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マサのプロフィール

生年月日 1965年12月×日  
出身 岐阜県高山市 本州の真中、冬は寒いです
好きな食べ物 パン、ベーコン 朝食は毎朝パンです
嫌いな食べ物 特に無し  
苦手な食べ物 昔はお餅が苦手でした ようやく克服できました
好きな色 蛍光オレンジ マラソン大会でのラッキーカラーです
趣味 走る事(マラソン)、汽車旅、
プロレス観戦→チケット一覧
家でじっとしているのが苦手

誕生~幼少(1965~)

マサは、1965年(昭和40年)12月5日16:30、岐阜県の飛騨高山で生まれた。体重3050gの普通の男の子であった。小さい頃から汽車が好きで、当時高山線に走っていたSLに、よく父と一緒に乗ったという。幼稚園は、高山駅近くの「高山幼稚園」、年中が”れんげ組”、年長が”ゆり組”であった。この幼稚園は何年か前に無くなってしまったとの事で、ちょっと寂しい気がする。

少学生時代(1972~)

小学校は山王(さんのう)小学校。当時はまだ児童も多く、各学年6組まであったが、自分は1年から6年まで全て3組。当時の一番の想い出は、6年の時に1泊2日で行った修学旅行(鈴鹿サーキット、名古屋)である。地元の高山には遊園地が無かったため1日目の夜、鈴鹿サーキットの遊園地での自由行動がとても楽しみだった。

スキーを始めたのもこの頃。高山では冬の体育が殆どスキーになってしまい、又、学校からスキー場に行ったりもするので、強制的にやらされた感じもあるが、やってみると面白くてどんどんはまって行った。

中学生時代(1978~)

鉄道模型

中学校は日枝(ひえ)中学校。中学校も6組まであったが、今度は1組2組という呼び名では無く、アルファベットの1A、1B。自分は1A→2E→3Eであった。

中学生になってから鉄道に興味を持った。友達に同じ様に鉄道が好きな奴がいて、一緒に富山駅まで電車の写真を取りに行ったり、鉄道模型(Nゲージ)を始めたりもした。高山駅のそばで友達と半日近くも汽車を見て過ごした事もあった。今思うと、それ程、種類も本数も多くない高山駅で、よくそんなに時間をつぶしたものだと感心する。

当時の一番の想い出も、やはり3年の修学旅行である。行き先は2泊3日で宝塚、京都、奈良。奈良の鹿公園で鹿せんべいを食べていたら、近くにいた人に笑われてしまった。(この頃から変であった?!)

 

高校生時代(1981~)

愛車ステラ

高校では、パソコン(当時はマイコンと言っていた)に興味を持ち、雑誌に載っているゲームプログラムを入力し、友達とよくゲームをやっていた。

高校での一番の想い出は、車の免許を取った事だろうか。自分の学校では、就職する者が殆どで、市内にある2つの自動車学校には定員があるため、就職に車が必要なものから優先的に、3年生の12月から免許を取りに行く事が許された。残りの者は、クジで順番という事になり、自分は偶然にもそのクジで当たりを引いた。おかげで3年の冬休みから自動車学校に行く事が出来た。その年は割と雪が多く、車にチェーンが巻いてある日が殆どだった。ワイパーも効かない吹雪の時はとても怖かった記憶がある。講習はコンスタントに進み、ほぼ1ヶ月で卒検もパスし、高校の卒業式の3月1日付けで免許交付となった。

 

社会人になって・・・(1984~)

リレーマラソン完走証

社会人になって横浜に引っ越した。最初は会社の寮に入ったのだが、その寮というのが会社から遠く、通勤が大変であった。それに当時は、6畳に2人部屋という事でお互いの荷物が多いと足の踏み場も無い状態だった。その寮には3年しかおらず、以後、横浜生活の殆どを過ごした磯子区・杉田に移った。

社会人になって初めて経験した事も多い。まずはプロレス会場に行った事。プロレスは中学生の頃からTVで見る様になり、毎週金曜日は夜7:30~の「カックラキン大放送」と合わせて楽しみだった。当時は、初代タイガーマスクがデビューし、また長州力が維新軍を旗揚げしてプロレスが大いに盛り上がっていた時だった。初めての観戦は東京・大田区体育館。これをきっかけに以後、会場に足を運ぶようになる。社会人になって熱中したものが他にもある。それはスキーとランである。2つとも会社の先輩の影響であるが、スキーの方は1シーズンに15~20日ぐらい行く様になった(最近は殆ど行かないが)。私のスキーはハード!とよく人に言われるが、一番ハードだったと思うのは、斑尾で友達とスタンプラリーをやった時。朝7時~夜6時まででトータル100本近く滑っただろうか。リフトも殆ど顔パス状態であった。ランの方は、大会の初参加は1994年に会社の同僚と参加した「第3回ひたちリレーマラソン」。これは4人以上のチームで42.195kmを交代に走り切るもので、これで走る楽しみを知り、以降、個人参加の大会に出る様になった。

その後、転職して1999年からは栃木県宇都宮市、2010年からは栃木県矢板市に引っ越した。矢板市は、静かな所に住みたいと思っていた自分にぴったりの町で、趣味のランや汽車旅を楽しむのにも都合が良く、結構気に入っていた。

そして、2012年からは28年ぶりに故郷・岐阜に戻り、山県(やまがた)市に住んでいる。生まれ育った土地とは言え28年も経っているので、関東と中京の文化の違いに戸惑うことも多いが、お金のかからない小規模なマラソン大会の良さにも気付き、結構充実した日々を過ごしている。

更に、2015年には岐阜市に自宅を新築し、2016年からは家族が1人増え(愛猫の「みぃ」君)て出かけることは少なくなったものの、家を中心に結構快適に暮らしている。