を一緒に
回復しましょう」と挨拶。各国代表の講演では、韓国
の呉世榮さんが「今、東アジアでは国家間の利益の追
求による葛藤の波が高まっている。しかし詩人は国家
の利益よりも、民族の利益よりも、人間の利益を擁護
する先頭に立つのだ」と力説された。韓国詩人が強調
したのは、詩が国家や民族を超えて人間として共感し
、人類の問題を悩み、普遍的な価値を追求するものだ
という点である。

中国代表の呂進さんは「詩は親和力と社会性を増す。
根が一緒の同胞なのに争うのは愚かしい。二十一世紀
は世界詩の重点が西洋から東洋に移る転換点だ。私た
ちは人類を調和させる芸術的原動力になりましょう」
と協力を呼びかけた。

日本代表の石川逸子さんは「詩の力を信じて」と題
して、戦争を体験した世代として歴史を省みた。石川
さんは、日本人被爆者ばかりではなく韓国人・中国人
被爆者を記録し、詩集に編み、日本の加害の面に目を
開いた著作『日本軍「慰安婦」にされた少女たち』(
岩波ジュニア新書)は韓国でも翻訳出版されている。
長年の地道な仕事に基づく深い話に、韓国、中国の、
特に女性詩人から熱い共感を得た。アジアの声を聞き、
詩作し続けた誠実さと鋭い知性、柔らかい感性が詩の
力を生み出したのだ。

十五、十六日のシンポジウムでは詩人祭の三つのテ
ーマ「平和・環境・治癒」をそれぞれ討議した。
十六日の夕方には臨津閣展望台の中で「平和の詩朗
誦」として韓国の金炯榮さん、中国の北塔さん、日本
の天童大人さんが声を響かせた。北塔さんの詩「新羅
の笑みをたたえた顔―古代韓国の首都慶州から出土し
た新羅時代の欠けた一つの面」の終連「この笑みをた
たえた面影は/もうこれ以上どの王朝にも属さないか
ら/人それぞれ皆顔につけて/自分で人生の大海に向
き合うのだ」が心に残った。  
(「東京新聞」2017年10月5日夕刊掲載)








2017平昌韓中日詩人祭(1)


熱愛
慎達子

吉村優里訳

手を切ってしまった
赤い血が長く我慢したかのように
世界の青い動脈の中へとぽたぽた垂れ落ちた
よかった
何日かはこの傷と遊ぼう
使い捨ての絆創膏を貼ってはまた剥がして傷を舌で撫で
かさぶたを取ってはまた悪化させ
つまみ食いするように少しずつ傷を怒らせよう
そう、そうやって愛すれば十日は軽く過ぎるだろう
血を流す愛も何日かは順調に持ちそうだ
私の体にはそういう傷跡が多い
傷と遊ぶことで老いてしまい
慢性リウマチの指の痛みもひどく
今夜はその痛みとごろごろ転がりまわろう
恋人役をしよう
唇にぎゅっと噛みつき
私の愛の唇がぷちっと腫れて破れて
誰が見ても私、熱愛に落ちたと言うだろう
最高だ

※シンダルヂャ 1943年慶尚南道居昌生まれ。『奉献文学』
『白痴の悲しみ』。


二〇一七年九月十四日から十七日まで韓国で開催された「2017平昌
韓中日詩人祭」に招かれて参加しました。平昌は二〇一八年の冬季オリ
ンピックが行われる所で、詩祭はメイン会場の一つのアルペンシアリゾ
ートで開かれました。平昌は緑豊かで穏やかな地方で行きのバスから
赤牛がのんびり草を食べているのが見えました。韓国はソウルもふつう
通りで、北朝鮮ミサイル発射で騒ぐ様子は特にありませんでした。
とは言っても、韓国軍が米軍と合同軍事演習し、年数回、市民の避難訓
練が行われているのも現実です。しかし、日本は過剰に反応し、電車を
止めるまでしているのは異様です。これを機に憲法まで改悪しようと
誘導するのはかつての戦争と似ています。
歴史的には敗戦国のドイツが分断されたように日本が分断されるはず
だったのに、朝鮮半島が分断されて今日の事態が生まれているのです
から、日本は和平にこそ力を尽くすべきです。

さて、詩祭には、日本から十九人、麻生直子さん、石川逸子さん、
石田瑞穂さん、大城貞俊さん、大坪れみ子さん、柴田三吉さん、
杉本真維子さん、田島安江さん、天童大人さん、飛田圭吾さん、
中本道代さん、なべくらますみさん、萩原健次郎さん、細田傳造さん、
堀内統義さん、紫圭子さん、望月苑巳さん、谷内修三さん、私が参加。
大城貞俊は台風に遭いながら沖縄から駆けつけられました。
開会式の様子などは「東京新聞」に掲載予定です。

詩人祭の三大テーマは「平和・環境・治癒」で、15日のシンポジウムで、
私は「治癒」の部で、「詩は癒しになりうるのか?」と提起しました。
韓国の慎達子さんは「内なる子供を詩でなだめる成人自我」との題で内面の
傷と和解の可能性を話されました。上の詩のように「傷と遊ぶ」
「痛みの恋人役をする」という境地になるたくましさに圧倒されます。
中国の王家新さんは「書くこと、傷と治癒」との題で、アウシュビッツ
体験と書くことについて述べられました。王家新さんはパウル・ツエラン
についての著作があり、偶然にも私が第五回を受賞した昌原KC国際詩
文学賞の四回目の受賞者でした。詩が治癒になるかどうかは、非常に難しい
問題です。私は社会派なので、歴史の問題に触れましたが、純粋詩の
立場では芸術は何かのためではなく無償性や遊戯性の中にこそ治癒が
あると考える詩人もいます。また、若いネット世代では、生の希薄感や
ネットでの治癒を感じる人もいるでしょう。短時間の話し合いでしたが、
いろいろな観点を知ることができました。







チョ・オヒョン


枕木

韓成禮訳

どんなに暗い世の中に出会って押さえつけられて生きたとしても
用の無い時は捨てられるとわかっていても
私は長い歴史の軌道に身を投じた
一片の枕木であり、年代なのだ

永遠の故郷として最後まで残るべき
太白山のふもとで腐っていく切り株よ
生きていく日々に地軸の揺れる震動もあった

見るがいい、生きるためにだけただ生きるために
どれほど真実だったはずの骨が折られたか
どれほど多くの人々がひそかに埋もれて暮らしているか

それがまさに君臨による労役だとしても
ややもすれば崩壊してしまう沈みゆくこの地盤を
最後まで支えた者があり
天があり、歴史があるのだ



光りの波紋

韓成禮訳

天にもない天の話の出ばなをくじいて
碑石からふらりと彷徨い出て、今朝死んだ男
では女も、死んだあの女も碑石から彷徨い出てきたのか

あお〜い色だ きいろ〜い色だ
あか〜い色だ まっくろ〜な色だ
宝石も、千個の宝石でさえ持てない色だ

無数の死の中に色たちが向かっている
生がついていけば気絶してしまうそれ。
私の眠りを奪って生きる幽霊、そんな幽霊だちだ。



※チェ・オヒョン 1932年慶尚南道生まれ。僧侶詩人。
1968年「時調文学」でデビュー。彼の尽力で建設された
万海村は国内外を問わず大きな文学的行事が開催されている。
詩集に『山に住む日に』『寺の物語』など。現代時調文学賞、
鄭芝溶文学賞、DMZ平和賞大賞など受けた。
※戦後70年、日韓国交正常化50年記念アンソロジー
『隣人への挨拶状』(編訳・韓成禮。詩・田島安江など)から。








『王秀英詩選集 離別』


離別


留まる場所が
ないまま
終わりがきた

他国に暮らすも
自国に帰るも
意味がなくなり

もはや地球が
故郷になった

そんな歳月を
生き抜いたら
全てが新鮮に
蘇る

生まれたのも
初めて
死ぬのも
初めて

来る日もまた
初めてなので
驚き戸惑い

終わりの
始まりである
今日が愛しい

月と星は
老いることなく
人間を看取り

人間は
故郷である地球とも
離別をする





夏の日

麻酔なしで
魂を滅多切りにされる
夏の日

長く暮らしている
異国の地が突然
果てしない砂漠になって
途方にくれる

雨も降らないで
渇いていく感性の井戸を
日本人は濡らしてくれない

残忍な夏の日
祖国にいる
もう一人の私が
逢いにくるのを
待つしかない


※王秀英さんの詩は、異国の地・日本で生きる喜怒哀楽と
人生の深い意味を分かりやすい言葉で表し、胸に沁みます。
しかし、彼女にとって日本語の異質さは消えませんでした。
「韓国語で詩を書く時は心で書くのに、日本語で書く時は
どうしても頭で書いている自分に気がついた」と「後書き」
で述べています。「日本語は私にとって仮の言葉であるから、
環境が変わったり、健康状態が悪かったりすると無情にも
私から消えてしまう」「私を悩ませてきた日本語から楽に
なりたいと思い、最後に『詩選集』を出版することにした」
と本詩選集にこめた思いを明かしています。

「人間は/故郷である地球とも/離別をする」とは地球を
故郷と感じる到達点と人間の死に対する洞察が深いです。

王秀英(ワン・スヨン)さんは、韓国釜山生まれ、延世大学を卒業後、
1961年に韓国詩壇にデビュー。1996年尚火詩人賞、
2007年韓国文人協会海外文学賞、2011年石川啄木賞(日本)、
2014年国際韓国PEN翻訳文学賞、2016年尹東柱文学賞など
多くの評価を受けた詩人です。
(土曜美術社出版販売・2000円+税)





『時調 三行詩 第18集』


いのち

金一男

くずれながら碧空を支える
夏の名残の入道雲
雀が一羽 空を切った

おずおずと草むらに歩みを移し
屋根から屋根へと渡りながら
虚空の中にその身を支える

ささやかにして美しきものよ
かろやかに身を尽くして
いのちをきざむ




趙末雄

はかなげな 砂
はだしが印した足形を
波が消していった

右左と感触を確かめ
踏みしめた跡を
寄せては返して

砂と波がたわむれて
足の裏 足の指を
くすぐっていった



砂時計
なべくらますみ

堕ちてはひっくり返され 墜ちてはまたひっ
くり返されて それでも壊れることなく また
落ちて ひっくり返されても生きている 時


※韓国の詩歌と日本の詩歌の違いで一番興味深いのは、
定型短詩がなぜ日本だけこんなに根強く創られ人気が高いのか、
という点です。朝鮮にも定型詩の時調があります。
三章六句四十五字前後が元の形ですが、「時調の会」では、
三章=三行を基本として創作されているようです。
俳句も三行詩ともなりますが、漢詩の四行詩との違いを
考えると興味深いです。
時調の会(しじょのかい)は、1999年に3月に設立され、
時調(三行詩)詩集を発行し、今年で18年を迎えるそうです。
在日韓国人と日本人により構成し、会員19名。代表者は趙末雄氏。
日韓両国の詩・民謡・文化について学習会を毎月開催。
第18集は2017年3月発行。編集は金一男氏。






安ドヒョン(2)

清津の女(ひと)
  韓成禮訳

私が暮らす南の国
寂しい雪が降れば
米軍のいない清津港で
ぼろ自転車一台借りて乗り
降りしきる雪について行き
闇をはたき出す電灯を照らした家
餅のような湯気で白く曇った
ガラス戸を開いて入れば
褐炭暖炉の熱い家
名前も捨て金も無く来たんだと
私が背の青い一匹のイワシになって
あなたと泳ぎたいと言えば
東海のような子宮を開いてくれる
愛という言葉よりも美しい
清津の女(ひと)、彼女と一夜を過ごしたい

春に雪が降るという
澄んだ水の清津港の傍
夢の虫のような雪片が
寝床を暖かく濡らす夜
妻を南に残し
私は罪を犯す心もなく
絡んだ髪とワカメの匂いを嗅げば
恥らいもなく太くなる肩と腕
韓半島の腰を抱きしめるように
さらに深い新天地の中に
力強く私を押し入れると
海全体に波打つ
清津の女(ひと)、彼女と一夜を過ごしたい

私が暮らす南の国
寂しい雪が降れば
全てを与えたら
初めて一つになれる日
そのときめく初めの明け方に
東海の赤い海のような子を生んで
溢れる乳を飲ませるだろう清津の女(ひと)よ
そうして
私たちは干渉を受けない夫婦になりたい



※文在寅新政権が誕生しました。
前回の大統領選挙のとき、日本のTBSテレビに応援する人として
安ドヒョン詩人がインタビューされていて驚きました。
朝鮮半島の平和統一を進めてくれる人として文大統領を
推したいと語っていました。
「清津の女」も統一を願う詩です。
エロス的な結合は、高銀の作品にも見られます。
民族の根底に、身体性、官能性、生命力を感じます。
理念ばかりではなく、こうした身体的な一体化を詩人は表現します。
そうして人間の普遍的な望みとして共感を広げています。

安ドヒョン日訳詩集『氷蝉』の解説を書いた柴田三吉さんは、
「ここに書かれた「清津の女」が、分断された民族の、半身の比喩で
あることは一読してわかる。けれど統一への願いを、政治的な言語で
語るのではなく、アン・ドヒョン氏は、抒情に託して語る。
それによって、願いは肉体化し、読む者の心に深く降りてくる。
彼の特質がいかんなく発揮された作品と言えるだろう」
「政治は、人を憎しみに導くものではなく、新しい生命を生み出す
ものでなければならないと語られる。まさに政治的なものを無化する、
魂の交接をねがう、エロティシズムに溢れた作品だ。」と述べています。

日本は「韓国併合」し、南北分断を固定化した朝鮮戦争を
経済成長に利用したのに、今も朝鮮半島の危機と被害者意識を
あおるだけで、半島の人々がともに愛情深く暮らしたいと願う
根底的な気持ちをまったく汲み取ろうとしないのは情けないことです。
安ドヒョンさんは私が昌原KC国際詩文学賞を受けたとき、
鄭一根さんの計らいで電話でお祝いの言葉を下さったのです。

※アン・ドヒョン 一九六一年慶尚北道生まれ。
一九八四年東亜日報新春文芸に詩「ソウルへ向かう全ボンジュン」で当選。
詩集『ソウルへ向かう全ボンジュン』『焚火』『あなたのところに行きたい』
『寂しく高く侘しく』等。大人のための童話『サケ』がベストセラーになる。
日本語翻訳詩集『氷蝉』(韓成禮訳・書肆青樹社・1800円+税)





『生命の詩人・尹東柱』

多胡吉郎著『生命(いのち)の詩人・尹東柱 
『空と風と星と詩』誕生の秘蹟』書評
詩への愛と実証精神が合体した刺激的な研究書   佐川亜紀


今年は詩人・尹東柱生誕百年になる。日帝支配末期に
夭折した朝鮮詩人として日本で最も有名で、特に一九八
四年に伊吹郷訳の『空と風と星と詩 尹東柱全詩集』(影
書房)が刊行されて以来親しまれ、留学先の立教大学と
同志社大学など、東京、京都、福岡、大阪等々で追悼と
学びの会が開かれ、新訳や研究が次々に出て、驚嘆する。
尹東柱の詩の魅力は尽きず、二七歳で「朝鮮独立運動」
の思想犯として獄死した悲惨が読者の胸に迫るのだ。

「逝(ゆ)く日まで空を仰ぎ
一点の恥のないことを」(「序詩」冒頭・多胡吉郎訳)
ファシズム時代に精神まで総動員され、恥に満ちた行い
が蔓延し、現在では恥という言葉は死語になった観があ
り、尹東柱の清冽な詩句がいっそう貴く感じられる。
本書は、詩人の真髄に近づこうとする文学的情熱と、
歴史をたどる冷静な実証精神が合体し、斬新な視点に富
んだ研究書である。著者の多胡吉郎氏は一九九五年の尹
東柱五〇周忌を機にNHKのドキュメンタリー番組を制
作した。KBSと共同制作で、日本で初めて知る人にも
尹東柱の詩と人生の核心を分かりやすく伝え理不尽な歴
史も考えさせる内容だった。多胡氏の関心は番組制作に
留まらず、NHK退社後も「生を導いてくれる精神的支
柱のような存在」と思うくらいに愛読し、研究を使命と
考えてきた。論議を呼ぶテーマにも取り組み、従来の
説や既存の肖像を新しい角度から調査・再考している。
詩においては、多胡氏が英国で文筆生活をした事から英
米文学やモダニズムに関係する視座が特色と感じた。

〔第1章『病院』から『空と風と星と詩』へ〕では、
英語の「mortal」を通して「序詩」の日本語訳で問題と
なった死と生について独自の理解を打ち出した。また、
清書用の原稿用紙の書き込みまで細かく調べ、詩集題名
の変化に注目すべき観点を示している。書き込みに、ア
メリカ作家ウォルドー・フランクの「美を求めれば求め
るほど、生命が一個の価値であることを認める」との言
葉の日本語引用があり、社会の病から生命意識に詩精神
を飛躍させた尹東柱の到達点だと説く。生命という普遍
性を重んじる所が本書の要である。尹東柱文学を民族性
から世界性へと共感面を照らすのは近年の傾向だ。

〔第2章「半韓」詩人がつづった「我が友」尹東柱
(前編)〕と第3章(後編)は、尹東柱と詩友だったと
詩に書いた朝鮮育ちの詩人・上本正夫を追っている。上
本氏の詩と証言に信憑性を確信はできなかったが、崇実
中学校交友誌に載った尹東柱の詩「空想」にはモダニズ
ムの影響が見られ、超現実主義派の同人誌に誘われた可
能性もある。だが、戦争で人々が苦しむ現実に直面し、
尹東柱は技術としてのモダニズムを超えたと考える。

〔第4章 同志社の尹東柱。京都で何があったのか?〕
は、同志社の旧友たちが朝鮮に帰還する尹東柱を囲んで
ピクニックに行ったときの写真から日本の学生たちとの
友情を感じ取っている。一方、教授からスパイの嫌疑を
かけられたことも推察する。友情や学問の理想と、帝国
支配の残酷さと監視恐怖が二重に映し出される。

〔第5章 福岡刑務所、最後の日々(前編)〕、 第6
章(後編)は、もっとも論議を呼ぶ箇所だろう。尹東柱
が「人体実験の注射で殺された」のは事実かどうかを新
しい資料や証言を加えながら丹念に検証している。韓国
では人体実験説が有力であり、例えば『尹東柱評伝』(
宋友恵著 愛沢革訳 藤原書店 二〇〇九年)では綿密
に検討して、友人・宋夢奎の証言の意味は既定の事にな
っている。しかし、多胡氏は、番組制作をするとき、「
人体実験」は重大主題でありながら、完全な確証を得ら
れなかった。その後も様々な面から探査したが、明確な
結論は出ていない。だが、性急に結論を出さず、幾重に
もめぐらせた調査と洞察に教えられることも多かった。
当時の社会状況と尹東柱が置かれた生活環境がより具体
的に伝わってくるからだ。もちろん、不当な逮捕投獄と
獄死にまで追いやった非人道的な処遇は猛省しなければ
ならず、真相究明が進むのは著者の願いである。

〔第7章 そして詩と、本が残った〕では、尹東柱が
所蔵した日本語書籍の傍線や書き込みを熱心に精査し、
詩精神を想像する努力をしている。尹東柱は、ともする
と「朝鮮語で詩作したこと」のみが讃えられがちだが、
詩の基盤の重層性を理解することも大切だと知った。
読書歴に関しては尹東柱研究の先達であまたの貢献を
している大村益夫氏の仕事もある。
文中や章末には訳詩を掲げ、著者の新訳も入れ、詩へ
の愛が根本に存在していることが分かる。
尹東柱については日本軍国主義支配の歴史ぬきに語れ
ないが、多方面から資料を収集調査し、世界的に読解を
広げることで詩の滋味が今後さらに増すと思える本だ。

(「図書新聞」)








羅喜徳(5)

時々春が訪ねて来て

私の言葉があなたに流れなくなってずいぶんたった

言葉は
口から出る瞬間 空中で凍りつく
空に届くやいなや固くなってしまう クモの糸のように

沈黙の風説だけが生い茂るばかり
言葉の氷の欠片があちこちに散らばっている

時々春が訪ねて来て
新たに日光を受けた言葉が
温かい水の中に溶け始めた言葉たちが
聞こえ始める、かげろうのように
みずみずしくなった言葉が別の言葉を呼んでいる

どうぞ
この騒がしさを許したまえ



私の中の女たち


私の中には
半分だけ血が巡る一株のモクレンと
葉先がつんつんしたチョウセンマツ、
葉をいっぱい曲げた二、三株のボタン、
花を早く咲かせてしまい
もうどうしようもなく生き残ったライラック
このような女たちが何人かが暮らす
一枚の土地に心を寄せてからは
彼女たちが根を下ろし
私の魂の足首もつかんでくれるよう
どこへも行くことができず
風の音も聞くことができないまま生きられるよう望んだ
風の道はとても高いか とても低いところにあった
ある日は剪定ばさみを手に取り
生い茂った枝をやたらに刈り取りもした
刈り取りながら私の葉先に私が刺され
そんな日の晩は
私の中の根たち、彼女たち、疲労困憊で病を患ったりもした
別の庭で数十輪の花たちが
爆竹のように開き出した春の日
私の片方のわき腹には一輪のモクレンがようやく咲き出した
すぼめたボタンの葉の間にたまっている
数滴の雨水はたやすく乾かなかった
ライラックのとうに広がった香りは戻ってこなかった
風はわざと知らんぷりして私のそばを通り過ぎて行った


