ぼすのできごと 2004年11月上旬
   2005年 1月上 1月下 2月上 2月下 3月上

   2004年 9月上 9月下 10月上 10月下 11月上 11月下 12月


1日 どんな風にイタいの?
  3日 海の向こうで葬送が始まる  4日 新聞紙で電車が止まる
5日 携帯リモコン  8日 文豪ナビ  10日 そうだ京都に逝こう  11日 生きる  14日 慶事バン
15日 私的藤井寺球場物語

 

11月15日 私的藤井寺球場物語

 

「楽天、練習後に即席サイン会 選手らファンサービス」(産経) 
http://www.sankei.co.jp/news/041114/spo054.htm 

 どういうわけか楽天が近所の藤井寺球場で練習している。便宜的、惰性的、屈折的阪神ファンの僕には近鉄も楽天も興味の外なのだが、せっかくだから拝むとご利益のありそうな山下大輔ヘッドコーチでも見に行こうかな。そういえば数週間前に近鉄・藤井寺駅から乗ってきて僕の隣に座ったサラリーマンにしてはやけに体格のいい人たちが、プロ野球の話を仕事の話題のようにしていたのだけれど、あれは球場の下見に来た楽天野球団の関係者だったのだろう。 

 藤井寺球場も最近はマンションのモデルルーム展示場となり、来年3月で閉鎖とかつての大阪球場と同じ末路を歩んでいるようだけれど、今際の際に新球団始動の場になったことで最期にいい思い出をつくって成仏できそうだ。 

 そんな藤井寺球場に思いをはせつつ、Numberの「南河内人情余話 藤井寺物語」を読んだら、大学に入りたての夏に藤井寺球場で掃除のバイトをした日々のことがよみがえってきた。 

 掃除の仕事は試合終了後だけど、いつ試合が終わるかなんて終わってみないとわからないので、とりあえず試合開始から二時間後にチャリンコを漕いで球場の集合場所に向かう。それから30分たっても試合が終わらないと何もしないのに時給がもらえてラッキー。大阪ドームだと控え室に待機なんだけれど藤井寺はそんなものがなくて、内野席下の通路で柵越しに試合を見ながら周りにいる何の仕事をしているのかよくわからない球場関係者らしいおっちゃんとしゃべって暇つぶし。そこはブルペンとダッグアウトの間にあるため、投手がひっきりなしに行き来してて、そういえば現メジャーリーガーの大塚投手なんかが通っていた。大阪ドームはナイターが終わって徹夜で掃除をしないといけないのだけれど、藤井寺だと当時はデーゲームばかりで夕方から仕事をはじめ、お客さんも少ないからゴミもそれほど出ず、吹きさらしだからきれいにするにも限界があって適当なところで切り上げてたような。そして、仕事が終わると駅前で買ったたこ焼きを食べながら自転車でトロトロと来た道を帰る。 

 そういえば近鉄バファローズにまつわる思い出はほかにもあって、小学校のころはじめての野球観戦は雨で4回コールド、外野席で雨にぬれたことが印象にある。藤井寺から越境通学している旧友に近所に吉井投手が引っ越してきたと言われて、玄関まで行って表札を確かめピンポンダッシュ。1989年にリーグ優勝したときはクラスの何人かが学校を休んで藤井寺での日本シリーズを見に行ってそれを先生も黙認してた。そして、その多くは巨人ファンだった。中学のころクラブを終えての帰り際に校舎から見える藤井寺球場の照明は住宅街の中でやけに明るかった。大学のころバイト先に中途採用で入ってきた爺さんが元スポーツメーカーの渉外担当だったそうで、「近鉄にいたころの野茂にゴルフ教えたんは俺や、アイツ俺の貸したったクラブ折りよってな、ほんま力はめちゃめちゃ強かったで」っていうような無駄話に付き合わされた。 

 とはいっても球場がなくなるからといって特に感慨深いわけでもなく、郷愁に浸るのも中途半端なのは、近鉄ファンではないからだろうか。それでも藤井寺に球場があったころはなんとなく身近にあるような気がしていたし、ドームに本拠地を移してからは縁遠くなったように感じる。そういえば思い出の中に出てきた選手もみんなメジャーに行ってしまったし。


きょうの一冊:『G戦上のバリア―嗚呼!1989日本シリーズ対巨人戦の悲劇』 著/佐野正幸

G戦上のバリア―嗚呼!1989日本シリーズ対巨人戦の悲劇

 

 

