ウォーター

韓国詩のコーナー13

目次

映画評・詩評2012年春号(2)

詩評・2012年春号

ペ・ハンボン

「東京新聞」祈りと脱原発の思い

李英光

東アジア脱原発ネットワーク

韓国詩人への御礼・中央日報

エネルギー正義行動

高銀(3)

金南祚・金后蘭・権宅明

金ソヨン

李珍明(2)

陳恩英

「Asia Poem 光と林」

文貞姫

鄭浩承(2)

高銀メッセージ

金ギョンミ

シン・ヨンモク

張錫南(2)







映画評・詩評2012年春号(2)
映画評・「詩」という題名の映画


原題が「詩」という韓国映画を東京マラソンの日に見に行った。
邦題 は「ポエトリー アグネスの詩(うた)」。 正面から映画で詩について
語るのは韓国ならではと思うが、日本でも話題の園子温監督の「ヒミズ」で
詩が 朗読される。園監督も元詩人で「東京ガガガ」を発表していた。

詩が汚染した大地に芽吹いたみた いにうれしくなるが、イ・チャンド ン監督の
現状認識は甘くない。「詩 が死にいく時代。その喪失を嘆くも の、
死んで当然だというものがいる」 と告げる。
「詩が死にいく時代」とは 何か。まず共同体の崩壊である。六 六歳のヒロイン、ミジャは、
離婚し た娘と離れて暮らし、へルパーをし て一人で男子中学生の孫を育ててい る。
韓国は離婚率が高く、少子高齢 化が進み、仕事や留学で別々に生活 する家族もふえている。
初期のアルツハイマーを患いなが ら、ミジャは誰にも相談できず、
失 われていく言葉を繋ぎとめるように 詩を書こうとカルチャーセンターに 通いだす。
以前、日本の谷口広樹氏 が脚本を手がけた「チョルラの詩」 では
1980年代の開発への抵抗運 動と詩が重なる場面もあったが、時代の変遷を感じる。
カルチャーセンターの詩の講師を 民衆派の有名な詩人・キムヨンテク金龍澤が
実際に演 じていておもしろい。金龍澤は19 48年生まれで、農民の父母を慕い
「ソムジン江」の連作を書いている。 リアリズムの詩人らしく最初に物を よく見ることを勧める。
ミジャは自 然に新たな目を向け、さらに孫の犯 した恐ろしい犯罪をみつめることになる。
貧しい農民である被害者家族 に対し金で解決しようとする親達。
ミジャは金が無いために身を売りさ えしたが、詩の朗読会で性の話をす る者へ反感を抱く。
詩は性と無関係 なのか。ここで解体詩(ポストモダ ン詩)の旗手・ファン・ビョンスン黄炳承が
実際に登 場するのも意味深い。黄炳承は19 70年生まれで詩集『女装男シコク』 で
猥雑さやパロディを取り入れた。
「アグネス」とは、孫たちが死に 追いやった少女の名である。最後に 他者の詩、
死者を表わす一篇の詩を ミジャは書くに至る。詩とは何か深 く問いかける映画であった。
(「詩人会議」2012年6月号掲載)




台湾で残念だったこと―1989年 

河鐘五

台湾に旅行に行って
夜 野外カフェで会った住民と
ビールの杯を前に置き
筆談し合ったことがあった
ぼくが漢字を書いたのか
彼が漢文を書いたのか
英語の単語を羅列したのか
互いに国籍と職業をたずね
そして雑談した
彼がぼくに北朝鮮に行ってみたのかとたずね
ぼくは行ってみなかったと答え
ぼくが彼に中国に行ってみたのかとたずね
彼は行ってみたと答えた
互いにうまく表現する共通語がなかったので
最後までお互いできなかった質問があったのだが
いつか台湾と中国が一つになるとき
どのように合わさるべきかという点で
いつか南北朝鮮が一つになるとき
どのように合わさるべきかという点だった
夜の街が混雑する時
彼とぼくはもうこれ以上つづけて行く言葉が無く
ビールの杯を取り 目を合わせて笑った
ソウルと同じく台北も街路灯が明るかった


※ ハジョンオ 1954年慶尚北道生まれ。「現代文学」で1975年デビュー。
光州世代の詩人と言われ、統一を願う作品が多いですが、この詩では
中国と台湾が登場し、言語も漢文・英語と多様化しているところが新しいですね。
詩集『稲は稲どうし 稗は稗どうし』『分断っ子父たちと 統一っ子子供たちと」 
『南北象徴語辞典』など。茨木のり子さんの『韓国現代詩選』にも収録されています。
(「詩評」2012年春号から)




 岩 

文泰俊

ほぐれない思いがひとつある
鳥の赤いくちばしがつついては 久しく前にやめた
話しぶりがうまかった母方の祖母も この前では 話の出鼻をくじかれたそうだ
たきぎの荷を売り出して飯を稼いだ父も これを背負うことができなかったそうだ
いつのまにかぼくも愛を交わして食卓を新たに構え 子供を得て酒には興が起り
この迷宮の内部から生まれて以来 40年がひょいと過ぎた
ぼくが老い始めたときにはもちろん
ぼくが目を閉じるその日にも これは裏山が村にそうするようにぼくを見下ろすだろう
ぼくは最後までほぐれなかった思いを持って 再び真っ暗な内部に入っていくだろう
唇も耳も消えてこのようにただ黙って重々しく座っているだろう
家の外に追い出されて一夜 一本道にひとりで涙を流すようになった子どものように
そして再び この世界に夜明けの露のように生まれたら 
これをまた押したり引いたりしながら
一羽の鳥になり、母の母になり、父になり、40数年が経ち・・・・・・・・
時間は川がはるか遠く越えて行くようにずっと続いていくということだ

注(「母方の祖母」とは、原語は「外祖母」で韓国人にとってこの外祖母という存在は、
ある種、懐かしさの代名詞みたいな存在ですので、よく詩に登場します。
父方の祖母とは内的なニュアンスがかなり違うそうです。
映画「アグネスの詩」の主人公も「外祖母」なのは興味深いです。
韓国語は、親族関係を表現する語が豊富で、区別が多いのです。)

※ムン・テジュン 1970年慶尚北道生まれ。仏教放送ラジオプロデューサー。
新世代の有力詩人。詩集『騒がしい裏庭』『素足』。
日本でも『鰈(カジェミ)』(岩崎理予子訳)が出版されています。
(「詩評」2012春号から)






詩評・2012年春号

私は はやく話さなければ
 チョン・ヤンヒ

 誰かが山について話せというなら
私はまず
木のようにまっすぐな言葉はないと言って
誰かが森についてたずねてみたら
私はまず
鳥に向かって話すだろうよ
とうとう鳥がはね上がり 空を残すとき
私も空いた巣のようにからっぽになってしまうだろうよ
誰かがまた鳥について話せというなら
私はまず
泣くことについて話し
その泣くことのふるえが ぶんぶんと音を立てるとき
誰かが質問についてたずねてみたら
私はまず
水について話し
私も水に道をたずねながら流れていくだろうよ
誰かがまた水について話せというなら
人生が書いた最高の文章だと言ってしまうだろうよ
水について長く話してみれば
いつのまにか山の下に 下って来ているよ
登った道もついて来てるよ




南の港

李カリム

南の港に行く道は
いつもX印だ
最初から道がないのだろうか
とにかく通行が禁止されたのだろうか
とにかくX印だ
「現在 南の港築造工事中
通行に不便をおかけします点
ご海容くださいますようお願いします」という標識板を
ちらっと見たような気もするけど
昨夜の台風に飛んで行ってしまったのだろうか
今 南の港に行く道は
非常に大きいXでふさがっている
昔 私が行ったことのある南の港
夜波が庭まで押し寄せた
トタン屋根の宿屋に
もう また行くことはできないのか
海辺に吹かれて来た
一本の生臭いワカメのように女とともに
練炭かまどのオンドル部屋
暖かいオンドルに忍び込んだ
その冬の中に
もう 永久に行くことはできないのか
南の港に行く道は
たしかにあるはずなのに
いや たしかにないはずなのに
ぼくは今日も
それ以上はいくことのできない遮断壁
錆付いたX字鉄条網を
むやみにゆさぶる

(新作詩壇から)


(巻頭言から)
現実の異なる夢を夢見る詩のために

韓国詩の地図を描くことも難しいが 誰がどこで何をしているかさえも分かり易くはない。
詩壇は存在していて、詩人たちは夢をみているか。
もしかすると、我が詩壇がもの寂しいことではないか。
そして、なぜ詩の楽しみが無くなったのか。
一時的な沈滞のなかで韓国詩の変化と乱調に向かう詩的な糸口を探さねばならないことが、
この時代の詩人の役割なのかもしれない。
現実だけが詩の中心とは言えない。現実の葛藤と土台の上で詩は全身にほこりを
かぶって生じることともいえる。また、創作の論理と詩論、詩を読みぬく方法にも
一定の変化を要求する点にも耳を傾けなければならない。
詩人は現実とともに 異なるあちら側とこちら側を望み見る他者の世界に対する
境界を通過しなければならない。
影絵と実物を同時に感覚し、夢みたくなるわけがここにある。
このような中、季刊「詩評」は2012年新春に47号を刊行する。
このようにでも押し出してゆくこと自体が重要な文学行為なのか、と自問する
時があるが、恥らう心は隠しようがない。
(略)
アジア詩壇は豊富だ。独特な世界をみせてくれるベトナム詩人、ロシア詩人
インドネシア詩人、タイ詩人などアジアを代表する詩人の作品だ。
特に、日本の6人の詩は現代日本の詩を水準を遺憾なく見せてくれる。
(今号で、高良留美子さん、河津聖恵さん、柴田三吉さん、
相沢正一郎さん、一色真理さん、佐川が紹介されました。)










