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発達障害の子供の診断と育て方
もくじ |
少し前までは不登校の原因というと、圧倒的に多いのが『いじめ』でした。
しかし最近では、それを抜く勢いで『発達障害』が原因とされる不登校が増えています。
友達とケンカしたわけでもなく、仲間はずれにされたり、いじめられたりからかわれたりしたわけでもないのに、ほんの些細なことに腹をたて学校に行かなくなったりする子がたくさんいます。
また、学校がつまらないから、なじめないからという理由だけで行かなくなる子もいます。
これらはアスペルガー症候群や自閉症スペクトラムといった発達障害が疑われるケースです。
実際、不登校や引きこもりの支援機関に相談すると「それは先天的な発達障害の影響ですよ。ご両親の責任ではないですよ」と言われることも多く、このように診断されると「自分のせいじゃなかったんだ。生まれつきの性格の問題だったんだ」と、ホッとする人も多いようです。
しかし私は、『発達障害が先天的な脳の機能障害である』という説には納得していません。
25年にわたる不登校、引きこもりの専門カウンセリングの経験からすると、確かに環境になじめない子たちは、発達障害特有の生まれながらの性格、気質といったものをもっていますが、それ以上に育て方に問題があったと思われるケースが大半だからです。
発達障害の傾向があってもちゃんとした育て方をすれば、普通の生活ができるようには育っただろうな、という子が本当に多いのです。
もちろん、どんな育て方をしても不登校や引きこもりになってしまったり、社会に適応できない大人になってしまう人もなかにはいます。
しかしそんな人は、かなり重度の発達障害であり、むしろ精神障害に近い人たちなのです。
このような人たちは、たんに周囲になじめないだけでなく、奇行や突拍子もない言動などが頻繁にみられたり、なんらかの神経症を発症したりするので、まわりの人間にはすぐに分かります。
ここまでひどい発達障害の人もたしかにここ最近急激に増えてきましたが、不登校や引きこもりの人数全体からすると、まだまだ少数派です。
大半の人は少しぐらい発達障害の傾向があっても、育て方さえ気をつければ普通の生活ができるようにはなりますし、人並み以上に社会で活躍できるようになることも可能なのです。
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くりかえしますが、発達障害は育て方さえ気をつければ、まったく普通に育ちます。
これは心理カウンセラーとしての経験だけから言っているわけではありません。
それ以外にも、ふたつの大きな理由、根拠から確信をもって言える事実なのです。
最近では発達障害が新聞、テレビなどのマスメディアでとりあげられることも多くなり、発達障害が疑わしい子供をもつ親御さんは、おおいに不安をあおられているようです。
しかし、安心してください。
これから私が、発達障害について専門家と言われる人たちやマスコミから流されている情報が大間違いであることをお話していきます。
これを読んでいただけば、発達障害についてのいままでの常識、イメージが、180度ひっくり返ってしまうはずです。
そして、
『うちの子が発達障害でよかった』
『私自身も発達障害じゃないかしら』
とすら思えるぐらいになっていただけることと思います。
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発達障害は育て方しだいで普通に育つというひとつめの根拠は、私自身の子育ての経験です。
じつは私の長男も、幼稚園、小学校、中学校でいつも問題児扱いされてきた発達障害でした。
しかし、私は普通の子として普通学級に通わせ、私なりの育て方で育ててきた結果、その息子もいまでは高校も無事卒業して、この春から大学に進学するというごく普通の生活をしています。
もちろんその過程で学校の先生と対立したり、無理解な言動に腹を立てたりしたこともありましたが、結局それも後になってドラマのような痛快な逆転劇につながり、ますます発達障害についての私の持論に確信がもてる結果となりました。
それについてはまた後で述べていきたいと思いますが、そんなことがありながらも結局、息子は大学進学というごく普通の若者に成長しました。
もし息子が大学進学などというありきたりの道でなく、親から自立して生きていく道を選択してくれていたら、普通ではなく「立派な人間に育てた」と自慢しているところですが、残念ながらそこまで期待どおりには育ってくれませんでした。
私の人間判断の基準は学歴や肩書きではなく、人に迷惑をかけず、親から自立して、楽しく充実した人生を送っているかどうかだけですから、大学などに行っているうちは立派に育ったとは言えません。
ただ、少々の発達障害があっても育て方しだいで普通に育つということは、身をもって証明したとは言えるでしょう。
最近では発達障害が疑われるあつかいにくい子供の育て方に悩んでいる人も多いようなので、発達障害があってもちゃんとまともな生活ができる普通の子に育てていただけるよう、これからその方法を紹介していきます。