11月14日 慶事バン

 

「紀宮さま婚約内定」(朝日)
http://www.asahi.com/national/update/1114/003.html


「紀宮さま婚約内定、都職員の黒田慶樹さんと」(日経)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20041114AT1G1302J13112004.html


「紀宮さま婚約:お相手は都庁職員の黒田慶樹さん」(毎日)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20041114k0000e040001000c.html


「紀宮さまのご婚約内定」(産経)
http://www.sankei.co.jp/news/041114/sha007.htm


「紀宮さまの婚約内定 相手は都庁勤務の黒田さん」(共同)
http://www.kyodo.co.jp/


「紀宮さま 婚約内定」(NHK)
http://www3.nhk.or.jp/news/2004/11/14/d20041114000018.html


 読売だけがいまのところ沈黙。「当初、今月9日にも発表される予定だったが、新潟県中越地震や台風の被災者が苦しんでいるさなかに慶事を発表するのは忍びないという両陛下とお二人の強い意向で、延期された」(朝日)ものをライバル朝日がすっぱ抜いたことへの静かな抗議?

追記:
 読売も遅れて報じましたが、「両陛下が中越震災ご配慮、婚約発表を延期」http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20041114i114.htmと、せっかくの両陛下のお心遣いをどこぞの社が台無しに的な記事も忘れていません。

 ところで、「紀宮さまとは相応の通信手段で…黒田さん会見」http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20041114it12.htmとのことで、おそらくメディアは「電子メールではぐくんだ愛」を期待しているのでしょうが、そこは鳥類の研究がご専門の紀宮さま、伝書鳩で交信されていた可能性もあるのではないかと推察するのですが。


きょうの一冊:『伝書鳩―もうひとつのIT』 著/黒岩比佐子

伝書鳩―もうひとつのIT

 

 

11月11日 生きる

 

「アラファト氏「まだ生存」 駐仏代表語る」(朝日)
http://www.asahi.com/international/update/1110/013.html 

 まだ生存しているといっても、「生きている」というより「生かされている」状態なのでしょう。フランスの病院という箱の中にいる議長は、生きているとも死んでいるとも言える状態ですが、箱が開けられた時が政治的な死の訪れとなるのでしょう。死を残された者たちが受け入れるには時間がかかるもので、そのために段階を踏んで様々な死を様々な人々に受容させる儀式が葬儀です。生前に影響力が大きかった人ほど、そうした行為は長く複雑になります。そのために権力者の死が操作されるのはいつの時代にもあることですが、生物学上の死までそれに同期できるようになったのはつい最近になってからです。病気や健康といった身体の状態をある程度制御できるようになったことは近代の成果ですが、それゆえに「近代人」は自らの身体を制御することを個人の能力と考えられるようになりました。風邪で仕事を休むのは自分の体調管理が至らなかったからであり、維持管理能力の限界を越えるガンのような大病については保険などでリスクマネジメントしなければなりません。そうした意味では後継者を育てなかったと言われるアラファト議長は「近代人」としての能力が不足していたのかもしれません。しかし、その「近代人」の基礎となる思想はヨーロッパの宗教や民族によってつくり上げられたものですから、アラファト議長にそれを言うのは筋違いなのかもしれませんが。
 
 死を強制的に受容させ、その衝撃によって世の中を動かそうとするテロリズムが世界でもっとも集中する地で、その一方の勢力の指導者であった人物がどのように死を迎えるのかを世界中が注視しています。アラファト後の政治状況がどうなるかが関心の中心になっていますが、死が当事者の手を離れて生きているものたちが制御し、演出し、決定するものであることをあらためて印象付ける出来事でもあります。

 記事に付いているAP通信配信の「悲嘆に暮れるパレスチナ人たち」の写真はこれ以上ないくらいの悲嘆に暮れっぷりです。今年僕がみた報道写真のなかではもっとも印象に残りました。僕が選ぶならピュリツァー賞はこの写真です。

