大学は一浪の末に、地元の北海道大学へ進んだ。浪人生活も振り返ってみれば、人生がそう単純な一本道ではないことに気づく良い機会であった。当時は入試制度改革の最中で、私が入学した翌年から共通一次試験が導入をされたから、私は古い入試制度の最後の学生になる。
今の学生は大学入試の時点で何を専攻するかある程度の目処を立てて受験しなくてはならないが、当時はおおらかで理類、文類、歯学部、医学部という分け方しかなく、私はなんとか理類に合格することができた。学科移行の制度は、二年生の秋に専門課程の学部学科を決めるというもので、教養時代の一年半に取得した単位の成績上位者から順番にそれぞれの志望学科に割り振るというものだった。各学部学科の講座には定員があるので、もし自分の前でそれが一杯になれば、そのときは第二志望に回されるという仕組みである。
私の興味は環境保全方面で、水質浄化と造園学のどちらを志望しようかと迷ったが、最後には「造園学」に決め農学部農学科を第一志望にした。エルムの学園の母体となった由緒正しい学部学科である。
さて事前説明では私の第一志望の農学部農学科には五つの講座があり、それぞれに五人の学生を募集するので定員は二十五人だった。緊張しながら移行者の氏名が張り出された掲示板を見に行くと、私の名前がなんと農学科の「二十六番目」に書かれていた。聞けば前年に留年した学生が多かったので、今年は各学科で割り増しして学生を受け入れたのだそうだ。仲間からは「二十五人中二十六番目」ということで随分からかわれたものだ。
その後造園学を専攻して公園や緑化について学び、今日ではそれを仕事にすることもできた。しかしもしあのとき農学科の定員が二十五人だったらと思うと、今でも少しだけドキドキするのである。
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