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スカーレット・ウィザード番外編

【The Ghost】


VII.《嵐》−5

 ヨシュアが帰ってきたのは結局夜中近くになってからで、しかも手に入れて帰ってきたのは中型の
扇風機だけだった。
「テルノンじゃ、思ったようなのがなくてなあ」
 ヨシュアは小型バッテリーを取りつけながらため息をついた。
「省電力で小型のエアコンがあればと思ったんだが......。カタログを当たったんだが取り寄せるの
に時間が掛かるらしいんだ」
「これで充分だから大丈夫だよ」
 緩く回る扇風機の風に気持ち良さそうに吹かれながら、ジェーンは返事をした。
「それに、あんまり電気を使う物だと、まずいだろうし」
「クーアのもので、いいのがあったんだよ。ところがこの星じゃ、まだクーアの代理店が1つ2つで
上の連中相手だから、そういうものは扱ってないってんだ。無理やりに1つは頼んでみたが」
「大丈夫だから、ヨシュア」
 ジェーンは笑みを浮かべた。「きっとそれまでには良くなってるし。だから無理な出費はしないで」
「そうなの。先生が調べてくれるって言ってたし、母さん治るわ!」
 デイジーが嬉しそうに言うのを、まだ訳のわからないヨシュアは戸惑った顔で見やった。続けてケ
リーに視線を移したが、それに対してしかめ面を返すと眉がかすかに寄った。
「......父さんが居ない間に、なんかあったようだなあ。まぁ、詳しい話は明日にしよう。さすがに
疲れたしな」
 作業に座っていた床から立ちあがると、ベッドの裾に腰掛けていたデイジーとケリーを急き立てた。
「父さん、どこで寝るの?」
 一緒に出てきた父親を怪訝そうにデイジーは見上げた。
「そうだなあ。下のソファででも寝るか。ああ、シーツを持って行かないとな」
 後ろ半分は独り言のように言いながら、ケリーの後に梯子段をあがる。ケリーの部屋の前には木製
の長櫃があるので、それは不自然でもなく、なにも疑問に思わなかったらしいデイジーは「おやすみ
なさい」と言って部屋に入っていった。
 本当に長櫃からシーツを取り出すと、それを抱えたままヨシュアはケリーと一緒に部屋に入った。
ざっと経緯を話すと、ヨシュアは音高く舌打ちをした。
「ちょっ、半端な責任感を持たれると、これだから困る」
「どうする? やめさせるか?」
「やめさせたいのは山々だが、その手段がねぇよ。血を取られたのが痛かったな」
「じゃあ、その血を俺が忍び込んで捨ててくる?」
「馬鹿、それじゃ見え見えだろ。デイジーの血と取り替えるわけにも行くまいし」
 ため息をついた。「......運を天に任すしかないか」
「へ?」
「ぼんくら医者の仲間がぼんくらで、ウィノアのことしか知らない奴に当たることを期待しよう。医
療脳でも一般的なデータしかもってないやつも多いし、この星の病気しか知らん奴もいる」
「それって無謀な期待だと思う」
 呆れて言うと、男は肩をすくめた。「そんなこたぁ、わかってる」
「じゃあ......」
「しょうがないだろ。デイジーは期待してるが、治らん病気なんだ。時間との競争だな」
「競争って......」
 なにやら釈然としなかった。「あんた、自分の奥さんが死ぬのを待ってるみたいだな」
「待ってるのかもしんねえな。時間がかかればかかるほど、医者には病気についての情報は集まりや
すい。その分、うちのリスクは増える。早いとこ悪化して早々と死んだほうが、残されたほうは安全
なんだ」
 冷たい言葉にカチンと来た。「......それってひどいじゃないかよ」
 睨みつける視線にヨシュアはたじろぎもしなかった。
「人生はな、どっかで開きなおらにゃ、折り合いはつけられねえんだよ。おまえもそこんところ承知
してろよ」
 そのまま部屋を出ていった男に、家じゅうに響くような罵声を浴びせたかったのをなんとか思いと
