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韓国詩のコーナーV

目次

金基沢

安度呟

詩誌情報

金芝河

崔泳美


丁寧な描写の金基沢

胎児の眠り

新後閑君子・佐川亜紀訳

彼女のおなかの上に
耳をあてて横たわると
澄んだ水の流れる音がする
小さい息づかいの合間に
流れる静かな動きが聞こえる
温かい毛細血管ごとそれらは揺れ動く
時としてあばら骨の中で休み、
しばらくの間重々しい響きになり
くるくる回り、
また、毛細血管の中にふるえて染み渡る
この音が流れていくところのどこかに
すやすや息をし、
育つひとりの子どもがかくれている
意味のない夢を見ようとするような
驚いた目になり、
くすぐったい手足の指をもぞもぞしようとするように
音はここ一つのところに集る
このすべての音が溶けて、
鼻になり、
顔になろうとすれば、
心臓になり、
胸になろうとすれば、
眠りはどれくらい深くなくてはならないのか
眠りの強い浮力に勝つことができず、
子どもはこれ以上隠れられなくて
へその緒が切れるほど浮かび上がり
波にひたすら揺れている
幼い葉っぱのような手でまぶしい目をこすっている

*金基沢は1957年韓国京畿道安養で生まれました。1989年
韓国日報新春文芸詩部門で詩「せむし」「日照り」が当選。
1991年第一詩集『胎児の眠り』(文学と知性社)1994年第二
詩集『針穴の中の嵐』(文学と知性社)1995年第14回金沫
嘆賞受賞。金基沢の詩は細かい観察と描写に特質があります。
また、単なる描写だけでなく、音が心臓になる・背中が卵にな
るなど、意外な変貌が展開される時、いい詩になっています。


新世代の抒情・安度呟



鯨を待ちながら
佐川 亜紀訳

鯨を待ちながら
ぼくはチャンセンポ海にいたんだ
誰かが鯨はもう帰って来ない、と言った
もし帰ってきたとしても目に見えません
ぼくは悲しくなって防波堤の端に坐って
海をずっとながめていたんだ
待つものは来ないことを
知りながらも待って、待ちくたびれるのが人生だと
知りながらも待ったんだよ
鯨を待っている間
海辺の乳首を吸う波を見たよ
息を一回吐くたびに
肩を上下に揺らすあの海がまさに
一頭の鯨かもしれないと思ったんだ

*「鯨を待つこと」が何のたとえか、想像してみてください。
「夢を待つこと」かもしれませんね。

済州(チェジュ)のすずめだいの塩辛
佐川 亜紀訳

塩と肉の香りにずっと漬けられた
済州のすずめだいの塩辛
身はしぼられ、水にぬれた手ぬぐいのようにくしゃくしゃになり
じっと見ると、 ピーンと突き出たくちばしと
大きくて黒い目はまだつぶし足りないね
おちょぼ口になったのは生きている間
食べ物がなくて少ししか食べられなかったせいだろう

ところで、目はなぜあんなに大きいの?
あの目で海の中をすべて見回していたのなら
今、ぼくのようなものは
眼中にもないだろう

*済州島は火山島で有名なハルラ山もあり、海も美しい地ですが、
植民地支配などで生活は苦しく、弾圧を受け「身はしぼられ」「食
べ物がなくて少ししか食べられなかった」人々がたくさんいたでし
ょう。抗日闘争も激しく、日韓の歴史を見渡す海に浮かぶ大きな目で
もありました。
安度呟(アン ドヒョン)は、1961年慶尚北道イエチェンに生ま
れ、1981年大邸毎日新聞、1984年東亜日報の新春文芸を通じ
てデビューしました。1996年詩と詩学社「若い詩人賞」受賞。
1998年「素月詩文学賞」受賞。詩集に『焚火』『あなたの所に
行きたい』などがあり、柔らかい表現、新鮮な感覚が注目されています。




2000年に詩誌創刊次々と



日本では、2000年になったからといって、大きな詩誌が
創刊されるという話をあまり聞きませんが、韓国ではかなり
ミレニアム、時代の分岐点を意識した文芸誌が創刊されてい
ます。これも、時代にかかわる韓国詩ならではのことでしょ
うか。
また、日本の詩に関心が高いのも共通しています。
*上の写真は、「詩と革命」の創刊号です。

