ウォーター

韓国詩のコーナーZ



ソン チェハク

淡水魚の口


夏中開けておいた部屋の窓は
今まさにこっぱみじんになっている
緑の鏡は手に余る
防虫網全体に広がった蔦つるは
鏡の破片の閃光を借りて一気に私に来た
眼から刺された
日光が蔦の葉の間を拇印のように押しながら
ふさぐことができない傷のように痛くした
この部屋から遠くはあったけれど私の肉体にも蔦が
這いり込んできた痕跡はある
こちこちに固まった頭の中をかき回しては
結局こねることもできず消えうせた
蔦の緑葉は
すべて淡水魚の口を持ったために
私の垣根の支えにする竹や木を避け
空の部屋に渡っていった
暗いところで長く泳ぐ間に
静寂のひれができたのだろう
わたしは今ちょうど砕けて散らばる緑の鏡の前だ
魚の口にふれたい晩夏の前だ

※ソン チェハク 1955年慶北ヨンチョン生まれ。
1986年「世界の文学」にて登壇。 詩集『氷の詩集』
『サルレシオネ集』『青い光と戦う』 『彼が私の顔に触れる』
『記憶』など。 金ダルジン文学賞、大邱文学賞受賞。
部屋の窓を緑の鏡に見立てたり、蔦の葉から淡水魚の口を
想像したり と新鮮なイメージの詩です。




任平模

チリ山の雁・6 ―七月七日(七夕)
任平模・自訳・補訳・佐川

山の中にも七夕は来る
砲煙に荒らされた戦場なのに
空は静かに胸を開き
銀河水の星たちは息をこらす
花嫁花婿の入場を見るように

阿鼻叫喚の戦闘後に夜が来て
寂莫感が胸深くしみこみ
耳をふさいで伏せた草木も
今や自由に呼吸を始める

織姫と彦星が会うという
橋は未だ見えず
年ごとの癖捨てられず
雲が銀河を隠しはじめる

七夕の愛の逢瀬を見逃すように
祖国の統一も見せてくれないのか

チリ山の七月七日は寒気が漂い
戦士たちは故郷の妻子の叫び声を聞く



チリ山の雁・2 ―端午の野茨の花
任平模・自訳・補訳・佐川

野茨の花びらをいじる
銃をかついだ十九歳の乙女
一枚二枚花びらをこすり
顔と髪を手入れする

端午は親の慈しみの
菖蒲で髪を洗い産毛を整える
めでたい端午節の野山隊の乙女

はるか彼方に聞こえる銃声
麻幹(おがら)の皮がむけるようにばらばらに破れる
ぶらんこと板跳びの甘い夢
か細い女の手にまた銃を握らせる

端午の野茨の花も
銃剣の前ではただの幻
平和な端午と愛の野茨の花は
いつ花を咲かせるのだろうか


*イム ピョンモ1931年3月6日全南ポソングン生まれ。
全南大医大を卒業。高麗大学大学院で博士学位を取得。
「仁川文壇」誌第一回新人賞(文学評論大賞)受賞後
「現代文学」誌にエッセイ を「詩と意識」誌に詩と評論を
発表しながら文学創作活動をする。第一詩集『口号以後』
ほか、 文学評論・宗教・健康論文等多数。
*チリ山は韓国の南にあり、雄大で高い山。この連作詩
は、生誕100周年のパルチザンの英雄・李R相(イ・ヒョ
ンサン1905-1953)に捧げる作品として書かれました。



