ウォーター

韓国詩のコーナー14



目次

金行淑

李英光

イ・ジョンロク

金南祚掌編集『美しい人びと』

李御寧詩集『無神論者の祈り』

蘭明著『李箱と昭和帝国』

金一男著『韓国詩歌春秋』

金時鐘 編訳 尹東柱詩集 空と風と星と詩

金恵英詩集 あなたという記号

図書新聞書評 申庚林詩選集

韓国近現代文学事典

キム・ソヨン

詩評・2012年夏号

ヨ・テチョン

ハンサルリム

申庚林詩選集





金行淑



声の悪魔   金行淑  


(「詩評」2013春号 特集「若い詩人10人の新作詩」から)

それはガラス窓ならば鑿で外の世界を引っかくこと、人々が
・・・・・考える人々が・・・・過ぎて行く。ネズミとネコならば尾に火が
ついたもの、熱い尾より始まる

それはあなたの喉に伝わって、登ってくる。首は死の花輪をかけるのに適する形、
喉はいつも死のそばをさまよった。それゆえ首を通路にすること、
それは何回も死に 何回も生き返ること、
あなたはあなたに驚いて

私は私に驚き、それは鏡ならば割れるもの。割れた鏡ならば再び割れるもの、
あなたはあなたではない。

私は私ではない。それは否定するもの、否定して否定するもの、
自ら止まることができない機械、
人々が・・・・・考える人々が・・・過ぎて行き過ぎて行かない。 


キムヘンスク ソウル市ソンパ区チャンジ洞居住。 「現代文学」1999年デビュー。
詩集『他人の意味』等刊行。




ひとり屋台   キルサンホ  


今日の酒席の最後の杯は
ものさびしい屋台であげようと思います
僕があきらめた僕に
一杯の焼酎を勧めながら
静かに話すべき言葉が多いです
ビニール窓の水滴のように
休む間もなく溜っては流れ落ちる私を
今日はみんな受けてくれるつもりです
でも テーブルの向かい側の僕は
ずっと薄暗い顔
なかなか口を開きません
相手方の私の杯に
白熱灯の光を少し混ぜ入れて
乾杯!乾杯!乾杯は
ひとりだけの合言葉になります
すべて流れ落ちたビニール窓から見たら
街路樹の前の木も
影を雪面に横たえたまま
ひとり震えています


キルサンホ ソウル市クムチョン区シフン洞居住「韓国日報」2001年登壇。
詩集『雪の心臓を受けたね』等刊行。



移民者    崔クムジン 


男はあきらめを知らない
顔は蛾のようにまっ黒な悲哀がもじゃもじゃだ
医者から希望をもらっては過剰服用したこともある
部屋に法堂と国家も立てた、領土拡張だった
人々の誇張と負けず嫌いを見たくないので
サングラスをかけて通う男
人形と対話する男
ある日は犬を生み、女の名前で戸籍に申告した男
風を放牧して、海へ行く汽車を伸ばす男
彼は屋根裏部屋から穴を取り出して読む
ネズミの子が地下の墓と内通する穴
幽霊たちがそっとパンを盗んで食べながら頭をもたげる穴 男は地球の反対側にある惑星に着くため
スプーンで表面を掘ってみたい。櫓をこいでみたい。
ぶつぶつつぶやく植木鉢たちを浴槽に横たえびしょびしょに水をあげる
手のひらには花が咲かないが、男はかぐわしい
男は夜ごと少しずつ隅に染み込みながら消える
男はあきらめを知らない


チェクムジン 光州広域市北区ウンアム洞居住。
「創作と批評」2001年デビュー。
詩集『鳥たちの歴史』等刊行。




李英光




祈祷


私の祈祷は
祈らない
祈祷だ
血が抜け出た首で
私の祈祷は
祈祷することができない祈祷だ
崩れる祈祷だ
すりつぶされる祈祷だ
人間の
人間が作る
人間がどうすることもできないことに対して
祈祷は言葉が無い
言葉は分からない
祈祷はいつも驚きより先に
恐れより 悲しみより 怒りより 先に来て
ひざまずく私を
両手を合わせようとする私を
何か言葉を浮かべようとする私を
一気に突き刺してしまう
宙を握り
四肢をねじ曲げながら
祈祷は祈祷を持ち去り
のたくるひとつのうめきを私に与える
怒りになる前に
悲しみが 恐れが 驚きになる前に
戦線のように来て
一つの沈黙で通してしまう
祈祷に通されて 私は祈る
くつわを噛んだ獣として祈る
祈祷より先ず来たそのものが
それらが私にのしかかって祈る
口の中から 喉の中から
骨が抜け出た体で
祈って 祈る



あなた


あなたは ぼくの母ちゃんで
妻で



ぼくはあなたの息子で
夫で
おやじ

あなたは恋人だという縁だったが
あなたは縁という恋人になって

ここはいつか一度来て見た星のようです
ここはいつか一度来て見た星のようです

あなたはおかしな人間たち
ぼくはおかしな人間たち



(詩についてのコメント)

非正規職労働者と非正規職詩人がたまたま一つの席で酒を飲むようになることもある。
彼は正規職に対する不満もあり、会社に対するあいまいな反感もあり、捕まえてひざ
まずかせることができない国と権力者に対する不満もある。彼は羨むことに先ず敵対
しなければならないジレンマがある。不満、と言ったら私ではあるが、詩に確かに就
職できなかったけれど私には敵対がない。自分なりに意識化された金属労働者の前で
私は昔とは異なり、私なりに戦々恐々だ。彼は私より若い。希望があると言う。彼は
もっと働き安定的になりたがりすればするほど正規的に近くなると信じたい非正規職労
働者で、私は仕事をすればするほど失業者に完全に近くなると確信する非正規職詩人
だ。彼はもっと働こうとする希望の所有者で、私は働かないようにする熱望の所有者
だ。彼は働かない者は食うこともやめろという言葉を言う暇もない労働者で、私は少
なく食べ少なく働こうと思い巡らしながらも、それができない詩人だ。仕事も詩も金
にならない。私は金にならないことが好きだけど時々金のことで思いが狂う。彼は金
が好きだが、金でないことも考えるだろう。この飲み屋は各種の働く人々が垢すりに
来る所だ。心のサウナと言うか、仕事に行ってきた詩人が霊感を待ちながら杯をぎゅ
っと握りに来る所ではない。彼は正規職になり一生懸命働いた後の平和としての休息
を夢見るだろうけど、私は正規職詩人になり全く休まず書きたい。私に休む時間がな
い。けれど私は彼と疲れて休む。一緒に飲む。一つの町の住民なので同じ人間なので
同じ非正規職なので。この四篇はあの叶わない友をはじめとし小さい町の成金、酔っ
たら一緒に暮らそうとする飲み屋の女、バーテンダー、ハッサンとムハマッド、そし
て鬼神もたくさん殺したと言う海兵OBたちのしつこい妨害を省みず頂いたみすぼら
しい戦果だ。了解を求める。



