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スカーレット・ウィザード番外編

【The Ghost】


VII.《嵐》−2

 収穫作業が始まっても、やはり天候はすっきりしなかった。太陽はじりじりと照り付け、そのくせ
大気はじっとりと湿気を含み、顔から背中から汗が流れる。
「まぁ、晴れてるだけでもいいとしよう」と村人たちは声を掛け合っていたが、昼食時になると我先
にと日陰になっている大きな納屋に逃げ込み、風通しのいい席に座るとゆっくりと食事をとり、なか
なか午後の作業に入らなかった。
「夕方近くから作業始めると涼しくてよかろうなあ」とヨシュアは数人と喋っていたが、夕方の礼拝
にひっかかるとやっかいだよなあ、という結論であった。
 ともかく、そんな具合で作業の能率は落ちていたが、そのなかでもジェーンの状態は悪かった。
「あんた、体調はどうなんだい?」
 最初の朝に近所の女房が心配げに訊くと、「まぁ大丈夫だよ」と笑っていたが、夕方近くにはぐっ
たりとしていた。この暑さでの野外作業はきつかろうと、乾燥室での作業にまわされたが、やはり手
が足りないということで野外の作業に戻ることになった。
「母さん、あたし、そばで手伝ったほうがよくない?」
 デイジーが心配して言い出したが、ジェーンは笑って首を振った。
「だめだよ。おまえだって決まった班があるだろう? みんなが気にかけてくれてるから大丈夫だよ」
 3日目の夕方には作業が終わった時は周囲の目を気にして平気なように振舞っていたが、家に帰る
途中で座りこむまでになった。
「おい、ちょっとまずくねえか? おまえ、今日くらいは休んでろ」
 翌朝になってさすがにヨシュアが止めたが、ジェーンは首を縦に振らなかった。
「急に休んじゃ悪いからね。今日の作業くらいは片付けないと。それで明日、ちょっと休ませてもら
うよ」
「どうせあのちんたらした作業ぶりなんだ。おまえが休んだくらいでどうってこたあ無い」
「でもねえ。教会にも行かない、作業にも出ない、じゃ肩身が狭いよ」
 そういうと、白っぽい顔色のまま、ジェーンは麦藁帽子を手にとって外に出た。
「医者はなんて言ってんだよ?」
 家を出て歩きながらケリーは尋ねた。「検査するとか言ってたじゃないか」
「まだ結果がわからねえとか抜かしたんだよ、あの薮め!」
 忌々しそうにヨシュアは舌打ちをした。「まったく、どこが《連邦》一の医療技術だ!」
 そっと振り向いたケリーの目に写ったのは、足許がどことなくおぼつかないジェーンとそれを支え
るようにそばに寄りそうデイジーの姿だった。

「おやまあ! なんて顔色だい、ジェーン!」
 ぞろぞろと作業場に集まった時、ミセス・ピットは驚きの声をあげた。「真っ青だよ、あんた」
 ジェーンがなにか言おうと口を開くのをさえぎる。「駄目だよ。今日は休まなくちゃあ」
「でもねえ、奥さん。あたしだって村のみんなに責任てものが」
「そんなのは、元気な時に言う台詞だよ。今日は炊事の班にまわって、涼しい場所で座っておきなさ
いよ。ほら、いいから、遠慮なんていらないんだから」
 ためらうジェーンがむりやりに炊事係に入れられるのを見届けると、ケリーはなんとなく安心した。
ヨシュアに視線を投げると男も目顔で賛同の意を表してみせ、不安気に見送る娘を作業班のほうにお
しやった。
「だって父さん......」
「母さんだって無理しちゃいかんことくらいはわかってるさ。ほら、作業に行った行った」
 午前中、デイジーが心そこにあらずという風情なのを、機械を操りながらケリーは目の端に入れて
いた。昼食の時間になるとデイジーはケリーが声をかける暇もなく納屋に駆けて行き、母親が無事な
のを見てほっとしたようだった。
「そんな、心配しなくても平気だよ。ちょっと大人数相手の台所仕事をしただけなんだからね」
 ずらりと行列した働き手のボウルに具沢山のスープをよそいながらジェーンは順番が来たケリーに
言った。
「でもさ、顔色やっぱり悪いよ」
「大丈夫だよ」
 ジェーンは笑顔を作ったが、どこから見てもそれは無理やりのものだった。顔は朝よりも白く、額
には脂汗が滲んでいる。
 皿の上にスープボウルと塩付け肉の焼いたものを載せて、ケリーは当初の予定通り、またヨシュア
の脇に潜りこむことにした。
「おばさんのメシは?」
 尋ねるとヨシュアは向かい側を顎で示した。すでに1人前が置いてある。その隣は心配だと顔に大
書したデイジーで、長椅子から伸び上がるようにして母親を見つめている。
「少しは落ち着かんか、デイジー」
「まぁまぁ、親のことを心配するのを止めなさんな、ヨシュア」
 ケリーとは反対側の隣に座る村人が笑った。やがてどこかの女房が配膳を交代し、ジェーンが卓に
