ウォーター

韓国詩のコーナーZ


目次

オ テファン

崔勝鎬

イ ジョンロク

鄭一根(2)

イ ムンジェ

羅喜徳

チェ ジョンレ

李ソンヨン

「詩評」

「詩と思想」9月号
   
朴チョンデ

金宣佑

『日韓「異文化交流」ウオッチング』

呉廷国

高在鐘

延王模

金光林

鄭一根






オ テファン

星々を読む

星々を読むように彼女を読んだね
そうっと点字を読むように彼女を読んだよね
彼女の卵色のうなじや
ゆるい腰あたりやら
ぼくのさしのべる手が行き触れる所ごとに
ああ、鳥肌が立つように星が出て
ああ、身をふるわせながらきらめいたね

星々を読むように彼女を読んだね
白い肌の上に鳥肌のように吹き出た星々
点字を読み下すように
ぼくの指先が長く読んでいたね
そのかすかにきらめく単語の意味を
気がつかなくて本当に悲しい
ぼくの指先が長く読んでいたね

彼女を読むように星を読んだね
彼女を読むように星を読んだね
春川へ行く道の途中 百峰山の背に昇る星々
点字を読むように
かすかな鉛筆線できらめく彼女の
単語の意味さえ分からないのが
悲しくて悲しくて

*オ テファン 1960年ソウル生まれ。
1984年「朝鮮日報」、「韓国日報」新春文芸で登壇。
詩集『手話』など。



崔勝鎬


2002年度現代文学賞受賞

あほ聖人についての記憶


―白痴聖人は聖なる事さえすっかり忘れてしまったあほ聖人。
大痴聖とも呼ばれる。そのあほ聖人と一緒なら我々もちょっと
あほになって、雪を背負って井戸を埋める楽しみを味わえるだ
ろうし、空き地に雪の寺院を建ててその大雄殿に大きな雪だる
まを持ち上げて高く座らせることもできるだろうか?

私の思いの炎ではどうしても焼くことができず
明るくすることもできない
空からシンシンと大雪が降ってきた
分からないことは分からなくていいと
それなら心が少し平和だと
熱い思いの暖炉にもあふれるように大雪が降る
なかなか見られないアパ−トの住人たちが現れ
路地の雪を片付け
私もシャベルを借りにタバコ屋に
行った
世界は一面の銀世界だった
こちらを片付けてみれば
あちらが盛り上がり
けれども雪をあちこち片付けねばならなかった
この行為こそゼロからゼロを盛って
ゼロを埋めることではないのか?
そんな汚れた疑問はあほ聖人には
起こったりはしなかったろう
シャベルを返しに
タバコ屋に行った
路地と
路地でないところが
すべて雪であった
大変なゴミである雪の山
天が私たちに
ゴミを片付けろとあのたくさんの雪を浴びせたというのか?




テレビ

空という無限画面には
雲のドラマ
いつも実時間に生放送で進行されるな
演出者が誰なのかは知らないけど
彼は恥ずかしいのか
全く顔を現さないね
この夏の主人公は
台風ルサではなかったろうか
ルサは碑石と墓を崩して
久しぶりに骨たちは泥山から出てきて
赤い川水に飛び込んだね
不滅に向う絶叫
鳴き声をあげていた熊蝉が消えていき
紅葉が高い山峰から降って来るね
ぼくは天性が無精で
だれともよく交わることができない人間なのか
山が好きな人たちにしかたなく付いて行っても
谷川の川辺でただ一人ぶらぶらしたい
誰が恥も無く捨てたのか
がらんどうの殻だけ残ったテレビが
情けなく傾いた葬式の額縁のように
岩だらけの小川の片隅に詰め込まれているね
がらんと空いたテレビには
絶えず
ひんやりした秋水が流れている


人魚についての想像

地下鉄の良才駅で
マルジュック通り市場の方に
下半身を丸ごとゴム皮で包んだ一人の男が腹ばいではっている
コイン数枚入っている器を
歩道ブロックから歩道ブロックに押して行く
その遅さにいらいらして
苦痛だ
両棲類的想像力から
人魚たちが生まれたと
ぼくは思う
下半身が魚である人魚がいるとするならば
魚の頭に人間の下半身を持った人魚もいる
その二人の人魚が海辺で
結婚式を挙げると想像してみろ
記念写真を撮ってもその夫婦ほど
グロテスクな孤独があるだろうか


*チェスンホ(1954年生まれ)は今最も注目されている詩人。
金スヨン文学賞、イサン文学賞、現代文学賞など多数受賞。
「テレビ」は2003年度ミダン文学賞受賞。
詩集『告解白書』『大雪注意報』など多数。
崔勝鎬の詩は幅広い主題と書き方で、文明批判・風刺もあれば
抒情的でもあり、飄々としていて独創的な感性です。






