ソンチャンホ ミダン文学賞受賞 秋 ぱちん!豆さやから飛び出た豆粒が胸をかすめるやいなや びっくりした雄キジが向かいの森へぴょんぴょん飛んで行き、鳴く 悲しい秋だった ぱちん!豆さやから飛び出た豆粒が尻を打つや 初潮の気配が見えた娘のようにはっと驚いた ノロ鹿がちょろちょろ血を一滴流しながら 向かいの谷へ無我夢中で逃げる秋だった イノシシの群れはきのう おととい月夜に寝転んだ麻畑を思い出し 人里はなれた豆畑なんかは見向きもしないで過ぎ行きる 山すその秋だった 来年になれば この豆畑も荒れ果てた畑になると言った 腰が曲がった豆畑の主人は 今 尾根のまるい白キキョウの墓がもっと良いと言った そして 収穫が黄色い豆二斗半になると言ってにっこり笑った とにかく まだ日差しはよく 殻竿でまだ打たれないさやたちが だだっ だだっと私の殻を開き いくつかの豆粒を 力いっぱい はるかに 撃ち送る秋だった シメ鳥よ おまえは今だにそこで何しているのか 豆粒を拾いに行かず サルナシの蔓の上に 坐っていたシメ鳥は自分が見つかったことを恥じ ちょうどシメ鳥くらいの胸だけどきどきする秋だった カバン カバンがカバンの中に囚人を隠し 脱獄に成功したニュースが 市内にぱっと散らばった 刑務警備官たちは それはそのまま単純な サイ皮のカバンであることが分かったと言った あるとき カバンの中が草原だったと 川水でいっぱいに満ちていながら 熱い鼻息で反芻していたのを 誰が知っていただろうかと言った むごいことに脱獄した囚人が市内を混乱させて回りながら 森に疾走しながら 雲の中に潜みながら 角があったところがむずがゆく 熱い稲妻に額を焼けば しばらく自分のカバンを注意深く調べてみる人が多いようだ 鍵が財布が所持品がちゃんと入っているのか あるいは触れてみて息をする音がかすかに聞こえないか その手垢じみた口で花に出会えば走って行かないかと ※ソンチャンホ1959年忠北生まれ。 1987年「我々の時代の文学」で登壇。 金スヨン文学賞。東西文学賞受賞。 詩集『10年間空いた椅子』『赤い目、椿』など 崔鐘天 涙は青い 涙は青色を帯びている あざを脱色したために 開かれた目の広大さ 約束の虚しさ 我々は過ぎ去った歳月を憎み投資した そこで私は利益で 快楽を増やし ふいに嫌悪の中で誰かを記憶した あなたの目は黒く深かった。しかし それはキスで私の目を汲み取る あなたは再び月を見ることができないのだ 地上の尺度 神様 上から そのように 見下ろすだけなさらずに 地上にちょっと下りて来てください くたびれて休んでいます 首に力が入り 肩に重さがかかり まっすぐに立った我々 平面図では その実際の長さが 現れないですよ 正面からごらんになれば そのお言葉を修正なさるでしょう 人間は平等だ まな板 朝を起こす包丁の音を聞いてごらん 死を生命に変えるものが包丁だ 包丁はいわば人間の本質の換喩や象徴ではない 包丁は権力とは無関係だ 台所の伝令である生臭い臭いが町をさまよう 台所こそは最も神聖な場所だろう 一つの死がまな板を渡れば そこには誕生がある ぼくの死体もまな板にかかりさえすれば 一羽のニワトリやブタ、背青い魚になるのだ 誰かがぼくの死体を料理するだろう ぼくはそいつの火葬にも決死の反対だ 反対 ぼくの体が森で腐り行けば 数千万匹のウジと飛ぶ虫たちが入り 数億の微生物を作るだろう 雑草はぼくの孤独ほども生い茂るだろう ぼくの体は完全に新しい生命として還元されるのだ 初めからこの地上は死体を料理する一枚のまな板だ となりの家では長い間 赤ん坊が泣いて 台所では刃物を使う音が朝を呼ぶ まな板の上を歩いていく死体は神々しい ぼくはまな板の上を歩いていく ※1954年。全南生まれ。1986年「世界の文学」 1988年「現代詩学」で登壇。 詩集『涙は青い』『ぼくのご飯茶碗は輝く』 申ドンヨプ賞受賞。 鄭クッピョル 第23回2008年素月詩文学賞受賞 とても大きな眠り ある場所を眺めているみたいに ぼんやりここを置き去り 信号で止まった首が花茎のように折れるとき すうっとまぶたが読んだ行間をまた読むとき 春を置き去り秋を置き去り夕食までも置いたまま たった今焼いたパンの崖に飛び込んだりする ソファーの肌 あるいはライ麦パンの匂い 出口のように ほかの季節と ほかの風と 歌 毎朝 道から道に踏み入るとき 毎夕 愛から愛に移り行くとき あくびもせず 引き潮になるように うとうと落ち入る いつも 今日も うっかりしたある知らせのように ひとつの今をうっかり置き去る時ごとに ひと口ずつ切って食べるあの大きな眠りに向かって どんなに何度も丸い唇だけ開けたいのか 雷のように襲いかかる眠りが生を生きさせるとは 柔らかくあれ 二つの唇が吹く朝の奇跡 霊魂がつま先まで持ち上げる甘美な息遣い 私にはひとつの夜があるから ひとつの夜にはあそこにふわりといつもの今日があるから 終わりなき水 水に溺れたハツカネズミの声を出しながら落下しました 水一粒!あのように 切り立つ崖で道に迷ったから この季節を過ごそうとすれば千年は歩かなければならないのです 二本の足がすり減るまで 二つの目がすり切れるまで 終わりだろうと思えば噴き上がって全身たぷたぷ揺れます 木の皮からしみ出る清らかな歌 夜の海をまるごと飲み込んだエラのように しめっぽい心をなみなみと背負って 半分満腹した十日 涙がこみ上げ ひと季節たっぷり濡れて 川のような一小節を歌い切るためには 歩いて歩いてまた歩かなければなりません 二本の足がすり減るまで 二つの目がすり切れるまで ほんとうに深い根に溜まり ほんとうに高い木に宿り 千年たったら一つの花を咲かせるでしょう 天球の涙で育てる 私の目に見えない弥勒一木 ※チョン・クッピョル 1964年全羅南道生まれ。梨花女子大学国語国文科卒業。 梨花女子大学大学院で博士学位取得。1988年『文学思想』に「カレーの海」 他が当選。1994年「東亜日報」新春文芸評論部門に「冷ややかなパロデスト の絶望と模索」が当選し、詩作と評論活動を続ける。詩集に『白樺、私の人生』、 『白い本』など。詩論集『千の舌を持つ詩の言語』散文集『余韻』など。 「唯心作品賞」「素月詩文学賞」受賞。明智大学国語国文学科教授。 金勇範 原籍 権宅明・佐川亜紀訳 私は時々生まれてもいないところの地番を書いたりします。 「平安南道平壌市新陽里184番地」 原籍を書くたびに心の片方ふと根無しでさまよう無常なる雲、 どこにも永く留まらない、形もない風、 錨を下ろせなかった木船とか、 消せないいくつかの染みを確めたりします。 一世代を超えてもう一世代に繋がる原籍を、 時間を越え場所を越え記憶しなければならない青い地番を 確めなければなりません。 