練習船日記

LA→リスボン

6月20日 33-13N, 118-03W

 0930、パナマ運河経由でリスボンを目指し出港。ロス沖に出たところで船内時計を太陽に合わせるため45分遅らせる。
 Noon-16直中、マンボウを2度発見する。ただ、海面に漂っているマンボウに対してこっちは16ノットで航走しているので、マンボウ等に対して目の効くルックアウトの「マンボウ!」の声と同時にウイングに出ても見れる保証は無い。実際僕も波間に白っぽい影を見た程度である。

6月21日 27-02N, 115-04W

 午後、救助艇部署操練。海に落ちた人を救助する操練である。僚船「青雲丸」の冬季遠洋航海中、実際に実習生が転落したことがあった。救助艇部署が発令され、無事に助けられたそうだ。
救助艇を収容した後、落下傘付信号、信号紅炎、自己発煙信号の取り扱い説明をプープデッキで聞く。

6月22日 22-36N, 110-06W

 4-8直、イルカの大群と遭遇。50~80頭はいただろうか。メキシコ出身のプロレスラーは空中殺法が得意と聞くが、メキシコ沖のイルカもよく跳ねる。
 Noon頃、カリフォルニア半島の南端をかわる。

6月23日 18-12N, 104-49W

 08-Noon直、遂に鯨を見つける。他にも亀やシュモクザメもいたらしいが、これは見れなかった。
 午後は当直明けなので待機。課業部の邪魔をしないようにプープデッキでひなたぼっこ、火照った体に水風呂と最高にリッチな午後を過ごしてしまった。

6月24日 15-24N, 98-46W

 午前中は 1/Oの講義。1年生に逆戻りで微分だの積分だのと、まいった。
 Noon-16直で再び海亀を発見。また、イカダ(単なる板切れなんだけど…)に乗って漂流している白い鳥も見掛ける。
 熱帯低気圧と呼んでいいのか判らないが、とにかく「それ」のおかげで今日の空のなんと雄大な事! 天にもとどきそうな高さの積乱雲、そしてそれらを取り巻く数々の雲。映画のスクリーンに特大の太はけで塗りたくった絵を間近で見るような、そんな迫力があった。水平線にはシャワーらしい影も見える。海面は日の当たる所のスカイ・ブルー、そうでない所の濃紺。一緒にその光景に見入っていた友に僕はこう言った。
「あの色の淡い所はシャワーのあったところでね、清水が沢山混じったのであんなに色が淡いのさ。」

6月25日 12-41N, 92-51W

 キャンバスの切れっぱしを貰ってきて、ロス・アンジェルスで買ったナイフのシースを作る。
 久々に満天に広がった星空を見る。巡検でゴミを捨てにデッキに出た時に、機関科実習生のリクエストで、今夜見えている南十字星、さそり座、射手座などの星座にまつわる神話を披露した。

6月26日 09-59N, 87-00W

 昨晩夜更しをして睡眠不足のままの04-08直。雷電と数度のシャワーに遭遇。一時は船上運動会の開催も危ぶまれたが、一時間程度の待機の後、競技を開始した。
 僕はゼスチャー・ゲーム他3種目に参加、ゼスチャー・ゲームでは船関係ならば完璧な暗号をチームで作ってゲームに臨んだのだが、とんでもない問題だったのであっさりと水泡に帰した。
結局、この日に備えて前日の20時から当直を免除された機関科実習生に利があり上位を独占、僕等1・3部チームは8チーム中7位という情けない成績で幕を閉じた。

6月27日 07-02N, 81-03W

 陸の鳥を沢山見掛けるようになる。マストやフォクスルのハンドレールに水かきの付いた足で止まろうとしてはジタバタする様が面白くて笑いころげていたのだが、きゃつら知らん顔してあちこちにフンをしてデッキを白く汚し始める。また中には寝かせてあった2号レーダーのスキャナーの前に平然と構えている図々しいのもいる。悪戯をしたくなり、2号レーダーを叩き起こしてスキャナーを回してやる。と、初めの数回転の間「何だ?」と言う様子でスキャナーの下を潜っている始末。
 20-M.N.直は激しい雷雨。デリックポストやホイップアンテナの先端、レーダーマストの突出部が放電現象でボ~ッと光っている。不気味、いわゆるセント・エルモの火と言うものだろう。
 2330頃、バルボア沖仮泊。