新しく創刊された三つの詩誌をご紹介すると、
★「詩現実」は隔月刊ですが、ページ数がなんと441ペー
ジ。巻頭には、21世紀の詩を展望する対談。次は、フラン
スの詩人マラルメの特集。韓国詩にもフランス詩の影響は大
きいです。日本の詩人5人柴田三吉さん、紫野京子さんや私
などの詩も紹介されています。芸術派の詩誌です。韓国詩の
主流派でしょう。

★「詩と革命」これは、わたしが連載して日本の現代詩につ
いて書かせていただいている詩誌。出版社が「文化発電所」
というおもしろい名前。社会派、民族派。「近い将来統一が
なされるという前提のもと、文化(精神)的な統一を先取す
るために企画した本」だそうです。1965年生まれの若い
詩人・金ヒョンヒョさんが発行人です。日本の現代詩も紹介
してほしい、しかも、アジア的な連帯感を感じさせる作品が
のぞましいという要望に、日本の現代詩にアジアがあるか、
あんまり無くてガクゼンとしました。上の写真の創刊号には、
日本でも敗戦直後には詩についての反省があり、俳句第二芸
術論や短歌的抒情の否定など説かれたことを書いて驚かれま
した。在日の詩人紹介はキム・リジャさんです。
発行部数が3000部もあるのにびっくり。詩の読者が多い。

★「ミネルバ」韓国外国語大学教授で詩人の李炭(イータン)
氏発行。これにも日本の若手を紹介予定だそうです。
日本では、詩の読者を開拓するのが大変ですが、韓国はまだま
だ詩へも熱い思いがあってうらやましいかぎり。












金芝河は今、どんな詩を書いているか。


日本で知られている韓国の詩人と言ったら、やはり金芝河(キム・ジハ)でしょう。1998年暮れに初めて日本を訪れ、講演などをして、新聞テレビでも取り上げられました。1975年ごろは、独裁政権を誹謗中傷し社会を混乱させたと死刑判決まで出され闘う詩人として有名でした。 詩に、そんな社会的影響力があるなんて今の日本では考えられませんが、アジアの詩人は政治に関係している人が多いです。
しかし、この頃は、金芝河もエコロジカルな考えに変わったようです。「律呂と新人間主義」と題した講演では、生命を中心にして宇宙観を語り、有機農運動、環境運動、エコ・フェミニズムなどを大切にし、「東アジア生命共同体運動」を提案しています。また、新しい風流の創造、律呂ー宇宙の変化に注目しながら、人間心霊の奥に入って、表現する新しい音楽、新しい詩、新しい芸術も提起しました。韓国の若者たちからは、民主化闘争から後退したと批判もきびしかったそうですが、時代の負の根源を見抜く批評眼はいまだ健在です。
詩には孤独感も濃いです。金芝河の発言や詩のご感想をEメールでお送り下さい。詩は、1994年刊の詩集『中心の苦しみ』から訳出しました。



中心の苦しみ

金芝河
佐川 亜紀訳


春に
そっと見ると
ふきの花茎が揺れる

土の中から
押し上げてきた熾烈な
中心の力

花咲いて
広がろうと
四方に散らばろうと

苦しく
揺れる

私も
揺れる

明日
村里に行って
行って
留守にするよ 花咲かせるよ




五十歳

金芝河
佐川 亜紀訳


年のせいでか
目がかすむ
目は魂の網
魂は暗い
夜明けまで暗い
薄暗い部屋の中で
いつもひもじく
待つはさみの音は遅く
油虫が横に来て
黙っている
外に
霜が降りているのか
糸を切る歯先がしみる
ボタンの無い
去年のチョゴリ
まだ残る霜を踏んで
目がよく見える妻が
帰って来る
帰って来た声がする




