ぼすのできごと 2004年10月下旬
   2005年 1月上 1月下 2月上 2月下 3月上

   2004年 9月上 9月下 10月上 10月下 11月上 11月下 12月


16日 人生一度は万博だ
  19日 新札デビュー  20日 となりのtoto  21日 ゲーム研究の恐怖
22日 カストロ議長の骨折について
23日 JRA日本中央競馬会創立50周年に伴う天皇皇后両陛下の行幸啓について
25日 とき325号の脱線について  26日 助けてホリえもーん  28日 読書週間だったりします
29日 修正のできる法律相談所  31日 国民とともに歩む開かれた天皇賞

 

10月31日 国民とともに歩む開かれた天皇賞

 

 プロ野球のシーズンが終了し、また秋のG1戦線が本格化するこの時期、競馬の話題がスポーツ紙の一面を飾る機会が多くなるが、今週の天皇賞は混戦もあってゼンノロブロイ、アドマイヤグルーヴ、リンカーン、テレグノシス、ツルマルボーイといろんな馴染みのある馬の名前が駅の売店の店先に連なっていた。オグリキャップやナリタブライアンのころに比べれば競馬が世の中の話題になることが少なくなっているが、さすがに天皇賞となるとちがうのか、週半ばにも電車で乗り合わせたサラリーマンたちの「週末東京雨やってな」「なんや出張か?」「ツルマルあかんのちゃうか思うて」「なんやそっちか」というような会話を聞いたりもした。普段、PATで馬券を買ってグリーンチャンネルで結果を見ているので、世の中のひとがどれくらい競馬に関心をもっているのかがよくわからない。なので、こういうふうにたまに日常の中で競馬が顔を出す瞬間に出くわすと、少し驚いてしまう。 

 馬券は胴元のJRAが天引きした残りのお金を購買者が分け合っている。その大部分は競馬おやじや競馬アニキや競馬おばばや競馬ネーチャンのなかで毎週まわりまわっているのだろうけれど、G1ともなると世の中のいろんな人がそこに入ってきて、購買者がどっと大衆化する。特にこの秋は三連単の新発売があるので、一攫千金を狙って宝くじの延長で新規参入してくる人たちもいるのではと思われる。そういう人たちは先週の菊花賞だと、とりあえず話題になっているコスモバルクや誰でも知ってる武豊から入っているんじゃないかと思っていたら、デルタブルース⇒ホオキパウェーブ⇒オペラシチーという非常に玄人っぽい当り目が意外に低配当になっていて(3着がコスモバルクに入れ替わった方が倍以上も配当がついていた!)、レース結果よりも確定オッズにしてやられた気分になった。天皇賞では、いわばライバルのそれらの人がどういうふうに競馬に接しているのかも見ておかないとと思い立ち、場外の人ごみの中にそを聴きにゆくとばかり、WINSへと出向いた。 

 天皇賞当日の午後一時過ぎ、大型商業施設「なんばパークス」に隣接するWINS難波に向かった。隣接するといっても、ビルの地階がWINSなのだが、オサレなテナントが割拠するビルに場外馬券売り場は不似合いとみなされたのか、開業前に見物に行ったときには入り口が分かりにくいところ隠れるようにあって、攻略本のマップを見ないとなかなか行き着かない感じで「小さなメダル」でも落ちていそうな雰囲気だったが、さすがに不評なのかあちこちに案内が出ていた。しかし、それがコピー用紙を切り貼りした手作り感あふれるもので、逆に景観を悪くしていそうに感じる。 

