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スカーレット・ウィザード番外編

【The Ghost】


VII.《嵐》−4

 寝苦しい一夜を明かすと、いつもどおりケリーは夜明け前に起床した。
 さすがに寝不足で訓練する気にならない。外のぬるい井戸水で顔を洗っていると、ヨシュアがのっ
そりと現われた。
「......よぉ。よく眠れたか?」
 タオルで顔を拭きながら首を振る。見ればヨシュアも生気の無い顔だった。
「......ジェーンには話した」
 井戸のポンプに寄りかかるようにしてヨシュアは呟くように言った。
「今日は一日放っておいてやってくれ。デイジーには俺から言っとくからな」
 そのまま返事も聞かずに去っていくヨシュアの背中が、ケリーにはやけに力が無いように見えた。
「今日は母さんは静かに寝たいそうだから、部屋には行かんようにな」
 朝食の準備をしているデイジーに、ヨシュアはむっつりと言い渡した。
「......ごはんは? お水とかスープとか......お薬もあるんでしょ?」
「それは父さんが今日はやる。デイジーもケリーも、朝飯が終わったら話がある」
 デイジーは怪訝な顔から不安そうな表情になった。
 朝食はしんとした、それでいて緊張を孕んだ空気のなかで終わった。
「......2人とも、よく聞いてくれ」
 ごほんと咳払いをすると、ヨシュアは重い口調で切り出した。
「昨夜おそくまでいろいろと調べてもらった結果、母さんは重症の腫瘍だってことがわかった。母さ
んの今の病状では、もう助からないそうだ。それで」
「うそでしょう?!」
 がたんと立ちあがってデイジーはヨシュアへと身体を乗り出した。
「どうして母さん、そんな病気になっちゃったの?! なにかの間違いでしょう?! 父さん!」
「......デイジー、父さんだって信じたくないが、母さんの身体はもうぼろぼろなんだ。若い時から
苦労して、いつのまにか腫瘍が出来て大きくなっちまったらしいんだ」
「腫瘍.......切れば治るんでしょう?」
「いや、進行の早いタイプで、もう身体中に転移してるそうだ」
 顔を俯かせたまま、ヨシュアは首を横に降った。
「......どんなに最先端の医療技術でも、完璧ってことはない。どのくらい保つかどうかはわからな
いが、昨日の痛みぶりからすると、先は長くない。......いや、秋が終わるまでもつかどうか」
「いや! そんなの!」
 叫ぶとデイジーは耳を覆って座りこんだ。「うそよ。だってこの間まで母さん元気で......」
「デイジー、だけどな」
「聞きたくない! そんなの......父さんの......!」
 顔を歪めたデイジーは絞り出すように言った。
「父さんの......うそつき! どうしてそんな......ひどいこというの......」
「ディー」
 ケリーが慰めようと肩に手をやると、デイジーはその首に抱きついた。
「うそよね、ケリー。そんなの.......きっと嘘よね?!」
 すすり泣くデイジーをどうしたらいいかわからず、ヨシュアを見ると彼は首を振った。
「デイジー、泣いたって母さんの命が助かるわけじゃないんだ」
 がらりと口調を変えて、厳しい口調でヨシュアが言う。
「いちばん辛いのは、母さんなんだ。父さんやおまえやケリーをおいて死ななくちゃいけないのは、
母さんなんだ。一番怖いのだって、一番信じたくないのだって母さんなんだぞ!」
 ぎょっとしたようにデイジーは涙に濡れた顔を上げた。
「......母さんに言ったの?!」
「言った。なんと言っても母さんの人生なんだ」
 厳しい口調のまま言う。
「母さんはな、それでもどこにも行かないで家でそのまま暮らしたいそうだ。家族みんなと最後まで
一緒に暮らしたいんだ。だからな」
 口調が優しくなる。
「おまえが信じたくないと泣いてたら駄目なんだ。母さんだって怖いのを、おまえが支えてやら無く
ちゃ駄目なんだ。なんてったって、おまえは母さんが生んだ、母さんの大事な子供なんだから。おま
えは母さんの宝物なんだぞ」