行ってみれなかったところの従兄弟たちと自由、青い平和、そんな抽象ではない、 時々インク色のように青く生き返ってくる地番。 闘争で勝ち取ったり、抵抗や戦争で獲得したものでない、 ただ遺産のように受け継いだ地番の中の平壌。 数百坪の土地と低い屋根の一軒の古い家が見えるだけです。 人々の土の匂いの中でも、春のいくつかの山菜からも 彼らの故郷を感じたりするそうですけれど 私は行政書式を書くたびに 不慣れに感じる 抽象の地番を持っているだけなのです。 ※「平壌市」にある行くことができない原籍。 朝鮮半島の分断による深い悲しみが胸を打ちます。 抽象ではない代々受け継ぐ地番という発想が人間的です。 血を流すことなく、平和的に統一することが人々の心底からの願い であることがよく分る感動的な詩だと思います。 この訳詩は3編とも韓国詩誌「詩で開く世」2008年冬号に発表。 絵の中に座って 李明洙 権宅明・佐川亜紀訳 時計を掛けていた壁に絵を掛け 時計を移しておいた 習慣のように時計の方向に視線を向けて 壁を見る 今 何時だろう 時間の座席は消され 時計と反対の方向 そこに見知らぬ男が一人座っている 背の曲がった木の切株に寄りかかって じっと空だけを見上げている 男の星座に 一羽の冬鳥が飛んでいく 寒い 男の空の外に闇が降り 私は何度も絵の中に入って 時間を消す、たまに自分を消したりもする 久しぶりに温かい時間の中に座っている ※シュール・リアリズムの絵画を見ているようなおもしろい詩です。 時計の移動と時間の変化、「私」と「見知らぬ男」の入れ替わりなど、 次元の交錯、存在と時間の不思議な関係が高次の知性的な詩 にしていると思いました。 頂点 李尚鎬 権宅明・佐川亜紀訳 深淵のようだ 満開の花の中心 眺めると涙が出る かすんだ目で どれほど経っただろう 一陣の風が波紋を引き起こすと いちばん軽い一枚の花弁が いち早く落下する 瞬間 真っ青な宇宙が 花弁の上に載せられる まるごと ※簡潔な表現で、本質の深さを鮮やかに伝えています。 視線が花の中心の深さから、花びらの上の宇宙までダイナミックに動く展開に、意表をつく新鮮な驚きがあります。 色彩の面でも真っ青な宇宙と花弁と絵画的で 美学の詩として完成度が高いと思います。 文泰俊(2) 極貧 岩崎理予子訳 大根を植えて ほったらかし 根を採りそこない 茎を採りそこない かろうじて花を得た 空中に 白い大根の花がいっぱいだ 野菜畑に花を育てたのかと 人々は尋ね 私は口ごもる そんなやり取りのあとに 一匹の蝶が 蝶が連れてきたもう一匹の蝶が 白い花びらのような蝶の群れが 白い大根の花にとまる か細い脚を立て 三秒 五秒 短く短く もしかしたら 彼らにはもっと ゆったりとした時間 羽をたたんで 風を休ませ のんびりと とまっている うとうと うたた寝しているかのようだ 脚を立ててお休み と言ってくれる所が うたた寝をおし と出してくれる膝が 今まで私にはなかった 私の大根畑は花畑 私はとうとう 蝶に花まで奪われた 外 岩崎理予子訳 篠つく雨の中を 一羽のほおじろが飛んでいく 弾丸のように速い あまりに速すぎるのは哀しい 行くべきところが遠く 心が遠くにあるからだ 白いごまの花が咲いているひと枝から 少しの隙間もない 雨の中へ 渦巻き 突き抜け 飛んでいく ほおじろ一羽 あの全速力の力 なつかしさの力で ほおじろはどこに行き着くのか 家に? 桐の葉のように 広く静かな家に? 中心に? ああ、 いくら考えてみても 私は あまりにも遠い 外にまで来た ※仏教思想を背景にした静かで深い世界。 自己意識を最小限に抑える<極貧>とすべての生命が平等という<水平>の詩学が喧騒と欲望の時代に清流のような爽やかさを贈ってくれます。 1970年生まれの若い詩人の作品とは思えない穏やかさ。 格調高く落ち着いた訳は、字句と詩情において 正確に文泰俊さんの世界を伝えています。 (土曜美術社出版販売・1575円) 『地球は美しい』 家の畑 金鍾海 私が撒いた種たちが真夏の家の畑で育つ 新たに入籍した私の家族たちだ サンチュ 唐辛子 茄子 かぼちゃ 苺 トマト とうもろこし等の 名の前に金氏姓を付けてあげた 金サンチュ・金唐辛子・金茄子・金かぼちゃ・金苺・・・ 草取り鎌を握った家長の心は満たされる 私の体の葉のふちごとに汗の滴が宿る 土の中に体を縛り付けて世を覗き見する目 雑草の名前の前にも金氏姓を付けてあげた 雑草を抜き取る私の手がもじもじする 金雑草、しかし私は断固たる態度をとる 伸びる家族たちのせいで家長は忙しい 土の思いを空に巻き上げる家長は忙しい 今日は父さんに半日 日光をもっとくれと言う 喉が渇いた私の家族にひと雨降り注いでくれとお願いする ああ、生きている日の祈りよ! エントロピー 金ジュヘ 朝食の支度をして 魚のうろこをこそげ取り レンジの中に入れて 考えた 私が生きるために 魚300匹が必要とすると その300匹のために9000匹のカエルを育てねばならず そのカエルのために2700万匹のトノサマバッタを取らねばならず そのトノサマバッタたちが千トン以上の草を食べまくらなくちゃならない エントロピー!結局私が死ぬために 草を殺し トノサマバッタを殺し 私の父さんを殺して 絶え間なくこの空間を食べまくりながら わたし、は、生き、て、い、る 眠りから覚めることもなく谷を隈なく捜して カエルを取り 火に焼いて食べた ある精力家の顔が浮び上がるやいなや 急に背が熱くなった においもした レンジの中の魚が体を裏返す 点々と焼き目がつき よく焼かれた私の体 生態詩宣言文 大地に生まれた人間はついに大地に帰る存在だ。それゆえ大地は私自身である とともに母であり、私の現住所であるとともに私の故郷だ。そのやわらかく 粘っこい土は私の肉であり、さらさら清く流れる水は私の血であるとともに、 美しく生い茂る樹木たちは私の髪であり、満潮干潮として寄せ引く青い海は 私の心臓であり、まぶしく輝く空は、私の霊魂だ。 自然の模倣として作られる詩はついには自然の再創作物である。 それゆえ自然は詩の母であり、詩の現住所であるとともに詩の故郷である。 その純潔で多様な土壌は詩心であり、悠々と流れる河と小川は詩の想像力であり、 うっとりと咲き始める花と木々は詩の修辞学であり、満潮干潮を反復する彼は 詩の律格であり、空を明るく照らす太陽は詩の理念だ。 人間は一人きりで生きられない。そして一緒に生きる存在だと言う。 しかし、人間は人間とともにあるだけでは生きられない。 自然の世話があってのみ生きる。人間は自然の息子だからである。 詩人はやはり言語だけでは生きられない。 