どまるには、かなりの忍耐を要した。
「なんだよ、くそ親父!」
 ベッドに転がると枕を殴りつけた。「どこが愛妻家なんだよ!」

 翌朝になると、ヨシュアはケリーとデイジーに村の共同作業に出るように言いつけた。
「あんまり休むと、迷惑掛けるからな。今日は父さんが母さんの面倒を見て、いろいろとやりくりの
具合を考えておく」
 デイジーは「じゃあ、早くに帰るね」と言ったがケリーは仏頂面で黙ったままだった。
 作業に出ると村人はジェーンの容態を尋ねて来たが、デイジーが
「先生が検査してあちこちに訊いてくださるって」
 と信頼しきった表情で言ったせいで、ケリーにまでしつこく訊いては来なかった。
 作業を1日半休んではみたが、刈り取りは大して進んではいなかった。聞けば、かなりの畑がぬか
るんでいて、機械を入れられずに手作業になっていたのだという。
「けっこう悪い穂が多くてな。こりゃあ今年の収穫はあんまり見こめないなあ」
 班を分けるどころか全員でぞろぞろと1つの畑を片付けるという作業の中で、ケリーの隣で作業す
る男は黒ずんだ穂を腰の小袋に摘み取りながら嘆いた。
「ヨシュアが、蕎麦を目いっぱい蒔くって言ってたな」
「そりゃそうだろう」
 村人は頷いた。「うちの畑も今年はだいぶ蕎麦を蒔かないとなあ。ひもじいのは大変だからな」
 昼食はデイジーの傍で取ったが、村の少女たちがちらちらとこちらを見ている視線は感じていた。
 午前中は晴れてじりじりと暑かったが、午後からはだんだんと曇りだして大気がじっとりと湿気を
含んできた。それと共に作業は慌しくなり、やがて刈り取りを中止して、脱穀場に刈り取った束を運
び込むようにと指示が出た。
 大人たちは翌日の天気を不安がっていたが、ケリーの見たところかろうじてもちそうだった。しか
し降ってくれれば作業に出なくて済むので、それはそれでありがたい。
「明日の作業は大人だけにしよう。脱穀場は狭いからな」
 運び終わった段階で今日の作業は終了ということになり、村長の言葉に子供達は嬉しそうな顔をし
た。解散してデイジーと並んで歩き出したが、刈り取りのまだ済んでない麦畑と放牧場の境目で少女
の足が止まった。
「ディー、どうした?」
 降りかえると、デイジーは放牧場の柵に手を掛けていた。「ケリー、先に帰ってて。あたし、ここ
で母さんに花輪を作ってくから」
「花輪?」
 聞き返した時にはデイジーは柵をくぐり抜け、放牧場の中に駆け出していた。あっけに取られたが
意味がわからず、追いかけて柵をくぐる。
「なんだって?」
 ツメクサの花を摘んでせっせとなにやら編み出している手許を覗きこんだ。早い指使いの中で花の
茎が束ねられ紐になって輪になるのを感心して眺める。
「へえ、花でこういうのが作れるんだ?」
 麦わらで縄を綯うやりかたはわかってはいても花でこんなものを作るというのは珍しかった。
「こうすると、花冠になるの」
 途中まで出来たものを頭に載せて見せる。
「大きくすると首にも下げられるのよ。ケリーも載せてみる?」
「やだよ」
 笑い出しながら手を振って断る。
「お祭の時に女の子たちがつけてたのは見たけど、俺向きじゃないよ」
「そうね、男の子は普通はつけないものね」
 くすくす笑いながら花の編み紐を長く伸ばしていくのを驚嘆の目で見た。「作るの早いんだなあ」
「教えてもらった時にね、競争したの。早くきれいにしっかり編めるようにって」
「ふうん......おばさん?」
「ううん、アリシアお姉さん」仲良くしている村人の名をあげる。
「母さんに初めて作ってあげた時ね、とっても誉めてもらったの。ほんとは時間があれば四葉のクロ
ーバーも探したいんだけど、今日は無理ね」
 最後に紫と白の花を混ぜ合わせて編み上げると、腕に通した。「これで終わりね」
「昨日先生が帰ってから、ずいぶんと元気なんだな」
 柵をくぐって道に戻りながら感心して見やると、複雑な表情を向けた。