その前に、発達障害が育て方しだいで普通に育つという、もうひとつの根拠もお話しておきましょう。
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『障害』という言葉がついているために、発達障害というと大変なハンディキャップをもってしまっているかのような印象を受ける人が多いようですが、実際はそうではありません。
じつは普通に生活している人の半数以上は、なんらかの発達障害をもっているのです。
人間の口の中や腸の中には無数の細菌が存在しているということはご存知でしょう。
どんな人にも、健康を増進してくれる善玉菌も病気のもとになる悪玉菌も存在しています。
発達障害というのも、それと同じなのです。
発達障害というのは社会生活に適応しづらい性格、性質のことを言っているだけであって、そんな要素はだれでももっているでしょう。
人の気持が理解できない人
自分さえよければいいという自己中心的な人
人を思いどおりコントロールしてやりたいという人
人を差別したり、いじめたりする人
いじめられたり、理不尽なあつかいを受けても反論もできない人
思いこみが強く、自分の意見が絶対だとかたくなに信じている人
これらは発達障害の人に見られる性格、性質ですが、ほとんどの人が大なり小なりこれらの性質はもっているのではないでしょうか。
ですから、学校や職場など一般社会においても発達障害と言えるような人は、うようよいるのです。
もちろんそれは教師や企業の社長、重役といった地位にある人でも例外ではありませんし、芸術家や芸能人、スポーツ選手などは、むしろ発達障害的な性格をもっていなければ大成しないと言ってもいいくらいです。
発達障害というのはそれほど身近なものなのです。
とくに何かで成功するためには、思いこみの強さや自分は絶対だという信念、何をおいても自分のすることが大事という自己中心性など、発達障害の性格、性質がおおいに役立つのです。
歴史上の人物では、坂本龍馬やエジソン、アインシュタイン、レオナルド・ダ・ヴィンチなどが挙げられていますし、現代の人では、スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、意外なところでは、長嶋茂雄さんやイチローさんなども、その傾向があると言われています。
こうしてみると、【天才=発達障害の傾向あり】という図式がよくわかりますね。
このように発達障害というのは、むしろ人より秀でた業績や成果をだす人間に必要な特徴であるとすら言えるのです。
ただし、全面的に安心してもいけません。
体内細菌と同様に、発達障害であることには一長一短があります。
それでは発達障害のなにが問題なのかというと、人に迷惑をかけたり、人になじめなくて一般社会に適応できなくなるというリスクが高いということです。
団体競技であるスポーツ選手には少ないですが、個人競技のスポーツ選手や芸能人、アーティストなどにも、『この人は、きっと普通の社会生活はムリだろうな』と思われる人は多く見受けられます。
このように、発達障害であっても世間に認められるだけのなにがしかの才能がある人はいいのですが、そうでない人は、やはり一般社会に適応できるように育ててやる必要はあります。
発達障害から不登校や引きこもりになる人は、結局、その性格、性質を良い方向に活かすこともできず、一般社会に適応できるような教育やしつけも受けていないのです。
これが一番の問題なのです。
もちろん、本来なら一般社会に適応できるだけでなく、思いやりや優しさをもって人に接することのできる人間になるよう育てていくことが望ましいのは言うまでもありません。
そうでないと、学校や職場など社会に出てもいじめや嫌がらせ、暴言、暴力、セクハラ、パワハラ、モラハラなどを平気でするような社会の害毒とも言える人間になってしまい、引きこもっていてくれたほうが、まわりの人間にとってはよっぽどましという結果にもなってしまいかねません。
ただ、親からすればどんなかたちであっても社会に出られる人間になって欲しい、というのが一番の願いでしょうから、ここでは発達障害が疑わしい子を普通に社会に適応できる人間に育てる方法についてお話していきたいと思います。
これは同時に、もうすでに不登校や引きこもりになっているお子さんに対しての対処法でもあります。
子供が自立していないうちはまだ育てなおしも可能なので、ぜひ参考にしてください。
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近年になって発達障害という言葉は広く知られるようになってきましたが、それが実際にどのようなものかというのは、あまり知られていません。
それには、単に情報不足、知識不足というだけでなく、もっと根本的な無理もない理由があります。
どんな理由かというと、発達障害というのが特定の病気やハンディキャップではなく、社会に適応しづらいパーソナリティ(性格、性質、人格)を総称して用いられる言葉であるということです。
