ウォーター

韓国詩のコーナーIIX

金南祚

朴羅燕

黄仁淑

ソン・ジェハク

高銀・李箱

崔グムジン・金止女・映画「チョルラの詩」

金ミョンギ・李ミンハ

イ スミョン

朴正大

『地球は美しい』(4)

高炯烈(2)

朴ヒョンジュン

金オン

『地球は美しい』(3)

『地球は美しい』(2)

『戦争は神を考えさせる』(3)

朴ジンソン

馬鐘基

朴ジャンホ

アン・ヒョンミ

韓成禮

金芝河

李珍明

崔泳美(4)

朴柱澤(2)


金南祚


平和

権宅明・佐川亜紀訳

誰でも 彼を呼ぶには
ささやきではいけません
子守唄のように歌ってもいけません
  ライオンのように吠えながら
平和よ、いえ、もっと大きく
平和よ、雷のように轟かせねばなりません


その人格と品位
彼の際立つ美しさ
彼は万人が憧れる人であり
新しい千年の前にも後にも
最高の人物である
平和よ 平和よ どうかお出で下さい と
血のあざをものともせず
渾身で連呼しながら
その名を呼ばなければなりません

でも 名を呼ぶだけでは
彼は来ないかもしれません
平和が足りなくて死んでいった兄弟たちが
この世に置いていった その匙と箸で
食べ終えられなかった人たちのご飯と希望を食べてあげ
私たちのご飯と希望を食べながら
人類の名で
愛に優る愛を
告げるとき
ああ 平和よ 神聖なる心臓よ
きっと彼は来るでしょう



遠い祈り

佐川亜紀訳

そこが平安であるなら
その良きことの良き影
私に垂らして
殷々たる伽ヤ琴の音を鳴り響かせながら
そこにまとわせて残った夕焼けの裾が
この地上の空の画仙紙に
豊かに広がるよ

一日は一つの体の内と外であり
昼と夜として分け
歳月はうつろに積もり
そして ある日
会うことができないこの天と地の間であっても
いっしょにいる安堵を悟らせるのだ
人間社会のできごとが深くなれば
それに釣り合う
素晴らしくありがたい様々なことを
ゆっくりと悟らせるのだ


※キム・ナムジョ 1927年 慶尚北道生まれ。
ソウル大学国文科卒業。韓国詩人協会会長歴任。
詩集に『生命』『風の洗礼』『霊魂と心』など多数。
韓国詩人協会賞、ソウル市文化賞、大韓民国文化芸術賞、
大韓民国芸術院賞等受賞。大韓民国芸術院会員。
日本語訳詩集『風と木々』(花神社)『風の洗礼』(花神社)
『神のランプ』(花神社)、『韓国三人詩集』(土曜美術社出版販売)
韓国現代詩を代表する女性詩人です。キリスト教徒として敬虔な祈りの
心を持って万物を温かく見守っています。平和への願いも力強く切実です。








朴羅燕


e−花の寓話

お信じになるか分からないが 私の肝を食べながら

成長した それで長生きした蘭の鉢がひとつある

数千ページの太陽と月を隠れて千切って飲みながら

なんと25年にもなる産月を満たし ううんと

花軸を立派に押し上げたのよ!

e−花の内なる力を受けて飲もうと 家では

数日間 鼻孔を大きく開けてくんくん臭いをかいでも 無い

まだ放せなかった顔を高鳴る水の流れに捧げるか

目ではない 鼻孔にレンズを合わせてみればどうだろう

思案の果てに生きたままときめきを鉄骨素心*の舌に

ゆだねたのに ぷくり首を捧げるのみ 無い

香袋はすでに村中の悪霊を追おうと

家々の軒に舞い上がったか あんまり

濃いときめきが鼻をきかなくさせたか

*蘭の名前



彼の耳を博物館に


10番目の結婚記念日、シャロン・ストーンの<原初的本能>を見るが
映画開始5分以内に居眠りする耳

チャンネルを回し<動物の世界>の解説の声を入れてやったら
両目をぴかっとあけさせる耳

その日 彼をその画面の中にぱっと押し入れてしまった 画面から
鼻だけぽこっと落ちた

落ちた鼻を万言博物館に入れておけばどうか 万種類の
理由を口にくわえて死んだ事物が

その耳と出くわしたら 思わず口を開けてしまったら 事物の言葉も
聞こえる耳として変わったら

私の脳天の3分の1を取り出して蓮の花を挿しておきたい
もちろん別の花もOK, 対話が満開になるならば


※1951年全羅南道生まれ。
1990年東亜日報新春文芸に「ソウルに暮らす平岡王女」でデビュー。
詩集『生栗をむける人』『空中の中の私の庭園』『宇宙がお亡くなりになった』
『光の私書箱』散文集『舞う男、詩を書く女』など。
尹東柱文学賞受賞
2010年素月詩文学賞候補作品です。






黄仁淑

ルシル

彼女は あたしの姉さんの
もっと姉さんのアメリカ人の友だち
窓がさびしい町の周り
墓地の向かいに住んでる
前にはいなかった彼女の新しい夫が
あたしよりもっと恥ずかしがりながら
小さい揺り椅子に坐ってる

昔から一回も
二つ以上の仕事をやめたことがなかった彼女
今はどんな仕事もしない

彼女はあたしに小さい箱を手渡した
銀色のイヤリング ワンペアとネックレスが入ってる
前に彼女がくれたエナメル色のアイシャドーは
たぶんまだあたしの引き出しにあるわ
彼女は私が渡したチョコレートの箱をなでまわす
こっそりテーブルに置いて
台所に行きブラウニーを持って来た
彼女がじきじきに焼いたブラウニーは
ぼろぼろした粘土の味がした
彼女も 彼女の夫も
糖尿病だって

窓がさびしい
墓地の向かいの小さな家
彼女が大股で上り下りした
2階の寝室に行く階段の下で
あたしは彼女を抱きしめた
前に彼女はがっしりした女だった
ルシル、20年ぶりに会った
彼女はあたしの姉さんのアメリカ人の友だち
また会おうというあたしの挨拶に
彼女はなんの返事もしなかった

ルシル・・・・



星が輝くあの夜

LA、シカゴ、サンフランシスコ、バークレーで
彼女たちが ひとりひとり
あたしのようにベッドに横たわり
ぷかぷか 浮かぶ
知ってみると
破れた心臓をぎゅっと押さえて
飛んできたんだよ 星たち
真っ暗な波に乗り ざぶんざぶん
遠くなるなあ



11月

傘をさし
向かい風に当たりながら
ネコがごはんをもらいに行く
へんだ 今日は
時間がすごくかかる
ありふれた距離が
ちょっとやそっとではない
あたしが
死んだことも知らず歩くように、
路上のカシワの葉はこんなに黄色くて
「ドミノピザ」の看板があそこに青いよね?
ちゃりんちゃりんと過ぎる車輪の音、わきをかすめる風
足首にべたべたくっつくぬれたズボンの折り返し
こんなに生き生きしてるのに?
じっくり考えてみても死んだ記憶がないのに?
あらゆることがはっきりしてるのに
ああ、あたしがはっきりしない
なんか
膜に包まれているように
ネコたち、あ、おまえたち
あたしが死んだらどうするつもり?
ふらふら
雨風に乗る
時間の寒い重さ
ぐったりした霊魂たちの重さ

※ファン・インスク 1958年ソウル生れ。
1984年京郷新聞新春文芸「私はネコとして生まれよう」でデビュー。
詩集『鳥は空を自由に解き放って』『悲しみは私を目覚ます』
『私たちは渡り鳥のように出会った』『リスボン行き、夜行列車』など。
『2010年素月詩文学賞 作品集 候補作』より




ソン・ジェハク


2010年 素月文学賞受賞

空中


虚空だと思った 色が無いと信じた あいた所から来た一羽のヤマガラ 
窓辺に来て止まった ぜいぜいあえいでいる 雨にぬれぶるぶるふるえている 
ぼくの手のひらに載せたら 虚空というのは時々かよわいね 灰色の羽毛とともに
 襟首とお腹は茶色だ 黒いくちばしと 白い頬の霊魂だ 
空中でつけて来た、虚空がつけてくれた色だと思った 羽毛の紋様が保護色なのだから 
それは虚空の息だと思った シジュウカラは剛毛の絵筆について飛び回り 
ぼくの窓辺から虚空の呼気を出している 虚空の色を探してみようとしたら 
鳥の数を数えればよいだろう 虚空はたぶん抽象派のネズミのひげの筆を持ったのだろう 
日没のころ 平沙落雁*の溌墨がにじむ 
思うに 虚空の声の一家たちはすべての鳥の鳴き声に分かれて棲息しているはずだ 
虚空ががらんと空いてみえることも 色の一家たちが すべての色の羽毛であわただしかったためだ 
白くあせたけれども 昼月も 染色法を待っているのではないか 
空中がからでありながら 虚空を実践中だとするなら 虚空には我々が具えるべきことがある 
風間に従い 虚空の一握りにつかまったら ぼくの手のひらを 染る色彩たち 
今日 空中の裏地を見て触れた 空中の文明とは ヤマガラの個体数だ 鳥占いを習わなければ

*平沙落雁:砂場に飛び降りる雁という意味で、字をきれいにうまく書くことを喩える表現。



蝶の羽を借りた顔


蝶の羽の濃淡もみな違った日々 私はなぜ蝶の羽の温度に似たのか
推しはかってみれば私は私の疑問だが 内出血するように薄い仮面のこともあった
血を流しながらも闇が安らかだった 私はもっと多くの顔が必要だった
顔を消せばもっとやせ衰えた顔が届いた 顔のすき間に内臓が押し出されて来るので
ケヤキの日陰を厚く塗った 木が貸してくれた木の葉は眉だけだったから
私の顔には真っ暗な口はないけれど ある顔には水面を持った顔だちがある
蝶が微かな所から出発しなければならないなら 顔がまさにそこだ
顔の地層をはがしたら羽だった 幼虫を通ってきた蝶の群れ
蝶の群れに触れてきた顔たち 私の顔は不便な堆積層なので
蝶の羽はみなそこから生まれた


※般若心経に「色即是空」という有名な言葉がありますが、
「空中」はそれを思わせます。「色」は現象界の物質的存在。
物と空が、物と物が入り混じり、入れ替わる不思議さが形而上的です。
伝統的な美術とシュールな展開の結合がおもしろいです。