 さすがにG1当日だけあってフロアは人であふれかえっている。昔の大阪球場の残骸を無理やり改装した狭くて細いまさに「場外」といったものとは正反対の新しくて広い空間なのだけれど、その分だけ人も多く収容しているので密度はあまり変わらない。客層は駅の人ごみでオヤジだけは増量した程度で、新聞を敷いて座っている人やビール片手に弁当を食べている人もいるのは相変わらず。1階のエントランス部分は馬券売り場がなくて大型モニターと小型のオッズモニターがならぶ観戦用スペースになっていて、小さな映画館のスクリーンくらいある大型モニター横の目立つ位置にはペリエ騎手のポスターが。ああ、やっぱりゼンノロブロイなのかと思いつつ、下の階へエスカレータで降りる。降りてすぐの馬券売り場は長蛇の列で、係員がさらに下の階へ誘導している。一角にマークシート案内所があり、かなりの人だかりができている。案内係も人手が足りないのか警備員の制服を着た人まで動員されて大繁盛。三連単の導入で三種類に増えた上にマルチやフォーメーションというJRAが地方競馬のものを叩き台に研究に研究を重ねた購入方法ができたマークシートは、馬連からワイド、馬単・三連複へとステップアップしてきた人でも容易には使いこなせないものだから、はじめて馬券を買う人なんて確定申告の用紙くらいややこしく見えるのだろう。「ヒシを頭にローエンに流して・・・」といった当りそうもない馬券の購入方法が延々と説明されていて、ちょっと悲しくなった。せっかくだからお土産にと思っていたレーシングプログラムはこの混雑ではすでに出払った後で、PATで買っているから馬券も買わずに見学だけでWINSを後にした。 

 日本各地の競馬場・WINSのこうした人ごみがよってたかって1番人気ゼンノロブロイという妥協の産物のようなオッズつくり出しているわけで、決め手にかけるゼンノロブロイは2・3着と決め打ちした僕はありがたやありがたやと思いつつ帰路に着いたのだが、結果はゼンノロブロイが勝ってダンスインザムード、アドマイヤグルーヴ。ペリエ、ルメール、武豊。サンデー、サンデー、サンデー。G1しか見てなくても知っているような馬、むしろG1しか見ないほうが買えるような馬で決まってしまった。僕にはどう転んでも買えない馬券で、これはもうWINSでマークシートの塗り方から教わりなおさなければ無理。


きょうの一冊:『JRA全競馬場・コース完全解析/コースの鬼!2nd Edition

JRA全競馬場・コース完全解析/コースの鬼!2nd Edition

 

 

10月29日 修正のできる法律相談所


「島田紳助さんを女性側が告訴、来月4日まで謹慎」(読売) 
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20041028ic23.htm 

 涙の謝罪会見前の10月27日に放送された番組では、『クイズヘキサゴン』でモーニング娘・藤本美貴に「25歳になったらおそろしい女になっとるで」とツッコミを入れ、『松本紳助』では自分の長女を「変な性格」とネタにするなど事件を知っている視聴者をドキドキさせていましたが、「事件を受けて日本テレビは、島田さんが司会を務める『行列のできる法律相談所』の31日放送分を、島田さんの出演場面をカットして放送する」そうです。バラエティーとはいえ、法律をあつかった番組の司会者が裁判沙汰になっては洒落にならないでしょう。 

 いまとなってはどの容疑の時だったか忘れてしまいましたが、『新春かくし芸大会』で田代まさしが同様の処理をされたときは、多数の出演者の一人だったのでなんとかなってましたが、メインの司会者をカットするとなると大変そうです。果たして番組として成り立つのでしょうか?

 橋下弁護士のトークがひとり漫才になってそうです。ここは思いきって、かつて相方だった松本竜介を起用してみるとか。日本テレビ系でダウンタウン・松本人志と出演している『松本紳助』が『松本松本』になってしまうのが最大のネックですが。 

 トミーズ・雅も病気で一週間休養しているようですが、こういうときコンビだともう一人がいるのでなんとかなるわけで、コンビというのはリスク回避の役割も果たしているのですね(ただし、トミーズ・健だと一人では厳しい気もしますが)。吉本興業でも古くは横山やすしが長期謹慎したときに西川きよしが一人で舞台に立ったことがありますし、ハイヒールのモモコは出産する際に産休をとります。中川家のお兄ちゃんはしょっちゅう体調を崩しています。その他でも、小堺一機が休養中の『ごきげんよう』で代役を務めたのは盟友・関根勤でしたが、これもコンビに近いものがあります。急なトラブルで仕事を一定期間休まなければならないとき、いざ復帰したときに自分の居場所がなくなってるのではという心配がありますが、それをある程度カバーできるのは大きなメリットでしょう。最近はピン芸人ブームですが、そういう点では長続きするにはコンビが有利なのかもしれません。知名度も実績も十分に高まって、それぞれに別の仕事が増えてもなおコンビを維持しているとんねるずやウッチャンナンチャンもどこかでそういうメリットを享受してきたのかもしれません。木梨憲武と中居正広の「うたばん」や「南原プロデュース」だとだいぶちがう色の番組になりそうですが、それはそれで面白そうですし。