「あたしにだって、母さんは宝物なのに......。あたし、そんな、支えられない......」
 またしゃくりあげ出すデイジーを、ヨシュアはため息をついて見やった。
「おまえは母さんに心配かけたいのか?」
「ヨシュア、やめろよ」
 さすがにケリーも言いたくなった。
「ディーにだってものすごくショックなのをこらえろだなんて。しかもこんな急に」
「だがな、時間が無いんだ」
 重々しい返事が返ってきた。
「デイジーが耐えられるようになる前に、ジェーンは死んじまうかもしれないんだ」
「やめて!」
 叫ぶと、デイジーはケリーから身を剥がすように立ち上がり、階段を駆け上がっていった。追いか
けたケリーが見たのは、両親の寝室に飛び込む姿だった。
「ディー! おばさんは......って、どうするんだよ、ヨシュア!」
 振り向くとヨシュアは頭を抱えて食卓に突っ伏していた。
「おい!? ヨシュア?!」
 ぎょっとしたケリーに、ヨシュアはのろのろと顔を上げてみせた。「いや、大丈夫だ」
「......どうするんだよ」
 両手を腰にやり、ため息をついた。「ディーの奴、おばさんとこに行っちゃったぞ」
「......まぁしかたないさな」
 椅子の背もたれに寄りかかると、ため息と共に言う。
「なんたって、死ぬといわれちゃ穏やかになれる訳が無い。......だから言ったろう」
「......なにが?」
「ストレートに本当のことを言ったら、もっと耐えられなかったろうってよ」
 前日の会話を思い出して、ケリーも顔をしかめた。
「......悪かったよ。......それで、どうするんだ? これから?」
「どうったってなあ......」
 ゆっくりと頭を振った。「看病しながら暮らすだけだろうし」
「......そうなのか?」
「そうさ。あとは、覚悟を決めるだけだ。ま、『だけ』ったって、これが一番きついんだがな」
 弱々しい、それでいて忌々しそうな笑みともつかぬ表情で言うと、がっくりと肩を落とした。
 食卓を挟んだ男二人の間に、沈黙が流れた。
 俺はあの日、急に仲間を奪われた。
 ふとケリーは思った。あれはあれでものすごくショックだったけど、たしかに一度は泣いたけど、
俺は連中に復讐している。だけどヨシュアやディーは......。
「俺って、実はラッキーなのかなあ」
 呟くとヨシュアが怪訝な顔をした。「なんだって?」
「俺はさ、復讐出来てるけど、あんたやディーは復讐できる相手がないんだなって思ってさ」
「考え方しだいだろうよ」
 ため息をついて男は返事をした。「......さて、上にいかにゃ」
 のろのろと立ち上がると疲れた足取りで階段を上がる。ケリーはその後には続かなかった。自分の
椅子に座り、組んだ腕の上に顎を載せて、食卓の上にうつぶせになる。
 自分にとっては死はいつも唐突にやってくるものだった。徐々に死ぬなんて考えたことも無い。掌
を広げてしげしげと見る。たとえばこの手が目の前でだんだん腐って朽ちていく......。その時間の
長さを、その間の恐怖と絶望感を考えたらぞっとした。
「やっぱり、あっさりパッと死ぬほうがいいなあ」
 長い間、家の中は静かだった。やがて2階で動く気配がした。耳を澄ます迄も無く2人が降りてき
たが、デイジーは顏を泣き腫らしていた。
「ディー、大丈夫か?」
 たちあがって顔を覗きこむと、デイジーは泣き笑いの表情になった。
「......すごい顏になっちゃった?」
「なんか、冷やしたほうがよくないか?」
「うん......あとで顏洗ってくるね。......母さんとふたりで、いっぱい泣いちゃったの」
「ともかくな、みんなで頑張って母さんが楽に過ごせるようにしてやろう。なぁ、お花ちゃん」
 ヨシュアがデイジーの頭を撫でると、デイジーは顔を歪めて父親にしがみついた。
「ああ、わかってるさ、デイジー。顔を洗ってきな。母さん譲りの美人が台無しだ」
 カクカクと頷くと、デイジーは外に駆け出していった。
「......で?」
 事情がよく飲みこめない状態でケリーが目を向けるとヨシュアは肩をすくめた。
「ジェーンがあいつをなだめてくれたからな。とりあえず、まず片付けなくちゃいかん仕事は、ジェ
