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スカーレット・ウィザード番外編

【The Ghost】


III.《怨敵》−1
 そうやってケリーの新しい生活は始まった。
 何もかも目新しいことの連続だった。
 朝は夜明けとともに起きて畜舎から家畜を連れ出して放牧してやる。痩せた畑の土質を変えるとい
うことで植えられている豆類や開墾したばかりの土地に作った蕎麦の畑に水をやる。家の周りの仕事
が終わるとデイジーに連れられて渓谷や荒れ地のちょっとした草むらに食べられる草を摘みに行く。
川で魚をとって干して冬の保存食にする。
「今もいいけど、秋になるとね、みんなで茸や木の実を採りに行くの」
 芹と韮を摘みながらデイジーはわずかばかりの林を指さした。
「あたしが小さい頃の飢饉がひどくて、みんなとっても用心してるのよ」
「へえ」
 あんな林の木の実で?と思いながら眺めていると、口の中に何かが押し込まれた。甘酸っぱい。
「なにこれ?」
「木苺よ」
 小さな手が器用に熟しかけた実を取っていく。
「これはね、ジャムにするの。あとコケモモとかもね」
「ディーはなんでも知ってるんだな」
 デイジーをケリーはディーと呼んでいた。デイジーと呼ぶとマルゴを思いだすから。マルゴもデイ
ジーも同じ花の名前から出来た名前だとデイジーに教えられたから。草むらで摘んで見せられた花は
白く痩せていて、マルゴが白い肌を蒼白くして横たわっていたあの日を思いださせた。無論、花その
ものはデイジーの可愛らしい優しさにも似ているとは思ったが、それでもケリーにとってあの日はま
だ深い傷でしか無かった。
「そんなに知ってるわけじゃないわよ」
 籠を抱えなおす。「父さんに教えてもらったりしたの。植物図鑑で調べたりとか。ほら、昔から言
うでしょう、必要は発明の母って。発明するわけじゃないけど」
 自分の言ったことわざが変なことに気がついて笑いだす。
「ケリーだって、あたしの知らないこと、いっぱい知ってるでしょう? 機械のこととか」
 ケリーはヨシュアにいろいろ進言して少しは役立とうとしていた。川から引いてくる用水路の水圧
を上げる方法とか、村で共有している草刈り機の修理とか。
 機械の修理に関してはケリーはたしかに村では誰にも引けを取らなかった。バギーが不調になった
ときにケリーはさっさと分解して部品を交換し、錆び付いていた部品は磨いて以前よりも調子を良く
してしまった。それをヨシュアが村の寄り合いで喋ったところ、次から次へと「うちの機械も見て欲
しい」と言われ、ケリーはきちんきちんと不調の原因を調べて手早く的確に修理していった。ケリー
にしてみれば軍の中で操縦法を叩き込まれるのと同時に教わった機械の構造工学の基礎なだけだが、
それでも感謝され、しかもわずかとは言え現金が手に入るということは新鮮な体験だった。
「父さん、物凄く自慢してるのよ、ケリーのこと」
 デイジーはくすくす笑った。
「ケリーは機械のことなら何でもわかる。きっとそっちに向いてるんだから機械の勉強をさせて技師
にするんだって。このあいだ、パターソンさんに言ってたわ」
「俺は動かすほうが好きだけどね」
 ケリーも笑った。「今度さ、草刈り機械を動かさせてくれるっていうから楽しみにしてるんだ」
「ケリーって小さい頃から機械に興味があったの?」
 無邪気に訊ねたが、次の瞬間デイジーは慌てて口をつぐんだ。ケリーは暗い目をして微かに笑った。
「......ごめんなさい」
 小さく謝るのに、首を振った。「いいんだ。気にしてない」
 ケリーにここに来る以前のことを訊ねるのはタブーだった。
 訊かれるたびにケリーの表情は暗くなる。村ではそれは当然だと受け止められ、誰もケリーに過去
を聞くものは居なかった。家族と知人全てを一瞬で山津波で失ったのだ。故郷の山村でたったひとり
の生き残り、という彼の素性を村人は誰も疑わなかった。
「......俺、そうだなあ。機械をいじって思い通りに動かすのは好きだったな」
 息を吐くように囁くと傍に立つデイジーをそっと抱きしめた。温もりが優しくて時々ケリーはデイ