追記:
『行列のできる法律相談所』ですが、結局、生放送で東野幸司が司会をしてました。さすがに編集で司会者のトークをカットするのは無理だったのでしょうか。

さらに追記:
 その後、書類送検されて当分の間、活動を自粛することとなりました。事件の容疑者を「さん付け」するわけにもいかないので、SMAPの稲垣吾郎が道交法違反、公務執行妨害で逮捕された際には稲垣メンバーと呼称していました。今回の島田紳助はグループでもなくどうなるのかと思ったら、読売新聞、毎日新聞、朝日新聞、日経新聞、時事通信は島田紳助容疑者、共同通信は島田紳助タレント、産経新聞、朝日放送はタレントの島田紳助司会者となっています。


きょうの一冊:『行列のできる法律相談書

行列のできる法律相談書

 

 

11月28日 読書週間だったりします

 

 ほとんどの人が知らないでしょうが、毎年この時期に「読書週間」という行事がこっそり行なわれています。それにあわせて新聞社が読書に関する世論調査を実施しているのですが、その結果が毎年おもしろいことになっています。 

毎日が、 
「学校読書調査:セカチュー効果 本読む中高生が急増」 
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20041027k0000m040019000c.html 

読売が、 
「「この1か月、本読まず」が半数…読売世論調査」 
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20041027i314.htm 

 毎日では読んでる、読売は読んでないと正反対の見出しが並びました。毎日は学校で教育に読書をとりいれる運動が着実に実を結んでいると言い、読売は本離れが進行しておりこのままじゃ活字文化が危険だと言っています。どうしてこういうことになるかというと、毎日は学校での「朝の読書運動」に協力していて、読売は「活字文化推進フォーラム」を開いて活字文化の啓蒙運動をしているからです。まず結論ありきで記事が構成されているのです。統計も、毎日は学校単位で依頼するので抽出の段階では無作為でも、読書の調査を承諾する学校というのは読書教育にも熱心な可能性が高いわけですから、学校の読書教育の広がりと相関して読書率が上昇していることが考えられます。読売の「この1か月、本読まずが半数」というのは過去のデータと比較して増加しているわけではなく、質問の仕方が同じ1995年以降はほぼ横ばいです。半数が1か月に一冊も本を読まないというのも、逆に言えば半数は最近1か月に1冊本を読んでいるわけで、表現のニュアンスの違いで読書離れの印象を誘っているところがあります。

「過去の調査データから、読書量の変化を見ると、90年代前半までは、「1―3冊」読んだという人が、「読まなかった」人を上回っていたが、90年代後半には逆転し、以後は、「読まなかった」の方が多くなっている」(読売)
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20041028bf01.htm

と言っているのも、1995年を境に質問の仕方が変わったからで、その前後では率は横ばいです。そんな事情には一言もふれずに、過去11年間という中途半端な期間であるにもかかわらず1994年からの推移を付属グラフで掲載しているのは、井崎脩五郎のデータ予想並に胡散臭いです。 

 このように毎日も読売もアプローチこそ違えど、読書のこととなると興味津々なのは、新聞が本と同じ活字媒体で、読書の危機は新聞の危機という認識があるからでしょう。しかし、僕は月に5冊以上は本を読んでいますが、最近テレビ欄以外の新聞記事を読んだ記憶がありません。新聞はネットで読めますから。僕の生活に必要不可欠な話題が載っているスポーツ新聞や競馬新聞も例外ではありません。キオスクでどんなに気になる見出しが踊っていてもお金を出して新聞を買うことはないです。家に帰れば続報を含めてネットで読めますし、ワイドショーの「今日の夕刊」コーナーでは「読み聞かせ」までしてくれますから。 

