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◎欧州ストリート尺八行脚 6◎

誕生パーティー(バーゼル)

 一九九八年八月二十六日(水)。次の私の訪問先は、スイスのバーゼルのフーゲンシュミット夫妻である。この夫妻の奥さんの方は、カティヤさんと言って、今では五十歳のオバサンだが、私の高校時代のペンフレンドである。私はカティヤさんが結婚してから、この夫妻を訪問するのは今回で三回目である。ペンフレンドとは言っても、別に今でも文通しているわけではない。ただ、たまたま私がヨーロッパを旅行すると、何となく立ち寄るという感じで、向こうも私と気が合うのか、夫婦で歓迎してくれ、家に泊めてくれる。今回は今日が旦那さん、つまりフーゲンシュミット氏の五十五歳の誕生日だと言うので、そのパーティーに出席して尺八を演奏する目的も兼ねて訪問したのである。彼等のアパートに着いたのは四時半くらいだった。最近引っ越した家だそうで、アパートと言っても、日本のような高層住宅ではなく、通りに面して二階建ての家が長屋のように並んでいて、一つ一つの家には広い裏庭が付いている。一つの家の広さは日本の4DKくらいだが、裏庭は建物部分の敷地面積の三倍くらいある。フーゲンシュミット氏は中学校の先生で、カティヤさんは専業主婦だから、失礼ながらそう金がある方でもないようだ。それでこの庭の広さだから、私は日本の家、というか自分の家と比べて改めて驚いた。

 さて、フーゲンシュミット氏は五時頃勤務先の中学校から帰り、私たちがこの庭で雑談していると、一人の客がやってきてすぐ帰っていった。フーゲンシュミット氏が私に言うには、その人は、今日の七時からのパーティーに出席出来ないのでわざわざ挨拶に来た。あなたの尺八が聞けなくて残念だと言っているので、今尺八を吹いてくれないか、近所に住んでいるのでこの庭で吹けば聞こえると言う。私は少し驚いた。アパートの庭で尺八を吹けば、近隣一帯に音が響くだろう。そんな事をして、苦情が来ないだろうか。私がそう言うと、今度は彼が驚いた。音楽を聴かせてもらって苦情を言う人などいるはずがない。あなたがここで尺八を吹けば、近所の人は皆それを聞いて喜ぶに違いない、と言う。これはだいぶ日本とは様子が違う。それでは、と私は、『津軽山唄』を吹き始めた。すると、彼が言った通り、アパートの近隣の窓が次々と開き、皆が熱心に聞いている雰囲気が伝わってくる。そして演奏が終わると一斉に拍手をしてくれた。こんな経験は日本ではしたことがない。私はまたまた驚き、近隣の窓に手を振って挨拶しながら、大いに感激した。

ドイツ語の俳句と川柳(バーゼル)

 フーゲンシュミット氏の誕生パーティには、近所の人や彼の同僚などが集まり、庭にテーブルを並べて飲みかつ食い、私も『巣鶴鈴慕』を演奏して大いに盛会だった。

 この会で、私が驚いた事がもう一つある。出席していた近所の人の中に、フーゲンシュミット氏と同年輩のマダムという感じの人がいたが、その人が、自分は俳句が趣味だというのである。別に先生に付いて習っているわけではなく、自分で本を読んだり、それを真似て作っている、芭蕉や蕪村も面白いが、自分は特に一茶が好きだという。私はとても興味を持ち、あなたが持っている俳句の本を私に見せてくれないかというと、すぐ自分の家から持ってきてくれた。その本を見ると、芭蕉・蕪村・一茶・子規などの日本の代表的な俳句がドイツ語訳で書かれている。中にはもちろん、私の知っている俳句もある。私の知らない俳句でも、ドイツ語で読むと面白いものもあった。ドイツ語の原文は控えるのを忘れたが、「春風が、路上を子供たちであふれさせる」、「夏の暑さが、しとやかなレディーさえしどけなくさせる」というような意味の俳句などがあり、私はスイス人たちにその意味を説明したりした。この人は、川柳の本も持ってきて、周りの人に見せていた。読んだ人たちは、一句一句の川柳の感想を話し合い、同感したように大笑いしていた。フーゲンシュミット夫妻を含めて、会に出席した人は皆、彼女が俳句や川柳の本を読んでいることは初耳だったらしく、また、俳句や川柳をまじめに読むのも初めてだったらしい。誕生パーティーの後半は、時ならぬ俳句・川柳勉強会で大いに盛り上がった。

