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◎欧州ストリート尺八行脚 4◎

路上インプロビゼーション(デュッセルドルフ)

 一九九八年八月十五日(土)。ウィーン発、デュッセルドルフ着。八月十六日(日)。昼間はリチャードさんがラインの岸を案内してくれて、昼食をご馳走になった。夕方ミュンヘンへ行くという忙しいスケジュールの中、とても気を使ってくれた。彼は何とかいう薬会社の販売担当だというが、三十歳という若さなのに、日本経済の仕組みの欠点まで非常に詳しく知っていて、また、ドイツ的な生き方やドイツの社会制度に非常に自信を持っている。日本の若いサラリーマンには見られない、自立したプロフェッショナルなビジネスマンという感じである。日本経済の低迷についてもよく知っていて、日本の銀行は非常に問題があるとか、小渕総理では問題が解決出来ないとか言っていた。日本では常識のことだが、ドイツのビジネスマンの口からそんなことを言われると、日本社会の規制緩和の遅れが世界的な問題になっていることを実感した。

 リチャードさんは今年の秋から中国の天津に行って、そこの支社長になるのだそうである。中国人は日本人よりもっと資本主義を理解していないし、自分たちが世界の中心だと信じている。また、彼等には人権と言う観念が少ないから気を付けた方がよい。日本人は中国人の悪口はあまり言えない立場だが、これは本当のことだ、と言ったら、ある程度理解を示した。

 夕方、ライン川岸に近い下町の繁華街、マルクト広場近辺を歩きながら、例によって辻音楽師の状況を視察。世界中のエスニック料理のレストランが並ぶ人通りの多い通りから5メートルほど入った路地で、一人の青年がギターのケースを横に置いて休んでいる。声をかけると、これからここでギターを弾くそうである。ここで演奏するのに、警察の許可が必要かと聞くと、「全然そんなものは必要ない。あなたはどこから来たのか。そうか、日本か。日本はすばらしい。私も二年後に行こうと思っている。私がツーリストかって? ノー。私はツーリストではない。ヒューマン・ビーイングだ。あなたと同じだ。私はマケドニアから来た。アレキサンダー大王の生まれた国だ。昔はユーゴスラビアだった。しかし私はマケドニア人ではない。ヒューマン・ビーイングだ。そうか、あなたもストリートミュージシャンか。楽器は持っているのか。そうか、では出してみろ。へー、それが日本のフルートか。自分で作ったのか。何か吹いてみてくれ」

 じっくりと偵察するつもりが、あっという間に辻音楽師の仲間になってしまい、私はまず、『砂山』と『浜辺の歌』を吹いて聞かせた。すると彼は、今度はギターと合奏しようと言い、尺八の音に合わせてギターを調弦した。今度は一人で色々な曲を弾きながら、これは有名なロックだ、この曲は吹けるか、などと言う。私はロックなど全然知らない、日本の伝統音楽を演奏するのだと言ったが、彼はそんなことは全然気にしない。日本には日本の音楽があり、マケドニアにはマケドニアの音楽がある。しかし、我々は現代のヒューマン・ビーイングだ。現代のインプロビゼーションをしよう。あなたは何か自分で作曲したか。これは私が作った曲だ。あなたの楽器で吹いてみてくれ」と言って、口笛で節を教えながらどんどん伴奏を始めた。

 吹いてみると、Gつまり尺八の「レ」以外は全部メリ音で、ツのメリ、チのメリ、ヒのメリ、明けヒのメリなどが主な音で、フラット4つくらいの調性である。とても吹きにくいが、今ここで細かいことを言っても通じる相手ではないので、ともかくギターに合わせて吹いた。私は普段ジャズなど吹いたこともないが、不思議なもので、二、三回繰り返すうちに思いの外に面白いセッションが出来上がる。調性に合った音を適当につなぎ合わせて吹いているとそれなりに旋律は出来るし、和音も合う。何度も繰り返すうちに、ムラ息、トリル、ゆり音などを混ぜて、自己陶酔とまではいかないが、かなり乗ってくる。すると、それほど多くもない通行人の中に、こちらに笑顔を向けて注目して通る人もいる。そのうちには、何人かが立ち止まって聞き入り、曲が終わると拍手までしてくれた。私は彼等に、「Just instant music.」とか何とか言ってお詫びと感謝を示しながら、内心は自分がジャズのミュージシャンになったようで、とても面白かった。それだけではない。私が今度は『荒城の月』や『春の海』を一人で吹くと、一人二人ではあるが、立ち止まってじっと聞き入り、終わると握手を求めて話しかけてくる。

 そんなわけで、今日も一時間ほどの演奏だったが、たいへん楽しかった。青年は、働いたり演奏したりしながらヨーロッパを旅しているそうである。そして別れ際に、「音楽は楽しいけれど、金にはならないぞ」と言った。現に今日は一銭にもならなかった。そもそも賽銭箱など置いてないし、たまたま出会った二人が、道端で合奏を楽しんだだけだから当然だろう。青年も、そんなことはまったく気にしていない様子だった。