 こういう活字に親しみながら紙媒体の新聞には縁遠い層は着実に増えているはずで、新聞社は活字の危機うんぬんを心配するよりもネットでの広告料収入の確保に知恵を絞ったほうがいいように思えます。バナー広告はどんなに派手でも、それが広告だと認識すると目がいかないようになりますし、日経のような記事を読もうとするとページに組み込まれたReal Playerから声が聞えるホラーのような仕掛けは迷惑甚だしいので、アクセス数の減少につながるでしょう。なかなか効果的なネット広告は難しそうですが、紙の新聞でもそんなに広告は見られてないわけで、全面広告だってそのページを開かなければまったく効果が無いのです。新聞紙面のページ単位の閲覧数が分からなく、広告をクリックしても広告主のサイトに飛ばないのでは、具体的な広告効果がわからないわけですが、それでも広告料が維持できているのは、日本が誇る新聞の宅配システムによって築いてきた「日本全国のお茶の間にお届けしています」という幻想があるからでしょう。要するに広告主をいかに騙すかに尽きるわけです。読書運動が新聞購読者獲得につながるという幻想を信じるほど信心深い新聞社のことですから、その信仰心を広告主の獲得にも発揮すれば経営の安定につながることでしょう。


きょうの一冊:『だれが「本」を殺すのか〈上〉』 著/佐野眞一

だれが「本」を殺すのか〈上〉

 

 

11月26日 助けてホリえもーん

 

「ライブドアが高崎競馬参入を計画…ネットで馬券販売」 (読売)
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20041026i505.htm 

 プロ野球が無理になったらぜひ地方競馬再生業に注力してほしいですね。のび太(競馬場)が泣きついてきたわけもないのにホリえもんが助け舟を出したところは、主催者が投げ出しまくっている地方競馬の現状を映していますが。おそらくプロ野球参入とおなじようにライブドアの企業としての「健全性」とか経営状況とかが問題になるのでしょうが、そんなものは赤字で立ち行かなくなった地方競馬がどうこう言えることではないです。高崎で働いている競走馬や調教師や厩務員や騎手や馬券売り場のおばちゃんはライブドアの助け舟に乗らなければ職を失うわけですから。ネットでの馬券販売やレース中継の手数料収入が期待できるというライブドアの目論見は、高崎競馬単独での黒字となると厳しいのではと思いますが、荒尾や佐賀や高知や笠松や名古屋や宇都宮や盛岡や北海道やらをすべてまとめて面倒見て、そのなかで競争と淘汰をしたうえで生き残った競馬場に資源を集中させればなんとかなりそうな気もします。 

 JRA-VANの地方競馬版が提供されれば、いつでも全国の地方競馬の馬券を買う用意が出来ている僕のような人間の掘り起こしが成功すれば、まだなんとかなる競馬場は残されていそうです。JRAや南関東とのパイの奪い合いになりますが、争奪するなかでパイが大きくおいしくなることもありますし。ライドアがすべてを救ってくれる救世主なわけはないとしても、新参者があらわれたことで何かが変わる可能性が出てくることは確かでしょう。どうせならライブドアには大阪湾の埋立地やりんくうタウンに新競馬場を建設する計画をぶち上げるくらいの派手なパフォーマンスをやって欲しいものです。


きょうの一冊:『馬産地ビジネス―知られざる「競馬業界」の裏側』 著/河村清明

馬産地ビジネス―知られざる「競馬業界」の裏側

 

 

10月25日 とき325号の脱線について

 

「新幹線脱線、あわや… 時速210キロで走行中」 (毎日)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/niigatajishin/news/20041024ddm041040111000c.html 

 新潟中越地震で新幹線が開業以来はじめて営業中に脱線しました。上越新幹線「とき325号」は震源地の真上を走行中だったそうで、震度6強の激震にあっては脱線しない方がおかしいほどの衝撃だったのでしょう。新幹線の「安全神話」といっても、別に無敵バリアを出して走ってるわけではなく、今回のようなどうしようもない場合というのはありえたわけです。そんな最悪の状況で地震に遭遇したにもかかわらずけが人がいなかったのは、旧式の車両で車体が重かったとか、転倒しにくい構造になっているとか、直線部分を走行していたからとか、阪神大震災後に高架を補強していたからとか要因はいろいろ言われていますが、不幸中の幸いどころではない驚異的な幸運だったのかもしれません。副産物として実験では再現不可能な事故データがもたらされたことも、今後の新幹線の安全性向上に貢献するでしょうし。
 