自然との交感で生きる詩は自然の模倣だからである。 それゆえ人間を社会的動物としてのみ規定した昔の賢人の過ちは 今修正しなければならない。人間は社会生態的動物であるのだ。 それゆえ、詩よ、詩人よ、この21世紀はじめ今一度人間の解放を歌おう。 それは数百年前我々の先輩詩人たちが神からの人間解放を歌ったように 今人間からの人間解放を歌うことを意味する 詩よ、詩人よ 今からは人間の束縛を脱け出し 自然と共に生きる幸福を歌おう 自然よ、大地よ、大地に足を踏みしめて生きる人間よ 道が祝福あれ 2007年5月4日 韓国詩人協会前会長・呉世榮 小さくかわいいもの 金南祚 電灯の光 それほどうれしいのか 鳥のはばたき それほど楽しいのか ごま粒よりもっと小さい飛ぶ虫たち 鉛筆の先で点一つ付けた心臓 脈拍どきどきし 顕微鏡にだけ現れてくる 二つの目で 空と太陽すべて見たのか 一日だけの生涯に 従順に満ち足りているのか 神様の遺伝工学で 縮小した とても とても かわいい天使たちであるものよ 驚くべきお前たちは 爆弾あられ 金光林 世に無法者のうち一人として このように堂々としたやつがいるだろうか 真昼の街 ある街角にふんぞり返って立ち すき放題に 中身だけやたらにぶち込み 胴体に発射したあと かっと赤くなり 全身で憤りを爆発させるお前 お前はろくでなしの拡大主義者 お前は恐怖もはじけさせてしまう 因習の眠りを覚まし 無邪気な者をびっくり仰天させる そして この世に 生まれもしない子どもを 泣かせておく お前だよなあ 文明砂漠で 怒鳴って行き来するやつは 野の花 呉世栄 よく育った麦畑よ もう おまえは農民のその美しい汗さえ 受け取ることをためらうのだね 鍬を握りしめた その みずみずしい力さえ・・・・・ 太った土と口づけしながら 私たちの純潔な愛を 耕したその春の鋤は今 どこに行ったのか ぼくの足の甲に砕け落ちたそのまぶしい日差しは 胸から飛び上がり 青い空にはね上がったヒバリの歌は・・・しかし もうこれ以上 鋤で耕す大地というものはない トラクターが畝をすき返し 除草剤が 草取りの代わりをする・・・畑の土手には 野の花一輪咲かないのだが 遺伝子が操作された麦だけよく育ち生い茂るねえ もうこれ以上 白紙にペンを引かない 一つの文章の畝もコンピューターなしには耕せない ぼくの原稿用紙の野原 ※韓国詩人協会が2007年12月に出版した地球環境保護のための 詩選集『地球は美しい』の中から紹介しました。韓国では、自然環境に ついての詩を「生態詩」と言います。政治性が薄まり経済が急成長した 1990年代から主要なテーマとして登場し、たくさん書かれています。 日本と比べ、文明批評性が強く、東洋的考えや仏教などの伝統思想を 盛り込むのが特徴です。 『戦争は神を考えさせる』(2) ついに狂った 安度ヒョン 佐川亜紀訳 自分の妻の腰を抱きしめた腕で 他人の妻の腰を撃とうと照準を合わせる 自分の娘の頬をなでた手で 他人の娘の頬に向かって引き金を引く 自分の息子の足の甲めがけてサッカーボールを蹴ってあげた足で 他人の息子の足の甲を踏み潰すタンクを運転する 自分の村の囲いが壊れれば駆けつけて修理していたが 他人の村の囲いは迫撃砲で砕いてしまう 自分の国の木と花が喉が渇けば水もよく注いだが 他人の村の木と花には数千発のミサイルを降り注ぐ ついに気が狂った・・・・・・ 自分の家の犬は人よりもっと愛し 他人の家の人は犬よりもっと憎悪する ※アン・ドヒョン 1961年生まれ。詩集に『焚火』 『あなたのところに行きたい』など。 96年大人のための童話『サケ』がベストセラーとなる。 02年韓国政府から民主化運動関連者として名誉を回復される。 03年日本で『氷蝉』(韓成禮訳・書肆青樹社)を出版。 我がアメリカ紀行 ミシガンで 申庚林 佐川亜紀訳 初日は のさばるアメリカ人たちが恐ろしくて ドアを閉めたが また開けてから 間もないという 中東人経営のレストランで羊肉の昼食を食べ 二日目は 自動車産業の没落で幽霊都市になった デトロイト市の再生運動を広げる 背が高く若い黒人に会い ハイデルベルク・プロジェクトの説明を聞き アフリカ黒人がやっている食堂で 名前なんとかの野菜とスープを食べ 博物館で メキシコの画家リベラの壁画を見て 装甲車に轢かれて死んだ幼い 我が国の女子中学生の話をし リベラの壁画の中の 腹の出た資本家が 我が国の民衆美術の人物たちととても似ていてびっくりしながら 三日目は遠く北方に走って行き 乳牛を三百頭も育てる農家を見学して 10エーカーにもなるその餌の栽培地を見学し トラックやらコンバインみたいなやつ 最新の農機具がぎっしり詰まった倉庫も見学して ミシガン州の外へは出てみたことがないという打ち明け話を聞きながら 四日目は韓国寺を捜して行き 仏様の前で礼拝を捧げ、選挙で大勝した ブッシュの傲慢な顔をテレビの中で見ながら イラク攻撃を唾を飛ばしながら反対する 韓国で軍務を終えたという若者と半日同行しながら 装甲車に轢かれて死んだ幼い 我が国の女子中学生の話をし ※シン・ギョンリム 1935年忠清北道生まれ。 73年第一詩集『農舞』出版。以後、農村、農民生活が詩作の主題。 社会参与派の重鎮で、「創作と批評」の編集委員を長く務める。 茨木のり子訳編『韓国現代詩選』に収録されている。 悲しき祈祷 李海仁 佐川亜紀訳 平和の花水に染まるべき春に 戦争の血水が煮詰められる この残酷な悲しみをどうしましょう? 「彼らは何をしているのか自分でわからないのです」と 十字架の上で告白されたイエス様 お互いが兄弟であるこの地上で 愛の代わりに憎しみの銃を 許しの代わりに復讐の刃を持った 盲目になった人間たちを見ているだけでいらっしゃるのですか 戦争が生んだ恐怖の中に 我々の日常にはカビがいっぱいで 我々の顔には影だけが濃くなっていく 天を恐れることを知らず 欲の虜になった者たちを 哀れに思ってください もうこれ以上祈ることができない 我々の絶望とため息の中に入ってきて あなたが直に祈ってください 平和のためにあなたはもっとたくさん泣いて下さい おお、主よ、血ぬられた悲しみをどうしましょう ※イ・ヘイン 修道女詩人。1945年、仁川生まれ。 キリスト教に基づく詩集がベストセラーに。 76年『たんぽぽの領土』79年『我が魂に火をともし』 83年『今夜わたしが半月で浮んでも』などが数十回の版を重ねる。 茨木のり子訳選『韓国現代詩選』に収録されている。 