※羅喜徳(ナ・ヒドク)の2015年刊行の詩画集『彼女に』は、
60編の詩と、韓国や米国など世界の国々の女性に関する絵画を
合わせた美しい本です。
前にご紹介したように羅喜徳さんは1966年生まれで、多数の
詩集を出版し、「現代詩人賞」も受賞された実力派の女性詩人です。
先代の女性詩人・文貞姫さんが女性の声をストレートに書き、
挑戦的な態度だったのに比べ、羅喜徳さんは心理を細やかに汲み取り、
表現も繊細になっています。「言葉」について、文さんは「声」の
要素が大きかったのに対し、「言葉」そのものを物質として見る
傾向は若い世代に共通するようです。





丁章『在日詩集 詩碑』

その何者かがサラムである

自分が
日本国民でも
大韓国民でも
朝鮮民主主義人民共和国民でもない
何者かであることに
在日はもう気づいている
その何者かがサラムである
しかしまだ在日は
サラムを生きようとはしない

サラムを生きる者は
コリア系日本人を生きるのではなく
在日韓国人を生きるのではなく
在日共和国人を生きるのではなく
在日サラムを生きている

国家ではない また別の共同体を
国民ではない また別の民族意識で
ひとりひとりがつながってゆく
その何者かがサラムである

在日はもう気づいている
しかしまだ生きようとはしない



指先の疼き


疼く指先を見ている

刃物で爪ごと殺げ落ちて
露わな肉に血がにじんだ
中指を見つめている

きのう仕事中に
キャベツ切り機の回転刃が止まりきる寸前
指先を入れてしまった

指先が
不本意に受けとめた
回転刃の重み
ずっしりとした
その瞬間の感覚が
今も指先を去らない

疼く指先を見つめながら
ハラボジの指先を想い出す
若き日に
不本意に田畑を奪われた故郷から
食いぶちを求めて渡ってきたこの列島で
ありついた職場での仕事中に
切断機の刃で落とした
その人差し指を

そういえば安重根(アンヂュングン)義士は
不本意にすべてを奪われてゆく半島の
仇への復讐の意志を表すために
薬指を自ら斬り落とした

ハラボジの人差し指が受けとめた重み

安重根の薬指が受けとめた重み
そして
きのう中指が受けとめた重み

今もつながってゆければいい

殺げ落ちても爪は
また生えてくる
いずれ疼きもやむだろう
だがきのう受けとめた瞬間の重みを
これからもずっと忘れまい
次こそ不本意に指先を
失ってしまわないために

きょうもあしたも仕事がある
今も疼く指先を見る



丁章さんの十二年ぶりの第四詩集『詩碑』が出版されました。
1968年生まれの在日3世である丁章さんは、「無国籍者」を
貫いています。「国家ではない また別の共同体を/
国民ではない また別の民族意識で/ひとりひとりが
つながってゆく/その何者かがサラムである」とは「在日」を
創造的に生きるために大切な考え方です。
民族の歴史をふまえながら国家国民を超えていくことが
「在日」の未来、ひいては世界の未来の在り方だったはずです。
しかし、現在まさに、この未来が危機に陥っています。
EUも崩壊の恐れに揺さぶられ、ナショナリズムに凝り固まり、
移民を排斥する圧力が移民の国アメリカでさえ強烈になっています。
移民が悪いのではなく、富の偏りは支配層、富裕層の巧妙な
税金逃れや利益回路に元凶があるのに他者を敵視するのは
お門違いであり、戦争への誘導だと思えます。

詩「指先の疼き」で、仕事中にキャベツ切り機の回転刃で
「爪ごと殺げ落ちて/露わな肉に血がにじんだ/中指」は
何かに不意に肉体を裁断される痛みを感じさせ、
身体感覚にすぐれた作品です。
植民地時代「ハラボジの人差し指が受けとめた重み」と
「安重根の薬指が受けとめた重み」と
自分の受けとめた重みが「今もつながってゆけばいい」
「次こそ不本意に指先を/失ってしまわないために」
という意志は回転刃の歴史の脅威に対峙しています。

詩「犬肉を共に」は「和人の女」である妻と犬肉を食べ、
「また新たなふたりだけの時空を/共に過ごしている」
関係を書き、いいなと感じさせる詩です。
妻は犬肉を「あれほど拒んでいた」のに食べます。
在日と和人のふたりは「結ばれたことをゆるせない」オモニ
やハラボジの願いに背いてしまった(詩「天池まで」)のですが、
「新たなふたり」を過ごすことは意味深いことでしょう。

世界中で単一主義や国家主義が吹き荒れ、
「在日」への差別が強まる日本で、
ほんとうに地球的に生き延びる道は何なのか
重要な思想や示唆に満ちた詩集です。
(新幹社 1500円+税)










崔ヨンホン

旅路

─青森にて

崔然鴻

愛する人たちと初めての旅に出たら
愛はもっと深まり
海の波に洗われてもっと清くなり
山の中に降る牡丹雪でもっと美しくなり
少しあやふやだった愛もくっきりする

愛する人たちよ
私たち未知の世界へ歩き進もう
未知の愛が 秋が深まりながら
初雪に触れて白雪の歌になるから 白雪の上に
限りなくさまざまな白雪の歌が降り注ぐ

眠りにつけない喜びで一晩中降り注ぐ白い世界を
燃える灯火の芯はどうしようもなく
温泉の温かい水は私たちの体温を保ってくれて
私たちを酸素と水素でしっかり支えてくれる
牡丹雪が降る まだ十一月が一週間以上も残っているのに



青荷温泉にて 1

一晩中 山の中にふんだんに降る牡丹雪
葉の落ちた木の枝を温かく白い掛け布団でおおってやり
山全体を美しい花園に変えた
温かい水はまだ渓谷に流れているのか
雪は水に触れて水になって流れてゆき
世界中を白黒の水墨画に描いた
深い山間にも夜明けは訪れ
どこから飛んできたのか
ピーリピーリ
雲雀より小さな鳥一羽
木の枝のひとかたまりの雪を落とす
小さな鳥も詩人のように美しい世界を歌うのか
違う一羽の鳥が飛んできて
ひとつがいをなす
雪の中に囚われた生きている者たちの美しい息遣い、
聞こえるのか
もしもし



青荷温泉にて 2

温かい水が私たちの体の細胞一つ一つに入ってきたら
その精気で冬の夜を耐えしのぐ先史時代の人たち
十一月の長い長い夜を待つことで耐え忍ぶ黄真伊*を
ここ 温かい水でお風呂につからせたい一人の詩人が待っている


*朝鮮時代中期の名妓。絶世の美人で詩・書・画に長けていたと言われる。
彼女の残した時調は今も多くの韓国人に広く読まれ、愛されている。(訳注)


※崔然鴻(チェ・ヨンホン)
1941年、韓国忠清北道永同生まれで、延世大学在学中の
1963年『現代文学』の推薦で登壇。
アメリカのインディアナ大学で学び、政治学博士になる。
アメリカや韓国の大学で教授として教えた後、2006年引退。
彼の詩篇はアメリカの多数の文芸誌と『PEN International』
(ロンドン)に掲載され、米議会図書館での桂冠詩人招請で、
韓国の詩人としては初めて詩を朗読する。





文貞姫詩集『今、バラを摘め』

乳房

文貞姫
韓成禮訳


上着をすべて脱がされて
素肌で冷たい機械を抱きしめる
へこんでいく乳房の中に
恐怖がエーテルの強い臭いとなって入り込む
敗残兵のように両手を上げて
明るい月の中に黒点を探し
乳ガンのレントゲンを撮る
思春期の頃からレースの布に
しっかりと包んできた乳房
誰にでもあるのにいつも
女のものが問題になって
まるで恥ずかしい果物でもぶら下がっているように
深く隠してきた乳房
母がこれで
知恵と愛を口に入れてくれたように
世界の子供たちを育んだ肥沃なる大自然の丘陵
幸い私にも二つもあって嬉しいけれど
長い間、本当は私のものではなかった
愛する男のものだったし
また赤ん坊のものだったから
しかし私は今、上着をすべて脱がされて
素肌で冷たい機械を抱きしめて立ち
この乳房が私のものであることをひしひしと感じている
明るい月の中に黒点を探す
だらりと垂れた哀しい乳房を撮りながら




ラブホテル
韓成禮訳

私の体の中にラブホテルがある
私はそのホテルによく出入りする
相手のことは聞かないで
しきりに替わるかもしれないから
私の体の中に教会がある
私は一日に何度も教会に入って祈る
時々泣いたりもする
私の体の中に詩人がいる
常に詩を書いている でも気に入るものは
滅多にない
今日の講演で、ある著名な教授が言った
最近この国で一番多いものを三つ挙げれば
ラブホテルと教会と詩人だと
私の全身がぶるぶると震えた
ラブホテルと教会と詩人が一番多いところは
まさに私の体の中だったから
ラブホテルには真の愛があるだろうか
教会と詩人の中に真の夢や詩(うた)があるだろうか
そう思うと、私の体の中にラブホテルがあるのは
教会が多くて、詩人が多いのは
本当に悲しい話である
訪れるはずのない愛を渇望しながら
私は今日もラブホテルに入る


※『文貞姫詩集 今、バラを摘め』(韓成禮訳。思潮社。2016年)
からご紹介しました。「訳者の言葉」で韓成禮さんが「韓国でまだ
フェミニズムという言葉さえなかった一九七〇年代初めに、独自的な
体験と自覚だけで、ありのままの堂々とした女性の本質を表現し、
韓国女性詩のそれまでの歴史を覆した」と評していますが、移入では
なく、自分の身体からの叫びとして女性を解き放っていてたいへん
心を揺さぶられます。
高校生の時から注目され、第一線で活躍し続けながら、
老いを迎えた肉体を見る目は冷徹で、男文化に消費されない
人間の根源にもとづいた詩が彼女の基盤にあることが分かります。
野性や奔放さはすべての生命の噴出を感じさせてくれます。

*文貞姫(ムン・ジョンヒ)一九四七年、全羅南道生まれ。高校時に
詩集『花の息』を出版し、以降、『おいで、偽りの愛よ』『男のために』
など全一三巻の詩集を刊行した。アイオワ大学国際創作プログラム参加、
メキシコ取材など世界的に活躍している。





『宗秋月全集』(2)

哀のパラドックス
宗秋月


逆説の箱をあけると「君が
風前の灯のごとき生が
遺憾であります 誠に誠に
哀惜に耐えられません哀号!!」
哀号の声がたちのぼる。
まさに君が世にあるこの瞬時に
イカンともしがたい寿命の尽き果てる
この瞬時に オオカミに非ず
人に非ずの抽象の象徴が やっと
あゝ やっと個として具体化し
人間に戻れたことを君がために共に
喜こぶ昭和余年の今は秋
野辺に咲き誇る菊花に情が舞う。
君、死にたまうことなかれ今しばしは。
日鮮同祖論のオオモトのオオカミの
血が 君が血が流れている故に
赤子とされ連行されてきた我が父は
筑豊炭田の坑夫であった我が父は
忍苦鍛錬して立派な国民になりますと
なる なれ ならねばの皇国臣民誓詞を
そらんじたという我が父は列島の
土くれの成分として霧散してしまい
君が世の君が国土の滋養となった。
あゝ 君、君死にたまうことなかれ。
君もまた国民でないから人権の無き
基本的人権を剥奪された人であったと
田農丙下と創氏改名をした我が父が
犬糞食衛と源氏名をかむった我が父が
人権の無い非人として生きた我が父が
こときれる間際の絶叫あるいは虫の息の
絶え絶えに遺した言葉だった。
君 死にたまうことなかれ今しばし。
生きて耳をかたむけよ我が父の遺言に
俺は君だ!!君もまた俺だ!!の哀説を聞き
渾身の力ふりしぼり最後の力で
不逮捕の特権から離脱し自由にならりるれを
陰ながらお陰に祈れる幸いを
昨日から今日そして明日につなげるが
ために あゝ君 そのまま
死にたまうことなかれ
哀号!!

(「朝日ジャーナル」一九八八年十月十四日号)


「哀のパラドックス」は、ノーマ・フィールドさんが
『天皇の逝く国で』(大島かおり訳・1994年みすず書房)の
巻頭詩として掲載したことで米国でも有名になり研究者も
ふえているようです。ノーマ・フィールドさんは、アメリカ人の父と
日本人の母を持ち、ハイスクールまで日本で育ちました。
感覚として日本と米国の間で「宙づりになってい」るようで、
昭和天皇が1988年9月に倒れ、翌89年1月に逝去するまで、
日本社会で起きた自粛と喪の在りようをアイロニカルに描写
して大変興味深い本です。バブル景気で、戦後日本資本主義の
繁栄を確認する日々でもあった喪に際し、、天皇制や天皇と戦争を問う
言説はほんの少ししか見られませんでした。

その中で、宗秋月の「哀のパラドックス」は抜群の輝きを放ちました。
植民地支配時代に唱えられた「日鮮同祖論のオオモトのオオカミ」
である天皇と、「君が血が流れている故に」天皇の「赤子」として
「筑豊炭田」に強制連行された朝鮮人の「我が父」は基本的人権を
剥奪されていること「国民でないから人権の無き」は同じだ、
と一方的な「哀」に逆説を唱えたのです。
「俺は君だ!!君もまた俺だ!!」という明察をつきつけた類まれ
な詩です。異形のリズム、臣民に<なれ>という命令形に
逆らえば<ならねば殺す>の日本社会構造の元にある天皇制を
グロテスクなユーモア、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」
のパロディーを入れ込み、批判力は出色です。


宗秋月の朝鮮人としての自覚は、佐賀で朝鮮人土木作業員の
日本人妻から、民族性を拒否していることをののしられたのが
きっかけと語っていますが、内なる差別に対する洞察力は鋭利でした。
座談会で「差別を受ける側に差別がみえているかといえば、
そうでないんですよ。私達も差別者、加害者であったわけですね。
たとえばハンセン氏病に対してどうだったのか」と自問しています。





『宗秋月全集』(1)
― 在日女性詩人のさきがけ


キムチ
宗秋月

かわらのうねりに
朝がくると
女は壺の中から キムチを出して
シャク シャク 刻む
むかし むかしの そのむかしから
変らぬ女の日々の仕草よ
土くれの野の
あおい匂い
にんにくの匂い
白い菜にとうがらしの染まった
まっかなキムチ
くちをゆすぐ息子に
チューインガムをかむ娘に
食卓の上のキムチは
それでも
食指をふるいたたせ
胃袋までをも
まっかっか
ひりひり ひりひりと染めてゆく
女の指も まっかっか
朝ともなれば シャクシャクと
庖丁の先から
ふるさと刻んで

<おまえたち
<おまえたち
起きなさいよ>



祖国がみえる

ふところの中では見えないが
頂きに登ると
晴れ渡った日には済州島が見えた
九州の連なる山の中のひとつ
天山からは
朝鮮が見えた

指をまるめて幼いころは
おおい おおい
おまえが 私の祖国なのか
絵でしか逢えることのない祖国
まるい指の中の朝鮮
おおい おおい
おおい と叫び暮らした

その山と
遠く離れた大阪に住む今も
指をまるめて
私はさけぶ
おおい おおい
おおい



※宗秋月の作品は、在日朝鮮女性詩人の草分けというだけで
はなく、文学史上、重要な位置を占めている。
在日朝鮮人文学では、男性一世文学者が解放後まもなく優
れた文学作品を次々に発表し、山脈のような偉容を形成して
いった。男性文学者は、国家・言語、政治・歴史がメインテ
ーマであり、特に在日朝鮮人の場合は、激動する政治歴史に
より、どんな政治体制をめざすか、どのような社会を展望す
るか、どの言語で書くかなど、自己の文学的存在を賭ける問
題に深く囚われざるをえなかった。それらはある面で非常に
思弁的、観念的な言葉として提出された。
在日女性もそうした問題に決して無縁だったわけではないし、
在日朝鮮人文学者の場合は歴史や社会にどんな形であれ、
かかわらずにはいられない。けれども、下位に見られていた
暮らしや子育ての現場から声をすくい上げ、より人間的・生
命的な思想にまで豊かにしたことは高く評価されるべきで、
もっと注目されるべきだろう。
在日一世女性はまず生計が多忙で、文字を書くことすらま
まならず困窮する生活を支えることでせいいっぱいだった。
「女であり母である人は/人間である事を男に まず ゆず
らねば/一日たりとも たちゆかぬ」(「マッコリ どぶろく
濁り酒」)と宗秋月が詩に書いた生活が実際だった。女性が文
学に携わることへの差別と偏見も根強く潜んでいただろう。
インド人女性哲学者・ガヤトリ・スピヴァクが指摘したよう
に性・植民地・階級の重石によって自らの言葉を語れない
<サバルタン〉の存在は世界的な問題として照明が当てられた
が、宗秋月は自らがサバルタンである側面を持ち続けつつ、
多くの語れぬ在日女性「我が愛する朝鮮の女たち」の代弁者
にもなった。(「解説」の一部)

(土曜美術社出版販売・4200円+税)









『金里博詩集 永遠の躑躅』
翻訳・秋山一郎


魂(1)

老いぼれ痴呆になっても、寝たきりになっても
思いはただ一途、祖国の土草(つちぐさ)になる望み
他国に留まり住んでもアリランの骨肉として生きたい


叫び(2)

ああ、朝やけ、今夜の夢は正夢でなくては
在日七十年、孫は新世代、まるで異邦人のよう
流れ行く ああ、流れ行く、諸行無常・・・


章の3 第二

東海を下る親潮(おやしお) 黄海を上る黒潮(くろしお)
四季はいつも大漁、大漁節
ああ、互いに行けない南北、鴨豆よ、南海よ


亡き父の思い出(3)

1945年8月15日、祖国解放の日、息子4歳
大声を上げながら涙を流していた父
強制連行された後、帰れず悲しい在留三十五年


永遠の躑躅

「私の花は山つつじ、桜ではない!」と
我が子を愛(いと)おしみ教え育てて下された父母
異国で閉じた命なのだけれど二つと無い誠だった


詩集『永遠の躑躅』は、金里博詩人の四冊目の時調集です。
時調は韓国の定型短詩で、韓国語で創作され、訳者は秋山一郎さんです。
ソウル市のオルレピッ社から出版され、韓国の人々にも発信しています。

日本に暮らしながらも祖国を思い、統一を願う詩句が切実に響きます。
解放前の二歳の時に日本に渡り、在日生活の中でも韓国語の普及と
創作に熱心に励んでこられました。

本詩集は「亡き父母の思い出」「韓国、『四月学生革命』に殉じた
熱く若い魂」、四季の風物などを通して望郷を歌っています。
しかし、「孫は新世代、まるで異邦人のよう」と在日の変化も
とらえ、複雑な心境をのぞかせて今日性を感じます。


※金里博キムリバク 1942年韓国慶尚南道昌原郡に出生。
父が大阪久保田鉄鋼所に「徴用令」により強制徴用され、
1944年満二歳時に母と渡日。1963年京都朝鮮高級学校
卒業。1970年朝鮮大学理学部を卒業。
1987年以降、大阪府枚方市教育委員会朝鮮語教室、
近畿大学、関西大学、龍谷大学にて韓国語を講じながら
「在日本韓国文人協会」会長を務める。
「韓国文化観光省」により「韓国語・語文守り人」の賞を受けた。 










高銀『無題詩篇』3


無題詩篇23

佐川亜紀訳・権宅明監修

違う地方に行くべし
違う民族に行くべし
私は
そこから帰ってくる誰かだろう

そうでない私は
どの誰でもない
どの誰かのミイラだ

一生行くべし
花なく
栄光なく



無題詩篇27


済州島よろずの神たちよ
日本列島やおよろずの神たちよ
孔子以前
中国先史百万の怪力乱神たちよ

古代ギリシャ神話の中の神たちと英雄たちよ
古代インド八億八千万の神たちよ
現代インド三億三千万の神たちよ
毎日
朝ごとにまた生まれるまだ名付けられない神たちよ

風神よ
霧雨神よ
夕立神よ
雲神よ
土地神よ
草神よ
樹木神よ
松神よ
朝鮮松神よ
リス神よ
イノシシ神よ
ウリボウ神よ
雷神よ
星神よ
月神よ
太陽神よ
小川神よ
川神よ
海神よ
海底の竜宮竜神よ
竜宮の竜民たちよ
山神よ
家ごとの家の守り神たちよ かまどの神たちよ
道神よ
田神よ 畑神よ
トウモロコシ神よ
米神よ 麦神よ
小麦神よ
果実神よ
マグロ神よ
カレイ神よ
ノルウエー鮭神よ
韓国鮭神よ
地震神よ
火山神よ
古代神よ 未来神よ
アラーよ
エホバよ
エホバよ
チョルリョンパルブ神将*よ
おばあさん神よ 
曾祖父神よ
宇宙 天の川の各界の神たちよ
あなたたちにささげる供物がここにある
ああ わがつまらない人身供養

ほら
ほら
わが干からびてしわくちゃになった丸焼の生贄を どうぞ召し上がれ


*天竜八部神将軍:八部衆。仏法を守る八神将。




高銀『無題詩篇』2


無題詩篇1
佐川亜紀訳・権宅明監修

さっと来て
さっと行く
頂上の花
あの下
私の慢性の煩悩の行列



無題詩篇2


青空が恐ろしい
夜空が恐ろしい
怒らない海が恐ろしい
シベリアが恐ろしい

ここで私は真っ青に芽生える



無題詩篇17


理不尽にも
30年前の金ワナを思い出す

金ワナ
今日書いたこと
あさって
しあさって
もう一度書いてみて
天才は鈍才の友だよ

その金ワナを思い出す
理不尽な
南アフリカで

金ワナが彼の研究室でセミの声を聞くとき
彼はセミだけではない
セミがとまっている木の枝だ
その木全体が鳴く声を聞く

金ワナがいる韓国の大田は
ここから一万数千キロメートルあちら
ところがここでも
そのセミの声が聞こえる

幻聴の真実!