追記:
 ところで、地震の土砂崩れで奇跡的に生き残った男の子にはまだ姉と母親の死は知らされていないそうですが、日本中が知っている事実をその当事者である彼だけが知らない状態にあるというのはとても奇妙な感じがします。生死の境からようやく脱出した彼に姉と母親の死をいつ、どのように告げるかはとても難しいことだと思いますし、今はまだ語るべきときではないのでしょう。「彼が知らない」ことは事の成り行き上いたしかたないわけですが、もうひとつの「日本中が知っている」ことのほうが彼には将来的に大きな影響を与えかねません。彼の将来を心配する善意の人たちは、直接に接する機会がある人なら普通の男の子として他の子どもと変わりなく、接する機会のない人ならあえて無関心でいることが適当な判断だと思います。家族が諒解の上とはいえ彼の病室での映像をビデオで記録した担当医やそれをノーカットで「ニュース映像」として流したテレビ局や、それを見てプレゼントを贈りつける人々は、そうした行為がこのあとの彼の成長にどのような影響を与えるのか考えたのでしょうか? 彼を一生「奇跡のスーパーボーイ」として祭り上げるつもりなのでしょうか? はたしてそれが彼にとって最良の生き方なのでしょうか?

さらに追記:
 日本時間11月11日午前11時半ごろ、アラファト議長の死去が発表されました。
ご冥福をお祈りします。


きょうの一冊:『パレスチナ新版』 著/広河隆一

パレスチナ新版

 

 

 

 

きょうの一枚:『生きる』 監督/黒澤明

生きる

 

 

11月10日 そうだ京都に逝こう

 

「「清水の舞台」高さ31m? 受験公式テキストに誤り74カ所」(産経)
http://www.sankei.co.jp/news/041110/sha039.htm 

 京都商工会議所が実施する「京都・観光文化検定試験」の受験生向け公式テキストに誤植がいっぱいあったという話題。 

 「京都盆地の面積(約300平方キロ)が30平方キロ、「清水の舞台」の高さ(約13メートル)は約31メートル、大文字五山の送り火で知られる「如意ケ嶽」を如意ケ獄とするなど間違いが続々と見つかった」そう。京都に詳しくない僕などは一見しただけではどちらが間違いかよく分からないですが、京都盆地が大阪環状線の内側くらいの広さだったり、清水の舞台が1970年までの建築基準法では違法建築だったりするのは京都の住民や愛好家には困りものでしょう。とくに、誤植の「如意ケ獄」でGoogle検索して引っかかってしまう京都銀行や山科区のサイト運営者は冷や汗をかいているかもしれません。 

 http://www.kyo.or.jp/kyoto/kentei/kyotokentei/の正誤表を見ると大半は執筆者が記憶に頼って書いた原稿を十分に校閲しなかったもので、なかには「受けれる⇒受けられる」のら抜き言葉の訂正なんてのもあって、そんなのはWordでも指摘してくれそうなものにも思えますが。 

 Webの文章よりも紙に印刷されたもののほうが信頼性が高いとはよくいわれます。誤植が見つかる確率をみればたしかにそうなのかもしれませんが、総量は印刷物の方がまだまだ多いわけで、その分誤植も多く存在しているはずです。信頼できると思い込んでいるがゆえに見過ごされることもありますし、信頼しているのに裏切られた方がショックは大きいです。 
 世の出版物には誤植なんて数かぎりなくあるわけで、大学の授業なんかで文献の精読をすれば、モノによっては誤植指摘大会になるものもあります。出版直後に鋭い指摘でもない限り、大抵は正誤表もつけず、版をかえたときにこっそりと訂正しているのです。訂正されるならまだいいほうで、初版でおしまいの専門書ともなるとそのままほっとらかしです。すぐに間違いと分かる誤植ならいいですが、原書を読まないと分からない誤訳なんかはそれが正しいと信じられて、日本だけでデファクト・スタンダードになってしまうこともあるので大変です。 

 ところで、この公式テキストは「8月初旬の出版以降、約4万5000部を販売、隠れたベストセラー」らしいですが、この隠れたベストセラーというのは「静かなブーム」といっしょで、たいがいのものに当てはまってしまうので注意が必要です。「公式」と銘打っているので、当然受験生への需要がありますし、観光案内としても京都本は他の地域に比べて売行きが格段にいいです。試験の実施はローカルニュースでだいぶ話題になっていますから、その広告効果もあります。 

 今回の誤植はせっかくの京都観光PR企画にやや水を差したことになりますが、この誤植に関わる内容は試験で出題されない可能性が非常に高いので、逆にヤマをはりやすくなった受験生にとってはプラス材料になるのかもしれません。


きょうの一冊:『京都・観光文化検定試験公式テキストブック』 京都商工会議所/編

京都・観光文化検定試験公式テキストブック

 

 

11月8日 文豪ナビ

 