※1955年慶北生れ。慶北大卒業。
1986年「世界の文学」で登壇。
詩集に『氷詩集』『青色と戦う』『彼が私の顔に触れるよ』『記憶たち』
散文集『風景の秘密』など。金ダルジン文学賞、テグ文学賞など受賞。







高銀・李箱

高銀

青空


どんなに たくさんの男たちの苦しみだったろう

韓末*以来 百年
いつも 正しいものが敗れた
君と ぼく
だが 突っぱねないようにしよう

おお 青空

どんなに たくさんの妹たちの悲しみだったろう
もう 離れ離れにならないようにしよう
一つになって
空の下 小さな国であろう
いままで
すべての大きな国は悪だった
おお 青空


*韓末…大韓帝国末。大韓帝国とは、一八九七年〜一九一〇年までの国号。




 草


我が国の山野 今更のようにさすらえば 草だけなことよ
日帝植民地時代 遠い日々
草さえも無かったら
ただ消えてしまう土地だったのではないか
父さん、草ひと荷背負えば 薄暗い夕暮れになっても
腹がへったのも分からなかった
でも 草を歌うな
今 歌おうとするなら
反外勢より
反独裁より
先に草でたとえるな
我が国 一億の民衆 比喩のせいで奴隷であるだろう



※1988年初版の『君の瞳』からです。
日本による「韓国併合」100年なので、
朝鮮現代史を体現する高銀詩人の詩に登場して頂きました。
スケールが大きく、本質的なものをわしづかみにした表現は高銀詩人らしいところです。
簡潔な言葉が内包するものをよく味わいたいです。
「青空」は近刊の『日韓環境詩集』に収録させて頂きます。
「草」は、韓国では牛が重要な家畜であり、飼料として草が大量に
必要だったという背景も伺えます。





次の「東京新聞」で紹介した李箱は、近代内部の不安、不条理性を
たいへん優れた知性で表しています。



「時代を先取りした詩人」李箱(東京新聞7月1日)


13人の子供が道路を疾走します
(道は袋小路が適当です)
第1の子供がこわいと言います
第2の子供もこわいと言います
第3の子供もこわいと言います
第4の子供もこわいと言います
第5の子供もこわいと言います
第6の子供もこわいと言います
第7の子供もこわいと言います
第8の子供もこわいと言います
第9の子供もこわいと言います
第10の子供もこわいと言います

第11の子供がこわいと言います
第12子供もこわいと言います
第13の子供もこわいと言います
13人の子供はこわい子供とこわがる子供だけが集まりました
(ほかの事情は無いほうがむしろよいです)

その中の1人の子供がこわい子供でもよいです
その中の2人の子供がこわい子供でもよいです
その中の2人の子供がこわがる子供でもよいです
その中の1人の子供がこわがる子供でもよいです

(道は抜けられる路地でも適当です)
13人の子供が道路を疾走しなくてもよいです

「詩第一号」と題して、こんな 変わった詩を書いた朝鮮近代詩人 がいた。
今年は、日本による「韓 国併合」から百年にあたるが、折 しも生誕百年
になる李箱(イサン)という文学 者である。東京に来て数カ月後に 「不逞鮮人」
として西神田署に拘 禁され、肺結核が悪化し二六歳で 亡くなった。
存命中は、二四歳で 「朝鮮中央日報」に詩を連載する 機会も得たが、
前衛的過ぎて読者 から非難を浴び連載中止に追い込 まれたほどの早すぎる天才だった。
詩集名も『鳥瞰図』の「鳥」をわ ざと「烏」(カラス)と記した り、
ルイス・キャロルの物語『鏡 の国のアリス』のように鏡文字の 数字や
「●」が並んだ作品があっ たりと奇想天外な書き方である。
近代詩が生まれてまもないのに、 現在のポストモダン詩のように斬 新な作品を
二一歳からわずか五年 のうちに約百篇も生み出したのに は驚く。
最初は日本語で詩を書き 植民地時代を象徴しているが、朝 鮮語でも書き、
中国語、英語、フ ランス語などを混入したことは特 記される。小説や随筆、童話も書 いた。
儒教道徳も残る伝統的定型 詩や韓国詩の主流である理念の表 出ではなく、
アリスのように言葉 自体と遊びながら、不気味な時代 をあぶりだし、
知的な想像力で自律した作品世界を創造する方法は 二一世紀をも先取りしていた。
昨今の韓国詩は李箱のような言語派が急速に台頭している。
二〇 〇九年ミダン文学賞受賞の金オン の「幾何学的な生」、
二〇一〇年 現代文学賞候補の朴正大の絵文字を 使った詩など多く見られる。
李箱の評価は高まり、小説の有 力な賞である「李箱文学賞」とし て顕彰され、
教科書にも掲載され ている。日本でも研究が始まり、
     『李箱作品集成』(ちぇじんそく崔真碩編訳・ 作品社)、『李箱詩集』(ランメイ蘭明編訳・ 花神社)
      などが出版された。私も 文芸誌「モンキービジネス」(ヴ ィレッジブックス)の今年の春号 に新訳を寄せた。
      アジアの近代を 問う高度な内容と技法を持つ李箱 の詩を今、読んでほしいと思う。












崔グムジン・金止女・映画「チョルラの詩」

笑う人たち
崔グムジン


笑いは活力溢れる人たちの中に装置されていて
爆発物のように突然爆発する
笑いは恐ろしい
自信満々で 気兼ねない
男らしい笑いは 習っておけば良いけれど
いくらすぐに まねてやってもできないもの
劣性因子を受け継いで生まれた笑いは どこか歪んでいて
間違いなく 雑種であることがばれる
階層の再生産 という言葉を使わなくても
顔に描かれているぎごちない笑いは 見るまでもなく
貧しい父親と不幸な母親の交配で作られたもの
自分の表情を凌駕するどんな表情も作れないので
笑いながら ひとりでに疲れたとき ふと感じるひもじさのように
皆が均等に分かち合わない笑いはひもじい
不器用で恥ずかしい父親たちをえいっと取りはずし
この人あの人の面に 公平にくっつけてやったらだめだろうか
お酒を飲んだら酔っ払って泣いていた八重歯
貧しい父親の汚い口臭と汗の匂いと
まったく子供のような恥ずかしさを 鼻に 耳に つけてやれば
誰もが幸せだろうか
勝手気ままに 街で大笑いする人たちがいる
肩を組んで ネクタイを締め
どやどやと群れになって歩き回る笑いがある
そんな笑いはあまりにも暴力的だ、一緒に食事もしたくない
血統がすばらしい笑いであるほど
黙って頭を下げて かちゃかちゃとスプーンを使わなければならない
破れた裸電球の夕食に対する理解がない
だから いくら耐え忍ぼうとしても
笑いには民主主義がない


※崔グムジン 1970年忠清北道堤川生まれ。
2001年「創作と批評」第一回新人賞受賞。
2007年詩集<鳥たちの歴史>を上梓。
2008年第一回呉章煥文学賞受賞。
※人間に平等に与えられているはずの笑いですが、それさえも「階層の再生産」に
感じるところに昨今の閉塞感が出ています。新自由主義的経済が進み、
大企業社員やスポーツ選手などが超エリート化し活気がありますが、
一方そこに入れない若者も多いでしょう。日本でも親の財産が子供の将来を
決める前近代的身分制度のような傾向が懸念されていますが、
韓国でも二極化の弊害が次第にあらわになっているようです。



ドラムの演奏法
金止女

食べたものを 全部吐き出して
ようやく 私が寂しい皮として横たわっていることに気づいた
陶器のように 白い素肌をさらさなくても
もっとも底まで下りていく震えの速さと強さを
私の皮から感じることができる
ぴんと張られた皮になって
私は中が がらんと空いた紙に近い
そのとき私の声帯は 私からもっとも遠くで途絶えている
一晩中 雨が降り
叩いても 希望は開かない鉄の門
鉄の門を通りぬけて 幽霊のように私から抜け出る音を聞くとき
ただお腹がすいているということ
空いているという事実から
私はほとんど動物に近いということ
だから 私の声はまだらになっている
キリン 豹 オットセイの模様のように
 あるパターンのように
空白の恐怖から逃げるために
美しい皮になるために 私はぎゅっと閉じた唇で
いつでも雨に叩かれながら歩いていける
どんな模様にでも声が出せる


※ 金止女(キム・ジ・ニョ) 1978年京畿道楊平生まれ。
2007年「世界の文学」でデビュー。
詩集に<シーソーの感情>がある。
※自分のなかにある空虚、「空白の恐怖」を常に感じるのは
近代化が生む病理とも言えます。
声がとぎれとぎれなのを、皮のまだら模様で表現しているのがおもしろいですね。


●映画「チョルラの詩

韓国詩が主人公のような映画ができました。
1987年の全羅道の村を舞台に、翌年のソウルオリンピックに向け開発が
急ピッチで進むなか、幼馴染の韓国青年と在日青年が再会します。
そこに初恋の女性も加わり、韓国青年は詩で恋心を書き送ります。
日本の相聞歌や歌垣のように詩を交換し、ふんだんに朗読されます。
韓国の最古の詩も歌垣みたいですから、これは普遍的な歌の源でしょうね。
柳致環の有名な詩もリフレインのように出てきます。
在日青年も詩人を目指していて、韓国青年に詩を教えてあげます。
1987年は、文民政権になる年であり、 韓国の大きな変わり目の時でした。
それが、村の開発工事をめぐってよく表されています。
民衆のなかから詩が生まれるという詩論も70年、80年代が最も力が あったでしょう。
在日韓国人青年の生きる苦しみと韓国農家の青年の思いが すれちがったり、
重なったりもリアリテイがあります。
農家・地方の問題は今一層深刻になったでしょう。
現在につながるいろいろな問題を含んだ詩情豊かなみずみずしい作品です。
キム・ミンジュン、ソ・ドヨン、キム・プルンら俳優の初々しくまっすぐな姿が爽やかです。
脚本・ プロデューサーの谷口広樹さんが韓国詩に感動されて
韓国のスタッフとともに合作されたそうです。
谷口さんは若い方ですが韓国や在日の歴史もよく理解し、語学も堪能で
いろいろな国の人々と合作映画を作りたいそうで、まさに期待の星。
詩が新しい映像文化とコラボして行くのはうれしいですね。
東京では上映が終わりましたが、群馬、大阪で上映されるようです。
公式HPを検索のうえご覧ください。