韓国は遅い春
ここは晩秋
去ってしまったセミの声
去ることのないセミの声

ここに来て
ぼくの人造鼓膜の耳は深く深い
とうとう
世の中全体が泣く声
ぼくはその声の中に埋もれている
寂寞とは 耳が遠くなるとは
ついに 世の中すべての痛哭への難聴であること

ぼくは来ないセミの声だ
行ってしまったセミの声だ
今日もこちらのニュースは
マンデラの体の具合だ







高銀『無題詩篇』1


無題詩篇5
佐川亜紀訳・権宅明監修

ぼくの願いがある 鈍い石の願いがある

帰ってくる道
電車の隣の席
日雇いの母さんと娘
何々だと 何々だと やり取りする言葉を聞く

ああ 韓国語の無名よ

戻って
国語辞典を取り出し
寝入った言葉たちを見る
目覚めた言葉たちが僕を見る

ぼくの胸から血が巡る音がニウンニウンミウムミウム*出る

お前 韓国語よ どうか三百年だけ
息をしろ 息を吐け
三百年だけ死なないで
必ず生きていろ
そうすれば その後の千年
不可避の孔雀石のような
変化無双が来るだろう


*韓国語の子韻の名前




無題詩篇13


その砂漠の西方
その砂漠のどこに
どうしようと
どうしようと
不意に岩一つ突き出て
その岩の上
不意に真っ赤な花一つ現れ
三日間 行くだろうか
四日間 行くだろうか
ぼくの舌の下の芽 乾いてしまった真昼であって
夜になれば
肉の中の骨 真っ青にあざができた寒さだけの
その砂漠の西方

その花一つ
強い死を目の前にした強い生
五日間か
六日間か

タリバンの銃声がそこまで来た


※高銀詩人の2013年11月20日刊行の1013頁!
の大冊詩集です。「無題詩篇」は539番まで書かれて
います。2014年1月21日には2刷になっています。
韓国語への愛と世界的な視線が今も生き生きし、
自由自在に創作されています。
(創比(韓国)社、38000ウオン)




朴正大『チェ・ゲバラ万歳』2

アラブの馬のように


権宅明訳・佐川亜紀監修

僕の言語は砂漠の匂いを嗅いたアラブの馬のように猛烈に地平線に向けて走り出すだろう。

しかし今僕の言語は疲れたアラブの馬のように夜の砂丘に辿り着いている、
そしてここには僕の言語も疲れたアラブの馬も夜の砂丘もない

ただ狂った馬のように、激烈に、くねくねと動きながら、古びた人生の孤独の中に僕は浸っている

さあ、見なさい、うめき声を出しながら死んでいく馬、それが僕の言語だ

気の狂ったものたち、猛烈に狂っていくものたち

僕は気ぜわしく太陽に向けて走った

太陽の温度を無視したことだったけど僕は烈々と温度の中へ飛び込んだ、火山の心臓へ
世界の本質の中へ 飛び込む全身の哲学者のように

僕は激烈にきみの心臓の中へ飛び込んだ、たった今まで吹いてきた風の匂いを忘れた
アラブの馬のように

きみの心臓の砂漠から吹いてくる匂いは僕を狂わせたのだから

それは僕がずっと以前に枕にして眠ったりした大地の匂いに似ていたから

僕は壮烈にきみの匂いの中へ投降した

きみの香りが永遠につづくと思ったから きみの体温が僕を完成すると信じたから

今日僕は疲れたアラブの馬のように首をうなだれて砂漠を抜け出てくる

太陽の温度はあまりにも熱く砂漠は僕の血を乾かす

人間の感情は変形が可能な一つの物質

過ぎてみれば世のあらゆる砂漠はただ太陽が炸裂する強烈な砂原であるだけなので 
今になって僕は僕を猛烈に後悔している、
そのすべてのものを蕩尽したアラブの馬のように


(以下、原注)
*「アラブの馬には」にはコルテスの馬がどこかに一匹の孤独のように
うずくまっているだろう。
それは多分綿畑の孤独の中から来たのだろう
いや どうやら森に至る直前の夜から来たのかも知れない
とにかく僕はコルテスの馬に乗ってム―ジルの夜に辿り着きたかったのかも知れない
いや どうやらそのどんな所にも辿り着きたくなかったのかも知れない、
猛烈に、壮烈に、完璧に狂った、この地上の夜から、僕はただ呟いただけだ、
道に迷って一匹の孤独のように、アラブの馬のように


※『チェ・ゲバラ万歳』の特徴は、世界的な地名や文学者を多く入れていることです。
コルテスは、ベルナール・マリ=コルテスのことで無頼で孤独な作家への共感が見られます。
「うめき声を出しながら死んでいく馬、それが僕の言語だ」は、詩的言語の衰退を示しています。
「そのすべてのものを蕩尽したアラブの馬のように」資本主義の砂漠で後悔し、孤独に
うずくまる現在の人々の姿が表されているでしょう。





朴正大『チェ・ゲバラ万歳』1

革命は一匹の感情
権宅明訳・佐川亜紀監修


僕は歩いていきながらパリ大平原を吸血した、パリの下水溝はそのとき生まれた。

歩いていく風景たちのうなじに歯を食い込ませるたびに桃の花 桃の花が咲いた、
ぺール・ラシェーズ、モンパルナス、モンマルトル

サン・ラザール駅は中華料理屋のそばにあった

中華料理屋は小さなタバク*のそばに タバクは桃の木のそばにあった

桃の花が咲き出すとき皿洗いを始めて 桃の花が散るとき皿洗いを終えた

地上に置かれた数万本の血管にしたがって僕はきみの中へもぐり込んだ

タバコの煙は我が魂の桃の花

革命は一匹の感情

パリ大平原の夜空には潜熱のような宵の口の星たちがぎっしりキラキラ

夜空の立場から見たらパリは星たちの流れる 人間の美しい下水溝だった

前職天使の立場から見るとき パリという都市はこのように発明された


*tabac:フランス等ヨーロッパの街頭にある小型売店で、新聞、雑誌、
タバコ、飲料水等を販売している。(訳注)




哀悼日記


荘厳な悲しみが僕を産んだ、無限の風が吹いてくる夕方

冬の夜を白く押し出していく吹雪が僕を産んだ、吹雪は地上に届く前に宙に僕を産んだ

僕は吹雪の子、冬の夜なら無限の風に乗って地上を流離う者

僕は宙で哀悼する者、宙に漂う言葉たちを集めて人々の屋根のための哀悼日記を書く

哀悼日記が人類の温かい屋根になる日僕はコートをなびかせながら地上に届くから、見よ

吹雪、この世の果てに羽をはばたかせながら一面おおって押し寄せていく鳥の群れよ

これは未だに地上に届けなかった息の詩

それは哀悼の対象

あれは未だに白色を帯びた悲しみの肉体




※朴正大(パク・ジョンデ)
1965年江原道の旌善で生まれた。高麗大学国文学科を卒業し、
1990年『文学思想』に「蝋燭の火の美学」他6篇でデビューした。
詩集に、『短編たち』『我が青春の激烈比列島には未だに音楽のような雪が降るよ』
『アムール・ギター』『愛と熱病の化学的な根源』『生という職業』
『あらゆる可能性の街』を刊行した。
金達鎮文学賞と素月詩文学賞、大山文学賞(『チェ・ゲバラ万歳』で)を受賞し、
現在、無加糖タバコクラブの同人。
インターナショナル・ポエトリー急進野蛮人バンドのメンバーとして活躍中である。

※キューバとアメリカが88年ぶりに国交回復しました。
キューバ革命に参加し、英雄として有名なチェ・ゲバラを讃えるのは
もはや時代錯誤のようですが、朴正大はあえて万歳を叫びます。
挫折の苦さと悲しみをかみしめながら、革命への永遠の憧憬と
野生の噴出を追い求めています。
『チェ・ゲバラ万歳』は叙事詩ではなく、ポストモダンの方法で
書かれているのも興味を引かれます。










羅喜徳(4)

言葉*たちが帰ってくる時間
佐川亜紀訳・権宅明監修


言葉たちが帰ってくる
水滴を散らばしながら 砂粒を掘り起こしながら
海の彼方から 世界の彼方から

白いたてがみと 黒いひづめが
時間の背を殴り付ける 鞭のように
押し寄せ 砕け 押し寄せ 砕け 押し寄せ

私は水泡の中に歩いて入っていく

この海辺に着いてはじめて
ヒヒヒヒフン、私の中から一匹の馬が解かれ出てくる

言葉の瞳
私をしばらく眺めては波の中に消える

行け 行って 帰ってくるな
この窮屈な体には

今は言葉たちが帰ってくる時間
数万の言葉たちが帰ってきて一頭の馬になり消える時間
白い水泡として宙に散らばる時間

*韓国語では「言葉」と「馬」が同じ文字で表され、
この詩は二つの意味を含み、ダブル・イメージを巧みに用いて
想像力を多層的に喚起しています。
「言葉」の所を全部「馬」に変えて読むと別の面が現れ、
また「馬」を「言葉」に変えて読むと違った意味が生じます。
言葉の原初的な野生、帰還と解放、生成と消滅の
ダイナミズムが美しいイメージとリズムで表現されています。

(「詩人会議」2016年2月号海外詩特集に掲載)



泥の人
佐川亜紀訳・権宅明監修

アイルランドでは このような占いをするそうだよ
皿に 指輪、祈祷書、水、泥、コインを載せ
目をふさいだ鬼*にひとつ摘まませるのだが
指輪を摘まみ上げれば すぐ結婚するようになり
祈祷書を摘まみ上げれば 修道院に行くようになり
水を摘まめば 長く生きるようになり
泥を摘まめば すぐ死ぬようになり
コインを摘まめば 途方もない金持ちになるそうだよ
私が摘まんだのは泥、
冷たく湿っぽくて柔らかい質感が
指先に感じられるとき
それは 死が手に触れる瞬間だということに
気付いては ちょっと驚きもする
しかし 私たちは久しい昔 泥で創りだされた人間、
朝ごとに洗顔しながら その感触を感じたりする
水で洗い清める間 少しずつすり減っていく泥のマスクを
よく乾いたタオルで拭きながら
何事も無いように一日を始めるのだ

アイルランドに行かなくとも
指輪、祈祷書、水、泥、コインを載せた皿は
食卓や棚の上にいつも置かれてあるはず
私が摘まんだのは泥、
それで創ることができる多くのものたちがあり
泥が乾く間ひび割れる悲しみも 同じく待っているから
私は目が見えない泥の人
だから 私の手が泥を摘まみ上げても
どうか 驚かないで!
ふさがれていた目をもう一度開けるとしても
私はやっぱり一握りの泥を摘まみ上げるだろうから!

  *占いで指名された人のこと。(訳注)









『上野都訳 尹東柱詩集』

『空と風と星と詩』
序 詩

召される日まで天を仰ぎ
いかなる恥もなさぬことを、
一葉(ひとは)に立つ風にも
わたしは心を痛めた
星をうたう心で
すべての滅びゆくものを慈(いつく)しまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩いてゆかねばならない。

今夜も星が風にかすれて光る

1941・11・20



自画像


山の端(はな)を曲り 畔わきの人里離れた井戸を
ひとり訪ねきては そっと覗いてみます。

水の中には月が照り 雲が流れ
空が広がり 薄青い風が吹き 秋がいます。

そして一人の男がいるのです
なぜか その男が憎くなり立ち去ります。

帰りながらふと その男が不憫になります
また戻り覗いてみると そのままに男がいます。

またもやその男が憎くなり帰ってゆきます
戻りつつも やはりその男が懐かしくなります。

井戸の中には月が照り 雲が流れ 空が広がり
薄青い風が吹き 秋が映り 追憶のように男がいます。

1939・9



訳者の上野都さんは「詩人・尹東柱の詩が好きだ」というひたむきな思いから長年
尹東柱の詩を翻訳し続け、研究されてきた詩人です。2015年、尹東柱が日本で
獄死してから70回目の命日に京都の同志社大学の「序詩」が刻まれた詩碑の前で
朗読され、時空を超えた共感に満たされたそうです。
「私はそこで尹東柱の詩集『空と風と星と詩』から三篇の詩を選んで朗読した。
それらは一九三四年、尹東柱が一七歳のときに書いた詩であるが、それを読む
私は不思議な浮遊感に捕われていた。勿論、私自身の翻訳という行為に濾され
た拙い日本語であったが、彼の詩想とつながる漠然とした時空が、二〇一五年の
私をしっかりと包んでくれていた」

上野さんの訳は、日本語が柔らかで尹東柱の優しさや繊細さがいっそう感じられます。
なめらかで、リズムが整い、日本語読者に浸透しやすい作品になっていると思います。
「序詩」の第一行目の「召される日まで天を仰ぎ」は独自の訳で、尹東柱がキリスト
者である事、キリスト教的死生観の背景を印象付けます。金時鐘訳では、一行目は
「死ぬ日まで天を仰ぎ」とされていて、獄死の最期と覚悟が迫って来るようです。
以前、韓国で伊吹郷訳が議論になったのは6行目の「すべての滅びゆくもの」が
伊吹訳では「生きとし生けるものをいとおしまねば」となっていて、民族の受難や
歴史の現場がぼかされているという批判でした。(私の『韓国現代詩小論集』
土曜美術社出版販売2000年刊・<尹東柱―「序詩」をめぐって>に詳述)
このように短い「序詩」ながら、「死ぬ」や「天/空」をめぐって、さまざまな
死生観や宗教観により翻訳の言葉が違ってくるのも底に深い詩想が
流れているからだと感じさせてくれる新訳です。
(コールサック社・1500円+税)





朴柱澤 3


いつも記憶の真ん中
佐川亜紀訳

ぼくはやって来る。霧の階段を下り ひとり残ったパンのように、
売れない憂鬱のように
ぼくはぼくの足跡を追ってかぼそい光が
続いている記憶の間に立っている

ぼくは人々が懐かしむことを懐かしみながら生きた
だが どの所に立っていたのか ささいなことさえも疎かった

ぼくはやって来る、夜が終わる時まで
記憶からはまた正体の分からない鬼神が生まれるだろう





おまえはおまえを過ぎゆく
たくさんの目がおまえを切り取り食べる時
おまえはそれが息をする音だと分かる

一つであると同時にたくさんのおまえが散らばって おまえは
江南駅出口の前に立っている

おまえが
おまえを過ぎて
おまえがいない所にいる





7階は月に面している
細長い根、地に届こうとする血管たち
誰もいないときにも部屋は引き続き大きく息をしている
肉体が閉じこめられていたら 心はもっと遠くに行くはず
7階の門は空気で閉じられている。
その門の目から抜け出る日付たち
お兄ちゃん、悲しすぎる、でしょ?
ニュータウン再開発の地域から渡ってくるあの遠い湿っぽい明かり
すべての息は悲しい、過酷で、むなしく、静かだ
存在は飢えを握り締めてのたくり
根は頑丈になるため底を集める


※詩集『もう一つの地球が必要になる時』(2013年刊)
「私の話す言葉が私の言葉ではないように、私の書く詩は
私の書いた詩ではない。私はただ廃墟の隙間に入り、
呻くものを救出し、その呻きを書き写すだけである」
(『時間の瞳孔』韓禮禮訳・思潮社刊)より。

地球全体が廃墟となる現在を写しだした言葉は
世界の階段を下りて行きます。

※パク・ジュテク 1959年忠清南道生まれ。詩集『夢の移動建築』、
『カフカと出会う眠りの歌』など。評論集『楽園回復の夢と
民族情緒の復元』など。「現代韓国詩」主幹。 







料理と詩のコラボレーション

『飲食のくにではピビムパプが民主主義だ』

ピビムパプ 
オ・セヨン
中村えつこ訳

飲食(おんじき)のくにでは
ピビムパプが 民主国家だ。
豆もやしナムルにほうれん草 にんじん きのこ ワラビにトラジ
牛肉 鶏卵まで まったくの平等。
肉類の上に野菜なく
野菜の上に肉類のないこの食材
このくにでは みな飯の権利を尊重する。

飲食のくにでは
ピビムパプが 共和国だ
豆もやしナムルはほうれん草と、にんじんはワラビと
牛肉は豆もやしナムルと ともに生きていくすべを知っている。
肉類なくして野菜なく
野菜なくして肉類のない この共同体の調理法
このくにでは だれもひとりでは 生きない。

飲食のくにでは
ピビムパプが 福祉国家だ。
各食材がすこしずつ  ゆずり合い、
各調味料が すこしずつ 犠牲を払い
五種類の色 香り 味として滲みだす
その 奥深い 栄養価、
このくにでは なんびとたりとも 自然に逆らわない。

ああ、飲食のくにでは
韓国が 民主主義だ。
韓国のピビムパプが 民主主義だ。


チョクパル

ファン・ハクチュ
中村えつこ訳

切り分けられた足は 花びらのようにかよわい
ぶうぶう鼻をならす音を聞き分けられなくても
皿の上に咲いた花びらは そっと囁く
もうこれ以上 進めないとき
花は 咲けるのだと
花というのは、避けることのできない その歩み、
あるいは 犠牲 ということ
もっとも美しい花びらは
泥沼の中をもっともよく行き来した部位であるということ
人間の愛 のようなものも
割れ 裂けた足の指のようなところに ときには棲んでいると
口のなかで溶かしていると 耳がこそばゆいからと
ぶうぶうと 私のことはもう言わないでと


※チョクパル 豚足醤油煮。下茹でした豚足を醤油、酒、砂糖、香辛菜、
漢方材などと煮込み、食べやすくスライスして提供する。
※原文ではパッチムのカタカナは小文字です。

◆おいしい韓国料理39品の写真とレシピ、それを題材とした詩と
キム・英子・ヨンジャさんの短歌41編が並んだ斬新な企画の本です。 
伝統料理は生活や風土、味覚、色彩などの個性を如実に表しています。
さらに、韓国では、<民主主義>という政治の言葉が料理の詩にも
登場するのが特徴的です。肉も野菜もご飯も卵も混ぜこぜにする
ピビムパプは、平等と共生の象徴でしょう。
訳者の中村えつこさんは「チョクパル」について「意外に思えますが豚足を
薄くスライスすると花びらのように見えるのです(原書にはそれがよく分かる
図版が付いていた)。この詩を書いた詩人が光州(クアンジュ)の出身と知り、
゛犠牲"という言葉にいっそう深みが出たように感じました。光州での犠牲が
地名に霊のようについていると」と解説しています。1980年の光州民主化
運動で犠牲になった学生、市民を考えると民主主義の歴史は奥深いです。
また中村さんは「たかが食べ物されど料理。料理の向こうには、家族がいて
友がいて故郷の風土があります。お馴染みのマッコルリを謡った詩には、
古阜(コブ)という土地の名前がさり気なく登場しますが、そこは甲午(こうご)
農民戦争(東学党の乱)発祥の地。風土には歴史が刻まれていて、その歴史の
地層が私たちの舌をつくっていることに、あらためて思い至った」と述べてい
ますが、料理と言葉を生み出した多彩な舌と詩がたいへん興味深いです。
(クオン 1800円+税)







