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◎欧州ストリート尺八行脚 2◎

収入 (ブダペスト)

 別れて一人歩きながらさっきの金を計算してみて、またまた驚いた。十人くらいが投げ銭をしてくれて、ジャラジャラと沢山あると思った小銭の大部分は10フォリント硬貨で、全額で130フォリント(約100円)くらいしかない。私に金を投げた人は、殆ど全員10フォリント硬貨を投げたのだ。日本で言えば10円玉である。私は辻立ちに対する投げ銭がこんなに小額であるとは想像もしていなかった。実は私はこの辻立ちを思い付いたときから、東京で大道芸人を見かけるたびに、自分自身も金を出したりしながら、彼らがどのくらい金を集めているかそれとなく調べていた。自分も同じことをやると思うと、興味があったのである。その時、私の出す金は、百円か二百円だった。金を出しながら覗き込んだ受け箱の中には、千円札や五百円玉も大概は入っていたと思う。私だけではなく、普通の日本人の感覚として、人に金を恵む時に、十円と言う額はあまり考えないのではなかろうか。

 もともと金もうけが目的ではなかったにしても、40分で130フォリントは、時給150円ぐらいということであり、あまりに小額というか、日本の感覚で言えばほとんどただである。私はがっかりしたが、ここでくじけるわけにはいかない。ともかくもこの東ヨーロッパの人たちの中に私の演奏を聞いてくれて、金を出してくれた人がいただけでありがたいことではないかとか、貧しい国の人たちがわざわざ恵んでくれた金に不満を抱くべきではないとか、昔の虚無僧の惨めな胸中が想像出来るではないかとか、いろいろなことを考えて精神のバランスをとった。初日にして今まで経験したことのないことが盛りだくさんで夜遅くなり、宿舎に帰る地下鉄は終電を過ぎてしまい、私は一時間ほど歩いて帰った。宿舎につくと一時近かった。

 一九九八年八月二日(日)。旅行三日目にして疲れが一度に出たのか、昼から宿でずっと眠っていて、ふと目を覚ますともう夜の八時を過ぎていた。体はだるく、精神的にも、またあの時給150円のさらしものの仕事をわざわざするのかと思うと気が進まない。しかし、ロシア人との約束を破るわけにはいかないので、あわてて出かけた。ヨーロッパは緯度が高いので、この時刻でもまだ夕暮れの薄明である。バーツィー通りに着いて、全長500メートル余りの通りを捜したが、エドアルド夫婦は見つからない。もう九時頃だから、あちらは仕事を終えて帰ってしまったのかなと思い、またあれこれ悩みながら三十分ほどうろうろし、一人で心細いが、また尺八を吹くことにした。

 辻立ち二日目の今日は、昨日とは少し精神状態が違った。始める前にいろいろと苦しむのは昨日と同じだが、いったん演奏を始めると案外落ち着いた気持ちになる。無念無想というわけにはいかないが、一種の居直りというか、通行人の目が気にならなくなる。また、ゆとりをもって通行人を観察出来るようになる。すると不思議なもので、通行人の方も何人か立ち止まって聞き入る人もいる。数分後には一人二人と金を投げて行く人もいる。立ち止まって熱心に聞く人が必ずしも金をくれるとは限らず、十中八九の割合で立ち去って行く。この立ち止まった人を、金を払うという行動に駆り立てるものは何だろう。尺八は、ジプシーのように演奏しながら笑顔で媚びを売るなどということは出来ない。やはりそれは尺八の音以外にはないだろう。この音を聞かされると金を出したくなるような、殺し文句のような音というものがあるのだろうか。もし、それを使いこなせれば、実入りは格段によくなるはずである。私は演奏しながら、いわば自分の尺八の音と投げ銭の相関関係について考察しようとしたが、簡単に結論が出そうにもない。そんなことを考えるのは邪道であるという考えもあるが、どういう音が人の心を動かすかという考察は意味がないということはない。