金ミョンギ・李ミンハ


北坪*の市の日に出会ったチェ・ゲバラ

夏の酷暑と初秋をすっかり過ぎ また暑くなった日、飲食店の前を通りながら見た。
海を渡ってきた風があえなく倒れた市場の一隅、古びた鉄製のハンガーにかけられて
 悲しい夢のように揺れていたエルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ、軍靴も履かないまま銃もなく
 色褪せたTシャツの中で一番先頭に掲げられた彼は 依然として隊長だった。
顔いっぱいに塩気を帯びた初老の女の人が教えてくれた彼の名は一万五千ウォンだった。
彼女の顔から彼の顔の上に幾滴かの汗の玉がぽとぽと落ちて、涙のようににじんでいく暑い午後、
染色された彼の顔を何回も撫で回した。私のポケットは困窮していたので・・・・・
親指と人差し指に唾をつけ 彼女が黙って黒いビニール袋の口を開けて彼を畳みいれた。
丁寧に両手でそれを受け取ったとき、彼女は彼の新しい名前を低い声で言ってくれた。
一万二千ウォンだと言った。

ブエノス・アイレス ハバナ 平壌 名も知れないボリビアのある森を越え 
巨大なマーケットに押しつぶされて落ちぶれた五日に一度開かれる市場では 
未だに彼は貧しい者たちの冷めていない大盛り飯だった。
冷めた一杯飯である私とまったく同じ三十九が彼の生物学的寿命だった。
帰ってくる間ずっとビニール袋を持った左側の肩がじいんと痛かった。

*北坪 江原道の地名


※金ミョンギ 1969年慶尚北道蔚珍生まれ。江原道太白市で成長した。
関東大学産業工学科卒業。2005年「詩評」冬号で作品活動を始める。
2005年「文学の木」新人賞受賞。詩集に、< 北坪の市の日に出会ったチェ・ゲバラ>がある。




李ミンハ
スクール・オブ・ラク(楽)*

衣服を作る学校に通いました。針仕事が面白くて明け方まで残りました。
幽霊が学校の廊下をさまようといううわさが広がりました。それは私の足音ではありません。
毎晩影を縫うミシンの音。ひそかに残り 口を縫った子供もいたそうですけど、これは衣服に関するお話。

雲を作る学校に通いました。放課後には警備のおじさんが雲の外に押し出しました。
ここで遊んではいけないんですか。学校は遊び場ではないと言う。
蜘蛛のように付いているだけでもだめですか。学校は家ではないと言う。
ママのいないのは同じですけど何が違うんですか。
寝かしてくれる揺り籠も覚ましてくれるアラームもここにはないじゃないの。
目を開けて立ったまま眠る子供もいるのに何が問題ですか。
道端で腐敗した子供もいると言うけど、これは雲に関するお話。

階段を作る学校に通いました。単調な織物が退屈でノロジカの足下に裸体をこっそりとつっこみました。
私を養子に入れた都市では変なことでもないのに、常識もない子供といううわさが巷に広まっていました。
筋肉を使うことでも、記録を出すことでもないのに毎日ドーピングのテストをしました。
欄干からジャンプ・ターンをして首が切られた子供もいるそうですけど、これは階段に関するお話。

鏡を作る学校に通いました。年取ったお姉さんたちが卒業作品を出すようにせきたてました。
これも作品ですから。役に立つかな、楽しさは与えるの。卒業なんかとんでもない話だよ。
のぞいてごらん。透明でも美しくもないあなたの進路を。
涙は出なかったけれど、私はベテランの新入生らしく大げさにすすり泣きました。
授業時間には仲間とふざけて机に線を引きました。マジックで引き、ナイフで削り斧で切りました。
追い出され廊下で罰として立たされている私に最初の先生が手を高く上げろ!
と言いながら腕をぽんと打って通り過ぎました。
二番目の先生も同じことを言って腕をぽんと打って通り過ぎました。
三番目の先生も垂れ下がる腕に勇気を与えてくれました。
腕が竹のように伸びるあいだ通り過ぎた先生たちはオウムのようにくすぐったいだけ。
笑いは出ませんでしたが、私は溌剌とした新入生らしく大げさにきゃっきゃっと笑いました。
口元から笑いがジュースのように流れました。
そうしたら縫い目が割れるように全身が痒くてあちこち手足を捩りました。
しょうがないやつだな。表情が浮かんで来ませんでしたが、
私はうやうやしく新入生らしく大げさに顔面筋肉を捻りました。
教務室に火をつけた子供もいたそうですけど、笑って息が詰まった子供もいたそうですけど、これは鏡に関するお話。
雪だるまのように膨らんだあなたに関するお話。雪が解けるように消え去ったあなたに関するお話。



*映画のタイトルから借用

※イ・ミンハ 全羅北道全州生まれ。2000年「現代詩」でデビュー。
詩集に、<幻想水>、<音楽のように>がある。





イ スミョン


ネコ以後


ネコは自分の死体の外に飛び出す
ネコ以後のネコ

散らばる物質
出入り口がまだ広く
ネコは自分の非物質性を抑制する

一度に浮かび上がらない材料を集めること

手は 手をたずねる
死者の歯のようなものを
続けて作り出す

不可能な駆け足
不可能な尾を付けたし 付けたし
 
ネコはまだのんびり
ネコを封じ込める






鳥を展開する


一羽の鳥の後ろに数百羽の鳥たちがいる。数百羽の鳥たちを
通して私は進む。彼らを侵犯しない。鳥たちが群がる。

私を移す。石を移す。鳥たちが石の中に入り、石を抜ける。
鳥の反対側に石を移す。鳥が見守る中で。







金魚鉢が私たちを表示するとき


私たちはそのように引っ張られて行った
一つの金魚鉢の中に
がらんと空いた金魚鉢
金魚鉢の中から
金魚鉢を取り出して遊んだ
私たちは頭に手を置いて歩いた 私は手を下げた
あなたが私を消した 私はあなたを失くしてしまった
金魚鉢が私たちを表示すれば
私たちは金魚鉢をいっぱいにうずめた
金魚鉢は私たちをしばしば出入りした
私たちはプランクトンのように金魚鉢を追いかけていた



※1965年。ソウル生まれ。「作家世界」で登壇。
詩集に『新しい誤読が通りをうずめる』『アオサギはアオサギ遊びをする』
『赤い塀のカーブ』『ネコのビデオを見るネコ』朴インファン文学賞。
2010年「現代文学賞受賞作品集」候補作より。


言葉の意外な組み合わせで非日常的な空間を作り出し、
モノとヒトの境界の無い行き来、交換により意識を自由に広げています。
生と死も境界がゆらぐ世界観を新鮮な言語感覚で書いていますね。




朴正大


ロシア革命ホテル

佐川亜紀訳

ロシア革命ホテルは古びていた
スチームからは時々鳥たちが飛んでゆく音が聞こえる
真夜中0時すぎのラジオからは白樺が倒れる音も聞こえる
夜中に長い鉄道にそって貨物列車が流れて行ったはずだ
ロシアの降りしきる雪は咳の音を出しながら落ちる
ロシアの女たちもタバコをくわえ から咳をする
彼女たちが吐き出した唾の中には ロシアの深い夜がたまっている
ロシアの夜に ぼくは古びたぼくを思う
ぼくの中の古びた孤独を考える
ぼくの中からも 夜中鳥たちが飛び立つ音や
白樺が倒れる音が聞こえる
音は時々音楽になることもある
ぼくはその音楽を詩に代えてみることもある
あなたの愛は古びたロシア革命ホテルに似ている
ぼくは夜が明けるまでロシア革命ホテルで愛をする
ロシア革命ホテル全体がぎしぎしきしることもある
愛は時折古びてぎしぎしきしることもあるのだ
ぎしぎしきしるのが音楽だと言うならば
ロシア革命ホテルが一台の巨大な楽器だったのだ
窓を開けて 壊れた空の真っ暗な肺に
ぼくの熱いキスで甘い一行の詩を書く夜
どんなに考えてもロシア革命ホテルは古臭かった
古臭くて 愛なのだ
いや 愛だから
長く ゆっくりと 古びてゆくはずだ





一杯のリスボン

佐川亜紀訳


タバコの煙の午前0時、沸騰する水にも可能性はない

回転する幻灯機の北回帰線  そして一杯のリスボン

一杯のコーヒー 一杯の冬 一杯のあなた

一杯の涙を飲んでも ここはタバコの煙の真夜中

沸き溢れる考えの大洋、カモメたちの酒場、ウミネコたちの北回帰線

一箱の葉書、一樽の遺書、一缶の国境、一桶の歌

一服のタバコの煙、沸き上がる水にも可能性はない

夜の北回帰線を飛んでゆく一服の煙 夜間飛行

扁桃腺、沸き上がる熱点の境界でも可能性はない

一箱の雲、一瓶の涙、一杯のリスボン


※パク・ジョンデ 1965年江原道出身。
1990年『文学思想』で文壇デビュー。
詩集『短編』『アムール、その他』
『愛と熱病の化学的根源』
金ダルジン文学賞。素月詩文学賞受賞。

※「ロシア革命ホテル」は社会派の昔の夢が古びたようすとも考えられます。
愛と革命の時代が古臭くなったと感じながらも愛の本質を思います。
詩もモダニズムの実験作、遊戯性が多くなってきました。
朴正大の詩も絵文字を多用しています。
「一杯のリスボン」は物を数える言葉を通常の使い方から
ずらした所がおもしろいですね。
世界的な視野が広がったのも最近の特徴です。
「2010 現代文学賞受賞詩集」(候補作)から







『地球は美しい』(4)


ケナリ*の花が咲く
慎達子

風が吹く3月
灰色のケナリの木の枝々の中から
黄色い頭でかき分けて出てくる
新生児たち
純金の坊やの仏たちが
去年あげられなかったお言葉
世にがやがやこぼれ出ておいでだね
全身で純金の灯をつけ
街で純金の慈悲をお与えになる
ひどく怒った人々よ ここを見なさい
天の贈り物として与えられた光の赤ん坊たち
世を純化させようと
街ごとに新生児室を置いた
拝みなさい
そこがどこでもすべて法堂の中だ
幼い仏たちを乗せた黄金列車が
この世の街を走る
三月の説法として
ケナリの花が咲く

*ケナリ 朝鮮連堯



ほうき行進曲
金ウンジョン


土のついた
鍵盤のような足の指を藍色の空に見せてあげながら
裸足で歩いて行きます

あまりに多い人、あまりに多い商店
あまりに多い名品、あまりに多い偽物
あまりに多いラグジュアリー あまりに多いハングリー

外に出てカードを使います
あまりに多いキャッシュバック あまりに多いマイナス

あまりに多くて あまりにない
あまりに多くて私にぴったり合う一つが無い
この渇きのトレンドを文化批評家たちは好きですか?