6月28日 バルボア 沖 <Anchor>

 午前は整備実習、交通艇の整備。昨晩錨を入れてから代理店やら運河の役人とかが来て色々打ち合わせをしたらしいが、とにかくここは直前にならないと予定が決定にならない所だそうだ。
 2300ようやく決定したスケジュールが発表される。C/Oの話だと、ロック(閘門)を通過する際に、キャナル・セーラーなる連中が乗船してくるらしいのだが、彼らは要注意人物なのだそうだ。

6月29日 パナマ運河(ガツン湖)

 0630総員起こし。0805錨を上げて運河へ向かう。0855噂のキャナル・セーラーがやって来た! 聞くところによると、彼らは何かと理由を付けて船内に入りたがるのだそうだ。事故を防ぐため、2、3のどうしても必要なドアを残して内側からロックし、ロックしないドアには実習生を交代で一箇所につき最低2人の見張りを立てるのだ。実際噂に違わず、乗船早々「水が欲しい」とか言いながら船内に入ろうとする。本来の彼らの仕事はロック通過中に船を牽引する機関車からのワイヤー(ロコモーティブ・ラインと言う)の操作である。
 ロックというのは水門の親戚で「閘門」と訳される物である。このロックにより、85フィート(約26m)高いパナマ地峡の台地を越えさせるのである。片側に3個あって、1回当たり8.6m、注排水にかかる時間は1回約10分。ロック通航中は陸の機関車が動きを制御し、これと船との接続に前出のキャナル・セーラーとロコモーティブ・ラインが活躍をすることになる。
 0925~1006 ミラフローレス・ロック (二段上り)
 1023~1050 ペドロミゲル・ロック (一段上り)
 ゲイラード・カットと呼ばれる丘陵地帯(運河工事最大の難所だったとか)を約2時間走る。
 1330~1550 ガツン湖でロックの順番待ち、仮泊
 1622~1721 ガツン・ロック (三段下り)
 運河の通航料は船の大きさによって異なり、本船は総額(代理店や曳船索使用料等をひっくるめて)us8000$(約150万円)。運河のパンフレットによると、1928年に人が泳いで運河を通り、36¢支払ったとか。
 シャワーの多い天気のため、(パイロットも気違いじみた天気だ。といっていた。)あまりきれいな写真は撮れなかった。

6月30日 12-07N, 76-14W

 昨日運河を通行し、ここは「大西洋、カリブ海」。旅客船のクルーズで有名な海なのだが、時化る海としても有名なのだそうだ。さっそく僕も酔ってしまう。
 昨日は運河通行のため一日中スタンバイ状態だった。そこで今日は航海実習(ワッチだけのいわゆる休日)となる。

7月1日 15-23N, 71-38W

 海は相変わらず、僕の気分もいまいち。終日吐き気を感じ続ける。

7月2日 19-25N, 66-18W

 0419、MONA PASSAGE(モナ海峡)に進入。カリブ海を縦断し終える。バイバイ、カリビアン・シー。
 Noon-16直、1230から1530までの中3時間僕等は機関室当直に入る。エンジン・ルーム内は暑い。機関科実習生が当直明けにシャワーを使いたがる気持ちがよく分かった。

7月3日 22-57N, 60-28W

 M.N.-04直、大洋航海で暇になったサブワッチである僕と当直士官のJ1/Oと風流をする。
(1) 弓張りの 月にも負けぬ 明るさで 大西洋に 二つの銀河
(2) 月昇る 海の彼方に ヨーロッパ
J1/Oの感想は「旺文社的だね」とのこと。
 メリ・パス。船内がパニックに陥った。太陽の赤緯と本船の緯度の差が10'位しかなく、太陽は頭の真上。おかげで高度に多少の差はあるものの、何処をむいても太陽がいる。士官でも稀にしかないこの事態にパニックしていた位だから僕等実習生が金縛っても良いだろう。