 あとで分かったことだが、ムラ息とかコロコロとか、日本音楽独特の旋律の動きが彼らの心を動かすということは確かにあるようである。そうなると、そういう音ばかり出しているほうが御布施が多いということになるが、そこまで考えると行き過ぎかもしれない。しかし、皮肉を言うわけではないが、尺八を使った曲で世界的に有名なものはそういう曲が多いということも事実である。日本音楽や日本文化が全体として理解され、受け入れられるということはたやすいことではないのだろう。

アメリカの音楽青年 (ブダペスト)

 さて、演奏を始めて一時間もたった頃、私の横のベンチにまた誰かが座って、ずっと私の演奏を聞いている。私の演奏が一段落すると、拍手してくれた。私は「Thank you.」と礼を言いながら見ると、大柄な青年で、大きなリュックサックを側に置いて、それに小型のハープのようなものがしばりつけてある。一見して旅の音楽青年である。今日も、私の演奏を誉めてくれたのは音楽家だった。話してみるとその青年はカリフォルニアから来たアメリカ人で、「すばらしい演奏だ。あなたは私が出会った尺八の奏者の中では最高だ」と言う。「あなたは尺八という楽器を知っているのか」と聞くと、自分は尺八を持っていると言って大きなリュックサックの中をあれこれと捜し、彼の言う尺八を取り出した。見ると、歌口はケーナ、筒の部分もケーナや篠笛のような柔らかい竹で、内部の細工がまったくされていない。穴は一見尺八と同じように五つ開いているが、吹いてみると音程もめちゃめちゃ、音色もスカスカである。

 この尺八をきれいに吹いてこの青年を喜ばせたいが、路上でいつまでもこれに挑戦していると、通行人に下手な演奏家と誤解されそうなので、彼には悪いが、そうそうにあきらめた。こんなものを尺八だと思って吹いているのでは、私のことを the best player と誉めるのは当たり前だ。彼は、その他にも笛を持っていると言って、穴が二つしかない笛を取り出し、吹いてみせてくれた。私はなぜ彼がそんなものに興味があるのか理解出来なかった。

 もう一度尺八の演奏を始めて、彼にも聞いてもらっていると、10分ほどして、警官が近づいてきた。最近の日本ではあまり流行らない、これぞまさしく警官というような恐い顔をして、「On the street, music, No!」と言って、両腕で×の形を示した。私がおとなしく演奏を止めると、別に取り調べるでもなく立ち去ってしまった。ふと見ると、昨夜のエドアルドが私の側に来ている。今日は奥さんはいない。これを潮に、今夜は演奏はやめようと思って、尺八をしまい、御布施を手に取ると、驚いたことに、中に500フォリント札がある。私が二人にそれを見せると、二人は驚く様子もなく、早くポケットにしまえと言う。500フォリントは400円弱だから、今考えれば大した事はないが、昨日は全額で130フォリントだったので驚いたのだ。それからまた三人で話が始まった。アメリカ青年が興味深い話をしてくれた。

 ここでは路上演奏を取り締まるが、これはクレージーだ。西ヨーロッパに行けば自由に演奏が出来る。それどころか、人々はここよりもっとよくあなたの演奏を聞いてくれ、金もたくさんくれる。あなたは日本人だからそんなに金は欲しくはないだろうが。そうか、欲しいのか。あなたは飛行機ではなく汽車で旅をするのか。それはよい。路上演奏によい街を教えてあげよう。一番はスイスのインターラーケンだ。ここは景色もよく、人々もよく音楽を聴いてくれて、その上、金も沢山出してくれる。二番目はローザンヌ、橋の上がよい。次はボン、夕方がよい。次はオスロー・ベルゲン(ノルウェー)、ケンブリッジ・バークレー(イギリス)、フローレンス(イタリア)。こんな話をしてこの青年は立ち去った。

 断っておくが、この青年の話は私が自ら確認した訳ではないので、内容に責任は持てない。私はその後西ヨーロッパに行ったが、いろいろな都合で、これらの街には結局一つも行けなかった。しかし、その時の私の経験から推測すると、この青年の話はいい加減なものではないと思う。読者の参考になると思うので紹介するのだ。