やってきて座った。
「大丈夫?」
 だるそうに腰掛けた母親を気遣うようにデイジーが顔を覗き込むと、ジェーンは微かに頷いた。
 やがて食前の祈りが始まり、村人は頭をたれた。ケリーが横目で見るとヨシュアは毎度のことなが
らお付き合い程度に顔を俯かせ、向かい側のデイジーは目を閉じて頭を垂れる。ジェーンはやはり頭
を垂れたが祈りが進むにつれ身体が強張るのがわかった。
 なんで今日はこんなにお祈りが長いんだよ。
 ケリーは肘でヨシュアのわき腹をつついた。ヨシュアは身じろぎしたが、さすがにお祈りの真っ最
中に立ちあがるわけにもいかず、肘でつつき返してきた。ケリーの見ている前でジェーンは膝に置い
た片手を身体にあて、もう片方で長椅子を掴んだのか身体を支える姿勢になった。
 ジェーンの顔が歪み、どう見ても限界間近になって、ようやく
「......アーメン」
 と、祈りは終わった。
 全員がいっせいに顔を上げた時、ジェーンは息を喘がせ、よろめくように立ちあがった。
「母さん? 具合悪いの?」
 慌てて一緒に立ちあがったデイジーの手に支えられ、衆人環視のなかテーブルから壁際に出ると壁
に手をついて身体を引きずるようにして数歩歩いたが、膝から崩れ落ちるように倒れこんだ。
「母さん!」
 その場に居た者が総立ちになる中でデイジーが悲鳴にも似た叫びをあげた。
 駆け寄った村人は、しかし、ためらう形で手を出しかねている。その中でミセス・ピットが皆を押
しのけ、てきぱきと指示を出した。
「男衆は戸板を外して持ってきとくれ。お医者に運ばないとね。なにぐずぐずしてるんだい! 病人
なんだよ! デイジー、あんた、おっかさんの頭を膝に乗せて座っておいで。だれか、エプロンとか
タオルで枕になるようにこしらえとくれ!」
 人ごみを掻き分けてケリーが前に辿りつくと、ジェーンは身体を痙攣させながらデイジーの膝枕で
気を失っていた。噛み締めるような表情を見ると、自分の首に巻いていたタオルを外す。
「ケ、ケリー、なにするの?」
 むりやりに口をこじ開け、タオルで猿ぐつわを噛ませるとデイジーが怯えた声で訊いた。
「こうしないと、うっかりすると舌を噛み切る」
 窒息しないように用心して縛りながら言う。
「痙攣してる間は危ないからさ」
 ようやっと男たちが戸板を運んできてヨシュアやケリーも手伝って担架代わりにジェーンを載せる
と、数人の男たちがそれを持ち上げた。
「母さん!」
 戸板に載せられたジェーンにすがりつくようにデイジーが覗きこむ。
「母さん、返事して、目をあけて!」
「無茶言うんじゃない。ほら、どかないと母さんを運べないぞ!」
 ヨシュアは無理やり引き剥がす形でデイジーをケリーに押し付けた。
「俺たちもついてったほうがいいか?」
「あたし......!」
 デイジーが叫びかける口を掌で塞いでヨシュアに訊いた。「手伝えることがあればだけどさ」
 ちらりとヨシュアは周囲を見まわし、頷いた。「まぁ来たほうがいいかもな」
「じゃあ、ちょっと片付けてから追いかけるよ。医者んとこだろ?」
「ああ。じゃあ、デイジーを頼む」
 ヨシュアが他の村人と戸板を抱えてジェーンを運んでいくのを見送ると、ケリーはデイジーに向き
直った。
「ほら、片付けて行こう」
「う、うん」
 今にも泣き出しそうなのをこらえる表情でデイジーは頷いた。大人に機械を頼み、デイジーがジェ
ーンの帽子を取りに行っている間、ケリーはふと周りを見まわした。
 心配そうな、それでいて目と目をあわさないように顔をそむける大人たち。
「バチが当たったんだな」
 呟く声に視線を走らせると、そこには村長のガルノー老人が立っていた。ケリーが顔を向けている
のに気がついて、慌てたように向こうに歩いていく。
「なぁにがバチだ!」
 舌打ちすると、出てきたデイジーを庇うように急ぎ足で歩き出した。
「......やっぱり、父さんの言ったとおり......母さんを休ませてあげればよかった」
 涙混じりの声でデイジーが呟いた。「そしたら、あんなふうに倒れたりしなかったのに......」
「そんなことない」
 ケリーは頭を振った。
「考えてみなよ。おばさんは留守番してたら他の誰も居ない家で倒れてた可能性がある。それだった
らもっと大変だよ。だから、俺たちと一緒に来たのは幸運だったんだ」
「......うん」
 男たちがたむろっている家の前につくと、大人たちはドアを開けて2人を入れてくれた。
 診療室は消毒薬の臭いが漂い、低い診療台の上にジェーンが寝かされ、難しい顔で医者が聴診器を
当てていた。
「どうだって?」
 壁際で立っているヨシュアにひそひそと尋ねたが、彼は肩をすくめただけだった。
「......わからん」
