◎欧州ストリート尺八行脚 10 ◎
◎パリの邦楽家たち
一九九八年九月四日から九月十一日まで、私はパリに滞在した。パリには尺八や筝曲ののプロ・愛好家が何人かいる。私が交流した人たちは、おそらくパリでもっとも活発に活動している人たちだろう。私はそこで、尺八家のE氏、F氏にさまざまの面でたいへんお世話になり、合奏をしたり、尋ねられることで知っていることについては何でも答えた。また、数人の筝曲家とも知り合い、合奏もした。これらの人たちは私をたいへん歓待してくれて、来年、パリで私のコンサートを開く話ももちあがった。路上演奏とは違って、現に尺八や三曲を学んでいて、たまたま日本から来た私を進んで受け入れてくれたこの人たちとの交流は、私にとってもっとも意義深いものであった。私は彼等の好意にはただ感謝の念でいっぱいで、今回の訪問の成果をきっかけに今後もぜひ何回も訪れて演奏活動をしたいと思っている。、ただ、彼等との交流について、路上演奏と関係のないことについては、この文章の趣旨に合わないので書かない。彼等は私や読者たちにとって無名の人たちとは言えないので、私がここに勝手に彼等の私生活や私的な活動について書く筋合いでもない。ただ、路上演奏という面で、たいへん面白い経験をしたことについて、詳しく書きたいと思う。
◎ジプシーの車中音楽士(パリ)
九月六日(日)。E氏の家を出て一日一人でパリ見物。ルーブルで地下鉄を降り、凱旋門までセーヌの河畔を歩いたりシャンゼリゼを歩いたり、パリの中心街をぶらついたが、見物の話は省略。このパリという町、昔は路上ミュージシャンの天国だったらしい。現に15年以上前、私の弟子も、コンコルド広場や地下鉄の駅で尺八を吹き、大いに好評を博したという話を本人から聞かされて、私もへえーと思った記憶がある。ところが、今回来てみると、路上ミュージシャンなど一人も見かけない。凱旋門の近くで警官に聞いたところ、路上演奏にはパーミッション(許可)が必要であるということである。「許可なく演奏すると、罰金を取られたり、逮捕されたりするのか」と聞くと、笑って「メイビー」と答えた。警官はそう答えざるを得ないだろうが、外国の法律や条例を破りたくはないし、現に路上演奏家など一人も見かけないので、私もやめておいた。しかし、気になることがあった。今朝、ルーブルまで来る地下鉄の中で、クラリネットを吹いている人がいて、私はちょっと驚いたのだ。地下鉄の中と言っても、駅ではなく、車両の中でである。するとあれはいったい何だろう。パリという町は、路上や広場では演奏してはいけないが、電車の中ではいいのだろうか。妙な規則がある町だなあ、と割り切れない気持ちだった。
さて、その帰り道、私がコンコルドで地下鉄に乗ろうとすると、駅のベンチに三人の路上演奏家が座っている。それぞれバイオリン、アコーデオン、コントラバスをむき出しに、つまりケースに入っていない状態で、持っている。私は初め、この三人は仕事を終えた帰りなのだろうと思った。なぜなら、コントラバスの弦が一本足りなかったのだ。しかし、楽器をむき出しに持っているというのは、帰り道にしては変である。それに、三人の目つきや顔つきが、何か、これからやるぞ、という感じである。私は今朝の電車内のクラリネットを思い出して、彼等について行こうと思った。電車が入ってきたので、彼等も私も乗ろうとする。と、彼等の中の誰かが他の二人に、「乗るな」というような指示を出し、三人は電車をやり過ごした。私もすぐ電車に乗るのをやめた。彼等は、電車が混んでいるので、次の電車を待っているのだ。私は彼等と同じベンチに座って、話しかけた。私もあなたたちと同じミュージシャンだ。ポリスはパーミッションが必要だと言ったが、本当か。「そんなもの必要ないよ」と一人が答える。すぐ次の電車が来る。今度は空いている。三人はそれっと電車に乗る。私も一緒に乗った。ドアが閉まるや否や、三人は演奏を始めた。流行歌をブカブカドンドンと弾くような演奏である。次の駅に止まるまでに2曲も弾いた。しかも演奏が終わるや一人が財布のようなものを持ってささっと車両の中を回り、金を集める。後で計ったのだが、地下鉄の駅と駅との間の所要間は平均1分50秒である。その間にこれだけの事をやるのだから、まさにあっという間の早業である。2駅くらいで彼等はこの車両を降りたかと思うと、今度は隣の車両から彼等の音楽が聞こえた。
