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◎欧州ストリート尺八行脚 5◎

人種差別のない国(デン・ハーグ)

  私はヨーロッパ諸国はずいぶんたくさん旅したが、オランダは今回が初めてである。しかし私は、「およそ欧羅邑にあまたの国家ありと言へども、諸民族の互ひに入り混じり、皮膚の色の隔なく等しくその権利を分かち合ひ、親しく交際して友誼を結び共生の実を挙げたるに於て、この和蘭陀国に勝れるは他にこれあらざるべし」とでも書きたいほど大いに驚いた。それは、私がオランダに来て以来あらゆる機会に感じたことである。まず、単純なことだが、オランダ人は外国人に対して極めて親切である。もちろん、自分たち同士もお互いに親切なのだろうが。汽車の座席やレストランで向かい合って座ったりすると、向こうから会釈して微笑みかけてくる人が多い。道を尋ねると、指差して教えてくれるだけでなく、間違いなく分かる所まで連れていってくれる。次に、人種差別がない感じがする、と言うより、そもそも人種差別というものがこの世にあるなんて信じられない、という感じがする。その事について多少感想を記そう。

 この日の午後、私はマウリッツハイス美術館に行った。ここにはレンブラントその他のオランダ美術黄金期の名画が数多く収められているというので、とりあえず見に来たとでも言おうか。私は美術にはあまり興味がない上に、ここに収められた絵が暗く静的で沈鬱なものが多いのであまり面白くなかったが、入場料がもったいないので一時間半ほどずっと我慢して見ていた。そこを出て少し北に歩くとランゲ・フォールハウト広場に出る。ここは毎週日曜日と木曜日にアンティーク市が立つことで有名な所だそうで、たまたま今日が木曜日だったので様々の骨董屋が屋台を連ねて商売している。一つ一つ商品を見ると、アンティークと呼ぶのはちょっと憚られるようなガラクタが実に多い。日本に「道具屋」という落語があるが、それを現代のオランダで見るようなものである。西洋のものだけではなく、東洋のものも多く、それこそさび付いて抜けない刀とか、壊れた人形とか、火事場で拾った鋸とか、まさに落語の通りのものが沢山店頭に置いてある。中でも多少まともでしかも人気のあるのは、陶器の像の類である。「像」というのは、仏像だけでなく、七福神の像とか、中国の仙人だろうと思われる、髭を生やして奇妙な形の杖を持ったお爺さんの像とか、ヒンズー教か何かの神像とかで、ヨーロッパの人が居間などに置物として飾るとちょっと面白いという感じである。大部分は中国製か日本製だろう。こういう陶器類は、古くなっても傷まないので道具屋で売るには向いているのだろう。

 さて、このガラクタ市の中に、屋台のレストランが幾つかあるが、その中にインドネシア料理という看板があった。インドネシアはオランダの植民地だったので、今でも関係が深いのだろう。私が興味を持ってそこに近づくと、店の中からどう見ても白人にしか見えない人が出てきて、私に何か食べますかという風に微笑みかける。私は「あなたはインドネシア人ではない様だが」と話し掛けた。するとその人は笑って、「あなたは、私がインドネシア人でないということがどうして分かるのか」と聞き返してきた。私は、「あなたの皮膚の色から判断すれば」と言おうと思ったが、それが答えにならないことにすぐ気づいて、「何となくそんな感じがする」とか何とか言ってごまかそうとしたが、彼がその一言で私に何を言おうとしているかがすぐ分かった。白い人はヨーロッパ人かアメリカ人、黄色い人はアジア人、黒い人はアフリカ人という考えは間違っている。そんなものはここでは通用しませんよと言っているのだ。私はオランダに着いた時から多くのオランダ人がそういう考えを持っていることを何となく感じていたが、この一言を聞いた時も、その後も、その確信を深める経験を多くした。

 インドネシア料理はやめて、すぐ側の野外レストランで一人ワインを飲んでいると、三人の老婦人が連れ立って私のテーブルに座った。オランダの人は、外人とか異民族とかの観念がないかのように普通に私の側に座る。話し掛けて聞いてみると、近所に住んでいる人たちだそうである。その人たちと一時間ほど一緒にいて私が聞いたことをまとめて書いて置こう。

 今のオランダには、白人・アジア人(インドネシア人が多い)・中南米の人などがいっしょに暮らしていて、人種差別というものはない。ある人種がある地域にまとまって住んでいるということもなく、いろいろな民族が混じり合って生活している。もちろん、日本人村とか、ハーレムのような所というものもない。人によって貧富の差はあるが、それは人種によるものではない。五十数年前、インドネシアがオランダから独立した時も、オランダ人は特に危険な目に合うこともなく、オランダに帰ることが出来た。インドネシア人は帰って行くオランダ人に対して脅したり追い討ちをかけるようなことは特にしなかった。その後もオランダとインドネシアの関係は友好的で、日本と韓国・北朝鮮のようにこじれて屈折した互いの感情のようなものは存在しない。