7月4日 26-14N, 54-13W

 天気は良いし、海も穏やか。カシオペアとかスクェアーとかの曲がピッタリ。これでワッチと天測が無かったら最高なんだがなあ。

7月5日 29-27N, 47-44W

 船内剣道大会が行われる。
 モーニング・サイト(午前の太陽観測)の時、日本丸時代から愛用してきた天測用のシャープ・ペンシルがおしゃかになった。大西洋に水葬してやる。
 20-M.N.直の終わり頃、NNSS(人工衛星を利用した船位測定システム)の船位表示が45-00Wを示す。今ちょうど日本と午前と午後が反対の世界に僕等はいるのだ。

7月6日 32-17N, 40-38W

 1030頃モーニング・サイトの為に船橋に上がると、辺りはべた凪。海面は鏡のよう、こんな凪は初めてだ。
 船内ビデオ「愛と青春の旅立ち」他を上映する。

7月7日 34-34N, 32-54W

 本日は七夕である。セキスタントでアルタイルとベガをくっつけてやろうと思ったのだが、あいにくと曇ってしまい実行できなかった。
 夜、部屋でブラブラしている時は、同室の連中とイースター島のモアイとかネッシー、ピラミッド、つちのこ、タイムマシンといった小さい頃夢中になった世界の不思議なものや昔のテレビ番組や映画の話をして盛り上がっている。

7月8日 36-33N, 24-58W

 アゾレス諸島の一つサンタ・マリア島に接近する。この島は欧州では有数の高級避暑地だそうで、ハイ・ソサエティーな人々しかいないのだそうだ。
 午後はこのサンタ・マリア島の望める海域で総端艇部署操練。救命艇にセイルをセットして3時間ばかり帆走をするが、無風のため走れない。また今回は飴、煙草、カメラ等の携帯が許可されたので実習生はみな水遊びをしている気分。
 今日、大西洋に出て以来はじめてイルカを見た。これがまたメキシコ沖のイルカといい勝負の豪快さで、ジャンプしたりする。

7月9日 37-40N, 18-08W

 大きな外洋ヨットを多数見掛ける。VHF等の情報だと大西洋横断レースが行われているとか。

7月10日 38-28N, 09-57W

 Noon-16直。Noonの船位で仮泊地まで30マイル。レーダーでは陸映をかなり前から捕らえていたのだが、もやで視界が悪く、仮泊の直前まで陸地の初認はできなかった。
 リスボンというと、どうも古臭い石畳の町並みを想像してしまうのだが、さすがにポルトガルの首都だけあって、都会である。
 仮泊後、プープデッキで実習生はシーツの洗濯。帆船の洗濯と同様に、タップ(たらい)をたくさん並べてすすいでは絞って、隣のもう少し澄んだタップですすいで絞る、更に…といった方法で。プープデッキ上には所狭しと干されたシーツの眺めはまた壮観なもの、白い船体にたくさんのシーツなんて知らない人がみたら病院船と思ってしまうのではないだろうか。
 安着を祝うバドワイザーが夜の食卓に並ぶ。
 1800、45分時計を進めて船内時はG.M.T.(世界標準時)と同じになる。

7月11日 リスボン 沖 <Anchor>

 1日中船の整備と大掃除に費やす。昼休み、今度はボンク(ベット)の毛布をプープデッキに干す。
 1800今度はリスボン標準時(夏時間)に合わせるため時刻改正。更に1時間。旗章降下(日没時に行う。)は21時。
 巡検後、友人に髪を刈ってもらう。大胆にもスポーツ刈り。これで頭もさっぱりした。