朱耀翰


雨音

雨が降ります
夜は静かに羽を広げて
雨は庭の上にささやきます
ひそかにさえずるひな鳥のように。

欠けた月が糸のようで
星に春が流れそうに
暖かい風が吹くと思ったら
今日はこの暗い夜を雨が降ります

雨が降ります
親しい来客のように雨が降ります
窓をあけて迎えようとしても
見えないようにささやきながら雨が降ります

雨が降ります
野原の上に 窓の外に 屋根に
人の知らないうれしい便りを
私の胸に知らせる雨が降ります


朱耀翰(チュ ヨハン1900-79)。平壌生まれ。東京明治学院
と第一高校を経て、 上海扈江大学卒業。中学時から詩を発
表して、日本の「文藝雑誌」「伴奏」「現代詩歌」にも寄稿、
川路柳虹などに認められる。金東仁と一緒に最初の純文芸
同人誌「創造」を発刊しながら新詩の先駆者となった。詩集に
『美しい夜明け』1924年『鳳仙花』『三人詩歌集』などがある。
解放後、朝鮮日報編集局長、民議院議員と実業界に転じた。
◎『在日コリアン詩選集』に日本語作品を収録しています。
この作品は韓国語作品から訳したものです。
父が牧師であった影響か、どこか神秘性があるのが特徴。



金龍済


愛する大陸よ    

飢えた平原
それがお前のひろがりだ
赤くはげた山脈
それがお前のやせこけた背すじだ
母の懐――お前の子らの寝床は傷だらけ
・・・・死×に充ち
鮮×を浴びて・・・・・・
ああ 植民地地獄の野山には
一滴の水を汲む自由もなく
一束の芝を刈る木蔭もない

飢えた平原にしがみついた――
藁葦の屋根裏や暗い温突(オンドル)の底には
どんな生活の呻きが
どんな悲しい子守唄があるか
そして そのルツボからわき上がる戦ひの歌に
――お前の守りに
どんなむごい×圧の×がにじむかを
母なるお前は知ってゐる

お前の憤激は大陸の嵐!
嵐に燃えるボルシェヴイクの焔を
日本海の寒流めが消し得るか?
植民地プロレタリアの×逆のなだれを
帝国主義の砲塁めが防ぎ得るか!
大陸の胴体をゆすぶる荒寥たる秋風が
立毛差押の稲穂にふきすさぶぞ
この十月のいぶきに
牢獄の子らは
懐しいお前の乳房の匂ひを胸一ぱいに吸い
虫ばんだ獄庭の紅葉に
赤い囚衣の色をぢいつと見くらべるだらう
そして 秋空の彼方に
素晴らしく建設されるロシアを考へながら
十月××の血の物語を思ひ出すだらう

囚はれの戦士――牢獄の子らを
愛と平和に輝くソヴエート××の腕ん中に
抱きしめるその日を心せよ!

おお 母なるお前
愛する大陸よ
お前の子らをはげまして
植民地プロレタリアの忍苦の歌を
国境のはるか彼方へ――
世界の心臓まで響かせろ!



三月一日

生きては
その暖かい手を握り結ぶことが出来ず
×××て
その冷たい屍を抱き重ねた満蒙の戦野から
日・中・鮮兄弟の××匂を運んで来るもの
まだ浅い
三月の春風よ

芽のふかぬ草の根を堀りさがす妹たち
貧しい少女たちの
もつれた髪の毛を吹きちぎるかのやうに
春のささやきを奪ひ去るもの
カラカラの胃袋を貫く春風よ
この春風が
春を知らないこの国に泣き笑ひして
雪どけのせせらぎを歌はせると・・・・・・
飢えたる大陸は
どす赤い地肌をさらす
まだ消えぬ三月一日の
土と腐った数万の戦士たちの
墓場の××がよみがへる

おお あの日!
一九一九年三月一日
思っただけでも胸がはり裂ける
××られた旗の光りをなびかせた風
全鮮ののろしを×××てた風
子供たちの万歳の声を響かせた風
おお青空から×の雨をしぶかせるもの
あの日の思ひ出の嵐よ
この嵐に
黒煙を消した煙突の口は叫ぶ
ストライキを!
機械を止めた工場の胸は喚く
三・一カンパを!

ヅキンワクとうづく二千万の心臓・・・・・
復××こめた恨みの×発に
導×線の煙硝をくすぶらせる風
××××の××を目ざして
朝鮮プロレタリアの春を燃やすもの
三月一日の戦いの嵐よ!