イ ジョンロク

切手
佐川亜紀訳

切手の裏面は
凍りついた湖のようだ
縁にそって氷穴まで空けておいた

唾でもぬれば
熱い肌にくっつくことまで
切手はべとべと氷板に似ている

切手を見ればいつでも
まるで舌苔でも立つようにあなたがよみがえり
過去数十年の冬を渡って行きたい
燃え上がった火炎の記憶に唐辛子みそを付けて
ああ、あなたの口をのぞきたい

手紙封筒を吹くと、遠くから
氷が砕ける音やら わかさぎがはねる音がのぼってくる
不眠のきつつきが私の肋骨の上に彫った穴たち
その暗い郵便ポストに返事を入れてくれ

あの氷の切手が春に行くように
ぼくの境界も便りを夢みる
切手の囲いわかさぎの卵のように小さな穴も
半分に割れながら完全な一枚の切手になる

切手の裏面に舌を当てる
唇と切手が分かち合う美しい密通
キスのふるえが瀬戸物のようにひりひりする

あなたが氷板の内に閉じ込められている限り
もどかしさ満ちる舌、その舌先に
声を整えるぼくがいる

*1964年生まれ。1993年東亜日報新春文芸で登壇。
詩集『虫の巣は遥か遠く』『青りんごのしわ肌』『すみれの宿』
金スヨン文学賞、金ダルジン文学賞受賞。






鄭一根(2)

2004年度金素月文学賞受賞作品

丸い、母のお膳

角張ったお膳を見るたびに母のお膳が恋しい
故郷の空に浮かぶ中秋の満月のように
月が上れば咲いてくる月見草のように
母のお膳は母が咲かせた愛の花畑
私の花畑に座る人だれもが大事だ
家族が集まる日になると必ず母が広げたお膳
丸く丸くつばめのひなのように座り
幼かった時代に帰ったようにおさじを高く持ち上げて
すべて等しく分けられる肉のおかず
いい子にしてもらって食べたい
世間のお膳は弱肉強食
一食のごはんをせしめるために
またはその地位を守るために、私達は
もう鋭い足指の爪を持つ獣に変わってしまった
お膳からはみ出ると崖から突き落とすかのように
私は長い間ハイエナのようにさすらった
獣のように腐った肉を食べたりもして、私が生きるために
人様の食卓をひっくり返してしまった時もあった
今は帰って母の丸いお膳に座りたい
母にとって農民の集いはみんなを大事に思う愛
尊く誠の分け合いなのだと教える
母のお膳にチチと楽しいつばめの雛として座り
母の愛を皆で一緒に分け合って食べたい

*韓国では昔、農民たちが同じ大きな食卓を囲む風習が
あったそうです。食事時には誰でも食べさせてもらえ、助
け合い・分け合う心がありました。大勢のご飯を作る母達
はたいへんだったでしょう。現代は、孤食とも言われてい
ますが、愛情に満ちた故郷が伝わってきます。
作者・鄭一根については(1)をご覧ください。









イ ムンジェ

2003年度素月文学賞受賞作品

地球の秋
佐川亜紀訳

この食べ物がどこから来たのか
私は何もしていないのに恵まれるのが恥ずかしい
心のあらゆる欲を捨てて
体を支える薬と思って
悟りを得ようと捧げ頂く

この食べ物がどこから来たのかは
私の理解を超えていて思うこともできない
心の目を開いて悟れば悟るほど
このすばらしい食べ物が
体を支える毒として見えます

一日三回 食卓に向かうたびに
私の体の中に入ってたまる
人間の成分を推測してみるけれど
母なる地球があえて私達人間だけを
偏愛する理由はどこにもありません

宇宙を食べて育った米一粒が
私の体を経て再び宇宙に還る
とても大きい円が見えます
私の体と心がきれいであってこそ
あの米一粒も元の場所に戻るはずなのに

あの巨大な循環が私の体に入ってきて
ぶつぶつ切れています
心のすべての欲を捨てるとしても
この食べ物をもって得た悟りは
決して真の悟りではありません


※ 韓国でも環境汚染問題・人間文明の弊害が深刻
になっていますが、自然の「巨大な循環」の中の人間
という考え方がまだ残っているようです。この詩はとて
も謙虚な姿勢で、人間のやっていることに強い危機感
罪悪感を抱いていて感心します。金芝河も最近は宇宙
のリズムに合わせた朝鮮古来の生き方を提唱していま
す。
イ ムンジュ・・・1959年生まれ。1982年『詩運動』で
登壇。詩集『僕のぬれた靴を陽にさらす時』『散策詩評』
『心の奥地』など。金ダルジン文学賞、『詩と詩学』新人
賞受賞。