土がついた
なじんだ靴さえも脱ぎ 霊魂のエル・ドラドを捜し
でこぼこ めちゃくちゃの設置芸術の行為 
芸術家の街 どしどし ごしごし 裸足で歩いて行きます
自動車が100メートルもたまっていますね
白鳥の色の幼くか細い一匹の子犬を生かすためだと言うけど
あなたは私の日光を遮って立っていますね
ちょっとどいて下さいませんか?



丸太になる
 金ジョンイン


三伏の暑さにボタンを外された神様
三、四日休む間もなく雨が降りしきっていたら
ミミズの家族たち 土の外にみんな出てきた
アスファルトの上を忍び上がった赤ちゃんミミズ
ママ、ここはなぜ土が息をしていないの
ぼうや気孔がないからよ
道を横切る すっかり燃えてしまったミミズたち

科学童話を読む八歳の子が言う
GMO*は腐らないようにするんだよ
虫を生きられないようにするんだよ 記憶を消すんだよ
南京虫をつかもうとして 藁ぶきの家を燃やすんだよ
故郷がなくなるんだって 記憶がなくなるんだって
祝福でしょうか 災難でしょうか
丸太にはなりたくないんだよ

三尺の童子も分かることを大人は知らないふりをする

*GMO 遺伝子変形農産物




高炯烈(2)

2010年 現代文学賞受賞

トウモロコシヒゲコオロギの記憶


トウモロコシヒゲコオロギ
80階のエレベーターの下に降りるときは静かだ
鳴くのをぴたっと止めてエレベーターが機械音を聞く
先端でもないこのようなことが存在を感じさせるときがある
トウモロコシヒゲコオロギは鉄棒台のそばにいる
機械音はその草の葉の胸の中に入るのか
海馬でのように消える
海馬に記憶の痕跡はちりのように残る
音は消え もはや存在しない
80階のチェーンが大きく波打つ音が聞こえる
技術はその音を潜めようと渾身をふりしぼる
 ぼくの新聞のような顔がセンサーに現れれば
ドアは秘書のように速やかに横に開く そして
 そばに立ってぼくが出るのを待つ
出なければ ドアは続けて審理のように立っている
そのとき日光がぼくの青い血管の手の甲に触れる
コオロギが鳴き始める 晩夏のセミのように
ぼくは急に微熱のはるかに
手のひらにガラス窓をつかむ 秋の雲ひとつ
アパートの裏山に浮かび 燃えている
最後に火のカンナが華麗に装ったよ
一匹のヒゲコオロギがぼくの肺の水疱に初期癌のように
最後の光線の中に鳴き始めた
ぼくは きみの名を見たいよ 触りたいよ
トウモロコシヒゲコオロギ




あの深いところ、秘密の百貨店で


その女はぼくがどんなにしんどく息をしているのか知らないようだ
その女はぼくの息する音を聞いてみたこともないだろう
この息の音にすべての男は暴力を使用し その暴力に怒る
しかし 女たちは極めて単純な結果を選択したのか
複雑な過程は女性の消費者たちには禁物

真っ暗なトンネルの中を走って行く無限の鉄の発汗症
騎手が黒くて魅力的な手綱の分厚い尻にむちを打ち下ろした
ぴしゃりと、くっつく むちの跡に血がたまった 光速のように散る
暗闇から血が流れながら疾走する天馬の息の音が絶叫する
呼吸器官の中に芽生えた黒い毛が内にたわみ吸われ入っていく

その後、女がぼくの息の音を聞いたなら
ぼくを呼び いかがわしい愛を
押し売りするだろう 女を欲望させるのはあの百貨店の灯
その女は決して自分がどこで息をしているのか知ることはできないだろう
悪い習慣で発展するトンネルの中の発汗症のように


※コ ヒョンヨル 1954年江原道束草市生まれ。
1979年「現代文学」に作品「荘子」を発表し、登壇。
「創作と批評」社で「創批詩選」シリーズを担当した。
詩集『大青峰 すいか畑』『海青』『沙津里、大雪』など。
2002年アジア詩人の詩誌「詩評」創刊。
日本語訳詩集『リトルボーイ』。
大韓民国文化芸術賞、白石文学賞等を受賞。
高炯烈は文明批評性の高い詩を書き続けてきました。
日常の中に奇抜な想像力を働かせているのがおもしろいですね。




朴ヒョンジュン

2009年素月詩文学賞受賞 

胸の明るい鼓動のほかには
佐川亜紀訳

胸の明るい鼓動のほかには聞かせてやるものがない
春の夕べ
ぼくは風の香りがする髪
街を疾走する獣
獣のなかに生きている霊魂
日陰の中で咲く
チョウセンヒメツゲの白く黄色い花の蕾がどんなに美しいか
まぶたにのせた地球が水滴の中で
ぼくの足もとに消えていくが
一日だけたっても 涙の香りはどんなに強いか
ぼくたちは無事だったと 夢の中でも平安な街
疾走する
ぼくの足元に草色の秘密の追憶が
しきりに消えていくが



夜の市場

がらんとした市場を照らす灯の中で
ひとりの女が物を買い込み家に行く
家に明かりがついていなければ
人生はどんなに寂しいだろうか
夜の市場
どんなに温かい単語であることか!

空いた椅子たちは灯を受けながら
誰かを待っている
夜は深くなっていくが 誰も来なくて
空いた椅子たちはうとうとしながら夢をみる
夜の市場を歩いてみれば
家で誰かが待っている
最も寂しい、温かい空いた椅子たちと出会う

がらんとした商店の中をひとり照らしている
白熱電球の中のフィラメントのように
家に向かって来る人のために
明かりでありたい
いい味にすることさえできるなら人生の食卓を
草のように柔らかい
そんな炎にこしらえるつもりだ


*パク・ヒョンジュン 1966年全羅北道生まれ。
ソウル芸術大学文芸創作科、明智大学大学院文芸創作科博士課程卒業。
1991年韓国日報新春文芸詩部門当選。
1994年第一詩集『私はこれから消滅について話そうと思う』
1997年『パンのにおいの漂う鏡』
2002年『水の中まで葉が咲いている』
2003年散文集『夕方の病』
2005年『踊り』<東西文学賞><現代詩学作品賞>など受賞。




金オン

2009年ミダン文学賞受賞 
幾何学的な生
佐川亜紀訳


わるいけど ぼくたちは点で 体積をもった存在だ
ぼくたちは球で一点から一定の距離に
いない。 ぼくたちは互いに遠くなりながら消え
消えながら変わらない大きさを持つ。ぼくたちは自然に
対称をなして両方の顔が互いに違う人格を好む
皮膚が作り出す大地は広く遠く知りえない
煙草の煙に振り回される。感覚ほど未知の世界もないが
3次元ほど明確な筋肉もない。ぼくたちは客観的世界と
明確に違う客観的世界を見て
聞いて触れる空間に互いを区別する。
成長する星と消える塵をちょうど同じように
惜しみ 創造する。ぼくたちは自然から出て来たが
  ぼくたちが作り出した自然を否定しない。アメーバーのように
ぼくたちはぼくたちの反省する本能を反省しない。
ぼくたちは完結した家であるとともに穴がぼこぼこ空いている
ぼくたちの周辺の世界と内部世界をひとまとめに見ながら作図する
ぼくたちの地球がどこにあるのかを知らないまま故郷にある
ぼくの部屋を一寸の誤差もなく探していく そこに
誰かがいるかのように部屋の戸を開けて入り 一点を探す




ビッグバン
佐川亜紀訳

時間がきちんきちんと満たされ爆弾に至る
一秒は一万年の爆発
瞬間は永遠を雷管*として燃えていく灯心
胎児は泣いて生まれる瞬間
逆さまにぶら下げられた世界を苦しく口に入れる
見ない世界の見えないざわめきと
冷たい熱気を吹き出しながら近づいて来る大気
死によって代弁されるこの黒い色合いの
明るい星を目に入れるために
残骸の上に残骸を積み上げる子は泣く
出発は遠かったし
すでに到着したこの世界から波は
波に逆らい盛り上がる
どんなにもっと上がれば暗黒にたどり着くのか
たった今 前まで静かだった爆発が
一点でも非常に広い世界を揺らし起こした
私が歩きまわってこそ一カ所がまだ残ったと信じる
その世界を
胎児一人で入れられて泣く
墓は遠く もはや揺りかごで

*雷管・・・爆薬の起爆などに用いる発火具。

※キム・オン 1973年釜山生まれ。1998年「詩と思想」でデビュー。
2009年未堂(ミダン)文学賞受賞。
詩集『息をする墓』『巨人』『小説を書こう』。
モダニズム詩の先駆者・李箱も『三次角設計図』『建築無限六面角体』など
幾何学に関係する作品がありました。金オンも数学的な、数式も
登場する詩を書き、大きな賞であるミダン文学賞を受けました。
宇宙的視野も新しいです。







『地球は美しい』(3)


チェルノブイリ・ジェネレイション
金ユン
佐川亜紀

真っ暗なトンネルの中
体をすくめてしゃがんで聞いた雨の音を覚えているかい?
死の灰のように降っていた足音
川が気絶し横たわっていた音を
小さい甲状腺いっぱいにわめきながら流れていた煙
ぎゅうぎゅう縛るコンクリート※を抱いて
背の高い煙突たちがつぶやき
装填された弾丸のようにひっそりした母の脈拍の音
クレーンの上にコウモリの群れの翼がかすめていた音を