許英子

氷と炎
佐川亜紀訳 権宅明監修
    
人は誰でも
その心に
氷と吹雪を抱えている

まだ果たせなかった恨の悲しみが
しこりになり 凍りつき
とうとう砕かれ ぼろぼろ飛び散る
氷と吹雪の冬を抱えている

だから
人は誰でも
燃え上がる炎を夢見る

命の灯心に油が沸き返る
恍惚とした陶酔と投身
長く続いた不運の夜を明かす
情愛深く涙ぐましい真紅の炎を夢見る



鈍行列車

急行列車に乗り遅れたのは
幸運なこと、
小さな簡素な駅の年老いた駅員
風に揺れる黄色い野菊
切なく隠れている寂しい美しさ
あやうく私は知らずにいるところだったよ

鈍行列車に乗ったのは
幸運なこと、
悲しい終着駅は暗闇に染まり
あそこにいつも待っているのだから
ゆっくり とてもゆっくり
刺し縫いのように または 串縫いのように
急ぐことのない人生の喜び
あやうく私は知らずにいるところだったよ


※ホ・ヨンジャ (1938年〜)慶尚南道生まれ。詩集『胸にか、
それとも眼にか』『花一輪にもあなたの心が』『空っぽの野を
歩きながら』など。韓国詩人協会賞受賞。
2015年の金達鎮国際フェステイバルに参加した許英子詩人。
長い詩歴で韓国を代表する女性詩人の一人です。
上品な雰囲気でやさしく話しかけて下さいました。



羅喜徳(3)

Nai-thombo-thombo
権宅明訳 佐川亜紀監修

Nai-thombo-thombo
世界の向こうに対する想像が始まる所

Nai-thombo-thombo、その場所は海辺にあるの
聖なる山に辿り着いた魂が飛び降りる岩、
海に昔の歌が響き渡れば
やっと死に臨んだことが分かるようになるのだと

Nai-thombo-thombo、その場所は砂漠にもあるの
アルタイ族は魂が砂漠を渡っていくと信じたのだ
砂漠に昔の歌が響き渡れば
やっと死に臨んだことが分かるようになるのだと

Nai-thombo-thombo、その場所は床にもあるの
インドのソラ族**は死者の魂が
床面を通して地下世界へと下りていくと信じたのだ
これを助けようと一緒に角笛を吹いたのだ

Nai-thombo-thombo、その場所は野原にもあるの
シベリアでは野生のトナカイの皮で作られた太鼓を打ったのだと
寒い野原を渡る魂に
野生のトナカイのようにたくましい案内者が必要だから

Nai-thombo-thombo、その場所は森にもあるの
ブッシュマン族の魂はキリンについていったと
鬱蒼とした森を通過するためには
首が長く辛抱強い案内者が必要だから

Nai-thombo-thombo、
歌だけがついていける所


*Nai-thombo-thombo:フィジー島の聖山ナカウバドラ(Holy mountain Nakauvadra)
にある岩で、「飛び下りる所」という意味。
**ソラ族:Sora tribe in India。




干からびた木の枝を持って

森の道で偶然拾い上げた
木の枝一つ


葉と実がまだ残っている、
曲がりくねって伸びていった軌跡と折れた痕跡を持った、
この木の枝はどこから来たのだろう

もしかして分からないけど、
宇宙樹から落ちてきた枝であるかも

それを拾って太鼓を作ったら一生涯歌を歌いながら生きるようになるとか

太鼓を作ることはできなくても
ある歌声が流れてくるようで
森の道に立って耳を傾ける

干からびた木の枝を持って
干からびた木の枝を持って

歌の力で死の砂漠を渡った
アルタイのシャーマンたちのように

鳥を呑み込んだような、
鳥について飛び上りそうな、この感じは



アヌが空を造った後


歯痛を直すアッシリアの呪文はこのように始まる。

アヌが空を造った後
空が大地を造り
大地が川を造り
川が池を造り
池が虫を造った

このように生まれた虫は神に行って食べ物を、破壊するものをくれるように願った。
神は虫に果物をやったが虫は人間の歯牙をくれるように願った。
アヌが空を造った後どれほど多くの虫たちが池で生まれたろう。

もう人間は歯痛を治すためにそれ以上呪文を唱えない。
神の代わりに医者を養成する学校を建て虫を追い出す病院を造った。
薬品と物資を運ぶために自動車を造り、大きな船と飛行機を発明した。
それにより大型船舶の難破と飛行機の惨事が発明された。
アヌが空を造った後どれほど多くの飛行機が空中で消え去ったのだろう。
アヌが空を造った後
空が飛行機を呑み込み
飛行機が人間を呑み込み
人間が火炎を呑み込み
火炎は空を呑み込んだ


※羅喜徳さんとは、2015年9月5・6日の金達鎮文学祭・
国際詩人フェステバルで初めてお目にかかりました。
美しく、深い内面性を感じさせる方で、詩作品通りの
印象でした。知性がにじみ出ながら、宇宙の歌を感受する
巫女のようにも思いました。

上の作品は、日本・韓国・中国 国際同人誌「モンスーン」
創刊号(コールサック社・1000円+税)から。


羅喜徳((Heeduk Ra)
1966年忠清南道論山生まれ。1989年中央日報新春文芸に詩が当選して登壇。
詩集に『根っこに』、『その言葉が葉っぱを染めた』、『そこが遠くない』、
『暗くなるということ』、『消え去った掌』、『野生のリンゴ』、
『言葉たちが帰ってくる時間』等があり、散文集に『半桶の水』、
『あの灯りを覚えろ!』、詩論集に『紫色はどこから来るのか』、
『一皿の詩』等がある。現在、朝鮮大学文芸創作科教授。
現代文学賞、怡山文学賞等を受賞。
503−713 韓国光州広域市南区老大洞Humansia 708-403
Rhd66@hanmail.net. C.P.010-8870-1722



金達鎮詩集『慕わしい世界があるから』5




佐川亜紀訳 韓成禮監修

真っ白く積もった雪の上
赤い血ひとしずく落としてみたい
― 隅々まで染み入っていく心が見たい。


自然と仏教と平和の詩人・金達鎮先生
―日本語翻訳詩集『慕わしい世界があるから』の出版に際して
佐川亜紀(韓国詩誌「詩愛」2015 掲載)


私は、二〇一四年に第五回昌原KC国際詩文学賞を受賞し、大変ありがたく、
光栄に思いました。この賞は、国際的詩人の発掘と韓国文学の世界化を目標に
創設され、年に一度国際的な詩文学フェステバルを開いて、
詩文学の交流を通じて世界各国が互いを理解し友好を深めることを念願
するものだと聞きました。賞を主管するのは、金達鎮文学館、(社)詩愛文化人協議会
だそうで、詩による国際交流と世界平和をめざす賞の源になった
金達鎮先生の詩精神をぜひ知りたいと考えました。
送って頂いた詩集を拝読したところ、身近な自然を大切にして美しく描き、
個から宇宙に至る繊細にして雄大な感性に引かれ、高い精神性に感銘しました。

日本植民地支配時代には、日本人英語教師追放運動を主導したと中学を追われ、
抗日運動にかかわり日本警察の監視下に置かれ、修行の場も移らざるを
えなかったそうです。本詩集に見られる漂泊性、虚無感は、日本帝国主義の
抑圧による心身の圧迫に原因のひとつがあると思います。熱望した解放を
迎えたときの作品「朝」は感動的です。

一方、偶然に見た「仏」の字に強い衝撃を受け、仏教の求道に励み、
教師生活のあとは二〇年間も仏教経典の翻訳に人生を捧げたことは、
外的な平安だけではなく、内的な不変の崇高な世界を慕い続けた精神を示し、
題名や詩作品にも表わされています。仏教に心酔しながら近代詩を創作した点は、
日本の詩人・宮沢賢治(1896年〜1933年)に通じる所があるかもしれません。

二〇一五年は、日本敗戦・朝鮮解放から七〇年目、日韓国交正常化五〇年目で、
歴史を省み、未来の友好を目指す年です。その時に、詩による国際交流と世界平和を
めざす賞の源になった金達鎮先生の高潔で奥深い詩精神を日本でご紹介する機会を
頂き、(社)詩愛文化人協議会の崔東鎬先生、金達鎮文学館長の李成模先生に
心より感謝申し上げます。
監修には、韓成禮詩人にご多忙にもかかわらずご尽力を賜り、厚く御礼申し上げます。
自然や仏教など日本でも共感される所が多いと思います。
そこで、私が読んで金達鎮先生の詩の特徴として気付いた点を述べさせて頂きます。

1、 印象深い叙景詩

金達鎮詩人の一つの個性として、「扉詩」「泉」「泉の中の悲しみ」に見られるように、
短い表現でありながら、非常に鮮烈な映像を読者に印象づけることが挙げられます。
「扉詩」は、叙景詩として、光り輝く庭、過ぎて行くそよ風、揺れる柿の枝、
肥えた暗緑色の葉、まだ青い柿の実、と永遠を一瞬に閉じこめたような爽やかな美しさで、
「六月の夢」は人間の青春の夢のようであり、「まだ青い実」は未来への希望を感じます。
叙景は、自然の中に美や趣きを見出すことで、自分を無にし、対象を
いろいろな面から発見し、事物の本質を浮かび上がらせる方法です。自然そのままを
表すことで自然の真髄を明らかにします。
崔東鎬先生が指摘された金達鎮詩人の「万物一如と無為自然の詩学」が
さまざまな作品で表現されています。詩「敬虔なる情熱」でも見られる
「精神を光で変貌させることが金達鎮の独特な詩的想像力であり、自身の血と肉が
大地と太陽になった理由で自然に従うのは彼には当然のこと」は根本
的な詩想として存在しているでしょう.
李成模先生が「万物は調和をつくりながら楽しく生きているが、人間は傲慢と嘘で自ら世界の
中心だと主張している」「虚しい欲望と執着によって筋道がつかめず彷徨っていることを越え、
自然が抱いている喜びの世界に宿ってみよ」「心を手放してからようやく真理の世界に到達
できる」と解説して下さった金達鎮先生の表現の核でしょう。

詩「泉」は、叙景から地球的な想像力に発展しているところが近現代詩にふさわしい表現です。
森の中の小さな泉をみつけ、「小さな泉は海のように広がる」「私は小さな泉をのぞきながら/
まるい地球の上に座った」と名も無き小さな泉が海のように広がり、地球で生きる意識にまで至っ
ているところが素晴らしいです。崔東鎬先生が指摘された「汎我一如的想像力」が地球規模で広が
っています。「華果院の詩」でも最終連は、「一つずつ遠い空の果てに落ちて消える/重い星を見
送るエジプト/五千年のスフィンクスの冷たい心/窓の外には雨音が聞こえ/壁の時計もないここ
は深い山だ」と自分がいる山奥の華果院からエジプトまで想像力を馳せていることに驚きます。

詩「泉の中の悲しみ」は、清らかな泉の描写から自分の悲哀と夢に展開し、繊細な感受性と心情を
映像化して、抒情詩として見事です。叙景だけではなく、自分の屈折した心情を歌う抒情詩も優れ
た作品がたくさんあります。

詩「雪」は感性のある形を普遍的に究極まで高めています。真っ白く積った雪に赤い血が一滴
落ち、「隅々まで染み入っていく心が見たい」という鮮烈なイメージは、信仰の対象に隅々まで
染み入りたいという願望にも感じられ、ある願望のイメージが明確に形象化されています。

2、自然と宇宙

叙景でも叙情でも金達鎮詩人の詩世界に自然が大きな役割を果しているのは重要です。
金達鎮詩人は、自分の詩は自然景観の詩であると述べ、代表的な「扉詩」や「碑銘」は
自然そのままを肯定し、人間もその一部だと考えています。散文「我が人生、我が仏教」
の中で「金東里氏が指摘したとおり、命名以前の自然そのままと言えるかもしれない」と
自ら語っています。
この思想は、現代文明が行き詰まった近年一層注目されるようになりました。
特に、日本では、東日本大震災と福島原発事故により甚大な被害を受けた体験を経て、
自然を軽んじる文明社会に疑問を投げかける批評がふえました。やはり人間も
自然の一部であり、自然のなかに生かされているという基本を忘れる時滅びの道へ
入るのでしょう。近年情報機器やロボット技術が進展し、人間が自然そのものから
遠ざかるようになっていますが、その反面人間の手に負えない危機にあふれた社会に
なっています。自然を愛し、自然のままに生きるという金達鎮先生の教えは今こそ大切です。
さらに、自然は宇宙に通じ、人間存在の根本も宇宙に通じていると考えている点に引かれます。

詩「ナズナの花」は、人の世の煩雑さとにぎやかさを一方に置きながら、詩人は一人庭の
前をぶらつき「日陰の下の小さなナズナの花」を見ます。「この宇宙」という一言で、
小さなナズナの花も「私」も宇宙の中に存在していることを知ることができます。
こうした視点こそ李成模先生が述べられた「道に至る詩学」というのでしょう。

3、抗日運動との関わりと詩「朝」

金達鎮詩人は、1923〜1926年にソウルに上京し、中学に通いますが、四学年のとき
日本人英語教師追放運動を主導したという理由で退学させられたそうです。また、1930年に
7年間教鞭をとっていた啓光普通学校が、民族教育・抗日教育をしたと朝鮮総督府によって
廃校になってしまいました。日本で高等文官試験に合格した兄からは東京に留学しに来いと
いう手紙がしばしばありましたが、行く意思はなく、日本文学全集と世界大思想全集を
渉猟して過ごされたそうです。民族現実の絶望と挫折の底で、ある夜破れた壁紙の間から
下張りの新聞紙にはっきり見えた「仏」の字を発見し、入山を決心されました。また、
1935年に白龍城尊師に仕え、咸陽白雲城華果院で半農半禅の修道生活を
されました。龍城尊師は3・1独立宣言の33人の中のひとりでした。
1941年には日本警察を避けるため北間島・龍井に行きます。

このように金達鎮詩人が日本帝国主義の圧迫で退学させられたり、絶望と挫折を
覚えたり、修行の場も移動せざるをえなかったことは日本人として大変申し訳なく思います。
金達鎮詩人は、崇高な世界を思慕して俗世から離れる精神をもともと抱いていたとはいえ、
植民地支配下の祖国の不当な現実が一層の漂泊性や虚無感を増幅させたことでしょう。
仏教の講論を各寺で行いながら、祖国が過酷な状態に置かれていることも
話されたので日帝警察に監視されたのでしょう。
新幹会昌原支部にも関わられたようで、支部長として抗日独立の先頭に立った
朱炳和が軍医により変死を強いられたとき友情と怒りをこめた弔詞を書いています。
そうした抗日運動ゆえに自由を尊び、渇望し、実現するための厳しさをこめた作品
「自由」は世界的に自由を求める人々に共感される作品です。
「おまえは喜びで、美の女神!/あらゆるものがおまえから楽しみを得たり 
美を得たり、おまえはあらゆるものの本然の姿」自由は美と芸術の根源であり、
自由を得てこそ本然の姿で躍動するという美学は、観念に納まらない
自在な詩精神を浮かび上がらせています。
「しかし、おまえは本当に実体になるには/無償では来ないもの、」の詩句は、
「自由」を求めることがどんな苦しみを経ることなのか、
金達鎮先生の日帝との闘い、内面の闘いを推察して心打たれます。
そうした苦闘を体験されて、切望した「解放を迎えて」表現され、喜びを分かち合う
ために放送された「朝」は記念すべき作品です。
「千尋、万尋 深い海底に/長い夜を闇の中に身悶えながら/大きな熱
を胸の中に積み重ね 燃やしていたはず・・・・」は、長い間、植民地支配に身悶え
していた朝鮮の人々の苦闘と悲しみ、抵抗の思いが凝縮しています。
解放を迎え「家ごとに軒の先に太極旗はためく/街ごとに地軸を
揺るがす喊声/今日 この地の山河は大きく笑った」と喜びに沸き立つ様子が
70年後の現在にも響き渡ります。神も祝福の饗宴を開き、地下の魂も
元の場所に帰るだろうという天上や地下にも想像力をめぐらせた詩句は
時空を超えた解放の歓喜の象徴として世界的に伝わる作品です。「狭くと
も我が地、貧しくとも我が暮らし・・・・/苦しく病んでいた生命/生き延びてきた
甲斐が今日にこそあったのか。」は、帝国主義と闘う人々の心からの気持でしょう。

4、漂泊性と孤独

日帝時代の抑圧された精神は、現世に対する絶望から故郷を捨てて、僧侶の道へと
進ませたそうです。故郷を大切にし、故郷に愛着を持ちながら、故郷を出てさまよう
漂泊者の姿は現代人の典型的な有様です。
現代人は確固としたものを失い、彷徨い、悲しみの中で生きています。
心は孤独感に苦しめられています。
父母、妻子を捨てて出家したことは詩人の心に痛みとなって残り続けました。
急に故郷が心配になって帰郷した翌日に妻が亡くなったことを詠んだ「落月」は、
哀切に満ちています。「振り返ったら 影がふい
に無くなってしまった」と自らの影をなくすような喪失感に陥っています。
一方で、孤独は自己の存在の核心にもなっています。金達鎮詩人もさまよい、
孤独感を強く感じながら、孤独を抱きしめています。
金達鎮先生は仏教に帰依しながら、自分の感情を率直に述べています。
すべて仏教で解決せず、煩悩に悩んでいるところこそ詩人のゆえんです。
「孤独」「虚しさ」「漂泊」が詩のなかにも表れ、注目されます。
詩「車中」での最後「ああ、私たちはみな/幻の世界に流刑にされて生きる旅人。」
は現代詩人の本質を示した大変優れた詩句だと思いました。
詩人は幻の世界に憧れ、その憧憬は刑罰であるのかもしれません。
フランスの作家カミュの「シーシュポスの神話」のように果てしない、目的も分からない
苦役と刑罰の中に置かれているのです。
詩「待つ人々」も「こうして人々は待っていた客の姿を永遠に見るすべはなく、
無限の暗い夜空の軌道を、木星のように」歩いて行く姿はたいへん暗示的です。 
詩「孤独」は、人間の孤独を自然の動物と対応させた興味深い作品です。
童話的でありながら、孤独は名も無き小さな花の美と香と力を学ばせてくれるものだ
と教えています。

5、近現代韓国詩史の優れた詩人として
 
金達鎮詩人は、1934年に「詩苑」に、1936年に「詩人部落」に参加し、徐廷柱、
金東里、呉章煥らと交友を持ち、初期から優れた作品を発表していたのは注目されます。
西洋モダニズムの導入が近代詩史の始まりでしたが、東洋における詩と思想の伝統を
近代に引き継ぐことは、東洋のアイデンティティとして重要でした。金達鎮詩人は、
東洋的な自然観や仏教精神を近代詩に表した詩人として特記されます。
西洋モダニズムに飲み込まれずに東洋精神を生かした近代詩を書くという貴重な作品を
創造したのは、東京に留学せずに、日本文学全集と世界大思想全集を読み込むことで
自分なりに近代文学や近代思想を消化した経歴にもよるでしょうが、
もともと「叙景」「映像性」という近代詩の根本に近い個性を持っていたためと考えます。
近代詩は従来の定型や音韻の詩を越え、より個性的で明確な映像を主にし、詩人の個別
のリズムによって成り立ちます。
仏道の修行を積んだのちも映像の鮮明さは変わらず、「竹筍」復刊号の「虫」も現代性を
持っています。自分が水垢の中の虫を見ていて、その自分を見る大きな目があるとは、
視点の二重性が興味深いです。
「大きな目」は神の目であるかもしれませんが、現代社会の不気味な目とも感じられるからです。




よどんだ水の底
水あかの中に
もぞもぞうごめく赤い
糸筋のような虫をのぞき見ながら
頭の上
背後の
私を眺めるある大きな目を想って
私は思わず
その糸筋のような赤い虫になる。


6、慕わしい世界を求め続ける詩精神

抗日運動に関わり、解放を迎えた喜びを人々と分かち合いながら、金達鎮詩人は
その後、社会運動ではなく、教育者として、さらには、仏教経典の訳者として20年間を
過ごされました。詩「某月某日」で、僧侶になりきれず、俗人でもない、と
謙遜されていますが、崇高な世界を求め続ける心は変わらず、それが詩の
根本に存在すると思います。
詩「平和」でも外的な平和だけではなく、内面の平和を望んでいます。
「私は一輪の蓮の花のように横たわっている。」「(沈黙の中に輝く白い魂よ)」は
金達鎮詩人が願った最高の魂の姿を美しく表現しています。
「遠い太古―私は思う。黄金の海岸を出帆する私の最初の生命の船、/そうして
紫色の空の果てに帰る雲のように消え失せる生命の歌。」は、生命の誕生と
消滅を多彩な色取りでイメージ豊かに想像します。
「蓮の花」「白い魂」「黄金の海岸」「紫色の空の果て」と色彩が豊富なことも
金達鎮詩人の個性で、イメージが読者に強く刻まれる要素になっています。

