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◎欧州ストリート尺八行脚 9 ◎

スポーツ公園(マルセイユ)

 見ると、広々とした海岸で、上半身裸の青年などがちらほらとボール遊びをしている。さてさて、私のイメージ通りの場所が本当にあるのかなと思いつつ、地図に従って目的の場所に行くと、そこは大きな緑地公園だった。幾つかの池を取り巻いてものすごく大きなグラウンドがあり、その周辺にはそこここに木陰がある。若者・中年・家族連れなどがランニングをしたり、自転車で走ったり、散歩したりしている。日本で言うと、小金井公園とか、砧緑地公園のような感じの所である。確かに静かな所ではあるが、人の数が少ない。しかし、せっかく来たのだからここで一つ試してみようと、公園の入り口の橋の上で尺八を吹き始めた。

 最初の一曲を吹くうちに数人の人が金を置いていった。これは調子がいいかなと思ったが、その後はさっぱりである。吹きながら観察すると、通る人の多くは、短パンにTシャツという運動向きの格好である。私は演奏しながら、短パンやTシャツにはポケットがないのかもしれないと考えた。私は自分の人生の中で、他人のポケットのことなどについて考えたのは、多分、生まれて初めてである。私は、何事も経験してみるものだ、と言う他に言うべき言葉を知らない。いづれにしても、彼等の内面は肉体の鍛練の方に向けられていると見えて、『鹿の遠音』や『千鳥』などはまったく関心の外である。車に乗った人はここでいったん停車して出入りする。オートバイに乗った若者は門の外に置いて中に入る。こういう若者たちもまったく関心を示さない。

 金を置いてくれるのは、子供を連れた母親が多かった。しかしこれも、音楽を真剣に聴いてくれたかは大いに疑問である。母親が私を認めると、少しの間立ち止まり、子供に何か言い聞かせて金を持たせ、子供がよちよちと私の前まで金を置きに来るというスタイルが多かった。母親は子供に何と言って金を持たせるのだろう。まさか、「哀れな乞食には恵んでやるものですよ」と言っているわけではないと思う。それなら、気の毒そうな目でこちらを見るはずだ。そうではなく、微笑みながら私を見て、子供に何か話し掛けている。たぶん、「音楽を聴かせてくれるおじさんだから、お金をあげましょうね」とでも言っている、また、そういう事を教えようとしているのだろう。確かに有り難いことではあるが、これは、私の音楽に深く感動して感謝を示すと言うのとは少し、いや、大いに違う。傑作なことに、金を持たされた子供はこちらに歩いてくるが、何の事か分からず途中でそのまま引き返してしまうことが何度かあった。すると母親は別に気にも留めず、子供を連れて行ってしまう。私は客観化して見るゆとりがあったが、そうでない人にとっては悲惨としか言いようがないだろう。

 こんな風に否定的なことばかり書いていると、よい反応はまったく無かったような印象を与えるかもしれないが、実はそうでもない。この日、私の前を通り過ぎた人の中に、二人ほど立ち止まってじっと聞き入ってくれた人がいた。二人とも学生のようだったが、ジョギングスタイルではなかった。一人は私に握手を求め、「メルシー」と言っていろいろと話そうとするが、私はフランス語はほとんど分からない。辛うじて彼が英語で、「あなたは呼吸の仕方が深い」とか、「息が長い」とかいうことを、深呼吸してみせたりしながら言っているのが分かった。この日の収入は、六時から七時の一時間で、十八フラン。フランスの物価は高いので、今までの中では最低の記録と言ってよいだろう。

 この後、市内をうろつき回り、食事をしたり酒を飲んだりした後、九時を過ぎたので地下鉄も終わってしまい、バスに乗った後歩いてホテルに帰る途中、たまたま市役所の前を通った。するとここは、中央に池と噴水がある広々とした広場で、池の周りにはベンチも並んでいる。市役所前の通りからかすかに騒音が聞こえてくるが、それほどでもない。もう十時近いから人はあまりいないが、もっと早い時刻なら人も多いだろう。さらにその広場から北に伸びるサン・フェレオ通りに入ってみると、車の通行は禁止されていて、両側の店は高級店ばかりで、日本流に言うとマルセイユ銀座のプロムナードという感じである。そこで、明日はここでやってみようと見当をつけた。