空の自転車の輪に絡み付く雨脚
衛星写真の中
封印を破り 歩きまわるたそがれ
古い公演ポスターが貼ってある塀の下
八重歯のように湧き上がる草
ウクライナ、チェルノブイリ近くの
ベラルーシ、プレピアート 発芽した村を捨てて立ち去り
おまえも1987年に生まれたのか?
おまえの中のどこかにプルトニウムの微粒子がぎゅうぎゅう潜み
血管の中に千百個の閉ざされた回路をしきりに打ちながら20年、
キエフ北方100km
我ら ここに集まり眺めているんだね
20歳のチェルノブイリ世代


※事故後、原子炉をコンクリートで封じ込めたことによる。
その際、80万人の労働者が動員されたとも言われている。(訳注)
*テーマ、素材も地球的な詩選集です。



暴発
 権イヨン
佐川亜紀訳

ドイツ北部港湾都市ハンブルグ ヤルトナ地域
ヒキガエルたちが集団死しているそうだ
共同墓地近く沼地帯から一晩中
1000余匹のヒキガエルたちが体を膨れ上がらせる途中
突然死ぬのだそうだ
沼から地に出て来るやいなや大声で鳴きながら
いきなり体が3倍半くらい膨れ上がりながら
暴発してしまうそうだ
突然体から抜け出た内臓が1mほど飛び出るそうだ
ヒキガエルの肝臓を好んで食べるカラスたちが攻撃してくるやいなや
威勢を見せようと体を膨らましかけて突然起こるそうだ
近隣の競馬場で真菌類に汚染された水が
沼に流れ込んだためだともいう
人々がそれを「死の沼」と呼ぶそうだ
あちこち あれこれ 立て続けに暴発し
「死の沼」が日ごとに増えるとも言われる
このまま置けば いつの日か
エイリアンたちが地球を指しながら
「死の沼」と密かにささやくかもしれないと ゲロゲロ
雨も降らないのだが どこからか ジムグリガエルたちが切羽詰まったように鳴く



地球はパートナーを捜しに出て
権ヨンヘ
佐川亜紀

時々
地球はつつがなく暮らしているかどうか
大地に聴診器を当ててみよう
イワギクやキキョウ、ソバナの中が健やかか
ミミズは土を耕し返し
よく肥えている道をうまく作っているか
診察しよう

森は一つの巨大なオーケストラ
谷は冬虫夏草のように夢をみているが
真夏の巡回公演のため
セミの幼虫が土に出てきて準備する声
カエルはひと夏のうちに
一冊も超える箴言録を書き
ゲンジボタルは尻をきらめかせながら
太く明るい生を生きるんだよ
気づいてみれば すべてパートナーを捜して
この世の雄たちが誘惑の手振りを送るもの
これをベースキャンプにして
高いところに登頂するため
   セクシーな夜を過ごすみたい  





『地球は美しい』(2)

美しい絵
成賛慶
佐川亜紀訳


美しい絵だ
はっと我に返らせる絵だ
フォートリエ*の「人質」に似た模様に
円熟したシャガールの色彩をしている
しかし、それは 南国の空に開けられたオゾン層の穴の写真だ
年ごとにだんだん一層大きくなるこの穴から
地球に生きる生命を殺す
宇宙線や紫外線が注がれて来ている
美しさは喜びにもついて来るが
死にもつくもの
白鳥の歌は美しかったそうだよ
空に浮かぶ花棺なのか
人類は今
貪欲と滅亡を持って
天秤にかける時だ
人工と天然が一緒に制作した
あの不吉で美しい 穴の開けられた絵をのぞき見ながら
深い瞑想にふける時だ

* 原注:フランスの「アンフォルメル(不定形芸術)」系列の
画家ジャン・フォートリエ (jean fautrier 1897−1964)。
「人質」を主題とする連作を発表した。



帰郷
権チョンハク
佐川亜紀訳

一錠の頭痛薬がずきずき痛む私を楽にする

いつからか 私は
一錠の薬によって支配されている
1cal 1kg 1mm Ωε4♂D・・・・・・・
毎日増える甘い計算
自然生まれの私が本来の故郷を捨てて
科学と言う光まぶしい世界に足がはまり頭が痛い
@#$%&^*54321・・・・・・・
これはまったく陰謀だ

元々私の血は青く 肉は柔らかい
草の葉であれ 苔の生えた岩であれ 友とする露であれ・・・・
それによって楽になる
私のへその緒が森に繋がれていることを私は記憶する
計り 削っては 結局自分の肉をえぐる
甘い陰謀から脱け出し いつかまた
故郷に帰ることができるだろうか

排泄と睡眠の時間までチェックされる不快な暗号から
ずきずき痛む命を引っ張り出さねばならない
ぼんやりしてゆく記憶の中の道を手探りし
森に行く道を探さなければならない



眩惑
権グルウン
佐川亜紀訳

ケータイが通じない
慶北奉化郡ビナ里
山奥の深夜だった

流れ星が降り注ぐ
前の山のトネリコの茂みから
三羽の鳥が鳴いた

二羽の鳥の声は
コノハズクとヨタカだった

しかし どんなに耳傾けても
ひと声で長く鳴く鳥の声は
分からなかった

ピー ピー ピー

どんな鳥なのか分からず
聞く夜中の鳥の声が
星の光のようにきらめいた

何の音も聞こえず
ただ鳥の声だけが聞こえる
山奥の深い夜

松暈ほどの一つの星が夜が明けるまで
私の胸に降り注いだ


※韓国詩人協会編の生態(環境)詩の選集『地球は美しい』(07年刊)から。
生活感でもずいぶん共感するところがありますね。




『戦争は神を考えさせる』(3)
    訳・佐川 亜紀 

       
ろうそくの火の海の真ん中に お坊さんが進まれるので維摩禅だなあ!
金芝河

木の葉を荒らす
風の音か 雨か
電気は去ってしまい
暗闇の中にその子供も去ってしまい
この世がことごとくひっくり返るように
目を血走しらせたその子も去ってしまい
ろうそくの火
ひとり燃えるろうそくの火
我が心を荒らすのは
風の音か 雨か


※ キム・ジハ 一九四一年全南生。詩集『黄土』等。
最近は内面を重んじる宗教哲学に傾倒しています。
孤独感が強いですが、ろうそくの火デモは評価しています。



私の手紙
 高銀

反対せよ
今 砂漠は眠れない
今 メソポタミアの子と母は
ひそかに泣くことも分かち合えずに死んで行く
紀元前の遺跡は夜が明ければ また灰の山
今 地球は野蛮の惑星になってしまった

ただひたすら トマホークだけが
ステルス兵器
世襲される侵略だけがあって
ほかのものはない

反対せよ
反対せよ
我々が建てた柱ごとに刻み付けた言葉
正義と自由
解放
世界平和
かならず取り戻すべきその言葉を盗まれた

ああ、今日のイラクは明日のどこか

※ コ・ウン 一九三三年全北生。『高銀詩全集』、 『万人譜』等多数。
金芝河と共に韓国の代表詩人。



110階の愛は  
朴グァンソ

110階を積み上げ
110階を仰ぎ見ながら
110階を上り下りして
110階が崩れかけるとき
110階から飛び降りながら
愛する
愛する 愛する 愛する
最後の20分間を尽くして
携帯電話深く 涙で刻印したあなたたちの愛は

黒い小蠅が群がる真昼に
突き出た下腹で寝付けない幼い娘
黒い目に刺さった 空のように刺さった
遠いアメリカ平原のインディアンたち
赤黒い目に撃ち込んでいた無法の弾丸で
積み上げたあなたたちの110階の愛は
砂嵐を飛ばすアフガンの渓谷深く
ひとつずつ残った腕と足で戦死の道を行く
異邦の若者の鶏の糞のような涙の中に
星のように 爆弾のように撃ち込まれて
空高く立ち上る あなたたちの愛は
再び始まるだろう 愛する
愛する 愛する 愛する
最後の20分になってこそ涙として刻印される
あなたたち 一握りの反省も顧みることもなく
進んで行く あなたたち
110階の愛は
最後まで 再び始まり 始まるだろう

腰のところに咲き始める 花、炎として

※ パク・グァンソ 一九六二年全北生。一九九六年 「生、社会そして文学」で登壇。
詩集『鉄道員日記』など。




朴ジンソン

ぼくは、父さんより老けた
権宅明・佐川亜紀訳


ぼくの体は 親父より老けた。親父の
前でしょっちゅう横になって見れば それが分かる。
朝 彼がぼくの部屋の戸を開く時
ぼくは夜更かしして寝転んでいながらも すやすや息をして
寝る 寝ているふりをする。ある日は 十分ずつ 二十分ずつ
親父が ぼくの体の隅々を触るとき そうするほど体が
こわばる。そうして眠ったりする。病と

一緒に過ごした9年が 痛いのではなく
私の体の中に 自分たちの幾重にも積んでおいた安定剤の
安定した城が恐ろしいのではなく
漢方薬のパックをうっぷんをこめて切り捨てる習慣になった手つきの 慣れではなく
今朝は 親父の充血した目が痛い。
朝なのに そこに日が沈んでいく。
応急室から帰って来た朝 彼は
蘭が冬を越す方法とか
癌にかかりながら生き返えったという 隣村の金さんの話をする。
その話をする理由を ぼくは分かる あなたも分かる。
彼のお父さんである朴竜文さん(1918〜1997)の住民登録証を 財布の中に
いまだに入れて歩くのを 私も分かる。
生沒年代がない錦江*で 親父はぼくを
抱きしめる。二十七歳のぼくが眺める 錦江の夕焼け
ぼくの体を ありったけの力を尽くして 抱きしめている彼の心臓が 
どきんどきんと高鳴る。
錦の江に出産する生命よ、
錦のようなへその緒を切って 錦のように
美しい国へ行け。
初めて 世の中に生まれた時のように泣いている親父
ぼくは 元気な産母によって 川の風に長く熱された
柳の葉を わかめ代わりに 取って食べよう。
親父 可哀想な我が子。

