或阿呆の一生 敗北の文学
芥川作品は前期のものが高い評価を得ていますが,わたしが惹かれたのは後期の作品群でした。一番好きなのは『或阿呆の一生』です。この作品は,一般に「敗北の文学」とよばれています。自叙伝になっていたことと,自殺直後に遺稿としてでてきたことが要因のようです。
このレポートは,大学生の頃に書いた物です。文学作品に対する初めてのレポートだったので,非常に稚拙です。さらに,作品から作者像を描き出そうというセオリー無視(はっきり言って邪道)に加え,他の人の作品論や論文をほとんど読まずに書いたので,自分の主張のみとなっています(^^;)
1.芥川龍之介との出会い〜三度目の正直〜
「何かぼくの将来に対する唯ぼんやりとした不安」(『或旧友へ送る手記』)を感じ,自殺した芥川龍之介。彼との出会いは,小学生の頃に読んだ『蜘蛛の糸』を通してであったと思う。しかし,当時のわたしはこの作品をおもしろいとは思わず,当然ながら作者の名前を記憶してはいなかった。次に出会ったのは中学生の時で,『トロッコ』という作品を通してである。前回と同様,『トロッコ』に対してもわたしの興味は向かず,芥川龍之介という名を単にけっこう有名な作家で,あの有名な芥川也寸志氏(当時のわたしは割と音楽に関心があったので,作曲家である也寸志氏を知っていたのである)の父親だというぐらいにしか考えていなかった。
ところが,次に芥川と出会ったとき,わたしは彼に夢中になってしまった。それが,『或阿呆の一生』であった。『或阿呆の一生』はその文章が極限まで洗練され,彼の言いたいことがすべて書かれていると思われるのに,その巧みな表現の中に考えのすべてが隠されてしまっているような印象をわたしに与えたのである。それは,『或阿呆の一生』と『蜘蛛の糸』・『トロッコ』の作者が同一人物であることを疑わせたほど強烈なものだった。
いったい,芥川はこの作品をどのような気持ちで書いたのだろうか。そして,そこにはどのような背景があっただろうか。
2.『或阿呆の一生』に関して〜自伝とは「一生」なのか〜
『或阿呆の一生』は全部で51の断章から構成されている。題の通り「一生」を書いているが,誰の一生なのか。おそらく,ほとんどの人が芥川自身に一生だと答えるだろう。確かにその通りだと思うが,ここで注意したいのは,まだ芥川の一生が終わらないうちに「一生」として書かれたことである。自伝というのは,一般にはその「半生」を描いたものだと思う。しかし,『或阿呆の一生』は明らかに「死を覚悟して」(『芥川龍之介事典』明治書院),その題を「一生」としている。そのようにして描かれたこの小説は,芥川の自己告白的なものであり,一種の遺書ともいえるだろう。そして,この遺書を作家芥川として冷静な目で書いているところに,芥川の信念のようなものを感じるのである。
『或阿呆の一生』は人によって評価がはっきりとわかれる作品である。そのなかでも,久保田万太郎の「遂に本音を吐かず,自分をむき出しにすることなしに終わった」(『河童・或阿呆の一生』新潮文庫,解説)という評は,この作品から芥川をつかみたいとするわたしにとって厳しいものであった。芥川はかつて「誰が御苦労にも恥じ入りたいことを告白小説などに作るものか」(『澄江堂雑記』)と書いている。それに比べれば,『或阿呆の一生』は相当に芥川の心情があらわれている作品だと思う。確かに「むき出しの自分」を見せない部分もあるだろうが,かえってそこに芥川らしさを見出せるような気がする。
では,なぜ芥川は死を意識したのか。そこに至った背景や心理を追ってみたい。
3.『或阿呆の一生』の冒頭文の意味〜「作家」芥川のこだわり〜
この小説には,最初に久米正雄にあてた文章がついている。これは,「久米に託された遺稿」(『芥川龍之介事典』)であったためだが,この文章には死を意識した芥川の心情がかなり明確にされていると思われる。この中で芥川は自らを「悪夫,悪子,悪親」としている。これが「阿呆」という題と結びつくのだろう。では,芥川はこのことを本当に「阿呆」と考えていたのか。決してそうではないと思う。芥川が「阿呆」と言ったのは,「悪夫,悪子,悪親=作家としてのこだわりを持った自分」が存在したことだったのではないか。あくまでも,芥川は作家としてこの小説を書いていたのだと,主張しているように思う。また,芥川は「この原稿の中では少くとも意識的には自己弁護をしなかったつもりだ」と述べている。これは,最期にあたっての芥川の正直な気持ちだったのだろうが,この言葉があったために,前出のような評が出てきてしまったのだろう。ともあれ,この小説の中に芥川の死を意識していく過程が書かれていると見てよいだろう。ここで,この小説を読む上で重要になってくるのは「注釈」である。芥川は「インデキスをつけずに」と書いているが,現在出版されている
