ポートサイド→シンガポール
8月1日 スエズ運河(グレート・ビター湖)
0010 S/B、「ロープくれなきゃやらない。」と言い張る綱取りのボートを何とか働かせ、0105ポートサイド港から運河との合流地点KM17を目指して南下を開始。繋船用のホーサーを非常時に備えていつでも使えるよう準備してたら、ホーサーの先取りが全部無くなっていた。連中どうも作業が遅いと思ったらやりゃあがったな。0200部署解除、04-08直に備えて短い休息を取る。
04-08直、僕はサブワッチ。運河通行中のサブワッチができるとはラッキーなことだ。
中東戦争の激戦地だった事もあり、運河の両岸には戦車の残骸らしき物とか、使用中の砲台とかがゴロゴロしている。パナマ運河と違い、単なる砂地の掘割のスエズ運河はそんなに面白い光景は無いのだが、撮影禁止となっているのが残念だ。
0750、グレート・ビター湖に錨をいれて仮泊。全長 162kmに及ぶ巨大な運河を通行するのには約16時間を要する。そのうえ複線区間が限られているので、この湖で北航船をやり過ごす。約4時間の休憩の後、1228S/B。運河出口を目指す。1600頃、3部は呼び出され、運河の通行に際して借りた設備を降下する作業にかかる。どうも今回3部は休む暇がもらえない。それこそ体感スエズ運河だな。
1557運河を抜ける。「やっと終わった!」と息をつく暇もなく夕食をかきこんで18-20直に入る。船橋でチャート(海図)を見て初めてここは紅海なんだ、と思った。
8月2日 25-29N, 35-33E
運河通航の翌日なので航海実習。ワッチだけ。
恒例の船内ビデオは「ビルマの竪琴」。しかしクライマックスに到って元のデッキでピクチャーサーチをかけたらしく、もう目茶苦茶、言葉が判らないのだ。誰だ、あんな事をするのは?
8月3日 19-33N, 39-11E
灼熱の紅海はまだ続く。
機関科の特別講義が第一教室であり、昼食の時間になっても終わらない。僕等はやはり第一教室で11時頃からメリパス前の計算を始め、その後に昼食をとる。Noon-16直に入る者は20分前には船橋に上がらなくてはならない。その他の者もメリパスを観測しにやはり船橋へいかなくてはならないのだ。おかげで食事は満足に食べれない、メリパス計算もできない。航海科実習生の昼はいつでも前述の如く忙しいのに今日は更にひどい。
8月4日 13-42N, 42-54E
連日30℃を越える気温が続きバテ気味。夜になっても気温は下がらず、南下をしているためか、かえって気温が上がる始末。
期末(下船)試験の日程と科目が発表になる。機関科実習生と交代で2日間に渡る試験である。
16時頃、紅海の南端バベルマンデブ海峡を通過、アデン湾に出る。明日にもモンスーン吹き荒れるインド洋に出るだろう。
8月5日 12-40N, 49-23E
04-08直、中3時間は無線室当直。国際VHFや気象ファックスの説明を受ける。
午後は操練。操練は当日にならないと何をするのか判らないのだが、当直に入っている者の情報で、「エンジンの回転数を下げていない、船を停めるような-総端艇部署等-操練ではなさそうだ。」などとある程度推測が出来るようになってきている。
今回は「総端艇部署の後、全艇が降下不能」という設定でライフ・ラフト(救命いかだ)部署の立て付け。[膨脹式救命いかだは資格のある整備工場でないと、きれいに畳めないのだ。従って実際にはいかだは降ろさず、誰がどのいかだの所へ行けば良いのか覚えているかを確認するに留める。]その後、プープデッキで教材用の古い筏を出して、コンプレッサーで(本物はガスボンベを持っている)膨脹させた。
1600、カルダフィ岬をかわってアデン湾を出る。
8月6日 12-15N, 56-36E
船酔いがひどい。20-M.N.直はサブワッチ、2度ばかり嘔吐する。皆は吐くともう何も出来なくなるのだが、僕は少々違うらしい。「お前、吐いても平然としとるなぁ。」とよく言われる。これでも少しは僕も苦しいんだ、昔は吐いたらやっぱり何も出来なくなっていたからそういう意味では船酔いに強くなったんだろうか?妙な感じ。
8月7日 10-08N, 63-18E
船の動揺も少し納まり、ぼくも楽になってくる。
遠洋航海出発以来、ロッカーの奥に秘蔵してきたカルピスを出す。部屋の連中は「良く今まで置いておく事が出来たものだ」と関心しながらコップを持ってくる。
8月8日 08-34N, 70-04E
本日は機関科実習生の期末試験初日。僕等は明日から、20時で実習生の当直も打ち切って試験に備える。