 ★★お勧めの本・『韓国の手仕事』(田代俊一郎著)★★

 韓国の将棋・チャンギマル、福をかき集める正月の竹細工
・ポクチョリ、世界でも珍しい伝統釣り具・キョンジ、夏の夜の
涼しい抱き枕竹夫人・チュクブイン、二分でできるシュロの葉
っぱのバッタなどとてもおもしろい手仕事を30紹介している。
作品も韓国独特の味わいがあるが、作る匠その人もユニー
ク。人生を自分の手で編んでいる人もいて興味深い。分かり
やすい文章で韓国に行って実際に手仕事を見たくなります。
韓国観光公社の矢野香織さんも情報収集に協力。
(晩聲社・1600円)

 ★★お勧めの本・『朝鮮の歴史が分かる100章』★★

 「第1章朝鮮半島の人類登場」から「第100章無惨に踏みに
じられた民主化の夢ー光州民衆闘争(1980年)」まで、細かい
各章ごとのテーマ別に簡潔に要点と事実を押さえ読みやすく
充実した便利な一冊。朝鮮半島の理解に必読の書。
(朴ウン鳳著、文純實、姜明姫訳、明石書店2800円)




羅喜徳

2003年現代文学賞受賞作品

乾いた魚のように
佐川亜紀訳

闇の中であなたはつかの間だけ一緒にいようとした
愛なのかもしれない、と思ったけれど
あなたの体が手にふれた瞬間
それが不安のためだということが分かった
あなたはすっかり乾ききった泉の底に横たわった魚のように
力をふりしぼってぴちぴちしていた、私は
凍って死なないために体をこすらねばならないように
あなたをぬらすためにしきりに唾を吐いた
あなたのうろこが闇の中で一瞬輝いた
でもわたしの不安をあなたが知るはずがない
外が少しずつ明るくなってくることが、
光が水のように
流れ入ってきて闇をぬらしてしまうことが不安だった私は
しきりに唾を吐いた、あなたの弱ったうろこの上に

とても長く時がたって
私は古いお膳の上に置かれた乾いたウグイ(石斑魚)を見た
ウグイを見たことはその時が初めてだったが私はあなたを一目で分かった
そのウグイは冬の夜 南大川上流の氷の上に釣り人が座って捕まえたものだそうだ
しかし ひれはへし折られて その輝く目もうろこもすっかりひからびてゆく
古いお膳の上で冬の日差しを受けている乾いたウグイたちには言葉が無い

*羅喜徳(ナヒドク)1966年忠南市ノンサン生まれ。「忠アン日報」新春文芸で登壇。
詩集に『根に』『その言葉は葉を色づけた』『それは遠くない』『暗くなるもの』など。
金スヨン賞受賞。


チェ ジョンレ

パン屋が5軒ある村
佐川亜紀訳

私の村にはパン屋が5軒ある
パリバケット、エムマ、
金チャングンベイカリー、新羅堂、ツレジュール

パリバケットではクーポンをくれ
エンマは看板が大きく
金チャングンベイカリーでは売り物の
できたパンを残らずおまけとしてくれ
新羅堂は長く店をやっていて
ツレジュールは親切の度が過ぎる

そして
私はパリバケットに行き
思わずエンマにも行く
美容院の香りが嫌いで早く通り過ぎると
金チャングンベイカリーが現れる
私が貧しかったとき
学校の給食でとうもろこしパンをくれたとき
新羅堂に行き
何気なくツレジュールの店に行く
ごはんを食べるのが嫌いでパンで生きている
子どもたちも
簡単なパンを食べるそうだ

私たちの村には教会が6つ
兄ちゃんは高3の娘のために暁教会に通い
ユンフェおかあちゃんは病気で福音教会に行き
ウンヨンイは聖歌隊の指揮者で週末はいない
君は何を信じて教会に行かないのかと
牧師様のお言葉が
私の耳にテープで回っている

私たちの村には パン屋が5つ
教会が6つ 美容院が7つ
人々は走って歩いて
だれでもみんなパーマや染髪をして
商店街の入口では永生の伝道地を回る
列ごとに肉屋があって
巻きずし屋があって
2軒歩いてパン屋の香りがして
これじゃ 生きないわけにはいかない
そうだ
生きるっきゃない

*チェ ジョンレ・・・・1955年生まれ。1990年「現代詩学」にて登壇。
詩集「私の耳の中の大きな森」

イ ムンジェ

チベット旅行案内書
佐川亜紀訳

行っていないところはすべて未来
その日会えなかったその人も
読めないその本の数ページも
昔ではない
時間と空間は尽きない
私の過ぎて行く未来、チベット
人跡無い深い山中に氷が凍る時
氷は 氷の中に 氷の中で
シャングリラという発音のように
シャングリラ久しい透明な硬さが
内蔵している深い声
私の久しい未来 シャングリラ