ですから、ひと口に発達障害と言っても、その特徴によって様々な種類に分けられます。
例えば、学校生活、とくに進学に支障となる勉強が苦手な人は学習障害となります。
ここで発達障害の定義のいい加減なところは、あくまでも進学に大きな影響となる英、数、国、理、社という教科において極度に理解力に劣る人だけが発達障害、学習障害とされるところです。
進学にさほど影響のない音楽、体育、美術、書道などの教科がどれほどひどい成績であっても、発達障害、学習障害にはならないのです。
中高生で100mを30秒で走ろうが、お経のような歌を歌おうが、丸と棒だけで人間を描こうが、ミミズのはったような字を書こうが、発達障害にはならないのです。
また、注意力散漫でうっかりミスの多い人は注意力欠如障害、授業中にじっとしていることが苦手で落ち着きのない子は多動症などと言われます。
しかし反対に、なにかに異常に集中したり、執着、固執したりすると、今度は自閉症と言われてしまいます。
さらに、人をいじめたり、仲間はずれにしたり、陰口を叩いたり、それどころか、子供でも人を陥れるような卑劣な行為をする人間も多いものですが、残念ながら、このような子が発達障害とされることはありません。
本来、このような人格をもった人はパーソナリティ障害(人格障害、サイコパス)と言え、社会の脅威になることも多いのですが、このような人間は大抵あつかましく学校でも職場でものさばっているものです。
本来ならば、このパーソナリティ障害だけは数ある発達障害のなかでも一番気をつけなければならないものなのですが、人にうとまれたり、迷惑をかけたりしながらでも社会に適応しているかぎり発達障害と診断されることはありません。
問題になるのは度合いがひどくて犯罪を起こしたときぐらいになります。
このように発達障害の例をいくつか紹介してきましたが、これらはどこまでが正常でどこからが発達障害なのかという明確な線引きはありません。
もともと社会に適応しづらい人をカテゴライズしたのが発達障害なので、その定義はいい加減なのです。
最近では発達障害に関する研究、調査もすすんでいますが、そもそも物理的に計測したりすることのできない人間の性格、性質、人格を定義しようというのですから、その診断は検査する医師やカウンセラーによってもまちまちになっています。
また病気ではないので、それに対する治療法などはもちろんありません。
このように発達障害というのは、実体が非常にあいまいなものなので、それについて正しい情報、知識をもっている人がほとんどいないという現状になっているのです。
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ただし、発達障害があいまいなものだからといって、無視できるほど小さな問題であるというわけではありません。
発達障害というのは、社会に適応できる力が劣っている性格、性質をいうわけですでから、特性が顕著な人は生きていくうえで少なからずハンディキャップとなってしまいます。
例えば、どれほど運動神経が鈍くてもそれが社会生活に影響することはありません。どんなに歌がヘタであっても仕事をするうえで差し障りが出ることはないでしょう。
それに対して、学習能力が極端に低かったり、じっと机の前に座っていることができなかったり、人との協調性にかけていたりする人は、社会人として人並みの生活を送ることが難しくなります。
群れからはずれてしまうことが即、死につながる動物も多いものですが、人間も同様で集団生活になじめないというのは致命的な欠点になります。
発達障害の一番の問題は、ここにあるのです。
もちろん人間は野生動物とは違うので、人と交わらずひとりだけで生きていくことも、人の気持や都合を無視してわがまま放題、やりたい放題に生きていくことも可能ではあります。
しかしそれは、ほんの一部の例外でしかありません。
一生遊んで暮らしていけるだけの資産家の家に生まれる
自給自足で暮らしていける場所と技術、知識をもっている
スポーツや芸術の特異な才能がある
このような生まれもっての幸運に恵まれた人たちだけです。
それ以外の人は、発達障害の度合いがひどくて社会に適応できなければ、親のわずかな年金に我がもの顔でたかって生きていくのがせいぜいです。
ですから発達障害というのは、決して無視していい問題ではないのです。
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厳密にみていけば、ほとんどの人間に発達障害の要素は見られることは先にお話しましたが、これは事実です。
ただ大半の人間はそれが社会生活に支障がない程度なので、普通に学校に行ったり、仕事に就けたりしているのです。
また、発達障害のなかでもパーソナリティ障害(人格障害、サイコパス)の人は、自己中心的なあつかましい性格がむしろ社会では好都合であることも多く、頭が人並みかそれ以上によかったりすると、学校では成績優秀で会社に入っても順調に出世していくというケースも多々あります。