*錦江 韓国の中部の忠清道に流れる川で黄海に注ぐ。


発作以後 テオに
-聖レミ療養院で
権宅明・佐川亜紀訳

午後に発作 今は雨が降っている。
看護師たちはだいたい親切だが
カンバスをしきりに片付ける。パレットと絵の具も
盗んでいく。いったい
絵を描くことのほかに 私に何を望むのか
チューブを食べながら 赤色の絵の具だけ
執拗に吸った。唇についた絵の具は
血のように内臓に滲み
私の魂が コノテガシワのように丸ごと
空に昇りそうだった。
あの木の根とか
見えない導管を ぱんぱんに膨らましてくれること。
絵を描きながら 私ができることなのだ。
浮かび上がりたい者は 浮かび上がるようにするがよい。
死んでも星に届くことができなければ
私の魂に穴をあけてやろう。
穴の隙間で星明かりが輝くだろうし あなたは驚いて
こちらに駆けて来るはずだが
ベッドの下で寝たい者は ベッドの下で
寝るようにするがいい。ある日 私がここで虫のように
ベッドの下を這い回っても それは テオよ
低い所を描くために 私の魂に触れて見ることなんだ。
誰かが 私を毒殺しようと思っているよ。
夜明けに 密かに絵を描くのに 雨粒の間
ピストルが 鉄格子から入って来たよ。窓の隙間から
渦巻くコノテガシワの揺らぎが聞こえる。
あの木も 私のように発作を
起こしたいのだろうけど
私も分かる。この雨が止んでから 宿る
葉ごとに 澄んだ水滴。
カンバスの中で 見知らぬ男が 私を見ている。
コノテガシワの中なんだよ。テオよ・・・。


発作が私に与えたもの
権宅明・佐川亜紀訳

療養のために 広州に行ってから
三日間ずっと発作を起こした。
八堂湖*の近く 沼から川になっていく地帯で
ぴょんと跳ね上がる精神の水位
彼が夜明けに駆けつけてきて 刀で切られた傷を
拭いてやっても 肉と肉の隙間から
八堂湖にしきりに川水が流れるのか
日差しが満水位まで達したバス停の朝に
ごろごろ転がりながら泣いた。今は
私の体が静寂を取り戻した時間。

体より先に 真っ青な川を泳ぐ心を見たか?
稲穂の上を這い回る
虫たちのくねくねと動く足を見たか?
鏡の中に潜んだ 粉々に砕け霜状に滲み広がる
赤い模様を見たのか。
自分が生きようと 他人を殺すことはいけない と決心をして
水中に永久に入ってしまった、魚のざわめきを聞いたか?
新米看護師の服から滑り落ちる 生命に対する畏敬の念
体で 体で聞いて見たか。
病院に行く 広い野原 ひっそりとした夜 懸命に実っていく
稲の根の力を感じて見たか。

底を打って水面の上に跳ね上がる
魚の技
発作が私に与えたもので 豊かなこの秋に
魚が 空高く飛び上がって
ある古びたお寺にぶら下がって 浮遊することも 私には
驚くべきことではないのに。

*八堂湖 漢江の上流にあるダムによる貯水池。ソウル市民の水源でもある。


※ 朴ジンソン    2001年「現代詩」でデビュー。 詩集「生命」、「アラリ」
急速に現代化した韓国では精神の病もふえているようです。
以前はあまり目立たなかった精神の発作などが描かれています。
「ぼくは、父さんより老けた」は、若者のほうが精神的に醒め、
前向きになれない今の状況を表し、日本と似ています。





馬鐘基

2009年現代文学賞受賞

ディアスポラの夕暮れ
佐川亜紀


私が望んだことではないけれど
さようなら
私は 今 行きます
生きるということは旅立つことだと言うが
川も一日中ただ旅立ち
流れの魂のように 数羽の水鳥 
私の目に影を残します

一生涯とは
長く退屈なだけでしょうか
むなしく短いだけでしょうか
思いがけない峠まで来ました
あなたをただ見守りながら 待ちながら
私はある辺境で生きたのですか

善良で正直なことだけが
最後の感動だとかたく信じた
若くみずみずしい日々ははるかに遠く
夕焼けだけが色を変えながらまどろんでいきます

あなたの最後の抱擁だけを信じましょう
私の歌は あなたに会って初めて ついに
裸身のうっとりした和音に乗りました
まわりの風景が気遣いながら息を殺し
つぶった眼の柔らかさだけが私に残るのは
この年になり 今更のように涙ぐましいです



国境は干からびている
佐川亜紀訳

いま 分かるかい
ぼくがなぜきみと一つの体に
なりたくて したのか

国と 国の 間
きみと ぼくの 間
最後の拒否の
刃の光の 冷たい鉄柵

無理な計略とシステムで
国境は青い山を貫き
流れの激しい川も 万に 切り離す

そうだ 国境の皮膚は
ざらざらしている

 いま 分かるかい
  ぼくが なぜ もっと近づき
 きみの体にすりつけたのか
 広野の風雨をふせぎ
   騒ぐ唇を捕えてしまったのか
 

※マジョンギ 1939年東京で生まれる。
延世大学校医大、ソウル大学校大学院卒業。
1966年にアメリカに渡り、オハイオ医科大学教授、医師となる。
医師の視点からの作品も多い。
1960年に韓国の「現代文学」で登壇し、長く韓国詩界で発表し続け、
高い評価も受けている。しかし、ディアスポラ(離散した人々、故郷喪失者)
の意識も強い。韓国では最近、朝鮮民族自体をユダヤ民族のような
ディアスポラと捉える観点も出ている。背景にはキリスト教的な
歴史観があるかもしれない。
詩集『見えない愛の国』
『その国の空の光』『鳥たちの夢から木の香りがする』など。
韓国文学作家賞、片雲文学賞、東西文学賞など受賞。




朴ジャンホ


バスケットボールのアクション・ヒーロー
権宅明・佐川亜紀訳

疑問符が付いたトニー 寝るの?
多国籍軍が袋小路を折り畳み出したわ。  
肺活量と持久力を尊重する正義の路地ではなく  
筋肉強化剤と人海戦術が横行する無法の路地。  
火が消えれば ホイッスルの音もなしにゲームは始まり  
あんたの仲間たちは国籍を失ってS.E.O.U.Lの競技場をうろつくわ。  
形成外科手術をした養子たちが 韓国語を流暢にしゃべりながら座っている観客席に向けて  
拡声器を取ってリハーサルする トニー 寝るの?  
あんたはハングリー精神をなくし あんたは意地をなくし あんたは三番目の脚韻を作る単語をなくしたの。  
トニー 寝るの?あんたは いつも練習してるだけのヘマなミュージシャンなのよ。  
試合を練習のようにやれってことが いつも練習ばかりしろってことなんだろうか、
トニー、寝るの?  
私の頭に 豪快なダンク・シュートを投げるために トニー 寝るの?  
歌うように 演奏するように 夢の中でも戦わなければならないの。
それが基本的な戦術なの。
相手チームのポイント・ガードとセンターの間で トニー 寝るの?  
ゴール・リングに向かって跳ねた あんたの中途半端な身長が涙ぐましい。  
ハンカチのように折り畳んだ S.E.O.U.Lの路地に審判はあるのかな。  
プロペラの付いたはげ頭のワシが 筋肉強化剤と予備選手たちを空輸しているの。  
無限増殖する異種の人間たち。あの二つの顔の男たち。  
この舞台の上に この競技場の上に この戦場の上に。  
拡声器のマイクテストは止めなさい、トニー、寝るの?  
入場券がもう売り切れだって?  
ちえっ 観客席と競技場の間で ワナの守備にかかったんじゃない。  
あんたのパスを受けてくれる仲間たちのために あんたの特技をひけらかす必要はないの。  
ヘビメタを演奏したパゴダ劇場の子供たちは 楽器を奪われ  
切拳道をみがいた鴨鴎亭洞の子供たちはおいぼれ  
子供たちの拳を受けてくれる映画の中の悪党たちは プロファイターになったのよ。  
すべての規則がまかり通る今は ハードコアの異種激闘の時代なの。  
音響器機は古びて 拳法の菜食は見破られたわ  
状況によって本能は 新しい技術を作り上げなければならないのよ。  
彼らは 各々違う特技を持ったやつらで成り立ったチームだと。  
ゲームの状況より チームの組織力がもっと重要だということなのかしら トニー 寝るの?  
チームの組織力より あんたの名前の中の疑問符を外すのがもっと重要なのよ トニー 寝るの?  
拡声器の中に拳法を 拳法の中に楽器を 楽器の中に弾丸を。  
練習は要らないの。あんたにとってピストルは自殺用ではないのよ トニー、寝るの?  
ハンカチのようにしわくちゃになったS.E.O.U.Lの路地で  
トニー 寝るの?武器使用は反則ではなく 窮地に追い込まれた抒情だと。  
トニー 寝るの?トリック・パス。トニー 寝るの?  
手榴弾を投げ 路地を広げ トニー 寝るの?  
母国語を使うトニー 寝るの? 頭韻を合わせて 打撃するのよ。  
鋭い音の弾丸で トニー、寝るの?  
プロペラを飛ばして 自分の頭をこなごなにぶち壊せ。




シマウマとライオンのオリジナルな競走

私たちは ちょっと肉をかむ。歯より白い肉をかむことはシマウマたちの悲しみだ。
縞模様がないシマウマたちのキャプテンとして 
私は自分たちを馬だと言い張るべきか 縞模様を描くべきか それが悩みだ。
肉よりかたい私の悩みの中からライオンが現れ出る。
今日はライオンが水を飲んだ日だ。お酒より強い水を飲むことは 咆哮しないライオンたちの悲しみだ。
水を飲んだライオンが走る。あのライオンは不安だ。
あのライオンは酔っぱらった。あのライオンは仲間がいない。
私の同情心から 黒い滝が零れ落ちる。 
ライオンが黒い滝の中に身を投げる。滝が女に変わりながら 黒い髪の毛をかきあげる。
私はライオンを捜して 彼女の左足の靴の中に入って行く。ライオンは走っている。
彼女の左側のふくらはぎは 草原に近く 彼女の左側の太股は密林に近い。
ライオンは走っている。彼女の右側の太股は草原に近く 彼女の右側のふくらはぎは荒野に近い。
ライオンは走っている。ライオンが彼女の右足の靴から抜けていく。
私は走っている。ライオンが彼女の右足の靴ひもを結ぶ。
私は方向を変えて 走っている。ライオンが彼女の左足の靴ひもを結ぶ。
私は自分の位置で 走っている。
ライオンが女の臍の前で繩跳びをする。このライオンは断固たる態度をとる。
このライオンは記憶がない。このライオンには悲しみがない。
今日は 私が一杯食ってだまされた日だ。
お酒より多い水を飲むことは 肉をかむシマウマたちの悲しみだ。
悲しみの中で 女が黒い髪の毛をなでおろしながら滝に変わる。
咆哮するシマウマたちのキャプテンとして 黒い滝に閉じこめられた私が 
死ぬべきか生きるべきか それが悩みだ。
咆哮のように荒々しい悩みの中から ライオンが出てくる。