チベット ヒマラヤ パミール
誰も知らない呪文のように遠く
アンナプルナ山やカンチェンチュン シシャ
祈祷のように霜が降りてつぶやく

心のふるえがアルパパで変わって
名づけるのは難しいこの平地からの幾年間
私の生涯がチョンサン北路を上っていく
私の前にある

※“シャングリラ”はヒマラヤのどこかにある理想郷
*イ・ムンジェ 1959年慶畿道生まれ。1982年「詩運動」で登壇。
詩集『ぼくのぬれた靴を脱いで太陽に見せる時』、『散策詩篇』
   『心の奥地』など。キム ダルジン文学賞受賞。


李ソンヨン

stump
佐川亜紀訳

英語の本を開いたら 短く丸丸とした単語が一つはね出した

stump
(stΛmp)
stum-p ストン−プ
(鉛筆なんかの)使い残ってちびたやつ
(たばこの吸殻の)端っこ
(手や足の)切られて残った部分
木の切り株
up a stump:微動だにできないようになって苦しいはめに陥る

君はstump?
英語の本の中でstumpが話しかけてきた
ううん、私はstumpじゃない。私はstumpになりたくないよ。
君はstump?
・・・・・・・・・私はstump
私はでこぼこごつごつした切り株だけ残ったstumpy road
私の中を通るのは大変なの?
この道はみんなのために平らにされた楽な道でも愉快な道でもなく
けれども必ずここを通って行く人たちがいて
木々はいつすべて切り取られていったのか?
歳月は過ぎて私の内にはところどころ切り株だけ増えてきて
木がにょっきり立っていた席
その木が切り取られてしまった跡

英語の本を開いたら私にjumpしてきた単語、stump!

*1964年ソウル生まれ。詩集に『5、かわいそうな石鹸箱たち』
『文字の中に私をしわくちゃにして入れる』『平凡に捧げる』など。
最近の韓国の詩には、日本と同様、英語がよくでてきます。ポップ
スの題名やグループ名も英語ばやり。李ソンヨンはそうした英語に
ついて意識した詩を書いています。


 「詩評」

音楽
ウエイン クウン テイエウ(ベトナム)

曲げられた葬式の角笛は私のもの
皮にしわが寄った太鼓は私のもの
後ろの板がしなる耳かけバイオリンは私のもの
楽器たちの魔法の音楽は遥か響きわたる
母よ 私は後ろで笑っていらっしゃる祖母を見ます

霊柩車は私の太鼓の中へ転がって入ってきて
黄色い龍は角笛と太鼓の音の中に飛んできます
私は爪先の足取りで足音を消しながら花の中に入って
見えない何かが私の中に入ってきます

私はその葬式の太鼓の中に隠れたいです
私はその温かい灰としておおいたいです
今 私は祖母の絹衣を着て
海と天 犬 ろうそくの火を囲んでいるものを見ます
おばあさんは雨水を水差しに流し注いでいます
おばあさんは私が入ってくるのを待っています

華麗な霊柩車は私のおもちゃ 私はあそびを失ってしまいます
おかあさん 私の笑い声が聞こえますか?
孤独と私はやることが多い子供です
私たちは霊柩車の屋根の下で休んでいます
私たちは葬式の旗の下を飛びます
私たちは故郷の丘に飛んで行きます
私が黄色いシャツを着ることができること
そして 杖の木の木の葉の上で踊れること
けれど おかあさん そこで 私の顔をどのように洗い清めましょう

私は、角笛と、太鼓と
私のすすり泣きで作ったバイオリンを愛します
その楽器たちは 彼らの悲しみと彼らの苦労を終え
私を愛します
私から自ずと出る音楽、私を故郷の土に連れていく綱
必ずその花の道で
私の顔を洗わせるために あなたが待っている家へと

*韓国の詩誌「詩評」は、韓国、中国、台湾、ベトナム、日本の詩を掲載し、
アジア的規模で詩の交流を図って行こうとする画期的なものです。日本
では、あまり読めないベトナムの詩をご紹介しました。ウエイン クウン
 テイエウ 1957年生まれ<Van nhge Weekly>の編集者。『旅人たちは
川水を持ってくるよ』にてアメリカ国立翻訳協会賞受賞。詩集『緑色時代』
『朽ち果てることなき花火』など。