イ・ヨングァン 「文芸中央」でデビュー。詩集「直線の上で震える」

(「詩評」2012年・秋号)






イ・ジョンロク


じょうろの注ぎ口のように
2012現代文学賞候補)


じょうろの青い桶に
いっぱいに水を受けながら思う
このようにずっしり重くなろうと
ちょっとこぼれ落ちてもよいだろうと


ぐったりした花木に
たっぷり水を与えながら決心する
知らぬ間に少しずつ軽くなろうと
がらんと空いても大丈夫だろうと

じょうろの濡れた桶に
また 水を受けながらうなずく
じょうろの注ぎ口のように
頭を下げあいさつしようと

けれど 真冬
じょうろは氷の親族に囲まれた
目と手を閉めかけて
もじもじ だぶだぶばかりしていた証拠だ

氷の塊が体を縮めたまま
奥歯の木鐸でも しきりに打つだろう
注ぎ口に付いた氷の骨
最も遅く溶けるだろう








槌で打ちながら見ました
釘の頭に
十字が満ちていました

釘を伸ばします
曲がった釘の首筋ごとに細かい刃傷が鋭いです
はずれて当たった瞬間、息の根が瞳になったのです

見当はずれに浮かんでいた足先をのぞき見ていた目です
一度かっと見開いた後に開け閉めしたことがなかった目です

さびの染みはありません
涙が止んだことがなかったり
涙一滴流さなかったり

釘を抜きながら知りました
過ち打ち込まれた釘、頭ごとに
十字架がゆがんでいました



イ・ジョンロク 1964年忠南洪城生まれ。1993年「東亜日報」でデビュー。
詩集『虫の家はこぢんまりしている』『青りんごのしわ』『ヤナギの皮に賃借りしたい』
『すみれの旅人宿』『椅子』『まこと』等。
<金スヨン文学賞><金ダルジン文学賞>受賞





金南祚掌編集『美しい人びと』


後書で<ひそやかな美しい人びとのために>と書かれています。
「ひそやかな美しい人びとを主題にして、この本は書かれました。
真の美しさを自分では意識しないので、花は自分の美しさを誇らず、
山も己れの荘厳さについては沈黙しています。美しい人びとも目立たぬ所で、
誠実な思いを胸に秘めたままひっそりと暮らしています。この本はまさに
そのような人びとを探し歩く心の旅の報告書とも言えましょう。」
作者の金南祚詩人は、15冊の詩集、12冊の随筆集、その他論文集を発表し、
韓国詩人協会会長、大韓民国芸術院会員などを歴任し、代表的な韓国女性詩人として
有名な方です。キリスト教信者として高い霊性や広い思いやりに満ちた詩を多数
創作するとともに、掌編小説も書かれ「小説文学」に連載されたこともあり、
初の日本語訳掌編集です。

巻頭の「二本の木」は、高い二つの山に離れて立っている木が実は根で繋がっている
という話。「木が土の中の自分の根をゆすってみますと、そのうちの一本が綱のように
しっかりと、向こうの木の根っこにまでつながっていました。」
詩人らしく描写や想像力の美しさも卓抜です。「ヒョニ、よく聞いてね、そしてどうか
忘れないで。それは、星を見る人は世の中にたくさんいるの、だから星を見る時は
大勢の人と一緒なの、そう信じなきゃいけないの、皆で歌をうたう合唱のようにね」
(「チュジャの星」)
しばしば戦争の体験も表されます。「男も女も同じ人間なのに、戦争が起きると男だけが
戦い征く。かれらだって生きていたかっただろうに。わたしは、指貫を千個つくって、
冥福を祈ろうと誓ったの。」(「指貫」)

登場する人々は病に侵されたり、貧乏に苦しんだり、不幸な境遇だったりしますが、
誠実な気持ちをなくさず、周囲の温かい励ましに助けられて人生を前向きに生きよう
とします。そうした精神的な美は韓国の倫理の根本に存在するものでしょう。
「私たちは今の時代を、過ぎるほどの文明と節制のない豊饒を体験するととともに、
偉大な人類と偉大な地球がお互いに負わせてきた傷を、茫然と眺めているのです。
生の課題と、それへの対策の論議がもつれていますが、それでも希望はあります。
それは、ひそやかな美しい人びとが私たちの近くにたくさんいるということです。
また、人の本質は永遠に同じであり、善良で美しいものだと信じます。」
美しい信念と掌編ならではの凝縮した旨味が詰まった小説集です。
(鴻農映二、高貞愛訳、大久保憲一監修。花神社刊。2000円+税)









李御寧詩集『無神論者の祈り』

一本の斧


見よ 青い静脈だけが残った父の両手には
斧がない
今怒りの目で大門を守って立っているけれど
きみたちを守る斧がない

暗闇の中できみたちを抱きしめる腕に力がないと
おびえるな
獲物を逃しこっそり帰ってきてすすり泣く
父を嘲笑うな
もう一度斧を取る日が来るだろう

二十五万年前アフリカで
はじめてホモサピエンスが出現したとき
彼らの手に握られていた石斧
猪を捕えていたその斧の刃で今きみたちを縛る
理念の葛の蔓を切り 新しい道を開くだろう

大きくなったからと父の手をはなすな
昔 旅に出たときのように節くれだった手をとれ
そうしてこそ家に帰ってきて
母の用意した夕食のテーブルにつくことができる

灯りをつけよう
きみたちの顔 きみたちの母 そのそばの空いた席に
父が坐る
髭を生やして帰ってきたきみたちの父
一本の斧



李御寧(イ・オリョン)氏は、エッセイ集『「縮み」志向の日本人』『ジャンケン文明論』
の著書で日本では知られています。韓国では文芸評論家、新聞の論説委員として活躍し、
1988年のソウルオリンピックでは開閉会式と文化行事を主導しました。
1934年に生まれ、韓国の植民地被支配と解放、動乱と高度経済成長の直中を歩いて
来られました。1980年代には日本の東京大学の客員研究員、国際日本文化研究センター
客員教授として東京や京都で過されました。この度の詩集には日本で
孤独な研究生活を営まれたことが「ひとり横になった日」などに作品化されています。
すでに、文芸批評、小説、エッセイでは多数の著作を刊行されています。
韓国で2008年に初めて詩集『ある無神論者の祈り』を出版され、その詩集を
権宅明氏と私で共訳させて頂きました。