2150インド洋の宝石「モルジブ諸島」のミニコイ島沖変針点に達する。このモルジブ諸島には、9度水路、8度水路、赤道水路という珊瑚礁の切れ目があり、本船は8度水路を航行した。
日本では夏の風物甲子園大会が始まったと「ラジオ日本」が告げていた。
8月9日 06-46N, 76-50E
航海科実習生の期末試験初日。午前、午後各6科目。
1400頃、インドの南端コモリン岬をかわる。
8月10日 05-46N, 83-32E
機関科実習生の試験日。僕等はワッチ無しで試験勉強をする。
0113、スリランカの南端をかわる。
8月11日 06-03N, 90-41E
期末試験最終日。殆ど徹夜、1時間位しか寝ていない。
試験終了後の16時から実習生当直再開。僕等は20-M.N.直。
8月12日 05-30N, 97-12E
昼の課業整列は第一教室で行う。C/Oからマラッカ海峡通航時における海賊(海賊だって!)対策について説明があった。
具体的には、日没から日出までの間次のような措置を講ずる。
- 後方ルックアウトの強化: 航海科、機関科実習生共に当直部の当番についていない者をプープデッキに配置する
- 上甲板以上のドアの施鍵
- 甲板送水: デッキ流しに使用するポンプを運転し、万一の場合射水する
- 航海科実習生はホイッスル、トーチランプ、トランシーバーを携帯して、船内巡視
まあ、海賊とは言っても昔のそれとは比較にならない程情けない連中だそうだが、来るなら来い、海賊ども!
1809(日没)より海賊ワッチ開始。
8月13日 01-36N, 102-51E
無事マラッカ海峡を通過、1434シンガポールの沖に達するが、パイロットの乗船時間(仮泊にもパイロットを乗せないといけないのだ、ここは。)の都合でスピ-ドを大幅にダウンする。
1725S/B、1755仮泊。シンガポールは自由貿易港という事もあり、その船の多いこと!生きた船の博物館で、大きいものから小さいもの、新しいものからボロボロのもの、漁船から新鋭コンテナ船まであらゆる船が錨を入れている。
エージェントのボートが接舷、入国前に手紙が渡される。
1815時刻改正、シンガポール標準時となる。
8月14日 シンガポール 沖 <Anchor>
午前中は航海科、機関科共に再試験。航海科は僕を含む3人が再試験に縁のない実習生で、この3人だけでオーニング・スタンションのセット。再試験組は試験終了後プープデッキの石摺り。
午後は大掃除。
8月15日 シンガポール港K36
0600総員起こし。整列は無しで即座にS/B。僕等の仮泊地と岸壁は目と鼻の先なのだが、どういう訳か大回りをしなくてはならず、0745K36に着岸。入港後のルーティン・ワークをしている間に入国手続きも完了。
8月15日は「終戦記念日」で、銀河丸も船内時での正午に1分間の黙祷を行う。
ここはランディング・パーミットは無く、写真付きのIDカード(学校の身分証明書で!)良いとか。日本語で書いてあるのに外国で通用するとは!
ショッピングを楽しむ程所持金に余裕は無いので、レジャーランドとして開発されたセントサ島へ渡って(ロープウェイで結ばれていて、とても近い)遊んで来る。
8月16日 シンガポール港K36
バス見学日。身分証明書がない!慌てて探したけれど見当たらない。出発直前になってガタガタ騒いで迷惑をかけるのもまずいのでレーダーの免許(これにも写真が付いている)でもってゲートへ、「頼む、みつからんでくれ!」-無事通過。
タイガーバーム・ガーデン、植物園等を半日で回り、午後は自由上陸。とりあえず絵葉書を買ってきて手紙を書く。
8月17日 シンガポール港K36
当直部。08-Noonのデッキ・ワッチに入る。皆はオーニングの(帆船のクロジャッキと同じ要領で)洗濯をしていた。
期末試験の結果が出る。全部合格!(先日の再試験は一部の士官の分なのだ)やったね。
8月18日 シンガポール港K36
最後の総員上陸日。上陸前に食糧を搬入する。昼まで船内で遊んでから再びセントサ島へ行き、島内にある博物館(これがまた多いのだ)巡りをする。夜、余ったシンガポール・ドルを処分しに岸壁近くのマクドナルドへ、そこで地元の女子高校生と(この娘達は英語しか喋れない。)仲良くなる。帰りぎわに住所を訊ねてきたが、手紙でもくれるのだろうか。
しかし、やばいよ日本は。この娘達は良く勉強するし、勉強することに喜びを見出している。かたや日本は僕を始めとして遊ぶことに夢中になっている。「明日の日本は暗い。」と思ってしまう今日この頃であった。