 開業以来脱線したことがない新幹線ですが、脱線した新幹線のビジュアルには既視感.をおぼえました。 望月峯太郎の漫画『ドラゴンヘッド』の序盤で、修学旅行中の主人公たちを乗せた新幹線がトンネル内で脱線したシーンが記憶にあったからです。あの漫画では、日本をとんでもない自然災害が襲ったらしいという断片的な情報のなかトンネル内に孤立した少年少女が狂気と戦う前半部分がとても印象的ですが、おそらく今回の地震で脱線した新幹線の乗客も外部からの情報がない時点ではまさか自分たちの乗った新幹線が災害の中心部にいるとは思わなかったでしょう。阪神大震災の際には、関西でこれだけ被害が大きいなら東京は壊滅的かもしれないと考えた人が少なからずいたそうで、日本人には大地震⇒関東大震災の認識があるのかもしれません。そういえば阪神大震災の時には当日から「東京を同様の地震が襲ったら」という想定をテレビでしていて被災者から顰蹙を買いましたが、今回はその反省もあるのか、いまのところそのような報道は目にしていません。被害がはっきりしない段階で民放各局が通常番組を差し替えて臨時の報道特番に突入したのもゴールデンタイムで目玉番組があったにしては早い対応だったと感じました。今日も「TVアニメ:「ブラック・ジャック」差し替え 地震場面で」(毎日)http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/tv/news/20041026k0000m040048000c.htmlというような間の悪い鉢合わせにも対応していました(ガンダムやドラえもんやブラック・ジャックが見られないと嘆いているアニメファンがいるとしても、テレビ東京系は休まず通常編成をつづけているので安心でしょう)。それでも被災地の人にすれば、テレビは見当違いな報道や場違いな映像を流していると感じる部分があるのかもしれませんが。 

 今年は台風も地震も異常なほど多く、こんなに自然災害がつづくのは言うまでもなく不幸なことですが、こうした災害に対応してきたノウハウや経験は今後に活かされるでしょうし、活かさなければならないことでもあります。それにしても来年は穏やかな年になってほしいものです。とりあえず、ゴジラは今年の襲来のあとはしばらく休むそうですが。


きょうの一冊:『ドラゴンヘッド(1)』 著/望月峯太郎

ドラゴンヘッド (1)

 

 

10月23日 JRA日本中央競馬会創立50周年に伴う天皇皇后両陛下の行幸啓について

 

「両陛下:競馬の天皇賞観戦へ JRA50周年で」 (毎日)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/koushitsu/news/20041023k0000m040047000c.html 

 今回無理なら次は100周年までまたないといけなかっただろうし、おそらくそのころの日本には競馬はあってもJRAという組織は存在していないだろうから、あるとすればこのタイミングしかなかった。ダービーを観戦して馬券も当てた小泉首相の在任期間中で、当時の農水相が現自民党幹事長というのもプラスに作用したのかもしれない。一週間前まで発表されなかったということは、それほどきわどかったわけで、JRAにとっては社運(組織運?法人運?)を賭けた「プロジェクトX」だったのだろう。 

 天皇が競馬場に来場するのは、競馬観戦が趣味のひとつだった明治天皇以来のことで、現両陛下にとっても皇太子時代の1987年に天皇賞施行50周年記念でご来場されて以来。日本競馬の成り立ちや依って建つところを考えれば、まさにJRAにとっては悲願だった。 
 そんな大事なレースにダービー馬が欠場してしまうのはなんとも残念だが、今年の天皇賞・秋が天皇賞史上に残る名レースとまではいかなくとも、今年のベストレースと呼べるような見ごたえのあるレースになって欲しいとは、JRAのみならずあらゆる競馬関係者が望んでいることだろう。それは天皇制賛美とか、寄らば大樹の陰とか、長いものには巻かれろとかそんな意味ではなく、いやむしろそういうことも含んだ上で、日本競馬が日本競馬であるが故のことなのだろう。馬を走らせるのは人であり、人は人の論理やら制度やらに良くも悪くも左右される。 

 ということは、いまのところの僕の本命バランスオブゲームはかなり厳しいわけで。そして僕の穴馬ナリタセンチュリーにはどう転んでも出番がないわけで・・・。ああ、アドマイヤグルーヴ武豊で参戦か。史上初の天皇賞母娘制覇か。すべてはこの日のためにあったのだろうか?