テキストは注釈がついているものが多く,難解な語句もあるので,すでにつけられている注釈を参考に読み進めていくことにする。
4.『或阿呆の一生』の中の芥川〜または「作家」芥川の一生〜
この小説は,20歳の彼(すなわち芥川)のできごとからはじまっている。「一生」と題しているのに,なぜ20歳からはじまっているのか。これは,芥川が生涯持ち続けていたと思われる信条である「人生は一行のボオドレエルにも若かない」(『或阿呆の一生』1.時代)という芸術至上主義観を持ち始めた頃だからだと思う。すなわち,作家(芸術家)としての芥川の誕生だったのである。この小説の始まりからすでに芥川は「人間」芥川ではなく「作家」芥川を書き残そうとしていたのではないだろうか。だが,その裏には誰にも見せたくなかった自分自身を隠しておきたい気持ちが少なからずあったとも思う。芥川の母は彼の生後9ヶ月頃に発狂し,彼を育てることができなかった。そんな母の血をひいていることに,芥川はかなり恐れを抱いていたと言われている。このような二面性を持って,この小説は書き出されたのだろう。
芥川は「憂鬱もしくはその状態はおよそ芥川の一生を貫いていた」(『芥川龍之介事典』)と言われる。このことは小説中にも表れている。「花を盛った櫻は彼の目には一列の襤褸のやうに憂鬱だった。が,彼はその櫻に―江戸以來の向う島の櫻にいつか彼自身を見出してゐた。」(4.東京)向島の桜は江戸時代から風流な物として有名だった。それが,芥川の目には襤褸としてしか映らないのである。そこには,かなり屈折した心理があるように思う。そして,この襤褸を自分自身として見つめているのである。芥川はかなり若いときから母の発狂といった忌まわしいものを背負っている自分自身に対して,憂鬱を感じていたといえよう。
このように自分自身にまで憂鬱を感じていた芥川にも,どうしても手に入れたかった物がある。「この紫色の火花だけは,―凄まじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかった。」(8.火花)芥川が命と取り換えても欲しかった火花とは何だったのか。「精神力の閃光であり,生命を燃やしつつ生きようとする精神的欲望。きわめて鋭く美しいが,一瞬の輝きのうちにすべてをこめる閃光が,彼の芸術の生命。」(『日本近代文学大系 芥川龍之介集』角川書店,注)つまり,自分を燃焼させるものであり,それは美しい芸術であったのだ。しかし,これは自分自身の憂鬱から逃れるために見つけた,ただ一つの方向だったのかもしれない。そして,この憂鬱を忘れようとますます芸術に傾いていったのだろう。
その芥川が文壇に認められる日がきた。「か細い黒犬が一匹,いきなり彼に吠えかかった。が,彼は驚かなかった。のみならずその犬さへ愛してゐた。」(11.夜明け)この文から芥川の喜びが強く伝わってくる。芥川の犬嫌いは有名で,その犬にさえ愛情を感じていることにそれがよく表れている。また,芥川の作品を批判し,かみついてくる人々の声も,今や負け犬の遠吠えに過ぎないと感じていたのだろう。この時,芥川は確かに人生の中で最も満ち足りた日々を送っていたのだ。
しかし,その日々は束の間のものであった。「人生は29歳の彼にはもう少しも明るくはなかった。」(19.人工の翼)このころの芥川は「すでに中堅作家の雄」(『芥川龍之介集』)となっていた。そして,この年は芥川にとって極めて重要な年であった。「大正8年から9年にかけて,芥川龍之介の文学は一つの転機を迎える。芸術上のマンネリズムを自覚して,歴史から現代へ下降する作風の転機をはかったのも,その現れである。」(『芥川龍之介必携』學燈社 「芥川龍之介・人と文学」三好行雄)ここで芥川は自分の芸術に明らかに行き詰まりを感じだしている。そして,それは小説中にもおぼろげながら書かれている。「遮るもののない空中をまっ直ぐに太陽へ登って行った。丁度かう云ふ人工の翼を太陽の光に焼かれた為にとうとう海へ落ちて死んだ昔の希臘人も忘れたやうに。」(19.人工の翼)「人工の翼」とは芥川にとって技巧を指し,それによって芸術世界を極めようと一直線に進んでいったが行き詰まり,そのためについには死に至るといった意味にわたしにはとれるのだ。死に至るというのは大げさかもしれないが,芸術を極めようとした芥川にとって,最も重要な技巧に行