再び飛仙台
―故李聖善詩人に
高炯烈

飛仙台に行けば
生き生きした水の光のように道端に立っている立ち木一本

まだ愛する恋しいものがあって
その飛仙台の夢の道を探すだけ
薄暗い夕べ山の端の黄金光線に遊ぶ

いくらかよく生きたかどうか
何を書きながら来たのか恥じらい暗闇でそっとこするしかないのか
赤紫色の立ち木一本だけ
思い出せないままぼくのことではなく あの寂しさを
風で書くのか

今あの深く遠い山中に
おまえたちの明るい火の色 音が消され
飛仙台の水音だけ
暁の石原を這った私たちは昔の歌のようにひりひり痛んで
夕べの山'水石’

まだ乙女の一本の立ち木
私達の一生があのように苦労する銀色の老い
立ち木
愛することができるだろうか あの山を越えることができるだろうか
顔の無い立ち木 飛仙台の水辺に身を隠す

*コウヒョンニョル1954年生まれ。「詩評」編集長。「創作と批評」の編集
委員でもあった。詩集『大青峰 すいか畑』など。


「詩と思想」9月号




「詩と思想」2002年9月号の特集は「とっておき韓国現代詩」。
早稲田大学の金應教さんへのインタビューでは、去年の米多発
テロとアフガン攻撃に対して、韓国の詩人たちがアメリカの報復
攻撃を非難する声名を出したなど、ホットな話題がいっぱい。
韓国現代詩アンソロジーでは、中堅5人、若手5人の優れた詩を
権宅明さんと韓成禮さんの翻訳で紹介。

森は星の記憶を持っている  
李起哲(権宅明訳)

森がなかったならば煙を立ち去らせ独り残った家々が
もっと淋しかったはずだ
まだ星の記憶があってふさわしく揺れる木々と森
村の匙と箸の音が聞こえる間
森は鳥たちを呼び寄せ
草々の夕食の音を聞きながら
木々は眠りにつく
一度根を下ろしたところが一生涯になる木々
一度も外に出てみたことがなくても木々は淋しくない
昨年の種を立ち去らせ今年の種を実らせるまで
彼らはどれほど慎ましい生を運んで来たものか
晴天の日実たちが日差しのご飯で食事をする音
風が谷いっぱいに閉められた山の扉を開く音
緑が道を引っ張って山の上に登っていく音
木々が自分たちを起こしながら喜んでいる音
春でなければ誰が森の衣を着替えさせるだろう
雨で髪を洗い雪で布団をかけていた森を、
川水が空に出す便りを聞き
葉っぱたちはいっせいに言葉になる
いっぺんに緑になってはいっぺんにオレンジ色になる
木々の心が今や分かりそうだ
森が夢見る遥かな星の記憶を

★個性的なエッセーも多数。「読みなおされる白石詩」李美子
  「朝霧のようなプロメテウスのような」萩ルイ子
  「統一世代の新しい『宴』の始まり」趙南哲
  「韓国の詩のインターネット・ホーム・ページ」高貞愛
  「韓国の詩人との交流」飯嶋武太郎
  「尚火詩人と大邸詩壇」南邦和
  「孤高と関係性ー尹恵昇と金光圭」森田進
  「ふるさとふたつ」みくも年子 「仁寺洞で」神谷鮎美
  「尹東柱について」上野潤


朴チョンデ

さくらんぼう
佐川亜紀訳

空の警戒線を越えて
隕石のようにさくらんぼうたちが落ちてくる
あれらは生まれて一生を持ちこたえ
最後にどこに行こうとするのだろうか
一点の血の雫を結ぶ
亡命点. 北半球の六月

記憶もない生涯

あのむこうに
沈む それは なに
熱血漢にだってなれる陽
血のように真っ赤に
さくらんぼうが落ちる

理解されない
泣き声の塊の生



音楽
佐川亜紀訳

あなたを抱きしめて眠る夜があった。窓の外に雪が降り、その
白い帆船に乗って夜のとても遠い所へ進めば、ぼくの青春の激
しい熱に触れる。サンツンバン道が見える所へ、ぼくと君は一つ
の葉の不滅、二つの葉の不滅、三つの葉の愛とぼくの葉のキス
で生きた。愛が失われてしまった者たちのうら寂しい野原に一晩
中、冬の夜、馬を駆る音。誰も侵犯することができないぼくの小さ
な国の窓を開ければ、その時まで軒の端のつららからぶら下がっ
ている雫の音楽たち。今なお朝は遠く、昼と夕はさらに一層遠方
に。誰かがねぎの茎のようにサクサク降りしきる雪を刻みながら、
静かに米をすすぎ、しかける明け方。ぼくの青春の激しい熱に今
も音楽のように雪が降る。