「無神論者の祈り」とは、病に苦しむ娘が回復し、見えざる力に感謝を捧げる気持で
2篇の詩を書いたことに由来します。自分の家族のみならず、「父であること」は
李御寧氏にとって大きな意味のある立場です。詩「絶壁の果てです 飛ばせてください」は
2000年の「中央日報」新春作品ですが、1997年の経済危機を乗り越えようとしている
韓国民を鼓舞し、韓国の父でもあったのです。詩「一本の斧」では、家族を守り、新しい道を開く
斧として父を表していますが、現代の父の無力さをさらけ出しているところは知性の自己批評が
なされています。無神論の時代に父であることは可能か、という現代的問いが潜んでいます。
本詩集は、T涙が虹になると言われるけれど―母たちへ U一人で読む自叙伝―私へ 
V詩人の四季―詩人へ W葡萄畑で働く時―神様へ X明日はなくとも―韓国人へ の5章からなって
います。明確な主題と鮮明な比喩、格調高い精神が印象深い詩を作り上げています。
言葉遊びやユーモアも見られ、世界をめぐる意識も豊かです。
李御寧氏の新しい面を見出す詩集です。
(権宅明・佐川亜紀訳。花神社2000円+税。2012年)





蘭明著『李箱と昭和帝国』



李箱は朝鮮近現代文学史で最も重要なモダニストです。本書は李箱研究において
重要な視点を数多く提示し、厖大で貴重な資料を収集し、多言語多文化的な李箱文学の本質を
開示するのにふさわしい研究者による優れた業績として記されます。
副題に<東アジアの自画像として>と付いているように、李箱を自画像として私たちが考えることの
必要を思わされます。また、昭和帝国という今と重なる部分のある日本を再認識させられます。

韓国での植民地時代文学研究では、親日文学批判が強く、李箱の難解さもあり、
尹東柱と比べ、日本でもいまひとつ研究が広がらない憾みがありました。
しかし、「受容は必ずしも受身的な営為であるとは限らない、むしろ参加であり、選択であり、
生産の前提である。日本人または欧米人のものを受容したからと言って、李箱テクストの意味の
矮小化に繋がる心配は不要であろう。つまり、李箱における日本文学受容研究は、李箱テクスト
の意義を拡張するためではなく、まずは歴史の現場に立ち戻って、等身大の李箱を確認するため
であるのだ」という提言は、受容だからと一方的に批判するのでもなく、ポストモダン批評の観点
から社会政治を切り捨てて言語論のみに終始するのでもない「第三の目で巨大な混沌を想像する」
(「後記」)という文学精神により非常に興味深い展開になっています。

「李箱文学テクストは、二十一世紀のグローバル化と民族主義のジレンマに、また活字文化と
映像文化の熾烈な摩擦のさなかに生きるわれわれに、逃れることができない"問い"として、運命として、
直視することを要請し続けるに違いない」という指摘もたいへん大事です。
蘭明氏が中国吉林省延吉市出身というハイブリッドな環境で生きてこられ、
「二人の祖父の足跡」(一人は日本寄りの教育者、もう一人の義父は朝鮮独立運動活動家。
私たちの二面性の象徴でもあります)を原点とされていることは
二十一世紀文学の中心点を生きているということです。日本では(韓国でも)多文化多言語が
将来の方向として示され、もっともですが、政治社会的に見るとき言語や文化の間の矛盾や
支配構造に悩むものです。それを鋭く李箱は映し出していると思います。

「日本近現代文学研究への逆照射」という意図も重要です。蘭明氏が取り上げられた横光利一はじめ
当時の日本文学(影響があった外国文学にも)についても改めて見直し、その上でまた李箱を考える
大切さを感じました。たいへん深く考察され、広い視野の研究書です。
非売品なのが、とても残念ですが、図書館・大学図書館でご覧ください。
(発行所・思潮社2012年。発行者・学校法人 実践女子学園)




金一男著『韓国詩歌春秋』



金一男氏は、韓国の定型短詩「時調」を研究・創作されている方です。
日本「時調の会」同人、韓国「時調生活」同人で、
2006年に韓国「時調生活」新人文学賞、
2011年「時調生活」柴川時調文学賞を受賞されています。
1944年神奈川県に出生。早稲田大学卒業後、韓国・漢陽大学修士課程卒業。

日本の短歌・俳句に比べ、韓国の時調は現代では少数派になってしまいました。
最近、韓国歴史ドラマで時調や漢詩を詠む場面が見られようになりました。
現代詩が自由すぎてだらだらしたり、散文に近くなりすぎたりすると、
「定型」が日本でも見直されましたが、韓国でも復活するでしょうか。

『韓国詩歌春秋』は、時調だけではなく、古代中世歌謡、漢詩、
民謡と歌曲、近代自由詩までを短詩の形で紹介しています。
漢詩は漢文、ハングルができて以降はハングルで表記したのも
学ぶのに有意義です。
尹東柱も李箱も高銀も重要な詩人は収録してあり、
詩人解説も短いながら要点を得て、詩史のおおよそが分かります。
詩の全文を収めていないものもあり、詩の一部として考えるべきでしょう。

古代歌謡・瑠璃汪「黄色歌」(伝)は次のようです。


ひらひら飛ぶ黄鳥も
つがいて共に依れど
わびしきこの身はや
たれと共に帰らなん


※黄鳥・・・うぐいす。
瑠璃汪ユリワン(?〜18高句麗第二代王)の作と伝わる。


韓何雲「全羅道への道」

行けども行けども赤い黄土(こうど)の道
天安三巨里(チョナンサムゴリ)を過ぎてなお
たわしのような陽(ひ)は西山(にしやま)に残るのに
行けども行けども赤い黄土の道
息づまる暑さの中を足引きずりながら


※ハンハウン(1920〜75)は、高銀に衝撃を与え詩に導いた詩人です。
20代でハンセン病をやみ、故郷から遠い患者収容所のある全羅道に
向かって歩いています。詩行は「柳の下で地下足袋を脱げば/
足の指がまた一本なくなった/残った二本の足の指がちぎれるときまで/
行けども行けども千里、遠い全羅道の道」と続くと付されています。
訳著者は<「たわしのような陽」の表現に言い尽くせない悲哀がこもる>
と解説しています。

