ウォーター

韓国詩のコーナーW


目次


呉鎮賢

黄芝雨

将正一

姜恩喬

尹東柱



東洋の直観の詩・呉鎮賢

日の光一粒

佐川 亜紀訳

鳥一羽が
私の耳だ
日の光一粒くわえておく

カルル ワッハッハ
カルル アッハッハ
日の光どうし笑う声

カルル ワッハッハ
カルル アッハッハ
風どうし笑う声

鳥一羽が
私の目を覚ます
鳥一羽が

白くすがすがしい
日の光、一粒くわえておく
*「カルル」はたくさんの人がどっと笑う声。



水が涙になるまで
<気の力学>
佐川 亜紀訳

水が涙になるまで
もっと
小さくする

清水、雨
もう少し
透明な目を開け

日差しよ
もう少し
ぼくの体の細菌を干してくれ

まだ
あの北岳山が
失う前の闇

背を向けて
人知れず涙を流す


*呉鎮賢(オ チンヒョン 1946年〜)は、詩集『東学詩』を出版し、
韓国の東学思想の論文も多数書いています。
「東学」とは、西学=カトリック教に対抗して、伝統民間信仰を
基礎に19世紀半ばに始まった宗教です。平等思想など進歩的
で、1894年、官吏の暴政に怒った農民叛乱軍と結びついた大
規模な東学革命は有名です。
呉鎮賢は、東学の思想から、西洋の認識とは、違った「直観知」
をもとにした詩論を発展させました。『花の問答法』という詩学書
では、人間の心が固定したものでなく、花を見れば花に、風を見
れば風になると、変化自在なものとして、自由な想像力を唱えて
います。



人気の社会派・黄芝雨





身にしみる後悔

佐川亜紀訳

悲しい

ぼくが愛した所はどこへ行っても

全部廃虚だ

ぼくの所に来たすべての人たち
どこか何かこわれたまま
みんな去った

ぼくの胸の中にはいつもぼんやりと
風によって移る砂漠があって
根を露わにして倒れている木、そして
死んだけものの耳に砂がさらさらする

どんな恋もどんな狂気も
この恐ろしい場所にまでいっしょに入ることが
できない ぼくのうねる砂漠が、その高熱の
エゴがうす赤く熱くなってうめいているので
ぼくの愛の居場所はみんな廃虚になっている

だれも愛したことはないということ
いつまた来るかわからないこの世を過しながら
ぼくの骨身にしみる後悔はまさにそれだ
誰かのために 誰も愛さなかったこと

若いとき道徳的競争心で
ぼくが自ら望んだ苦難も誰かのための献身ではなかった
ぼくのための献身、ぼくのためのぼくの犠牲、ぼくのための自己否定

だからぼくはだれも愛していなかった
誰も歩いて入ったことがないぼくの部屋

ただ死んだけものの耳に砂粒を吹き入れる風だけ


木はいくたびも生きていい
佐川 亜紀訳

11月の木は困り果てた人間が
頭をぱりぱりかく姿をしている
ああ、この生はやたらとむずがゆい
いつのまにかぼくが40歳という事実にあわてている時
空はコンピュータの画面のように青く
スライドに現れたもののように
異常に明るい日差しが
日本統治下の時代の
ロマネスク式官公庁の建物の影を
街路樹のある歩道にまで伸ばしている
11月の木はその影の上にむずがゆく自己の生を払い落している
ぼくがどうして40歳なのか
病院を出ても病名を受け入れることができない人間のように
ぼくはぼくを受け入れることができなくて

11月の木は
もっと生きようともがく患者のように、醜い

それでも木はいくたびも生きていいんだ

*黄芝雨(ファン ジウ 1952年〜)は社会派を受け継ぐ優れた
詩人で、人気も高いです。1983年第一詩集『鳥たちも世を去っ
いく』を出版し、1994年には素月文学賞を受け詩壇にも認めら
れました。1980年の全斗煥独裁政権に抗議した光州事件を描
いた長詩や南北離散家族を表現した詩があり、岩波文庫の『韓
国言語風景』(渡辺キルヨン著)でもたくさん紹介されています。