 エドアルドは私に、あなたと同じ笛の演奏家に会わせてやるからついて来い、そこなら警官も来ないと言って、バーツィー通りのはずれの方に案内する。道々、私にいくら位の所に泊っているのかと聞く。彼は私を同類だと思っているので、私が一泊4000フォリント(約3000円)の所に泊っているなどと言ったら驚くだろうと思ったので、言葉を濁していると、1000フォリントくらいの所に泊っているのかと聞く。自分たちがそのくらいの所に泊っているのでそう尋ねたのだろう。私は、そうだと答えるとあまりに事実とかけ離れるので、2000フォリントくらいの所だと答えた。するとやはりエドアルドは、あなたは高い所に泊っているなと驚いていた。

横断地下道の音楽家たち (ブダペスト)

 エドアルドが私を連れていった所は、フェレンツィエク広場の近くの横断地下道の中だった。そこに若い男と、その友達らしい若い女がいた。男は日本でもよく学校の生徒が吹いているプラスティックのブロックフレーテを地下道に胡坐(あぐら)のように座って吹いていた。二人ともエドアルドから私の話を聞いていたらしく、私を見るとすぐ笑顔で近づいてきて握手を求めた。男はニコライ、女はターニャと言った。ニコライは背が高く、目が青くて鋭い青年で、見つめられるとこちらの身がすくんでしまうような感じで、日本人にはいないタイプである。フランツ・カフカのロシア人版とでも言おうか。ターニャは喩えて言えばフルシチョフの娘みたいで、人なつっこそうで愛敬があり、典型的なロシア娘という感じである。二人ともエドアルドの友達で、モルドバから来たそうである。三人は、私の尺八が聞きたいと言う。そこで『春の海』を吹いてみると、地下道の中なので、音響のよいホールのようにとてもよく響く。

 私は次に『虚空鈴慕』を吹いた。普化禅師の、奇矯なまでに韜晦的な言動。また、その遷化の際に遺憾なく発揮された風狂と孤高。武士でありながら物乞いをするという自己分裂的な境遇に追い込まれた虚無僧たちは、普化禅師の存在に自分たちの悲惨な現実を聖なるものに昇華してくれる細い一本のクモの糸のような契機を見出したにちがいない。普化禅師の遷化を弔うことは、普化のように生き、そして死にたいという彼等の祈りの表現でもあった。しかし、虚無僧たちにとっては助けの綱だったそんな勿体を付けた由緒由来も、ヨーロッパの街角で吹くときは何の助けにもならない。道行く人々には、ただ聞きなれない悲しい旋律として聞こえるのだろうか。演奏が終わると、ニコライが話し掛けてくる。エドアルドと同じように、尺八はいくらで買えるのか、どこかに先生はいないか、入門書やCDは持っていないのかと尋ねる。私は、そういう質問に対する答えを準備してこなかったので、西ヨーロッパの大きな都市を捜せば先生やCDが見つかるかもしれないという程度しか答えられなかった。

 ターニャは、私の演奏に対してリュックの上にコインを幾つか置いてくれた。そして、『虚空鈴慕』のことについていろいろと尋ねる。私は、これは人々を楽しませるための音楽ではなく、精神の修行をし、心の平安を得るための禅の祈りの音楽であり、本来は自分自身だけの音楽であると説明すると、理解している様子だった。そして、あなたは禅僧かと尋ねる。私は、私は単なるZen student(禅の生徒)だと答えた。これは、私が尺八を吹く気持ちをかなり正確に表現しているので、その後同じ質問をされるといつもそう答えることにした。ターニャは、あなたの音楽は路上で演奏するよりもむしろホールでやるほうに向いていると言った。この言葉は、琴古流尺八本曲について正鵠を得た指摘のようである。尺八本曲は、本来は虚無僧が野外で吹いたものだった。しかし、琴古流は、それを次第にお座敷芸的なもの、つまり室内楽的なものに変質させていったようである。その過程で、野趣は失われたが逆に緻密で微妙な表現が豊かになり、三味線や筝の音楽などとの正確な合奏も出来るようになったのである。