「【出版インサイド】新潮社が『文豪ナビ』シリーズ刊行開始」(産経)
http://www.sankei.co.jp/news/041108/boo006.htm 

 外堀通りから弁慶橋を越えて清水谷公園とホテルニューオータニに挟まれた道を通ると、カーナビが「1906(明治39)年3月22日夕刻、文豪夏目漱石がこの道を歩いています。やや前かがみで物思いにふけりつつ」と案内する。画期的な無駄カーナビの誕生かと思ったら、なんのことはない作家別の小説ガイドでした。「「業界初の文豪作品の読み方指南書ではないか」と同社宣伝部」だそうですが、類似品を多数見たような気がします。ただし、文庫でそれをやったというのははじめてじゃないかと思われますが。 

 「いずれも本の整理番号をゼロ(漱石の『文豪ナビ』は「な−1−0」)にしている。こうすれば書店の文庫本の棚で自動的に著者別の最初に並べられるため、このシリーズが文豪への“玄関口”になる」 とのことですが、新潮文庫の棚まで行って、夏目漱石の項目を探し、スペースを確保して商品を入れる書店員の作業を「自動的」というのはいささか表現が悪いかと。Excellでデータを昇順に並べ替えるならマウス操作数回ですみますが、各出版社別からさらに作家あいうえお順に分けられた文庫の森のなかを掻き分ける書店員は結構大変なのです。角川、文春、講談社、小学館、中公とさまよって新潮に近づいても、新潮OH!文庫という別シリーズの雑学文庫に行き当たると、おもわず「トリビアの泉」に応募するネタを探したくなりますし、時代物の多い春陽堂文庫にでもうっかり迷い込んだらサムライハートな時代にタイムスリップしてしまいます。 

 「文豪を扱った本というと、専門的で硬派なイメージを連想するが、『文豪ナビ』にはそうした堅苦しさがない」 らしいですが、「文豪」という名称は気難しそうなオッサンを連想してしまいます。 でも、新潮は文豪というネーミングが好きらしく、CD-ROMシリーズで『新潮文庫 明治の文豪』『新潮文庫 大正の文豪』なんかも出しています。 しかし、このシリーズで「昭和の文豪」がないところを見ると、文豪と呼ばれるのは明治・大正期の作家が中心のようです。ためしに「作家名+文豪」でGoogle検索してみました。以下、作家名・件数・(生没年)で、 

  夏目漱石  5440 (1867-1916) 
  芥川龍之介 2550 (1892-1927) 
  谷崎潤一郎 2420 (1886-1965) 
  山本周五郎 2310 (1903-1967) 
  川端康成  2080 (1899-1972) 
  太宰治   2070 (1909-48) 
  三島由紀夫 1930 (1925-70) 

 5440ブンゴーのレコードでぶっちぎった漱石が圧勝、後続は接戦も芥川、谷崎が抜け出して明治・大正勢が1〜3位を占めました。これはほぼ順当な結果で三連単でも一番人気の固い決着でしょう。1930ブンゴーで最下位となった三島由紀夫は大正十四年生まれで他のメンバーに比べると若く、存命していてもまだ80歳になっていないほどです。三島はむしろ「武豪」といったほうがいいくらい文豪イメージの低い人ですが、主著のほとんどが新潮文庫から出ているという大人の事情もあっての参戦なのでしょう。新潮のアナーキーなイメージとも合いますし。 

 ちなみに、「文豪ナビ」に入っていない作家も調べてみますと、明治・大正期では森鴎外が3150ブンゴー、菊池寛が2960ブンゴーといったところが目立つところで、宮沢賢治は717ブンゴーの低評価でした。 

 現代作家では、『日本文学盛衰史』で文豪を登場人物にした高橋源一郎が3410ブンゴーでさすがに高いなと思ったら、ノーベル賞作家大江健三郎は7270ブンゴー、村上春樹にいたっては11700ブンゴーとナッパのスカウターが壊れそうな1万ブンゴーの高みに到達しています。 
 とはいっても、リンク先は作家と関係ない文章のなかに「文豪」の言葉が含まれているだけなので、知名度が高ければそれにつれてブンゴーも高くなるようです。 

 海外の文豪では、欧州勢がカフカの6860ブンゴーをはじめ、バルザック4000、シェークスピア3560、ユゴー2310と好ポイントが続出しました。アメリカはサリンジャー2730、ヘミングウェイ1530でまずまずの値。ロシアはトルストイ2270、ドストエフスキー897と思ったより低くなっています。とくにドストエフスキーは故障発生?というくらい低い結果でした。 