ロンシャン宮公園(マルセイユ)

 一九九八年九月三日(木)。昨日は郊外のスポーツ公園に行って失敗したが、それにしても、この町には市中の静かな公園というものはないのだろうかと、自分で地図を捜してみると、国鉄駅から真東に1キロも行かない所にそれらしき緑の一角があり、「PALAIS DE LONGCHAMP」とか、「THEATLE DE LAGIRAFE」などと書いてあり、その敷地内に博物館や美術館などもあるようだ。ホテルからは徒歩で三十分くらいの所だし、まだ夕方の五時過ぎなので、まずここを探索してみよう。そこがだめなら、その後、市役所前に行っても遅くはない。こう思って、町を見物しながら行ってみた。

 着いてみると、とてもすばらしい公園である。緑に覆われた丘と言うより小山のような一角があり、東側の山の登り口には、三メートルほどの滝が落ちている。西側の正面入り口に回ってみると、大理石で作られた巨大な宮殿の門のような構築物があり、その正面には池と噴水、両側は大きな大理石の獅子の彫刻が西日を浴びている。公園の中に入ると、ここは丘の上で、市中の騒音は遥か遠くに聞こえるだけである。木々が生い茂り、木陰では人々が静かに憩いの時を楽しんでいるようだ。やれやれ、やっと尺八を吹く場所が見つかった。ここなら、金など集めなくても、ただ演奏するだけでもよい。私の音楽を聴いて、話し掛けてくる人もきっといるだろう。私はまずそう思った。

 時刻は六時半なので、南フランスの太陽は西空に高く、まだ夕暮れの涼しい時刻には間がある。ヨーロッパは緯度が高く、その上、夏時間を採用しているので、八時過ぎにならないと日が沈まない。あと一時間もすれば少し涼しくなり、仕事を終えた人たちが夕涼みに集まってくるだろう。それまで少し休んでいようと、公園内をぶらついていると、遠くからの騒音に混じって、また警笛の音が先程からしきりに聞こえてくる。本当にこの町の人たちは騒音に耳が麻痺しているのか、幼稚園か小学校の先生が子供を呼び集めるのに笛でも吹いているのだろうかなどと思いながら眺めていると、公園内の人がだんだん少なくなってゆく。ふと見ると、パトカーのような車が止まり、公園の係官らしい人と警官が、笛を吹きながら園内を巡回している。近づいてみると、公園を閉鎖する時刻だから早く出なさい、また明日の朝八時から公園は開きますと言う。これには私も、まさに驚き呆れた。

 くどいようだが、まだ六時四十分で、西日はかんかんと照りつけている。これからの二、三時間が本当にいい時刻なのに、なぜ公園を閉めてしまうのだろう。私は警官に英語で聞いてみたが、警官は肩をすくめて苦笑し、「私もなぜか分からない。しかし、これが規則なのだ」と言うばかり。警官は任務を遂行しているだけだから、規則の由来を聞かれても困るだろう。とにかくいったん門の外に出て、さっきの滝の下で吹くことにしよう。滝は門の外だし、歩道もベンチもあったので、そこを散歩する人も多いだろうと思って、門から出て、滝の下の少し広く平らな所に帰ってきた。この辺一帯は山の東側なので西日は陰になり、滝の冷気があたりに淀んでいるようで、実に静かである。しかし、それにしても、少し静かすぎる。ほとんど人がいないようだと不審に思い、坂道を少し下って周囲の様子を伺うと、またまた驚いた。坂道の下の広場の向こうにもう一つ門があり、そこにさっきのパトカーと警官が待機してこちらを手招きするではないか。この公園は二重の門と塀で囲まれていたのだ。私は慌てて外に出、自分一人のために警察に迷惑をかけてすまないと言ったら、警官はのんびり構え、閉門時刻は七時だから、まだ間があると言う。私はうんざりして公園を立ち去った。するとそこは、例によって騒がしい道路である。私はまた騒音の中に投げ出されてしまった。