ペ・ハンボン


桃花の下の千年

春の日 木の下に脱ぎ置かれた靴の中に花びらが積もった。

積もった花びらの中から花を食べた幼い女の子が歩き出て
髪に真っ白な絹の手ぬぐいを巻いた若いお母さんが歩き出て
腰の曲がったおばあさんが杖も持たずに歩き出た。

春の日 花咲く木にもたれかかった青い空に アメンボが通り過ぎた所のように
波紋が起きた。満ちるほどにいっぱい空く花散る木の下の虚空。
手の指で吐き出す首を押さえながら ぼくは一つの宇宙が
ひっそり息をするのを眺めた。

最も美しく自分を捨て 時間と空間をいただく花々の道。

どうしても脱ぎ置いた靴を履くことはできなかった。

千年を歩いてゆく花びらもあった。ぼくもひそかに
千年を歩いてゆく愛になりたかった。
一つの宇宙になりたかった。





涙は錐よりも力強く皮膚をうがつ。すすり泣きがなくても
熱くなる体の瞬間を考えるより先に看破し 溶岩のように湧く。
鋼鉄の男もその力をふさぐことができない。

取り出さねばならない瞬間 涙を取り出すことができないなら体は自ら
皮膚を風船のように破裂させてしまうだろう。霊魂の星は光を失って
鳥は引き裂かれた太鼓のように歌えないだろう。目の中の闇を涙ほど
よくぬぐうことができるものは世界のどこにも無いので涙は
肉体の物質ではなく深淵の反映だ。

氷の時間、暗黒の地下の洞窟に閉じ込められた者は分かるはずだ。
コウモリのようにちゅうちゅうと鳴く悲しみをかき回せば冷たく真っ暗な時間が
漏れ出すということを。その恐怖が隠れている地下洞窟、退路をふさいでいた
氷壁は我々の内にある。結氷をうがつことができるのは
ただこの世で最も熱くて激しい涙だけだ。

刃の誓いは血のにおいを持つが 太陽を見ながら涙で名を
彫った誓いは血を浄化させる70%の水分の中に1%にも
ならない涙がしょっぱく熱いわけもそこにある。涙は力強い。


※ペ・ハンボン 1962年慶南生まれ。京畿大国文科博士課程修了。
1984年朴在森パクジェサム詩人の推薦で作品活動を始め、
1998年「現代詩」詩人賞でデビュー。
詩集『黒鳥』『ウポ沼』『楽器店』『眠りを破る水の歌』など。
「詩と生命」「詩選」編集委員。季刊「詩人詩学」編集主幹歴任。
第11回現代詩作品賞。上記の詩で第26回素月文学賞。
2001年から毎年ウポ沼詩生命祭主宰。
ウポ(牛浦)沼・・・慶尚南道にある韓国最大の自然湿地。









「東京新聞」祈りと脱原発の思い

佐川亜紀


韓国にも福島第一原発事故は大きな衝撃を与えた。
ノーベル文学賞の候補に度々挙がっている詩人・高銀コウンは
東日本大震災直後に文明をしのぐ自然、日本への祈りを語ったが、
脱原発を提唱し、昨年十一月に発足した「東アジア脱原発・
自然エネルギーネットワーク」(代表・崔冽チェヨル)に参加している。

また、金芝河キム・ジハが推進者の一人だった生命を尊ぶ生協運動
「ハンサルリム」も「原発は生命と共存できません」と一月に
声明文をホームページで発表した。「私達は数十年間、
有機農業を実践してきたフクシマの農民が自分の責任とは
無関係な放射能漏出で農地が汚染されたことを悲観し自ら
命を絶ったことを記憶しています。」と記す。「政府の原
発拡大政策に反対します」とツイッターでも発信している。
若い世代のNGO「エネルギー正義行動」(代表・イ李ホン憲
ソク錫)も原発の増設や輸出に反対し、ネットを駆使し実践的
に動き、日韓の若者達による反核共同行動を目指している。

詩としては、フクシマを題材にした作品はまだ書かれていないが、
二〇〇七年に韓国詩人協会が刊行した生態詩選集
『地球は美しい』にはキム金ユンの詩「チェルノブイリ・ジ
ェネレーション」が収録されている。(日本語版は日本詩
人も収録した『日韓環境詩選集 地球は美しい』〈佐川亜
紀・クオンテクミョン権宅明編・訳〉として刊行)。
「体をすくめて しゃがんで聞いた雨の音を覚えているかい?/
死の灰のように降っていた足音/
川が気を失い横たわっていた音を/
小さい甲状腺いっぱいにわめきながら流れてゆく煙」。
フクシマの影響を受けるのは日本の子供たちばかりではなく、
韓国の、世界の子供たちも恐怖を内に刻んで成長するのだ。
それほど原発事故の被害は広大で、とほうもなく
長時間にわたることを肝に銘じなければならない。

ところで、詩人・ムンジョン文貞ヒ姫さんらが新聞に発表した被災地
を激励する詩に対して感謝を伝える私の手紙が韓国中央日報に
昨年十二月二十一日掲載された。「慰安婦」問題など
日本への落胆と苛立ちが感じられる面もあるが、歴史問題を超えて
人間的共感と人類的視野の詩を送ってくれた詩人たちの行ないは
灯のように温かく心に残った。
(さがわ・あき 詩人)
(東京新聞2012年2月16日「世界の文学・韓国」)






李英光

夕暮はすべての希望を

外は問題だが
内がもっと問題だと思いもしない
病気にならなければ 治ることもできず
彼は病気だった
ぼくが一番好きなことは夕暮が終わり
静かに止まることです
彼は病気だった、しかし
ぼくはなぜ病気がいいのか
なぜぼくはぼくの懐に抱かれるのか
彼は手足を激しくばたばたする
習慣的に口を開ける
唾が流れる
革命が必要だ この24坪に
冷酷で破格に葛藤がない一日が
ある奇跡が必要だ
もちろん私には罪がある
けれど あまりに長く罰を受けていないのか、彼は
たずねる それは始めた方法も分からず
変革に対して渇望の火を燃やす
新時代が来なければならない
ぼくはすべての自爆を擁護する
ぼくは天変地異を待つ
ぼくはぼくが必要だ
長い午後が傾き
殺すように夕暮が来る
光がすべて引いたときも光は現れない
彼はだめだ
夕暮はすべての希望を治療してくれる
彼は力なく治る
ぼくはどんな理由もない
ぼくは武装蜂起を夢見ない
大洪水にならなくとも
トノサマバッタの群れが真っ黒に空を
おおわなくてもいい
ぼくは安楽に死んだ
ぼくはぼくがいい
彼はブタの頭のように満ち足りて笑う
焼酎と夢なき眠り
焼酎と夢なき眠り






幽霊3

朝刊は訃報のようだ
人がひっきりなしに死ぬ

人ではないと思い
殺したようだ
人です、証明できず
死んだようだ

殺したかったと・・・・殺したようだ
殺したかったけど・・・・殺したようだ
殺したかったが・・・・殺したようだ

死んだ人は
死ぬべきもののように哀悼しなければならないはずなのに

殺人者は相変わらず
顔をはずさず
心臓を取り出さない

今もなお 拉致中で
暴行中で
鎮圧中で

計画的に
即興的に
合法的に
人が死んでいく

戦闘的に
錯乱的に
究極的に、人が死んでいく

ああ、決死的に
総体的に
電撃的に
死んだものたちが、死なない

死んだものは今もなお失踪中で
籠城中で
投身中だ

幽霊が浮かんでいるたくさんの玄関
朝刊は訃報のようだ



※イ・ヨンガン 1965年慶北生まれ。高麗大学英文科、同大国文科大学院を卒業。
1998年文芸中央詩人文学賞の新人文学賞に当選しデビュー。
詩集として「直線の上で揺れる」(2003)「影とつきあう」(2007)
「痛い天国」(2010)を発行。2008年労作文学賞、2011年ジフン賞受賞。
2011年ミダン文学賞受賞。その受賞の言葉に
「世界の廃墟を、自己という廃人を詩人の体で痛く感ずる、そして愛する」
「幽霊3」は意図的に漢字をたくさん使っている作品です。