不埒な、詩の解体者・将正一





がらんどうの皮

佐川 亜紀訳


ぼくたちは失うものが無い
すべてきみたちがなくしたのだから
これ以上ぼくたちは奪われるものもないだろう
こうして育ったぼくたちは亡命世代
近づくこともできない未来からも締め出された
濃いりんごのにおいが鼻を突くけど
中味がここにない
きみとぼくは皮
大韓民国は一つの皮
世界は頭ががらんどうの巨大な皮にすぎない
この摩天楼の森には低能児たちが
楽園を没収された世代が住んでいる
もうけるために食べ彼らは毎晩
淑女の淫乱症を手術する
気弱なやつらがいて
ルターの時間にチャンネルを合わせるけれども
強要でなく無意識にぼくたちはまったく純粋に信じる
偉大かつ高潔で厳粛な性よ
ぼくの十字架にはキリストがいない
あらゆる十字架から大工の使命をはぎとる
股開いた女が逆さに縛られてぶらさがる
これは新しい十字架
ぼくはそこにひっきりなしにキスをする


学校で世の中を学んでいる時
世の中ではどんな事が起きているのか
小学校が終わる鐘が鳴り
子供たちが帰ってくる
家にだれもいない理由は
すべての母から愛が去ってしまったため
それでは、屋根裏部屋にいる父親に
四つ質問を
飯はなぜ人間を創り出したのですか?
子宮の中にいる時ぼくは何になりたかったのですか?
誓って知らないこと
なんのために、こんなくだりをここに書かねばならないのか。
鼻くそでもほじりながら
答えろ 毎日のトップニュースが
なぜこんなザマなのかについて
沈黙するものは許されない
だから私は質問した
絶え間なくほらをふく者は許される
絶え間なく舌が抜けるまで!
だが、核心は曖昧だ
理念に関してはあまりにたくさんの本が書かれた
だから著述家たちは許されない
彼らは質問しながら言い逃れしたから
白い木造廊下に沿ってぼくは
上がっていく どこへでも入党願書をたたきつけて
レコードをかけ、そして
sweet,love,歌を
聞く 愛だけが唯一の希望
涙を分かち合いながら歌おう
sweet,sweet,僕らはbaby,最後の
世代を sweet,受け継いだ
世界はがらんどうの皮にすぎないのではないか


*将正一(チャン ジョンイル)は1962年うまれで、韓国現代文学のニュージェネレーション
を代表する作家・詩人・劇作家です。日本と同じくらい学歴主義の韓国で、中学校卒業後
少年院暮しを続けたとも言われ、異端の才能です。日本では、彼の小説『アダムが目覚め
るとき』(安宇植訳・新潮社)が1992年に出版されました。この小説の冒頭は「十九歳のとき
ぼくが一番欲しかったのは、タイプライターとムンクの画集と、ラジカセにつないでレコードが聞
けるようにできるターンテーブルだった」で始まります。欧米化された生活、消費時代の若者
の日常と心理をドライで知的な目で見て、軽くしゃれた文体で書いています。
「がらんどうの皮」はアメリカナイズされ、消費と快楽文化によって空虚になっていく韓国社会
を辛辣に表現しています。日本と同じですが、文化侵略といわず、自分たちの意志でそうなって
いくと覚めてみているところが非常に新しいです。
将正一の詩集の題名は『ハンバーガーについての瞑想』です。その解説で李潤澤は「60年
代の猥褻 または不埒な詩の前触れ」でこう述べています。「解体、その後の新しい抒情はど
のような形態の枠で現れているのか。これに対する一つの意味深長な徴候として、将正一の
詩に注目する。都市的な感受性、日常の禍福、告白体の性格を帯びた彼の詩は没個性的な
時代の圧力(=分断、そして産業社会の跋行性)をもちこたえられたわずかの自由と愛の産
物である。」(新後閑君子訳)韓国でも、新しい時代に対応する詩の模索が続いています。
●私の韓国語訳については韓国の詩人・韓成禮さんにご教示頂いています。