このようなケースでは本人が社会生活に適応できないというよりも、まわりの人の社会生活にとって大きな障害となっているものです。
そして本人は自由気ままにふるまって人生を謳歌することができるのですが、やはり家族としてはそんな人間と一生の付き合いをしていくのは大変だと思います。
ですから、もしあなたのお子さんに極度にわがままでかたくなな性質がみられるようでしたら、やはり早めに性格を矯正すべく対処されるのがいいでしょう。
つぎに、社会に適応できないタイプの発達障害についてですが、LD(学習障害)やADHD(注意力欠如障害、多動症)などは、それ自体はたいした問題ではありません。
もちろん、勉強ができたり、集中力があったりするにこしたことはありませんが、そのような能力を必要としない仕事はたくさんあります。
ですから、なにか自分の得意なものをみつけて、それで勝負していけばいいのです。
スポーツ選手や芸能人、芸術家などにはそのようなタイプの人はたくさんいますし、接客業や技術職などで能力を発揮する人もいます。
それよりも問題なのが、こだわりや思いこみが極端につよい自閉症(スペクトラム)の人になります。
この自閉症というのは、以前は、自分の殻に閉じこもってしまうとか、人を受け入れられないといった性質を指すものではなく、家族の人間も認識できないような知的障害を表すのが普通でした。
ところが発達障害という言葉や概念のひろまりとともに、自閉症が文字どおりこだわりがつよく自分の殻に閉じこもってしまう性質(障害?)という意味でもちいられるようになってしまいました。
いや、本来の自閉症と区別するためなのか、知的障害のない自閉症を『自閉症スペクトラム』と呼んではいるようですが、もともとの意味を知っている私からすると、この自閉症という言葉を乱用する風潮には違和感を感じずにはいられません。
ちなみにスペクトラムというのは、虹のように境目がはっきりしておらず、無段階に症状の程度が違っていることを表しています。
(これは発達障害全般に言えることであるにもかかわらず、学習障害スペクトラムとか、ADHDスペクトラムという言い方をしないのは、やはり、本来の自閉症と区別するためなのでしょう)
このような理由から、わたし自身はこだわりや思いこみが異常につよい性格、性質を『自閉症(スペクトラム)』ではなく『思いこみ発達障害』と呼んでいますが、ここではあくまでも一般的に通りのいい『自閉症』のほうを使っていきたいと思います。
この自閉症ですが、これもほとんどの人間にその傾向はみられます。
物事になんのこだわりもなく、一切の思いこみももっていないという人は、まともな社会生活が送れないほどひどい脳の疾患や機能異常があるか、真の悟りの境地に達している禅僧くらいです。
ただ大半の人は、なんらかのこだわりがあっても妥協するということを知っています。
また、少々つよい思いこみがあっても、道理を説かれて説得されたり、信頼する人から異なる意見を言われたりすると、考え直してみることもできます。
ところが、これがなかなかできない人がいるのです。
そのような人が自閉症スペクトラムと診断されることになります。
この自閉症の人は自分を抑えることが難しいので、まわりの状況や人の気持を考えず、思いのままに行動してしまいがちです。
そのように、思いこみだけでなく行動もともなってしまうと、アスペルガー症候群という診断名もついてしまいます。
ですから、自閉症とアスペルガーとはセットとなっていることが多いのですが、自閉症から発展してしまう問題はそれだけではありません。
つよいこだわりや思いこみは、なかなか社会では受け入れられないため、それを言葉や行動に出せず、がまんして抑えこもうとする人もいます。
そして、そんながまんの限界をこえたとき、学校や職場がイヤになって不登校や引きこもりになってしまうケースがあります。
また、つよいこだわりや思いこみから、神経症になってしまう人もいます。
神経症というのは過度な神経質ということで、不潔恐怖、醜形恐怖、体臭・口臭恐怖、対人・視線恐怖など、その症状は様々です。
あるいは、つよいこだわりがアルコールやギャンブルに依存させてしまうこともあります。
さらに、自分の思いどおりにならないことから自罰的になって、自傷行為をしたり摂食障害になってしまうこともあります。
そして一般社会では自分の思いどおりにならないことがわかると、唯一自分が天下をとれる家庭で、親の金にたかって生きていくという道を選んでしまうということが、近年の自閉症の人の大半のパターンになります。
結論として、発達障害で注意しなければならないのは、パーソナリティ障害と自閉症のふたつということになります。
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発達障害は、普通に生活している人の中にも半数ぐらいはいるという話をしました。
もちろん数えたわけではないので、ひょっとするとそれよりも大幅に多かったり少なかったりするかもしれませんが、いずれにしても発達障害はごく普通にある人間の特徴でもあるのです。