私は驚いた。その上、いろいろな疑問が湧いてきた。彼等は条例に違反している。しかも、彼等の音楽はたいしたものではない。現に、コントラバスの弦が一本足りなくても弾いてしまうような、やっつけ仕事である。また、彼等は金を強要するわけでもない。払いたくなければ払わなくてもよい。集める時間もきわめて短く、払う準備をしておかなければ払いそこなうくらいである。しかし、多くの乗客が金を出した。これはいったいどういう事か。
彼等がいなくなった後、私は近くの乗客の一人に聞いてみた。エクスキューズ・ミー。あなたはさっきのムジークに金を払いましたか。答えは「ウイ」である。あなたはさっきの音楽が好きですか。いい音楽だから払ったのですか。するとその人は、明らかに困ったという表情をした。電車の中で、外国人の私が突然妙なインタビューを始めたので、周囲の乗客たちもこちらを注目して聞いている。私は彼らにも同じ質問をしてみたが、皆説明に窮したような顔をする。中に、「電車の中で音楽を演奏するのは、いいことだ」という人もいたが、顔を見ると、何か言い訳をしているような顔つきである。
後で聞いた事だが、彼等はおそらくジプシーだということだ。彼等は許可を得ていないので、広場や駅では演奏出来ない。警官が見回るからである。しかし、地下鉄の車両の中なら、まず警官はいない。いたら乗らないか演奏しないのだろう。そしてパリの市民はそれを容認するだけでなく、金さえも払うのである。
◎サン・ジェルマンの店頭ライブ(パリ)
私は前に「路上ミュージシャン」と「店頭ミュージシャン」とを区別し、私は「店頭」の方はやるつもりはないと書いたが、この日「店頭」の体験をした。それについて書こう。
Eさんは、私が路上演奏に興味を持っているのを知って、私をサン・ジェルマンに連れていってくれると言う。そこは昔からストリートミュージックの名所のような所で、許可がなくても黙認されているに違いない、また、そのすぐ近くに彼の日本人の友人で尺八を吹く、Kという人が奥さんと一緒に住んでいるので、私を彼らに紹介してくれると言うのである。
サン・ジェルマンに行ってみると、なるほどもう既にフルートとチェロの合奏で「店頭」をやっているミュージシャンがいる。音楽を聞くと、現代の作曲で、斬新な旋律と和音、しかも耳に心地よく分かりやすい、なかなかしゃれた曲である。クラシックばかりのウィーンと比べて、さすがにパリだと思わせる。時刻は九時半頃だった。Eさんは、まずK氏夫妻の家を訪問し、その後で演奏をしようと言う。ここはパリの下町の繁華街なので、深夜を過ぎても人出は減らない、演奏はいくら遅くても大丈夫だと言うのである。そこでまずK氏宅を訪問した。私の旅行の話などをしながら飲みかつ食い、話は当然路上演奏に及んだ。そろそろお暇して、これからストリートで尺八を吹くつもりだと言うと、K氏は興味を引かれて、自分も尺八を持って一緒に来ると言う。外に出ると、私、E氏、K氏、それからE氏が急遽電話で呼び寄せた彼の弟子の若者も加わって、四人でサン・ジェルマン通りへ出かけた。