きらめく抒情の姜恩喬







佐川 亜紀訳

夜明けの空にひとりぼっちで輝く星

ひとりっきりで地上をあたためる星

あなたの枝々をちぎって投げなさい

あなたの葉をちぎって投げなさい

あの島のともしび、

今日も黒い雲の腰にしっかりとぶら下がっているんだね

星が一つ地上に下り立って自分の根を忘れない


姜恩喬の詩は、茨木のり子さん訳の「林」(『韓国現代詩選』花神社・2400円)
が学校図書の中学生教科書に収録されました。その副教材として、このHPも
新学社さんの教科書関連リンク集に入らせて頂きました。
姜恩喬(カン・ウンギョ)は1945年生まれのたいへん優れた詩人です。
その言葉は繊細で、感受性するどく、豊かであり、人々の底にある希望の
力を予知的に表現しています。童謡のようにやさしいリズムの詩も多く
親しみやすく、かつ深い詩です。
韓国文学作家賞、現代文学賞などを受賞し、実力を認められています。



国民的詩人の尹東柱




序詩

上野潤訳

息絶える日まで天(そら)を仰ぎ
一点の恥の無きことを、
木の葉にそよぐ風にも
私は心痛めた。
星を詠う心で
全ての死に行くものを愛さねば
そして私に与えられた道を
歩み行かねばならない。

今夜も星が風に擦れている。

(一九四一、一一、二〇)

*尹東柱(ユン・ドンジュ)は、日本でも訳書が何冊か出て知られる
ようになりました。日本の同志社大学のキャンパス内に「序詩」を
刻んだ詩碑が1995年に建立されました。韓国の延世大学にも詩碑が
あり敬愛されています。尹東柱が尊敬されている理由は、日本の統
治下でも朝鮮語で詩作を続け、清新で優れた抒情詩を遺し、日本の
福岡刑務所で獄死したことにあります。

尹東柱は1917年、現在の中国・吉林省延辺朝鮮族自治州内に生まれ
ました。1938年延世大学文科入学。1941年卒業記念に自作19編を選
び、詩集「天と風と星と詩」を出版しようとしましたが断念。1942
年4月、東京立教大学文学部英文科入学。10月、京都同志社大学文学
部に編入。1943年、7月独立運動嫌疑で逮捕。1944年、治安維持法違
反で福岡刑務所に移送。1945年、2月16日福岡刑務所にて死亡。これ
は、生体実験による虐殺の疑いがもたれています。経歴は上野潤訳
『天と風と星と詩 尹東柱詩集』(詩画工房)の年譜を参考にさせ
て頂きました。 訳詩も同書から。
「序詩」は同士社大学の詩碑も伊吹郷氏訳で、従来、伊吹訳が有名で
した。ところが、伊吹郷訳は日本語の詩にするため、意訳があり、韓
国の人から疑問も出されていました。荒川洋治さんの詩集『渡世』に
詳しく書かれています。上野潤さんの訳は韓国語の元の意味に忠実で
す。しかし、伊吹郷訳もたいへん優れ、二国語と二つの文化・二つの
歴史を綱渡りする翻訳の難しさがあるでしょう。

たやすく書かれた詩
上野潤訳

窓の外に夜の雨が囁(ささや)き
六畳部屋は他人の国、

詩人とは悲しい天命だと知りつつも
ひとつ詩を書きとめてみるか、

汗の匂いと愛の香りが暖かく漂う
送ってもらった学費封筒を受け取り

大学ノートを小脇に
年老いた教授の講義を聴きに行く。

考えてみれば幼い頃の友人を
ひとり、ふたり、と皆失くし

僕は何を望んで
僕は唯、独り沈殿するのだろう?

人生は生きるのが難しいというのに
詩がこんなにもたやすく書かれるのは
恥ずかしいことだ。

六畳部屋は他人の国
窓の外に夜の雨が囁いているが、

燈火(あかり)を点(つ)けて闇を少し追い払い、
時代のように来る朝を待つ最後の僕、

僕は僕に小さな手を差し延べ
涙と慰安で握る最初の握手。

一九四二、六、三

*日本に留学した時の詩です。独立運動に参加した友人たち
が死に、孤独と絶望的時代を痛切に感じています。



メール アイコン
メール
トップ アイコン
トップ



ウォーター