東アジア脱原発ネットワーク

東アジア脱原発ネットワーク 2011年11月23日
「韓中日が乗り出さなければ「核の悪循環」を断てない」
「東アジア脱原発自然エネルギーネットワーク」船出


韓中日等東アジアの「脱原発」を推進している市民連帯機構が船出する。
23日ソウルのプレスセンターでは原子力から自然・新再生エネルギーとしての
エネルギー政策転換を推進する「東アジア脱原発自然エネルギーネットワーック」が発足式を行った。
脱原発ネットワークには高銀詩人、金ソンフン前農林部長官、白楽晴ソウル大名誉教授、
ユホンジュン明知大美術席座教授、イムオクサン画家、崔ミョン清渓川環境委員会委員長、建国ソウル大教授、
チョハンゲジョン延世大社会学科教授、崔ジェチョン梨花女子大碩座教授、ハンホング成均大教授、
ハンセウン神父など学界、宗教界、市民社会知識人100人が「脱原発ネットワークはフクシマ事故が
起きてから1年がたつ来年3月1日韓国と日本でそれぞれ100名、中国とその他111名など
東アジア知識人総311名が集まり発表する「脱原発宣言」を計画している。
今日の席は、この連帯を提案した韓国で最も先立って開かれた出帆式だ。
東アジアの核の危機「悪の循環」は市民が断たねば脱原発ネットワークは宣言文で
「今日の地球の原発の75パーセントは中国、ロシア、韓国、インドに集中している」
「特に韓国は国内の原発以外にも中国の東海内と日本の西海内の原子力発電所に包囲されており、
東アジアで核の危機は互いに絡み合う悪の循環形態を取っている」と見なした。
これらは「太陽光と風力産業は毎年30パーセントずつ成長していながら、
ドイツをはじめとするヨーロッパ国家は再生可能エネルギーを通して文明社会が持続可能になることを
示してくれている」「脱原発はエネルギー放棄ではなく自然エネルギーへの転換」だと強調した。
これらは「世界から最も危険な原発地帯内の韓中日が安全で持続可能な社会を実現するためには
東アジア市民連帯が切実に必要だ」「安全で平和な東アジアを作るために市民たちとともに
脱原発市民行動と自然エネルギー拡大運動の先頭に立つこと」だと明らかにした。
脱原発ネットワークに参加した金ヨンホタングク大碩座教授は先の19日に東京明治公園で
6万人市民が参加した脱原発デモを聞きながら「当時 日本が脱原発の方向に行くだろうと
思ったが、そうではなかった」「日本は原発利益共同体でいまだに新再生エネルギーの方に行くことが
本当に難しいと思う」と語った。金ヨンホ教授は、「原発利益から自由な市民達の力でこの問題を
解決することの他には道がなく日本と共に韓国の市民が乗り出さなければこの問題を解くのが難しい」
「みんなが力強い信念を持って押し出れば韓国と東北アジアに新しいエネルギーに基づいた新しい
産業革命を起こすことができ、歴史の道の先頭に立つことだ」と語った。
ユンヨジュン前環境部長官は「いまだ我々の政府が原発を安くて安全なエネルギーだと主張するのは
無責任な態度であり」「原発が安くなく、危険であることが現実的に立証されたことにも政府は代案を
探そうとする努力をしていない」と批判した。曹渓宗環境委員会委員長を受け持っているチャンミョン僧侶は
「10余年前から新再生エネルギーを使用するための努力をして曹渓宗全体も方向を転換している」
「原発問題も環境を変えて未来を考えるところに答えがあるのではないか」と話した。
市民の参加で 脱核公約まで 脱原発ネットワークは崔烈環境財団代表が去る8月日本の市民社会に
東アジア次元の連帯を提案し始めた。崔烈代表は「エネルギー転換のためには韓中日政府だけではなく
市民社会も密接な連帯と活動が必要だ」「今日参加する100人が運営委員会で国民が広範囲に参加して
政府の政策を変えるこの集まりは脱原発だけではなく、新再生、自然エネルギーという代案としても
積極的な関心を導くという特徴がある。100万署名運動と全国巡回コンサートを開く一方、
自然エネルギーを支援する日光銀行を設立して自然エネルギーを運営する日光図書館を建立する予定だ。
その他に、来年総選挙と大統領選挙を控えて脱原発を公約として採択するための活動を展開する。
崔烈代表は「新しい政府のエネルギー政策が重要なために大統領候補が実際に脱原発公約を出すことが
できるように対話、説得、政策提示など多様な活動をする予定だとし」
「来年総選挙、大統領選挙が我が国エネルギー政策に重要な転換点になるようにしたい」と語った。


※崔ヨル代表が2012年1月14日15日横浜で開かれた「脱原発世界会議」に
出席され、このネットワークの拡大を呼びかけました。











韓国詩人への御礼・中央日報


韓国中央日報2011年12月21日に私が文貞姫詩人に送った御礼の手紙が掲載されました。

「韓国詩人たちは日本人を慰めるために泣きました」

日本の詩人 佐川、3月大地震のとき中央日報に載った3篇の文章に返信
文学が美しい理由は、それが人間の味方であるためだろう。すべての災いが押し寄せても
文学は人間のそばで守る。18日韓日トップ会談で野田総理は最後まで従軍慰安婦問題を無視した。
政治が解決役割を果たせない時、文学の側はどうすべきか。
ここに、日本の文人が送って来た一通の手紙がある。もちろんこの手紙は日本の総理の非常に冷たい無視が
ある2ヶ月前に、韓国に送られた。しかし、手紙はあらかじめ予見していたようだ。自分の国の恥知らずな
歴史の歪曲を懺悔していた。
送信者は日本詩人の佐川亜紀(57)、受信者は韓国詩人の文貞姫(ムンジョンヒ・64)だ。
佐川詩人は3月の東日本大地震の当時、韓国人が示した配慮に感動して手紙を書いた。
一節を要約する。
「文貞姫先生
韓国の新聞紙上に韓国詩人達が日本を励ます作品を掲載してくださり大変力づけられました。
原子力発電所の事故で韓国のみなさまにご迷惑をおかけすることになり謹んでお詫び申し上げます。
また、歴史問題を超えて画期的な支援を頂いたにもかかわらず教科書問題に配慮できなかった点と
大地震以後いろいろ不安定な事態が続き、ご心配をおかけした点も恐縮しております。
でも、活気あふれる韓国と協力して東アジアの平和を構築し、21世紀の文化を創造しようとする
望みは日本の詩人たちが変わりなく願い追求するものです。
今後ともご指導のほどよろしくお願い申し上げます。」
佐川詩人はどうして文詩人にこのような手紙を送ったのか。
きっかけは、東日本大震災当時、中央日報に掲載された3篇の文章だった。中央日報は当時、
日本人に向けて高銀詩人の手紙(3月16日2面)、鄭浩承詩人の詩「日本よ、どうか泣かないで」
文貞姫詩人の詩「日本よ、寂しがらないで」(3月23日33面)などを続けて載せた。
佐川はこの3編の文を日本の文芸誌「詩と思想」10月号に載せ、解説を書いた。
翻訳は韓国の韓成禮詩人が受け持った。解説文で佐川は「3月16日に韓国挺身隊問題協議会が
駐韓日本大使館前で開かれる予定だった水曜集会を東日本大震災の黙祷と追悼の集会に代えた」
と説明したあと、このように敬服した。
「韓国詩人の方々の被災地へのあふれるほどの思いやりの詩句、人類的、地球的視野に立っての
熱い鼓舞と慰めの言葉は胸を打つものです」「歴史の罪はそれとして、人間的同情と人道的観点から
さまざまな激励を賜りましたことは日本にいる者の心に深く刻まれました」
この言葉から我々はついに人間の側だけではく文学の運命を体感する。韓国の詩人が東日本大地震
の事態にともにすすり泣いたことも、日本の詩人が自分の国の誠意無き歴史歪曲に怒ったことも
無気力な人間に対し文学的配慮で直すだろう。
佐川は文詩人に向けた手紙で「日本の詩人達は韓国と協力して21世紀の文化を創造して行くことを
望む」と書き、文詩人は「韓日2国の詩魂が切々と互いに交感した」と答えた。
ふさがってしまった韓日間疎通の門を文学はしっかりつかんでいる。
チョンガンヒョン記者



エネルギー正義行動


韓国の脱原発団体・「エネルギー正義行動」の声明文

韓国の脱原発NGO「エネルギー正義行動」が2011年11月22日に韓国政府の原発推進政策に
抗議して声明を発表しました。代表の李憲錫(イ・ホンソク)氏は2011年8月に来日し、
早稲田大学アジア研究機構アジア平和研究所主催のシンポジウムで発表された方です。
私も聞きに行きました。韓国の環境団体は2012年の3・11に韓国で5万人の反原発行動を
企画しています。2012年1月14日15日脱原発世界会議にも来日されます。


「福島の原発事故をチャンスにしようとする原子力振興総合計画を糾弾する」
第4次原子力振興総合計画確定に対するエネルギー正義行動声明書

今日(2011年11月21日)政府は金ファンシク国務総理主催で第1次原子力振興委員会を
開いて第4次原子力振興総合計画を審議、確定した。
この間、原子力振興計画は「福島事故をチャンスに」原子力発電所輸出を増進するという内容を
入れて多くの批判を受けて来た。福島原発事故以後、脱原発に進む各国の流れに従うどころか
「このチャンスに一儲けを」という軽薄な商法を政府の公式計画で明らかにしたのだ。

全世界がすでに目撃したように原発が安全ではないということはすでに確認された。
それにもかかわらず、原子力発電所を輸出するのは私たち自らが全世界に第2の
チェルノブイリ、フクシマを増やすということにほかならない。米国が日本、福島に
原発を輸出しなかったら私たちが目撃した惨劇は広がらなかっただろう。
1979年スリーマイル原発事故以後、それ以上原発を作れない米国は全世界に
原発を輸出している。自国内の建設が難しくなるとすぐに原発産業界は新しい活路を探すのだ。
同じように今回、巨大な原発事故を体験した日本はやはり自国内脱原発政策推進と関係なく
ベトナムなど他の国に原発輸出を推進している。彼らは自国の事故を後にしたまま全世界を
歩き回る「死の商人」になっていつ事故が起きるか分からない原発をずっと輸出している。