「慕わしい世界があるから」は、詩を求める金達鎮詩人の中心をなす詩想でしょう。
詩こそ永遠に「慕わしい世界」であると考えます。「慕わしい世界」は遠く遙かな
ばかりではなく、「人生の木の根」であり、「闇の苦悩の奥に」深く入り込むことに
よってこそ感得でき、「ひとつの愚かな沈黙として」存在するという教えは
意味深いものです。いつまでも知に対して謙虚であり、「愚か」という立場に留まること
こそ深い知性なのです。また、「沈黙」こそ常に言葉の母体です。
「慕わしい世界」は、世界中の詩人が追い求める普遍的な詩の世界に通じており、
金達鎮先生の詩が現代に通じる理由です。行き詰まる文明社会、激動する世界に、
自然と平安と崇高な精神を願う金達鎮先生の詩は優れた啓示であり、
日本の読者も多く学び、深く共感すると思います。




金達鎮詩集『慕わしい世界があるから』4

扉詩

佐川亜紀訳 韓成禮監修

六月の夢がきらめく小さな庭を
今 そよ風が過ぎて行った後  
柿の木の枝が揺れ
つややかな濃い緑の葉の中に
見える実は まだ青い




森の中の泉をのぞいてみる
水の中に空があって 白い雲が浮かび 風が流れ
小さな泉は海のように広がる
私は小さな泉をのぞきながら
まるい地球の島の上に座った。


敬虔なる情熱

私の肌は大地、
私の血は太陽、
そうして私の生命は

ほの白く明らむ窓の前に
遠い夜明けの薔薇色のチマ裾、
宝石のように澄んだ風が襟元に入り込む。

敬虔なる情熱、一本の線香を燃やし
細い煙は低い額に漂い、
私の魂が見つめるところは思念の彼方。

熱い息に凍りつく蒼海(あおうなばら)の中に
熱くなる息吹に従い明滅するあまたの星の微笑、
神を座布団にして座り 静かに言うのだ

―光あれ
―光あれ

正しい力は泉のように湧き、
愛は花のように咲く丘に
露の滴ごとに銀杯を戴いた。

私の肌は大地、
私の血は太陽、
そうして私の生命は海の大気。


(四二七九年 元旦)*
*檀君紀元の年号。檀君の即位した紀元前二三三三年を元年とする。
西暦では一九四六年。(訳注)



※「扉詩」は、自然を愛する金達鎮詩人の代表作です。
命名以前の自然そのものを描き、美と恵みと夢を
一瞬の情景で浮かび上がらせています。
「泉」は1938年に初めて「東亜日報」に掲載された作品です。
叙景から、地球的な想像力に至っています。
「敬虔なる情熱」の「神を座布団にして座り」は、
独特の表現ですが、「神とは人間と自然を合わせた
包括的な概念」として、支え温める存在でもあるのでしょう。
(『金達鎮詩集 慕わしい世界があるから』
(2015年8月15日刊行予定 土曜美術社出版販売 2000円+税) 








金達鎮詩集『慕わしい世界があるから』3

自由

佐川亜紀訳 韓成禮監修

自由!
おまえはそれほど貴いものなのか?

おまえは生命!
あらゆるものがおまえを得て生き
おまえは光明!
あらゆるものがおまえを得て輝き

おまえは喜びで、美の女神!
あらゆるものがおまえから楽しみを得たり 美を得たり
おまえはあらゆるものの本然の姿

しかし おまえは本当に実体になるには
無償では来ないもの

血を与え
涙を与え
命を与え……

それゆえ おまえは
墓の中から湧き出る生命
暗闇の中から照らし出される光明
火の中から咲き出る蓮の花

ああ 何ものとも代えられない
おまえ、 自由なのだ



孤独に帰って

私は海に苦しめられた小舟
あなたの呼吸の底に帆を下ろす。

真っ黒な地獄を這い出て
目の前に開かれる人生の海、
星座のような豊かな「私の」光を見る

岩と、木と、 鳩とともに
一族のように親しく何か話しかけてきそうだ。

ききわけのない赤ん坊になるゆえ
儚い理性がむずかることもなく
死のそばに座っても
墓の中の夢路は暖かいね、

ああ、不滅の青い香りの中に
復活の金色の歌よ。

山の蘆花のように寂しくとも……

永遠の鏡の前に
私の姿を眺めながら
私は真っ白に生きよう。
真っ白に生きよう。



幼い大根の花
―七月の郷愁


時折 風が来れば
裏庭の幼い大根の花畑の上には
蝶たちが花びらのように舞っていた

貧しい家族たちは
麻布のチョゴリに 汗を拭きながら
麦飯を春菊サムに包んでいた。

落ちるムラサキツリバナの花の香りに酔い、
老いた牝牛は
長い日中眠くてたまらなかった。

蝉の声は衰えてゆき
トンボの背に夕日が燃えれば
私たちは紙の灯を手入れした。

暗い屋根の上に
白い夕顔の花が
星明りの下に浮かべば

蚊やり火の煙がたつ石垣を曲がり
女たちは
前の小川へ小川へと群れなして行った

遠い故郷の人々の顔よ
私の故郷は 南方千里、
蛍のようにきらめく想いよ。


※チョゴリ=韓国の民族衣装(韓服)で、男女共に着る上衣。(訳注)
サム=海苔、チシャ、白菜などでご飯とおかずを包んで食べること。(訳注)

※「自由」の尊さを何より感じながら、植民地時代に弾圧を受けた
体験により「無償では来ないもの」という詩句は重い言葉です。
「血を与え/涙を与え/命を与え・・・・・・」も胸に刺さります。
内面の自由も厳しい孤独に帰って得られるものかもしれません。
仏教の修行で故郷を離れた金達鎮はつのる望郷の思いを
なつかしい叙景の詩に託しました。
※2015年8月に『金達鎮詩集 慕わしい世界があるから』出版予定です!




金達鎮詩集『慕わしい世界があるから』2


平和
佐川亜紀訳 韓成禮監修

無限の夜の気流
なみなみとした静寂の海
あまたの星座の光の下
私は一輪の蓮の花のように横たわっている。

あらゆる熱望も 憂いも去り
(沈黙の中に輝く白い魂よ)
枕元に孤独な灯りを望みながら
私はひとつの古びた夢のように……


遠い太古―私は思う。黄金の海岸を出帆する私の最初の生命の船
そうして紫色の空の果てに帰る 雲のように消え失せる生命の歌。

ああ ひとつの思い出も残さないようにしたまえ。



慕わしい世界があるから

慕わしい世界があるから
その世界のために、

人生の木の
根として生きよう。

広く 粘り強く、
また 深く、

闇の苦悩の奥に
深く入り込み、

すべての才気と賢明の前に
ひとつの愚かな沈黙として―

その劫外*の空の下
燦爛と咲き出す花と、

実りゆく果実
はるかに眺めながら―



*仏教でこの世界が変動する姿を四大劫として表現するが、
その変動する四大劫の外の超然さを表す言葉。(訳注)


※金達鎮詩人は、抗日運動の新幹会昌原支部にもかかわって
いたようですが、詩作では、仏教的な精神性を重んじています。
社会的な平和とともに不変の内面の平和を求めています。
高い静かな心の境地を理想としています。
若い頃、裂けた壁紙の間の新聞紙に「仏」の字を発見した瞬間、
「私は閃光のように心の中の何かに強烈な刺激を受けた」そうです。
慕わしい世界を直観した時で、詩の源にもなっています。




金達鎮詩集『慕わしい世界があるから』1

泉の中の悲しみ
佐川亜紀訳 韓成禮監修

深い山奥の岩の割れ目から宝石のような泉
とても冷たくて貧しい泉
流れゆく影の底に 私の悲しみがある
だんだん淡くなってゆく私の夢の色彩を見る




ああ、あの光はどこから来て燦然と輝くのか?
東の空 薔薇色に染まった。

千尋 万尋 深い海底に
長い夜を 闇の中に身悶えながら
大きな熱を 胸の中に積み重ね 燃やしていたはず・・・・

家ごとに 軒の先に太極旗はためく
街ごとに 地軸を揺るがす喊声
今日 この地の山河は大きく笑った。

泥土の足元でも真理は輝き、
正義は墓の中でも
その香り 空を突き抜けるというのだ。

今 天上には神の祝福の饗宴が開かれるだろう、
地下の魂たちも 
今にもおのおの元の場所に帰るだろう。

狭くとも我が地、貧しくとも我が暮らし……
苦しく病んでいた生命
生き延びてきた甲斐が今日にこそあったのか。

ああ、あの光はどこから来て燦然と輝くのか?
暗闇の中で咲き出た花房だ。

(解放を迎えた日に)


孤独

彼は私に夜のフクロウの涙をくれた
彼は私に地中のモグラの足跡をくれた
彼は私にリスとハリネズミの卑怯もくれた
だが 彼が持つ真に誇らしい栄光である
森の中の名も無き小さな花の「美」と「香」と
「力」を学べなかったので
私はまだ彼を放すことができず 抱きしめている。


※キムダルジンは、韓国昌原市の金達鎮文学館で顕彰されている詩人です。
2014年に私が頂いた昌原KC国際詩文学賞を主管実施している文学館です。
金達鎮詩人は、1907年に昌原郡(当時)で生まれ、ソウルの中学時代には
日本人の英語教師追放運動を主導したとして退学されられました。
郷里に帰り、教師となり、1929年純粋文芸誌「文芸公論」に「雑詠数曲」が
梁柱東の推薦で掲載され、詩壇にデビューしました。以後、東亜日報、朝鮮日報
などに詩を発表し、抗日独立運動にもかかわり、解放の時に書いた上の詩「朝」
は放送で朗読されました。一方、仏教に深く心引かれ、得度し、僧侶の修行も
行ない、教師生活の後は、経典の翻訳に尽力しました。
また、金達鎮の詩は自然を愛し、静かな景観を描いているのも特徴です。
2008年に刊行された『慕わしい世界があるから』を数回ご紹介します。







文貞姫詩集『うん』
佐川亜紀訳 権宅明監修

序詞

詩があふれてくるならば
うん!
野生の息で応えた

どの土地、どの年代にもない
熱く新しい生命であることを

私の化粧法
       
まるで詩を書くときのように
私の化粧法は
まず消すことから始める

空席に一輪の花を咲かせる

苦しみが宝石の杖になり
貧しさが薔薇になる若さ*を呼んでくる
神秘な泉が新しく満ちあふれる
月の階段を楽しむ

本当のところ 詩法には道がないのを知っている
道を造ろうとするだけ
これは何?
どう?
全身で問いを投げるだけ

絶妙な私だけのイメージと余白を作り
そうしては誰かの魅惑のために
一輪の花の中で
うっかり道に迷うようにするのだ

*リルケのことば


あたしのペン

     あたしのペンはペニスじゃない*
あたしのペンは血だよ

空よ 鳥よ
食べよ

さあ!ここにいる
あたしの暗黒
あたしの体
新しい土地だ

あなたにあげる贈物だ

二度とない

*ペンはペニス(Pen is penis)のパロディー


オオカミ女

     オオカミを森の空き地と考えてみよう
愛のために心臓をくりぬいた女と考えてみよう
家宝として伝わる太鼓を破り
敵国の密林の中に初夜の部屋を整えた
稲妻や台風!
泣き叫ぶ月の影と考えてみよう

氷河期が終わり やがて土の中から出てくる
女性詩人の家系図から探してみよう
彼女が子供を作る時
神は観客!沈黙と傷をかみちぎりながら
彼女が詩を作るとき
雷になり谷間を転がっていくとき
きらめく野生の波だと
血の色の危険な歌だと考えてみよう


*(マーク・ローランズ)『哲学者とオオカミ』

文貞姫(ムン・ジョンヒ)さんの詩は、女性の生命力がみなぎり、男性社会の抑圧を
鋭く見抜き、大胆な表現で鮮烈な印象を与えます。アメリカのアイオワ大学の創作
プログラムを修了し、メキシコやトルコなども取材し、世界的に活躍しています。
高校在学中に詩集『花の息』を出版してから全13冊の詩集を刊行し、韓国でも
傑出した詩人として有名で親しまれています。現在、韓国詩人協会会長です。
2014年刊行の最新詩集『うん』からご紹介しました。




金后蘭詩集『光と風と香り』
王秀英訳 中原道夫監修

詩の家

鉛筆が好きになったのは
いつからだろう

真っ白な紙に言語の家を建てる
途中でしくじったら
柱を取替え 再び支え
それでも気に入らないと
垂木も取り替える
そんな鉛筆で建てた

直しては手を加えまた立ち上げる
眠らずに一生懸命頑張る
わたしは
鉛筆で家を建てることが好きだ

小さい瓦屋一軒
踏み石をきちんと坐らせ
土塗れの靴をきれいに
洗っておいて




光と風と香り

知りたい
存在の実相がどこへ消えるのか

あの夜空を埋め尽くす星たち
太陽よりも明るいという星たちも
やがては壊れてブラックホールに
吸い込まれるという

生成と消滅の語源は
永遠に繙くことのできない謎
地球はこの広大な宇宙で孤独

しかし私たちにはあまりにも大きな世界
豊饒と飢餓 戦争と平和の波打つ中で
生命の端正な意志で立ち上がり
情緒の輪に繋がれながら

夜明けの清々しい気運で
この地に活気溢れる設計図を描いていく
光と風と香り
生命を引っ張る力
そこには夢がある成熟の光を吐き出す
私たちの道が見えてくる
群れて咲いている花の道

※キム・フラン 韓国ソウル生まれ。韓国女性開発院院長。生命の森国民運動理事長。
韓国女性文学人会会長、韓国文学館協会会長など歴任。大韓民国芸術院会員。
自然を愛する「文学の家ソウル」理事長。国際PENクラブ韓国本部、韓国文人協会、
韓国詩人協会 顧問。詩集『憂愁の風』『暖かい家族』他11冊。
2012年に日本詩人クラブで日韓文学交流の韓国旅行が行われたとき、「文学の家
ソウル」で温かく出迎えて下さったのが金后蘭詩人です。包容力が豊かで穏やかな
容貌の中に秘められた詩と人間、祖国への熱い思いがよく伝わる日本語詩集がこの度
出版されました。「詩人は文学的美学で生命の大事さをうたう。詩人は文学で家を建て、
その家を訪れる人を誰でも温かく迎え入れ、共に共感地帯に留める」。また、「私は
詩の深さを望む。内面空間が広い詩心で生きたいと思う。静かで感覚的な美しさ、
歳月が沈積したような真珠のように内部に深い息を保ち、そこはかとなく光を発する
生命力を持たせたい」と後書で述べています。言葉で国境を超えて集まる詩の家
を建て、宇宙の途方もない大きさのなかで光と風と香りによって生命が引っ張られる
私たちの道を見出して行った詩人の歩みが簡潔な表現から浮かび上がってきます。
(土曜美術社出版販売 2000円+税)






崔由地詩集『共感の距離』

共感の距離T 
権宅明訳・佐川亜紀監修

あなたをその場所に置きます
またとない寂しさ、両目が腐ってしまっても
私はこの場所にいましょう
同じ空の下ただ、共存することができれば
「互い」ということばで束ねておくことができて幸せです


共感の距離U

共感できる距離に
誰かがいるということは
道を歩きながらも
何気なく微笑むようにするもの
閂を抜けば
花弁になって流れる
風の感じ
人生は思い出になり
彼が
来ている
共感の距離から


さようなら東京

東京の朝は露草のように目覚める
人々は掌ほどのポプリンのカーテンの
間に
白い沈黙をかけておき
神を拝むだろう
二つに分けて編んだ髪をした一人の少女の
自転車の転がる音
太陽の下よく熟した
毎日の糧の前で頭を下げた隣人たち
「いただきます」

午後を横切る尾崎豊の「I love you」を鼻歌で歌いながら
びっくり仰天するほどの悲劇が楽しみになる理由をいくら
考えてみても分からない私たちは永遠に畳部屋の異邦人


※チェ・ユジ 1986年釜山東義大学ドイツ文学科卒業
1993年『文芸思潮』誌でデビュー
1994年『花たちは裸体である』上梓
日本で暮らしたことがある崔由地さんの「共感の距離」という言葉は、
共感できることの喜びと、それでも距離が存在することを端的に表現しています。
「尾崎豊」や「木村拓哉」などの日本の歌手の名前も出て来て、日韓の
ポップスやサブカルチャーのつながりを感じます。
「畳部屋の異邦人」はユンドンジュの詩を思わせます。
愛への渇望と孤独をかみしめる詩は普遍的な人間の姿を表し、
さらに日本への批評も見られ、社会性もあると思います。
(韓国の韓日文化交流センターの『新しい人たち』から出版。
センター長の姜星財会長は「韓日文化経済新聞」を発行されています)




金南祚詩集『心臓が痛い』

心臓が痛い

権宅明訳・佐川亜紀監修

「私が痛い」と心臓が言ったが
静寂が成熟していなくて その声はかすかだった
ずっと後日に
「私が痛い とても酷く」と
心臓が言うとき
静寂が成熟したので
これが聞き取れた


心臓が言う
交響曲の音符たちのように
一曲の荘重な音楽の中に
心臓は
矢に貫かれた痛みで溶け込み
それぞれの音階と音色になると
しかし 深淵の演奏なので
静かにならなければ聞こえないと

心臓がこんなことも言う
恋しさと 悔恨と 窮乏と 苦痛などが
人の常であり
これが砕かれ 水になり
蒸留水になるまで
痛み 痛みながら 生の賜物として
捧げられると
そして 生はまことに
これほどの価値なのだと




木々


風のかけらで
枯葉たち 枯葉の蝶で風が吹いていったから
冬の木はもう
根っこの力だけで生きる
土と凍りが半分ずつの
   真っ暗な土の中で
密かに調剤した養分と筋力を
休みのないポンプで
汲み上げなければならない

白雪で身を洗い、氷の衣に慣れること、
寒い教室で哲学の本を読むこと
すべての人とすべての動植物の寒さを黙祷しながら
冬の間 ずっと
荒野の祈祷師として真っ直ぐ立っていること

冬の木々よ
新春になり緑の葉っぱが生き返ってくる
くらくらと眩しいほど 明るいその宴のテーブルでなくとも
あなた 非常に
顔立ちの整った人のようだ



西の方

人よ
どうってことないわ

地上に影が横たわるように
影の上に風が伏せるように
風の上に黒い川
夜だって いいわ

見えなくても いいわ
海の底 もっと掘られ
水がはるかに増えるのだって
空の上 その空に。
雁の群れ きーきーと飛んでいったり
あるいは飛んでくるのが
見えなくても いいわ

別れだって いいわ
日と月が別々に行ったって いいわ
会えないのだって いいわ
ひとすじ 西の方へ
西の方へ
沈むのを

(詩誌「禾」29号掲載)

※キム・ナムジョ 韓国を代表する女性詩人。2014年金達鎮文学賞を受賞。
他に3・1文化賞、大韓民国芸術院賞、万海文学賞などを受賞。
大韓民国芸術院会員。詩集に『生命』『風の洗礼』『平安のために』
『霊魂と胸』『情念の旗』『貴重な今日』など多数。
去年、金達鎮文学祭でお目にかかり、たくさんの人々から敬愛させて
いらっしゃることを感じました。いつも温かく励まして下さいます。







金基澤詩集『針穴の中の嵐』



韓成禮訳

牛の大きな目は何かを言っているようだが
私の耳では聴き取れない。
牛の言葉は牛の目の中に皆入っているようだ。

言葉は涙のようにこぼれんばかりに溜まっているのだが
体の外に出てくる道はどこにもない。
心が一握りずつ抜かれるように泣いてみるが
言葉は目の中でびくともしない

数千万年にわたって言葉を閉じ込め
ただ瞬くばかりの
ああ、あれほどおとなしくて丸い監獄よ

どうすることもできずに
牛は何回も噛んだ草の茎を腹の中から取り出して
また噛みつぶして飲み込んではまた取り出して噛みつぶす。



かゆみ
韓成禮訳

火の坑へ入っていく棺を
もとに引き出そうと
素服を着た女が飛びかかる

ちょうど閉じる火の坑の鉄門の前で
すぐ泣き声が出て来ないので
思い切り口を開けた女が胸を叩き、しきりに飛び上がる

体より大きな泣き声の塊が
出ようとして止まり狭い喉にぐっと引っ掛かり
泣き声の首をしめるや

首を吊った人の手足のように
全身が激しく空を掻いている、かゆみ

掻いても掻いても掻き切れない
脇のない
爪から血の出ないかゆみ



※キム・ギテク 1957年京畿道安養市に生まれる。中央大学英語英文科卒業。
1985年「韓国日報」新春文芸で「せむし」「旱魃」当選し、文壇デビュー。
1991年 第一詩集『胎児の眠り』刊行。詩人・李珍明(イジンミョン)と結婚。
詩集に『針穴の中の嵐』『事務員』『牛』『ガム』『割れる割れる』など。
金スヨン文学賞、現代文学賞、未堂文学賞など主要な賞を受賞。
日本語詩集は、韓成禮翻訳で2014年に思潮社から刊行。スペイン語訳詩集も刊行。