※バク・ジャンホ。 2003年「詩と世界」でデビュー。 2007年 大山創作基金を受ける。
詩集「私はおいしい」(2008、ランダムハウス)
最近、急速に若い詩人がポストモダン的な詩を書き出したようです。
「バスケットボールのアクション・ヒーロー」は、なんでもゲームになる時代に、
社会的に覚醒することのないふがいない自分を皮肉っているとも
読めるでしょう。
「シマウマとライオンのオリジナルな競走」は食うもの、食われるものも
自分から発生し、役割も複雑に入れ替わり、
ひたすら競走に追い立てられる社会を描いているとも考えられます。
一つの主張や見方に収まらない書き方が新しく、多様な読みが可能です。





アン・ヒョンミ

嘘を送信する
権宅明・佐川亜紀訳


女子商業高校を卒業して触角の長い昆虫たちと阿ヒョン洞の高台に住んでいた。
孤児ではなかったけど孤児のようだった。事務員として生きるというのは一ヶ月分
の部屋代と一か月分のお米代のことだった。そのように若い時を売りながら生きて
いた。花のように美しい歳月を売りながらも悲しくはなかった。時折大学生になった
友だちに会うと口ごもったりしたけど学費がなくて学校に行けなかった日々はもう過
去だった。孤児ではなかったけど孤児のようだった。ビニール製の衣裳箪笥の中で
触角の長い昆虫たちが出没する時も口ごもっていた。ウウ、ウ、ウ 日曜日には高台
の下の阿ヒョン洞の市場でひとりでスンデ*を食べていた。スープかけご飯屋のお
ばさんはなぜひとりで来たのかと一度もきかなかった。それがありがたかった。孤児
ではなかったけど孤児のようだった。

女子商業高校を卒業して高いビルに勤めたけれど高いのは私ではなかった。高
いのは私ではないというのを悟るのに花のように美しい歳月を捧げた。悔しくはなか
った。灯りの消えた部屋で触角の長い昆虫たちが私の代わりによく住んでいた。光
を嫌うのを除けば触角の長い昆虫たちは私に似ていた。家族ではなかったけど家
族のようだった。火の気の消えた部屋にすぐさま火のつく練炭に火をつける度に目
が痛かった。時々1970年代のように練炭ガス中毒で死にたかったけど触手の長い
昆虫たちがしきりに私の額をさわっていた。ウウ、ウ、ウ 家族ではなかったけれど
家族のようだった。花のように美しい青春だったけど虫のようだった。虫になった男
に阿ヒョン洞の古本屋で出会ったのは人生できっと一度はあると言われる幸運のよ
うだった。その後から私は触角の長い昆虫たちと本当の家族になった。花のように
美しい青春を捧げて虫になった。灯りの消えた部屋でウウ、ウ、ウ 嘘を送信し始
めた。たどたどしく 嘘のような詩を!

*スンデ:米・豆腐・もやしなどを詰めて蒸したソーセージ状のもの



timeless time
権宅明・佐川亜紀訳

タバコ人参公社は7月1日から新製品の'timeless time'(無限の時間)の全国同時
発売に入る。'timeless time'タバコは香が豊富に発現するように上位等級の黄色
種のタバコを主原料として使い 苦味を無くすために純粋な葉っぱだけを使ったの
が特徴だ。デザインは高級品らしい真珠色の素紙に十分な余白を生かしながら黒
色の文字を用いて全体的に安らかさを与えている。フィルターは炭素複合フィルター
で タール7mg/cog ニコチン0.7mg/cigに 長さ84mmであり 価格は1400ウォンだ。
出典:2000年6月30日 306号 東部新聞

8番目のtimeを吸っている
男は到着しない
ターンテーブルではサティのジムノぺディ8番が繰り返されている
女は無加糖タバコクラブの同人宛に送る密書をつまみ上げる
仕切りのない窓ガラスの外には8番目の季節がちょうど到着し
真珠色の雲の中からは出所の知れないリボルバー拳銃が不時着する
UFO模様の灰皿にはシャネルNo8のルージュのついた
フィルターがtimeの吸殻といっしょに盛られている
男は到着しない
レジでは店主が死んでしまった時計の乾電池を入れ替えている
女の表情が84mm消えかかっている
店主が女に歩き寄ってきて生き返った時計を指さす
女は密書を受け取る男が到着していなかったかと
1400ウォン分ほどの時間を買えないかときく
店主は 忙しいことなどないけど
すでに男は他の時間の中へ発ってしまったかも知れないと
女の耳に囁く
あなたは時間を盗まれた女だと…..



※アン・ヒョンミ 1972年江原道太白生まれ。2001年<文学村>文芸公募当選で登壇。
2006年ランダムハウス中央で処女詩集<つくづく>を刊行。
2004年と2005年、韓国芸術委員会と、ソウル文化財団の、新進作家支援対象者に
それぞれ選ばれる。2008年韓国芸術委員会の文芸振興基金対象者に選ばれる。







韓成禮

テンニンカラクサ
本人訳


目にちくちく差し込んで来る神秘な薄紫の
「犬のふぐり」のようではないテンニンカラクサの花*
逆説のあなたの名前
百済の人々が渡来する時 風呂敷包みの中身に埋もれて
ずっとその名のまま 生を続けて来たのだろうか
過ぎ去る風にテンニンカラクサの花の波が
あれほど倒れてもあたふたと起き上がる
ふと、どこかで千年を越えて来たように
犬のほえ声が高く響き
日差しを裂いて紫の泡が染みていく
ずいぶん前の生でも必ず一度呼んでくれたような
なじみの名の色
素材不明の名前
その犬を思い浮かべている

人は色ででも記憶を呼び戻すことができる
においででも場所を思い出すことができる
肌に残った快感だけででも声に気付くことができる

いつか来て見たような色
記憶を作ったにおい
痛く刻印された声
その紫色の肌の激しい揺れは
骨に沿って下り
今濡れた足が震えている

うら寂しく沈んだ奈良の
名も知らぬ町のそばを通るあいだ
テンニンカラクサの花が一面に咲いた丘で
ある澄んだ魂に心を寄せるように
半日 もうろうと紫色の地平線を眺めながら
前世を幾度も回り回って 日が暮れる

寂しく沈んだ奈良盆地の夕焼けの中
古代のマニュアルでからんころんと
法隆寺の夕べの鐘の音が零れ落ちる


*テンインカラクサの花:韓国で「犬ふぐりの花」ともいう。日本でもそう呼ぶ。




子供たちの宮殿
本人訳


臍の下
彼女の子供たちの宮殿には
いろいろな固まりがいつからかきちっと入り込み
胎児の代わりに細胞分裂を続け
今や多くの部屋に分かれて
子供たちが何人かは住めるようになった
取りなさい
病院へ行く度に勧められるが
彼女は少なからぬ重さに耐えて
大きな宮殿を抱えて歩く
そして時々楽しい想像をする
花の満開の子供たちの宮殿
スミレや忘れ勿草のような野花も咲いていて
ヤツガシラ*がポウ ポウ と南の窓から北の窓に移って止まり
牡丹や杏の花の香りに包まれた部屋
そこにこの世に生まれることもできず
空の星になった子供たちが 時々訪ねて来るようだ
恋しければいつでも訪れることができる故郷がそこにあるように
血の巡るこぢんまりとした宮殿を残しておくのだ
そこに入って来て住まわせることができず
お腹も痛めることのできなかったその部屋の
オンドルを温かくしておかねばならない
そう思えば ふと生が神聖に思えて
胸がつかえる**


*モンドル・中国・韓半島などで繁殖する鳥。淡赤褐色で白黒の配色が美しい。
**「つかえる」原文は門構えに山という漢字。

※ハン・ソンレ1955年全羅北道生まれ。世宗大学校日語日文学科卒業。
1986年「詩と意識」新人賞受賞で登壇。1994年「許蘭雪軒文学賞」受賞。
詩集・『実験室の美人』(1992)
『柿色のチマ裾の空は』(日本語詩集・書肆青樹社)
翻訳家としても活躍。韓国語訳『彷徨の季節の中で』(辻井喬)
『トパーズ』(村上龍)『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)
『柴田三吉詩集』『本多寿詩集』『小池昌代詩集』
日本語訳『アン・ドヒョン詩集 氷蝉』
『崔泳美詩集 三十、宴は終わった』『リトルボーイ高ヒョンヨル詩集』
『21世紀 韓日新鋭100人詩選集 新しい風』など。

韓国、日本、アジアと幅広く活躍する韓成禮さんの新詩集
『光のドラマ』(書肆青樹社1800円)が出版されました。
時空を超えて交錯する文化と言葉のおもしろさ、
独特の官能性と身体性がつむぐ豊かな世界が
連達の日本語により表されています。




金芝河

「社会文学」(日本社会文学会学会誌)29号に金芝河氏が
「東アジア詩人の役割」と題して
寄稿してくださいました。詳しくは本誌を見て頂きたいのですが、
今の考え方のおおよそが分かります。
WBCで日本選手が「侍」という言葉を強調しましたが、
金芝河も「侍=さぶらう=仕える心=モシム」という言葉を
キーワードとして使っているのは興味深いことです。
語源的に似たところがたくさんありますね。
中心思想は「東学」で、その中の「侍天主」とは、天が自分の内部にも
宇宙にも存在し、その神性を見つけて仕えること。
現在の世界は一言でいえば「大混沌」だが、
西洋には混沌の本質をとらえる哲学がない。
東アジア詩人が混沌の中の宇宙的公共性の
発見に努めるべきと述べています。

「木、木、葉、葉、山と水、枝、枝。このすべての物質が
物質の仏としての本質を悟り、解脱する万事知の
一つ一つの外へ広がっていき、
一思考、一思考が内に集まり入る混沌的秩序の拡充の美学。
その「白い陰」が東アジア詩人の最も崇高なる秩序であろう」