金一男氏は、時調の会による『三行詩 在日七人詩集 赤い月』も
発行しています。在日韓国人二世だけによる創作合同詩集で
三行という形式を取ったのはまれなことでしょう。
三行のうちに叙景が出てくるのも特徴的です。


和順・忠臣江墓所

穏やかな午後の川面を見下ろして
幻しの五代の祖母が眠る冬枯れの丘
妻のかたわらに今日は息子もぬかずく


済州―東門市場

長いアーケードに潮風が運んだ海の幸がどっさり
昔の苦労ははんぱなもんじゃなかったから
こんな不景気でも島の女たちは元気


『韓国詩歌春秋』(2011年・日本文学館1000円+税)
『三行詩 在日七人詩集 赤い月』(2012・日本文学館・900円+税)







金時鐘 編訳 尹東柱詩集 空と風と星と詩


2012年10月16日第1刷出版で岩波文庫に金時鐘 編訳『尹東柱詩集 空と風と星と詩』が
収録されました。
世界の名著に加えられたわけで、金時鐘氏による優れた編訳の単行本の普及、
韓国、日本で敬愛し朗読し翻訳し
紹介し研究し続けた方々の尽力がまた一つ大きな実を結んだといえましょう。
また、この詩集をめぐってはさまざまな訳がなされ、
その都度、新しい理解と思いが深まるのは原詩の豊かさを
証していますし、歴史と言語の断層を鋭く映し出す面もあります。

金時鐘氏の訳は、原詩の一語一語を非常に丁寧に受け止めていると思います。
これは、解説で金時鐘氏が「思考の可視化という現代詩の方法」「主情的な情感から切れて
なお流露している律動こそが、その詩人の抒情なのです」
と指摘していることと関係しているでしょう。
尹東柱の詩は一見、たいへん抒情的に感じられ、さらに民族的に多くの人に
朗誦される「歌う詩」のようにとらえられ、
「歌う」ためにはできるだけなめらかに訳そうとする傾向が出てくるでしょう。
しかし、現代詩は従来の「歌」を超えようとするものです。
「歌」はしばしば思考を停止させ旧来的な感情に押し留めるからです。
詩の中でつまずいて、一語について深く考えることも必要です。

そして、改めて『空と風と星と詩』を見てみますと、初めは有名な「序詩」は書かれていなく
題も『病院』で、「自画像」という作品が巻頭だったのも意味深いことです。
心の奥底の自分を覗く自分という対象化、客観視がなされています。

詩「自画像」の詩句「どうしてかその男が憎くなり 帰っていきます。」
「帰りながら考えると その男が哀れになります。」
という感情の起伏には、植民地時代のやりきれなさ、憤りがこめられており、
自己を引き裂く抑圧に苦しむ姿を浮き彫りにしていますが、
自己が分裂するのは現代の病であり特徴でもあります。
思想においても自己への問い直しが不可欠なのです。

「生きているうちはついぞ日の目を見ることがなかった尹東柱の遺稿詩集『空と風と星と詩』は、
自己への問い返しが命題となって貫かれている詩集です」
「圧しひしぐ暴圧のさ中で、なお生きることの意味を自己に問いつづけた死者の記憶を、
自分の心に蘇らせていくことです」という金時鐘氏の言葉は、
「民族の詩人」「キリスト者の詩人」という従来の枠を超えて、
現代詩の本質に基づく詩人の面目を明らかにした訳者の
正確で愛情深い眼差しが表されていると考えます。

(岩波書店・本体540円+税)






金恵英詩集 あなたという記号

記号物語
韓成礼訳


あなたという、想像の中の記号を独りで愛しました。
鱗の落ちた一匹の魚をガラス瓶の中に入れて送りました。
一万年が過ぎたあと無意識の中に残っているかもしれませんね。
あなたという記号が花を咲かせたことが、
あなたがバンパイアのように、私の生血を吸うことが
分かるようになったのは、十五年も過ぎた秋でした。
あなただけが生血を吸うと思ったのですが、
私はあなたの脚にくっついて、シラミのように、
あなたの皮膚に舌を突き付けたりしました。
あなたという記号は、中世の黒騎士のように、
南道に沿って行きながら朝日の昇る夜明けに唇を合わせました。
あなたという記号を待ちながら、赤ワインを
食卓において、ぼんやりと眺めたりしました。
毎晩、古い押入れの扉を開け、降りて来て
布団の上に並んで横たわるあなたという記号は、
巨大なコウモリになって天井に上りました。
蛍光灯は熱いよ。気をつけてね。憎らしいけど
あなたという記号はいつまでもわたしのそばに
宿っていてほしいのです。独りで冷や飯を食べる
中世の冬の夕方が耐えられないはず。
あなたという記号を偲ぶ、もうひとつの記号。


(訳者注 *南道 韓国の京畿道以南の忠清、慶尚道及び全羅道の三道をいう)


※キム・ヘヨン 1966年慶尚南道古城生まれ。
釜山大学英語英文学科及び同大学院卒。英文学博士
1997年「現代詩」で文壇デビュー。1999年釜山大学校6回『大学院学術賞』受賞。
2004年詩集『鏡は千の耳を開く』、2005年評論集『メドーサの鏡』、
2010年詩集『フロイトを読む午前』第8回愛知(エジ)文学賞受賞。
季刊「詩と思想」編集委員。ウエッブ・マガジン「若い詩人たち」発行人。
現在、釜山大学で英米詩を教えている。

※斬新な詩を書き、注目されている詩人の日本語訳詩集が出版されました。
訳者は日本でもおなじみの韓成礼さんです。
解説で文芸評論家・李在福氏が「金恵英の詩はモダンである。
彼女の詩のモダンさは言語に対する自意識と深く関わっている」と
示唆しているとおり、ポストモダン的な言語意識に基づいて創作する
新しい詩人です。生身の固有の「あなた」ではなく、記号である
「あなた」を分析し、再構築しています。そこには、すべての認識は
言語によっている、実体は記号にすぎないという
ポストモダン詩学が働いています。
記号や詩に対する懐疑も行い、交錯する相対的な世界を形成しています。
「U 夢想の中の古代史」で「歴史は虚構で編まれた蜘蛛の網だ」
と述べていますが、このような歴史観は若い人の間では
珍しくありません。が、現実の近代史とどういう関係になるかは
難しい問題と言えます。ポストモダンとナショナリズムの関係は複雑です。
さらに、フェミニズム的に伝統的な男女関係をシンカルに見て
ユーモアとアイロニーをこめて表すのも特徴的です。
古今東西の事象をスパイスが効いた作品にする手腕は見事です。
(定価2000円+税 出版・書肆侃侃房 TEL092・735・2802)