金基澤の作品は、「描写詩」とも言われ、動物や社会的弱者を具体的に細密に描いています。
しかし、彼自身が語っているように、従来のリアリズムのように理念が先行するのではなく、
「確定されたり決められておらず常に発生中」の意味を求め、内部に深く届こうとしています。
批評家は「ただの表面的な描写を超え、対象の本質的な局面を貫こうとする想像的な言葉の力を
示している」と指摘しています。
<牛の言葉は牛の目の中に皆入っているようだ>という詩句に表現される対象そのものの
言葉を聞き取る辛抱強く静かな力を感じます。

詩「かゆみ」は、時々韓国詩の中に出てくる表現で、日本なら「もがく」「もだえる」と
言うところを、より肉体的な感覚で示しておもしろいです。感傷的ではなく、感覚を
研ぎ澄ませて対象をみつめていまう。
「巨大な沈黙によって物事を凝視する金基澤は、現在、韓国の若い詩人たちが最も影響を
受けている、戦後世代を代表する詩人の一人なのである」と訳者・韓成禮さんは説いています。

金基澤さんは、2014年10月31日の私の韓国語詩集の出版記念会にもおいで下さり
とてもうれしかったです。その時、金基澤さんは、詩と解説と映像を毎日40万人にメールで
配信していると言っていました。40万人!はすごいですね。しかも、新しいITツールを
積極的に使っているところにも今日の韓国らしさが感じられます。
(思潮社刊・2400円+税)










イ・ソンボク詩集『そしてまた霧がかかった』

李孝心・宋喜復 訳

そしてまた霧がかかった


そしてまた霧がかかった ここで口に出来ないことが
あった 人々は話す代わりに膝で這って 遠くまで道を
たどった そしてまた霧は人々の肌の色に輝き 腐った
電柱に青い芽が生えた ここでは口に出来ないことがあっ
た! 加担しなくても恥ずかしいことがあった! その
ときから人が人に会って犬のように咆哮した
そしてまた霧は人々を奥の間に追い遣った こそこそ
と彼らは話しあった 口を開く度に白い泡が唇を濡らし
再び咽喉を降りていった 向かい合うべきではなかっ
た 互いの眼差しが互いを押して霧の中に沈めた 時折
汽笛が鳴って床が浮き上がった
ああ、ここに長い間口に出来ないことがあった・・・・・




南海錦山

一人の女が石の中に埋まっていた
その女の愛に 私も石の中に入った
ある夏 雨がよく降り
その女は泣きながら石の中から去っていった
去っていくその女 太陽と月が手を引いてやった
南海錦山 青い空の端に 私は一人
南海錦山 青い海の中に 私は一人 沈む


※イ・ソンボク詩人は、1952年慶尚北道で生まれ、ソウル大学を卒業。
1980年代に最も代表的な若手詩人として注目され、第一詩集『寝ころ
がる石はいつ目覚めるのか』は言語や文法を破壊した先端的な実験的詩集
として若い読者を熱狂させたそうです。第二詩集『南海錦山』(日本題名は
『そしてまた霧がかかった』)は東洋の古典や形而上学への関心が深まり、
また、民主化以前の韓国社会に対する個人的な、あるいは集団的傷跡として
読まれているようです。(「訳者あとがき」より)。苦痛や悲しみを結晶させ、
抽象的で身体的な暗喩や寓話にまで高めたことにより、普遍的な人間存在
の深淵を感じさせてくれます。天空の中の愛と孤独を鮮やかなイメージと
して定着させた「南海錦山」は心に強く残ります。
(書肆侃侃房。体2000円+税)





高炯烈詩集『ガラス体を貫通する』(4)


権宅明訳・佐川亜紀監修


美しい魚
―2011年春カトマンズに行く機内で

目を治療するために
都市から遠い地上のある山の中で
北斗七星の四番目の星に向けて
私の魂が飛び上がっていく
一番目の星が、
私の頭の後ろにひゅうっと消え去ってしまう
我が銀河の縄跳びのように
北斗六星は消え去り
四番目の星だけ
その小さな頭蓋骨の中の魂の目に
門を開き めっきをしはじめる
遥かなる未来の過去のように
地上でひとり美しく大きな骨の
魚の化石になった



銀色の透明電子ボールペンの都市


遠い都市の中で銀色の透明電子ボールペンが泣いている
都市はひとりの人間が到達できない未来
想像できない言語で生を渡って眺めた未来
すべてのものが透明な時間の中に囚われている
摩天楼の暗い午後、深く冷たい都市
直進できない屈折の時間、
バラの棘のように外部に伸び出ている
10車線の上に、すべての猶予された時間は滑っていく
悲しい銀色の透明電子ボールペンの言語、
泣き声は未来の都市では聞こえない、
自分たちのいない過去のこの時代の中で光る
その時代と彼らは立ち去り いない、
帰れない、辿りつけない都市の果て
花の茎が焼かれてしまった棘の中の黒い種たち
遠い都市の中で銀色の透明電子ボールペンが泣いている



もはや本棚が粉々に砕ける本の秋
―物になった私をニューヨークのPへ


葉っぱで作られた机の下で記憶する物を捜す
石で作った本がひとりで自分の本を読む
都市は自動で動く、どの文章ひとつ必要なかった
想いは再び交差路に帰ってきて夏を通過し、
我が家に来る道を飛ばしている
街では酸素を生産する葉緑体が修理中である
都市が木を移植する
日が暮れるとこのように明洞(ミョンドン)*やニューヨークで過去が懐かしくなるけれど、
同じく粉々になりながら本のどこか一枚がめくられたら
その心底が電灯として足の甲を照らしてくれる
本の秋は冬に行かないで他の季節に行く、本は
荒廃した精神を抱きかかえて酒を飲むとき恋人を呼び出す
夏の物たちは全部過ぎ去り扇風機が頭を下げる
机の底の壁の中を通り過ぎる、凍え裂けた冬の蠍座
彼女の掌を取って限りなく舐め上げ始めるとき
かすかな微熱の電気に感電し、男は夢を忘れる


*地名 ソウル中心部の繁華街

高炯烈詩集『ガラス体を貫通する』が出版されました。
(コールサック社・1500円+税)
日韓の被爆者を韓国詩人として初めて本格的な長編詩で表現した『リトルボーイ』で
日本に強い印象を与えた詩人が、新しい自分の詩に出会うためにより内省を深め、
文明の危機に鋭く切りこんだ注目の作品集です。
先日、日本現代詩人会の国際交流ゼミナールのために訳者の権宅明氏と来日され、
講演とシンポジウムで話されました。日中韓三国批評の可能性やアジアの詩を
もっと翻訳紹介していく必要性など、地球的、宇宙的視点は現代詩人が常に持つ
べき大切な灯だと改めて感じる内容の濃い、刺激に富んだお話しでした。







高炯烈詩集『ガラス体を貫通する』(3)


権宅明訳・佐川亜紀監修

生活保護受給権者の雨粒

電流は見ることができるけれど電子は見ることができない
人間は見ることができるけれどその人生は見ることができない
電子は見ることができないけれど彼らの集団は見ることができる
本で彼に会うことができるけれど彼を見ることはできない

空に分厚い本のような雲が裂けて垂れこめている
屋根の上にいっぱい広がっている
凸レンズのような雨粒を見ることはできない
ぱらぱら、ぱらぱら雨粒の音が氷の中にふりかかる
地面にうずくまりその音を見上げると
白くすり減った靴の底
聴覚が一番先にやってきて触る

これらはあまりにも古くなった壁紙の下の土が泣くと同時に
ぴかっとひらめいた衝突で落下し始める



裸木を見る瞬間

止める間もなく丘の黒い死体を見る瞬間、突然
雨の混じらない雪が空から降り注いだ
肉体を古びた荒目のむしろのように突き出した裸木の枝たち
永い歳月 自分を切磋琢磨した黒い霊魂の骨

風に委ねられたまま認識も想像も記憶もない
ただ一本の骨だけが黒くかかっている
辛い午後のシルエットの中で
誰だろう、ぞっとするような恐ろしい処刑に身を委ねた
終生よ おまえの生の終わりはまだここではない

百骸九竅六臓*の風葬をすべてしてもなお足りないはずの生涯
彼の未来は垂直で静止したまま
立往生で一糸まで脱がせて震えている
都市の入口でぼろをまとっている切り傷の一季節を
また全身で通過している

*百骸九竅六臓 『荘子』「齊物論」の一句
九竅 人間並びに哺乳動物の身体にある九つの穴。九穴。(訳注)


※高ヒョンヨルさんは、この詩集の後書で「見知らぬ私になりたかった」と
述べていますが、「生活保護受給権者の雨粒」も貧窮している人を
直接説明する 叙述法ではなく、自らの内部と重ね合わせるように
書いています。 「裸木を見る瞬間」も「都市の入口でぼろをまとって
いる切り傷の一季節に 荘子の故事を引き、過酷な人生を表しています。
既成のとらえ方を超え、 時間の幅を広くとって事の本質にせまっています。

◎『ガラス体を貫通す』が9月下旬にコールサック社から刊行されます。





権千鶴詩集『空っぽの都市の胸に電話をかける』

金沢吉利訳・権宅明補訳・本多寿監修



お互いがお互いに傷つけ合ったことも
今はぬくもりだ
傷の中を引っ掻き回した奸巧な舌
舌苔ができたことも
過ぎてみればぬくもりだ
あらゆる辛酸をすべて味わってから
互いの傷をなめ合う舌
今はお互いの口の中深く挿し入れる
熱いキッスをしたい



空っぽの都市の胸に電話をかける

電話をかける
空き家 空き部屋 都市の空っぽの胸に
もしもし もしもし!
正座した闇がうんざりして身震いをする
びっくりして目覚めた沈黙が受話器を睨みつける
蜘蛛のやつれた手の指が伸びてきて
壁と壁の間
空虚なモールス信号を打電してくる
もしもし もしもし もしもし もしも…
骨っ節を震え上がらせた肌寒い暗闇が
駆り立ててきた冷たい風
奥まった一隅にやっとしがみついている
体温をピシャリと消し去ってしまう
かぼそい神経の一筋
受話器の横に屹然と身をすくめて蹲り ひたすら
聞いている 沈黙のその足音を
空虚な空っぽの野原で ひゅう ひゅう ひゅう…
渦巻く
死のような絶望 絶望のような死を掃き寄せてくる
虚無の風音を
大理石のようにつやめく寂寞の流れの上に
ぶつかっては滑っていくベルの音
空き家 空き部屋 空っぽの都市の胸で虚しく
こだまが響く


※1946年に日本の長崎県佐世保市で生まれ、二年後に韓国に帰り、高麗大学卒業後、
1972年に『女像』に短編小説が当選。1999年に「現代文学」の推薦で文壇にデビュー。
2008年からカナダ、トロントに移住。詩集は『網に囚われた銀色の魚』ほか9冊。
詩の題名のおもしろさに目を見張ります。「帽子をすっぽり被った時間が大門の
外に歩いて行く」「→印通りに行く道は遅い」などユーモアとアイロニーに満ちた
想像力が印象的です。詩集名の作品からも分かるように都市生活の空虚さ、孤独、
冷酷さがよく伝わってきますが、抒情的に書くのではなく、どこかおかしみをこめて
物や虫を描写しているところが新しいです。都市化が地球上に広がり続け、文学が衰退
する現在、詩を書くとは、「空き家」に電話をかけるようなものかもしれません。
それを意識化できるのも詩の力と言えましょう。
なお、最初に権千鶴さんの31編の詩を訳した金沢吉利さんを探しているそうです。
1999年モンゴル、ウランバートルで開催されたアジア詩人大会に参加された方
だそうです。もし、ご存じの方がいらっしゃれば、佐川か、版元の本多企画にお知ら
せください。(本多企画・2000円+税)
(本多企画 宮崎市高岡町花見2894)



高炯烈詩集『ガラス体を貫通する』(2)


権宅明訳・佐川亜紀監修

地球の中心で
―何事もない道で

午後にはやるべきことがなかった
すべての日課を午前に済ませたからだ
ふと、家の下の地球の中心が知りたくなった
地球の中心を心配するのは無駄なこと?
でも 何もやることがなくて考えるのは
仕方がないことだ、
マグマが太陽のようにぶくぶくと沸き立っているはずの地球の中心
妙な魅力と安心を刺激する内部空間
地球の中心まで飛んでいこうとしたら どれほどの時間が要るだろう
ソウルからベトナムの距離くらいになるだろうか、
時速600キロメートルで飛んでいっても
十時間はかかるだろう
地球の中心に近寄りながら熱くなるはずだ
私は結局中心の外側で蒸発してしまうはずだ
地球の中心を考えるのは ほんとうに無駄なことだ
下の中心に地球の終末があるのではないだろうか
午後にはずっと仕事がなかった




汚い魚たちの衣

汚い水に種々な魚たちが棲んでいる
魚たちは汚い衣をまとった
汚い衣の中に汚い皮膚が現れた
汚い鰭を振りながら
汚い水草の間を仰向けになって通り過ぎる
その橋の向こうに人間の都市がある
日差しも下水処理場に入ってきたら、
あっという間に閻魔大王も死ぬ日没
これを自殺と表現することができる
ここには汚くないものなどひとつもない
ただ汚いものだけ入ってくる
大昔 魚たちの目は腐り始めた
カビの鱗は垂れ揺れて
都市の排水路の果てで切れる午後の
水音と光線がぴかっと、憤怒する
汚い魚たちは衣を脱ぐことができない



地球、コップ一杯の水

一日を過ごして帰ってきて
透明で付け加える言葉のないコップ一杯の水を彼から受け取る
彼は手もないまま私の前に立っている
私が踏んで一日を通うその地から上がってきた水
設計も企てもない、線も引かなかったけど ただ
一日を過ごしたという代価としてもらった
私の水だ
取り分はあまりにも小さなもの、
ただ枯渇していく魂の喉だけをしばらく潤すもの
でも すべての人間が一瞬に飲む神聖な水
不安に震えながらも私はコップを持ち上げる、水がコップを壊すだろうか、
首を下げて私はゆっくり飲む
瞬間果てしないところまで行くのはできないことを悟る
それで ふとコップ一杯の水を持ち上げて
私は水の私になる
遠過ぎる都市を回ってきたこのコップ一杯の夢の水は
絶望の末端を先に立っていく。

(「コールサック」77号掲載)





文貞姫詩集『髪を洗う女』



髪を洗う女
韓成禮訳


秋が来る前に
ポプラ*に行こうか
岩ごとに太陽の顔を刻み
日差しを浴びても血が回るマヤの女になって
黒い髪を長く結って垂らし
できたとおりに果てしなく子供を生んでみるか
豊かな多産の女達が
みどりの密林の中で罪なく千年の大地になる
ポプラに行き
椰子の葉に石をのせて家を一つ作り
私も毎晩どんどん子供をみごもり
毎年ぽんぽん子供を生まなくちゃ

黒い下水溝に沿って
コンドームと鑑別され堕胎された胎児たちと
摘み出された子宮が群れをなして流される
物騒な都市
各々不吉な武器を隠して揺れる
この巨大な奴隷船を去り
秋が来る前に
ポプラに行こうか
一番初めに飼葉桶に雨水を受けて
いつまでもいつまでも髪を洗い
濡れた髪でそのまま
千年の青い自然になろうか

*メキシコのメリダ密林の中の小さな村の名前。(著者注)



水を作る女
韓成禮訳


娘よ、あちこちむやみに小便をするのはやめて
青い木の下に座って静かにしなさい
美しいお前の体の中の川水が暖かいリズムに乗って
土の中に染みる音に耳を傾けてごらん
その音に世界の草たちが生い茂って伸び
お前が大地の母になって行く音を

時々、偏見のように頑強な岩に
小便をかけてやりたい時もあろうが
そんな時であるほど
祭祀を行うように静かにスカートをまくり
十五夜の見事なお前の花草を大地に軽くつけておやり
そうしてシュルシュルお前の体の中の川水が
暖かいリズムに乗って土の中に染みる時
初めてお前と大地がひとつの体になる音を聞いてごらん
青い生命が歓呼する音を聞いてごらん
私の大事な女よ



※ムン・ジョンヒ(文貞姫)1947年全羅南道宝城生まれ。高校時代に
詩集『花の息』を発刊。東国大学国文科及び同大学院を卒業。文学博士。1
969年「月刊文学」新人賞当選で詩壇デビュー。詩集に『男のために』
『おいで、偽りの愛よ』をはじめ、詩選集『幼い愛へ』等、三十冊余の著書が
ある。現代文学賞、金素月文学賞、鄭芝溶文学賞などを受賞。1995年アメ
リカ、アイオワ大学のインターナショナル・ライターズ・プログラムを修了。
マケドニアテトボ世界詩人フォーラムで「今年度の最優秀作品賞」を受賞。
第5回チカダ賞受賞。英訳詩集『WINDFLOWER』等海外多国で翻訳出版。

※豊かな女性の生命力をみずみずしく美しく表現し、荒廃した都市文明に
鋭い批評を向ける文貞姫さんは世界的に活躍し、韓国を代表する女性詩人
です。簡潔で力強く、躍動感のある表現は、活力に満ちたモダニズム詩を
生成しています。









『金知栄詩集 薬山のつつじ』


都羅山(トラサン)駅にて


たちこめていた朝霧が晴れ
透明な陽射しが降り注ぐ
北に向かう最初の駅で
国際線の切符を一枚買い
都羅山駅のプラットホームに立つ

開城(ケソン)を通ってピョンヤンを過ぎ
広大な大陸を渡る長い旅路を終えて
到着したばかりの列車が乗客を吐き出し
平安道(ピョンアンド)、咸鏡道(ハムギョンド)、
全羅道(チョルラド)、慶尚道(キョンサンド)
それぞれの方言がしぜんに混ざりあい
和音を奏でるプラットホーム

断たれた地脈をつなぎ
引き裂かれた血脈を接ぎ合わせ
あたりまえに息ができるその日に向かって
休む間も惜しんで駆けた歳月のように
年輪が刻まれた線路に希望を託し
未来を夢見る

北のつつじと
南の菜の花の香気に酔いながら
私はプラットホームに立つ

積もりに積もった旅の疲れを
車窓を通り抜ける風で吹き飛ばし
ピョンヤンを越えて
シベリア大陸の未知の空気を吸いに行こうか

胸にそっと切符を一枚忍ばせて
(二〇〇七年十二月)


*二〇〇七年十二月、五十六年ぶりにソウルからピョンヤンへ向かう
ムンサン―ボンドン間の線路がつながった。しかし、二〇〇八年から
列車の運行は中断 している。


*金知栄さんは、1945年に韓国大邱市に生まれ、68年に結婚して
日本に渡りました。74年に在日韓国人「政治犯」の崔哲教救援運動を
契機に韓国の民主化・統一運動に参加し、旅券発行を拒否され、02年
まで韓国に帰れなくなりました。「民族時報」で執筆活動をし、張貞任詩集『あなた
朝鮮の十字架よ」の日本語訳を刊行しました。「チョンソリ詩人会」に入り、
2014年3月日本語と韓国語による詩集『薬山のつづじ」を上梓されました。
韓国の母、自然への思慕、分断された祖国の統一を願う祈りが切実に伝わって
来ます。東日本大震災時に宮城県で韓国料理をふるまった「一杯のトックに」
は国境と民族を超えた共感が温かいです。(コールサック社・1500円+税)














高炯烈詩集『ガラス体を貫通する』(1)


権宅明訳・佐川亜紀監修



まったく同じように生まれた永遠の泣き声をとどめて
きらめく宇宙の忘却の涙の海
都市が追い出し 詩人の網膜が開けられた
永遠の時間を 波打つ言語の光速の中を
地球人も一緒に行く
本当は申訳ないことだ、あの天体の星たちが
人間のための星ではないから。

暗黒の破滅の光の束で構成された星
クエーサーからくる光たちの死が到着する
宇宙のガラス窓を直接貫通する
粒子波動のナンセンス、
再び拾うことのできない刹那のメタファー
悲しみの光たちのみ実体として庭に積もる、
いつも星は天空に残って泣いているだけ。

*クエーサー・・・準恒星状電波源



軟禁されたひとりの詩人の反省

大切な青春時代にこんな作品しか書けなかった
さっさと持って出て行け、見たくもない
ところで、不思議だ、毎日反省し調律したのに
なぜこれしかできないのだろう。

もう一度80年代初めの新人時代に戻りたい
もう一度その時代に返してもらえないだろうか、私の言語と青春を
そして 私の詩の必然を、初めの詩句を

なぜこのざましかできないのだろう、私は死にたい
もっと遠いところに連れていき、忘れるようにしたい
あんなに痛く惜しい多くの時間があったのに
私はどうしてこのていたらくなのだろう、まったくわけが分からない


(日本語訳初出「コールサック」76号・一部改稿)

※高ヒョンヨル詩人は、日本でも詩集『リトルボーイ』(韓成禮訳)『アジア詩行』(李美子訳、
いずれもコールサック社)を刊行し、知られています。編集者としても活躍し、2000年から
アジアの詩を集めた詩誌「詩評」で多文化のすばらしい業績を創られたことは前に記しました。
しかし、「詩評」の終刊は、高度資本主義文化と新自由主義経済に呑み込まれようとする韓国
の現状を表わし、詩人に苦い痛みを与えました。その痛みを詩人として表現していこうとする
意欲はさかんです。今年、9月には日本現代詩人会の国際交流行事に訳者の権宅明詩人と
来日し、シンポジウムも行われる予定です。これから数回、高詩人の詩を紹介します。






金イドゥム


見張り

佐川亜紀訳 権宅明補訳

上唇 下唇
つじつまの合うあなたの言葉
何のためにまた帰ってきたの?