金経株(2) 膝の紋様 権宅明・佐川亜紀訳 1 夜に 膝、 と 呼べば好きになる あなたの膝 木の膝 時間の膝、 膝は体の波紋が外に抜け出せなくて 肌が渦巻く場所のようで 夜 膝を下ろせば 千斤のかすかな渦巻きが体をめぐり戻ってくる 誰かが私の膝の上にしばらく横になっていて 骸骨になった一匹の牛を抱いて眠りについたこともある 誰かの膝の片方を忘れるためにも 私は夜のすべての膝に向かって目の見えない牛のように ぴたっと伏していなければならなかった "私があなたから膝一つをもらう間 この生は過ぎ行きます 膝についてあなたと私が一つの文明を語り合うためには 私の体から失われるはずのほのかさを肌の外に幾度も浮かび上がらせ それからその膝の名をあなたの膝の中で流れる大気と 呼ばなければならないことを知っています つまり膝が似ていて愛をしようとする鳥たちは 互いの体を唾液で濡らしてやり布切れの中で人間になります 膝が似ていてだめならば この時間とは親族ではありません" 2 彼の膝を初めて見たとき それは忘れられた文明の半島のようだった 九十九折駅の階段のすきま、 黒い痣で一匹の膝が入っていた ズボンをあけてはみ出した膝は肌の中で隆起した島のように見えた 彼は自分の膝を抱えて眠りにつきながら 体が時間の上に広げておいた空間の中で もっとも繊細な波紋の紋様を 地上にさらけ出していたのだ "あなたの膝に降りてきたその夜々は あなたが膝の中で隠した村だったことを知っています 一人で座ってかりんをいじるようにその村を揉んでやる間 鳥たちは自分の目を刺しあなたの体の中の無数の赤道に飛び交っています あなたの膝に水が満ちてくる間だけ聞こえてきます あなたの膝を枕にして横になった風の耳が水を流している音を" 3 膝が話かけてくる時間になると 人は時間の関節について話すことができるそうだ よく日の射す日 年老いた母と膝をまくり上げて庭に座ってみる 老母は私の膝を揉んでやりながら 電話をもうちょっとひんぱんにするようにと言い 親は待っていてくれないと言う その頃鳥たちはたびたび木の枝に座り膝を舐めていた その膝の中に沈むあらゆるか弱さについて 私はこの世でもっとも恐ろしい音節を踏査していたのかも知れない 'あなたと私がこの世で分ち合った膝の文明を何と呼ぶべきでしょうか 生は時間との血縁に他ならないはずだから それはあなたの膝を抱いて眠りについた その上に降りそそいでいた雪のようなものではなかったでしょうか 今は私の膝の中にも雪がしんしんと降っています 私は膝の親族です' ※金経株(キム・ギョンジュ)一九七六年光州生まれ。 二〇〇三年ソウル新聞で登壇。二〇〇六年七月『ぼくは この世にない季節だ』出版。 〇七年四月までに五刷。 フリーのコピーライター、映画制作に携わる。 大学路演 劇実験室で戯曲作品「オオカミは目玉から育つ」で劇作 家としても活躍。 無境界文化パルプ研究所「チュリーニ ング・バラム」運営。 ※この作品は、韓国で2007年中にもっとも読まれた詩としてインターネットで 選ばれました。言語の自由な増殖はポストモダン的です。 風土や感情と対応した旧来の抒情詩でもありません。 歴史や一つの現実をみつめたリアリズム詩や社会参与詩とも違います。 多方面に飛び交う「膝」についての自在な想像力が魅力となっています。 けれど、3では、老母とのやさしい対話が出てくるなど伝統的母子関係も 現れています。 新旧の表現を混合していることが人気の秘密かもしれません。 次の詩は、07年未堂文学賞の候補になりましたが、 崩壊する家族を描いています。 プレモダン・モダン・ポストモダンが混在している現在の韓国を 象徴しているでしょう。 腹話術 佐川亜紀訳 彼女が飲むビタミン剤は流通期限が何ヶ月か残っていて、 ぼくが飲む猫いらずは今日が最後の日だ 猫いらずに流通期限があるかないか考えたのは愚問だった 長く過ぎれば毒も過ぎ去る ある家族が猫いらずを飲み 内臓を吐いたまま死んだ現場を見た ことがある 猫いらずを飲んで幸せなネズミのように彼らは笑って いた その日夕食にも主人は薬局でビタミンを買うか 猫いらずを買うか<間>で葛藤した 貧血を今止められるのか 貧血をはなっからなくしてしまえるのか<間> 体は問をぶら下げてくる ところで体が霊魂の季節をたずねるにせよ 紙袋を持って門の前で主人は巾着から小さい宇宙飛行船を 取り出してみながら かすかに笑った それは末っ子のおもちゃではなかった パジをぬがして警察が家族写真を撮る 性器が内に曲がり巻き込まれていった その間 これらが最後まで狂ったように笑ったのだ 警察が押し寄せる前 内の城ができたネズミたちが 死体を巡りながら 互いに疑わしそうにしていた 呉世栄 木 2 なべくらますみ訳 木も実際のところ そうして 子供を持つのだ 冬の山 深い渓谷を探して見なさい 木と木が葉を脱いでいく身で ひと所に絡んでいることを 厚ぼったい雪を敷いて横になり 肌と肌を向かい合わせて寝転ぶ裸木たち 冬は木々の夜だ 春は彼らの朝 新婚の部屋のあちこちには 起床する木々の咳ばらいが 聞こえる ・・・・・ ピシリッ 渓谷の氷が砕ける音 過ぎた秋 脱ぎ捨てた古い服の代わりに それぞれ淡い緑色の 新しい服に着替えた新婦は 新しい朝 窓を開ける いつの間に 凍りついた土を分けて とがった若芽を目覚めさせる木々の か細い か細い新芽 敦煌にて なべくらますみ訳 砂漠は 一筋 空と地に線を引いた白紙 太陽と月はクレパスで 描き入れたが まだ彩色されない木炭 デッサン画だ ただ 画板を見つめる 老いた神の瞳だけが きらきらと輝くばかり ※なべくらさんが前の呉世栄詩集『花たちは星を仰ぎながら生きる』(紫陽社) を出されてから14年たち、新しい呉世栄詩集『時間の丸木舟』を08年5月に 上梓されました。前回の詩集では、自然性と社会性の結合が特徴的でしたが、 今回は自然の豊かさが一層加わったと思いました。また、自然の極限である 砂漠を題材にした「第三部 西域詩篇」では、文明の空虚、都市の未来まで 感じさせます。よく練られた巧みな訳で読み易く情感も十分伝わってきます。 (土曜美術社出版販売 定価2000円) ●5月16日から19日まで、「地球社」の企画による「朝の国に二十一世紀の 詩と未来を求めて アジアの詩の集い ソウル」に行きました。 16日は、在韓日本大使館 日本文化広報院で「詩と音楽の出会い」が 開かれ、韓国側から金ナムジョ、文コ守、成賛慶、申庚林、李炭、柳岸津、 の詩人の方が自作詩を朗読されました。日本側からは、秋谷豊、新川和江(代読)、 石原武、高良留美子、以倉紘平、李承淳の詩人が朗読されました。 韓国語と日本語双方で読まれ、私も李炭詩人の詩を読ませて頂きました。 初めに僧舞が踊られ、伝統音楽が生で終始演奏されたのは趣深かったです。 後に、交流会が開かれましたが、申庚林詩人とお会いできたのは幸運でした。 