※「ああ 植民地地獄の野山には/一滴の水を汲む自由も
なく//一束の芝を刈る木蔭もない」一九一〇年の日韓併合
以来、日本は朝鮮から土地も人も言葉も奪っていきました。
それは、朝鮮の人々にとって忘れがたい歴史です。植民地
時代は窮状を訴えることもできませんでした。ソ連が崩壊し
た今日では想像が難しいですが、国際プロレタリア運動によ
ってかろうじて反植民地意識を表すことができました。そうし
た一九三〇年代のプロレタリア詩人として有名なのが金龍
済です。今でも韓国と日本では歴史への思いにかなりの温
度差とズレがあります。映画や音楽を通じて仲良く交流した
いと韓国の若い人々も思っていますが、祖父母世代の体験
を忘れてはならないとも考えています。日本でも植民地時代
について知る努力をしてゆく必要が今後もあるでしょう。

金竜済(キム ヨンジェ)一九〇九年朝鮮忠清北道生まれ。
一九二七年東京に渡日。一九三〇年プロレタリア詩人会創立
会員幹事、三一年 日本プロレタリア作家同盟に加入。「プロレ
タリア詩」「ナップ」などに 詩を多数発表。三二年「ウリ・トンム」
編集長となる。約四年間投獄。三六年第一詩集『大陸詩集』
(序文・中野重治)を準備するが、検挙に より中止。三七年ソ
ウルに強制送還される。三九年以降、親日的な日本語詩集
『亜細亜詩集』(一九四二年ソウル大同出版社)等出版。
一九九四年ソウルで死去。 上記の詩は大村益夫著『愛する
大陸よー金龍済研究』(大和書房)より引用させて頂きました。
なお、一九一九年三月一日とは、有名な反日独立運動が起こ
った日で、今年二〇〇五年の反日デモも発生源の一つはこの
日を記念し、竹島・教科書問題に抗議したためという見方もあ
るそうです。

李箱


線に関する覚え書 3

 1 2 3
1 ● ● ●
2 ● ● ●
3 ● ● ●

3 2 1
3 ● ● ●
2 ● ● ●
1 ● ● ●

∴nPn=n(n−1)(n−2)・・・・・・・・(n−n+1)

(脳髄は扇子の様に円迄開いた、そして完全に回転した)
1931・9・1




▽ノ遊戯

▽ハ俺のAMOUREUSEデアル

紙製ノ蛇が紙製ノ蛇デアルトスレバ
▽ハ蛇デアル

▽ハ踊ツタ

▽ノ笑ヒヲ笑フノハ破格デアツテ可笑シクアツタ

すりつばガ地面ヲ離レナイノハ余リ鬼気迫ルコトダ
▽ノ目ハ冬眠デアル
▽ハ電燈ヲ三等ノ太陽ト知ル
×
▽ハ何所ヘ行ツタカ

ココハ煙突ノてつ片デアルカ

俺ノ呼吸ハ平常デアル
而シテたんぐすてんハ何デアルカ
(何ンデモナイ)

屈曲シタ直線
ソレハ白金ト反射係数ヲ相等シクスル

▽ハてーぶるノ下ニ隠レタカ
×

1

2

3

3ハ公倍数ノ征伐ニ赴イタ
電報ハ来テイナイ

1931・6・5


生涯
蘭明訳

私の頭痛の上に新婦の手袋が定礎されながら崩れ落ちる。冷たい重さの
ため私の頭痛はよける気力もない。私は我慢しながら女王蜂のように受動
的な格好を作り見せる。私は既往この礎石の下での一生の怨恨や新婦の
生涯を侵蝕する私の陰気な暴力などを不愉快なことと一緒に忘れることは
しない。そして新婦はその日その日に倒れまたは雄蜂のように死にまた死
ぬのである。頭痛は永遠に避けることは出来ない。