ジーを抱きしめる。「まるで仲間がそばにいてくれるみたいだ」と初めて抱きしめたときにケリーは
呟き、デイジーは「一緒にいてあげる」と約束をした。

 ヨシュアの一家はたしかに村では特異な存在だった。家長のヨシュアは村の事務的な寄り合いには
出ても信仰絡みの集まりには一切加わらなかった。ジェーンも菓子を焼いてデイジーに持たせること
はしても自分から積極的に集まりに参加することは無かった。
「あたしは育ちが悪いからねえ。縫い物とかそう出来るわけじゃないから恥ずかしいんですよ」と、
世話役の女達に誘われる毎に言い訳し、代わりにデイジーを「仕込んでやってくださいな。あたしじ
ゃ良く判らないし」と出してやっていた。
 子供のデイジーが参加となると、いきおい女達も世間話に花を咲かせることも出来ない。そうなる
と「じゃあお針の会は」と若い娘達の集まりにだけデイジーを参加せるようになった。
 デイジーは屈託ない子供だったから、縫い物やら編み物を教えてもらうと熱心に通っていた。それ
でも基礎教育はヨシュアの方針で情報端末を使った通信教育であり、情報教育センターの人工頭脳を
教師にしていた。祈祷会に誘われて数回行ってみたが「神様ってあたしと相性よくないみたい」と行
かなくなった。
 そして新たに加わったケリーである。
 「地獄耳で三度のメシより噂話が好き」とヨシュアが評したミセス・ピットが最初はよく覗きにや
ってきたが、ケリーの傷跡に触れるまいという暗黙の了解で訪ねてくることもなくなった。
 そうなれば「村八分」扱いかというと、そういう訳でもなかった。
 村に最後に入植してきたこともあるだろうが、ヨシュアは外部との交渉役を一手に引き受けていた。
信仰心などかけらも持ち合わせてないことは村中が知っていたが、彼が一般的なウィノア人に嫌気が
さしているのも承知していた。それでも若いころ放浪して世間を苦労して歩いてきただけに商売の駆
け引きは巧い。彼が外との交渉役になってから、村の産物収入は格段に向上した。彼の商売人として
の腕は村の外だけに発揮されており、村の中では実に謙虚な立場を貫いていたために、ヨシュアとそ
の家族の村での評判はおおむね良好だった。


「ケリー、今度遠足に行かない?」
 籠を落とさないように崖を登りながらデイジーは言った。
「遠足?」
 先に上がったケリーは差し出された籠を受け取り、それからデイジーを引っ張り上げながら聞き返
した。
「うん。あのね、ケリーに見せたいものがあるの。内緒の宝物」
 どうやらさっきの不躾な質問のお詫びらしい。
「いいけどさ。いつ行くんだ?」
「ええとね。たぶん、次の雨が降ってから良く晴れたころかなあ」
 ややこしい条件にケリーは面喰らった。「なんだよ、いったいそれ」
「雨が降らないと、見せてあげたいものの半分しか駄目なの」
 なんだ? 首を傾げたがヨシュアに以前聞いた話を思い出した。
「湿地にいくんだ?」
「湿地そのものじゃないの」ひそひそ声でいう。「だから雨が降らないと駄目なの」
「よくわかんないけど、いいよ。つきあうよ」
 家に向かって並んで歩きだす。籠を置いてあとは放牧場から家畜達を連れ帰り、餌を与えれば今日
の仕事は終わりだ。あとはヨシュアと2人でこっそりやることが待っている。
「ただいま、母さん」
 デイジーを先頭に家に入る。「あのね、木苺たくさん実ってた」
「じゃあ、早速煮詰めてしまおうかね。ケリー、放牧場の方は頼むよ」
「ああ、じゃあ行ってくる」
 家畜達を追い立てて畜舎に入れるのは少しばかり大変だが、ケリーはひとりきりになれるこの時間
が好きだった。
 むろん、デイジーが鬱陶しいわけではない。彼女は本当に優しい女の子だった。けれど、ケリーは
デイジーといると流されそうで怖かった。仲間に誓った復讐を忘れて安穏な生活に埋もれそうで嫌だ
った。そんなことは許されない。自分たちを裏切った者たちに思い知らせてやらなければ。
「ケリー」
 羊をまず小屋に押し込み、続いて牛達を集めて牛舎に追い立てて居ると、ヨシュアが農具を肩に担
いで声を掛けてきた。
「谷に行ったのか」
「ああ」振り向きもせず返事をした。「なにか?」