私は今回は一人ではないので、今までとまったく気分が違い、実に気楽で、他のミュージシャンと同じように「店頭」でやって見ようという気になった。すぐ手ごろなレストランを見つけ、二人を誘うと、二人は何故か急に尻込みして尺八を出さない。こういうことは、ぐずぐずしていると夜が明けてしまうので、私は真っ先に一人で「千鳥」を吹いた。演奏の間中、酔っ払いが私に付きまとい、私を拝む真似をしたり、レストランの客に向かって、私の事を大声で何か話していたが、まったく気にならない。この頃、私は既に回数を重ねて度胸が座っていたこともあるが、何と言っても仲間がいるという事が大きい。一人の演奏と複数の演奏では、その路上演奏における精神状態は本質的に違うというのは、私の音楽心理学上の大きな発見である。この違いは、舞台における独奏と合奏の精神状態の違いよりはるかに大きい。舞台における合奏相手とは、単なる音楽上の繋がりしかないが、路上に於ける合奏相手は、いざと言う時、敵に対する味方・同盟者になる。特に男性は頼りになる。私は駄弁を弄しているのではなく、一人門付けをして歩いた虚無僧の孤独を想像しているのだ。
「千鳥」を吹き終わると、私は怖じ気づくKらを叱咤してレストランの客から金を集めさせた。この表現は私のその時の気分を多少誇張したもので、他意はない。次に、E氏を無理に誘って「鹿の遠音」を合奏した。これは、金をくれた人たちに対するお礼と、合奏、それも日仏合奏の「鹿の遠音」をぜひフランス人に聞いてもらいたいと言う気持ちだけである。演奏が終わると、「もういいでしょう。山戸さん」と怯むK氏たちを尻目にもう一軒のレストランで同じ事を繰り返した。K氏と別れてE氏の家に帰る途中、車を運転しながら、E氏が、「You
are a strong man.」と言ったが、私は別に自分が強いなどとは思わなかった。彼等がいっしょにいたからこんな事が出来たのだ。この日の収入は二十六・二フラン。
◎筝との路上合奏(パリ)
九月九日(水)。サン・ジェルマンのK氏のお宅でふと聞きつけた、「Mという日本女性が地下鉄の駅で毎朝お筝を弾いている」という情報に、私はたいへん興味を持った。もうこの頃になると、私はストリートミュージシャンであるとともに、その研究家、評論家、またはその取材記者のような気分になっていたので、ぜひそのMさんにお会いして、どんな姿でどんな音楽を演奏しているのかこの目で見、またお話を伺いたいと思ったのである。E氏に聞くと、彼はその人と知り合いだと言う。パリの邦楽界は非常に狭い。日本の邦楽界だって狭いのだから、想像がつくだろう。ほとんどすべての人が知り合い同士なのだ。私が電話すると、Mさんは関西なまりの気さくな人で、ものの1分も話さないうちに、明日地下鉄の駅で一緒に演奏しようという話がまとまった。
九月十日(木)。朝の7時半にパリのリヨン駅でMさんと落ち合い、地下鉄のバスティーユの駅に着くと、彼女はもともとよい場所を知っていて、地下道が交差して少し広くなっている所に私を連れて行き、ここで演奏しましょうと言う。我々はすぐ準備をして演奏を始めた。この日、私たちは朝の8時前から、午後2時過ぎまで演奏し続けた。休んだのは双方が20分づつ、時刻をずらして食事とトイレに行った時だけだった。私は初め、2時間くらいで演奏をやめるのだろうと漠然と想像していたが、彼女はいつも6時間くらいはやるという事で、疲れたのなら、先に帰ってもいいと言う。彼女は、これを仕事にしているのだ。そう言われて、路上ミュージック研究家の私としては、引き下がるわけに行かない。今まで自分一人で吹く時はだいたい一時間、どんなに長くても二時間ほどでやめていたが、今日は本職につきあって、約六時間、演奏し通した。路上演奏を、もし単に金を稼ぐための仕事という側面からだけ考えると、これは実に厳しい仕事である。舞台演奏であれば、例えば楽屋で休むのも仕事のうちだが、路上演奏は違う。演奏を休んでいる間は絶対に金は入らない。