自像
蘭明訳

ここはある国のデスマスクである。デスマスクは盗賊に遭遇した噂もある。
草が極北で破瓜しないように鬚は絶望をよく察知していて生殖しない。千
古蒼天が虚しく落ちいる陥穽に遺言は石碑のように密かに沈没されてい
る。そしてこのよこを見知らぬ手振り身ぶりの信号は通りすぎ無事にひと
りで進んで来ようとする。上品な内容はあれこれくちゃくちゃになり始まった。


■李箱(イ・サン)(1910年〜1937年)韓国モダニズム詩の先駆者。
ソウル生まれ。京城高等工業学校卒業。建築技師。総督府内務局
建築課技官。1931年21歳のとき雑誌「朝鮮と建築」に日本語詩作
『異常ナ可逆反応』『烏(わざとからすの字を使用)瞰図』等を発表。
1933年23歳のとき結核のため総督府をやめ喫茶店を経営。1934年
「朝鮮中央日報」に『烏瞰図』を連載したが、読者から「ふざけてい
る。作者の精神状態を疑う」などの抗議により中止。1936年東京に
来日。神田神保町に居住。1937年2月「不逞朝鮮人」として警察に検
挙され、病状悪化のため保釈されるも10月に死去。今では天才詩人
として韓国で高く評価されています。全集も度々編まれています。日
本でも2004年花神社から蘭明編訳で『李箱詩集』が出ました。上の
作品はその詩集から引用させて頂きました。小説も訳されています。





鄭芝溶


悲しき印象画

西瓜の香りする
しめつぽい初夏の夕暮れ―

とほき海岸通りの
ぽぷらの並樹路に沿へる
電燈の数。数。
泳ぎ出でしがごと
瞬きかがやくなり。

憂鬱にひびき渡る
築港の汽笛。汽笛。
異国情調にはためく
税関の旗。旗。
せめんと敷石の人道側に
かるがる動くま白き洋装の点景。
そは流るる失望の風景にして
空しくおらんぢゅの皮を齧る悲しみなり。

ああ 愛利施・黄!
彼の女は上海に行く・・・・・




雪の中をかきちらして
紅い木の実がでてきた。
指さきが幸福そうに氷っている。
口にあてて、
ほうほうと息を吹く。



湖面

たなごころを うつ 音
晴れやかに 渡りゆく。

そのあとを白鳥がすべる。


※鄭芝溶(チョン ジヨン)1903年〜?忠清北道生まれ。1924年
日本の同志社大学英文科に留学。在学中、同人誌「街」に日本
語詩を発表。その後、北原白秋の絶賛を受け、白秋主宰の「近
代風景」に多くの日本語詩を寄稿。上の詩も「近代風景」掲載の
作品です。「学潮」「朝鮮之光」には朝鮮語詩も発表しました。19
29年に朝鮮に帰り、30年芸術派の「詩文学」を創刊。新鮮なモ
ダニズムの感覚と技法も取り入れ、韓国近代詩を代表する詩人
の一人です。詩集に『鄭芝溶詩集』『白鹿潭』など。朝鮮戦争時、
行方不明となりました。花神社から訳詩集が刊行されています。



イ ジョンロク


木蓮には空室が多い

木蓮の花 あでやか
古い瓦屋

木の大門の前に
弔灯がかけられている

おじいさんが息をひきとり
独りで暮らしていた家に人がごったがえす

あんなに
家族が多かったのか

近くに立ち寄ると
いつからひるがえっていたのか
色あせたカレンダー一枚

空き部屋あり
ボイラーぽっかぽっかの張り紙

木蓮の空き部屋の中から
葬式の泣き声がもれる

頭巾を脱いで
弔問する木蓮の葉


*イ ジョンロク 一九六四年生まれ。一九九三年東亜日報
新春文芸で登壇。詩集『虫の巣は居心地がいい』『青りん
ごのしわ』『柳の皮の貸家に入りたい』『すみれの宿』
金スヨン賞、金ダルジン文学賞受賞。
この詩は、おじいさんの孤独な死を表していますが、七連目
の「葬式の泣き声」というのは、原文では、漢字の「哭」で書
いています。日本で慟哭だと、心から激しく泣くようすです
が、韓国では「泣き女」が葬式の儀式の役割を果たし、日本
とやや異なります。この詩では、心からおじいさんの死を悼ん
でいるのは木蓮だけ、ということでしょうから、慟哭とはしませ
んでした。こういう所は訳が難しいですが、悲しみの表現が
違うのはおもしろいですね。また、空き部屋の宣伝に暖房を
強調するのは、オンドルの国ならではですね。

