11月28日 読書週間だったりします
ほとんどの人が知らないでしょうが、毎年この時期に「読書週間」という行事がこっそり行なわれています。それにあわせて新聞社が読書に関する世論調査を実施しているのですが、その結果が毎年おもしろいことになっています。
毎日が、
「学校読書調査:セカチュー効果 本読む中高生が急増」
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20041027k0000m040019000c.html
読売が、
「「この1か月、本読まず」が半数…読売世論調査」
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20041027i314.htm
毎日では読んでる、読売は読んでないと正反対の見出しが並びました。毎日は学校で教育に読書をとりいれる運動が着実に実を結んでいると言い、読売は本離れが進行しておりこのままじゃ活字文化が危険だと言っています。どうしてこういうことになるかというと、毎日は学校での「朝の読書運動」に協力していて、読売は「活字文化推進フォーラム」を開いて活字文化の啓蒙運動をしているからです。まず結論ありきで記事が構成されているのです。統計も、毎日は学校単位で依頼するので抽出の段階では無作為でも、読書の調査を承諾する学校というのは読書教育にも熱心な可能性が高いわけですから、学校の読書教育の広がりと相関して読書率が上昇していることが考えられます。読売の「この1か月、本読まずが半数」というのは過去のデータと比較して増加しているわけではなく、質問の仕方が同じ1995年以降はほぼ横ばいです。半数が1か月に一冊も本を読まないというのも、逆に言えば半数は最近1か月に1冊本を読んでいるわけで、表現のニュアンスの違いで読書離れの印象を誘っているところがあります。
「過去の調査データから、読書量の変化を見ると、90年代前半までは、「1―3冊」読んだという人が、「読まなかった」人を上回っていたが、90年代後半には逆転し、以後は、「読まなかった」の方が多くなっている」(読売)
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20041028bf01.htm
と言っているのも、1995年を境に質問の仕方が変わったからで、その前後では率は横ばいです。そんな事情には一言もふれずに、過去11年間という中途半端な期間であるにもかかわらず1994年からの推移を付属グラフで掲載しているのは、井崎脩五郎のデータ予想並に胡散臭いです。
このように毎日も読売もアプローチこそ違えど、読書のこととなると興味津々なのは、新聞が本と同じ活字媒体で、読書の危機は新聞の危機という認識があるからでしょう。しかし、僕は月に5冊以上は本を読んでいますが、最近テレビ欄以外の新聞記事を読んだ記憶がありません。新聞はネットで読めますから。僕の生活に必要不可欠な話題が載っているスポーツ新聞や競馬新聞も例外ではありません。キオスクでどんなに気になる見出しが踊っていてもお金を出して新聞を買うことはないです。家に帰れば続報を含めてネットで読めますし、ワイドショーの「今日の夕刊」コーナーでは「読み聞かせ」までしてくれますから。
こういう活字に親しみながら紙媒体の新聞には縁遠い層は着実に増えているはずで、新聞社は活字の危機うんぬんを心配するよりもネットでの広告料収入の確保に知恵を絞ったほうがいいように思えます。バナー広告はどんなに派手でも、それが広告だと認識すると目がいかないようになりますし、日経のような記事を読もうとするとページに組み込まれたReal Playerから声が聞えるホラーのような仕掛けは迷惑甚だしいので、アクセス数の減少につながるでしょう。なかなか効果的なネット広告は難しそうですが、紙の新聞でもそんなに広告は見られてないわけで、全面広告だってそのページを開かなければまったく効果が無いのです。新聞紙面のページ単位の閲覧数が分からなく、広告をクリックしても広告主のサイトに飛ばないのでは、具体的な広告効果がわからないわけですが、それでも広告料が維持できているのは、日本が誇る新聞の宅配システムによって築いてきた「日本全国のお茶の間にお届けしています」という幻想があるからでしょう。要するに広告主をいかに騙すかに尽きるわけです。読書運動が新聞購読者獲得につながるという幻想を信じるほど信心深い新聞社のことですから、その信仰心を広告主の獲得にも発揮すれば経営の安定につながることでしょう。
きょうの一冊:『だれが「本」を殺すのか〈上〉』 著/佐野眞一