ーンがしばらく暮らしやすいようにエアコンを部屋に取り付けることだ。テルノンでおれが調達して
くる。デイジーが家事をやってるあいだ、おまえにゃ力仕事と外向きの仕事を頼まにゃならん」
「そりゃあ、俺もそのつもりだったけどさ」
 ため息をついた。
「ディーもおばさんも大丈夫なのか?」
「デイジーはともかく、ジェーンはな。会ってくるか?」
 反射的に首を振り、我が身の意気地無さに舌打ちした。そのままがりがりと頭を掻く。
「どういうふうに相手してたらいいのかわかんないんだ、俺」
「普通にやってりゃいいのさ。あえて言うのなら、疲れさせないようにしておけばいい」
「......そんなん、わかんないよ」
 疲れた口調でぶつぶつと言う。だがヨシュアはそれに取り合う風も無く、財布とバギーの鍵を確
認すると出かける準備を始めた。
「夕食までには帰る。で、ミラーの店で消毒用のアルコールだけ調達しといてくれ」
「外向きって、収穫作業はどうする?」
「今日明日くらいはサボっても構わんさ。村公認だ」
「ほかには?」
「機械を買わんとなんとも言えんなぁ。じゃあ頼むぞ」
 ヨシュアと入れ替わる形で戻ってきたデイジーは、それでも消沈した顔をしていた。
「俺、なにすればいいかなあ」
「あたしもわかんない」ため息をついた。
「消毒用のアルコールって言われたけど、みんな収穫の仕事だろ? どうしたらいいかな」
「あのね、お店のドアノブにノートが下がってるの。お店が閉まってる時はそこに用件を書いておく
のよ」
「ふうん。それで? いつ取りに行けばいいんだ?」
「今日だと、日が暮れてからよね。急ぐの?」
「わかんないや。診療所に行けば先生からすぐに分けてもらえるかな?」
 デイジーは眉をひそめた。「......昨日、父さんに怒鳴られて、先生気を悪くしてない?」
「そうだなあ。ともかく、まずは行ってくるよ。すぐ戻る」
 家から出るとすでにかなり気温が上がっていた。今日も暑くなるだろうと思うと少々気が重くなる。
 道を急ぎ足で歩いていると、向こう側からぞろぞろと村人が歩いてくるのにぶつかった。
「おお、ケリーじゃないか」
「ジェーンの具合はどう?」
 村人に取り囲まれて一瞬慌てたが、まずはとぼけておく事にする。
「昨日はいっぺん目がさめたんだけど、今日は俺、まだ会ってないんだ」
「さっき、ヨシュアがバギーで走って行ってたけどねえ」
「ああ、おばさんが寝てるのにもこの暑さだから、なんか調達してくるってさ」
「なにかって?」
「エアコンて言ってたけど?」
 そこでなぜか村人は一斉に沈黙した。互いに目配せをしあう。
「......なに?」
「......いや、どうやって動かすのかなと思ってね」
 だれか男がぼそぼそと言った。
「昨日はドクターに病気の機械のことで乱暴狼藉を働いたって聞いたもんだから」
 あの状況があっという間に村中の噂になったのかと驚いたが、考えてみれば家の外には村人がいた
のだから当然と言えば当然だった。
「ヨシュアのことだから、なんか考えてるんじゃないのか?」
「あんまり、変な技術は持ってきてもらいたくないんだけどねえ」
 小声で女が呟いたのを耳聡く聞きつけて、どことなくむっとする。
「俺さあ、よくわかんないけど、ここじゃあ病気になったらどうしてるんだ?」
「ドクターが見てくれるじゃないの」
「ドクターで手におえなかったら?」
「紹介状で他のお医者に行くんだよ」
「そこじゃあ、医療機械使ってるんだろ?」
「機械って?」
「医療脳とか自動機械とか再生装置とかさ」
「なんだい、それ」
 なんだか馬鹿馬鹿しい問答をやっている気分になってきた。
「俺さ、消毒用のアルコールってヨシュアに頼まれてるんだけど」
「じゃあ、今、一緒に戻ろうかね」
 よろずやのミラーが人ごみを掻き分けて返事をした。「夕方まで待ってるのも大変だろう」
 頷いて2人で人垣から離れて歩き出す。
「......ドクターが、ジェーンのことを気に病んでるそうだ」
 ミラーがぼそぼそと言った。
「何の病気かくらいは知らないと、村の医者として責任が果たせないってなあ」