 

金基澤

どうやって思い出したんだろう

今摘み取ったりんごがぎっしり入っている箱から
りんごがごろごろ転がり出るみたいな心からの笑い

彼女は書類の束を運んでいた
どうやって思い出したんだろう 高層ビルの事務室で
あの青くてほんのり赤い笑いの色取りを

どうやって思い出したんだろう その多くのりんごたちを
りんごの中に血管のように伸びている空と水と風を
自然にあふれて重くなり落ちる笑いを

どうやって思い出したんだろう りんごを運んでいた足取りを
歩く度に飛び出る空気を
空気からはじける日光を
日光の果汁、日光の香気を

どうやって思い出したんだろう 今踏んだ高層ビルが土であることを
根のように足裏が呼吸してきた土であることを
土を空気のように押し上げた草であることを

わたし密かに盗み見たよ さびしい農夫の笑い
彼女の内部で長い歳月独り育ち
歌のように自然に実りこぼれ出た笑いを

机の間で見ないふりをして見たよ
さびしい農夫の歩みを
たぶたぶゆらゆらしながら独り行く歩みを
歩かなくとも自然に進み行く歩みを


※今年のミダン文学賞受賞作品です。キム・キテクさんは1957年生ま
れで、今最も注目されている詩人の一人。前にも紹介しています。韓
国詩は、この詩のように、都市より農村を精神的故郷とする傾向が
強いです。昔の人間関係や風景を大切に思う気持ちが残っていて、
そんな所がドラマにも現われ、日本のファンの共感を呼んでいるの
でしょう。ペ・ヨンジュンさんが、日本は殺伐としているから冬ソナが
うけるのかも、とおっしゃっていましたが、純愛・号泣ブームはうるお
いを求める心によるのかもしれません。



イ ソンヨン

カフカ*の図書館

図書館が私を呼び寄せた
今 私はこの図書館の居候だ
私がしなくちゃならないことは
図書館の中に陳列された本を読むことだ
夜には遠くなりそうな遥かな愛の痕跡を手探り
昼にはブランシュのこちこちの文学書を手に取る
しかしデ・キリコの赤い塔がある広場に入り込んだように
寂しくて巨大なこの図書館は私に
次に読むべき本については何も話してくれない
口の中に一杯山海の珍味の字たちを噛んでいるのに
彼は口をしっかりつぐんだままなかなか開けてみせてくれない

私は彼の沈黙に抑留された長期投宿客
寝て起きると私は図書館が隠している秘密を一つ教えてもらえる
私自らがそれを明かさなければならない無言の要求が含まれている
次の本が差された書架を捜してこの寂しい広場をさまようしかない

私が耐えられないのは広場の孤独ではなく
昼に押し寄せる夜の記憶だ
なぜこの図書館は昼を裏切る夜と
夜を裏切らなければならない昼、
昼と夜がいっしょにあるのだろう

昼のブランシュに夜のカフカが
なぜ私のうちでいつもお互いを
打ち壊しながら闘っているのだろう

*村上春樹の小説『海辺のカフカ』から

※イ ソンヨン1964年ソウル生まれ。梨花女子大国文科及び同大学院
卒業。1990年『現代詩学』に「真夏の午後を葬儀車が通り過ぎる」ほか
8編を発表して作品活動を始作。詩集『おお、かわいそうな石鹸箱』『文字
の中に私をもみこむ』『平凡に捧げる』など。