7月12日 Estacão Maritima da Rocha

 0800S/B(スタンバイ:部署)、仮泊地から岸壁までの約17マイルを2時間もかけて航走する。この日は風が強く、ロッカーの奥にしまいこんだジャンパーが恋しかった。
 リスボン港はテージョ河の河口により少し奥にある。テージョ河へむかって遡行して行くと、右手にはNATOの給油基地が、左手にはビーチが見える。更に遡って河口と海の境にベレムの塔が、エンリケ航海王の「発見の碑」が見えてくる。そして「25th of April橋」をくぐると本船のバース、「エスタション・マリティマ・ダ・ロッシャ」がある。例によってC/Oから上陸に際しての注意事項が伝えられ、ランディング・パーミットをもらい、友人2人とともに上陸。
 ポルトガル料理にも挑戦する。なかなかの味である。そしてコーヒー、これが凄い。エスプレッソという物凄く濃いものが、小さなカップに入れられてくる。最初に口をつけてあまりの苦さにびっくりしてしまった。

7月13日 Estacão Maritima da Rocha

 在船の日。午前中は整備作業、午後は在ポルトガル日本人のお子さん達の船内見学の案内。その中に、付き添いで来ていたポルトガル人の男性と親しくなり、お互いに母国語ではない英語でバスコ・ダ・ガマ、コロンブス、マゼラン(日本語ではこう呼ぶが、彼らは日本人には発音不可能な言い方をする。)等の話に興じる。
 ポルトガルの有名な帆船「サグレス」はこの岸壁の近くにいつもは繋留しているらしいのだが、ニューヨークの帆船祭りに参加しているとかで実物を見ることはできなかった。
 ここの若者の間の流行の1つに空缶集めがあるそうだ。特に外国製のそれには高い価値があり、空缶欲しさに船の近くにいつもたむろしている。一説によると、日本製のそれは(コーラ等)は空缶で100円、未開缶の物に到っては500円! もするとのこと。
 ポルトガルで空缶を売って、一財産作ろう!

7月14日 Estacão Maritima da Rocha

 バス見学の日。サン・ジョルジュ城、ポンバル広場、シントラの古い王様の別荘、ロカ岬、カシカイスのビーチ、ジェロニモス修道院、ベレムの塔、発見の碑を見て回る。

ロカ岬

 ヨーロッパ大陸の最西端の岬である。ロカ岬訪問の証明書を3$で売っていた。(日付、名前入り)
 その昔、カモン・エスと言う詩人がいて(彼の命日6月10日は祝日となっている)この地で詩を詠んだ。
-ここに地果て、海始まる-と言うもので、この詩の彫られた記念碑もある。

ジェロニモス修道院

 カモン・エス、バスコ・ダ・ガマの石棺が安置されている所。美しいステンド・グラスが印象的だった。

ベレムの塔

 テージョ河と海の境とされる所で、その昔、大航海時代に地球の果てを目指してここから帆船が出発したとか。

発見の碑

 航海技術の発展に貢献した大いなる先人、エンリケ航海王(本当の王様ではないらしい。)の没後500年を記念して作られた物で、帆船を模したタワーのまわりにエンリケ航海王を先頭に航海士や天文学者、軍人、宣教師の像が並んでいる。
 タワーの頂部には有料のエレベーターで上がることが出来、テージョ河の美しい眺めを楽しめる。

カシカイス

 いわゆるリッチな人々の別荘地で、一軒一軒が城を思わせるような豪華さである。
 僕等商船学校の学生にとっては大先輩にあたる-西洋文明を世界に広める基を築いた-古の航海者達の足跡が、息遣いが、眼前に浮かぶ街、リスボン。良い所だと思う。

7月15日 Estacão Maritima da Rocha

 総員上陸日。昨日行けなかった海事博物館へ行く。上陸に際しては制服の着用が義務付けられているが、この海事博物館では制服がものをいった。高くはない入場料がマリナーだということで、只になってしまった。館内は広く、教科書のはっきりいって下手な、何が何だか判らないイラストでしか見たことのない古代の航海用具の実物が所狭しと並んでいた。流石、ポルトガル。
船に帰ると、本船の後方にイタリアの客船アキレ・ラウロが入っていた。今朝上陸前に、これを着けるために岸壁のシフト(前方に150m移動した)をしたのだ。