10月27日追記:
「天皇、皇后両陛下:天皇賞観戦を取りやめ」(毎日)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/koushitsu/news/20041027k0000m040098000c.html

 地震の被害がこれだけ甚大ではいたしかたないかと。中止ではなく来年への延期ということで、JRAの尽力も無に帰したわけではない。
 これで余計なことを考えずにバランスオブゲーム本命でいくことにしよう。


きょうの一冊:『富国強馬―ウマからみた近代日本』 著/武市 銀治郎

富国強馬―ウマからみた近代日本

 

 

10月22日 カストロ議長の骨折について

 

「キューバ:カストロ議長、転倒し骨折」 (毎日)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20041022k0000m030127000c.html 

 世紀の革命家も寄る年波には勝てないようで。 

 それでも、「すぐに起き上がり、テレビカメラに向かって「ひざの骨が折れたかもしれない。もしかしたら腕も。だが、体は一つにつながっている」 と、得意のジョークで無事をアピールした」そうで、転んでもタダでは起きないところはさすが。キューバ危機の当事者であったケネディやフルシチョフはすでにこの世を去って歴史上の人物となっているのに、カストロ議長は78歳となったいまなお現役で権力の座にいるのだからすごい。 

 映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』が公開されてまたもやブーム到来中の盟友チェ・ゲバラに比べるとワールドワイドなカリスマ度はやや落ちるが、相手はすでに死んでいるのだから伝説化されている部分もあるわけで。競馬でいえば早世した三冠馬ナリタブライアンと高知で現役続行中のナムラコクオーみたいなものか。ついこの間そのゲバラの孫に「年老いた暴君」と批判されたりもしているけれど(http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/kokusai/20041019/20041019id27-yol.html)、学生時代には野球のピッチャーとしてメジャーリーグ選抜チームを完封したことがあり、革命を志してからはテロリストとしてCIAに何度も暗殺されかかり、最近は巨大ハリケーンがやってきたからとテレビの天気予報に自ら出演して国民に警戒を呼びかけたりしている。 

 政治的に支持しているわけでもなく、村上龍のようなキューバ文化への憧れもないけれど、そんな伝説の男、フィデル・カストロの骨折がはやく治ることを願ってやまない。


今日の一冊:『カストロ、銅像なき権力者』 戸井十月

カストロ、銅像なき権力者

 

 

10月21日 ゲーム研究の恐怖

 

「CESA:「ゲームソフトの影響は?」 報告書を公開」 (毎日)
http://www.mainichi-msn.co.jp/it/solution/news/20041020org00m300092000c.html 

 社会的にこういう研究の必要性は高まっているし、ゲーム関連産業の成熟とともに研究費を助成する企業も増えているのでしょう。CESAのサイトにある240頁ほどのPDFファイルをやっとこさ落として(これにかぎらず最近Adobe AcrobatReaderでのPDFファイル表示がやたらと重いのですが、気のせいでしょうか?)、報告書を見てみました。 

 とりあえず興味をそそられた「第一部 ゲームが社会的問題解決能力の育成に対し与える効果に関する調査 ?ガーラフレンドに見られるゲームマニアによるソフト評価の分析?」をざっと読んだのですが、これがいろんな意味で面白い研究でした。 

 ガーラフレンドというネットワーク・コミュニティ内でゲームに関するサイトや掲示板を運営している人にメールを送って質問に回答してもらったそうですが、メールを送信した66名中回答者は9名。調査者は「本研究のような仮説生成的な研究では、調査対象者が多数である必要性は相対的に少ない」と言ってますが、ちょっと少なすぎる気がしないでもないです。 