申庚林といえば、金芝河、高銀とともに社会派で有名な詩人で、 特に農村・農民を描いたことで知られています。 ですが、小柄でほっそりしておられるのは意外でした。 高銀詩人もほっそりしてちょっと似ています。 ただ、高銀は鋭く知識人を感じますが、申庚林はもっと朴訥な印象です。 17日は、「文学の家」という緑に囲まれテラスもある素敵な建物で 「アジアの詩の集い」が開催されました。 司会は、権宅明、中原道夫、ささきひろしの各氏。 今回の催しで韓国側の中心となられた金ナムジョ詩人の挨拶から 始まり、秋谷豊氏、石原武氏が、アジア詩人会議の35年間の歩みを 振り返られました。 5分間スピーチでは、 日本詩人クラブ理事長の北岡淳子氏がクラブとしての挨拶をされ、 傳馬義澄国学院大教授は、立原正秋と後藤明生という朝鮮で生まれた作家の 文学生涯について述べられました。 高良留美子氏は、樋口一葉の師であった半井桃水が対馬の生まれで 韓国語もでき、日韓中の連盟を説き、一葉も日清戦争に反対の気持ち だったなど、日韓女性文化の厚みについて語られました。 私は、去年の韓国近現代詩100年の催しで感じたことと、 翻訳の変化、最近の日韓詩の環境問題への取り組みについて話しました。 詩朗読では、新宿駅で線路に落ちた人を救おうと命を落とした李秀賢氏を 悼む小山修一さんの詩集『韓国の星、李秀賢君に捧ぐ』が、 李君のご両親を招いて朗読されました。 他に、宮沢肇、岡隆夫、各氏が朗読されました。 韓国側は、高ヒョンヨル、許英子、金宗吉、高貞愛、朴堤千、李環姫、 金光林、金后蘭、文コ守、金鐘海、鄭浩承の各詩人が朗読されました。 先月このHPでも紹介した鄭浩承詩人とお目にかかりました。 愛の詩集がベストセラーになるだけに、やさしく繊細なお人柄を感じました。 他の時間に、文泰俊詩人とも会いましたが、大柄で純朴、静かな、 さすが仏教詩人という雰囲気でした。若いのに落ち着いていました。 「朝鮮日報」で、女性の鄭クッピョルさんと二人で韓国詩100年を記念し、 100編の詩を選んで、解説することを毎日されているそうです。 そういえば、一時地下鉄から詩の掲示が消えたのですが、 また復活し、バス停にも金素月の詩のポスターが貼ってありました。 人が待つ場所などに積極的に詩を掲示しているそうです。 詩を文化の時代の中心にするようです。 18日は雨でしたが、19日は快晴となり、水原の華城の野外会場で 朗読会ができたのは思い出深いです。 上記の日本詩人のほか、掘込武弘、山崎佐喜治、植木信子、 小林登茂子、塩田禎子、名古きよえ、結城文、岡田恵美子、 田中真由美、平野秀哉の方々が朗読なさいました。 18日までは、韓国絵本の翻訳で有名なみせけいさんも参加されました。 観光バスの運転手さんが即興で詩を作り朗読し、ガイドさんも童詩を 暗唱したのは、ほんとうに詩の国らしいことでした。 >鄭浩承 折れることについて 権宅明・佐川亜紀訳 木の枝が風にぽきっぽきっと折れるのは 木の枝をくわえて行って巣を作る鳥たちのためだ もしも木の枝が折れないでそのまま木の枝として生き残るなら 鳥たちは何によって巣を作ることができるだろうか もしも私が折れないでずっと生き残ることだけを望むなら 誰が私を愛することができるだろうか 今日も街にひときわ小さく細い木の枝が折れて転がるのは 鳥たちにその枝をくわえて行って巣を作らせるためだ もしも木の枝が小さく細く折れないで ただ大きく太く折れるだけならば どうやって小鳥たちが嘴でその木の枝をくわえて行って 空高く巣を作ることができるだろうか もしも私が折れないでずっと生き残ることだけを望むなら 誰が私を人間の家を作るのに使うことができるだろうか 水の上に書いた詩 韓成禮訳 私の千の手の中のただ一つの手だけが あなたの涙を拭いていたが 私の千の目の中のただ一つの目だけが あなたのために涙を流していたが 水がなくなり山がなくなって道のない夜はあまりに深い 月光が真っ青に刀を研いで走り寄り 鋭く私の心臓を刺す 今、私の千の手があなたの涙を拭いてあげる 私の千の目があなたのために涙を流す 星たちは温かい 佐川亜紀訳 空には目があり 恐れることはない まっ暗な冬 雪の降った麦畑道を歩いて 夜明けを迎えず 夜が来るとき 私の貧しい空の上にまたたく 星たちは温かい 私に 真理の時はもう遅いが 私が赦しと呼んだものたちは すべて嘘だったが 嵐の過ぎた夜明けの道を歩きながら 夜明けを迎えず 再び夜が来るとき 私の死の空にまたたく 星たちは温かい ※チョン・ホスン1950年。慶南河東出身。1972年『韓国日報』で童詩が、 1973年『大韓日報』で詩が、1982年『朝鮮日報』で小説が当選。 詩集『愛して死ね』はベストセラー。他に、『悲しみから喜びへ』 『ソウルのイエス』『寂しいから人間だ』など。 素月詩文学賞。東西文学賞など受賞。 温かく、宗教性もうかがえる分かりやすい詩句は人気です。 李起哲 心は時に白鳥になって 権宅明・佐川亜紀訳 緑の上を走り回る日差しに 今日はピカッという言葉よりもっと明るい言葉で 朝のあいさつをしたい 荷をすべて下ろして自分が日差しになる日 私は日差しぐらい明るい言葉を一つ 緑の首にかけてあげたい 六月の青い森の中に白く清らかな一羽の鳥が飛んでいく時 ひとりの青い心の中に 人々は白鳥になって飛んでいく この世で一点のほこりもつかない名前 人の名前よりかぐわしいものはない 花の一生はにわか雨と陽光の生涯である時 土が毛細血管を破裂させて赤い花を咲かせるように 人は人の名前で心を花咲かせる 花の言語で呼んであげるとすぐに音楽になる名前たち そのような人の霊魂が熟して芳しい実になる 呼べば呼ぶほど人の名前は もぎたての果物のように新鮮だ *イ・ギチョル 嶺南大学国文科卒。同教授。 一九七二年「現代文学」の推薦でデビュー。 詩集に、『青山行』『憂愁の布団をかけて』『地上で歌いたい唄』 『瑠璃の日々』『ぼくの出会った人はみな美しかった』など。 金スヨン文学賞、詩と詩学賞、テグ広域市文化賞等を受賞。 