き詰まったのは死ぬに等しいほどの衝撃だったのだと思う。
実生活にもさまざまな問題を抱えていた芥川は,関東大震災の時に焼け跡を歩きながら「誰も彼も死んでしまへば善い」(31.大地震)と考えた。それだけ,芥川の生活は暗く憂鬱なものとなっていたということだろう。そして,ますます憂鬱の度合いは増していき,それは倦怠となっていった。芥川は「『制作欲だけは持ってゐるけれども。』それは彼の眞情だった。彼は實際いつの間にか生活に興味を失ってゐた。」(36.倦怠)と言っている。日常生活に疲れた芥川ではあったが,「噴火山に何か羨望に近いものを感じた。しかしそれは彼自身にもなぜと云ふことはわからなかった。」(36.倦怠)と,それでもなお,生活欲を無意識のうちの求めていた。けれども彼はあえてそれを認めようとはしなかった。認めれば制作欲が薄れ,唯一彼を生かしているものを失ってしまうとどこかで感じていたのかもしれない。
芥川は病弱であった。昔からそうであったことを「6.病」は思わせるが,これよりも「41.病」の病気の方が直接芥川の自殺に深く関わっていると思う。芥川は不眠症をはじめとする精神的なものから来る病に襲われていた。その原因を彼はこう分析している。「しかし彼は彼自身の病源を承知してゐた。それは彼自身を恥ぢると共に彼等を恐れる心持ちだった。―彼の輕蔑してゐた社會を!」(41.病)社会とは封建社会を指すのだろうか。それとも文壇や,彼の作品を読む人々なのか。いずれにせよ,彼は社会を恐れ,自分自身を恐れ,「生」そのものにも恐れを抱いていたのである。「自分自身への恐れ」には,当然母の発狂が関わっているだろう。その血をひいた自らの発狂を,芥川はなによりも恐れていたのではないか。
そして芥川は自殺を考える。『或阿呆の一生』の中に二度「死」という章が出てくるのは,それだけ晩年の芥川が死を意識していたことを表していると思う。「度々死の彼に与へる平和を考へずにはゐられなかった。」(48.死)まさに彼の真実の叫びだろう。彼は死によって苦痛から逃れようとしていた。それしか道は残されてはいなかった。自殺を決心した芥川は「最後の力を盡し,彼の自叙伝を書いて見ようとした。が,それは存外容易に出来なかった。」(49.剥製の白鳥)と告白している。その理由を芥川自身は的確に分析した。「彼の自尊心や懐疑主義や利害の打算の未だに残ってゐる為だった。」(49.剥製の白鳥)しかし,こう書くことによって,彼は自らの自尊心を放り出したと思う。すべてを告白した彼に残されたものは「唯発狂か自殺かだけ」(49.剥製の白鳥)なのだ。
最後の章は「敗北」という題が付けられている。芥川は何に敗北したと考えたのか。行きつくところは発狂か自殺だとしている彼にとって,人生は確かに敗北であったかもしれない。しかし,それでもなお自らの姿を「刃のこぼれてしまつた,細い剣を杖にしながら」(51.敗北)生活しているととらえているところに,作家としての彼は決して敗北してはいなかったと思えるのである。「萩原朔太郎が『実に彼は,死によってその「芸術」を完成し,合せて彼の中の「詩人」を実証した」』(『芥川龍之介の死』)と語っている。」(『芥川龍之介事典』)確かに彼の芸術は死を意識した作品を書き,自殺したことによって初めて完成に至ったといえよう。
5.自殺による芸術の完成〜作家芥川の勝利〜
芥川龍之介は「芸術至上主義」の立場に立って最後までその信条を捨てることはなかったとわたしは考えている。歴史から現代へと作品の舞台は移っても,その根底にあるのもは決して変わってはいなかった。『或阿呆の一生』を敗北の記録としてとらえる向きもあるが,作家としての彼には自殺は不可欠なものだったと思う。もし彼が自殺をしなければ,『或阿呆の一生』はただの洗練された文章で,場合によっては何を言っているのかわからない作品となってしまうのではないだろうか。自殺にはさまざまな要因があったかもしれない。しかし,最大の理由は,芥川が意識するしないに関わらず,芸術のためだったのだと解釈している。「唯ぼんやりとした不安」の中に,自分の芸術の未完成が含まれていたのだとわたしは思っている。
わたしがこの作品に惹かれたのは,自らの死を覚悟してまで,芸術的に書こうとしたものだったからなのかもしれない。自殺によって完成された作品に,自分でも気づかずに心を動かされていたのだろう。
(98/08/28)