「小松君、君は今松本市にいるが、信州一の宮はどこか知っているかね」
「ええ・・、確か諏訪大社だと思いましたが・・」
「もうお参りに行ったかい」
「まだですが」
「いかんなあ。我々のように土や水をいじくることを仕事にしている土木屋は、その土地の神様にちゃんと挨拶をしておかないとなあ」
転勤で松本に赴いて半年くらい経った頃に、上司と交わした会話である。私は生まれも育ちも北海道だったので、神社は確かにあるのだが、深い歴史と伝統を有する神社があるわけではなく、いきおい、神社への敬愛もそれほど深いわけではなかった。ところが、何度かこの上司の話を聞くうちに、奥様が実は諏訪大社の禰宜の家柄の出であったり、本人も深く神道を信奉していることが分かってきた。
「最近の日本人は正しい参拝の仕方も分からなくなっているんだよ」
「正しい参拝の仕方があるんですか」
「例えば、玉串を受け取るときは左手は手のひらを上に向けて、右手は甲を上にしていただくものだとか、奉奠の時には時計回りに回すとかね・・」
なるほど、そんな作法があったことも知らなかった。それ以来、神社のこと、神様のこと、古事記のこと、神話のこと、神仏習合時代のこと、作法のこと、神道のことなどに興味を持つようになった。本を読んで勉強をし始めるとどんどん神様を身近に感じるようになってきた。
「弓道では利き腕の左右に関わらず必ず右手で弓を引くんですよ。なぜなら、道場の正面には神棚があって神様に背を向けるものではないからなのです」と教えてくれる人もいた。
掛川はお祭で大いに盛り上がる土地柄でもあるが、知れば知るほど「宗教」という言葉では表現しきれないほど神道が日常生活に関わっていることが分かる。
年末年始に、お近くの神社へお参りに行くことも多かろう。「ここの神様は誰だっけ?」と思うだけで神様がにこにこと笑って見ているような気がする。
|