*朴チョンデ 1965年生まれ。1990年「文学思想」誌でデビュー。
詩集に『断片たち』『ぼくの青春の熱に今でも音楽のように雪が
降る』など。2002年現代文学賞候補。


金宣佑

1970年生まれの、人気の女性詩人

水の中の女たち
佐川亜紀訳

晩春 貯水池の土手の上に座って
水の中を長くのぞいて見れば
そこにどんな宴が開かれているのか
太鼓の音 銅鑼の音 肩をゆらして
わいわいさわぎたてる

巫女が鈴を振って水門を開く
蒸し餅を作っている閔氏皇后が見える
雲が降りて来てむしろを広げる
詩を書いている黄真伊の髪を結い上げかんざしを挿した頭
髪の分け目の上を白い鳥が飛び風が吹いてくる
許蘭雪軒が幼い息子と娘のために願い事を書いた紙を燃やす
ふと目に入った柿の木を見ます
梢に引っかかり翻る蝶の形をした凧
黄真伊がすっぽりと頭からかぶる着物をまとう
二人の女が向き合ってハハハと笑う
閔氏皇后が赤い石榴を差し出す
石榴粒の中味を少し食べながら
三人の女が顔をしかめてハハハと苦笑いをする
こみあげほとばしる涙
この世を一人歩き回って来た女たちが
楽器を激しく打ち 願い事を書いた紙が舞い散る
カササギの餌が散らばるように狂って
酒杯の中に一つの空が千年をさまよう

水の中にどんな宴が開かれているのか
母の口の中にちしゃの葉にご飯を包んで差し上げるうちに
貯水池の春の日のたわむれは更けてゆく

*閔氏皇后(ミョン・ソンファンフ1851-95)李氏朝鮮の実権者。
 1866年、高宗・李大王妃となり、大院君を引退させて1973年
 実権を掌握。日清戦争後、閔氏虐殺事件で日本公使により
 殺された。
*黄真伊(ファン・ジンイ1516-?)李朝中期に庶民の子として生
 まれた名妓で、優れた時調や漢詩を多く残した。
*許蘭雪軒(ホ・ランソルホン1563-89)李朝中期の有名な女性
 詩人。女性の孤独や寂寥を美しい詩として多数表した。
 「哭子」という詩に「去年喪愛女 今年喪愛子」(去年に失いし
 娘と 今年他界せし息子)とある。
 参考文献:『朝鮮古典文学入門』張徳順著
        『朝鮮文学史』卞宰沫著


金宣佑(キム・ソヌ)1970年江原道生まれ。1996年「創作と批評」に
「大関嶺の昔の道」など10編を発表して登壇。2000年詩集『もし私の
舌が口の中に閉じこもっているのを拒否したら』。2001年大山(デサン)
文化財団文化創作基金を受ける。現在「詩の力」同人






『日韓「異文化交流」ウオッチング』






石坂浩一編で社会評論社から「いま、韓国人は日本人をどう
眺めているのか?」が生の声でリアルに分かる本がでまし
た。最近、ワールドカップを目前にして交流がさかんですが、
ほんとのところ、日本嫌いの韓国人の見方は変わったので
しょうか?石坂浩一氏は既成観念にとらわれず双方向の新
しい関係を築くことをめざしていらっしゃいます。「韓国人が日
本とのパートナーシップを模索しようとしていることを伝えたか
った」と書いておられます。。野党のリーダー、高校生、公務
員、
注目の日本論、アーテイスト、環境運動などなど多彩に歴
的にかつ現実的なおもしろい意見がいっぱい。わたしも韓
詩人との交流を書かせて頂きました。ぜひご一読下さい。
(社会評論社・2000円+税)



呉廷国
一冊の本、あるいはアパート
佐川亜紀訳

こちこちの堅苦しい本
こちこちの活字たちの本
印刷所を通り抜け
製本所で平べったくのされ
菓子のようにこちこちの本
長方形に整えられた本

本に水がしみてぬれて脹れ
初めて活字たちがにじんだ本
絵たちがぼやけた本
筋道がつかめずまっさかさまに落ちるもの
流れの中でばらばらに散らばる本

一冊のこちこちのアパート
ぼくが玄関に入っても
606号 ぼくが外出しても
606号というアパート
真っ暗な部屋
小部屋のすき間に流れる
日光がむしろ水のように温かい


あり地獄
佐川亜紀訳

1.鍵たちのゆかいな世の中

丸い鍵輪の中で一人の男が
眠っている 廃物のように
足を曲げたまま

まゆのように見える生は卵ひたすら
暖かく平和に
もっとはねることができなく
それでも思い出は美しいものなのか
汚れたものなのか
乳水のように流れ
金属の光沢はあせている