「いや。《ファラウェイ》が侵入者ありと警告したんでな。おまえらならいいが」
「なぁヨシュア」
 振り向いた。「俺、いつまで待っていればいいんだ?」
 ここに来てからもう1ヶ月だ。
「ああ?」
 怪訝な顔をしたが、ヨシュアは首を振った。「まだ駄目だ」
「ヨシュア!」
「ケリー。じゃあ訊くが、おまえは誰と誰が目標か知ってるのか? そいつらがどこにいるか知って
るのか?」
「あんたが教えてくれないんだろう」
 苛々と返事をする。「あんたなら知ってるはずだ」
「全員とは無理でも、ある程度は教えてやったろう」
 ヨシュアは穏やかに言った。「だが、まだその時じゃない」
 旧東西ウィノアの特殊軍作戦参謀総長たち。特殊軍最高司令官たち。政府の国防相たち。国防省の
役人ども。科学アカデミーの連中。そして《連邦》のアカデミーの馬鹿共と外務委員会のロクデナシ
ども。
 50人かそこらはいる。だが12人の仲間と10万人の特殊軍兵士に比べれば物の数ではない。
「いつまで待っていろって言うんだ!」
 怒鳴る。「俺が諦めるのを待ってるのか?!」
「短気になるんじゃない。手伝ってやると言ったろう」
 ヨシュアはケリーの髪に手をやったがケリーは払いのけた。
「あんたが何を考えているのかわからない」
 ケリーは低い声で言った。「なんで早く仇を討たせてくれないんだよ?!」
「何事にもな、時期というものがある」
 ヨシュアの口調はまだ穏やかだった。
「早まるな。今ではまだ早すぎる。今動けば生き残りがいると発表するようなもんだ。出来るだけ効
果的にやれ。殺された者の憎悪と恨みはやった連中が忘れたころに出てくれば幽鬼のように人心を恐
れさせる」
「そんなこと!」
「それにな。あれにかかわった連中は今はウィノアじゅうにばらばらになっている。だが、いつかあ
あいう連中は出世して一ヶ所に集まる。位階の低いものを殺しても復讐にはならん。高位高官の連中
を殺してこそ、おまえたちの恨みを世に知らしめることが出来る」
 穏やかな口調とは裏腹の内容だった。ケリーは口をつぐんでヨシュアを見つめた。
「どのみち、まだウィノアは《連邦》加入は仮認可の段階だ」
 ヨシュアは牛の尻を叩いて歩かせた。
「もし《連邦》の連中まで確実に殺したいのなら、《連邦》にウィノアが正式に加盟してからだ。で
なきゃ、ウィノアと《連邦》の糸が切れる。そうなったら接触は難しくなる。なにせ、《連邦》に加
入できれば《連邦》の情報ネットワークはウィノアから使えるが、そうでないかぎりは無理だからな」
「ヨシュア」
 ケリーは唾を呑み込んだ。「なんでそんなことを知ってるんだ?」
「おれは情報屋だぞ」
 ヨシュアは肩をすくめた。「海賊稼業は性に合わなかったが、情報屋稼業は今だって続けている。
そうおおっぴらでないにしろな」
「知らなかった」
「当たり前だ。そういうことはな、誰にも知られずにやるのがセオリーってもんだ。そういう訳だか
らな、おまえも自重しておけよ。今日はハッキングの仕方を教えてやるからな」
 すらりと言うと、ヨシュアはさっさと差し掛け小屋に入っていった。
 牛舎に牛を入れてやるとケリーは餌を飼い葉桶に配りだした。馬鹿馬鹿しいほど単調で牛の臭いに
まみれる仕事。
 こんな仕事で時間を潰したくなかった。復讐を終えた後ならいくらでもやる。だがこんなところで
ぐずぐずしていたら俺の身体はあっという間になまってしまう。銃の腕は落とさずに済むかもしれな
い。だが敏捷性と瞬発力と反応の素早さは修練しなければ落ちてしまう。
 どうしよう。迷いながら寝わらを積み上げていると誰かの気配がした。
「ケリー。まだ終わらないのかい」
「おばさん」
 ジェーンが牛舎に入ってきた。
「どうかした?」
 手を休めるとジェーンはケリーの作業している囲いによりかかり、顔を眺めた。
「おまえ、焦っているんだね」ジェーンは穏やかに言った。
「ヨシュアが喋ったのか?」
 不機嫌に言うと苦笑して頭を振った。
「怒鳴る声が聞こえたよ。なにを言ってるかは判らなかったけどね。焦るんじゃないよ。焦ってしく
じりでもしたら、無駄になる」
「あんたたちが俺を助けたのが無駄になるんだろ」
 刺々しく言った。