 話題の新札の肖像たちも測ってみると、野口英世757ブンゴー、樋口一葉696ブンゴー、福沢諭吉2970ブンゴーで、本業が作家の樋口一葉が一番下という意外な結果でした。有名人ではイチローが2490ブンゴーで福沢諭吉をしのぐブンゴーに、現職総理の小泉純一郎は2140ブンゴーとそれなりに健闘、長嶋茂雄は814ブンゴーで樋口一葉には勝っていますから、五十年後くらいには五千円札になりそうです。


きょうの一冊:『文豪ナビ 夏目漱石

文豪ナビ 夏目漱石

 

 

11月5日 携帯リモコン

 

「FOMAで視聴実態調査、NHKなどが開発」(読売) 
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20041104i414.htm 

「FOMAでテレビの視聴履歴を調査――NTTドコモとNHKがシステム開発」(日経) 
http://it.nikkei.co.jp/it/news/topics.cfm?i=20041104zn006zn 

 「視聴者に赤外線リモコン機能を持つ専用の携帯電話を貸し出し、視聴者がリモコンを使ってテレビを操作した履歴を自動的に記録、送信するしくみ」(日経)だそうですが、携帯電話なのだから、当然通話はできるはずで、調査対象となった視聴者がその携帯で通話したときの通話料はどうなるのでしょうか? NHKが料金を持ってくれるなら、調査期間はテレビそっちのけで電話ばかりしてそうです。もし通話料は自腹なら、すでに携帯電話を持っている人の場合は、わざわざ調査用のFOMAに乗り換えるわけもなく、リモコン専用になるので携帯電話である意味はあまりなさそうです。しかも、リモコン専用にしても、携帯のボタンは小さくて使いにくいことこの上ないでしょうから、チャンネルを頻繁に変える率は下がりそうです(ちょっと自分の携帯で実験してみましたが、ちょうど親指の下に来る「1」以外を片手で押すのは大変でした。日経の記事にある操作画面ではその「1」がNHK総合に割り当てられていますが、これはNHKの陰謀としか思えません)。 

 また、家族など複数でテレビを視聴する場合、テレビにもとからあるリモコンやテレビ本体から別の人がチャンネルを変えることもあるわけで、チャンネル争いが熾烈な家族だとFOMAの情報だけでは正確な視聴実態が調べられないことも考えられます。どうも、資金が潤沢で仕方がないドコモとNHKのコンビが、技術的にも簡単そうだし、携帯とテレビの融合というトレンドにもマッチして話題になるからとりあえず作ってみましたっぽい企画です。 

 「ボタンに「感動」などを割り当てれば、番組の満足度なども把握することも可能という」(読売)ということですが、感動したから「感動」ボタンを押すというのは不自然に思えます。その場合、常にFOMAを握りしめたまま番組を見なければならないわけですし。むしろ、画面に嫌いなタレントが出たときの「消えろ」ボタンとか、『トリビアの泉』を見ているとき専用の「へぇ〜」ボタンとかのほうが実用的です。


きょうの1へぇ:『1/1へぇボタン』 バンダイ

1/1へぇボタン

 

 

11月4日 新聞紙で電車が止まる

 

 今日の朝、JR武蔵野線のダイヤが乱れました。風に飛ばされた新聞紙が電車のブレーキに挟まって煙が上がり、それを見つけた車掌が点検のために電車を停車させたとのこと。 

 このニュース、新聞社のWebサイトでは、まず産経が「電車の床下から煙 JR武蔵野線ダイヤ乱れる」(10時48分)http://www.sankei.co.jp/news/041104/sha030.htmと報じ、「風で飛来した新聞紙が最後部車両のブレーキに挟まり、摩擦で焦げたらしい」とのことで、新聞紙によって電車が停車したことに言及した。 

 つづいて、読売が「電車ブレーキに新聞紙挟まり煙…武蔵野線、15分遅れ」(11時7分)と見出しに「新聞紙」をもってきた。本文でも「点検したとろ、ブレーキに新聞紙が挟まり、焼けていた」と新聞紙に言及している。 

 その後、毎日も「電車故障:床下から煙、JR武蔵野線乱れる さいたま市」(11時33分)http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20041104k0000e040045000c.htmlと報じ、「ブレーキ付近から焦げたような新聞紙が見つかった」とこれまた新聞紙に触れている。 