路上演奏の規則(バーゼル)

 八月二十七日(木)。バーゼル滞在の二日目。ご主人は学校に教えに行っているので、カティヤさんが町を案内してくれる。バーゼル訪問は今回で三度目なので私も町の様子を大体は憶えていて、昔の思い出話などをしながら散歩をした。散歩していると路上ミュージシャンを見かけたので、例によって、この町にはどういう規則があるのか聞いてみた。すると、市役所に行けばその規則が貰えるという。小さい町ですぐ近くなので、散歩のついでにその規則書をもらいに行った。

 私は今その現物を持っているが、この規則書、条例の文章そのものではないだろうが、スイスの国柄と法律に関する考え方の一端が現われていて、読んでみると実に面白い。ここで、具体的に読みながら解説を加えよう。

 まず、この規則書はまったく同じ内容が英・独・仏・イタリアの4ヶ国語で書かれている。多言語国家スイスだから、これは当然だろう。まず冒頭に大きな活字で「親愛なるストリート・ミュージシャン諸君!」と表題が書かれている。次に前文でこの規則の趣旨を説明している。

 「…バーゼルでは1981年以来、特別の許可を取らず路上や街角で音楽を演奏することが認められてきました。」と、過去の歴史から説き起こしている。

 「このリベラルな政策は大部分の人からは歓迎されましたが、喜ぶ人がいた反面、困る人もいました。なぜなら、ご存知のように、何時間でも耳を傾けていたいようなミュージシャンもいるが、逆に一つの曲の下手な演奏を何度でも繰り返して、近隣の迷惑を全然気にしない連中もいます。」と、現今の制度の問題点を指摘し、

 「賛否両論のバランスを取るとことはいつも難しいもので、仕方なく幾つかの規則を作ることになりました。」と、条例制定の必要を訴え、

 「法律を作ることはこの問題のベストの解決法ではないかもしれません。しかし、他にもっとよい方法が見つからないのです。(but who knows a better one?)」と、やむなく法律を制定するとの趣旨を述べ、

 「他人といざこざが起きなくても済むように、ここに幾つかの適切な法律上のルールを定めます」と結んでいる。

 次に条例の本文だが、文章の段落の切れ目に大きな八分音符がデザインされている。つまり、これだけで、路上ミュージシャンに対するバーゼル市の基本的な歓迎の姿勢を表している。簡単に要約すると、

 ♪バーゼル市内の道路と地下道で楽器を演奏してもよい。

 ♪ただし、月曜日から金曜日は午前11:30から午後1:30までと、午後5:00から10:00まで。土曜日は午前11:00から午後10:00まで。(日曜日は禁止)

 ♪近隣のすべての人があなたの音楽の熱狂的なファンとは限らないことを考慮して、同じ場所で30分以内の演奏だけが許される。

 ♪ドラム・タンバリン・トランペット・バグパイプ・ボンゴなどの音が大きい楽器、また、アンプ付き楽器やCDプレーヤー・テープレコーダーなどは使用禁止。

 ♪楽器ケース・帽子・皿などで金を集めてもよい。

 ♪このルールを守ろうとしない者は、立ち退かなければならない。

 ♪極端な場合は、法律上の問題になることもあるので、心するように!

となっている。そして、最後に、「みんなの権利を守ることに協力してください。サンキュー! あなたがたのバーゼル州警察」とあり、バーゼル州の紋章が描かれている。

 3番目の規則はユーモラスに書いてあるが、事実上空文である。実際、私も他のミュージシャンも30分などという時間は守らなかった。

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