 私が三人のオランダ婦人と別れてまたさっきのインドネシア料理店の前を通ると、またさっきの白人がいる。今度は有色のインドネシア人らしい青年二人といっしょで、また私に話し掛けてきた。私は今度はこの二人の有色青年からいろいろな話を聞いたが、彼等はさっき三人の婦人が私に言ったこととだいたい同じ内容のことを話した。彼等はオランダがとても好きだそうである。また、オランダ人は誰にも親切で、人種差別などない。私がここでオランダ人とかインドネシア人とか言うのも正確な表現ではない。なぜなら、別れ際に私が有色青年に、「あなたはオランダの国籍を持っているか」と聞いたら、青年は当然のように「持っている」と答えたのだ。

 私はオランダでこういう事を見聞して、ヨーロッパ統一の動きの深い意味を理解したような気がした。単にヨーロッパに限らず、アメリカやその他の世界のあちこちで、我々の知らない間に諸民族の融合という動きが少しずつ進んでいるのかもしれない。ヨーロッパの統一というのは、単にヨーロッパの諸国家が一つの共同体を作るということではない。よく見ると、ヨーロッパには、すでに世界中の民族がいっしょに暮らしている。ヨーロッパ統一とは、その人たちも含んだ統一であり、端的に言えばヨーロッパを人類であれば誰でも参加出来る共通の生活の場にしようという試みとも言えるのかもしれない。

 しかし、世界の動きをそう一面的にのみ捉えるのもまた正確とは言えない。西ヨーロッパの中にさえこれと反対の排他的民族主義はかなりの勢力を持っているし、東ヨーロッパでは、むしろ民族国家の細分化が進み、そこでは他人種排撃の動きはいっそう顕在化している。旧ソ連からは沢山の民族国家が独立し、チェコスロバキアがチェコとスロバキアに分かれ、ユーゴスラビアも沢山の国家に分裂した。これは日本が四つの島に分裂してそれぞれ国を作るようなものだから、今まで一通りで済んだ国会議事堂や色々の役所、裁判所や、造幣局や電話局までそれぞれの国に必要になるので不経済極まりないように思うが、そんな単純なものでもないようだ。西ヨーロッパでは、人々は国家主義・帝国主義の経験を踏まえて、それを超克する道を模索しているのに対して、東ヨーロッパでは国家主義そのものがまだ徹底して経験されたことのない未消化なものでしかないのか。そう言えば東洋でも、まだ国家主義にこだわっている国は非常に多いように感じられる。私はアジアももっと旅してみたいと思った。

 八月二十一日(金)。午前中は日記を書く。午後はアムステルダムのゴッホ美術館に行った。

池と湖の町(フース)

 一九九八年八月二十二日(土)。午前中は日記を書いたり尺八の練習をしたりして、午後からハンガリアのリラフュレドで会ったオランダ人、ライ(Rij)さんと言う人のお宅を訪ねてフース(Goes)に行くことになった。実はライさんには昨日電話し、今日行くことになったのだが、電話をするまではかなり迷った。そもそも外国語で電話することそのものが非常に難しいし、相手はハンガリアを旅行中に一回会っただけの、いわば知らない人である。電話するのは失礼ではないのか。リラフュレドのあの時の話は、お世辞かもしれない。しかし、連絡しろと言われて、はいと言った以上、連絡しない方が失礼という気もする。結局、もし向こうが私に会いたくないのなら、何か理由を付けて断るだろう、私に会うかどうかは相手が決めることとドライに考えることにした。

 電話をすると、すぐ話が通じて、明日の夕方七時に来いということになった。道は分かるかと言うので、私は住所も電話番号も知っているし、キーン先生に聞くから大丈夫だと答えた。キーン先生がライさんの住んでいる町のことを知っているわけがない。しかし、細かい道順を電話で理解するのは非常に面倒で、日本語でさえもうまくいかないことがある。私は、住所を尋ねて行けば何とかなるだろうと考えたのだ。

 デン・ハーグからフースまでは汽車で一時間半である。汽車はオランダ南部の半島地帯を西に行く。この辺は、アムステルダムやハーグなどの都会と違って、どこまでもどこまでも田園地帯で、見えるものは牧場と農地と池と湖、樹木は北海道でよく見るポプラだろうか、その林がどこまでも続いている。オランダはどこに行っても視界には山らしいものはなく、ただただ平らな土地が広がる。フースの駅に着いたのは3時17分だった。駅から降りてみると、この町にはタクシーはあるが、市電もバスもなく、駅前に観光案内用の地図が立っているだけである。それを見ると、駅の北側に町の中心部があって、そのまた北側の町外れに町そのものと同じくらいの面積の大きな湖がある。ライさんの家のあるシュリュシュプラートという所は、その湖のまたしても北側の岸辺である。徒歩で行くには、町を抜けて、湖の岸辺を回って一時間半ほどかかる。ずいぶん遠い所に招待を受けたものだなとも思ったが、別に急ぐ旅ではなし、約束の七時までにはまだ四時間も時間がある。ぶらぶらとあたりを見物しながら歩いていくうちに、いつかは着くだろうと、例によって誰にも道を聞かずに北を指して歩き出した。

