9月4日 ヘビースモーカーズフォレストだ!
喫煙場所の範囲が広すぎると怒ってくる人がいた。禁煙のスペースをもっと広くとるべきだと言ってきて、これまで一本の煙草も吸ったことがない僕は大いに賛成したのだが、禁煙や分煙が広がる最近の流れをしらないのかと言っているのには、おかしな理屈だなと思った。自分が煙草の煙にあたるのが嫌だとか、煙草を吸わない人間もロビーの椅子に座る権利があるとかいうのなら分かるけど、それが時流だからということで人に押し付けるのはどうなんだろう。
知り合いがまわりで煙草を吸っても気にしないけれど、前を歩いている人の煙はうざったいし、飯屋でたまたま居合わせた赤の他人が僕の食事中に煙草を吸っていると席を遠ざけたくなる。そのくらいの非喫煙者である僕は極端な嫌煙家とまではいかないから、副流煙を吸い込むことで健康を害するのは嫌だけれど、煙草のせいでいざこざが起きるのはもっと嫌な気がする。だから、社会的に禁煙や分煙が広がるのは歓迎しても、それを他人に強要しようとは思わない。社会の多くがそうなりつつあるからあなたもそうすべきだという論理では、物事を正当化する理由にならない。そんな考えだとブッシュ大統領になっちゃうよ。
でも、JTのおかしな企業戦略をみていると、そんな考え方をする人が出てくるのもしかたないのかなと思えてくる。煙草に掛かる税金はどんどん上がりつつ、タールやニコチンや匂いが少ない新製品をアピールしつつ、健康被害を警告しつつ、女性の喫煙者増を見込みつつ、煙草とは無関係な事業に新規参入して多角化を進めつつ、煙草文化うんぬんといっている。こんな自己矛盾に満ちた活動には戦略性などない。そんなわけで、最近、電車の中吊りにかかっている新喫煙マナー広告(「煙草を持つ手は、子供の顔の高さだった」等のコピーをJTのイメージカラーである緑で統一したグラフィックでならべているやつ)にはかなり不快感を感じる。煙草を買ってるヤツが手前らで気づきやがれとは随分居丈高なことだ。
企業は永続することを前提にしている以上、主力商品の寿命がきたからといってだまって衰退していくわけにはいかないが、JTは国策で興された専売公社を前身にする煙草を唯一の事業としてきた組織なのだから、煙草が社会から消えるのならそれとともに消滅するのが自然なのではないのだろうか。
9月4日追記:
東北高校のダルビッシュ投手、喫煙疑惑でNHKのドキュメンタリーが放送延期だそうで。
7の7倍の7倍の苦難を越えたというのに、煙草一本で窮地に立たされるとは。
きょうの一冊:『タバコの歴史』 著/上野堅実
きょうの一枚:『ドラえもん のび太の大魔境』 (DVD)