図書新聞書評 申庚林詩集
申庚林の詩


書評『シンギョンニム申庚林詩集 ラクダに乗って』(吉川凪訳・クオン)
   佐川亜紀


  申庚林は韓国民主派詩人のなかでもひときわ異彩を放つ
存在である。社会参与派の詩人たちが民衆をどこか理念的
にとらえることが多いのに対し、暮らしの中から民衆のリ
アルな姿を描いた詩は貴重である。
有名な詩集『農舞』など具体的な生活の細部、悲しみや
喜びをありのままに書いている。それゆえ翻訳は難しい。
私も原詩を読んだことがあるが、土地の庶民言葉、民俗風
習、地理などに精通していないと豊かに訳せないと思った。
訳者・吉川凪は、「師匠」と呼ぶほど申庚林を敬愛し、留
学したときも付き従うほどで深い理解に至り非常に良く練
られた日本語になっている。
(詩「農舞」引用・このHPの下記参照)


以前から、在日詩人のカンスン姜舜(『申庚林詩集 農舞』)や
茨木のり子(『韓国現代詩選』)らが重要性と魅力を認め、翻
訳し取り上げてきたが、本詩選集が画期的なのは、195
6年の創作活動開始以来、最近までの詩業全体が見渡せる
ようになっていることだ。素朴なリアリズムと見られる申
庚林の詩が自覚的に作られたものであることが分かった。
最初は、純粋な抒情詩から出発し、詩壇デビュー作「葦」
の詩句「生きるとは内側でこうして/静かに泣くことだ」
のように人生の普遍的な真実をつかむのも申庚林の特徴と
いえよう。だが、戦争で荒廃したソウルに行き、自分の根
である農村の現実と言葉の生命に気付く。歴史の爪痕と隣
人の物語に目を逸らしてはならず、詩は時代の質問であり
答えだと考えた。けれども、政治理念で硬直し書けなくな
り、民謡に関心を持つ。そうした社会性と伝統を経て自ら
の声と生活から新しい詩を創り続けた。
民主化運動に参加し、たえず官憲からマークされ、就職
もままならない人生だったが、活き活きした詩を求める意欲
は衰えなかった。出国禁止が解かれてからは世界への視線
が広がった。また老年を迎え、人生の深い味わいが一層増し
てきた。
詩は風土から生まれたが、近代に入って風土を否定した
面がある。吉川凪が前に著した『朝鮮最初のモダニストチョン鄭
ジヨン芝溶』はモダニズム詩人で風土を超えた詩もある。吉川凪
が解説で指摘しているように申庚林の事物による抑制した
描写にはモダニズム性もあるが、農村は近代に後方に追い
やられた。昨今、農産物のグローバル化をめぐって韓国、
日本でも問題になっているが、そのような時代にこそ申庚林
の詩を読みたい。先端技術で目覚しく発展する韓国だが、
「農舞」の世界は底に息づいている。
本詩集名に入っている「ラクダ」に関して申庚林はこう
述べる。「すべてが急速に変化し、猛スピードで疾走する
中、詩はどうしようもなくのろのろと歩むより他はないか
らである。ひょっとすると詩は、いつの日か捨てられる方
言のようなものなのかもしれない。しかし急速な流れの中
で、また世界の言葉がすべて一つに統一されてゆくグロー
バル化の中で、のろのろとした歩みや方言は、ただ単に無
意味なものではないはずだ。そののろさと方言に、今日の
我々の暮らしが抱えている葛藤と苦痛を減じてくれる光を
見つけることもでき、病気と死を退ける命の水を探すこと
もできるのだ。ぼくは最近、きょろきょろしながらのろの
ろ歩いてゆく、という思いで詩を書いている。多くの人々
が聞き取れない方言をつぶやきつつ。」(「ぼくはなぜ詩を
書くのか」)詩が困難な時代に、詩の本来の姿を教えてく
れる詩選集である。
(図書新聞 2012年9月15日号)



韓国近現代文学事典

韓国近現代文学についての画期的な文学事典が出版されました。
今までなかなか全体像を体系的に知ることができなかった韓国文学を
綿密に調査し、作品まで丁寧に解説しています。時代範囲は19世紀
後半から2000年までをとらえ、人物と作品は詩・小説・戯曲・随筆・
児童文学分野で文学史的な意味があるものを網羅した
527ページの大冊です。
人物はおよそ300名、項目は485項を取り上げ、作品の背景の
歴史・思想から個々の作家の特徴まで明らかにしています。また、
概説篇では文学史的な流れと韓国文学の性格を詳述しています。
事典としてだけでなく、入門者の手引書、あるいはこれまでの知識を
整理補足するために、さらには朝鮮文学物語として読むこともできます。
私の訳書やHPの「韓国詩のコーナー」も紹介されています。
ぜひ、お手元に置いて折々にご覧下さい。
(権ヨンミン編著・田尻浩幸翻訳・明石書店8000円+税)




キム・ソヨン

2012年現代文学賞受賞
オキナワ、チュニジア、フランシスジャム



私たちが行くことができる端が
ここまでであることがつまらない
ヤドカリみたいに ヤドカリみたいに

私たちはおのおの
景色のよい所に独りで立っている展望台のように
高くて寂しいけど
それがすべて

私たちは歩いたの 振り返ってみると足跡は無かったの
這っていたのだろうか ヤドカリみたいに ヤドカリみたいに

つつしみ深くならないようにするわ
ただ花のように香りで異議提起するわ
これを絶叫や沈黙で解釈することは
独裁者の業務として残しておくわ

君は 君ではないというこの果てしなく遠い滑走路、私は走って 君は戻って 私は空へ飛び立って
君は手を叩いてくれ 私たちは遠くなるはずだけど 私たちは一ヶ所で会うよ そのたびに私たちが
会っていたその場所で 肩を組むふりをしながら 肩をもたれたその場所で

「良い慰めは美しい愛だから 古い急流のほとりのイチゴみたいに」*

一匹のヤドカリが家を捨てるのを私たちは見たことがあるわ
一方の腕を 一方の足を捨てて行きながら歩くのを見たことがあるわ
そのとき一房のジャスミンが落ちるのを見たことがあるわ
ヤドカリがジャスミンの花びらをリュックサックのように背負ってまた
歩くのを私たちは見たことがあるよ