私たちは火鉢の前で焼酎を飲む
ついに開かない貝を火網の上で箸でつまみ上げ
無理やり開ける時
私はもはや死んだことを黙って受け入れなければならなかった

暗闇が来たら明るくなるお前
周りが静かになる瞬間に目覚めるお前
試練や苦痛を歓待するお前
お前は平凡だ

変わることなく花びらは咲き
争いなく木の葉が自分の場所で育つ神秘により
私たちの大げさな訴えと猫被りはつじつまが合う

私よりもっと痛くて病んでいる人が近づくことができないように椅子を守る
稀少性が重要だ 去った人や死んだ人は帰ってくることができないように
できるだけ早く埋めるか 焼かねばならない
今 自分より無能力な人々だけ入ってくるように
この区域の出入りを統制する
去ってから帰ってきたら何か変わっているはずだと思ってたの
さて 何のために戻ってきたの?
すべての記憶とすべての追憶は失敗に帰結する

老いて病んだ移民者たちが戻ってこれないのではない
戻らないものだ

死んだ者たちも戻ることができるが 来ないものだ
役立たなく手にも負えない能力のせいで
気まずく面目がなく迷惑そうで お前の部屋をノックすることができないものだ
追放というのは何だけど
歓送パーティーに 最後の札まで終わったところで

※キム・イドゥム 1969年慶州晋州生まれ。2001年「ポエジー」でデビュー。
詩集『星形の染み』『明朗なれ パムパタル』『話すことができない恋人』
『ベルリン、タルレムの歌』。2014現代文学賞の候補作品。

「この区域の出入りを統制する」ため見張りをする人々。閉塞状況を自ら作り出す
文明社会を、官能性もこめ、死にまで知性を及ぼす書き方が新しい詩人です。







金泳勲詩集『通仁詩』


果物をむきながら
金一男訳

果物をむきながら
刃物の効用を考える
短いこの刃を磨けば
鋭い刃が立つだろう

大きなものをいくつにも分けて
みんなで食べることができれば
国境の向こうまで
喜びが倍になる

さびた刃を磨きあげれば
正義の先鋒になりもするが
時には善良な命をねらう
卑屈な手先にもなる

悪しき者が手にすれば凶器になり
良き人が手にすれば分かち合いになって
和平をもたらす道具に使われれば
この世はますます明るくなる

※「通仁詩は四行四連で、行から見ても連から見ても起承転結になっています。」
と作者は序で述べています。
自由詩がさかんな韓国で定型に意識的なことは注目されます。
訳者の金一男詩人は、日本「時調の会」韓国「時調生活」同人で、
韓国定型詩の復興に尽力されています。
金泳勲詩人は第2詩集から第5詩集までを通仁詩で書いたそうで
「尖端科学の時代には、わが文学にもいっそう深みのある思考力を
必要とする規則が必要だ」と考えられたそうです。
私も四行連詩をおこなっていますが、四行は世界じゅうに存在するリズムで
奥深いものを感じます。
定型と破格を繰り返す詩歌の歴史の貴重な試みでしょう。




許ホン

北回帰線から届けられた小包

許ヨン
(2014現代文学賞受賞)
佐川亜紀訳・権宅明監修

時節はずれに降る
水気の多い雪を眺めながら
雪片たちが大事を起こすのを眺めながら
私が座っているこの椅子も
いつかは
雪が積もった冬の木だったことを考えた


思い出はそのように
まったく別のところで
まったく別のかたちで霊魂になるものだと
無駄なことを考えた

あなたが
北回帰線の下 どこか
熱帯の国から
ずっと以前に送ったはずの小包が
今 到着をし

すべてのものを最も先に感じるものは涙だと
私は小包をこじ開けるよりも前に
涙を流した
小包には災難のように去ってしまった思い出が
書かれていた

真白な忘却があなたに覆いかぶさるときも
私は真青な毒薬が盛られた小さいビンを持って
待ちながら立っているだろう。私を忘れることができないように、
私が忘れることができなかったことのように

震えながら 震えながら
真白い雪片たちが
思い出のように死にかかっていった





1.
ある詩人の詩集を見た。詩集1冊がすべて性欲だった。ああ!彼は消滅していったな。
羽化を終えた晩夏のセミのように消滅に行きつついたな。そんなだったな。殻だけ残った
彼の詩集を見ながら、彼の羽化を見ながら「体」がつまり彼だったことが分かる。
霰が降りしきっていた。それで今日ぼくは5、6回消滅を考えた。

霰は絶え間なく斜線で降って来て
きたならしく きたならしく 死んで行って


2.
今年の冬をかろうじて越した一番端につるされた生が消滅と親しくなって。
突然の霰が降りしきる道で生は霰に出会い汚くなる。霰が降る日、解を求めるために
街はきたならしく死んで行く。三代の間も抜け出すことができなかったといわれる
盲目的な愛情の代価がこの冬 まとまらない霰に舞い、世の中はきたなくて涙ぐましい。

今年の最後の雪が死にかかっていった


※許 ヨン 1966年ソウル生まれ。1991年「現代詩世界」でデビュー。
詩集『不穏な黒い血』『悪い少年が立っている』『僕が望む天使』。
<詩作作品賞><韓国出版学術賞>受賞。








『詩評 2013年冬号』

序詩 
朴永根

佐川亜紀訳

行きながら 行きながら
泣きながら 立ち上がりながら
出会う 小さな光たちを
詩と呼びたい


恐ろしくて 震えながら体をすくめ
とても暗い所に落ちて
血を流し 絶望する姿と
気の毒なほど恐ろしくて震える姿と
寂しくて喉がふさがるほど
慕わしい人を呼びながら
泣き出しそうになる姿を
夜ごと冷汗をかきながら
過ぎた季節が原罪のように喉をぐっと押さえつける
長い悪夢に苦しむ姿を
忘れられないほどはっきりと受け取り
受け取って 強く突き当たり
強く突き当って固くなった者たちを揺さぶり
揺さぶって とうとう
異なるすべての命たちといっしょに
流れる力を
詩と呼びたい


働いて 食べて 生きていく時間のなかで
働いて 食べて 生きていくことを
悔いる時間の中で
時々自らの生身を噛み千切る
寂しさの中で しかし
とてもへりくだって小さな声で
恥じ入りつつ呼ぶ名を
詩だと書きたい



廃業

一羽の鳥が曇り空を泣いている

腹をすかせて 流れてゆく工場の煙突の煙 何口かかすめる

ああ 秋雨 強く吹きつけ 冷たい霜 降り敷かれれば
一つの心 踏みしめる所までも
冷たく 凍りつくだろう

さあ 飛んで行こう 絶壁のような空を裂いて
血がついたくちばしに かんかんとした日差しをくわえて
さえずっていた歌
夢に浸って 寂しく空を流れる
夕焼けの中 燃える、鳥よ


全斗煥独裁政権が暴圧的な労働者弾圧を通して朴正熙政権末期に現れた経済危機を縫合
させようとした1980年代初めから、暴発的な労働者の大闘争を経て、新自由主義の
世界化が本格的に受容され急進的な労働運動がだんだん弱体化されていった1990年
代初めまで朴永根は3冊の詩集を出した。『求人広告板の前で』(青史、1984)、
『隊列』(草色1987)、『金ミスン伝』(実践文学社、1993)がそれだ。
この3冊の詩集を読んでみれば1980年代労働詩の諸傾向をすべて見ることができる
気がする。(李ソンヒョク)
朴永根 1958年9月3日生まれ 1981年詩壇デビュー 2006年5月11日他界



※私も企画委員を務めていた韓国季刊詩誌「詩評」が終刊することになりました。
アジアのたくさんの詩を紹介し、日本の詩人たちも多数掲載してくださった詩誌の
終刊は大変残念です。主幹の高ヒョンヨル詩人の編集後記は、高い志と現在の
詩の困難を表現していて胸に迫ります。彼と支援者に心より感謝申し上げます。

(編集後記)<詩評>終刊の辞

詩人たちが一緒に作った季刊<詩評>よ、サヨナラ!

2000年の秋に創刊した季刊<詩評>は、2013年冬号(ムク・定期刊行物合算第14巻2号、通巻54号)
で終刊する。雑誌を通した詩の創作、朗読、批評、旅行、交流等の文学的な仕事が、ここで中断す
るようになったのは、身を切るように痛い。最善を尽くしたが、色んな条件が改善されなくて、
編集を中断することにした。
本誌に紹介された340余人のアジア詩人たちの作品に対する思い出が、もっとも長く残るだろう。
アジア各地の詩人たちが本誌に届けてくれた作品は、多分私の生涯では忘れることのできないこと
であり、負債となった。私はこの負債を栄誉として、大事に納めておくつもりである。
どうしてアジアの数多くの詩を、一つの言語の中に編集する考えを持ったのだろう。ふと、過去14年
の遥かな事々がかすめていく。昨日の現実が他の夢になるという事実を悟る。彼らも私も心が貧し
くなり、互いに会いたがっていた言語の夢であった。
今世紀初めの秋に創刊した<詩評>は、一つの世紀を越えて素朴な詩的認識から出発した。再び新し
くよい詩を書いてみようとする、言語回復の心と、他の脇道を切り開きたかった真心があった。一方、
重い詩を少し軽くしてやりながら、詩の本領と倫理を忘れない古道を探そうとした。
決まったことなく、少ない紙面に巨大なアジアのあらましを立てて、アジアの詩を集中的に紹介して
きた。それが何であっても、彼らの葛藤と夢を濾過なく載せた。彼らの言語の中には、韓国の詩に劣
ることのない、高い抒情と痛みがあった。
脱韓国詩壇のアジア的開放と包容は、新しい詩作の模索と読み方の変化のために、これからもっと必
要であるかも知れない。西欧の詩よりもっと馴染みのないアジアの詩を、韓国が受容する道は、韓国
詩の多文化的思惟の道を開くことでもあった。韓国詩の読者が韓国人だけではないようにしなければ
ならない。
この問題は発行人と財政にある。先鋭なジャンルが文明の墓になり、詩の言語が光速の感覚に押し退
けられた。<詩評>は道を探せなかった。夢と現実の葛藤を見せてくれた触手たちは切り断たれ、泥
沼の中で花になれなくて、一人の詩人も囚われてしまった。
高度資本主義社会は浄化の必要な過負荷と過度な疲れにさらされている。
憧れの現場が破壊され、情緒は後期現象を花咲かせる。
詩の立場から見ると、読者と詩が閉鎖される、厳しく危ない状況である。既に詩の
価値と形式が未来社会の祭壇の前に、密かに終焉したのだろうか。
一人の詩人と出版社、団体に委任しようとした<詩評>は負担になった。けれども、詩人たちだけ読
んでも、生の息遣いと自由な言語に出会える、レベルの高い詩誌は存在しなければならない。詩人の
存在もやはり新しくなるべきであろうが、詩の夢はそのどこからででも咲かなければならないからである。
困難と喜びをともにしてくれたアジアの企画委員、編集・諮問委員、愛読者の皆様に感謝の意を表する。
梨花紙業、三信文化、成文製冊、ナモ・エディティんグ等、協力会社と、最後まで表紙と本文をデザイ
ンした、ウンユン、写真を提供してくれたハヨンに、感謝したい。
本誌終刊とともに、32年間も携わってきた編集の仕事から離れる。これから私は、主幹とか編集者では
ない、一人の詩人に帰る。私がいるべきその場所で、たまに配達される小さな夢の種を開封しながら、
手の届かない言語をまさぐり、風のようにもっと知らないことを積んでいくことを願う。
終刊号の表題作は朴ヨングン詩人の「序詩」に決めた。読み返すと、死んだ詩人の詩が、痛くて熱い。
2013年11月 高炯烈
(権宅明訳)







『金時鐘 猪飼野詩集』

見えない町

なくても ある町。
そのままのままで
なくなっている町。
電車はなるたけ 遠くを走り
火葬場だけは すぐそこに
しつらえてある町。
みんなが知っていて
地図になく
地図にないから
日本でなく
日本でないから
消えててもよく
どうでもいいから
気ままなものよ。


そこでは みなが 声高にはなし
地方なまりが 大手を振ってて
食器までもが 口をもっている。
胃ぶくろったら たいへんなもので
鼻づらから しっぽまで
はては ひずめの 角質までも
ホルモンとやらで たいらげてしまい
日本の栄養を とりしきっていると
昂然(こうぜん)とうそぶいて ゆずらない。


そのせいか
女のつよいったら 格別だ。
石うすほどの 骨ばんには
子供の四、五人 ぶらさがっていて
なんとはなしに食っている
男の一人は 別なのだ。
女をつくって出ようが 出まいが
駄駄っ児の麻疹(はしか)と ほおっておき
戻ってくるのは 男であると
世間相場もきまっている。
男が男であることは
子供にだけはいばっていること。
男の男も 思っていて
おけんたいに
父である。


にぎにぎしくて
あけっぴろげで
やたらと ふるまって ばかりいて
しめっぽいことが 大のにがてで
したり顔の大時代が
しきたりどおりに 生きていて
かえりみられないものほど
重宝がられて
週に十日は 祭事(チェサ)つづきで
人にも バスにも 迂廻されて
警官ですら いりこめなくて
つぐんだが最後
あかない 口で
おいそれと
やってくるには
ほねな
町。
(後略)



※金時鐘氏の代表作『猪飼野詩集』が岩波文庫に収録
されました。入って当然ですが、快挙と思います。
「猪飼野」とは、大阪市生野区の一画で在日朝鮮人の方々が多数密集して
居住していた所ですが、1973年2月1日をもって町名が消えました。
朝鮮の生活と民族文化習俗が色濃く残る地域として知られ、
在日の生そして日本を映し続けた場でもあります。
冒頭の「見えない町」は「猪飼野の生活実態を下地にしてできている
作品」と作者自ら解説で述べていますが、在日朝鮮人の生活実態を
描くということ自体が画期的な功績でした。在日一世にとって日本
での暮らしは仮の姿であり、故郷朝鮮のことを書くのが、さらには
政治的テーマを書くのが第一義的だったのです。しかし、「詩こそ
人間を描くものだ」という作者の思いは、差別的な境遇にも負けず、
人間味全開で「イルボン サリ(日本暮し)」を営む人々を生き生きと
表現し、記録しました。見えなくされ、「果てる在日」、そのような有様を
強いる日本社会も直視しています。時代と人間内部に及ぶ鋭い視座は、
地球上のディアスポラとなる様々な人々への普遍性を持っています。
「犠牲者の縁族から殺した側の縁類まで、軒を連ねて祀りがつづき、
供物の料理が隣りどうしで配られる。いかな分断対立の軋轢も、
猪飼野でなら根で絡み合っている暮らしでしかないのだ。」
「私の猪飼野は遠くもあり、すぐそこでまだ火照っている、
同族融和へのつきない私の思いのようでもある。」という文章は
在日史を貫き、現在も切実に響く言葉だと痛感します。
(岩波文庫・920円+税)










『海の花が咲きました』

文明の食欲 

ぺ・ハンボン
韓成禮訳

服の食欲は
旺盛だ、性欲より睡眠欲より強力だ

私は服の腹を充たす食糧である

靴下をはくと、足が
消える、靴下が、足が食べた

左脚を食べたズボンが
右脚を差し入れると右脚まで
食べてしまう

左腕を入れると左腕を、右腕を入れると
右脚を食べるジャケット
噛みもせず、
飲み込んでしまうジャケット

私は今や肩も胸もない
私は今や一着の服なのだ!

街には人を着こなした
大勢の服がふわふわと歩き回る
はじめから犬や猫を着た服もある

朝から旺盛に私を食べ尽くした服は
日暮れには
私を
産み出す

生きている限り、私は
絶えず産み出され、絶えず
消費される


※ぺ・ハンボン 1962年慶尚南道生まれ。1998年「現代詩」新人賞受賞。
「現代詩作品賞」「素月詩文学賞」を受賞。詩集『黒鳥』『牛浦沼の青鷺』
『楽器店』『眠りを叩く水の歌』など。



猫の眠り
キム・イェガン
韓成禮訳

花という釘に蝶が引っ掛かってしまった

世も知らずに眠り込んだ引き出し

箱が押し出されても寝込んでいる 雲という引き出し

光合成が必要なのか 日差しの方に顔を向けて眠る

黒い木の下の黒い鳥の口笛に身を任せて流れて行きたい

雲という引き出し

毎日毎日

一度入ったら出られない地に

歩いて入って行く引き出し

砂漠を横断する引き出し


※本名・金昌淑 1961年 慶尚南道生まれ。2005年「詩と思想」で
文壇デビュー。現在「詩と思想」の編集に携わっている。

※『海の花が咲きました』は、韓国の詩人・翻訳者・韓成禮さんが、
編集・翻訳した詩選集です。高銀、長谷川龍生はじめ70人の
韓日詩人が対訳で収録されている貴重なアンソロジーです。
韓成禮さんは<太古から空にはひびがないように、地上には
国境線がなかった。そんな意味では詩人たちこそが、割れた
ひびにかまわずに鳥や雲のように自由に飛び、そして流れて
いくことを念願する魂の種族たちなのであろう>と述べています。
名古屋の詩誌「宇宙詩人」(代表・故・鈴木孝)との交流から
生まれたそうで、韓国のヘソン出版より発刊されました。






『朴利道詩集』

権宅明編訳  森田進監修

夜明けの夢
―言語を釣る


夜明けの夢に
海辺の漁師になる
光の言語で網を打つ
みずみずしい言語を掬い上げる漁師
海では
光が積もるのを見ることができる
金貨のように散りながら意味を生み
こぎれいなイメージを見せてくれる
未知の言語を釣る
夜明けの夢

昨夜には
雪が降った
引き続き積もる雪道に
一人で発ちたい

私の足跡も埋もれてしまった
完全な失踪宣告を受けて
雪だるまとして ミイラとして
ただ立像でありたい
まだ意味のない
野生の原木でありたい
初めて浮かび上がる言語でありたい



皇帝と私



我が皇帝の目は老眼
無限の植民地の労働を集めて帝国を立てた
自ら帰っていく雄大な王の墓を用意しながら
彼は満足げに笑うしかなかった

我が皇帝の目は見えなくなった
まだ支配していない大陸のために
兵士を送り また送った 生きている限り
あの遥かに遠い地平を越えて 水平線を越えて
果てしない征服のために生きている限り
彼は瞬時も王冠を脱ぐことはできなかった
静かな午睡の秘密を最後まで知らないまま
疲労した顔に皺が寄られていった

皇帝の目は老眼
彼の目は見えなくなった
彼の目は見えなくなった
(後略)


※パク・イド 1938年平安北道宣川郡南面で生れる。45年日帝の
植民地支配から解放される。46年 北朝鮮の共産党に追い出され、
南に越境する。ソウルに引越したが、朝鮮戦争時に釜山、済州島で
難民生活を送り、再びソウルに戻る。62年韓国日報新春文芸懸賞募集に
詩「皇帝と私」が当選する。以後、『回想の森』『北郷』等13冊の詩集を
刊行し、詩集『約束の地』で片雲文学賞およびキリスト教文化大賞を
受賞する。韓国キリスト教文人協会の会長など歴任。

*朴利道は、エッセイ「私は魂の神性を信じる―文学と人生、50年」
で「私は魂の神性(divinity)を信じる。私は哲学的、神学的言語
(logos)としてのその力と神性を信じる。肉の限界を知り、生命の
超越性とその境界を往来する詩的霊感を信じる。詩的霊感とは、
誰にもあるものである」と述べています。キリスト者として神の光の
言語で世に網を投げかけ、また、未知の言語そのものとして立つ
姿勢が「夜明けの夢」によく表現されています。
また、「皇帝と私」のように、地上の社会歴史的な視点からの
作品も書いています。「皇帝と私」はアイロニカルな寓話として
創作されていますが、日本統治時代の少年の苦痛を描いた
「宮城遥拝」「神社参拝」「解放」などリアリズムの作品もあります。
評論家・柳成浩は「朴利道詩学は、天上の価値である『沈黙の声』
と、地上の価値である『愛の種』を統合している」と指摘し、平和
への希求がこめられていると解説しています。