「......あたしが悩んじゃヘン?」
「そんなことないさ!」
 慌てて首を振る。「そういうつもりじゃなくて......」
「仕事しながらね、考えてたの。母さんはあたしがくよくよしてたら、きっと心配して、よけいに具
合悪くなったりすると思うの。父さんが言ってたのはホントなんだなあって」
「......へえ」
「みんなは、神様が守ってくれてるよって言ってくれてるけど、それって違うのと思うのよ? だっ
て母さんは小さい頃からずうっと大変だったのに、そういうことする神様って......」
 デイジーはそっと回りを見渡した。
「たしかに、爺さんたちの言う『試練』ていうには酷いよな」
 声を潜めてケリーがぼそぼそと言うとデイジーは頷いた。
「だからね、きっと神様なんていらしたって、そういう意味ではあたしたちには興味なんかないと思
うの。人間同士だって、関心持たないと気にしないでしょう?」
「うん」
「そしたらね、あたしが出来る範囲で頑張ろうと思うの。そして、あたしが判る、現実の医療技術を
信じたほうがいいんじゃないかなあって」
 頷きながらも、もっと過酷な事実を知っているというのは辛かった。
「......あのさ」
「なあに?」
 やはりデイジーの顔を見ると何も言えなかった。「......なんでもない」
 暫く黙って2人は歩きつづけたが、地所の柵まで来たところでデイジーが口を開いた。
「......あのね」
「うん」
「母さんがね、いちばん辛いのは痛いことなんだって。父さんが痛み止めを先生から貰ってくれたら
平気だって。切ったら治る場合もあるけど、そうすると再生装置使えないから体力消耗しちゃうんだ
って」
「そうなのか?」
 驚いてケリーが見るとデイジーは頷いた。
「よくわかんないけど、そう言ってた。あたしね、母さんに言ったの。あたし1人で留守番してても
いいから、母さんが大きい病院で病気を治して貰うほうがいいって」
「......うん」
「母さんは、そういうのは病院の都合もあるからねって。だからちゃんと大きな病院に入院できるま
ではうちに居て、家族みんなで暮らしていこうねって」
「......うん」
「だから決めたの。いつものあたしでいるように頑張るって」
 なにも言うことが出来なかった。ジェーンがそれとなく来るべき時に備えているのは明らかだった。
「......あたしのこと、軽蔑する?」
 もう一度驚いてケリーは少女を見た。「なんで?」
 デイジーは俯いた。
「だって......冷たいかなあって自分でも思うし......」
「ディーは優しいじゃないか」
 柵の扉を開けてやりながらきっぱり言う。「誰がなんて言ったって、ディーは優しいよ」
「ホント?」
 ほっとした表情で顔を上げた。「あたしのこと、かばってない?」
「そんなことないよ。ディーはやれることを頑張ってやろうとしてるんだから」
 きっぱりと断言した。「だから、俺も手伝うよ」
「うん」
 デイジーは顔を歪めた。「......うん、ありがと......」

 家の中に入ると、ヨシュアが階段の下に立っていた。
「ただいま、父さん」
「おう、早かったな」
「なんか天気崩れそうだからって、早く終わったんだ」
 そう言ったケリーの耳に、遠くで雷鳴が聞こえた。
「の、ようだな」
 やはり聞こえたらしい男は頷いた。
「ねえ、母さん起きてる?」
 デイジーは腕に通した花輪を持ちなおしながら訊いた。「具合だいじょうぶ?」
「あー、さっき痛み止め打ったから、まだ起きてるかなあ。それを渡すんだったら、今のほうがいい
だろうな」
「じゃあ、これ渡してくるね」
「あ、俺も行く」
 一緒に部屋に入ると、プンと消毒液の臭いがした。
「母さん、ただいま......?」
 小声で声をかけると、ジェーンは目を開けた。「......お帰り」
「寝てた?」
「ぼんやりしてただけだよ。......あら、きれいだこと」