私たちが私たちを隠す所が
ここだけであるのがつまらない
ヤドカリみたいに ヤドカリみたいに

私のかかとが血を流したら
絶壁に咲いた一房のイチゴと言ってください

あなたの髪から
血のにおいがしたら
ジャスミンの香りがすると言ってあげるから


*フランシス・ジャムの「小川のほとりの草地」から引用





数学者の朝


私 ちょっとだけ死ぬからね
三角形のように

停止した事物たちの静かな影を見渡す
鳥籠がくるくる動き始める

抱かれている人々は見えないことに対して
抱かれている人をもっとぎゅっと抱きしめながら思う

これは記憶を想像することだ
目玉に忍び込んだアリを見ることだ
肌になってしまった冬とか、南の海の南十字星とか

私 ちょっとだけ死ぬからね
端正な線分のように

数学者は目を閉じる
見えない人の息を数えることにする
吸い込んで吐く間隔の二項対立構造を数えることにする

息する音が 鼓動の音が 脈拍の音が
数学者の耳元にやたらに出入りする
卑しい肉体に巣くった 卑しい喜びについて考える

涙のようなものとため息のようなものを長く忘れたよ
うまく生きていないのにもかかわらず

ちょっとだけ 死ぬからね
どこでも目撃したことがない完全な円周率を考えながら

人の息づかいが
数学者のまつげに付く
いつかは必ず曲線で曲がる直線の長さを想像する



※ キム・ソヨン 2012年現代文学賞(詩)受賞。
  1967年慶北慶州生まれ。カトリック大国文科・同大学院卒業。
1993年「現代詩思想」デビュー。詩集「極みに達する」
「光の疲労が夜を引き寄せる」「涙という骨」 鷺雀文学賞受賞。







詩評・2012年夏号


1972 
朴ソンヒョン



氷は土地の深い所から上って来た
イタチたちが立ち寄った後 根元に霜が降りて
アカシアの葉は枯れてしまった

犬は広い板の間の下に隠れ 出てこなかった
肩をあちこち動かすだけなのに掛け布団の中に寒風が激しかった
その真下 物干し竿が耐えられないように立っていた

灯火管制以後 台所に火が入らなかった
下の隣家から一握りの米をもらってきた外祖母が粥を炊きながら
咳き込んだ 新しい肉は出なかった

鍼医が大きい針を腰の中に打ちこんだ
来年飲む薬を数えながらも叔父は鏡を見る
ゆっくり 黒い魚が壁にそって泳いでいる

垣根の下からイタチたちが鳴いた
アカシアの葉はすっかり枯れ 犬は
見えない所でほえた


※朴ソンヒョン 2009年「中央日報」でデビュー




エゴ・サウルス
ソ・ユンフ


シラカシと空家が苦しめられる風に、
風に荒らされる時代を剥いだら 空家に住んでいる
恐竜の人形よ こんにちは
裸になった お前を見たよ

プラスチックの目で化学的な考えをした

置いて来たものより 下ろして来たものがもっと多い過去について考えたら、
お腹がすいてきた
私は歯軋りする音を聞いたよ
草食したかったが 肉食を勧める社会で
噛むとこりこりと弾力があるように進化を重ねた・・・

おまえとぼくの成分は何で作り上げられたんだろう

告白するけど死んだ綿を抱きしめて眠ることは悲しかったよ
死なないものを抱きしめることは難しかったから
胸を出してくれたのはぼくではなくおまえだという考えに
泣くこともできなくてじっと、ぼんやりふるえている恐竜の人形

おまえはなぜ未来から来ることができないのか
パピルスが庭で育ち おまえはそれを食べたね
がさがさ音をたてて葉っぱを食べてシラカシを生んだね
自ら招いたモノ達だけやせこけて残ったね 言えない言葉たちが
化石の縁のように残りかすとして積まれ
骨に風が満ちてきて もうこれ以上歩くことができなかった
一人で自分の家を出ることができなかった

よく分からない種族として終わってしまった繁殖は火遊びのよう

紙が燃える匂いがして 飢えることに馴染んだ食習慣
記憶からおまえを再び偏食すること
ぼくがおまえになることほどたいへんな発掘があるだろうか
後ろ足は相変わらずがっちりみえるような
残忍なトルソーがまたあるだろうか

剥製にされていく空家がおのずから遠くなる

歯ぎしりする音が聞こえる シラカシに降りた鳥達が粉々になり
行方不明になった恐竜の人形を捜しに
ぼくは行く
おまえは来る



※ソ・ユンフ  2009年「現代詩」でデビュー


*韓国の詩誌「詩評」の新作詩篇から2編ご紹介しました。





映画評「道―白磁の人―」

浅川巧という人をあまり知りませんでした。彼は日本が朝鮮を植民地にした時代
1914年に 朝鮮半島に渡り、朝鮮総督府の林業試験場に勤めました。
日本の植民地化によって伐採され荒廃した林を復活させようとチョウセンカラマツの
養苗やチョウセンマツの発芽促進に貢献したそうです。

また、朝鮮民芸品、特に白磁の美を発見し、収集と保存をしました。
兄の伯教もキリスト者、彫刻家で、白磁や朝鮮芸術を研究し、柳宗悦の友人でした。
浅川兄弟と柳宗悦は「朝鮮民族美術館」設立に尽力しました。
柳宗悦は朝鮮民芸の美を広めたことで有名です。

この映画では、「朝鮮総督府」という支配機構の中にありつつ、
朝鮮民族文化を評価し敬愛することの矛盾と葛藤が一つのテーマになっています。
朝鮮人林業技師イ・チョンリムも浅川巧に協力すると親日派と言われ、
抗日抵抗運動に参加した息子のテロを止めたため自分が投獄されます。
白磁収集を助けることも支配者に民族の宝を渡す事になるのか迷います。
けれども、浅川巧兄弟の仕事が無ければ、白磁保存も植民地時代では
なされなかったのですから、一方的な否定はできないと思います。
40歳で病死し、棺を朝鮮の人がかつぎ、墓が守られているのは、
朝鮮の人々が彼の業績を認めた証でしょう。
当時の日本人としては弾圧にも負けず稀有な考え方をした人です。
社会思想というより、林業技師として生命思想から発した行動のように描かれています。
日本人が見て、歴史的にいろいろ考えてほしい映画です。