ただ、それが社会生活に支障が出るほどその傾向が強いと問題になってくるということなのですが、そのような発達障害はどうして起こるのでしょうか。
専門家の中には、発達障害は先天的な脳の機能異常であるという人もいます。
もちろんそれは間違いではありません。
発達障害と診断される人の中には、あきらかに精神的な疾患であろうと思われる人もいます。
しかし私は、多くの不登校や引きこもりの人たちと接してきましたが、そんな先天的な精神疾患が疑われるような人は、ほんのごく一部だけでした。
それよりも、やはり育て方によって発達障害の特徴が顕著になってしまったと思われる人が大半です。
ただ、多くの専門家の意見とまったく異なる私の意見など信じられないという人もいるかもしれません。
そこで、ほとんどの発達障害は育て方によって作られるという根拠を、具体的に述べていきたいと思います。
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まず『発達障害』という言葉の意味をよく考えてください。
文字どおり、正常な発達が阻害されている、といったような意味合いでしょう。
それでは次に、『発達』という言葉の意味を考えてみましょう。
これは人間だけに用いられる言葉ではないので解釈は様々になってしまいますが、人間に対して用いる場合はつぎのような意味あいととるのが適当だと思います。
自力で生きていくことのできない無力な赤ん坊として生まれてきた人間が、食事や運動、教育、しつけなどをとおして成長して、ひとりで生きていけるだけの心身を手にいれる。
ただし、これは体重が増えるとか、背が伸びるとか、跳んだり走ったりできるようになる、といった肉体的成長の意味合いも含まれています。
一般的な発達という意味あいではこれでいいのですが、『発達障害』でいうところの『発達』の意味あいは、もうちょっとせまい範囲をあらわすものになります。
それは何かというと、『心と脳の成長』です。
心の成長というのは、人への思いやりや優しさ、気づかい、自己抑制などができるかどうかということになります。
脳の成長というのは、注意力、集中力、記憶力、学習能力が備わってくる、ということになります。
ただ、この中の学習能力以外は数値で測れるものではありません。
そのため、なかなか発達障害の診断がしづらく、受診機関によって診断がまちまちという現状になっているのです。
それについては、これまでに何度も触れてきたのであえてくり返し述べることはしません。
とりあえず、ここでは発達障害の意味を正しく理解してください。
ここまで見てきたとおり、発達障害というのは『心と脳が十分に成長できない病気』であると言えるでしょう。
そう考えると、すべての人間は未発達な赤ちゃんとして生まれてくるので、発達障害の状態からスタートするということになります。
赤ちゃんはみんな発達障害(正確に言えば未発達ですが)ということです。
そして、オギャーと生まれてから10年、20年とかけながら、徐々に心と脳が成長していき、人への思いやりや優しさ、気づかい、自己抑制などができるようになったり、注意力、集中力、記憶力がまして、お勉強もできるようになってくるというわけです。
ここまで理解していただけば、発達障害が先天的な脳の問題であるという説に、うすうす疑問がわいてきた人もいるのではないでしょうか。
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まずは身体の発達を考えてみましょう。
身体には、先天的、遺伝的に強い弱い、背が高い低いといったようなちがいは個人個人によってあります。
また、身体能力も生まれながらにしての優劣はあります。
ただし、どんなに優れた身体をもって生まれても、成長期にまともな食事を与えず、ジャンクフードやスナック菓子、スイーツばかりを大量に与えてしまえば、ひ弱で不健康になったり、身体能力の発達が不完全で人並みの能力すら発揮できなくなってしまうでしょう。
逆に、遺伝的な影響で虚弱体質に生まれても、タンパク質やカルシウム、ビタミンなど栄養価の高いバランスのとれた食事をしっかりと与えることで、人並み以上に健康で身長体重、運動能力ともに優れた肉体に成長させることはできます。
このように身体の発達には、先天的なもの以上に食事の与え方、つまり育て方が大きな影響を与えます。
もちろん先天的な疾患がある場合には、いくら栄養満点の食事を与えたとしても、身体や身体能力の発達には限界があります。
ただ、そんな先天的な疾患をかかえている場合でも育て方しだい、食生活しだいで、最善の健康状態に保つことはできます。
こうしてみると結局、身体の発達には育て方が大きく関わっているということがわかります。
それでは、心や脳の発達に関してはどうでしょうか。
結論としては、心や脳の発達も身体の発達と、まったく同じことなのです。
心や脳の発達は身体とちがって目に見えないだけに、どうしても自分に都合よく考えてしまいがちです。
ですから、あえてまず最初に目に見える身体の発達について述べてきたのです。