『イラク反戦詩集 戦争は神を考えさせる』 ひまな時には パデル アル アッチャウイー 長く退屈でひまな時 ぼくは座って地球儀を手にとって遊ぶ 警察や政党がない国々を作る もうこれ以上消費者たちを誘惑できないようこすりけしてしまう 荒涼とした砂漠を通ってうなる川を走る 大陸と大洋を作る 万一のために未来を求める ぼくは新しいカラー地図を描く ドイツをクジラたちがうようよとしている太平洋に転がす そして貧しい避難民たちが バーバリアの約束の庭園を夢見ながら 霧の中で 海岸へ海賊船に乗って行くようにする ぼくは英国とアフガニスタンを交換する そして若者たちが 陛下の政府の好意という条件で ハッシシを自由に吸うことができる ぼくは鉄条網が張られて地雷が埋没された国境から 欠ける月の島であるコモロへ もちろん油田を巧みに保管し クウェートを密輸出する 同時にぼくはうるさいドラムの音に浸っている バグダッドを タヒチの島々に輸送する ぼくはラクダたちの血統を保存するために サウジアラビアを永遠の砂漠に縮めるのを承諾する これはぼくがアメリカに降伏する前 長い間 不足していた正義を 歴史に提供するため インデアンたちに還って行く ぼくは世を変えることが容易でないことを知っている それでもそれはかならずやらなければならない ろうそくの火のパーテイー ここはとても長くぼんやりした部屋の中にいる 20世紀 殺人者たちと魔法使いたちが 勝利の 点滅するろうそくの火がある 食卓に座り 夕食を待っている ウエイターたちが 一人ずつ 一人ずつ 隠された片隅から出てきて お客さまたちを接待するために 彼らの頭上に 闇の皿をはかりにかける 彼らは同一のビンに入ったあらゆる酒を飲む 木に落ちる夕暮れを眺める 酒に酔った軍人たちの行進が 血に染まった旗を揺らす 道に従って降りて行く 窓を通して 月がたちまち光を注ぐだろう そのときは彼らがパーテイを終えて 我々が同じ食卓に座り 同じ酒を飲む 私たちはなぜ流刑地にいるのか? アブドル・ワーハム・アル・バヤテー 佐川亜紀訳 私たちはなぜ沈黙を守っているのか? 私たちは死ぬ 私たちには家があった 私たちにはあった まさに、君 心臓がなく、声もなく 大声で泣き叫ぶ、まさに君、 なぜ私たちは流刑地にいるのか、 私たちは死に行く なぜ私たちは泣く事ができないのか? 火の上を いばらのやぶの上を 歩いて行った 私たち人民が歩いて行った 私たちがなぜ、主よ 祖国もなく、愛もなく 死んで行く 恐怖の中で死んで行く なぜ私たちは流刑地にいるのか 私たちがなぜ、主よ? ※1926年 バクダッドに生まれ、1999年に他界した。 現代アラブ自由詩の先駆者で、アラブ人たちに 生の希望と復活の精神を教え悟らせた詩人。 魔法の国で パデル アル アチャーウイ 私たちは遠い夜空の 流星のよう 仏陀は馬に乗って下りて来る 悲劇の騎士でいっぱいの話を持っている 私たちは黄ばんだ鳥たちでいっぱいの青い草原の 岩にくくりつけられていた たくさんの眠る恐竜たちを持っている そのときは地上が生まれたばかりで 神々は私たちの隣だったし 私たちは奇跡を信じた ある日私たちは彼らを助けるために仕事場に行った しかし、彼らは血を流す生き物を私たちに解き放ち 続けて下もすっきりするようになされ また別の魔法の国を目指して走って行った 裏切り者ども! ※1940年イラク北部キルクーク生まれ。 バクダッド大学で英文学を専攻した。 思想犯として3年間の獄中生活を経験した。 戦争はたいへんだ トウーニャ・ミカエル 戦争は いくら深刻でも 活力があって 巧妙だろう! 朝早く それはサイレンを鳴らし 救急車を方々に送り 死体を空中で揺さぶり 負傷者たちに滑って転ぶように近づく 母親たちの目から雨を降らせ 地面を掘り 残骸の下からたくさんのものをシャベルですくい出す あるものは生命なくきらめくもの 別のものは青白いけれど脈拍がどきどきしている それは空に ミサイルと爆弾を撃ちながら 子供たちの心に もっと多くの問いを呼び起こさせ 神を考えるようにさせる それは野原に地雷を撒き 穴とエアポケットをなくしてしまい 家族たちに移住を迫り 悪魔の呪いは 聖職者たちと居残り続ける (それは手が燃えている不幸な人に傷を負わせる) 戦争は昼夜分かたず情け容赦なく それは独裁者に長い演説をさせ 将軍たちに勲章を与え 詩人たちに素材を提供する それは人工手足産業に寄与し ハエたちに餌を提供し 歴史書にページを増やし 犠牲者と殺人者を同等にさせ 恋人たちに手紙書きを教え 少年たちに待つことを訓練させ 新聞を話題と写真で満たし 毎年祝いのためにドラムを叩かせ 孤児のために新しい家を建てさせ 棺製作者をとても忙しくさせ 墓堀りはこの人々の肩を叩き 指導者の顔に微笑をうかべさせる 戦争はたいへんだ どの誰も それをほめ讃えはしない ※ トウーニャ・ミカエル・・・イラク女性詩人。一 九六五年バクダッド生まれ。 バクダッド大学から英文 学を専攻し、現在、米国デトロイト・ウエイン州立大 学で アラブ語を教えている。代表的な反戦詩人。 私の手紙 高銀 反対せよ 今 砂漠は眠れない 今 メソポタミアの子と母は ひそかに泣くことも分かち合えずに死んで行く 紀元前遺跡は夜が明ければ また灰の山 今 地球は野蛮の惑星になってしまった ただひたすら トマホークだけが ステルス兵器 世襲される侵略だけがあって ほかのものはない 反対せよ 反対せよ 我々が建てた柱ごとに刻み付けた言葉 正義と自由 世界平和 かならず取り戻すべきその言葉を盗まれた ああ、今日のイラクは明日のどこか ■ イラク戦争中の二〇〇三年四月一〇日に、 韓国で 『反戦・平和文学 戦争は神を考えさせる』が発行さ れ、 最近頂いたので、イラク詩人と高銀の詩を紹介します。 中心的詩人は、高銀、申庚林、朴労解などで、イラク 代表詩人五人、 韓国詩人百二十一人、散文一〇人、短 編小説、評論の作品を収め、 四七九ページのソフトカ バーの本です。 高銀らが「派兵絶対反対」という横断幕を持ってデモをしている写真も掲載されています。 目次で興味深いのは、詩句が引用されて見出しになっ ていることです。 本の題名も訳した詩の一詩句からで す。宗教的な題名は国柄かもしれません。 他の見出し には、「今 砂漠は眠れない」「ろうそくの火はまだ 消えていなかった」 「私の平和のために他人の血の涙 を強要できない」「異常な国よりもっと異常な国」 「米国を見直す」と記されています。 巻頭で「私たち は反戦平和という人類の普遍的な価値を文学を通して 再認識し、 人間の自尊を目指し、熱望と喊声を表わそ うとこの本を発行した。 まず、イラク詩人たちの心と その苦悩を伝える作品を初公開する。 読者たちはイラ クの人々の熱い反戦意志とアラブ人の希望と不屈の精神を 読むことができるだろう」という旨を洪一善が述 べています。 イラク詩人の詩は、イム・ビョンピル釜山外国語大ア ラブ語講師の韓国語訳からの重訳です。