妻とのなれそめを言うと、そもそもは中学校の同級生ということになる。しかしながらクラスで一緒だった時はいわゆる彼氏と彼女というつきあいは全くなかった。そのまま卒業してそれぞれ別の高校へ進学したので、それっきり互いに音信不通の状態が続いた。
久しぶりに会ったのは、就職して二年目の正月に集まったクラス会だった。もともと私の側は彼女のことが気になる存在だったので、これ幸と近づいてその年の暮れに結婚した。中学校の時の自分の印象を尋ねたら「そんな人もいたなあ」だそうである。やれやれ。
「愛は小出しに末永く」とはよく言ったものだ。燃えるような恋愛で、燃やすものを燃やし尽くして消えてしまうよりはガスの種火を燃やし続ける方が良い。具体的には必要以上にべたつかず、とにかく笑いのある関係でいることが長続きする最大のポイントのように思う。ところで「小出しに末永く」は相手の側にも言えることで、そんな風に付き合ってくれるかどうかが「夫婦がうまくいく長持ちの秘訣」だとすれば、そのコツはそんな相手と巡り会うということに尽きて、それは結局「神頼み」ということなのかもしれない。
大正から昭和にかけての物理学者にして文章家だった寺田寅彦のエッセイにこんな話がある。筆者は一週間も田舎へ行った後に夜の上野駅に降り立ち、広小路に出た瞬間に「東京は明るい」と思うのだが、もう次の瞬間にはその明るさを忘れてしまう。札幌の友人は東京へ出てきたとき東京を異常に立派に感じるのだが、もう次の瞬間にはその立派さを忘れてしまうという。
そこで筆者は「喧嘩でなしに別居している夫婦の仲の良いわけが分かるような気がする」とまとめるのだ。長く離れていれば脳に新鮮に写るという効果らしい。単身赴任もあながち悪いことばかりでもないようだ。
離れて暮らしていても安心して家庭を任せていられるのも妻のおかげだ。娘には「中学校の同級生を大事にしろよ」と言うのだが一向にぴんと来ないようだ。まあ無理もないか、ははは。
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