朴利道は現在の文学的営みについて「今終着駅に着いてみたら、
私は誰もいない、名もないある簡素な駅に下り立ったのであった。
道路の標識板もなく、寂しい小道さえないところが、我が人生の
終着駅であり、我が墓であることを悟った」と語り、人の賑わいから
遠い詩文学状況を率直に認めています。が、詩の光源である
「魂の神性」への意志は詩的生涯を貫いてあり静かな感動を
呼び起こす詩集です。
(土曜美術社出版販売・新・世界現代詩文庫13・1400円+税)








高銀詩集『瞬間の花』


アウシュビッツに行き
積まれた眼鏡を見た
積まれた山のような靴を見た
帰り道は
お互い違う窓の外を眺めた



襟を正せ
廣州 利川の燃え上がる窯の中
陶器 一品 煮えていく



あなた 俺が来たよ
厳しかった冬 すっかり去ったんだよ
妻の墓が静かに笑う



千年の追憶を持っていると言った人がいた
千年の未来にとっくに行って来たと言った人もいた
風が吹く日
ぼくはバスを待つ



貧乏な家の庭
月の光が明るくて 餅をつくっているね



風に飛び行く
タンポポの種くらいでありなさい
晩秋のススキの種くらいでありなさい
独り行き わが世を設けてみなさい



あの蝉の鳴き声
10年 あるいは15年も
土の中にいては 出て来た泣き声なんだよ
感謝しなよ



チベット チャンタン高原 アルリ
そこにも
人が暮らしていた
子供たちがけんかしていて
犬がそのけんかを眺めては
一方の足を上げて
しばらくおしっこをもらしていた




冬の残雪 敬虔なることよ
カラマツ
からの体で
つん
つん立ち
どんな言葉にも嘘がない

こんなところを畏れ多くも 私が通り過ぎている





江原道 旌善 カリ王山
流れて来る
小川の水
まめまめしい
それより さかのぼって
行く
メダカ まめまめしい
マス まめまめしい




コノハズクが全身で鳴く間
星たちも全身で輝いている
このような世に私が堂々と横たわって眠ろうとする




4月19日
最初のヘビが出てきて死んでいるな

私はとても長く生きたなあ



二人の乞食が
いただいたご飯を分けて食べている

三日月が力強く輝いている


※高銀詩人はまさに「瞬間の花」のような短詩を書いています。
定型ではないですが、直観でとらえた本質を無駄のない鮮やかな
言葉で表わしています。2001年に初版が出て、2012年に11版を
重ねた詩集です。「4月19日」は1960年に当時の李承晩政権を
倒した民主革命のことです。民主化運動の最初に死んだ人々を
悼んでいます。






崔泳美詩集(2)

ソウルのウランバートル


どのような神も
奉らなかった
どのような人間にも
仕えなかった

天から落下した鳥のように
私一人で家を建て 崩すのが上手な
私は遊牧民
農耕社会で生きるのにちょっと苦労したわ

似合いの衣装ダンスを買わず
まともな机もなく
エアコンもキムチ冷蔵庫もなく
車もなく生きた ただ

ここは大韓民国
彼が入るセメント壁の大きさで
彼が転がす車の名で評価される国

定着してこそ 所有し 蓄積し
定住してこそ 愛し 認められるのに

誰の下に入らず
誰の上に乗りもせず
一人で生きるのにちょっと苦労したわ

私があなたの家に入ろうか?
私のむさくるしい天幕にあなたが来る?

私を畳めば
とても軽くなるはずよ



魔法の箱


旅行カバンは括弧の箱
何を入れてもぎゅっといっぱいにならない
47年と5ヶ月になった
陳腐な悩みを55×40×22cmの四角形に押入れ
空へ飛び立つ夢
めちゃくちゃ台無しになった人生も飛行機の風を浴びたら
まっすぐに伸びるという
魔術を信じる者は幸せだ

白い雲が綿入れの掛け布団のように敷かれた
1万2千メートルの空を見下ろしながら
鶏小屋の鶏のように安全に
食べて排泄する退屈よ!
出発のように大きく波打つ到着はない

油っこい焼きギョーザのようなアメリカの都市を飽食して
ビールより苦々しい記憶をアルコールで消毒する
軽くなった生涯を再び括弧のなかにくくる

荷を全部減らしても重い
旅行カバンは魔法の箱
永遠に寝付けないベッド



※ 崔泳美(チェ・ヨンミ)さんの新しい詩集『すでに熱いものたち』からの訳の続きです。
崔泳美詩人は、大学生の時に学生結婚をしましたが、離婚し、その後一人で暮らしています。
単身で暮らす女性に対して、まだまだ韓国では風当たりが強いらしく、農耕社会の中の遊牧民
のような気がするのでしょう。しかも、世界を旅してエッセイを書き、韓国国内でも頻繁に
引越しをする崔泳美詩人は根無し草のような孤独感を感じるようです。しかし、それこそ
真の詩人の姿とも言えます。どのような神にも人にも仕えず、自分の生涯を旅行カバンのように
身軽にし続ける姿はとても魅力的なのです。





シム・ウォンソプ著『秘密にしていた話』



2013東京国際ブックフェア「韓国文学は今」の「わが人生、わが詩」で
司会を務めてくださったシム・ウォンソプ先生のハングル・エッセイ集『秘密にしていた話』
は詩情あふれる文章です。優しく、考え深い人柄がにじみ出ています。
尹東柱(ユン・ドンヂュ)が通った延世大学と大学院を卒業し、
東京外国語大学でも学ばれました。
『写真版 尹東柱自筆詩稿全集』(韓国 民音社)の大冊も共編されました。
尹東柱が厳しい時代に、原稿用紙に端正なハングルで一語一語思いをこめて
詩を綴ったことがよく分かる貴重な本です。
近代文学期の韓国留学生文学者の研究についての出版もあります。

シム先生も日本に滞在され、韓国を恋しく思われたようです。
「私は日本で教職に就いている間、ずっと韓国が恋しかった。」
しかし、現実は「どこに行っても葛藤がある現実、いや解決しなければ
ならない心の中の課題が待っているだけだった。」
それでも「遠くで輝くものだけに憧れて生きてきた私の人生。
こんな私を後輩たちは、こう呼ぶ。『先輩は永遠のロマンチストだよ』。そのとおりだ。
あの遠くの闇の中で光っている灯火、手にとることができないその灯火のようなものだけを
追いかけて、私は生きてきたのかもしれない。」(「灯火について 2」)
「秘密にしていた話」も25年間秘めていた恋心のお話です。
急速に経済発展する韓国でも人情や思いやりを忘れない人々の姿も印象深いです。
川や雪、木などの自然の美しさを情景が鮮やかに浮かんでくるように描かれています。
とても仲の良い夫人が、韓国ドラマの年下の男優に夢中になっているときは「少し怖い」などの
ユーモアも微笑ましいです。シム先生の落ち着いた良い声のCDも聞きやすいです。
もともとNHKラジオのテキストに連載されたもので韓国語の学習にはうってつけです。
(NHK出版 本体1400円+税)








崔スンホ詩集『氷の自叙伝』



韓成禮訳


背中に荷物を負って飛んだり、ヘリコプターのように荷物をぶら下げて飛ん
でいく蝶を、私は見たことがない。蝶は軽い体が一つあるだけだ。体一つが
全財産である。そして所属もない。無所有の軽さで彼は飛び回る。花は彼の
居酒屋であり、葉は雨宿りする彼の寝所なのだ。彼の生はひらひらと飛ぶ踊
りであり、踊りの終りは彼の死である。彼は老いて死んで行きながらも望む
ことはない。望むことがないので死ぬ時にも彼は自由である。



缶詰め

韓成禮訳


私は死んだら喜んで腐ろう。
大地には肥やしが必要だから。
雲は私の幾升かのつゆが必要だから。
しかし生きては
私の前に果てしなく開かれた時間の干潟を
足の裏で歩いて出ねばならない。
大地は私の肥やし、
雲は幾升かのつゆを肥やしに注いでくれるから。
しかし今、私は部屋
すべての扉が固く閉まった夜岸の
壁の中にいる。
天井の上を騒々しく走った鼠たちが
死んで腐っていくのが何日間か
天井に縁を広げながら染みがつき
ハエのクソとネズミの小便とクモの巣で
ごっちゃになった天井が、私の魂を陰うつにする。
商標が派手な缶詰め
つゆに浸っている缶の中の死骸の固まり、
ちょっとやそっとの味付けではもう
この味は変わらない茹でた死骸の味ではないのか。


7月5日の東京国際ブックフェア『韓国文学は今』<わが人生、わが詩>で
崔スンホ詩人と安ヒョンミ詩人と鼎談しました。崔スンホ詩人からの質問で
興味深かったのは、私(佐川)のように社会派の詩人は「余白」をどのように考えて
いるかと尋ねられたことです。確かに、余白や行間にこそ詩があると言われますが、
従来、叙述型の長詩が多かった韓国の詩人からそういうことを聞かれるのは初めて
でした。最近の韓国詩が芸術的要素を重視するようになった証拠でしょう。
崔スンホ詩人は1980年代に参与派の詩人から、立場を明確にするように迫られ、
しかし、崔詩人にとって大切なのはあくまで芸術としての詩だったそうです。
安ヒョンミ詩人は民主化闘争を行った先輩世代に複雑な思いがあり、社会性と芸術性の
間で悩んで、自分の詩を書いているそうです。
このことは、7月3日の金ウチャン教授と対談した柄谷行人氏が指摘した「知行合一」
に関する日韓の認識の違いに通ずるかもしれません。金教授は韓国でデモが多すぎると
批判しましたが、柄谷氏は日本ではデモが少なすぎると感じたそうです。
日本では詩が行動に結びつくより、作品としての完成度が重視され、余白も永遠を暗示しますが、
あまりに超越的であったり、旧来的な美に固執するのは作品の生命力を弱めるかもしれません。
崔スンホ詩集『氷の自叙伝』が韓成禮さんの訳で思潮社から出版されましたが、現代文明への
批判は鋭く、いきいきしており、現実社会に切り込む刃は光っています。
一方、美的、形而上的な作品もあり、崔スンホさんは今も批評性と芸術性を二つ併せ持った
詩人だと思いました。(思潮社、本体2400円+税)



金里博詩集『三島の悲歌』

「序の章」から

上野都訳

他人(あだしびと)ならぬ「他人」
はらからでもない「同胞」
それが まさに二つに割れた現実(いま)の我ら。
神の作為ならば悪戯(いたずら)が過ぎる!
仏の掌なら余りにも広すぎる!

韓の血筋という言葉は捨てるか?
韓民族という言葉も櫃に押し込め隠しおくか?

肌の黒い同胞がいて
白い皮膚、赤い髪の同胞がいる
韓服をせせら笑う者もいて
キムチ、唐辛子、塩辛が食べられない同胞もいる。

そうだとしても
島国・三島の同胞は違った、今も違う
誰がどう言おうと違う!

それを知らずして
「母国」と称する大韓民国は潔いとは言えず
「金持ちだ」と偉そうな口をきいてはならない。

それゆえ
在日同胞の歴史は
米国の僑胞の歴史とも違い
欧州の僑胞の歴史や
ロシアの韓国人の歴史
豪州の僑胞の歴史とも
あの中国・朝鮮族の歴史とも違い
見かけは違いながらも全く同じであることが
正しく分かるようになれば
この後
我が五千年の文化、心の在り処(どころ)は
子や孫たちが
主体と尊厳を持ち誇り
血と力と技で護ることを知るであろう。(後略)


金里博詩人は在日韓国文人協会会長で、朝鮮大学理学部卒の時調詩人。
旺盛な創作力と果敢な行動力を兼ね備えた詩人です。大長編詩『三島の悲劇』は
金詩人がハングルで書き、上野都詩人が日本語訳をされた独特な成り立ちの詩集
です。日本で在日詩人がハングルで長詩を書き続ける意味を改めて訴えています。
「三島(サムド)」とは日本のことだそうです。13〜16世紀「三島倭寇」と
呼ばれていたと上野氏が解説しています。分断したままの祖国、その影響を受けた
在日社会。さらに、米国はじめ世界各地に僑胞が散らばり、今後一層グローバル化
が進むだろう世界に生きる朝鮮人。特に、単一文化主義の日本で、在日同胞の存在は
隠され、歴史も認識されなくなっています。在日同胞の歴史、「母国」との葛藤
心の在処、苦悩をハングルに刻むことで、「主体と尊厳」を回復しようとした熱意が
ほとばしる詩集です。この大冊を含めて三部作というのにも圧倒されます。
(発行・まろうど社、本体6000円+税)










崔スンホ詩人と安ヒョンミ詩人

崔スンホ詩人
氷の自叙伝

韓成礼訳

私は氷の学校へ通いながら氷になってしまった。世の中は冷凍工であった。父、先生、独裁者、
神に至るまで氷の生産に熱心だった。氷結で固まった二十歳以降は涙腺さえ凍りついた。
私は氷の城であった。白い氷壁を巡る孤独に氷の自我を通した。誰も私の中に入って来られな
かった。愛の炎さえ私に触れれば消えてしまった。氷壁の時間の中で、家族たちは私のことを
どう思っただろうか。傲慢だと言いはしなかったが、傲慢だと思わなかっただろうか。
氷の洞窟の氷の斧、私のひげだったツララ、氷結の歳月を長らく私は生きてきた。氷河期と
して記録するだけの価値のある自我の歴史!


※2013年東京国際ブックフェア「韓国文学は今」7月5日に
「わが人生、わが詩」というテーマで崔スンホ詩人と安ヒョンミ詩人と鼎談させて頂きます。

崔スンホさんは、1954年江原道春川生まれ。1977年に月刊「現代詩学」に
「ビバルディ」他2編を発表してデビュー。1983年に第一詩集『大雪注意報』、
1985年『ハリネズミの村』(金スヨン文学賞受賞)、1999年『グロテスク』(大山文学賞)、
など詩集・散文集を多数出版。「都市と文明の危機を通して、資本主義文明に
対する批判的認識を示すことに努めながら、デビュー以来30年以上にわたって、
着々と独創的な領域を築いてきた」と評されています。
グロテスクでもあり、極限的な表現には、批判的想像力を感じます。
環境問題にも関心が深く、1997年から10年間環境団体の月刊誌
「一緒に暮らす道」の編集主幹を担当されました。
(このコーナーで以前にもご紹介しています)



安ヒョンミ詩人
皆既月食

韓成礼訳

男の影の中に女は立っている 女の泣き声は誰かの孤独を書きとめたパピルスをなぞった
密書のようなものなので それが泣き声なのか、密書なのか、孤独なのか、ピアソラ*の
音楽のように寂しいものなのか、サンザシの花の陰のように悲しいものなのか、何でもない
ものなのか、それがすべてなのか、女は目、鼻、口全てが消えた男の影の中でリンゴを
齧るように、愛を愛とだけ言おうとつぶやきながら、男の目、鼻、口全てを齧って
とうとう影まで無駄なく食べ尽くし、愉快にリンゴの黒い種を吐き出すように男を吐き出す

*ピアソラ(Astor Piazzola,1921-1992)アルゼンチンの作曲家及びバンドネオン奏者、
パリ留学を経てタンゴにジャズやクラシックを取り入れ、タンゴ革命を起こした。(訳者註)


※安ヒョンミさんは、1972年江原道太白市生まれ。
2001年季刊「文学トンネ」に「ゴムゴム」ほか4作を発表しデビュー。
2006年『ゴムゴム』2009年『別れの再構成』を出版。
韓国芸術委員会新人芸術家支援などに選定され、申ドンヨプ創作賞を受賞しました。

「男性中心の官僚社会による女性への差別と抑圧を、女性一労働者としての
<実存的>肉声を盛り込んで描いているという点で、彼女は今日の韓国に
おいて非常に意味のある存在といえる」。女性だけではなく「あらゆる精神的
価値が資本の力の前に屈するこの高度資本主義社会では、正気を保って生きて
いるのがむしろ異常なことであり、そうであるがゆえに詩人は<錯乱の動作>
<つぶやくウソ>で、この偽善に満ちた世界を生きるほかはないというスタンスを
示している」と評されています。たいへん鋭い感性と新鮮な社会性を持っています。
(このコーナーで以前にもご紹介しています)






崔泳美詩集

すでに 


すでに濡れた靴は
もう濡れない


すでに悲しい人は
泣かない

すでに所有した者は
痛まない

すでに痛い体は
恥じらいを知らない

すでに熱いものたちは
言葉がない



告解


罪はあちこちで
別別に犯していたのに

贖罪は一ヶ所で
なぜいっぺんに赦してもらおうとするの?

私たちをこのように
不完全な存在として造っておかれ

雲の中に安らかに座って
地を見下ろす

神こそ天地創造の時に
罪人ではなかったの?



政治家


     5千万の国民をあえて愛すると
騒ぐ者たち

愛を言いながら
あなたは息もしないの?

朝食と昼食と晩餐に列席し
祝い激励し約束して
化粧しない顔は見せてくれなくて

左手がすることは必ず右手が知るようにして
報道されないと、視線さえくれない女狐たち

社長や代表理事、会長で委員長で
顧問であると同時に総裁である人々
きのうの敵とホテルで朝食を食べ
ご飯を食べながら会議をする者たち

カメラの前でご飯を食べながら
どのように消化するの?

顔に1億もの微笑を貼り付け
障害児の体を洗いながら
香水を振りまいた声音で

苦痛を言いながら
あなたはどうしてそのように安らかでいられるの?





諷刺詩の練習


ヨーロッパを訪問した彼女が着替えた
7着の正装が新聞紙の上に虹のように広げられて

放送からは その名前が
言及されない日がない

何々の委員会の委員である彼らは
今日も国と国家のために会議中でいらっしゃり

どこにも属さなくて
どこにも呼ばれない
時間がありあまる詩人は
国家と国民を愛さない田舎の詩人は
国家どころか自分を愛することさえたいへんむずかしい私は、
タバコの灰をたたき落しながら
諷刺詩を練習する





ベルリンの夏


2007年7月17日
Berlin LCB, Room No.4

1日に5匹の蚊と
2匹の蜘蛛を殺すことができれば
ここで生存することができる

毎朝 手に昆虫の血をつけて
頭の上からペリコプターが廻るように
やっかいな蚊の騒音もあなたの横なら辛抱するけど

陽が入らない病院のように陰気な寝室
昔の女優の写真が壁にかけられた「文学の家」で

しっかり密封した水差しを開けることもできず
暑さの障壁を超えることもできず
私は西に逃亡した
蚊の薬を探し市内を狂ったように隈なく探そうと
ローザ・ルクセンブルグとまともな対話を一回もできず


*ローザ・ルクセンブルグ(1871−1919)ポーランド系ユダヤ人としてドイツで
活動した社会主義の理論家であるとともに革命家。
1919年にベルリンで殺害された。


*解説(部分) 透明で固い金属性の響き   パンミンホ ソウル大教授

私は崔泳美詩人がとても好きだ。愛するとまで言うことができる。彼女の詩が発散する、
その透明であり固い金属性の響きを愛する。鐘の音は音が澄んでこそはるかに広がるものだ。
私は崔泳美の詩から自身を投げ出す透明さと苦痛と試練と挫折に屈しない強い精神を見る。
まさに、そのために私は崔泳美を愛し尊重する。私は長々と続いた孤独な生活から噴き出た
彼女の沈黙とおしゃべりが分かる。誰でも会うことをためらい自分の心に合わなければ
約束しても出てこないその非常な気難しさも分かる。出版社の関係者と記者たちと会うとき
自分を知らせたい意欲と詩人らしい自尊心の間ではみ出す紆余曲折も分かる。


* 崔泳美(チェ・ヨンミ)さんの新しい詩集『すでに熱いものたち』が
出版されました。1961年生まれで、1994年に第一詩集
『三十、宴は終わった』が60万部のベルトセラーになりました。
民主化運動への共感と、<政治的・権力的>なものへの強い嫌悪は
新詩集にも現われています。急速に変化し、世代間に隔たりが
生じている韓国で、民主化運動に熱い思いを抱いた人々も
経済人や権力者になった人もいて、元来の熱望を持ち続ける
人には「言葉もない」状況かもしれません。
これは、人間の本質に由来する、神が「不完全な存在」と
して創造したゆえなのでしょうか。
鋭い批判精神を発揮し続け、世界を旅して広い視野を保ち、
洗練された都市的な感性が端整な詩を作り出しています。














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