そして今、私たちがその後について新しい「死の商人」になろうとする。それもIT,造船に
続く代表的輸出産業として原発産業を政府が主導的に育成しようとするのだ。
私たちに今必要なことは原発産業を育成して輸出することではない。我が国内部で脱原発
宣言を通じて老朽原発を閉鎖して新規原発建設を中断しなければならないだろう。
また、既存の原発に集中してきた研究開発は原発の安全性だけでなく、原発を閉鎖して
高レベル核廃棄物などを処分できる技術に集中しなければならない。
この間、拡張中心の原発政策を推進してきた我が国は原発閉鎖と核廃棄物処分技術をおろそかに
してきた。これは原発を運営するところならばどこでも必要な技術にもかかわらずこれに対する
関心と支援は常に後ろに追いやられてきたのだ。これらに技術は脱原発政策に進むために必須の
技術だ。
フクシマ原発事故の教訓を正しく知っているならば、私たちに必要なことは原発振興ではない。
危険な原発を全世界に販売して歩き回る「死の商人」になることでは到底ない。
しかし今日発表した原発振興総合計画は、フクシマの教訓と正反対で、それも最悪の道に
進む決定だ。私たちは今日、原発振興委員会を強く糾弾する。
今日、彼らが下した決定は大韓民国を「歴史の教訓を理解できない国」あえて「死の商人」に
なろうとする国にしてしまったのだ。自分たちが下した決定がどれくらい恥ずかしい決定で
あったか金ファンシク国務総理をはじめ原発振興委員は知らなければならないだろう。
2011.11.21






高銀(3)


詩集『相華詩篇』序詩


日が沈む
愛さなければ
日が昇る
愛さなければ 愛さなければ

あなたを愛さなければ
この世の昼も夜も 腹をすかせながら あなたを愛さなければ



今朝


今朝 すべてに無欲でありたいです
ほんとうに
あんずの花がいっぱい咲きました
あなたと一緒に
あんずの花の 息遣いを 息遣いを 見上げます ひたすら幸せです

逝かれたお父さん お母さん 申し訳ありません

今朝 何回でもだまされたいです
あんずの花の雲の下
あなたを見上げます
いっそ ここではない どこかでありたいです

幸せでこんなに頭が上がりません

別の世でないこの世よ 申し訳ありません


公転


妻の周りを回るたびに
ぼくは輝く
妻の周りを回るたびに
ぼくの片側が輝く

妻の光で
ぼくの片側が真っ暗だ

ぼくは妻の衛星だ ぼくの運命だ
運命とは何か
運命とは
宇宙の制度でないのか

ぼくはアリアンではない ぼくは ぼくの妻の形式だ


※アリアン 欧州宇宙機関が開発した人工衛星打ち上げ用ロケット(訳注)


※2011年7月11日刊『相華詩篇 惑星の愛』は、高銀詩人が
妻の李相華(イ・サンファ)さんに捧げた愛の詩篇です。
高銀詩人は、1983年に社会運動のなかで知り合った英文学者の
李相華さんと結婚しました。





金南祚・金后蘭・権宅明


地震村の童話


金南祚(キム・ナム・ゾ)
高貞愛訳 本多寿監修

地震が 一つの都市を
苛むように破壊しつくした隙間に
鉛筆のように挟まった人たち
その中で 見知らぬ者同士
偶然 向き合いました

不思議でした
玲瓏な鏡に映すがごとく
自分の苦痛と絶望を
見知らぬ その人が
夕焼け 赤々と照らすように
はっきり見せてくれました
振り返ると その場の人たち皆
お互い そのようでした


かわいそうだ かわいそうだ と
野火の炎ひろがる 憐れみ…
怖ろしく あきれかえり
くずれて 咽び泣く
あわれよ あわれよ 哀れさ故の
たぐいなき 清冽なかなしみ…
生は一度かぎりなのに
艱難の中 洗礼にひたるように
切実に 切実に
隣人を思い 慈しむ人たちが
どれほどいるでしょう

そして
あの御方たちは
皆 聖人になり
天国へ行かれました





暖かな家族
金后蘭(キム・フ・ラン)
高貞愛訳


日が暮れる時間
靜寂の真情に寄り掛かって
今日の碇を下ろしておく
汗に濡れた服をぬぐ時
夜空の星たちがわたしに近付き
友になり家族になる
偶然というにはあまりにも切実な因縁
心おきなく気持ちを分かち合える人
その素朴な手を抱き込む
星のささやきがわたしを捕らえる時
闇を乘り越えた世はまた開かれて
わたし 淋びしくはない
いつかは会う日があることを信じた
君たちすべて銀河に集まり
この夜はわれら暖かな家族




紫陽花

権宅明(クォン・テク・ミョン)
(本人訳・佐川亜紀監修)


水色の紫陽花*の咲く
水の国へ行きたい
指先で弾けば
水玉のように陽射しが散らばりそうな午後が
六月の陽光に
オレンジ色に熟していく
青や紫色の平和の国へ行きたい
その国へ行きたい
世の湿気をすべて集めて
光る葉っぱと
最高潮の花で返してくれる
良き繰り返しの愛を学ぶために
水底の陰の明るい
希望の国へ行きたい
まだ いくつかの掌を広げているけれど
遠くないうちに
丸く丸くあなたを包み上げる
夢を実らせながら
背伸びして眺める
そのあたりの目つきの涼やかな
水の国へ行きたい

*紫陽花: 韓国語で紫陽花は「水菊」と言い、「水国」と同じ音である。








金ソヨン


秘密の花園


冬の残酷さを忘れることは花たちの特技
文句なく咲いてから散る

花たちに向かって
過ぎた沈黙を責める者はない

愚かな人々が愚かな心配を先立たせる
愚かな季節の愚かな時間

みすぼらしい裸足を草原の上に出して置いたとき
みすぼらしい靴は花瓶になった

自分の姿を想像することは
花たちの特技 限りなく媚態に熱中する

私はかろうじて沈黙する
危うい愛がしばらく止んで 離れられるように

私たちにそっくりなにおいがした
小石たちが騒がしい音を出した






愛と希望の街


私たちは
互いが記憶していたその人であるふりをするために
努力している

雨粒に顔を突き出す
植物になりたかったと言いそうになった時

あなた
生きながら 私は・・・・・生きながら 私は・・・・・
そのような言葉はどうぞ言わないで
死んでいながら

耳が痛い
仮面が実る木があるならば
この瞬間に枝先がだらんと垂れ下がったはずだ
いや、折れたはずだ

事実は
理解しているということを
忘れてはだめ

私たちは
肩で話を聞いてやる人々

近づいて 後ずさりした
雨粒が止まって 広がって 濃くなる
私たちの肩が
染み付くとき

ガラス窓のようだ、お前の肩は・・・
鼓膜があるの? お前の肩は・・・

必要な言葉だろうか
不必要な言葉だろうか
知るすべのないこの言葉は言わないようにする

雨粒の違いについて言うことができる人と向かい合って座っている
雨粒になり 下水溝に流れて行く人になって



※1967年慶北生まれ。1993年「現代詩思想」でデビュー。
詩集『劇に達する』『光の疲労が夜を引き寄せる』『涙という骨』
鷺作文学賞受賞。
2011年現代文学賞候補作。



※2011年7、8月に韓流ブームに対する批判が急に起こりました。
あるテレビ局が過剰に韓国ドラマを放送している、という意見ですが、
思わぬ広がりを見せています。最初につぶやいた俳優が在日の若者を
描いてヒットした映画に出演していただけに真意が未だによく分かりません。

確かに、今の日本には考えなければならないことがいっぱいあり
「偏向報道」はむしろ原発問題をめぐっての方が多いでしょう。
被災地についても気を配り続ける必要があります。
そうした問題をもっと報道して、なら分かりますが、
韓国ドラマやKポップに鉾先を向けるのは間違っています。
さらに、エスカレートして偏狭なナショナリズムをあおるのは
日本を孤立させ、ガラパゴス化を進めるだけです。

日本は過去に朝鮮語・朝鮮文化を弾圧した歴史があり、
その時は今よりずっと朝鮮民族が不快で悔しい思いをしたことを
考えなければなりません。故・金大中大統領が日本文化の一部
解禁を行ったとき韓国では反対も強かったのです。
それが逆に日本にどんどん入ってくるようになったのですから、
韓国が努力しているのです。それを素直に享受する日本人がいて
喜ばしいことです。この流れが政治的緊張の緩和の役割も果たしています。

もちろん韓流ブームはビジネスであり、Kポップなどは日本市場に
適したスターを育て、官民一体となって戦略的に売り出しています。
それは日本のアニメ産業も同様でしょう。日本は文化の官民一体が
弱い部分も見られますが、それが一概に悪いとは言えません。
文化はもっと複雑で長期的、世界的な視座を持つべきものです。
短絡的な排外主義は自国の文化を貧相にさせるだけです。

一方、韓国の芸能界もスターになるのは過酷な競争を勝ち抜いた人だけで、
よくデビューしてから事務所と係争するように待遇も十分とは言えないようです。
日本より率が多い大学卒業生は就職困難や非正規労働者がふえています。
日本でも、世界でもグローバル化の中で、若者が二分化され、
不満が現状改革にもなれば、回帰志向にもなっています。
日本では高度経済成長が終わり、バブル崩壊以降、若者の保守化が
強まっているようです。これは日本政治の構造のまずさに因るところが
大きいでしょう。お門違いの排外主義ではなく、将来をよく考える必要があります。









李珍明(2)