 産経、読売、毎日と3紙が近い時刻に相次いで掲載したこのニュースだが、なぜか朝日はこの事故についてはまったく報道せず。 

 風で飛んできた新聞がどこの新聞社の発行したものだったかは定かでないが、新聞社のほうではニュースにするときに、もしや自社のものではと気にするはずで、JRに問い合わせているかもしれない。それで、自社のものと分かればニュースにするのをためらうかもしれない。逆にライバル社のものならさすがに社名まで書くのは品がないけれど、新聞紙が発端となったことを強調するかもしれない。 

 朝日は報じず、その朝日をライバル視している読売は見出しに「新聞紙」。もしかして、ブレーキに挟まったのは朝日新聞?煙を上げるほどだから、ほとんど焼けて残っていないとしても、朝日新聞は題字の「新」の字の「木」の部分に横棒が一本多いという特徴がある。しかも、昨日の『トリビアの泉』でそのことが話題になったばかり。新聞紙を回収したJRの作業員が番組を見て、そのことに気づいたとすれば・・・。 

 断片的な状況証拠だけでの推理だけれど、名探偵コナンならこの程度でも犯人の自白を誘えてしまう。そういえば、『名探偵コナン』は読売テレビ製作だったっけ。


きょうの一冊:『新聞紙クラフト 子どもとつくるシリーズ』 著/エキグチクニオ

新聞紙クラフト

 

 

11月3日 海の向こうで葬送が始まる

 

「UAEのザイド大統領が死去 独立の71年から在職」(朝日)
http://www.asahi.com/international/update/1103/008.html

 「年齢は86歳から90歳代前半と諸説あり、はっきりしない」 とのこと。パスポートはどうなってるのだろう?

 亡くなったザイド大統領はアブダビ首長国の首長で、ドバイ首長国の首長だったシェイク・ラシッドとともに連邦をつくった人物。UAEはこのアブダビとドバイを中心にした7つの首長国で構成されている。

 ドバイのシェイク・ラシッドが1990年に亡くなると長男のシェイク・マクトゥームがドバイ首長兼UAE副大統領となり、三男のシェイク・モハメドがドバイ皇太子とUAE国防大臣となった。ドバイといえば競馬のドバイワールドカップで有名だが、このシェイク・モハメドが世界最強の競馬軍団ゴドルフィンを率いている。

 ドバイのマクトゥーム家はもとはアブダビに住んでいたが20世紀前半に移住した。いわば分家にあたるが、ドバイを現在のUAEの経済的中心地にまで高めた。砂漠に超高層ビルがそびえるその発展ぶりは、ウィンターボトム監督のSF映画『CODE46』で近未来都市のロケ地に上海とともに選ばれているほど。しかし、その発展も有限の資源である石油に依存しているところが大きい。建国の父が去り、今後のUAEがどのような道を歩むのか、世界経済にはあまり関わりがなくても世界競馬には重大な関心を寄せている僕としては、これからも注目してみたい。

Wikipedia「ドバイ」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%90%E3%82%A4

シェイク・モハメド公式サイト:http://www.sheikhmohammed.co.ae/japanese/index.asp

追記:
「UAE新大統領にハリファ氏」(読売)
 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20041104id01.htm

 亡くなったザイド大統領の長男が後を継いでアブダビの首長となり、UAEの大統領となったとのこと。


きょうの一冊:『地球の歩き方 ドバイとアラビア半島の国々〈2004‐2005年版〉

ドバイとアラビア半島の国々〈2004‐2005年版〉

 

 

11月1日 どんな風にイタいの?

 

「雑記帳:お医者さんごっこ」 (毎日)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20041102k0000m040131000c.html 

 なんとも思わせぶりな見出しと思ってクリックしたら、なんのことはない、医大の大学祭で学生が子ども相手に「お医者さんごっこ」をしたというほのぼの系の話題でした。 

 ぬいぐるみが患者ということは、正確には「動物のお医者さんごっこ」なのではと思ったのですが、それなら僕は漆原教授の役がいいです。 

 明日も実施されるということですが、この記事を見た大きなお友だちが自前のぬいぐるみ持参でやってきたとしても、白衣の女学生は「いつから、どんな風にイタいの?」と笑顔で聞いてあげるのでしょうか? 

 長井秀和:そいつはもうずーっとイタいんだ、見りゃ分かるだろ。そして奴はこれからもイタいままなんだ、間違いない!


きょうの一冊:『動物のお医者さん (第1巻)』 著/佐々木倫子

動物のお医者さん (第1巻)