 私は漫談を創作して書いているわけではなく、事実をありのままに書いているのだが、この失敗談を書きながら、夏目漱石の『吾輩は猫である』の中の、水島寒月君がバイオリンの練習をしようとして苦労する話を思い出した。内容は似たようなものだが、筆力は漱石先生に到底及ばない。その点は読者にお詫びするしかない。

 こんなわけで、七時に公園を追い出された後、多少回り道をしながら市役所前の広場に行った。なぜ回り道をしたかと言うと、その途中に静かな区画があったので、そこを探索しながら行ったのである。その区画は、全体が小高い丘のようになっていて、いわば山の手のような所だった。高級そうな住宅街の中に、病院・学校・研究所などが集まっているが、車や人の通行がほとんどない小路があるばかりで、広場や公園などはないようだ。

ギター乞食と伝道師(マルセイユ)

 市役所前に着くと、八時過ぎである。しかしそこもまた演奏には適さなかった。公園には人はまばらで、アラブ人の失業者のような人々がベンチにうずくまっている。サン・フェレオ通りの方に行ってみると、驚いたことにもう店じまいを始めている店もあり、通行人はまばらである。そこで私は、このマルセイユの町で初めて路上ミュージシャンを見た。ところが、その人がまた、とてもミュージシャンと呼ぶに値しないような汚い男で、簡単に言えば、ギターを持った乞食という感じである。アジア人らしい風貌で、顔や手は垢だらけ、服も髪もぼろぼろである。店を閉めた高級店のショーウインドウの前に半ば寝そべるように寄りかかり、ジャカジャカとギターを鳴らしながら、勝手に歌を歌っているだけで、通行人に訴えるでもなく、金を集めるでもない。そもそも、通行人はほとんどいないのだ。ミュージシャンと言うより、「ギター乞食」という感じで、ちょっと話し掛ける気にもなれない。やれやれ、マルセイユの町には見切りをつけようと思いながらそこを通り過ぎて、バーで一時間ほどパスティスを飲んだ。

 今日は空しくホテルに引き返そうと思ったが、それにしてもさっきの通りはこの時刻にどういう状況になっているのか、ちょっと様子を見ながら帰ろうと思い、またさっきの通りに引き返した。まっすぐな通りを見通すと、まだ九時過ぎだと言うのに両側の高級店は全部閉まり、人はほとんどいない。ところが、さっきあの汚い男がいたあたりだけ、数人の人影が群がっている。あの男が何かしでかして警官に尋問でもされているのだろうかと考えながら、急いで近づいてみた。すると、さっきの若い男が数人の若者と盛んに話をしたりギターを弾いて歌ったりしている。私が近づくと、当然のようにその輪の中に引き入れられた。汚い男は、マレーシアから来たと言った。私もミュージシャンだと言うと、ではあなたも弾いてみろとギターを差し出す。私の楽器はギターではなく、これだと言って、私はリュックから尺八を取り出し、『鹿の遠音』を吹いた。

 ここは、こういう曲を吹くにはとても適した場所である。道路に人影はなく、音は石の歩道と店のショーウィンドウや壁に反響して、真っ直ぐな通りの遠くまで響く。若者たちはとても熱心に私の尺八を聞き、聞き終わるといろいろと質問した。私は例によって、尺八音楽と精神修養について、また自分はある種の「禅ステューデント」であると答えた。すると彼等のうちの三人が、自分たちも宗教上のミッションのために旅行していると言う。聞けば、彼等はアメリカ人で、自分たちの何とか言う新しいキリスト教の宗派の教義をフランスに広めるために、その何とか教の本部から派遣されてきたそうである。そして私に、「もしあなたが望むなら」と言いながら、彼等の宗旨を説明しようとする。私は有り難迷惑だったので、適当に話を合わせて切り上げた。その内容は詳しく書いても面白くないので省略する。と言うわけで、この日の収穫は、キリスト教の伝道師に『鹿の遠音』を聞いてもらったことだけだった。

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