 デイジーが差し出した花輪を見て微笑んだ。「雨降ってた割には傷んでないねえ」
「すぐにリボンつけて持ってくるね。母さんのみえるところに下げられるようにしとくから」
「そうだね。ありがとう」
「なに色のリボンがいい? 赤も黄色も白もあるけど」
「そうねえ、緑色がいいかしらねえ」
「うん、じゃあ緑ね」
 笑みをかわすとデイジーは部屋を出ていった。それを見送ると、ケリーはジェーンの顔を覗きこん
だ。
「痛み止めって、なに?」
「合成麻薬だよ」
 ひそひそと返事をした。「デイジーやみんなには内緒だよ」
「うん。ディーがいつものように暮らせるように頑張るってさ」
「そう......。あのね、ケリー」
「なに?」
「あんまりあんたたちはこの部屋に出入りしないどくれ。胞子がうつると命に関わるからね」
 絶句したところにデイジーが戻ってきた。
「ええと、どこがいい?」
 きょろきょろと壁を見渡すのにジェーンはあごをしゃくった。
「そこの壁でいいよ」
 丸太が剥き出しの壁に小さな釘を打ちこむとデイジーは花輪を吊り下げた。
「じゃあ、あたしは休むから、あんたたちも下でお茶でもお飲み。暑くて疲れたろうし」
 ジェーンは優しい声で言った。「花輪ありがとうね、デイジー」
「うん、じゃあ母さん、なにか用事あったら呼んでね」
 部屋を出たところで、ジェーンの声が「ケリー」と言った。
「呼んだ?」
「ドアを閉めてっておくれ。ゆっくり休みたいから」
「......うん」
 ドアを閉めるときにさっと視線を走らせると、扇風機が緩やかに頭を回しているのが見えた。
 降りるとヨシュアが水差しを持ってくるところだった。
「母さん、今日は具合よさそうね」
 手と顔を洗ってから椅子につくと嬉しそうにデイジーが言った。
「なんでも低気圧が来て温度が低くなるとか、気象情報は言ってたようだぞ」
 マグに冷やした香茶を注ぎながらヨシュアは返事をした。
「病人にはいいだろうが、畑は作業の段取りが難しいな」
「あ、降ってきた」
 雨の匂いを嗅ぎつけてケリーは呟いた。「もうちょい保つかと思ったんだけどな」
「今年は百姓でも天気は読めないな」
 男は相槌ともつかぬ口調だった。
「ここの人間は身体で天気を読めるほうだが、それでも皆が見当つかないと言ってるしな」
「そういえば、引っ越してきた年ってどんなお天気だったの?」
 デイジーが不思議そうに尋ねる。「今年みたい?」
「そうだなあ......、あの年は気温がしっちゃかめっちゃかでな。しかもイナゴと来た」
 思い出すように言う。「だからなんにもとれなかったのさ。鶏もひいひい言ってたし」
「ウィノア全部で?」
 ケリーは目を丸くする。そんなすごい天気は覚えていない。
「いやぁ、こっちのほうだけだな。ちょうど新型爆弾のテストを戦闘区域の奥でやったとかでな」
「なあに、お天気に影響しちゃうような爆弾だったの?」
 デイジーも目を丸くした。
「たしか、軍で開発したんじゃなく、中央銀河のどっかの軍需産業の会社が技術開発したのをベース
にしたとかだったなあ。実験用で小型だったんだが、あんまり影響がひどいんで、さすがに取りやめ
になったそうだ。宇宙空間用を地表用に使うかどうかってテストだったんだな」
「父さんて物知りねえ」
 デイジーが尊敬の口調で言う。「どうして知ってるの?」
「新聞を読んでたり科学雑誌読んでれば、わかるもんだぞ。あとは気象学とかな。百姓って言ったっ
て、畑と家畜だけ見てるんじゃなく、政治経済にも目配りしてなきゃ生き抜けないんだよ」
 すらりと言ってのけた男の口ぶりに感心したケリーだった。
「で、物知りのヨシュアが予報すると、明日の天気は?」
「雨だろうが温度が気がかりだな」
 ため息をつく。「蒸し暑いとジェーンがしんどいだろうし、寒いと風邪引くのが心配だな」
「......それで、母さんのお世話ってどうするの?」
 おずおずとデイジーが訊く。