すべてが立ち去って

金芝河
渡辺キルヨン訳


すべてが立ち去って
私だけが残るだろう

松葉が茶色く変わって
鳥たちがいなくなり

けものも魚も
虫もみないなくなり

周囲の友人たち
ひとりふたり病気で死んでいなくなり

私だけが残るだろう
地球の上にひとりだけで

地球すら土も石も
水も空気までもみな死に

国の名前をつけた
幻だけが残るだろう

最後は
身動きできない天罰のごとく
私だけがぽつんと残るだろう









韓国詩界のシンデレラ
百万部ベストセラー詩人崔泳美


日本では、詩集が売れることはほとんどありません。一部の人生訓詩やメ ルヘン詩を除いて、特に現代詩(現代の感覚、矛盾、社会意識などを内包し ている詩−私の定義)の分野は、今や書店からも追い出され始めています。 日本文化自体がクライシスです。先日、金芝河も来日した川崎市の市民運動 による世界人権宣言50周年記念シンポジウムで、作家の島田雅彦が小説も読 者が減り、書く人と読む人が同じになってきたと言っていました。 私が去年1998年ソウルに行った時、韓国でも同様になってきたと聞きまし たが、それでも韓国の詩集の売れ行きにはびっくりさせられます。 なんと、詩集が百万部も売れるのです。それも現代社会の苦みを歌った詩 がです!では、崔泳美のコンピューターを描いた詩をご覧下さい。



Personal Computer

佐川 亜紀訳

新しい時間を入力して下さい
彼は上品に言う

老練な共和国のように
抱いている女のように
彼はやさしく命令する
準備ができたらどのキーでも押して下さい
彼は寛大ですらある

練習を続けますか でなければ
メニューにもどりますか
彼は聞くことも知っている
まちがったことなどはない

彼はいつも抜け出せるキーを持っている
熟練した外交官のようにあらゆることを知っていながらも
何もわからない

このファイルには近づけません
時々 彼は丁寧に拒絶する

そのように彼は手なづけていく
自分の前に 膝 熱くなった右手 左手
真っ赤なマニュキア 14Kダイヤ 太った手
油だらけの汚い充血した手
やさしく叩きながら手なづける

敏感な彼は時々ウイルスにかかることもあるが
そのたびごとにクーデターを夢見る

もどりなさい!画面の初期状態に
あなたが始めた所、あなたの根
あなたの故郷に、あなたの釣り場に
教壇に、工場に
みんなもどりなさい

この記録を削除してもいいでしょうか
親切にも彼は知られたくない過去を消してくれる
きれいに、無かったように、消してくれる

私たちの時間と情熱をあなたに

とにかく彼はとても人間的だ
必要な時はいつもそばで光っている
友達よりもいい
恋人よりもいい
話しはしなくても分かって気を使ってくれる
その前でいつまでもおとなしくなりたい
これが愛ならば

ああ コンピューターとセックスできたなら!



*この詩を読んで韓国の詩は、金芝河に代表されるような政治抵抗詩だと思っていたのに、ずいぶん変わったな
と思う方もいらっしゃるでしょう。確かに、韓国も高度情報化社会となり、その中で生きる人達の感性もテーマも
多様に変化しています。しかし、崔泳美のような1960年
代生まれの詩人でも、根底には、社会や歴史への思い
を受け継いでいることが、日本との違いでしょう。次の詩
は、それをよく表しています。



もう一度探した春

佐川 亜紀訳

1,

4月
5月
6月
1961年に生まれた私は記憶すべき日があまりにも
多くて、お産が目のまえに迫った妊婦のように横たわってカレンダーをめくる

2,

4.19を迎えた私はどんな歌も歌わないだろう
私と関係なく私の中にうずくまっている記憶
その記憶の生き生きした鋸の目
手入れをするほど鋭くなる傷口
みんなすべて消え去れ
私も知らないうちに私の中に種をまいた熱望
その熱望がいっぱいなのに
すきまにいつも攻め寄せてきた風
みんな頭を下げて青春の裏門に失せろ

3,

再びたずねた学生会館
空き地で20になったばかりの若者たちが
三々五々連れ立って空っぽの牛乳缶でチェギげりをし
歩むごとにとんとんはじけたように開いた空、
つつじ、れんぎょう、木蓮、花たちの思いのままに
一緒に咲いて順々に散る咲き乱れたある春の日
校庭を出ながら、私は、歯を食いしばって決意した
4.19を迎えどんな歌も歌わないだろう
熱いうどんのようにあえいでいた

※4.19・・・・・1960.4.19。当時の李承晩政権の不正に抗議し、全国で、高校生、大学生たちが決起した学生革命。この学生革命で李承晩政権は打倒された。
※チェギげり・・・穴の開いた銅銭を、薄紙で包み、羽子
のようにして足で蹴る遊び。





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