夜、赦せという言葉を聞いた
韓成禮訳


私は、木に縛られていた。森は、黒く獣の唸り声が熱かった。村は、一点の明かりも点していなかった。
急いで抜け出さなければ。体を捻り木を何度も押したけれど、なにが起きても目を覚まさないほど、
ぐっすり眠った鳥が落ちてしまい、慌ててばたばたしている。足の甲に羽根が落ちる。
ああ、驚きだ。やわらかくて暖かい。可哀想に。私のせいだろう。
さあ、また眠りなさい。いい子ね。私は、私を木に縛った者が誰なのか気にしないことにした。
小鳥の驚いた息遣いが落ち着くのを見守りながら、私も眠りたい。

誰だったろう。低くて遅いテンポの声。仄かな香りに包まれ。
静かに消えていく白い裾。優しい歌を残し。誰だったろう。この夜中に。

鳥は眠っているね。私は、たった今どこから逃れたようだ。どこへ行ってきたのだろうか。
寒さまで募り、こうして縛られているのだが、夢を見たのだろうか。
その瞳、清い泉は。泉に屈んで一口掬って飲んだとき、そのおかしな伝言。
赦せ。ああ、それなら。
私がその言葉をはっきりと記憶した瞬間、私は、木の柱からゆっくりと解かれていた。
鳥たちが目を覚まして羽ばたき始めた。森は、曙光に気付き立ち上がる準備をしていた。

顔のなかった怒りよ。獅子のように咆哮していた憤怒よ。
山脈を越えて疾走していた憎しみよ。世の中で最も大きな眼をした恐怖よ。
川水の首をも絞めた暗闇よ。とても白かった絶望よ。私はお前たちの方に行く。
丈夫で強いロープをほどいて。足の甲に羽根を載せ、花を持って。
帰りなさい。優しく沈みなさい。
草原をなびかせる純潔な風になって。風を染める空色の永の魂になって。


※第2回東京ポエトリー・フェスティバル招待作品
※イ・ジンミョン(李珍明) 1955年、韓国ソウル生まれ。生まれて以来、ずっとソウルに住んでいる。
ソウル芸術大学文芸創作科卒業。
1990年、季刊《作家世界》第1回新人文学賞を受賞して文壇デビュー。
出版社民音社に勤め、季刊《世界の文学》の編集などを担当した。
詩集:『夜、赦せという言葉を聞いた』、『家に帰る日を数えて見る』、『ただ一人』、
『立ち起こされた人』など4冊。<一然文学賞>、<抒情詩学作品賞>などを受賞。
<大山文化財団創作基金>、<韓国文化芸術委員会創作基金>などを受ける。
個人的に日本の仏教に関心があり、日本仏教研究所の付設した韓日文化交流アカデミーで日本仏教を勉強し、卒業。





陳恩英

そのはるかに遠い

弘大前*よりマレー地区**がよかった
私の妹ヒヨンイよりエリスがよかった
チョルス***よりポールがよかった
国語辞典より世界大百科がいい
娘さんたちの香水より唐国の硯に磨られた墨の匂いがいい
科学者の天王星より詩人たちの月がいい

はるか遠くにいるので ここから

海苔がぱらついたせんべい菓子より黄色いマカロンがよかった
もっと遠くにいるから
家族から、幼い日の夕べの鞭打ちから

エリュアールより朴ノヘ****がよかった
もっと遠くにいるから
私の傷口から

鉛筆よりハンマーがいい、消しゴムより十字ねじ釘
聖書より仏典がいい
少女たちが老人よりいい

もっと遠くにいるから

私の机から
怒りから
私から

あなたの歌がよかった
はるか遠くにいるから

喜びから、沈黙から、歌から

革命が、哲学がよかった
はるか遠くにいるから

家から、羽毛の雲から、心臓の中の黒い石から


*ソウルにある弘益大学の前。若者たちが多く集まり賑わうところ。
**フランスのリヨンにある地区名
***韓国人に多い男性の名前
****韓国の詩人。民主化運動のとき社会派的な詩を多く発表して注目を受けた。




古い話

昔は 人間が人間を殺したんだって
殺人者は 9つの山を越え 9つの河を渡り
逃げたのであって 殺人者は逃げながら
恨みも落とし
事情も落としたのであって
9つの月が浮かぶ時ごとに 追いかけたものたちは
青い腰をかがめながら 彼が落とした欠片を拾ったんだって

欠片を集め
真白な月に照らしたら
赤いケシの花畑の真ん中に座り込みそうに
みなこぼれる香りに酔い

もう殺人者を忘れ
家に帰ったって

それは古い話
昔 殺人者は勇ましい兵隊たちで殺人の場所を守らせなかった
それは古い話
昔 殺人者は9つの山、野、河を過ぎ
逃げた
白いご飯粒のように散らばりながら逃げた

それは本当に古い話
月光の下の胸のように膨らみ上がりながら つながる明るい丘の上に
国も
法も、崩れた家々も 書かれたこと 無かった昔に



そのまま、パンドラの箱


君の言葉が古いソファーから起き上がり この世で 最も大きい伸びをする日があった
私の言葉がステンレスフライパンで重なり合って 散らばったタマネギのように
希望の香りを放ちながら丸く焼かれた日があった

私たちの言葉が長いまつげを開き 柔らかい 青い小道を見せてくれた日があった
赤いスプリングの首を持った悲しみが 垣根の向こう側に跳び上がった日が
巨大な肉の塊から 油を取り出しながら 滑べた屠殺場の刃のような言葉が
君とわたしがとても曖昧な通りで会い
別れながらやり取りした言葉があった

私は そのまま、
壊れた体の箱から 飛び出して来る
箱に描かれた恐ろしくこっけいな 緑色の顔つきの最後の幽霊にでもなったなら
どんな時でも どんな所でも 隠せない


※チン・ウニョン 1970年大田生まれ。「文学と社会」でデビュー。
詩集『7つの単語になった辞典』『私たちは毎日毎日』など。
2011年現代文学賞受賞。
※グローバル化で価値観や流行がめまぐるしく変わる韓国で、
歴史的で伝統的な文物をなつかしみながら、肯定と否定が
入り混じり合う感情をうまく表現しています。
「古い話」は日本の植民地時代を書いたとも読めます。





「Asia Poem 光と林」


  抒情の場所
張怡志
(権宅明・佐川亜紀訳)

それは 故郷を懐かしむ*場所でもあります
やせ衰えた年寄りのキツネが
ただれた目で 茨の道をたどり
生まれたところを探していくのは
郷愁 それ以上の心です
母の毛が 兄弟の毛がまだ残っている洞穴
やせ衰えて死んだキツネが そこで身をまるめて横になって
死ぬのは 目覚めないのは
そこが 胎児の眠りにつながっているところだからです
生きるというのが何であるのか まだ分からなくて
この地球上に生きてみようとした
胎児の記憶に戻って
すでに生きてみたから
たとえすべてが答えではなく 「自分」だけの話だろうけれど
その答えを 生きて行くために
キツネは 足がむくむほど歩いたはずです
息を引き取った毛の上に
かすかな光と風の化学が降り注ぎ
それでも忘れられない心が
何があっても 再び会わなければならない
一生の事件と事故に向かって
三原色プリズムの翼を広げるとき
ふと眺めてみた夕方の空の赤い光と
絶え間なく流れる青黒い川
緑色の夢を夢見ている森
情念と悔恨と夢が まだ終ったのではなく
そこに加えられて もっと美しくなる
一生の終わりがあるのを
キツネの心は分かっていたはずです
最後の最期があることを

*故郷を懐かしむ―「首丘初心」キツネは死ぬときにこうべ首を
自分の住んでいた洞穴に向けるという故郷を懐かしむ心を表す
故事をふまえた作品。

※張怡志(ジャン・イ・ジ) 2000年<現代文学>新人推薦でデビュー。
詩集に<安国洞涙の商店>がある。



カムン洞の手紙
鄭君七
(権宅明・佐川亜紀訳)

低く伏せた家と家を通り 懐を縮めた入り江に
錨を下ろした船たちが濡れた身を干す
黄色い海が波寄せてくるたびに
ゆるくなった体は ぶつかってゆらゆら揺れるけど
古びた封筒のように破れた船たちは
どこかに耳を開けておく

あのように私たちは
遠すぎない感覚が必要なのかも 知れない 
私たちが皮膚を互いにくっつけて生きる間
船の底から染み込んだ赤い錆びのように
積もり積もった痛みがどうしてなかったはずがあろうか
光がすべて抜け出た海の上で
生がより輝く集魚灯のように
乾きながら また濡れる悲しみもまたどうしてなかったはずがあろうか

私たちはどこかが痛いからだろうか
花になったり あるいは獣の悲鳴としてやって来ては
切実に 胸のまわりを撫でるだけで
私たちは またぱちゃっぱちゃっと水の音を出すことはできないだろうか
人間として行き来した道の上の痕跡が傷になる日
あの押し出されていった防波堤が海と通じるように
私は 灯台の下の一隻の船になる
いまになってやっとあなたに耳を開く


※鄭君七(ジョン・クン・チル) 1952年済州道中文生まれ。
1998年<現代詩>の推薦でデビュー。



油断
孫宅洙
(権宅明・佐川亜紀訳)

真昼 広い板の間に横たわり 前後の門を開けていて 
前後の門から 出たり入ったり吹いてくる風に 脇の汗をしずめていて

すっと 一羽の燕が
家を通り抜けた

その白い下腹
私の顔に
触れるばかりに
一瞬
かすめて 行ってしまった
家がしばらく呆気にとられ
それこそ無防備で
前後にぽっかり
あけられてしまった瞬間

燕の下腹のように白く涼しい風が 柴の戸を抜け出ていくのが見えた 
私の体の穴という穴をすべてぱっと開け放して


※孫宅洙(ソン・テク・ス) 1970年全羅南道潭陽生まれ。
1998年韓国日報と国際新聞の新春文芸に詩が当選。
詩集に<虎の足跡>、<木蓮電車>、<木の修辞学>がある。申東Y創作賞。