曲は、『六段』、『千鳥』、『春の海』、『荒城の月』、『さくら』などを繰り返し合奏で演奏する。『荒城の月』や『さくら』などは、独奏・合奏・アドリブの部分などを適当に混ぜて、それらしくまとめる。また、彼女がいない時は、『鹿の遠音』、『巣鶴鈴慕』などを吹いて座をつないだ。この日の演奏で、次のような事が分かった。
まず、演奏者の資格だが、パリ市内で路上(地下鉄の駅の構内なども含めて)演奏をするには、市の発行した正式の許可証が必要である。彼女はそれを服に付けていた。これを取るには、半年だか一年だか忘れたが、一定期間ごとに行われるオーディションにパスしなければならない。この許可証を持たない演奏家はたくさんいるが、すべて条例違反であり、警官に見つかれば演奏を止めさせられる。もちろん、度重なればもっと重い罰があるかもしれない。私が今までに見た地下鉄の車中の演奏や、私自身がおとといサン・ジェルマンでやった店頭演奏などは、ほとんどが無許可の違法行為という事になる。もちろん、この日の私の演奏も厳密に言えば違反だが、警官が来た時に彼女が自分の許可証を見せ、私の事をうまく言いつくろってくれたので問題にならなかった。見回りに来た警官は、二言三言彼女と話し、笑顔で「メルシー」と挨拶して、すぐ行ってしまった。
次に私が感じたのは、パリでは、というより、ヨーロッパでは、筝の方が尺八よりはるかに魅力的な楽器と受け止められるという事である。筝と尺八の合奏と言っても、通行人の中には、まず筝という楽器に目を止めて立ち止まる人が多い。それは女性だけでなく、男性も同じである。ヨーロッパには、構造や演奏法が筝と似ている楽器は、まず、ないと言ってよい。彼等は、それがものめずらしいらしく、非常に熱心に知りたがり、演奏中も筝のすぐ側まで来てまじまじと眺めたり、演奏の合間にMさんに質問する人も多かった。これは、例えば『春の海』のように、わたしが、尺八が主だと考えている曲でも同じだった。Mさんは質問を受けるたびに爪や柱や絃などの部品、それらの素材、また、押し手やピチカート、サラリンなどの技法についてフランス語で説明していた。演奏家の腕前は別として、一般的に、筝という楽器は、ヨーロッパ人の目には見慣れない不思議で神秘的な機能と形をもった楽器と受け取られるようである。これに対して、尺八という楽器は、それほど人々の好奇心を引きつけない。それは私がこれまで路上演奏で感じた事とある程度一致していた。尺八は、楽器としては大して珍しくない竹の縦笛であり、演奏法も容易に理解される所から来ると思う。
筝と尺八のこの与える印象の違いは、楽器の見かけや構造だけではなく、音楽の違いにも理由が求められると思う。筝という楽器が、多彩な音色と和音をいくらでも連続的に奏でる事が出来、ギターなどよりよほど派手な、場合によってはピアノよりも派手な印象を与える事が出来るのに対して、尺八は基本的に単音楽器であり、音は地味である。細かい音符の早い動きなどはフルートに及ばない。一つ一つの音の表現力はフルートより勝っているが、それは音楽をよく知っている人が初めて感じ取れる事で、通行人がふと耳をとめてすぐに分かるというものでもないのだろう。
そういうわけで、この日の合奏は、ただでさえ魅惑的なお筝の演奏に、それほど面白味がないとは言え、尺八が加わって二重奏となったのだから、Mさんのいつものお筝の独奏にも勝る賞賛を博した事は間違いない。収入も私の今までの実績とは桁違いに多かった。しかし、額については、これはむしろMさんの演奏であり、彼女のプライバシーなので、ここに書く筋合いではない。この日、私たちに話しかけてきた人は実に多かったが、既に書いたように、その大部分はお筝に対する質問だった。私に対する感想で一番嬉しかったのは、パリに留学してピアノの勉強をしている日本人の女性が、30分ほど私たちの合奏を聞いてくれて、「こんな所で日本音楽の合奏が聞けて、何かすごい得をしちゃったみたい。尺八の音って、音と音の間にものすごく遊びがあるんですね」と言ってくれた事だった。