心や脳の発達における食事というのが、しつけや教育、つまり、育て方ということになります。
人間だれしも、もともと発達障害の状態からスタートするのです。
なんの教育もしつけもしなければ、以下のような赤ん坊そのままの人格をもった人間、発達障害の権化のような人間になってしまうことは容易に想像できるでしょう。
とにかく自分の欲求を満たすことが第一
自分の身の回りのことも自分でできず、すべて人まかせ
自分の気に入らないことがあれば泣きわめいたり暴れたりする
人の都合は一切無視する
人の気持ちが読めない、理解できない
人とまともにコミュニケーションがとれない
がまん、辛抱ができない
発達障害というと、不登校や引きこもりなどになって、社会からドロップアウトしてはじめて疑われるものなので、特殊な精神疾患、あるいは、障害であるかのように思われがちです。
しかし、上にあげた特徴をみてください。
これらは典型的な発達障害の特徴ですが、このような人は世間にあふれかえっていますね。
結局、すべての人間が発達障害(未発達)の状態で生まれて、親のしつけや教育によって発育、発達していくものなので、育て方によってある部分はまともに発達できても、ある部分は未発達のまま、という人がほとんどなのです。
完璧な親などどこにもいませんので、大抵はどこかで育て方にかたよりができて、部分的に未発達なままの人格をもった人間が育ちやすいというわけです。
もちろん身体の場合と同じく、先天的な脳の疾患があれば、親がどれほど気を使って育ててもひどい発達障害の特徴が改善されないままに育ってしまうこともあります。
これが本当の発達障害であって、子供がどのように育っても親にはなんの責任もないのですが、これも身体の障害の場合と同じく、その割合はそれほど多くありません。
にもかかわらず、先天的な発達障害と診断される人が激増している背景には、自分の責任と認めたくない親がいて、臨床経験も知識も乏しい医師や心理カウンセラーが大多数であるという現実があるのです。
『親御さんの責任ではありませんよ。発達障害は先天的な脳の問題なのですから』
医師やカウンセラーからこんな言葉を言われたら、本当に自分の子供に障害があるのかどうか、セカンドオピニオン、サードオピニオンまで求めることをお勧めします。
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ADHD(注意力欠如・多動症)や学習障害など、ほとんどの発達障害はとくに問題ないことはこれまで述べてきたとおりです。
それでは発達障害の一体何が問題なのでしょうか。
お受験やお稽古事に熱心な親御さんからすると、学習障害やADHD(注意力欠如・多動症)などは、人生を台無しにしてしまう致命的な問題だと思われるかもしれません。
しかし、それは大きなかん違いです。
学習障害やADHDというのは、音楽が苦手な音痴とか、運動が苦手な運動音痴みたいな一種の個性ですから、そのような自分の苦手なもの以外で勝負すればいいだけの話なのです。
美的センスに乏しい人がデザイナーになろうとしたり、音感が鈍い人がミュージシャンになろうとしたりする必要はまったくありません。
それとおなじで、なにがなんでも子供に勉強させて良い学校に行かせようなどと考えるより、勉強が苦手であれば、勉強にムダな時間を費やすより他のことに時間とエネルギーを注がしてやればいいのです。
そうすれば、人並み以上の成果を得ることができるでしょう。
スポーツ選手や芸能人で勉強は全然できなかったし、しなかったという人がいますが、彼らの親御さんの柔軟な頭が子供を成功に導いた一因でもあるとも言えます。
このように発達障害というのは単なる個性なので、そのほとんどのケースではなんの問題もないのですが、ふたつだけ要注意のものがあります。
それは前にも述べたとおり、人格障害(パーソナリティ障害)と自閉症スペクトラムです。
もちろん、これも他の発達障害と同じく無段階で程度に差があるので、問題となるのはその度合いが大きい場合ということになります。
発達障害というのは大半が、勉強ができなかったり、授業中じっとしていられなかったり、忘れ物やうっかりミスが多かったりといったような社会に適応しづらい性格、性質のことをいうわけですが、一番やっかいな問題となるこのふたつに限っては、それらの兆候は見られないこともよくあります。
むしろ、学校では成績優秀な優等生だったりすることも多いので、家族の人たちもなんとなく変わった子だなと思っていてもそのまま放置してしまったり、勉強がよくできるからといって甘やかしたりしてこれらの障害を助長してしまうことも少なくありません。
しかしながら、この人格障害(パーソナリティ障害)と自閉症スペクトラムは、その症状が顕著に現れると本人が困るというよりも家族などまわりの人間がおおいに迷惑をかけられることがほとんどなのです。
だからこそ、自分自身のためにも早めに気づいて早めに対処しなければなりませんし、もう手遅れかと思っても放置することは厳禁なのです。