 町の様子を見ると、田舎町とは言っても、ただ町の規模が小さいだけで、生活の様子は大都会とまったく同じくらいレベルが高い感じがする。スーパーでは早くも秋冬の衣料を売り出しているが、商品もしゃれて高級感のあるものが多い。日曜大工と模型工作の店に入ってみると、日本の「東急ハンズ」などとまったく同じ感じである。私はプラモデルに興味があるので、特に詳しく見ていると、日本の「TAMIYA」のものが案外多い。軍艦で人気のあるのはやはりアメリカの「戦艦ミズーリ」とか、ドイツの「U−BOAT」である。陳列品の中に一つだけ、日本の「戦艦武蔵」を見た。

 さて、町外れまでは来たが、ここから先は湖で、徒歩で四十分くらいかかるようだ。しかし時間はまだ一時間半もあるので、道端のスタンドでコーラを飲んで休んでいると、同じように休んでいる青年がいるので話し掛けてみた。私が、私はハンガリアで知り合ったオランダ人の家に訪ねて行くところで、その人の住所と電話番号以外は職業も何も知らないと言うと、ちょっと珍しがっていた。私たちの目の前には運河があり、その向こうが湖である。運河をヨットが幾つか通って行く。たいていは人が三、四人乗っている。青年は、ヨットはレジャー用で、一隻買うのに家を買うのと同じくらい金がかかると言う。青年が教えてくれた金額を日本円に直すと、千四百万円だった。その額では東京では家は買えない、日本は、土地が特に高いのだと言うと、青年はある程度知っているらしく、頷いていた。私が、自分は駅からずっと歩いてきて、まだ時間があるので、その家まで歩いていくつもりだと言うと、自分が車で送ってやろうと言う。オランダ人は皆親切で、悪い人は全然いないという先入観が最近出来ているので、私は何の不安もなく好意に甘えることにした。青年の職業を尋ねると、「ガスのパイプライン」をどうするとか言っていたが、それ以上はよく分からない。青年の車はシトロエンだ。彼はヨットより車の方が好きで、車はあと二台持っていると言っていた。青年の車に乗って、住所を頼りにライさんの家を捜すが、見つからない。狭い道で向こうから来た車とすれ違ったので、青年がその車の運転手に道を尋ねると、向こうは私を見て微笑みかけてくる。驚いたことにその人がライさんだった。あまりに駅から遠いので、私を探しにきたのだそうだ。

ジャガイモのマネージャー(フース)

 さて、このライさんという人の家が、これまた豪勢である。キーン教授の家は町中なので面積はそれほどでもないが、こちらはフースという田舎町のそのまた町外れの湖のほとりなので、敷地面積は少なくとも二百坪くらい、家屋だけでも七、八十坪はあるだろう。一階のほとんど全体が広いダイニングキッチンのようになっている。そこからすぐ庭に出るようになっていて、庭は湖に面していて、鶏を飼っている。庭の中には池があり、鯉を飼っている。夏は、湖で泳ぐのだそうで、ボートもつないである。この家は二年前に建てたもので、隣は空き地で、もうすぐ隣人が引っ越してくると言っていた。この辺の土地全体が、新しく埋め立てて作った土地なのだろう。

 ライさんの職業を尋ねると、彼は簡単に言うと、独立の「ジャガイモのマネージャー」なのだそうである。つまり、この近辺のジャガイモの生産と流通に関する一切の情報、すなわち地質・水・肥料・空気・日照・気温・需要供給の流通関係や貿易などの情報をコンピュータで管理して、農民や商社にアドバイスする仕事だという。私が聞きかじりで、「そういう自立したプロフェッショナルなビジネスマンは日本では少なくて、今非常に必要性が叫ばれているそうだ」と言うと、ライさんは知っているらしく、「そうだ」と言っていた。彼は、今の日本経済の低迷のこともよく知っているらしかった。デュッセルドルフであったリチャードさんもそうだったが、世界中の人が今の日本の経済の状況を注目して見守っているらしい。

 食事の前に、ライさんと奥さん、息子さん、息子さんのフィアンセの前で尺八のコンサートとなった。一階全体が小ホールのようなので、とても演奏しやすかった。『春の海』や『千鳥』も好評だったが、やはり『鹿の遠音』が一番深い感動を与えたようである。奥さんが「この曲は他の曲とはまったく違う音楽のように聞こえる」と言っていた。リズムや音程の動きが西洋音楽とまったく違うということが、彼等にも分かるのだろう。この曲は賑やかな曲ではないので路上で通行人を引き付けるのには向かないが、じっくりと音に聞き入るような設定が出来ている場では、独特の世界に人を引き込む吸引力のようなものを持っているようだ。

 食事が終わり、ライさんは当然のように「今夜は泊っていくのか」と尋ねたが、往復切符を買ってあるし、キーン教授宅に私のベッドがあるので、再会を約して帰る事にした。一家と一緒に車に乗って、十年前までは世界一の長さだったというゼーラント橋をわざわざ往復してもらい、駅まで見送ってもらって帰った。

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