2.監獄を逃げて銀行に隠れる

銀行に行けば金を数える機械が
あって充血した目の
デジタル数字の監視を受けながら
疲労がたまる
世宗大王の顔が通って
そこに、ぼくの顔も触れて流れて

もっと他人の指紋が押されることはない
ぼくの顔の前の
銀行の窓口の女性たちだけ
ぼくの肌を愛撫することができる

それも監獄だった
窓格子が無く どうぞ逃げてと

3.浴槽で死ぬ男

浴槽の水は程よく温かい
そして、
外側に出ることができない

4.日直勤務

電話のベルが鳴った この都市の
飢える声たち
あの陰謀の言葉たち そのまま捨てられた

5.いろいろの都市

深夜のオルガズムのようにたぶたぶの電光CFが
高架道路を流れる時
ネオンの十字架が流れる時
真昼の挑発的な乳房一つを追いかける時
電鉄を流れゆく時
あああああわあ 誰かが僕の目を
えぐって食べた 穴の中に
蝿の群れがしきりに出たり入ったりする.それでも
ぼくの足は命がけでどうしてもその道を行っている


目を閉じて日の光を感じるように
佐川亜紀訳

ぼくの心が触れて流れる所に
花が咲いてぼくの窓格子越しに
はるか遠く
夜の峡谷を過ぎて

ぼくの心が触れて流れるその所に
河が流れ 赤いレンガ通りの外郭を壊して
横断歩道を過ぎて

ぼくの心が触れて流れるその所に
あなたが生きている あなたの白い顔が
ひるがえる砂漠
波立つ丘を生じる

ぼくの心が触れて流れるその所に
墓がだんだん多くなる星座
移動する星が燃える

サーチライト、日の光が暗がりを開く
崖を飛び越えて

私の心が触れて流れるその所に
道路の端の
水にぬれた影のように人々も見える


呉廷国(オ ジョングク)1955年慶北英陽生まれ。1988年「現代文学」誌
でデビュー。詩集『夕方になればブラックホールの中に』『砂の墓』。
1997年ソラボル文学賞、1999年タチュン文学賞受賞。「詩はこの世界
との戦いだ。詩はその敗北の記録であり、汚れた涙だ。詩には時代の
現実をこめなければならない」と語っている。



高在鐘 2001年金素月賞受賞

白蓮寺 椿の林道で
佐川亜紀訳

妹よ、おまえの澄んだ言葉のように
おまえが踏む足跡ごとに
今、椿の花は房ごとに微笑むのか
冷たい風におまえの頬は
もう赤くなっているね
妹よ、私の罪深い思いに
私が踏む足跡ごとに
椿の花はいっしょになって散るのか
青黒く凍りついた椿の葉は
今 私をやたらとたたくのだ
妹よ、前の海は終日
潮騒で泣き続け
しかし心の中の悲しみを
地上のどんな花冠とも
決して変えないおまえなのか
だから目白は
目白の声で鳴き続け
しかし愚かにも悲しい心を
風ででも銀色の波ででも
ついに洗ってみようという私なのか
やがて あのようにあのように
寺では夕べの鐘を鳴らし続け
おまえと私は病んだ魂を目覚めさせては
互いの無明を覗き見て
椿の花は咲いて散るのか
椿の花は変わらず咲いて散り
妹よ、それならおまえと私は
数千数万の椿の花たちを灯して
この夕べのこの熱い傷の道を
一度くらい歩くことになるのだろうか

*高在鐘(コ・ジェジョン1957年〜。1984年、『実践文学』誌でデビュー。
詩集『すばやい愛』『前の川もやせるこの懐かしさ』。申東曄創作基金
受恵。「詩と詩学賞」「若い詩人賞」受賞。金素月詩文学賞はその年の
優れた抒情詩に与えられる賞。自然とのみずみずしい交感、繊細な直
感が若々しい。


延王模

深く息をする
佐川亜紀訳

道をたずねる
たずねてみれば ぼくが
温かい道
地から空へ行く
風が髪の毛をすいて
目をまたたいてから
もう一度道をたずねてみれば
地中に埋められ土で覆われた
温かいぼく
深い地はぼくを
さらに強く抱き寄せる
木は地の中へ深く育って
その奥深い子宮でぼくは
さらに深く息をする


共感帯
佐川亜紀訳

ぼくの中の深い道を流れて
彼らの町へ行く
彼らの共感の中から
彼らは見知らぬ柱のようにそびえ立つ
踏み立つ地の上には
野原の草々が満ちて
風は草の葉をかき分け
ぼくに向かって吹いて来る
彼らはぼくを感じる

