■郷土新聞連載中 「窓」 より
1. 明日を開く「出会い」
2.「すばる」との出会い
3.「造園」との出会い
4. 妻との出会い
5.「神様との出会い」
6. 蕎麦との出会い(1)
7. 蕎麦との出会い(2)
8. 不登校との出会い(1)
9. 不登校との出会い(2)
10. 不登校との出会い(3)
11. スローライフとの出会い
12. 掛川との出会い
8.不登校との出会い(1) 小松正明
 人生の中には、会わずに済ませられればそれに越したことはないようなものとも会うことがある。平成八年の夏も終り、今日から小学校は二学期というときに、それは突然やってきた。
 「いやだ!学校へ行きたくない」そう言って長女は泣き始めた。「ずる休みは許しません!」と、なんとしても学校に行かせようと叱る妻を見ながら「これが不登校というものか」とどこか冷静に見ている自分がいた。「もういいよ。無理して行かせることはない」そう言ってその場はおさめたものの、家中がパニックになった瞬間だった。
 長女が学校に行かないことを認めると二女も「私も行きたくない」と泣いたが、「学校へ行けないことは仕方がないが、多感な時期には多くの友人に接することは大事で本来は行くべきだ」という価値観があった。だから二女も不登校にするような、いわゆる不登校ドミノは阻止しなくてはならないと考え、なだめながら二女の手を引いて登校する日が始まった。
 振り返って後から考えると確かに長女は五年生の春から、時折「お腹が痛い」と言うことがあった。しかしその時は、「そんな理由で学校を休むくせがついては大変だ」と思ったのだ。結果として娘には可哀相な思いをさせたのだが、あの腹痛が友人関係のストレスだと分かっていたとしても、休むように言えたかどうかは、今でも答えが見つからない。
 やがて、パニックの時期が過ぎれば、次には長女が家にいるだけという
ある意味安定した時期が訪れた。家での生活は、日中は布団の中にいる昼夜逆転で、本に書いてある通りの状態が続いた。幼い子供が世をはかなんで涙するのを見るのは辛いものだが、親としては目の前の現実として受け止めて解決しなくてはならないものだった。
 そんな家庭の事情を職場の上司にも打ち明けていたところ、折良く人事異動の話が持ち上がり、長野県の松本へ行くことになった。
 不登校の原因だった学校や友人から離れることで良い方向に向かうのかどうか、不安と期待の引越だった。

 
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