(訳・佐川亜紀) 孫澤秀 木の修辞学 権宅明・佐川亜紀訳 花が咲いた、 都市が木に 反語法を教えたのだ この都市の住民になってから 本心をありのままにさらけ出すのが どれほど愚かなことなのかを私もすぐ悟るようになったが 生きていよう、粘り強く浮いた根でも下ろそう 本心を隠す代わり 捻じ曲げる方法を身につけるようになった三十いくつか過ぎ 木は私の師匠 彼が耐えられないのは 花の香りを追って蝶と蜂が ぶうんぶうんとまとい付くこと、 耐える力のできた葉っぱを 虫たちが相変わらずさくさく かじり食べること 道端のうるさい街路灯のそばで長い年月を 神経症と不眠症に苦しめられながら咲き始める花 がまんできない、木は、気がつけば 恥辱で青いのだ 自動車人間 佐川亜紀訳 釜山からソウルまで車を走らせて来る 時速140km近くで ぐちゃぐちゃ、 な物を感じた アスファルトの表面で 足裏を焼き這い上がってくる感じがまっすぐ 頭のてっぺんまでつき上がっていった 路面に倒れた猫 まだ固くない 食べたものをまだ全部消化できなかったようだった 猫の内臓を踏んだ感じがそのまま アクセルの上の足に 移ってきたのだった タイヤの車輪が ぼくの足裏が固いのか そうならば20万kmを超えて走って来た 廃車寸前のこの中古車が ぼくの肉体だということではないか すでに比喩を通り越してしまったぼくの実体ということではないのか 寝床に入り ぼくはしばらく目を閉じられなかった エンジンを消しながら 忘れてしまったヘッドライトの光のように 果てしなく放電していた ※都市生活や自動車文明の非人間性を自省的に書いています。 環境問題は、最近の韓国詩でも主流になってきました。 それだけ急激に高度な都市化が起こり、 航空機から眺めるとビルがソウルに集中しているのがよく分かります。 自動車は多いですが、道路が整備されたせいか 10年前のような渋滞は見られませんでした。 ※ソン・テク・ス 1970年全羅南道譚陽生まれ。 1998年韓国日報新春文芸懸賞募集に当選してデビュー。 詩集『虎の足跡』、『木蓮電車』。2007年未堂文学賞候補。 金行淑 雪だるま 佐川亜紀訳 なぜ私は雪が降ると雪だるまを作るんだろう? 日光が照らせば なぜ 私は貧しい家の子供として生まれるんだろう? 雪だるまはいいね 時間がこんこんとあり余るね。吹雪のようにめまぐるしく子供たちが育ち、 雪だるまはだんだん小さくなる。雪だるまが小さくなった!母さんが死んだ 私がきれいになり始めたとき 父さんが死んだ。 雪だるまへの愛情と関心のために私がだんだんおかしくなったという話を聞いた 私がどう見えるかちょっと詳しく言ってくれる? この頃は、鏡も私の顔を見せてくれないの 私はまだ残っているのに まるでみんな溶けてしまったように 私の雪だるまたちはみんなどこへ行ってしまったの? まるで食器棚から砂糖や油ビンが消えたように どうってことなく 私はマーケットに行く 森の中のキス 佐川亜紀訳 二個の首 二本の柱のような家と空間を作るとき 窓が開いて 炎のように手が燃えて飛んで来るとき 二人の人間は木のように立って 木は人間たちのように歩き、早く歩くとき 二つの首が傾くとき キスは軽く 軽く木の葉を離れる水滴、もっと大きな水滴たちが 森のにおいを爆発させるとき 二つの首が互いの顔を替えて座るとき 私の顔があなたの首から生えるとき ※キム・ヘンスク 1970年ソウル生まれ。1999年『現代文学』で登壇。 詩集『思春期』『別れの能力』。2007年未堂文学賞候補作品集より。 書評『韓国三人詩選 金洙暎・金春洙・高銀』鴻農映二・韓龍茂訳 彩流社 佐川亜紀 本書収録の三詩人は、韓国 現代詩の真髄を端的に表わし ている。と同時に、 選者らの 意図とずれるかもしれないが、 今の時代を反映しているとも 思うのである。 それは多様性 ということであり、もっと言 えば、モダニズム詩、新抒情 詩の伸展と 社会派の後退であ る。 現在、主流なのは抒情詩で、 最も売れているのは 愛の詩集 である。さらに、ポストモダ ニズム詩人も急速に台頭して いる。 韓国では言語システム 主義の詩にはならないだろう という定説をくつがえしそう な詩集が 次々に現われている。 未来派と呼ばれ、ゲームや外 国文化などの影響を 濃厚に受 けたおしゃれな若い詩が登場 し、難解なのに詩集も売れ、 詩壇の有力な賞の候補にもノ ミネートされている。 最初に取り上げられている 金洙暎は、解説で尹大辰氏が 記しているように、 従来、金 芝河が有名な評論「諷刺か自 殺か」で<モダニズムの否定 的側面を 克服し、その長所を 現実批判の方向へと発展させ た>と評価した詩人である。 つまりモダニズム詩を超え、 現実参与詩が中心勢力になる 分岐点の役割を 負っていたの である。しかし、金芝河自身 が過去の自作について懐疑し、 肯定と否定の二面自己評価を する近年では、金洙暎を再度 モダニズムの観点から 見直す ことも大切だろう。(この点 で私の解釈は尹大辰氏とは違 うので 読者はぜひ本書を直に 読んで頂きたい。) 収録作品 からも金洙暎が本質的にモダ ニズム詩人であったことがよ く分かる。 まずリズムの視覚 化、言語の物質化が顕著で、 パンソリの詠ずるリズム であ った金芝河とは全く異なる。 過剰な修飾を排した即物表現 も特徴的である。 「現代式橋 梁」などの文明批評も金洙暎 らしい。 思想的にいえば「青 い空を」の<革命は/なぜ孤 独であらねばならないのか> の 個と社会に対する近代性は 朝鮮の近代を考える場合に改 めて注視すべきだろう。 二番目の金春洙も人気が高 い。愛の詩の佳品「花」は若 々しい情緒と新鮮な美学が 親 しまれる理由だろう。<ぼくが 君の名を呼んであげるまでは /君は/ ただ一つの身振りに すぎなかった//ぼくが君の 名を呼んであげたとき/ 君は ぼくのもとにやってきて/花 になった>。「花への序詩」、 「涙」などもみずみずしい官 能性と繊細な言葉遣いが魅力 的だ。 金洙暎にもエロスの詩 「性」があり、こうした面が 以前はあまり紹介されなかっ たので 画期的だ。「香水の瓶」 などイメージの展開にも美の 構築性がうかがえる。 思想優 先の韓国詩にあって、抒情と 美学の伝統も積み重ねられて きたのであり、 技法の成果は 各方面に広がっている。 しかし、国際的に見て、最 も韓国詩らしいのはやはり高 銀だろう。 韓国の社会参与派 が一時代のものではなく、風 土や歴史と相互作用した 実態 であることを納得させる。だ から、しばしば西洋合理主義 や物質主義に 当てはまらない 精神性や非合理性を内包する のである。 私も金應教氏と『高 銀詩選集』(藤原書店)を共 訳したが、一見簡単そうな詩 句にも 古典や歴史、宗教や哲 学が潜んでいることが分かり、 理解の至らなさを痛感した。 そのうえ想像力が奔放で、詩 作品は膨大にあり、日本にも っと紹介、研究されるべきで 本書でも収録されたことは喜 ばしい。