そこで、一刻も早く異常を察知して適切な対処をしていただけるよう、人格障害(パーソナリティ障害)と自閉症スペクトラムについて、その具体的な見分けかたや症状について解説していきたいと思います。
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サイコパスという言葉は、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
サスペンス映画などで異常犯罪の犯人がサイコパスと呼ばれていたりするので、多くの人がサイコパスのことを猟奇的な殺人を犯すような性癖、性質をもった人間を指す言葉であると思っているようです。
実際は、サイコパスというのは猟奇殺人者のことだけを指すわけではないのですが、そんなイメージがついてしまったため、心理学の世界ではサイコパス的な性格、性質をもった人を人格障害(パーソナリティ障害)と呼ぶのが一般的になりました。
また『人格障害』という言葉も、あからさまに人格に問題がある人間、異常人格者という印象を与えるということで、日本ではあえて英語で意味あいをぼかしてパーソナリティ障害と言うことが多くなりつつあります。
ただ、言葉をマイルドな印象にしたからといって実際の状態が変わるわけではないうえ、意味がわかりづらくなるだけなので、私は人格障害という言葉のほうを用いています。
そんなわけで、これからは人格障害(パーソナリティ障害)と表して説明していきたいと思います。
人格障害(パーソナリティ障害)とは、文字どおり人格に問題がある人のことをいうわけですが、どのような問題かというと、ひとことで言えば超自己中心的な性格、人格ということです。
人の気持や痛みがわからず、自分さえよければそれでいいという考えを持ち、自分の欲求、欲望を満足させるためだけに行動する、というような人です。
この自分の欲求というのが、人を殺したいとか、人の体をバラバラにしてみたいといったようなものになってしまうと、映画などに出てくる猟奇殺人者、サイコパスとなるのです。
しかし実際には、人格障害(パーソナリティ障害)でも、そこまで極端なケースはごくまれであって、それよりもましな程度の人はそこらへんにゴロゴロいます。
軽い例で言えば、いつもマイペースでまわりの人が焦ったり、困ったり、振りまわされたりしているのに、なんの反省もなくおなじことをくりかえすような人です。
また、自己中心的でわがままで、いつも自分の意見を通さないと気がすまない人などもそうです。
前にも述べたとおり、赤ちゃんは100%このような性質をもっています。ですから、人格障害は人間としての本能であると言えるかもしれません。
そのため、親に協調性や忍耐、気遣いなどを教えられずに育ってしまうと、自分の本能のおもむくままに行動する人格障害の傾向をもった人間になってしまうのです。
このように、人格障害というのは決して特異なものではないのですが、この度合いがひどくなるにしたがって、まわりの人間の迷惑度もあがってくるということになります。
もう少し重い例をあげると、次のようになります。
弱いものいじめをする人
子供を自分の持ち物のようにあつかう親
生徒を暴力的な言動や行動で強制的に従わせようとする教師
自分の利益のために従業員を不当にあつかう経営者
オレオレ詐欺や悪徳商法などのように平然とウソをついたり、人をだましたりできる人
このような中程度の人格障害の人も、かなり多いですね。
このレベルの人格障害の人たちの被害にあって精神を病んでしまったり、人生を狂わされてしまったりする人は枚挙にいとまがありません。
そして、なによりもやっかいなのが、人格障害というのは知的レベルが人並み以上であることが多いというところです。
自己中心ということは損得勘定に長けているということであり、頭の回転も早かったりします。
そのため、学校の成績も良かったり、口がうまくて会社でも出世したり、経営者として金儲けの才能があったりして、人の上に立つような立場にいることも珍しくないのです。
そして彼らは自分が人格障害であるということに気づいてすらないので、自分こそが正義で自分の意に沿わない人間は許すべからず敵とみなしてしまいます。
たとえば、
子供が自分の命じる進路に進まない
生徒が自分の言うことを聞かない
従業員が自分の課したノルマを達成できない
など、このようなことは人格障害(パーソナリティ障害)の人には許せません。
とくに子供を深刻な不登校や引きこもりにさせてしまう親御さんの中には中程度以上の人格障害であると思われる人も多く、そんな親御さんは自分のせいで子供が苦しんでいるということはつゆほども思っておらず、自分は子供にこんなに苦しめられている、との被害者意識だけはものすごく強いものです。
そして、暴力で子供を従わせようとしたり、暴力的な指導で問題になった某ヨットスクールのようなところに、子供をさっさと預けてしまったりすることもあります。
(今でも半強制的に子供をつれていくような施設はあります)
このような人格障害(パーソナリティ障害)の人の暴力的な傾向は、教師や経営者、会社員などでもよく見られます。