「ま、当然だろ」
 クールに返事をする。「でも東の首都でもわかるかどうかって言ってたけどさ」
「ヨシュアがか?」
「いや、先生がさ」
 店の掛け金を開けて倉庫に入ると、やがて親父は茶色の大瓶を抱えてきた。手早く網状の袋に入れ
るとケリーに向かって差し出した。
「じゃあ、これの代金はつけとくからな」
「うん。ありがとう」
 掛け金を掛けた男とまた歩き出す。
「......やっぱりな、ヨシュアはドクターに失礼を詫びておくほうがいいと思うよ、わしは」
 思いきったような口調でいう男にちらっと視線を投げた。「そう?」
「ドクターだって、悪意でわからないと言ったわけじゃあない。このためにテルノンの公衆通信の店
にまで出掛けてくれたんだよ。わしらは今の技術とは縁無く暮らしたいのに、信仰を曲げてくれたん
だ。ヨシュアが家族を大事にしてるのはわかるが、こういうのは心の問題だからね」
 どことなく釈然としないものを感じたが、どう言葉にしたらいいのかがわからなかった。
「まぁ......ヨシュアには伝えとくよ」
「ああ、そうしといてくれ。じゃあな」
 辻で別れて家につくと、なぜか噂のドクターがドアの前にいた。げっそりとやつれた顔をしている。
「なにしてんだ、先生」
「気になるんだよ、ケリー。昨夜は一睡も出来なかった」
 扉を開けるケリーにすがるように言う。
「ジェーンの容態が気になるんだ。会わせてもらえるだろう?」
「ヨシュア、いないんだよ。俺じゃわかんないよ」
 それを口実にしようとした時に階段をデイジーが降りてきた。医者の姿を見てぱっと顔を輝かせる。
「先生!」
「おはよう。デイジー、あのな、お母さんに会いに来たんだ」
「本当?! よかった、治るんでしょう? 腫瘍って言っても治るんでしょう?」
 ケリーにとって顔を覆いたくなる状況だった。
「腫瘍?」
 ぽかんと医者は口を開けた。「腫瘍って......そうなのかね?!」
「父さんが今朝、そう言ってたの。先生が調べて教えて......くれたんじゃない......んですか?」
 泣きそうな表情になったデイジーに、慌てたように医者が頷いた。
「そう、そうなんだ。お母さんに会ってもいいね?」
「うん、先生、母さん助けて! 母さんが死ぬなんて......」
 引っ張りあげるように連れて行くデイジーと医者の後姿を見て、慌ててケリーも後に続く。
(いいのかなあ。これって最悪の状況じゃないのか?)
 ヨシュアが誰と病気の診断をしたか、医者は知りたがるんじゃないだろうか?
 部屋に入ると、ジェーンも驚いたような顔で医者を見つめた。
「ジェーン、医者としての責任を果たさせてくれ]
 枕許に座った医者が往診カバンを開きながら言う姿から視線を外すと、足許に立つケリーを見た。
「ケリー。うちの人は?」
「テルノンに出掛けたよ」
「じゃあ、あたしはドクターとちゃんと話したいから、デイジーを連れて下に行ってておくれ」
「母さん! そんな、あたしも母さんの傍にいる!」
「あんたが居たら、先生の診察の邪魔だよ、デイジー。母さんは大人なんだからね」
 ジェーンは弱い声ながらもきっぱりと言った。それから表情を和らげる。
「それにね、先生が下で一休みしてから帰れるように、下を涼しくしといとくれ。この部屋じゃ汗だ
くになるからね」
「う、うん」
 気落ちしたようなデイジーを先にやるようにしてケリーは階段を降りた。
「......ええと、どうしたら涼しくなると思う? ねえケリー」
「うーん。わかんないよなあ」
 腕組みをして考え込む。「手っ取り早く濡らしたタオルを冷たくして先生に渡すとか?」
 目を上げるとデイジーは不安そうな視線を階段に向けていた。やがて医者が当惑した表情で降りて
きた。
「先生!」
「......ああ、じゃあちょっと一休みさせてもらおうか」
 デイジーに勧められ、食卓につくと、おしぼりで顔を拭き、冷えた香茶をすする。
「ここの家は、氷室でもあるのかね?」
 ふと気がついたようにコップの中の氷を見つめる。「この夏場に氷とは.....」
「太陽電池と風力で発電してるから」