★村上春樹は韓国でも人気があり、最新の小説もすぐ訳されています。
ただ、理念好きの韓国人
は不条理のカフカとの葛藤があるかもしれず、
この詩にも表わされています。


朴ジョンデ

アムール川のほとりで

君が去った川岸で
ぼくは夕焼けのようにしばらく行き暮れました
宵の星たちが上るにはまだ早い時間なので、昼が
夜に身を変えるその果てしない時間の境界を
遊牧民のように長くふらつきました

恋しさの国境そのさびれた杭を越え反省もなく
民家の火影また揺れながらちらつき足元には
暗闇が少しずつ押し寄せていました 足元の闇
ぼくの頭上の闇、ぼくのろっ骨にいくえにも重なり合っている闇、
ぼくの体に火をともし自ら一本のろうそくの火として
燃え上がりたかったです

君が去った川岸で
そのようにしばらく燃え上がれば私の中に石ころ一つ
熱く焼かれた果てに私が眺める闇の中に
一つの宵の星としてまたたくことができるようでした
けれど宵の星たちが上るにはまだ早い時間で
夜光林の花びらだけが白く芽生えたこの地上の夕べ
チョンアム寺チョクミョルボ宮のような思い出を納めたまま
ぼくは長い間アムール川岸をぶらつきました
星の光に向かい歩き始め
いつのまにか宵の星がまたたき始めていました

*アムール川・・・中国とロシアの国境を流れる川。
朴ジョンデ・・・1965年江原チョンソン誕生。高麗大国文科卒業。
1990年「文学思想」新人賞登壇。詩集『断片たち』など。
金ダルジン文学賞受賞。2005年度素月詩文学賞受賞。

チェ ジョンレ

レバノンの感情
佐川亜紀訳

すいかは店に積み置いても熟します
熟しすぎて枯れます
黒い縞模様に閉じ込められ
すいかは
内は燃えて赤く種は黒く
話はしないです 結局できないですね
それを
レバノンの感情とも言いましょうか

ろばがすいかを積んで行きました
鈴をりんりんと鳴らしながらタクラマカン砂漠のオアシス
白楊並木の間に そこはまだ
ろばが交通手段です
市場に銀指輪金指輪の細工師たちが
何かになりたくてうつむいています

なれない何かになりたくて
彼らはそこで 私はここで死ぬのですね
彼らはそこで生き 私はここで生きたのですね
生きてたのか、私?砂漠で?
レバノンで?

爆弾の穴が空いた家々を背景に
ベールをまとった女たちが通り過ぎますね
生気が無い目を光らせながら行ったり来たりかもめのように
それがまさに私だったかもしれません

私が書いた手紙がずたずたに裂かれて
返事の代わりに戻って来たとき
夢が現実のようで
その時は現実ではないと言い張ったのに
それもレバノンの感情だと言いましょうか?

世のあらゆる恋人は昔の恋人になります          
昔の恋人はみんな故郷に錦を飾り、昔の恋人はぴかぴかした車に乗り
昔の恋人はレバノンに行って王になります
レバノンに行って外国語で騒ぎ また結婚します

昔の恋人はパパとなり昔の恋人はキザに笑います
黒い唇に白い歯
昔の恋人たちはなぜ死なないのでしょうか
死んでもなぜ流れないのでしょうか

砂漠のむこうで風のように吹いて来ます
忘れれば風は雲を吹いてうかべます
雲は浮かび 雲は流れ 雲は赤く泣きます
顔を包み隠しむせび泣いては
目をにらみ 結局

今日は一日中雨が降りました
それをレバノンの怒りと言いましょうか
それをレバノンは雲と言うのでしょうか
浮かんでは降る
それをレバノンと言いましょう
そうしましょう