 肝心の調査の内容ですが、「社会的問題解決能力の育成に有効だと思うゲームソフトのトップ5を挙げ、ランキングをつけるよう求めた」 とのことで、1位〜5位までのゲームソフト名と発売元、その理由を書くだけのシンプルなものです。回答者の属性については謝礼を郵送するために住所と名前を聞いているだけでした。回答結果はシミュレーションゲームとロールプレイングゲームがほとんどで、おそらく回答者はクリアするのに頭を使いそうなゲームという漠然としたイメージのなかで回答したのでしょう。なかには「1位 「スーパーロボット対戦シリーズ」(バンダイ) 理由 基本的にシミュレーションゲームが大好きなので。後、懐かしいキャラクター&ユニットが出てくるので」 と、ただ単に好きなゲームソフトを書いているだけのものもありました。どうも調査者が想定している「社会的問題解決能力の育成に有効なゲーム」が抽出されているのか疑問です。 

 それでも調査者は、この結果から「本研究の結果、ゲーム経験の豊富なゲームマニアは、テレビゲームが何らかの形で社会的問題解決能力の育成に効果を発揮し得ると認識していることが示された」 と言っていますが、控えめに言ってもだいぶ強引です。ゲームマニア(調査者はメールアドレスと住所と名前しか知らない調査対象をこう呼称していますが、その根拠や「ゲームマニア」の定義は特に示されません)が社会的問題解決能力の育成に効果があると思っているゲームソフトは何か?ということを聞いて何か答えたからといって「効果を発揮し得ると認識している」ことにはならないでしょう。せめて最初に回答者がその仮説に賛成かどうかは聞かないと。 

 結局、9人のゲームランキングを分析しただけのこの調査の結論で「テレビゲームは社会的問題解決能力の育成に有効であり、しかも、ジャンルごとに異なる機能がある可能性が示唆された」 と調査者は言ってしまいますが、「ガンの予防に効果がありそうな野菜を5つ挙げてください」と10人くらいに聞いただけで、「野菜はガンの予防に有効でありしかも種類ごとに異なる機能がある可能性が示唆された」と言ってしまうのは、みのもんたでも厳しいです。 

 調査者がこんな結論にたどりついたのは多分、 

@仮説生成の調査だから根拠はこれからだ 
A孫請けのような論文にまともな調査なんかしてられっか 
B『ゲーム脳の恐怖』がまかりとおるならこれもありなの 

のどれかだと思われますが、後半のジャンル別分析で、「アンジェリーク」への「恋愛方法にもいろいろあるということを学ぶことが出来ると思う。各人が求める言葉が違うので、実生活での会話の勉強にもなると思う」との回答について、「特に対人的な問題解決能力の育成に有効であると考えられる」と考察されているところには、もしかして天然?と思わないでもありません。 

 この研究がゲームソフトが人間に与える影響の考察に貢献するとすれば、アンチテーゼとして「恋愛シミュレーションが対人的な問題解決能力の育成に有害である研究」がなされる誘引となることだと思われます。


きょうの一冊:『ゲームの社会的受容の研究』 著/白鳥令

ゲームの社会的受容の研究―世界各国におけるレーティングの実際

 

 

10月20日 となりのtoto

 

「toto販売、最低ペース 01年の4分の1」 (朝日)
http://www.asahi.com/national/update/1020/020.html 

 totoが売れてないそうです。今年3月からの今季分の売上が132億円だそうです。先週行なわれた競馬のG1、秋華賞は1レースで172億円売れてるんで、もう競馬とは比較にならないくらい売れてないんですね。 

 totoの売上金のうち払戻しに使われるのは50%で、買い続ければ買った額の半分くらいしか戻ってこないことになります(だけどそれは「原則」だそうで、なぜか導入当初から今まで47%とさらに低くなっています)。競馬などの公営ギャンブルは約75%で、それでも諸外国との比較では低い割合といわれているのですから、totoの割に合わないかげんはかなりのものです。それに、totoの配当金は超高額に偏っているので、実際には買い続ければほとんどの人がいつまでも当らない状態になります。それでも、一度大きな当りを引けば大儲けできるという夢がありますが、競馬に三連単が導入されて掛け金が1万倍になる100万馬券が頻発するようになった現状では、totoの魅力は薄れてきているでしょう。しかも、複数の試合結果を対象にするので、厳密に予想するためには全チームの戦力比較をしなければならず、チームや試合日程が毎年変わるのでは過去のデータも参考になりにくいです。これでは統計的により当りやすい予想をすることが困難で、ならばランダムに数字を割り振られる宝くじと変わりがないです。これでは、サッカーファンで宝くじも買う人というかなり狭い範囲しか購買対象にならず、低迷する現状もうなずけます。 