もちろん、人格障害だからといって、みんながみんな暴力的であったり、絶対に人を許せないというわけではなく、その度合いが軽い人は不承不承ながらでもあきらめることができる場合もあります。
ですから、あくまでも度合いと傾向の問題でありますが・・・
これだけでもまわりの人間は大迷惑ですが、さらに、より重度の人格障害になってくると間接的な殺人までおかしてしまうことがあります。
そんな良い例が、社員を過労死や自殺に追い込むようなブラック企業のトップや部下を監督する立場の人間です。
人を人とも思わず、人の痛みや苦しみも理解できず、従業員の後ろには彼らを大切に思っている家族がいるということをつゆほども思わず、ただただ自分の利益だけのために使い捨てのコマとして人をあつかったり、立場を利用してパワハラをしかけたりするのです。
そして従業員が過労死や自殺をすると、社会的な対面上や損得勘定から神妙な顔で謝罪会見をしたりはしますが、内心は反省どころか、会社のブランドを傷つけやがって、オレの立場を悪くしやがってと逆恨みすらしていたりします。
もちろんこれも、ブラック企業のトップや上司の立場にある人たちみんながみんなそうだと言うわけではありませんが、人を死に追いこむまで働かせたり、パワハラを平気で行なうような人間は、まず人格障害(パーソナリティ障害)であるとみて間違いありません。
人間心理のプロである私からすれば、謝罪会見の様子や会社発表のコメントから、そのような無反省の内心はありありと読みとれますし、目や表情を見れば大体考えていることはわかります。
このようなブラック企業のトップやパワハラ上司以外に、もうひとつ重度の人格障害(パーソナリティ障害)の人が犯す間接的殺人の例をあげるなら、自殺するまで追いつめるようないじめをする子供です。
このような子供たちは、頭が良ければブラック企業のトップやパワハラ上司となり、頭が悪ければやくざになったりすることが多いのですが、結局、子供の頃にしっかり矯正しておかないと、その性質は一生変わることはないのです。
リーダー格の子に引きずられていじめの仲間に加わってしまったという子は人格障害(パーソナリティ障害)ではないこともありますが、いじめを主導している子というのは大抵が人格障害がありますし、自殺に追いこむまでのひどいいじめをするのは、ほぼ100%重度の人格障害とみて間違いありません。
ですから彼らもまた、反省などという言葉とは一切無縁です。
いじめた相手が死んでしまっても、ゲームのアイテムがひとつなくなった、ぐらいにしか思いません。
これが人格障害(パーソナリティ障害)なのです。
サイコパスとか、人格障害と聞くと、なんだか恐ろしいように思われるかもしれませんが、本当に自分の欲求が抑えられず、犯罪に走ってしまう極めて重度の人はごくわずかです。
大抵は罪を犯せば捕まって不自由な生活を送らなければならなくなる、という損得勘定が働くので、法律ギリギリのところまでしかやりません。
ですから直接的な殺人を犯してしまうのは、単なる人格障害の範疇をこえた精神疾患であると考えてもらってもいいでしょう。
こうなると、いくら親の育て方がよくてもその障害からくる行動を改善させることは非常に難しいので、思い当たるふしがある場合は、医療機関や警察と連携して子供の素行に細心の注意を払う必要があります。
ここまで読んで、
「精神疾患以外の人格障害(パーソナリティ障害)は、人に迷惑をかけるぐらいだから、まあいいか」
と思われた方もいるかもしれませんが、そうではありません。
たしかに人格障害(パーソナリティ障害)の人の自己中心的なふるまいが他人に向いている間は、家族は安全でしょう。
しかし、人格障害(パーソナリティ障害)の人たちの行動基準は、思いやりとか義理人情ではなく徹底した損得勘定ですから、相手が他人だろうが身内だろうが関係ありません。
自分の気に入らないことがあると家族だろうが容赦はありません。
父親が当人よりはるかに強いような家庭ならまだ大丈夫ですが、そうでなければ家族でも自分の家来か奴隷かのようにあつかうようになることがあります。
とくに人格障害がありながら、気が弱くて他人に強くでられないという人や、つぎに説明する自閉症スペクトラムを併発している人などは、そのぶん家での横暴や暴力が凄まじくなってしまう傾向があります。
ですから、そうさせないためには子供のころのしつけが大事になってくるのです。
子供が人格障害(パーソナリティ障害)である可能性をみるごく簡単な方法は、友達をいじめたり、意地悪をしているかどうかです。
親御さんの中には、「いじめられるほうも悪いんだ」などと、自らも人格障害であることを公言するような人もいますが、そうでなくても自分の子供を弁護する人は多いものです。
しかし、芽が見えた時点でしっかりつんでおかないと、結局は自分にかえってくるので気をつけなければなりません。
そんな人格障害(パーソナリティ障害)にさせない育て方や、もうすでに深刻な状態になってしまった子への対処法は、またあとでお話します。
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