※韓国の詩誌「Asia Poem」は、日本の詩人とも親しい金光林詩人、権宅明詩人が
出されている翻訳詩誌です。韓国語、中国語、英語、日本語、モンゴル語など
いろいろなアジアの国の詩を各国語で対訳していて意欲的です。
日本では、印刷出版の面からだけでも多言語はコストがかかり難しいのです。
ガラパゴス化の一端が現れていますね。全体的に引きこもりがちで
多言語の需要がないという悪循環になっています。
韓国の詩誌で驚くのは広告があること。この雑誌もロッテリアやビールの宣伝が
カラーで初めに大きく載っています。日本では他の業界の宣伝はまずありません。

「光と林」2011年には、1992年に金光林さんが白石かずこさんに会ったことや
谷川俊太郎さんにインタビューしたことが載っています。
また、韓国を書いた詩、北川冬彦「韓国所見」、草野心平「北漢山」
茨木のり子「隣国語の森」、三好達治「冬の日ー慶州仏国寺畔にて」、
小野十三郎「唐辛子の歌」が対訳されています。









文貞姫

韓国の、文貞姫詩人から日本の地震による犠牲者への励ましの詩

日本よ、寂しがらないで  
 

   ムン・ジョンヒ(文貞姫)詩,ハン・ソンレ(韓成禮)訳


今日、人間の目で
深い涙にくれたあなたを見るに忍びません
しかし今日、あなた以外には
何一つ、他のものは目に入りません

怒った大地が揺らぎ、黒い海水が絶望に向かってうねる時
大自然の前で跡形もなく崩れる人間の生
地球の瞳たちは、大切な生命がなす術もなく押し流されるのを
ただぼう然と、目撃するしかありませんでした

しかしすぐに、ひどく驚きました
あなたの節制と毅然とした姿を見て
私は姿勢を正し、座りなおしました
苦痛を呑み込むように堪え、悲しみや嘆きを控えるあなたから
今更ながら、しかし忽然と、人間の尊厳さや品格を悟りました
涙を小さく抑え、悲しみも小さく抑えて
結局は自らをとても小さくして、何よりも節度を守り
謙虚な人間同士の愛の奇跡を
あなたは世界に示してくれました
それで悲劇の代わりに、そこには意外にも
感動が湧き出していました
残酷な津波や放射線、その如何なるものも
人間の希望を根こそぎ奪い取ることはできないということを
人の目に見せてくれました

去る世界大戦の終りの頃、原爆が襲った日本の廃墟から
感激的な声で、命の永遠を証言した
蝉の鳴き声を、今また鮮明に思い出します
自らの唇で、先ず他人を愛する真の命と命の愛
真実に強き者のみが見せることのできる配慮と節制
冬鳥のような克己と忍耐の前で
私たちは今、喉を震わせ、心から祈っています

日本人よ、地球という母の懐に共に住む
貴い命、あなたが苦痛であれば、全地球も苦痛を受けます
日本よ、悲しみのあなたに、今日は一番輝く椅子に座ってほしいです
どうぞ寂しがらないで
あなたは、決して倒れなかった
あなたは、すでに新しく立ち上がっているのですから


※ムンジョンヒ 1947年全羅南道宝城生まれ。東国大学国文科大学院卒業。
文学博士。1969年「月刊文学」新人賞受賞で登壇。詩集『男のために』
『来て、偽の愛よ』はじめ30冊余りの著書がある。
1976年現代文学賞、1996年金素月文学賞受賞。
1995年にアメリカ、アイオワ大学のインターナショナル・ライターズ・プログラム修了。

※韓国では、日本の歴史教科書問題で失望も大きかったようですが、
「地球という母の懐に共に住む」人々として強く励まして下さっています。







鄭浩承(2)

中央日報2011年3月17日付

生と死の境に立っても列を作るあなた達
―その愛と配慮が、日本を再び立ち上がらせるだろう
チョン・ホスン( 鄭浩承)詩人から日本人へのメッセージ


日本よ、どうか泣かないで!
チョン・ホスン(鄭浩承)ハン・ソンレ(韓成禮)訳

日本よ、どうか泣かないでください

日本よ、どうか立ち上がってください
地震で崩れた地にも花は咲き
津波で決壊した海岸にもカモメは飛びます
2011年3月11日、仙台の東の海
その巨大な地震の波濤
怖ろしいスピードで海岸を呑み込み、町を呑み込み
自動車や汽車をオモチャのように呑み込み、原発を爆発させた
私の愛する父と母
慕わしい友達と兄弟達
その数万名の崇高な命まで一瞬に呑み込んでしまった
大地震の波濤の前で
桜咲く日本の春は忽然と消え去ったけれども
ああ!その黒い津波の中に音もなく東京の春は消え去ったけれども
日本よ、あなたはどうか泣かないでください
日本よ、あなたはどうか立ち上がってください
今、世界があなたと共に涙しています
今、人類があなたの涙を拭おうとしています
これは、日本の災難でなく地球の災難
これは、日本の不幸でなく世界の不幸
今こそ、失ったものより残されたものを考えるときです
国家のつまずきの石を国民の踏み台として
本当の日本の力を見せるときです
我らが一番恐れるべきは、恐ろしさそのものなので
どうか、恐れないでください
どうか、不幸であるとも思わないでください
運命を愛するとき、すでに不幸は消え去っていくので
今、宇宙の大きさを考えてみてください
宇宙の中で地球は、どれほど小さな存在でしょうか
神は、時々人間にパンの代わりに石を投げるけれども
神も、ある者の不幸の前ではあっけに取られるときがあるので
神は、他のもう一つのドアを開けておかずにはドアを閉めないので
けっして希望を捨てないでください
日本は淋しくはないでしょう
日本の忍耐心は、人類の忍耐心です
生と死の境に立っても
秩序を守り、互いを配慮する姿は偉大です
崩れ落ちた道路でも信号を守って道を渡るあなたの姿は美しいです
一本のペットボトルの水をもらうために数百メートルも並ぶあなたも素晴らしいです
あなたの落ち着きと秩序
あなたのその愛と配慮の心が
必ず日本を立ち上がらせるだろうから
ビルの上に乗り上げた旅客船が再び碧い海に出港し
爆発した原発が、また安全に電力を供給し
あなたは地下鉄に乗って、再び日常を楽しみながら出勤できるだろうから
日本列島よ、どうか泣かないでください
日本列島よ、希望の力で立ち上がり
再び国民の心と心を一つに繋げて
平和の新幹線を走らせてください


※チョン・ホスン(鄭浩承) 一九五〇年、慶尚北道大邱生まれ。慶煕大学校国文科と同大学院卒業。
一九七二年、《韓国日報》新春文芸に童詩、一九七三年、《大韓日報》新春文芸に詩、一九八二年、
《朝鮮日報》新春文芸に短編小説が当選して文壇にデビューした。
詩集に『悲しみが喜びに』『ソウルのイエス』『夜明けの手紙』『星はあたたかい』
『愛してから死んでしまえ』『さびしいから人間だ』『涙が出れば汽車に乗れ』
『この短い時間の間』『抱擁』などがあり、
二〇〇八年に日本語詩集『ソウルのイエス』が宮崎の本多企画から出刊された。
その外にも大人のための童話集『甕』『恋人』『比目魚』などの多数の散文集がある。
   二〇〇六年度に出刊された『私の人生に力になった一言』は、現在もミリオンセラーを記録している。
     韓国で最も愛される詩人であり、詩集、童話、小説、散文など大部分の著書がベストセラーに上がった。
 素月詩文学賞,東西文学賞,鄭芝溶文学賞,片雲文学賞,カトリック文学賞などを受賞した。

※鄭浩承詩人の温かくイメージ豊かな励ましに力づけられます。



高銀メッセージ




【中央日報2011年3月16日付】 歴代最悪の大地震により、日本が甚だしい苦痛を被っている。
優れた言語の感受性と直観で歴史と現実、人間などを詠ってきた高銀詩人が日本人に
伝える慰労の手紙を本社に送ってきた。