 この日、十時半頃ロシア人たちと別れて、御布施を計算してみると、757フォリントもあった。実際の演奏時間は1時間ちょっとだから、ばかにならない額である。翌日、翌々日もその位だった。その後分かったことだが、この国では普通の勤め人の年収が30万円から50万円くらいだそうで、実際に暮らしてみても、スーパーで買ったものを食べていると、一日の食費が酒代込みで800フォリントくらいだった。私は辻立ちで、その日の最低の食費に当たる日銭を稼いでいたことになる。

何のために (ブダペスト)

 八月三日(月)。今日もまた、夕暮れとともにバーツィー通りにやって来た。今日は、路上音楽家の中に、昨日までに知り合ったあの4人のロシア人たちは一人もいなくなってしまった。考えてみると、一昨日と昨日は週末だったのだ。今日は、男性二人のバイオリンとギターの合奏や、女性二人のバイオリンと電子ピアノの合奏などがある。男性二人の合奏は、バイオリンの奏者が足に鈴を付け、ジプシー風の曲を弾きながら足踏みをして鈴を鳴らしているので、華やかな演奏である。女性二人の合奏は、譜面台を立ててバロックやモーツアルトなどの演奏をしていた。いかにも音楽学校の生徒のアルバイトという感じである。たいへん演奏が上手で、いつも10人くらいが立ち止まって聞き入っている。路上演奏というものは、誰もが耳慣れていて聞き心地がよいもののほうが向いているのだろう。

 泊っている宿舎の経営者から聞いた話だが、南米からケーナとギターと打楽器のグループが来たこともあるそうである。私も以前、東京でペルーから来たグループを見たことがあるが、音楽が分かりやすいので、やはり人気があった。その時、チップをあげるついでに、どこに泊っているのか、と話し掛けたら、ホテルではなく、東中野の1日いくらで貸すアパートに泊り、そこから毎日色々な繁華街を回り歩いて演奏しているということだった。

  今日は三人ほどが私に質問して立ち去った。一人は、外国人とカップルになった日本女性である。連れの外国人に私のことを聞かれたらしく、私の側に来て、日本語と英語で、「何のためにしているのですか。Hobby, or to earn money? 」と尋ねる。「一度やってみたいと思っていたんです。」と日本人的な曖昧な答えをすると、向こうも日本人的に納得してうなづき、相手に説明しながら行ってしまった。もう一人は、ヨーロッパを放浪しているという三十歳くらいのアメリカ人である。この人も、何のためにそういうことをしているのかと尋ねるので、「精神を鍛え、心の平安を得るためです」と答えると、頷いていた。アメリカ人は、日本人のメンタリティーに対してヨーロッパ人より親近感を持っているようである。

 もう一人は、六十歳近い日本人のおじさんである。このおじさんは、私を見るや、「こんな所で修行するという方法もあったのか。」と感動した声で言って、金を入れてくれた。このおじさんの言葉は、私の気持ちに非常に近い。私も自分は「修行」のために尺八を吹いていると何となく思っている。しかし、私は何の「修行」のためにここで吹いているのだろう。またあのおじさんは、どういう意味で「修行」と言ったのだろう。「武者修業」、「日本人としての修行」、「精神修行」、「人生の修行」、「音楽修行」、「尺八修行」…。

 今日の御布施は857フォリント。

 八月四日(火)。センテンドレを見学。ブダペストから電車で約一時間半、小さな家々が、ハンガリアには珍しく丘の上までつながり、日本の飛騨高山のような所で、たいへん美しい。刺繍や木工などの民芸品をたくさん売っている。ツェントルム(町の中心の広場)で暑い昼間からバイオリンとギターの合奏をしている二人がいる。見ると、昨夜バーツィー通りで見た男の二人組みだった。夜、ブダペストに帰り、バーツィー通りに立ち寄って辻立ち。昼間の二人組みを夜はここで見た。彼等は午後から夜まで、ずっと演奏しているのだ。私は2時間ほど演奏して774フォリント。今日は誰からも話し掛けられなかった。

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