「そしてあんたたちは俺があんたたちのことを喋るのが怖いんだ」
 言い出したら止まらなくなった。「そうさ。どうせ自分たちに火の粉が降りかかるのが怖いんだろ
う。心配しなくたって喋りやしない。俺は自白剤だって幻覚剤だって訓練を受けてるんだ」
「あたしらはそういう意味では覚悟は出来てるよ。デイジーのこと以外はね」
 ジェーンはゆっくりと言った。「そう。あの娘だけさ、心配の種は」
 ケリーは顔を背けた。
「......まぁね」
 ジェーンはぽつりと言った。「何事も体験しないと判らないってこともあるさ。なんだったら出て
いってもいいんだよ。今のあんたがやれるところまでやってみるのもいい経験かもしれない」
 ぎょっとしたケリーはジェーンを見たが、その顔は相変わらず穏やかだった。
「ただ、覚えておおき。今やって失敗すれば、あとあとが大変だよ。政府も馬鹿じゃない。きっとあ
んたに気がつくだろう。後のことも考えて動かなくちゃ無駄死にするだけだよ」
 柵をくぐるとケリーを抱きしめた。
「あたしはね、あんたが息子のような気がする。だからできれば幸せになって貰いたいし無事に生き
ていて欲しい。でも、あんたの人生だからね。あんたが選ぶんだよ、最後はね」
 優しいのか突き放されているのか判らない言葉。
「ただね、昔から何事も仕損じたくなければ焦るなっていうだろう? そこだけ気をお付け」
 デイジーと似た、それでいて若い頃の華やかさをとどめた顔が微笑した。
「じゃあ、早く済ませておいで。あんたがシャワーを浴びたら夕食にするからね」
 ひとり取り残されたケリーは唇を噛みしめた。
 夕食後、家族が寝静まった深夜、ケリーはベッド脇の窓から猫のような敏捷さで滑り降りた。
 行く先は《引き網》。月の出ていない闇夜だったがケリーの鋭い目は星明かりだけで《引き網》の
入り口まで迷うことはなかった。
 いつもの部屋にはヨシュアが待っていた。
「じゃあ、始めようか」
 2人は言葉少なに《ファラウェイ》とは別に設置した情報端末を使って訓練を始めた。
 ヨシュアはケリーに自分の持てる技術を全て伝授すると約束していた。情報端末から様々な経路を
辿り、痕跡を消しながら目的とする人工頭脳に侵入して情報を盗みだす技術。偽の情報にすり替える
技術。身分認証を偽造する技術。惑星国家の国民台帳を統括する管理脳に侵入して国民登録をでっち
上げる技術。さらには宇宙船の感応頭脳が管理する、航路記録を偽造する技術までもだ。
「あとは、そうさな」
 夜の白みだす前に引き上げてきたヨシュアはケリーに言った。
「おまえには《ゲートハンティング》の技術を教えてやらんとな」
「《ゲートハンティング》?」
 振り返った。「なにそれ」
「《門》のことは教えたな。だが《門》てのはそこらへんに簡単に転がっているもんじゃない。重力
波レーダーと探査装置で辛抱強く捜し出してそれを《連邦》に買い上げてもらうんだ。それで金を稼
ぐ連中もいる。《連邦》に売らずに闇ルートで捌くやつも居る。海賊にとっちゃ、それで捕まらずに
済むんなら、少々金がかかっても構わないっていうのは多いからな」
 微笑した。
「ただ、問題はその技術は宇宙に出ないと駄目だってことだ。地上では教えられない」
「じゃあ、当分無理だな」
 ケリーはむっつりと答えた。「俺は地上でやることがある」
 そのままさっさと家の裏に回る。「じゃあな」
 鶏達を驚かせないように気配を消し、屋根と壁を伝って自分の部屋に戻る。靴を脱ぎ捨て、服も脱
ぐとベッドに潜り込んだ。ほんのわずかな時間だが、身体を休めておかないとデイジーになにか気づ
かれそうだった。デイジー......マルゴ。
「マルゴ......」
 枕に顔を押し付け、ケリーは囁いた。
「すぐに仇は討つから......だから待っててくれ」
 脳裏によみがえる、あの日の光景。何度夢に見て叫び、飛び起きたことか。他の誰も知らない、あ
の惨劇。
 ヨシュアもジェーンおばさんも知らないから、あんなふうに言うんだ。
 目頭が熱くなる。自分から大切なものを奪った奴らを許せなかった。





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