ヨ・テチョン


翻訳


私はあなたと違う
私はあなたを知らない
人格がない
透明な二つの文章を胸に抱きしめて
私は泣いたよ
一時私は
完璧に心だと思われることに向け
砕けるすべての記票に専念した
何がそんなに短かったのか
細く落ちる音の足音よ
私は今
一つの文章から一つの文章に渡って行く死のように
久しく悲しいな
単語と単語とを渡り
碑文のように自由になったなら
私はあなたと違っていて
私はあなたを知らなかったはずなのに



流星


ぼくが待つそこで
ぼくの記憶が創り出したまさにそこまで
あなたがいる
いて いない
百年の別れ
そのように消えるこのすべての錯乱は
待つことのためだ
だから 流れ流れてここまで来た


遠くに行って見た者たちだけが ただひたすら
どんなに遠くへ行くことができるのか分かるというが
生の外側でだけ内側が必要なきまり
計算に現れないものどもよ
目を閉じても見える暗闇よ

1977年のぼくの銀色のボイジャー1号はどれくらい行ったろうか
百年くらい過ぎれば
あなたの先端に到着することができるだろうか


百年ほど遠くにある目がきらっと光る
百年ほど後にこそ


ぼくはあなたと別れるのだ
一人の人の後姿を見るためには
百年が必要だ
それは錯覚ではない


ヨ・テチョン
1971年慶尚南道河東生まれ。高麗大国文科、同大学院卒業。文学博士。
2000年「文学思想」でデビュー。 詩集『スウィング』『部外者たち』
批評集『美的近代と言語の形式』『金洙暎の詩と言語』
『春坡 朴提千文学選集』などがある。
金洙暎文学賞受賞。現在、東徳女子大教授。
2011年素月詩文学賞受賞。





韓国「エネルギー正義行動」の声明文

原子力発電所の安全性と全世界の脱原発への願いを無視した日本政府の
大飯原発再稼動推進を糾弾する声明を2012年5月31日に出しました。
日本政府の大飯原子力発電所3,4号機再稼動推進に対するエネルギー正義行動の声明文 -
去る5月5日、泊原子力発電所3号機が稼働を停止し、日本はすべての原子力発電所の稼動が
停止した原子力発電ゼロの日(原発ゼロの日)を迎えた。これは 福島原発事故の後、日本国民の
原発閉鎖の要求が高まった状況下で、当然のことだった。 しかしひと月も経たない今現在、
日本政府は福井県大飯原子力発電所3,4号機の再稼動を進めている。夏の電力不足の危険性を
警告してきた日本政府と関西電力などの 要求に応じて、14日に大飯町議会が再稼動に同意した
のに続き、昨日(30日)は、関西地域自治体首長の連合である関西広域連合が事実上再稼動に
同意する声明を 発表した。さらにその日の夜、野田首相と関係大臣などが関係閣僚会議を開き、
大飯原発がある福井県と大飯町に対して説得作業に入り、6月初めの原発再稼働を推進 することを
決定した。 表面的には夏の電力不足を理由に挙げているが、一度再稼動すると、夏以降も継続して
稼働する予定であるため、これは事実上、原発全面再稼動の開始と見 なければならない。
現在推進されている大飯原発再稼動は、福島原発事故以後進められてきた独立的な原子力規制庁の
設立や、今後の原発の比率に関する議論が終了し ない中、行われようとしており、誰が見ても拙速であり、
原発推進を強行するための決定だ。 我々は、現在日本政府が推進している大飯原子力発電所再稼動の
政策を断固糾弾し、今すぐにでも原発のない世界を願う日本国民と人類全体の 思いを汲み、
脱原発政策を推進することを要求する。福島原発事故にもかかわらず、原子力発電を推進することは
日本国民だけでなく、韓国をはじめ、人類全体に多大な 過ちを犯すようなものだ。
福島原発事故に続き、再び歴史の過ちを繰り返さず、日本政府が模範的な脱原発国家に立ち戻ることを
強く要請する。 2012年5月31日 エネルギー正義行動代表 イ・ホンソク



ハンサルリム

ハンサルリムの宣言 核発電は生命と共存できません


政府の核発電拡大政策に対する ハンサルリムの立場(2012年1月 HPより)

去年3月、日本列島を激しく揺さぶっ た大地震と津波はそれ自体むごいことで
あったが、これによるフクシマ核発電所 破壊と放射性物質漏出の事態は今でも全
世界を衝撃と恐怖に陥れています。世界 第一の災害準備国家とも呼ばれた日本は
事故が起きてから10カ月が経った今までもろくに解決策を出すことができず、
限りない脅威の放射性物質は相変わらず 空と海を汚染しています。日本はすでに
九州地方を除いて全国土が放射能に汚染 されて農作物はもちろん母乳と赤ちゃん
たちのおしっこからも検出されています。 事故周辺地域の住民たちはいつまた故郷
に帰り、農業を営むことができるのか時期さえ分からない状況です。専門
家たちはフクシマ核発電所から核燃料棒 を回収して解体するときさえも今後40
年以上かかるだろうといいます。触れ ることも見ることもできない状態で生命
を殺す放射能漏出による被害の程度はこ のように見当をつける手段さえなく、い
つどのように終わりになるか予測もでき ない状況として全人類を不安に落とし入
れています。

核発電は物質内に潜在するエネルギーを人工的に抽出する過程で人間が制御する
こともできないし消滅させることもできない放射性物質を必然的に発生させ、 こ
れは生命を殺傷しながら、これを安全に管理することは不可能です。私たちの 世
代がその時の便利さを追い選択したこの危険千万の核発電に対する代償は、数 百、
数万年に及び、私たちの後の子孫たちが永遠に背負うほかありません。

しかし、隣国日本で広がったフクシマの事態を経験しても私たちの政府は核発電所
拡大政策を変わりなく推進していて深刻な憂慮を表わさずにはいられません。
狭い国土に21基の原子炉を稼動している我が国は世界で核発電所密度が最も 高い
国家です。そこへすでに建設中の7基、計画中の6基まで合わせればすべて で34
基に増える見通しです。ここで終らず韓国水力電力(株)はクリスマス連 休を目前
に控える去る12月23日江原道サムチョクと慶尚北道ヨンドク地方を 新規の核発
電所候補地として選定発表しました。30年ぶりに核発電所の新規敷 地を発表しな
がら、またさらに8基の原子炉を建設するつもりとのことです。の みならず、政府
は海外に原子炉を輸出しようと出向き、フクシマ核発電所事故を むしろ核関連事業
の飛躍のチャンスとするつもりだという立場まで公然と明かし ています。