コ・ウン(高銀)詩人から日本人へのメッセージ

仙台の端正な風光−日本のその節度のある顔−どうか絶望から希望に咲いてください
コ・ウン(高銀) ハン・ソンレ(韓成禮)訳


他人の苦痛は風景ではない。四日目、五日目、ライブの画像から目が離せない。書斎の
仕事の手もすっかり止めてしまった。焼酎一杯も不真面目に思え、水だけを飲む。
自分の事のように心が痛む。
ハイチ、ニュージーランドの大地震がつい先日のことなのに、隣国日本のあの極限の
災難の前では、なす術もなく驚愕し哀れみの情を催す。
日本の端正な風景が思い浮かぶ。日本の親しい知人たちのその節度ある顔が一人一人思
い浮ぶ。関東大震災(1923年)、阪神大震災(1995年)も、遡って思い出される。その果て
に、災難の一つの現場である仙台一帯も思い浮かぶ。何年か前、韓日文化交流のある現
地視察計画について行き、仙台のあちこちで泊まったことがある。決して飾り気のない、
その港の風景が鮮やかに目に浮かぶ。静粛な公園の奥に中国の作家である魯迅の銅像も
魯迅の留学時代とともに思い出される。
直ぐに、東北大学の教授たちの安危も心配せざるを得ない。このような私的な感傷を越
えて、今日本全体がかかえている苦痛について、もしかしたらこの苦痛は、人類のある
苦痛を分担しているのでは、といる考えに至ったりもする。
地球という惑星は、人類生存の絶対空間である。地球を母と言うのもそのためである。
しかし、地球そのものも一つの宇宙的生命体ならば、地震という活動は当たり前のこと
である。このような当然の現実の上に、人類の場所としたのは、人類の宿命である。そ
れゆえ、このような場所に自分の生と文明を営為する人類の今日も、数千年前から存在
してきた地球のプレート構造の断層と断層が反対に動くことには、不可逆である。
人間にとって、地球の地上ほど頼れるところがどこにあるだろう。地球の生命体がその
単細胞の時期の海から陸地に這い上がって以来、地上のすべての生物が明滅する地球史
こそ地上での絶対条件が創り出した産物ではないだろうか。人類は、このような根源と
しての不安の上に、穴居時代以来の文明を成し遂げてきた。人類が自然から独立する自
分の文明を成し遂げてきたといくら言い張ってみても、結局自然の一部という事実から
抜けることが出来ない。
自然は、赤ん坊を抱いて世話する母親のように、人間を非常に大切に保護してはくれない。
母ではあるが、実に架空の母親でもある。人々はよくいたずらに自然帰依を口にするが、
自然の暴力や野蛮は人間のそれを超越する。天地が不仁という古言は、ただ残っている
のではない。
日本は古来から地震の領域の中で、もしかして地震を自分の歴史の土台にしているのかも
知れない。地球そのものが一日に7,000回あまりの大小の地震を繰り返している間、特に
日本の地震の体験はほとんど周期的でありさえする。日本の地震と台風こそ、日本の美徳
である忍耐と結束の価値を生の遺産にしているのだろう。
今回の東日本大地震は、日本の現代史において敗戦以降、最悪の出来事のはずである。
しかし、必ずこれを一つの原点に据えて、新しい日本が実現されることを私は信じる。
数万に至る犠牲になられた故人達のご冥福を祈る。そして日本の方々の絶望が希望に変わる
今日を讃嘆する。


※コ・ウン(高銀) 一九三三年、全羅北道群山生まれ。一九五八年、『現代文学』に詩が推薦され、
作品活動開始。一九五二年に出家して、一〇年間仏教の僧侶だったが、一九六二年に俗人に戻り、
本格的に詩人と在野活動家として活動した。
一九六〇年、詩集『彼岸感性』を始めとして、『浜辺の韻文集』『ムニ村に行って』、『復活』、
『済州道』、『祖国の星』、『詩よ、飛んでゆけ』、『白頭山』、『万人譜』、『独島』、
『虚空』など二〇冊を越える詩集と、小説や評論など総一五〇冊余りの著書があり、英語、独語、
仏語、日本語など、多くの国で翻訳出版された。行動する文人として「韓国民族芸術人総連合」
初代議長、「民族文学作家会議」議長などを引き受け、アメリカのハーバード大、イェンチン・
スクールとバークレー大で韓国文学と詩を講義し、現在はソウル大学校で講義している。
韓国では韓国文学作家賞、萬海文学賞、中央文化大賞、大山文学賞、丹斎賞、金冠文化勲章などを、
海外ではカナダのグリーンピン功労賞、ノルウェーの国際文学財ビウェルン賞勲章、スウェーデン
のシカダ賞などを受賞した。

※高銀詩人は日本にいらっしゃったことがあり、被災地への思いやりと、
大きな視点からの希望を与えて下さいました。



●【韓国で老朽原発運転停止要求】韓国の釜山市の住民や環境団体メンバーら97人が
4月12日、市内にある古里原子力発電所1号機の運転停止を求める仮処分を釜山地方
裁判所に申請した。古里1号機は2007年に設計寿命を迎えたが、08年に韓国政府が
稼働延長を決めている。申請では、設計寿命が超えた原発は、事故の危険があるとして、
運転中止を求めた。韓国では稼働停止を求める仮処分申請は初めて。< 聯合ニュース>

●韓国南東部の蔚山市議会は15日、約30キロ南の釜山市にある古里原発の1号機について、
福島第1原発のような事故が起きれば「80万人以上が放射能の危険にさらされる」として
運転中止を求める決議を全会一致で採択した。聯合ニュースが報じた。  
蔚山市周辺で稼働する9基の原発の中で、2007年に設計寿命を迎えた古里原発1号機が
最も古いという。  決議は12年に寿命を迎える別の原発についても、稼働延長計画の撤回
を要求。政府に対して、同市周辺で計画されている原発の新規建設を再検討するよう求めた。
(共同)
●【韓国で反原発集会】<誘致に反対の声 2011年04月05日 06:58 TBSNews
集まった人たちは原発の誘致計画に反対の声を上げています」(記者)
新しい原発の建設候補地に名乗りを上げている、韓国東部沿岸のサムチョク市。
4日、市民団体らおよそ800人が参加した反原発集会が開かれました。
韓国では21基の原発が稼動しています>

<日本福島第1原発から法定基準を超える放射能汚染水1万1500トンが4月4日
夜から海に放流され、放射能汚染が国際問題化している。 4日、第1原発2号機の
取水口近くの海水からは法定基準の500万倍にのぼる放射性ヨード131が検出され、
放射性セシウムも基準の110万倍に達したと、NHKが報じた。 放射性物質が韓国
やロシアなど周辺国の海に拡散する憂慮が深まっている。日本政府は6日午前11時、
外務省で、駐日韓国大使館の関係者を通して韓国政府にのみ別途に放射能汚染水
放出現況を説明することにした。 >(「中央日報電子版」)
チョンマル チェソンハムニダ。本当に申し訳ございません。

<韓国各地で雨が降った7日、福島第一原発事故で放出された放射性物質への懸念から、
ソウル近郊・京畿道(キョンギド)では84の幼稚園と小学校41、中学校1の計126校が
臨時休校した。北東部・江原道(カンウォンド)教育庁は7日、管轄区域内の学校や幼稚園に対し、
体育など野外での授業を見合わせるよう要請した。  また、7日夜のプロ野球4試合も
「降雨のため」中止となった。韓国では、3月末にソウルなどでごく微量の放射性ヨウ素とセシウムが
検出された。その後は、主要メディアが連日、各地の検出量を報道しており、
一般市民も神経質になっている。>
サグアツリムニダ。 お詫び申し上げます。

●東日本大地震の被災にさいし、韓国詩人の方々から安否の心配や激励のメールが届いています。
チンシムロ カムサハムニダ。(3月12日)
※多くの犠牲者のご家族に心から慰めの言葉を送り、 すべての被害が早急に回復されますように、
お祈り申し上げます。 (権宅明詩人)
※いろいろと不便で苦しいことと心配です。状況が困難でもがんばって下さいますようお祈りします。(崔泳美詩人)
(日本の原発事故の深刻さが伝わって、海苔やワカメをいっぱい送って頂きました。チョンマル コマウォヨ。)
※韓国のみんなが支援し、、一番注目しています。
「中央日報」では高銀詩人や鄭浩承詩人がお見舞いの作品や文章を載せています。(韓成禮詩人)

●韓国のさまざまな方が義援金や支援・励ましを行って下さっています。
・韓流スターが義援金に協力。ペ・ヨンジュンさん、チェ・ジウさん、リュ・シウォンさん、イ・ビョンホンさん等。
義援金2日間で20億ウォンを突破。
・韓国救助隊105人宮城県入り。日本で初めて活動。23日まで捜索救助。
・韓国の元従軍慰安婦の「韓国挺身隊問題対策協議会」は3月16日に駐韓日本大使館前で
開かれる予定だった「水曜集会」を東日本大震災の黙祷と追悼の集会に代えた。
1992年開始以来、1995年の阪神大震災で中止以降二回目。
独島守護隊、太平洋戦争被害者補償推進協議会、アジアの平和と歴史教育連帯など
韓国内の18の市民団体も14日に「国境や民族を超えて、この惨事を東アジアの痛みと
して認識し、すべてが立ち上がらなくてはならないときだと共同声明を発表した。
・新宿駅で日本人を助けて犠牲になった李秀賢さんのお父さんが
「韓国人全員が日本人と痛みをともにし、慰めなければいけない」と発言。
・韓国政府は放射能防護マスクや紙オムツを提供。
原子炉の核分裂抑制のために戦略物質であるホウ酸53トンを提供約束。
・韓国政府関係者がネットで日本人を傷つける言葉をひかえるように要望。
・朝鮮日報社が「日本を支援しようキャンペーン」を展開。

※これだけ支援して頂いたのに、日本の教科書の記述が協調的でなかったので、
失望感が生じているようですが、教科書の内容が決まったのはずっと前だったという
理解もあるようです。非常に問題のある教科書は日本でよく考えなければなりません。
(4・1)

●東北6県に1万2千人余りの韓国人が居住し、宮城県では4500人のうち12日段階で約130人と連絡不通。
仙台韓国総領事館は18日、韓国政府は韓国民が福島原発から80KM以遠に退避するよう勧告。
帰国を希望する場合は航空機を用意。主要国と緊密に情報交換すると発表。
韓国人2名の死亡確認(3・20)。ご冥福をお祈り申し上げます。