 八月十七日(月)。今日も夕暮れになり、昨夜と同じ場所に来てみると、昨夜のマケドニア青年はもういないだけでなく、他に何人かいた路上ミュージシャンも姿を消している。今日は人通りも少ない。昨日は日曜日だったので人通りも多く、路上ミュージシャンもいたのだろう。ただし、「店頭ミュージシャン」は今日もいる。どういう事かと言うと、私が言う「路上ミュージシャン」とは、路上で勝手に演奏し、その前に賽銭箱を置くだけで、金のことは通行人に任せる演奏家のことで、日本で言えば「辻立ち」であろう。しかし、「店頭ミュージシャン」とは、レストランの前などにテーブルがたくさん並んで客が食事をしている所で演奏して、演奏の合間に金を集めて回るタイプである。もちろん、金を払うかどうか、また、いくら払うかは客の勝手だが、目の前で演奏されたり、まして顔が合って微笑んだり、また、少しでも聞き入ったりすれば、何となく金を払わざるを得ないムードになる。日本で言えば、「門付け」と言うことになろう。「路上型」の方はただ演奏していればいいが、「店頭型」の方は、演奏中も、また金を集めるときも、ある程度愛想がよくなくてはいけない。これは私の性格からも尺八演奏上の制約からも無理である。また、虚無僧は愛想ではなく、半ば脅迫的に金を出させたそうだが、現代ではそんな事は出来ないし、私には何の権威らしさもない。そこで私は店頭ミュージシャンたちを観察した。

 一人は、この土地の人らしい学生で、バイオリンを弾いている。この人は、昨日私がリチャードさんと昼食をしている時も私たちのレストランに現われた。演奏するのは皆がよく知っている、ベートーベンの『ロマンス』とか、ドビュッシーの『亜麻色の髪の乙女』とか、その類である。あまり上手ではないので、音楽学校の生徒ではないだろう。演奏が終わってお皿のようなものを持って恭しく客の中を回ると、ちらほらと金を出す人がいる。それとなく見ていると、もらう金は日本で言う5円、10円、50円のような小額の貨幣である。それでも、長い時間、また長い期間やれば案外多く集まるだろう。もう一人は南アフリカあたりから来たらしい黒人のアコーディオン弾きである。これもまったく同じで、モンティの「チャルダッシュ」を弾いていた。

 この『チャルダッシュ』という曲は、私が今回の旅行の中で、特に店頭ミュージシャンの演奏で一番多く聞いた曲である。バイオリンで、手が難しい所は省略して弾いている人もいた。情熱と哀愁があり、音色とテクニックも聞かせるので人気があるのだろう。店頭ミュージシャンは、人気のある曲を弾く必要があるのだろう。そこへ行くと、路上ミュージシャンは、昨日のマケドニアの青年のように、どちらかと言うとマイペースの人が多い様である。

キーン教授と数学者たち(デン・ハーグ)

 八月十八日(火)。午前中はライン川の岸辺でうろうろし、14:37デュッセルドルフ発、ユトレヒトで乗り換えて15:30頃デン・ハーグ着。tram(市電)に乗ってキーン教授の家に着いた。日本から持ってきた酒が、途中のハンガリーで酷暑の中に二週間も置かれていたので、これは既に酒ではなく、「Hungarian lemonade made from Japanese Sake」になっていないか心配だと言いながら渡した。夕食後、スヘフェニンフェン海岸で、北海を見ながら教授・奥さんと三人で酒を飲んだ。

 キーン教授は、オランダの王立コンピュータと科学研究所という所の数学の教授である。国籍はアメリカで、奥さんがオランダ人。日本には、慶応大学や九州大学などで講演をするためによく来るのだと言う。確率論が専門で、私にはよく分からないが、たいへんな学者らしい。私が彼と知り合いになったのは、今年(一九九八年)の三月、友人に紹介してもらったのである。東京の表参道で待ち合わせしたが、友人が、私の尺八を是非彼に聞かせたいと言うので、青山学院大学の構内の人気のない研究室の裏のような所まで三人で侵入して、『千鳥』を聞いてもらった。彼は大変喜んで、ヨーロッパに来たら是非自分の家に来いと言う。私はヨーロッパ旅行の計画を話し、三日ほど泊めてもらえないかと言うと、もちろんオーケーだと言う。私が、「三日間も泊めてもらって、あなた方にとってtroublesome ではないか」と尋ねると、彼は笑ってこう言った。「そうだ、troublesome だ。なぜなら、たった三日では、あなたと十分に知り合えない。せめて一、二週間はいてほしい」私はびっくりしたが、相手が外国人なので文字どおりに受け取って、好意に甘えることにした。そういう訳で、私は今回の旅行中、彼の家に全部で十日間も泊めてもらった。