「そうだなあ。食事作るのはお花ちゃんにまかせよう。食事を運んだり食べさせたり薬は父さんがす
る。母さんを抱えたりするにはまずは父さんと、具合によってはケリーがいいかな。お花ちゃんはピ
ンチヒッターだ」
「父さんばっかり、大変じゃない?」
「何を言うか」
 ヨシュアは笑って見せた。「母さんは父さんの奥さんなんだから、父さんが面倒見るもんだ。父さ
んの仕事と母さんの仕事を2人に代行してもらうのでいいんだよ」
 ヨシュアが平然としているのでデイジーもなんとなく納得したようだった。
「でも、あたしも母さんのそばにいてもいいんでしょ?」
「母さんがいいって言えばな」
 含みを持たせた言い方にケリーは内心ぎくりとした。ジェーンが拒むのが目に見えるようだった。

 その夜、ケリーは夜更けに強い雨音で何度も目を覚ました。雨音がまるで軍靴を履いて宿舎の中を
走る足音や軽機関銃の音のようで、うつらうつらしながら見る夢は仲間たちとはぐれてうろうろする
ものばかりだった。
 明け方は震えるほど寒く、夢うつつに上掛けを引っ張り上げていた。
 ようやっと目が覚めた時、外では鶏がけたたましくときの声を上げていた。
「いっけねえ! 寝過ごした!」
 慌ててベッドから飛び出すと寝巻きを放りだし、シャツとズボンを身に着ける。階段を転げ落ちる
1歩手前のような勢いで降りると、食卓にはヨシュアもデイジーも座っていた。
「珍しいな、おまえが寝坊とは」
 顔を見るなりヨシュアが言った。「具合でも悪いのか見に行こうかと思ってたところだ」
「なんか変な夢ばっかり見てて寝た気がしないよ」
 生気の無い欠伸が出る。「しょっちゅう目は覚ますし、なんか妙に涼しくなかった?」
「涼しいって言うより寒いな」
 ざあっと雨音が激しくなる。
「刈り入れのときにこんなに雨ってイヤね」
 デイジーはため息をついた。「農作業がいつまでたってもおわんないもん」
「おばさんは?」
 パンにチーズを載せながら2人の顔を見る。「スープだかは持っていった?」
「うん、あったかい卵スープ作ったの。こんなお天気だもんね」
 デイジーは半袖シャツから剥き出しの腕をこすった。「なんだかほんとに寒いって感じね」
「2人とも、風邪を引くなよ。母さんにうつすと大変だからな」
 ぬるい香茶を飲み干すとヨシュアは念を押す口ぶりで言った。
「ケリー、悪いが真ん中まで行って、作業の予定具合を確認してきてくれ」
「了解」
「お花ちゃんは、母さんの部屋以外を掃除する。台所の棚とかは消毒液の薄めたので拭いておくこと。
父さんはこれから母さんに薬を打って来る」
「はあい」
 ぞろぞろと立ちあがる。ケリーが顔を洗って身支度を整えてくると、ヨシュアは古い鍋にぐらぐら
と熱湯を沸かしながら朝食の皿を洗っていた。
「俺の雨合羽も着ていけ。でないとずぶぬれだ」
「ああ」
 鍋の中を覗くと注射器が煮沸されてるのが見えた。「じゃあ、行ってくる」
「パトリオットの家だからな」
「わかってる」
 だぶだぶの合羽をあちこち調節しながら外に出る。あまり気温が上がってないような気がした。
 農業委員のパトリオットの家は留守番役の子供しかいなかった。
「......とうちゃんは......脱穀場だよ」
「ふうん。お母さんは?」
 8つになる、はにかみ屋の息子はもじもじしながら言った。「......かあちゃんもだよ」
「作業の具合とか、聞いてないか?」
「......知らない......とうちゃん言わないもん......」
 消え入りそうな声で真っ赤になりながら言う子供になんとなくイライラした。
「わかった。そっち行って来る」
 くるりと背を向けたケリーの背中になにか言ったと思ったので振り向くと、ドアがバタンと閉まっ
たところだった。
「使えないガキ!」
 口の中で罵った。自分が8つの頃は一人前の伝令役をこなしていたって言うのに、なんでここの村
の人間はこうも赤ん坊みたいなのが揃っているんだろう?