※チェ ジョンレ 1955年京畿道生まれ。1990年『現代詩学』にて
登壇。詩集『私の耳の中の大きな森』『日光の中に虎』『赤い畑』など。





キム ソヌ

咲け!石油

できるなら母さん、私を花咲かせてください
あなたの体深く長く伝わって来た
黒くて粘っこい この血玉
この体で 汚い戦争が止まらない
貪欲が貪欲を呼んでいます
貪欲な者の目前で
無用な花にならせてください
無力な花にならせてください
全身が花であって 
花の運河であったらいいのに
力でなく 美しさを欲することができるなら
引き裂かれた売血の恥辱をすべて引き受ける
母さん、
あなたの血管を通って火炎が広がります
むしろ私にむけて呪詛の言葉を吐いてください
砲火の中おじけたじろぐ幼子たちの足の前に
黒い遺骨の壺を下ろすから
私の首を切り落としてください
撒き散る花びらになって
裸になった子どもたちの傷ついた脚を
おおうことができるように
花びらが枯れるまえに全身の油を絞り
母さん、
散り乱れたあなたの恥辱を雪がせるから


※2004年度現代文学賞受賞作です。現代人の
根源的貪欲さを批判していて迫力のある詩です。
石油が現代の戦争の原因となっているのは、今
のイラク戦争でも見られます。こういう詩が、詩壇
の大きな賞を取るところが韓国らしいですね。
金ソヌは、1970年生まれで、有望視されている
女性詩人。フェミニズム的視点も持っています。
1996年「創作と批評」冬号に「大関嶺の昔の道」
発表。詩集『私の舌が口の中に閉じこもっている
のを拒否したら』散文集『水の下に月が生る時」



チョン ホスン

氷仏

鳥たちが飛んで来て氷壁をつつく
凍りつくミシ峠の鷹岩の滝の上に
一日中
くちばしがなくなるまで氷をつつく
初めは一、二羽飛んで来てつつき始めたが
急に数十羽の鳥たちがソラク山から飛んで来て
幾日も眠らないで
氷壁をつつく
くちばしがなくなっても氷壁をつつく
今日も雪ひらごと夕闇が降り始めて
ミシ峠を越えていく道はまた途絶えた
雪山に埋もれた道は人々を降ろして
それぞれ東海へ向かい
私は朝早く地獄から戻り氷壁を眺める
今朝は鳥たちが見えない
ぱたぱた鳥たちが去った跡に
仏様お一人
燦爛ときらめく

※チョン ホスン テグ生まれ。1973年大韓日報で登壇。
詩集『悲しみが喜びに』など。





チョン クッピョル

白樺わが人生

内深く咳を長くしていたのに
何があらわになったのか
みぞおちにうす黄色い痣がにじみ出ていた
道端に罰のように立った白樺
あの中では何が起こったのか
あんなに白色がにじみ出るのだろうか
葉と花 世のあらゆる色すべて捨てて
日月星 世のあらゆる光 自分の中に埋めておいて
骨だけ飛び出た霜の体
神経線まで露わにしたあのもつれた心
凍った土に斜めに射す影うら寂しく映しながら
自分の痣を完成してゆく冬の白樺

炭の塊になった廃屋一つ抱いている
かささぎ一羽いつまでもくるくる回っていた

*チョン クッピョル 1964年全南生まれ。
梨花女子大国文科および同大学院卒業。
1988年《文学思想》(詩)
1994年東亜日報新春文芸(評論)で登壇。
詩集「白樺わが人生」「白い本」など

■韓国ドラマ「冬のソナタ(冬の恋歌)」が大人気。主演のペ・ヨンジュンさん
 も来日し、ますます過熱。従来の男優のキリッとした所に甘さとファッショ
 ンの今っぽさが加わり新しい魅力になっていますね。
 韓国の詩には結構、愛の詩や恋歌が多いんです。日本の詩よりもっとスト
 レートな。日本の詩は一時、性の方に行ったのですが、もともと「古今集」
 以来、恋の機微を華麗に歌う点に重きがあります。韓国の場合、「愛」の
 純粋や理念を追い求める傾向があります。「あなた」が神や民族や国を意
 味することもあるのは日本にはあまりない特長です。現代詩に「サラン(愛)」
 という言葉がよく出てきて、含んでいる意味は深いです。





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