 デイジーがにっこり笑う。「父さんは、太陽や風の恵みは使おうって言ってるんです」
「まぁある程度の今の技術があったほうが便利なのはわかってるが......」
 医者は首をゆっくりと振った。「しかしなあ......」
「あの......母さんは......」
 おずおずと尋ねるデイジーに、医者はため息をついた。
「もう一度血を採ったからね。これで検査をやりなおしてみよう。きみのお母さんは覚悟しているよ
うだが、間違いと言うのもあるだろうし、お父さんの考え方次第では、村の外でちゃんと受けられる
治療もあるかもしれん」
「ほんとですか?!」
 ぱっとデイジーの顔が明るくなった。
「母さんが元気になるんだったら、きっと父さんも賛成してくれます!」
 頷くと医者は立ち上がった。
「それじゃあ早速、この間よりもっとちゃんと検査してくれるところを探して血を送ろう」
 見送りに立ったデイジーは足取りも軽そうだったが、ケリーにとっては憂鬱さを増す台詞だった。
足音を忍ばせて階段を素早く上がるとドアを小さくノックする。
「......誰?」「俺」「いいよ、おはいり」
 するりと滑りこむと背中でドアを閉めた。
「どうしたんだい?」
「医者が、本気で検査をする気になった」
 ジェーンは枕の上で顔をしかめた。「あたしもいらないって言ったんだけどねえ」
「止めた方がいいなら、俺、なんとかするけど」
 ケリーの言う「なんとかする」の意味をヨシュアほど正確でないにせよ、理解したジェーンは首を
横に降った。
「なんで?」
「うちのひとが、それこそなんとかしてくれるだろうからね。あんたはあんたのすべきことをしたほ
うがいいよ」
「するべきって言うよりは、したいことなんだけどさ」
 一瞬笑ったが、ため息をついた。「ディーがさ、なんかその気になったから、止められなくてさ」
 それから慌てて言う。
「いや、それが悪いとかいうんじゃないんだ。ディーがあんたのことをほんとに心配してるのは俺だ
ってわかってるんだけど、なんていうか......」
「あたしがこんな因業なモノに取り付かれたんじゃなかったらねえ」
 ジェーンの声は弱々しかった。「すまないね、あんたにまで」
「いや、俺はどうってことないし」
「あんたやデイジーにはできるだけ迷惑かけないようにするからね」
「そんなこと......」
 かぶりを振りかけたケリーの耳に、階段を上がるデイジーの足音が聞こえた。
「ケリー、母さんのところにいるの?」
「ああ!、うん! こっちだよ!」
 声を張り上げて返事をした。ドアを開けてデイジーが覗きこむ。
「ねえ、ドア閉めてたら暑くない?」
「あっ、そ、そうかもな」
 慌てて立ちあがったケリーの脇に立つ。
「母さん、あのね、先生がもう一度ちゃんと調べてくれるって!」
「まあ、父さんもいないところで勝手に決めたのかい、おまえったら」
 呆れた顔でジェーンはため息をついた。「お金が掛かるんだよ、そういうのは」
「難しい病気だと、お役所が治療費を出してくれたりするんだって! だからきっと治って元気にな
れるから! あたし、母さんの分も一生懸命働くからね!」
 うれしそうに言うとベッドサイドテーブルの水差しを取り上げた。
「お水、冷たいの入れて来るね!」
 足取り軽く降りておく音を背にして、ケリーは目を伏せた。
「......うん、もしかすると、ディーの言うように、治るかもしれないし」
 白々しい台詞ではあったが、ジェーンも頷いた。「......そうだね」
 どうしてそんなことを言い出したのか、自分でもわからなかった。
「......じゃあ」
 くるりと背を向けると部屋を出る。丁度デイジーが水差しを捧げ持って上がってくるところだった。
「おばさん、疲れたみたいだよ」
 ドアを支えながら小声で言うと、デイジーはこっくりと頷いた。そのまま入れ替わる格好で階段を
降りる。深い穴に落ちたような気分だった。早くヨシュアに帰って来て貰いたかったが、太陽はまだ
中天に達してもいなかった。



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