彼らの
町の前で
彼らを見る

ぼくは息を吸う

*延王模(ヨン ワンモ)1969年ソウル出身。1994年「文学と社会」
誌の夏号で詩壇に登場。1998年「現代詩同人賞」受賞。無意識
も形象化できる有望な若手。屈折した不思議な感性で深い詩を
書いています。詩集「犬の予感」1997年。


金光林


キノコについて
飯嶋武太郎訳

100日間の祈りはできなくても
何かを祈ることはできる

100日間なにかを祈り
ただそれだけをこっそり見ると
道端に毒キノコがひと塊

何と
酒鬼が吐き出した
汚物のよう

さもなければ
W・H・オーデンの皺だらけの
まさにその顔

今日まで
耐えるばかりであった 我々の
韓半島は
マンネンダケであったのか

ひどいしかめっ面をしていても
皺は見えないから



病んでいる男 8
飯嶋武太郎訳

S中学入学式の時
ひと際はっきりと紹介された
呉之湖画伯は
背がずんぐりして    
首を若干かしげたお方だが    
気骨だけは強い先生だった

毎日正午になると
ながいサイレンが鳴り響き
遂行せる<太平洋戦争>の勝利に
黙祷を捧げていた
(しなければ非国民にされ処罰される状況)

一度順序の変わった美術の時間に
サイレンの鳴る音がすると
しばらく立って形だけ構えていたが
すぐに目を開き
<心に無いことは止めよう>
と、おっしゃられたその言葉
いつまでも 耳に残っている

黒白はっきりすると言うのは
どうしても
出来るとか出来ないという事ではなく
その場を 誤魔化すという事でもなく
ファシズムの黒白の論理さえぶちこわす
真っ直ぐな それであるらしい

*飯嶋武太郎さんが発行されている「むくげ通信」第3号、第4号から
転載させていただきました。金光林(キン クワンリム)は、1927
年生まれ。北朝鮮で生まれ、1948年に単身韓国に入る。詩集に『傷
心する接木』『言葉の砂漠にて』など。韓国詩人協会賞、大韓民国
文学賞受賞。日本でも『キム・クワンリム(金光林)詩集』(書肆
青樹社)『韓国三人詩集』(土曜美術社出版販売)などが出版され
ている。日本の詩人や小説家の翻訳多数。地球賞も受賞している。

 



鄭一根
ウルムチ(烏魯木齋)での愛


矢野香織・佐川亜紀訳

異国の女と言葉が通じ合うと分かった時
私はこの愛が夢かと思った
覚めるのがこわい夢の中
私たちは原形のアルタイ語で愛の言葉を交し
愛で口の中が限りなく柔らかくなった
この女はいつから私の心について来たのだろうか
イスラマバードを発つ時や
カラコルムハイウエーを走る時にも
目が合った女は一人もいなかったのに
敦煌の石窟の闇のような深い瞳で
トルフィン(吐魯番)の夏葡萄の香りのような甘さで
音楽のように私を巻き込むこの女は誰なのか
ウルムチでの愛で私の血は水平を失い
女の低く、果てしなく、熱いところに
私はサマルカンド産の紙にしみ込む水のように
ゆっくり浸潤した
女のからだに巻かれた絹を脱がすたび
脱いだ絹が西側に道を作り
その道に沿って
駱駝の群れが帰ってくる声が聞えた時
私はこの愛の終わりを知った
夢から覚めてみれば
女は敦煌の石窟の中に去ってしまっているだろう
私はウルムチの古い賓館で
遅い朝の眠りから目覚め
口中いっぱいに
女が残したシルクロードの熱い砂だけが
残り噛みしめさせられるだろう
縁があれば新彊ウイグル族自治区の博物館で
ミイラになった千年前の女に私はまた会えるだろうが
その時にはたぶんウルムチでの炎のようなこの愛は
冷たい氷になりすべてを忘れてしまっているだろう



韓成禮訳

鐘が鳴るのは
自分の体を叩くまでしながらも鳴るのは
行って触りたい所があるためだ
丸い声の体を転がし
すこしでもより遠くへ行こうとするのは
耳目口鼻をすべて失っても
朝顔のような耳を開いて迎えてくれる
あの方が待っているためだ
先に行った声の生が尽きようとするなら
後についてきた声が支え
静かに行き着く所
大きな声の体が転がり転がって
澄んだつゆの一雫に結ばれる所。

*チョン・イルグン。1958年慶南鎮海生まれ。1985年
『韓国日報』新春文芸で詩が当選。詩集『慶州南山』、
『海の見える教室』、『紺紙の愛』など多数。2000年に
韓国時調作品賞を受賞。想像力にふくらみがあり、内省
も深く、独自の美学を確立している。





メール アイコン
メール
トップ アイコン
トップ



ウォーター