特に、「禅詩」とも 言う禅の言葉のように 大胆な 省略により、世界の深い本質 を暗示し、問いかける作品は 独自性と普遍性を 持っている。 「舟一隻」も印象に残る作品 だ。 < わが心のなかの水平線 そこに君をおき いつまでも 君とわたしの間に舟が出る けっして戻ってこない舟が 出る 帰ってこない 帰ってこない> 高銀は、民主・民族・統一 を掲げた参与派のオピニオン リーダーであり続けている。 だが、狭量な民族主義者では なく、祖国を歌わなくて済む日を望んでいる。 「ある日独りで」は 感動的だ。<ぼくが冀うのは /祖国ではなく/祖国を愛さ ないその自由/ また雪が降り 出した>。「祖国を愛さない その自由」は含蓄に富む言葉 で、 日本人にも多くを考えさ せるだろう。 本書の作品選と翻訳は先ず 韓国詩に造詣が深い鴻農映二 氏が行い、 次に詩人である韓 龍茂氏が仕上げられたそうだ。 的確な訳で、韓国詩の味わい が巧みに生かされている。 鴻 農映二氏は翻訳書が多く、韓 龍茂氏も朝鮮語教育や辞典作 りに携わり専門家なので、 各 詩人の基本的訳として鑑賞し 広く読まれるだろう。 最近、 ドストエフスキーの小説など 訳も多様化の時代なので、 今 後もさまざまな韓国詩の訳詩 集が出ればと願う。 グローバ ル化のなかで、詩も困難な局 面を迎えたが、現代詩の原点 となる詩人の作品は、 今も養 分に満ちていると感じさせて くれた詩選集である。(図書新聞) 文寅洙 2007年未堂文学賞受賞作品 食堂の椅子 権宅明・佐川亜紀訳 梅雨の降る中で スソン池の遊園地の道端で、サムチョ食堂のテント前に、 白いプラスチックの椅子一脚 いく日もいく日もそのまま座っている。 骨だけ残りガタガタしていた音も雨に洗われたのか 消えている。 さわがしく引きずられて行かないから、やせ衰えた四本の足が今ははっきりと見える。 毛もなく吠えもしないあの椅子、尾をふりながらぴょんと跳びあがったり こそこそと這いつくばることもないあの椅子、むしろ静かに白百合が咲いているようだ。 長く仕えた忠僕を呼ぶ時のようにふさわしい名前一つ別につけてあげたいあの椅子、 中身がすっかりカラになったのか、雨に濡れてもいっさいぶつぶつ言わない。 かなりの間ほんとうに久しぶりに安らかな、背もたれやひじ掛けのあるあの椅子。 夏の尻なのだろうか、ぎっしり立ち込めた黒雲がずっしりと私の心をしきりにもくもくとすりつぶす。 生活がそうだ。私もこの頃休みについてあれこれ思い巡らしているところだ。 この体 ヨガのようにねじって翼を広げだしたあの椅子。 濡れても濡れることのない達人、椅子が休んでいる。 ※食堂の何気ない椅子に想像力を働かせて、これだけ 多面的に捉えているのはおもしろく、見事ですね。 最先端 佐川亜紀訳 そして、それはある瞬間死ぬ者の取り分だろう その誰も、神も、別にもう一袋用意しても 完全には持っていけなかった一日が過ぎた 花が咲こうか咲くまいが、しおれようがしおれまいが また一日が過ぎた 一杯一杯すくい投げて今まさにみんな墓になった土のように 鳥が長く飛んで行ってつけたカラシナの種くらいの消失点、 西方を指しながら薄黒く埋もれてしまった空のように 一日が過ぎた、そして見たら本当に錐の先のようなこの感じ またどこかに芽生える微小なもののようだ 目に見えないほどに先鋭だ ※人生最期の一日を最先端ととられ、命の緊張感がありますね。 *ムンインス 1945年慶北生まれ。1985年「心象」で登壇。 大邱文学賞。金ダルジン文学賞。労作文学賞受賞。 詩集『沼が沼に浸るように』『世はすべて長い家に行く』 『角』『傷つける山』『かけらの高い鳥』『しー!』など。 鄭百秀著『コロニアリズムの克服』 本書は、神の訳語や金史良の作品の分析などを通し、文化・文学的観点から 精緻に実証的に考察した非常に高度な労作です。金史良研究がこれまで人生、 倫理または政治性による批評が多かったのに対し、表現自体に重きを置き、 何事も二項択一的発想ではなく、相互交錯的・入り混じりの状態としてとらえて 多面的に考えています。 さらに、韓国が日本の植民地支配の残滓を脱しようとしたがゆえに、 対抗概念のように韓国文化が形成されたという指摘は今までの常識を180 度変えるものです。たとえば、朝鮮の伝統的抒情としてよく言われる「恨」も 韓国に固有のものではないと指摘します。「恨」の代表的作品・金素月の詩 「つつじ」も、東アジア文化圏の人々が共有する死者と生者との間で行なわ れた声や思いの交換を形象化したものと捉えています。<「恨」の民族固有性、 そして翻訳不可能性を主張する自民族中心主義的な文化イデオロギー の脱構築を試みる>と述べています。 前世紀は、民族主義が植民地からの解放を目指す有力な根拠になった のですが、以後、ますます民族対立が深まり、それへの懐疑がうまれ、 ポストモダニズムの自国相対主義、固有文化の脱構築が始まりました。 韓国でもポストモダンの論者が多数現れ、自国を問い直す作業を行なって いる人がいます。それは、国際化を志向するゆえの必然でもあります。 ただ、気をつけなければならないのは、 あまりに脱構築し過ぎて 韓国の近代に固有の文化が無いかのように言うのは言い過ぎと 思います。どこの国でも近代は自国文化と国語を強調したのです。 日本も近代前後に国学が起こり、「もののあはれ」などの独自性を 体系化したのです。「もののあはれ」も日本だけに固有かと聞かれれば そうとは言い切れないでしょう。物に感じ入る心は広く世界の人間に見 られるのです。しかし、また、それを生かして書いた「源氏物語」には日 本の固有性が濃くあるでしょう。仏教や漢学の影響ももちろんあります。 だから、文化は固有性と雑種性が入り混じったものです。 韓国の近現代文化にも古典以来の特有の表現を感じます。 言語自体がその実態です。 ただ、韓国のポストモダン研究者の国際性、客観的で緻密な分析力、 作品にたいする文学的態度には未来への可能性を感じます。 日本も自国の文化を相対化しないとうまく行きません。 日韓が自らの文化の固有性と雑種性を ともに了解していることが将来への創造的関係を生むと思います。 刺激と教示にとても富んだ本です。 著者は、1962年韓国大邱生まれ。東京大学博士課程修了。 現在、桜美林大学国際学部・准教授。(草風館・2500円+税) 金芝河(2) 金芝河最新インタビュー 「金芝河 火山からむやみに飛び降りる でも いつもしっとりとした詩人」 韓国季刊詩誌『詩人世界』2007秋号より(訳・佐川亜紀。内容をまとめ、略した所があります))
羅喜徳(3)
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