金芝河氏が説く宇宙のリズム「律呂」は「呂律が回らない」
の「呂律」に通じ、昔からあるアジアのリズムなのです。

金芝河は第一詩集「黄土」から東学思想による
甲午農民革命に共感を示してきました。
最近は、外部への働きかけではなく、内部の精神修養で
宇宙の神性を究める方向に進んでいます。

けれども、2008年春の米国輸入牛肉反対、大運河反対、医療民営化反対、
隷属的英語教育反対の「ろうそくの火」運動は「非暴力行動」で
宇宙的神性の反映と見ています。

(「社会文学」購入は(株)青柿堂 東京都千代田区神田神保町3-25-11-601へ)






李珍明

満月―電話

電話が来れば
電話が来れば
電話が来れば

祝日なのにママは電話もできないの
そこには電話もない
電話ではつながらない所がこの頃どこにあるのだと
無線電話の世になって以来もういつでもなのに

有線でも無線でも電話一つうまくさせない
おそくなった満月
丸くて平たいひどくマヌケ
顔の皮膚ひとつだけ透き通るように白くつやつやして
おまえ 転がって行く所あらかじめ分かるだろうか
蚕室運動場の何百万倍になるこんな運動場いくら転がっても
まだ分からないのか、おまえ 、そこは死んだ世だということを
ここも死んだ世
そこも死んだ世
同じな死んだ世
死んだ世同士なぜ通じないの

ママは一回の電話それきしにどのくらいの年月費やして惜しいの
おばあちゃんも同じ
死んで新しい目を手に入れたのに
いまだに目が弱く数字ボタン一つろくに押せないの

ここも死んだ世
そこも死んだ世
局番なく固有番号なく
電話機行き渡らす人もなく
電話できないことは私も同じ

ああ、そうだけど 私は
空っぽだ
空っぽだ
空っぽだ
誰もミスがない
マヌケな満月に言葉も通じないけんかをしながら
死んでも心はあって空っぽだ 

電話を
電話を
電話を




止められた人


彼は2分前に止められた人間
地下鉄の出入り口がある横
どの方向にも向かず
彼は2分前に中が抜け出た人間
11月の紅葉が落ち積まれた通りのどぶ
先に落ちた葉が乾き転がり
転がる葉に午後の残った日光が射し
リヤカーと自転車と
安い食堂の路地があり
ソソン街は荷担ぎ人たちが
リヤカーと自転車によりかかり 腕を組み
他の人は日光に当たり タバコをくわえもし
店の前プラスチックごみ箱からはこぼれ落ちる
空き缶と牛乳パック しわくちゃになった乾燥紙
リヤカーが動き 自転車が回り
自動車が押し入り回転し
地下では数本の乗り換え路線が交差し
交差しようと吐き出した黒い息が
入り口近くでもやもやと残った日光に現れ
彼は2分前にぱったり絶え 止められた人
終え別れた人
足がなくなった人
こんなにも静かなここ
来世の藁くずが流れて行くここ


*イジョンミン 1955年ソウル生まれ。「作家世界」で登壇。
詩集に『夜に許すという言葉』(1992)、『家に帰った日を数えてみる』(1994)、
『ただ一人の人』(2004)などがある。
都市で孤独な死を迎える人などを丁寧に描いています。
華やかになった韓国ですが、裏面の寂しさ、悲しさ
も深いものがあるようです。




崔泳美(4)

グローバル・ニュース
佐川亜紀訳

ユーフラテス河と紅海が涸れ果てるほど
死の行進が止まない
強いものは強者のやり方で
弱いものは弱者のやり方で
神の名で死刑を執行する

イエスとマホメットが生まれ埋葬された所で
預言者たちが平和を説教した聖地で
なぜ毎日銃撃が終わらないのか
預言者たちが間違えたのか、あなたたちが間違えたのか

ごはんを食べる一人の人が空中に飛んでゆく
閃光と轟音はあるが殺人者の顔は無く
我々は安心してテレビをつけ
先端技術で生中継される悲劇は見せ物になる

バレリーナのスマートな内腿から血塗られたズボンに
画面が変わるのに一秒もかからず
痛がる時間も無く
さっぱりした正装の紳士淑女が
録音テープに込められた死体たちをぶちまけながら
ヒバリのようにぺちゃくちゃしゃべる
ヨルダン川東側と西側の反応を
起伏なく乾いた音声で
銃弾のように早く、助詞一つまちがえずに!
これも狂ったふるまいではないのか

火星に宇宙船を送り
胚芽を複製する賢い人間たちが
なぜ人類の自己破壊を食い止められないのか

リップグロスがなめらかな唇からいつまで
自殺爆弾という恐ろしい単語を聞かなければならないのか
悲壮な古典音楽に埋め込まれた母の涙を
砂漠に吹き付ける復讐の竜巻を・・・




2008年6月、ソウル
佐川亜紀訳

広場には昔の写真が、血の付いた新聞が張ってあって
拡声器から響き渡る歌も、まあ!20年前とまったく同じだけれど
大通りで配られた宣言文はあの時より分厚く印刷状態も良い
21世紀のIT強国で印刷された赤い感嘆符は新しくなって
満ち足りて立っている顔は軍事独裁に抵抗した80年代のように
怒りでゆがんでいなかった
使い捨てコップの内で安全に燃えるろうそくの火のように温和な目の光
命をかけて闘わず
叫びながら自分が死ぬスローガンを知らない健康な唇.
肩にぶつかる名も知らぬ腕に耐えられず 私は
私の横の若者にろうそくの火を手渡して地下に戻った

乳母車部隊を護衛する青年たちはどんなにかっこよかったことか!
韓国男性たちの品種が目覚しく改良され
歴史はこのように進歩するのだろう
友達とおしゃべりを楽しみながら市庁近くの食堂で
ナイフを使って鮭の生肉をより分けた
口中に罪の意識の泡をふくまずに




ある同窓会
佐川亜紀訳

若い彼女はのどかな春の日 川に身を投げたし

誰それは遺書を残し4階から落下したし

誰それはガン手術を受けた後に階段で倒れたし

誰それはガン手術を受けて回復中で

誰それは死んだのか生きているのか消息が分らず

誰それは遅れて試験に合格し弁護士として働き

誰それは四柱八字を研究する道士になったし

そして みかけは完璧だが中は火山が燃え残った灰に埋もれた
彼女は日々自殺を夢見る

彼女たちと学校に通った私は
先頭に立たなかったけれど 後ろで腕組みもしなかった私は
紙に記憶を切り取り貼り付ける
何が間違ったのか
どこで彼女たちと私の道が分かれたのか、理解しようと


※崔泳美さんは09年3月に韓国の文学マウル社から第4詩集『到着しなかった生』を
出版する予定で、その解説を私が書かせて頂きました。解説の題を「グローバル
時代の洗練された知性」としましたが、時代をt捉える感受性が非常に鋭いです。
それは80年代に民主化運動に携わった経験と、さらに個人の視座から内外を
批評できる勇気を持っているためでしょう。英雄主義で先頭に立つのでもなく、
集団に埋没もしないで、自分の思いを率直に述べることは難しいことです。
韓国で第一詩集『三十、宴が終わった』がベストセラーになったとき、
「正直な詩人」という賛辞が寄せられたようで、
有名な先輩詩人・申庚林も「社会のごまかしを見抜く」と讃えています。
2000年代に起こった世界のできごと、日本や中国への批評も興味深いです。
2008年6月の米国牛肉輸入反対集会は大きく盛り上がりましたが、
韓国も日本と同様、格差が広がり、個々ばらばらになった面があり、
孤独感も深く、そこから新たに詩を書こうとする決意は
世界の共時的ポエジーに至るでしょう。





朴柱澤(2)

時間の瞳孔
韓成禮訳

今や残ったものたちは自分に帰り
帰ることができないものたちだけ海を懐かしむ
白浜を走る白馬一頭
とても遠い所から歩いて来た星たちがその上を照らせば
青白い呼吸を止めた鳥たちだけが木の枝で羽を休める
花たちが闇を退ける時、気兼ねのない
波だけが刺すような苦痛を越えていく
万里浦あるはさらに上の高さから自分の曲調を力なく
受け入れる足跡、細い血管の中にだんだんしみて行く
金盞花、生が長く長く育っていて
いつでも裏切りものになる時間の瞳孔たち
時々私たちは自分の中にあまりに多い自分を閉じこめ
ごった返す自分のために眠りが歪められるなんて、
記憶の風琴の音も薄い模様の渋い声も
暮れた残燈に立ちこめる塩気に顔を赤らめるなんて、
たてがみを翻して白浜を走る白馬一頭
花たちが腰から長い革帯を解いて風の背を打つ時
その息づかいで起きる午前零時の月
続けてどこか自分の家を探す犬一匹
遠い所から歩いて来た星を吐いて
ぶらぶら渋い眠りの中に入って行く





冬の夕べの詩
韓成禮訳

四方が静かな冬の夕べに窓の隙間に染み入る
氷板を通り過ぎてきた風を受けて、ある山里で
冷たい月明りの下で夜を耐える木々を思い浮かべる
記憶にも家があるだろう、私が私から一番遠いように
あるいは私が私に一番近いようにそのひゅうひゅう唸る
木々のように懐かしさが始まる所で私に対する私の愛も
寒さに震えるものだったろう、しがなくちかちかする
へこんだ目で灰色に染まった夜には寂しい街の
裏通りで運命をつかんでくれるような明りにしばらく濡れて
いたりした、しかしそれほど信じるものなどは
それにも意思があり、かすかにまた消えて行き
青春の梢を振る悲しい眠りの中では
互いに帰らない愛のために
一晩中窓もがたつくだろう



※朴柱澤(1959年生まれ)の初めての日本語訳詩集
『時間の瞳孔』が出版されました。(韓成禮訳。思潮社。2400円)
解説の李グアンホが「その内密な美学は存在と時間に対する
深い哲学的思惟と現実に対する徹底した否定の想像力、そして
単一の伝言に収まらない立体的詩学を具現している」と
指摘しているように、テキストのなかで美学を構築する
ポストモダンの言語派の優れた実作といえましょう。
時間といえば歴史であった従来の考えではなく、
人の歴史も超えていく時間の根源的虚無をみつめています。
06年素月詩文学賞受賞。「現代韓国詩」主幹。








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