●10万人の中国朝鮮族の家族も心配。(朝鮮族ニュースから3・12)
日本にいる当事者よりも、より一層緊張している中国朝鮮族の家族たち。
余震が続いている上に東京からわずか160kmしか離れていない福島第一原発
1号機に続き3号機まで爆発、放射線に対する恐れが大きくなっており、
家族の胸はずっと焦げ続けている。
統計によれば、現在、在日中国人は留学生まで含めて総計70万人規模、
そのうち朝鮮族は10万人程度と推算されており、大部分は東京地域に密集しているといわれている。

●3月17日ソウルで反核デモが起こる。「核無き未来、核無き地球」と書かれた傘を広げる。
ドイツ、フランス、台湾、フィリピン、スイスなどでも反核デモが起こる。




金ギョンミ



黒桜

大きくて偉大なことを成し遂げられそうな一日だから

植木鉢に水をやったことを今日の運動だとする
あの遠いサバンナ草原から来た雨と アラスカに似た
白い雲の群れを
今日の観光だとする
粘り強い性格を髪の毛のようにほんのわずか整えたことを
今日の建築だとする

濡れた傘の匂いを青春だとして離れて来たことを
年ごとに一重ずつ丸いフィルム筒を巻く木々が
撮って置いたはずの その写真たち 今来て取り除こうと 白黒の木の葉たち
一枚ずつチマのように持ち上げてみる湿っぽい思い出を
今日の犯罪だとする
すべて取り除いても相変わらず爽やかになれない日と月を
今日の監獄だとする

黄色い模様のハナアヤメを黄ハナアヤメとすることはできなくても
テンナンショウ(天南星)を星だとすることはできなくても

長く泣き終えた目を黒サクランボとすることができなくても

木の葉の中に22歳の濡れた傘を一日中また開いてみる
時遅い後悔を
今日の偉大さだとしよう





世の気配をまた書く  


アンコールワットには未だに行くことができませんでした
あたしのだいだい色の袈裟を着たろうそくの火たち わたくしの息の音にも
消えがちです

ほうきとカーペットに乗り 石榴 石油のように実るペルシア市場には
日毎行きます カスタネットのように歯をかちかち鳴らしながら 戦争が
尻を追ってくるのです

バケツを両腕で高く支え持ち 雲の溶解を待ってから
顔を洗うことができる村
降伏と拝礼の腕 高さが違うのです

密造酒のようなどろどろの土を造って売る砂漠では
口を開けた夕べの雲の中にアカガイたちがまるで薔薇のようで
傷も時には花瓶や額縁に入れるに値すると 書き記して置きました
その村の名が何だったのか

世のすべてのものは みんな造られ みんな壊される
中国店には一ヶ月に一回も行き 二回も行きます
直すべきものはいつもそれより多いのです

か細い百合の花のような飛行機は陸地だけ探すが
地上は水の上の一軒の水上家屋 水の出入りの路地の跡で
いつも足下をばしゃっとする水の気配と
腕に絡まった櫓の跡
ただ水面をかすめる日光の屈折だけなのです


まだ土の上の村々は終わり無きようでもあるのです


* ソウル生まれ。1983年「中央日報」新春文芸でデビュー。
詩集『シュッ、私のセカンドは』『苦痛を慰める手順』
散文集『海、私に来る』『幸せな心理学』などがある。露雀文学賞受賞。
2010年ミダン文学賞候補作。







シン・ヨンモク


危険な書誌


牛に草を食べさせ それが角になる時まで待つ

雲の行軍が長く続けられた
家々は靴下のように玄関を持って

昨日が脱いで置いていった天気のようだった
その家に住む間 分かることは秘密のほかに無かったし 
分からないことはうわさの他無かった―それゆえ沈黙!

鏡から仮面を取り出し かぶり待つ 鏡が皮膚になる時まで

Xマークをつけたマスクをつけ 暦は日ごと昨日の中に連行された、
仮面は影を切り抜き作ったもの
Xマークは嫌疑を立証する証拠なのだから

鏡は数枚のページに移っていく

その家は非常に多い足跡に汚された 雲の左足と右足 
または切り抜きを止めた鼻―それでも沈黙!
開かれる時ごとに玄関は内と外を裏返し

鏡には白い牛が黒い牛に映った
天気が雲の靴下を履いてくるように

牛に草を食べさせ角から花が咲く時まで待つ


※Xマークをつけたマスクとは、沈黙デモなどをするとき、
よくXのマークをつけたマスクをかけることの表現。
すぐ後についてくる「連行」という言葉とつながりますが、
この詩では通常の言葉のつながりをずらしているのが特徴です。
「分かることは秘密のほかに無かった」など逆転した表現も
ありますが、硬い言葉に別の言葉をぶつけてむしろ無化する
ポストモダニズム的表現です。
韓国では〇 X のとき、 X を、カウィ、すなわち鋏と呼びます。





敵国の春


誓いが終わるやいなや花が咲いた 美しいなあ 木ごとに翻る白い旗と旗
空のしわが明るく広がったら
首の下に落ちる黒い影

ぴょんぴょん飛んでも石ころになれなかった雪と 
凍っても土地をついて立ち上がれない川水と
長く研いだが 一層の空を裂くことができなかった

枝が草緑に捕縛されたまま列を作る
美しいなあ すべての決意が星の刃先に目を刺され 
その下 黄色い子供が回して行く風車

それ以上は風の間から綱領を読むことができない 
顔をかすめる一枚ごとに引き裂かれた文章で告げる別れ

ぎゅっと握ってこそ投げられる瞬間が自分と一緒に切り離していった手の指よ 
水を積んで家を建てた季節が行き
手のひらだけ残り 花びらのようにくるっと落下する、
くるくる回るものたちは前進するのか
頭をばんと蹴っては 頭を追って全身がウウウウ走って行き、
またばんと蹴っては追いつき、振り返ってみればもとの場所

前進するものたちはくるくる回るのか
誓いが終わるやいなや花が咲いた
美しいなあ 地球の中心に差し込まれた風車の木々、
ぎっしり骨をえり分けた空で回る




刃先に舌先を当ててみる瞬間


刃先に舌先を当ててみる瞬間
流し台に水が消え
クルルルク水音が数万本の血管に乗って 空中の皮膚に染み込み
柄が折れた刃のように、ふいに

逆に落ちる蛍光灯の光―肋骨を踏んで過ぎていく時間の真白な足裏
二重サッシの向こうがわ 商店街の明かりが
ガムを噛む

そして私たちはここに入れられていると信じる 
こぼれないで生きることがどんなに苦労することなのか
しばらくの間 下水に浮いた顔で
大きく波立っては クルルルク

渦の下から抜け出る体は一バガジの体 
生きることの灯の中に過って溜まる時
まな板の切り傷のように刻まれる 静寂の中に文字が来る 落ち葉は

自殺なのですか 他殺なのですが―誰も答えてくれない 口を開かない現場に強盗のように
柄が折れた刃のように、ふいに 落ちる赤い舌

見てください 静けさが瞬間を刺しています

ここをとても愛しているために
私は殺害する
流し台に水が消えるとき
遠い光が近い光に混ざり めった切りされた瞬間が
自分の死体を空中に散らしておく時


※シン・ヨンモク 1974年 慶南生まれ。2000年「作家世界」新人賞に
「ソンネ洞洋服修繕店のガラスドアの内側」ほか4編が当選して登壇した。
詩集『その風を全部かけなけらばならない』『風の百万番目の奥歯』がある。
詩作文学賞と陵史詩文学賞、若い詩人賞などを受賞した。
上の作品は2010年ミダン文学賞最終候補作。
前回紹介した張錫南さんが受賞者ですが、最終候補作には
他の有名な賞の受賞者、高ヒョンヨル、朴注沢さんなどが挙がっているので
日本と同じように優秀作はいくつかの賞に重なって候補になるようです。




張錫南(2)



裸足で歩くこと


思い出したように雪が降った

雪は点々と路上に体を積み重ね
  私の静寂を重ね描き 時々
風に集まりながら
無言が一枝ずつ覆っていた


ぼくは ぼくの後に足跡が刻み付けられることも
知らずに歩いた

その後 ぼくの
足跡が小さい水の流れを作り
近くの海に出て行き 水流に苦しめられるのか
しばしば 夢うつつに 水音が聞こえて
足が冷たかった


再び 木に芽が出て
ぼくは木に上りたい
何も考えられなかった そして
間違って育った思いの先で花が咲いた
思いの上に刻み付けられた思いが 思いに
消えることも知らずに





古いノートから


そのとき ぼくの胸には
どんなにたくさんの光があったことか 
風が草原をよぎれば
草原のそのざわめきに ぼくは
この世界の外まで
どんなに長く透き通る小川を
作ることができたことか
水の中に浮かぶ そのたくさんの光たち
付いて行き
長い時間を耐えて ここまで下りて来て
今は桜桃が実るころ
そして やっと誰も恋しがらないころ 
その時 ぼくの胸にまた
どんなにたくさんの恋しさが隅々に
狭苦しく生きてきたことか
今は桜桃が実るころ
そして その傍で息をひそめるころ


※チャン・ソクナム 1965年 仁川生まれ。
1987年京郷新聞の新春文芸でデビュー。
代表詩集『鳥たちへの亡命』1991年金スヨン賞受賞
『庭に舟をつなぐ』で1999年現代文学賞受賞。
他に『左胸の下に来た痛み』『濡れた目』
散文集『水の停車場』『水を汲む声』など。
2010年「秋の夕べの言葉」でミダン文学賞受賞




















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