これは明らかに間違いです。フクシマ 事態以後核発電と放射能問題を新しく認
識し形成された多数の国民の脱核発電の 世論に反することであり、数十年間核発
電所と核廃棄物処理場建設問題として当 該地域を中心にたびたび深刻な社会的葛
藤を経てきたことを繰り返すことです。 また全世界的にも起っている脱核発電の
流れとも正面から反することです。核発 電所拡大政策に固執した、数十基の核発
電所を西海岸に作ることに乗り出した中 国を説得すべきどのような名分も一層失
われる点も考えます。

ハンサリムは一つずつハンサリム宣言を通して核の脅威と恐怖を現代文明が直面
した危機的症状の第一番目としてはっきりさせる次第です。ハンサルリムが 掲
げている生命サルリムの道から核問題は必ず克服されねばならない課題です。 去
る四半世紀の間、農村生産地と都市消費者たちが志を集め、生命の食材を生産し
て分かち合いながら掘り起こしたすべての努力が放射能物質の汚染で脅かされる
ことを決して座視できません。
ハンサルリムは政府の核発電所拡大政 策に対し次のような立場を明らかにします。

1、新規核発電所建設は必ず中断すべきです。

2、寿命が尽きた老朽核発電所は無理な稼動延長を中断し安全に閉鎖すべきです。

3、現在稼動中の核発電所は徹底して安全管理をし、新しい電力エネルギーを効
率的に使用するため全社会が一緒に努力すべきです。

4、新再生エネルギーに対する投資を拡大し、市民社会と共に意志と知恵を集め
核発電所なき社会に行くために今から準備します。

ハンサルリムは今のようにエネルギーを心ゆくまで使いながら
政府の核発電所 に反対することがどんなに矛盾することなのかも
よく分かっています。ハンサルリムは「私たち自ら変わらなくて
は何も変えることができない」という点をはっ きり認識して生活スタイルの転換
を通して核無き社会のために努力をともにしよ うと思います。

1、ハンサルリムは全国20地域の会員の生協の30万組合員、2千余世帯の生産者
たちと一緒にいっそう非常な覚悟で エネルギー消費を減らしていく多様な努力を広げます。

2、ハンサルリムは追求してきた「近くの食材運動」と「生態循環農業実践」を
一層積極的に広げ、エネルギー浪費を減らし、生態循環的な自立社会を作ります。

3、放射性物質から脅威を受けている私たちの食卓と農地を守るために事前に
検査を徹底してするなど万全の努力を尽くします。

この冬が過ぎれば、また春が来るが、今それは「フクシマ」以前の春でないのは明ら
かでしょう。私達は数十年間、有機農業を実践してきたフクシマの農民が自分の責任
とは無関係な放射能漏出で農地が汚染されたことを悲観し自ら命を絶 ったことを記
憶しています。ハンサルリムが追求してきた食膳サルリムは単純に食膳に上がる食材
に対して放射能汚染濃度を測定するという水準を 超えることになりました。
核発電所事故と放射性物質漏出は日本 だけではなく人類全体が力と知恵を集め解決
しなければならない宿題になりまし た。
この世の万物が生命の輪でつながっているという信念を実践してきたハンサルリムは、
食膳サルリム、農業サルリム、生命サルリムと核なき生活世界のために一層努力します。


(訳注・反原発派は韓国では原発を核発電と言います。本質的に「核」であるという意味です)
※ハンサルリム運動は暮らしの中から社会変革する運動としてさかんになり、定着しています。
金芝河も理論的推進者の一人です。人や森羅万象の中にも宇宙生命が生きているという
思想です。消費者の安全だけではなく、生命観を実践する所が韓国の特徴と言えましょう。








申庚林詩選集
『ラクダに乗って』
吉川凪訳

農舞(ノンム)


銅鑼(チン)が鳴る 幕は下りた
桐の木に電灯吊るした仮舞台
見物人の去った運動場
俺たちは白粉(おしろい)が剥げたまま
学校前の飲み屋に押しかけ焼酎を飲む
息詰まる きつい暮らしが恨めしい
ケンガリ*を先頭に市場を行けば
ついて来て騒ぐのはガキばかり
娘たちは油屋の塀にもたれて
無邪気にくすくす笑ってら
月は満月 ひとりの野郎が
林巨正(イムコクチョン)のように泣き叫び 別の野郎は
徐リム*みたいにへらへら笑うが
こんな山奥であがいたところで何がどうなる
肥料代も出ない畑仕事なんぞ
いっそ女たちに任せちまって
牛市場を過ぎ屠畜場の前を回るころ
俺たちはだんだん浮かれはじめる
片足上げてチャルメラ吹こうか
首を回して肩揺すろうか


*ケンガリ 漢字は金偏に正
*リム 雨かんむりに林





ラクダ


ラクダに乗って行こう あの世へは
星と月と太陽と
砂しか見たことのないラクダに乗って。
世間のことを聞かれたら何も見なかったみたいな顔で
手ぶりで答え、
悲しみも痛みもすっかり忘れたように。
もういちど世の中に出て行けと誰かに言われたら
ラクダになって行く、と答えよう。
星と月と太陽と
砂ばかり見て暮らし、
帰りにはこの世でいちばん
愚かな人をひとり 背中に乗せて来るよ、と。
何がおもしろくて生きていたのかわからないような
いちばん哀れな人を
道連れにして。


※シン・ギョンリム 1935年忠清北道忠州市生まれ。
1956年「文学芸術」に「葦」などの詩を発表して創作活動を開始。
第一詩集『農舞』は農村民衆の生活を暮らしの言葉でいきいきと描き、
韓国現代詩史の中でも出色の作品です。以来、民衆詩派の重要詩人と
して知られ、民主化自由実践社会運動にも携わりました。
他に詩集『鳥嶺(セジェ)』『月を越えよう』『貧しい愛の歌』
『倒れた者の夢』『ラクダ』、長篇詩集『南漢江』、散文『民謡紀行』など。
万海文学賞、韓国文学作家賞、大山文学賞、空超文学賞など受賞。

訳者・小川凪さんは、申庚林詩人を「師匠」と呼び、「詩の先生」だそうで、
2度目の韓国留学の際は「弟子入り」したくらい敬愛されています。
それで、地方の言葉もあって難しい申庚林詩人の詩をたいへんよく
練られた巧みな日本語で表現され、優れた訳詩集になっています。
(クオン 定価2200円+税 TEL 03・3532・3896)






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