 キーン教授はたいへん多くの友人を持っている。私の滞在中も、日本人の数学者を共同研究のために日本からわざわざ自宅に招いて泊らせたり、同僚の数学者を呼んでパーティーを開いたりした。私はそういう場で何度か尺八を吹いた。面白いことに、数学者たちは尺八を聞くと、曲の意味や邦楽独特の音などに興味を示し、理屈っぽく質問してくる。例えば、本曲の「消し」についてだが、延ばした音の音程をなぜ最後にすっと下げるのかなどと尋ねる。私は、物事の終わりをはっきりと示すためだなどと答えた。また、尺八の作り方についても細かく質問する。中の空洞の形によって音色が決まるので、二十分の一ミリ程度まで測定しながら、試行錯誤を繰り返して理想の音が出る形を作って行くのだと説明した。すると彼等は、どのような形にするとよい音が出るのかと質問する。私は、そこが一番難問なので、是非あなたたちの数学の力で計算して欲しいと冗談を言った。

マドゥローダム(デン・ハーグ)

 八月十九日(水)。昼前、スヘフェニンフェン海岸近くの彫像美術館を見た。私は美術はよく分からないが、キーン教授がとてもよい美術館なのでぜひ見ろというので見に来たのである。Karel Appel(1921〜)という人の個展をやっていた。「Sculptures without hero」という題である。美術館を出て海岸を散歩していると、店頭ミュージシャンが一人、目に入る。また、オウムに芸を仕込んで見世物にしている芸人、つまり猿回しならぬオウム回しがいる。たまたまStraat-Toesicht(「道路巡察官」のような意味だろう)の腕章を付けて警官に似たような格好で二人で見回っている黒人がいたので、話し掛けた。「Are you polices?」と尋ねると、自分たちはポリスではないが、ポリスと協力して海岸でスリや置き引きや迷子に対処するために巡回しているのだと答えた。私は店頭ミュージシャンやオウム回しを指して、ああいうものは取り締まらないのかと聞くと、「ああいう仕事は許可を得てやっているのだ。許可がないのなら、取り締まりの対象になる」と言った。「では私が公園で楽器を練習したら取り締まるのか」と聞くと、こういう人混みだけを警備の対象にしているというようなことを言っていた。

 午後は、これも博士の薦めでマドゥローダムに行った。これはミニチュアの街で、宮殿・教会・公園・住宅・工場地帯・線路・道路・空港からサッカー場まで、ありとあらゆる物がミニチュアで出来ていて、客はまるでガリバーになったような気分で見て回れる。狭い敷地なのに内容が充実しているので大受けに受けている。入場料も高いので、相当儲かっていると思われる。日本でも長崎にハウステンボスという所があるそうだが、多分これを真似たのだろう。家族連れやカップルにはよいが、男が一人で歩いても、それほど楽しいわけではない。それでも36枚撮りのフィルムを半分も使ってしまった。その色々な模型の中にミニチュアの運河があり、そこをミニチュアの船が行き交って通行する。船は運河の底に仕掛けられたベルトコンベアにつながった紐で引かれている。その船が運河の行き止まりで向きを変えて折り返すようになっている。ふと見ると、運河の底に沢山のコインが投げ込まれている。後ろ向きにコインを投げるともう一度マドゥローダムにやって来れるというわけでもあるまいが、ああ、人間というものはこんな所にも投げ銭をするのだ、と思うと、私は何か妙な気分になった。

鳳将雛のCD(デン・ハーグ)

 ハーグ滞在中、店頭ミュージシャンは見たが、路上ミュージシャンは一人も見なかった。私も、夕食はたいがいキーン夫妻と同席したので、夕暮れに街角を出歩くことも出来ないし、路上音楽研究は一休みとなった。

 八月二十日(木)。私はウィーンにいた頃から、大きなCDショップを見かけると中に入って日本音楽のCDはあるのだろうかと捜すようになった。クラシックやジャズなどの中にも、よく捜せば日本の音楽家のものがあるのかもしれないが、私はとりあえず、「World music」に分類されている陳列棚を入念に調べた。ヨーロッパでは、世界のありとあらゆる地域の音楽が聴かれている。アフリカ・インドネシア・中南米・アメリカインデアン・チベット…。ところが、日本の音楽は一枚もない。「World music best 20 1997年版」などというCDを見ると、世界地図が印刷されていて、音楽が収録された地域に赤いマークが付いているが、日本には何のマークもついていない。こういう所を見ても、日本の伝統音楽がヨーロッパではほとんど何の関心も持たれていないことが分かる。私たちが名曲だと思っている「春の海」も「六段」も「残月」も「勧進帳」も、現代邦楽の幾つかの曲も、ヨーロッパでは少なくとも大衆レベルでは何の関心も持たれていない。CDショップをざっと見回しての単なる印象に過ぎないが、これは事実として認めざるを得ないのだろう。

 ところが今日、デン・ハーグのCDショップの「World Music」の棚で、一つだけ私の知っている邦楽を見つけた。それは、「BUDDISM」と題されたCDで、表紙に大きく仏像の絵が描いてある。中身の解説を読むと、インドのお経、中国のお経、ベトナムのお経などの録音に混じって「真言宗武山派」の「般若心経」の読経などが日本の仏教音楽として収録されている。さらに一つだけ、尺八本曲が収録されていた。そこにはローマ字で小さく、「鳳将雛−山口五郎・松村蓬盟」と印刷されていた。こんな所で先生方にお会いするとは、まことにお懐かしく、感無量だった。

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