 脱穀場に行くと、蒸し暑い湿気の中で作業が行われていた。
「わからんよ、予定なんて」
 ようやくつかまえたパトリオットはむっとした口調で言った。
「そもそも、なんだってヨシュアは出てこないんだ? ああ、ジェーンが病気なのは知っとるよ」
 ケリーが言いかけるのを遮る。
「しかしそのくらいはデイジーに任せたってよかろう。あの子だってもう13かそこらだろう」
「ヨシュアがおばさんの看病しちゃいけないのか? 奥さんなんだろ」
「労働力を出さない言い訳なのか?!」
 急にパトリオットは怒鳴り出した。「だいたい、村の共同作業を何日サボれば気が済むんだ?!」
「さぼろうなんて思ってないから、昨日だって出たじゃないか!」
「おまえやデイジーの労力がどれほどのものだと言うんだ? ええ?!」
「わかったよ! 俺がヨシュアの分働けばいいんだろ!」
 怒鳴り返す。「そのくらい、やってやる!」
「は! 図体ばかりの子供が大きい口を叩きおって! じゃあやってみろ!」
「わかったよ!」
 壁に掛かっている刈り取り鎌と背負い籠を掴むと外に出る。雨の中で作業している大人たちに混じ
って刈り取り作業を始めた。

 夕方になって家に戻ると、デイジーが厚手のタオルを何枚も持って飛んできた。
「ケリー、どうして作業してたの? ずぶぬれよ?」
「なりゆきって奴だよ」
 合羽やシャツを脱ぐとバスタオルで身体を拭く。
「ボイラーにお湯があるからシャワー浴びてて! 着替え持ってくるから!」
「ああ」
 シャワーでなんとか身体を温め、デイジーの差し入れてくれた着替えを身につけながら気がついた。
「ディー、どうして俺が作業してたって知ってるんだ?」
「あんまり帰ってこないから、見に行ったの。そしたら物凄い勢いで刈り取りしてたでしょう」
 盥で泥まみれになったズボンを洗いながら訊く。「どうしちゃったの?」
「パトリオットのおっさんとケンカしたから作業してたんだ」
 たわしをデイジーから取り上げると自分でこすり出す。
「パトリオットがどうしたって?」
 頭の上から降ってきた声に顔を上げる。「いや、解決したし」
「どういうこった? ケリー」ヨシュアは顔をしかめた。「ケンカが作業で解決するのか?」
「俺さ、刈り取り作業終わるまで、うち代表で出るから」
 ヨシュアのしかめ面が苦虫を噛み潰したような顔になった。
「なるほど。じゃあ、おまえ、今日はあったかいものを腹に入れてさっさと寝ろ。洗濯はいい。デイ
ジー、それはおまえが洗ってやんな」
 有無を言わさずにケリーをテーブルにつかせると、ヨシュアは台所からスープ皿を持ってきた。
「これを食え。ああいいんだ、ジェーンはさっき食ったからな」
 湯気を上らせているスープはたしかに胃袋から身体をあたためてくれた。さらにヨシュアはマグを
テーブルに置いた。見れば赤ワインが湯気をたてている。
「俺、まだ風邪じゃないけど?」
「予防薬替わりだ。それを飲んで寝ろ。こんな天気でまで刈り取りをせにゃならんほど、まだ切羽詰
ってないだろうに」
 後ろ半分はケリーに言ってるわけではなさそうだった。
「昨日もそうだったけど、ぞろぞろ畑で並んで刈り取ってたよ。機械に比べると遅いよな」
 スープを平らげるとマグに手を伸ばした。飲み終わると頭が朦朧としている。
「ほら、寝ちまえ。そんな約束しちまったら明日もこき使われるだろう」
「うん」大欠伸が出る。「大人だけって人数少ないから手間取るし、鎌はすぐ切れなくなるし」
 階段の下で洗濯物を干すデイジーを覗いた。「手間かけさせてごめんな、ディー」
「構わないけど、明日までに乾くかどうかわかんないの」
「履ける程度ならいいよ。明日も濡れるから」
 屋根裏部屋に上がる足の下から、ジェーンの小さな咳音が聞こえていた。



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