 宝くじは「数字選択式」の導入で売上げを伸ばしているそうですが、他の公営ギャンブルは低落しており、地方競馬など零細主催者の淘汰もはじまっています。こうした公営ギャンブルは自治体や監督官庁のポケットマネー的に売上げが使われ、その意義や目的が不明確なままになんとなく「必要悪」として存在してきたため、特に努力せずとも半自動的に利益が出ていた時代が過ぎた今になって右往左往しているわけで、そんななかに「すべてのスポーツのために」というあいまいな理念のもとに中途半端なシステムで出発したtotoが早々に頓挫するのは必然なのかもしれません。


きょうの一冊:『スポーツ振興くじ制度の創設と展開』 日本体育・学校教育センター/編

スポーツ振興くじ制度の創設と展開―totoすべてのスポーツのために

 

 

10月19日 新札デビュー

 

「新札発行、7人に1人が「聞いたことない」…日銀調査」 (読売)
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20041019i504.htm 

 日本銀行のサイトに調査の詳細が掲載されていまして、「今年11月を目途に新しいお札が発行される」という質問に対して、4択で回答した結果のようです。 

 よく知っている                39.3% 
 ある程度知っている             28.6% 
 聞いたことはあるが内容はよく知らない 17.3% 
 聞いたことがない              14.6% 

 前回の今年3月調査では、「聞いたことがない」32%だったから、だいぶ認知されてきているともいえるわけですし、新札の発行は知っていたが11月を目途にしていることを知らなかった人も「聞いたことがない」を選択している可能性があります。しかし、何の予備知識もなくいきなり新しい紙幣を目にしたらびっくりするでしょう。新千円札の野口英世はともかく、新五千円札の樋口一葉は顔の認知度が低そうだから、外国のお金と間違える人もいるかもしれません。そういえば今の五千円札の新渡戸稲造も、ついこの前接客した高校生ぐらいの男の子に「このシンワタリって誰?」と尋ねられました。名前は読めるとしても「武士道」の著者とか一高の校長とか国連事務次長とかはあまり知られていないでしょう。一般的には「ちょっとマギー司郎に似ている五千円札の人」くらいの認識でしょう。 

 ともかく、もうすぐ日本中の財布やレジや金庫や両替機には夏目漱石と野口英世と新渡戸稲造と樋口一葉と福沢諭吉と紫式部が同居するわけです。お釣りの渡し間違いや数え間違いが多発することでしょう。転換期だから仕方がないですが、しばらくは財布の中がごちゃっとして気持ちが悪そうです。どうせなら日銀はこの機会にトランプのババ抜きみたいに押し付けあわれているあの二千円札を本格デビューさせるべく、電通とかに頼んで宣伝キャンペーンをしてもらいたいです。「二千円札対応機種の為、出金金額により二千円札が含まれますのでご了承下さい」なんて注意書きがATMにあるのは不憫でなりません。光GENJIがローラースケートで走りながら二千円札を模した旗をふりながら「みんなも使おう二千円札!」っていう、しゃかりきコロンブスなCMを期待します。


きょうの一冊:『紙幣の博物誌』 著/冨田昌宏

紙幣の博物誌

 

 

10月16日 人生一度は万博だ

 

 大阪市立美術館で『万国博覧会の美術』展をみる。 

 パリやロンドンやシカゴの万博に展示するために海を渡った日本の美術品たち。というより、海を渡って欧米に行ったことで美術品となったものたち。ジャポニズム・ブームの只中に「本物」として紹介された工芸品の数々のなんと得意気なこと。 

 来年の愛知万博、高松宮記念観戦とセットで行ってみようかな。花博には4回くらい通った記憶があるものの、延々とつづく列に並んでたことしか覚えてないのだけれど。


きょうの一冊:『博覧会の政治学―まなざしの近代』 著/吉見俊哉