 医者は聴診器を外すとうめいた。「触診してもしこりはない。このあいだの血液検査だって、なに
もないと言って来たんだ。それなのに失神するほど痛いだなんて」
「医療用スキャナーとかあるだろう?!」
 苛立たしげな口調でヨシュアが口を開いた。「いくらここが僻地だ、変わり者の村だって言ったっ
て、そのくらいの設備はあるんだろう?!」
「馬鹿なことは言わんでくれ、ヨシュア!」
 椅子に座ったままで医者はつっけんどんな口調で返してきた。
「ここにはそんな設備は無い。どうやってそんな設備を動かせというんだ?! ここにはな、そうい
うものを動かすための発電装置なんてないんだよ!」
「無い、だと?!」
 吼えるように叫ぶと、ヨシュアは医者に飛びかかり、襟首を引っ掴んで引きずりあげた。
「こンの糞藪医者が! それでどうやって患者の命を守るって言うんだ?! ええ?! 碌な検査シ
ステムも持たずに医者だと?! てめえ、いつから産婆や呪い屋になりやがったんだ?! 医者って
のはそんなままごとで済むってぇのか、この弩腐れ野郎......!」
 見たことも無い父親の剣幕にデイジーがすくみあがるのを背後に感じて、ケリーはためいきをつい
た。医者の喉元を締め上げているヨシュアに向かうと、その腕を軽く叩いた。
「やめろよ、ヨシュア。それならちゃんとした医療設備のある場所に行けばいいだけだろ」
 ヨシュアはじろりとケリーを見下ろし、手を離した。医者は喉を擦りながら椅子にへたりこむ。
「そ、そんなことを言ってもな、ケリー」
 医者はしゃがれ声で言った。「ジェズの医療施設だってこんなのは知らないんだ。あちこちに訊い
ては回ったんだから。採血データだって......。あとは前の首都か統合首都まで連れていくくらいだ
が、それでだってちょっと......」
「わかった、家に連れて帰るさ」
 唸る口調でヨシュアが遮った。「それで方策を考える。世話ぁなったな。ケリー、手伝え」
 ケリーに手伝わせてジェーンを背負うと、ヨシュアは口許をへの字に曲げながら外に出た。ケリー
は医者を一瞥すると、デイジーの腕をとった。しかしデイジーは動こうとしない。
「ディー?」
 デイジーはケリーの手からすりぬけると、医者の前に立った。「先生......」
 だが、医者はうなだれ、首を横に振っただけだった。
「そんなこと......」
「帰ってくれ、デイジー」
 しわがれた声で医者は言った。「あんたの父さんの言うとおり、わしゃ、なにもできんのだ」
「ディー、おばさんを連れて帰るのを手伝わないと」
 扉を押し開けるとケリーは呼びかけた。「ヨシュア一人じゃ、いくらなんでも無理だよ」
 心残りの様子のデイジーと出てくると、ヨシュアは村人に囲まれていた。
「なぁに、気にするこたぁないさ、ヨシュア」
 男たちの一人が話していた。
「一人で抱えちゃ大変なのはわかってるんだし、みんなで担いでってやるよ」
「......すまんなあ」
 呟くように言うと、ヨシュアは再び戸板にジェーンを載せた。
 それに先行する格好でケリーはデイジーを連れて家路を急いだ。
「なあ、ディー。おばさん具合が悪いんだから、うちでゆっくり休めるようにしてあげなくちゃな」
 俯いているデイジーの気持ちを盛りたてるように言う。
「あのさ、ディーはおばさんに付き添ってなよ。そしたら食事も看病も困らないし、きっとおばさん
も安心してるからさ」
 農地のずっと向こうで午後の作業を始めた村人たちをちらりと見ると、左手に握っているデイジー
の細い手を握りなおした。
「大丈夫だよ。ヨシュアがすぐにいい医者を見つけて来てくれるさ。おばさんはすぐに元気になるよ」
「......うん」
 ようやく小声とはいえ返事が返って来て、ケリーはほっとした。
 家の前まで男たちに手伝ってもらうと、そこからはヨシュアがまだ意識の戻らないジェーンを背負
い、デイジーとケリーに手伝わせて寝室に担ぎ込んだ。
「2、3日は作業に出られんかもなあ」
 服を脱がされるジェーンをさすがに見ているわけにも行かず、そそくさと降りてきたケリーに、ま
だ残っていた男たちが言った。
「だが、病人の看病を優先しろとヨシュアに言っといてくれんか、ケリー」
「ああ、きっと専門の医者が見つかり次第、おばさんを連れてくと思うんだ、俺も」
 冷静な口調で言うケリーを男たちは感心したように眺めやった。
「おまえさんが落ち着いてたら、デイジーも安心だろう。じゃあ、お大事にな」
 最後の「お大事に」という台詞はケリーにとって初耳で、それでいてどこか思いやる気持ちを感じ
させてくれる言葉だった。
「お大事に、かあ」
 口の中で呟く。なんかいいセリフだな、お大事にってさ。
 村人を送りだしたドアを開け放したままでぼんやりと外を見ていると、2人の降りてくる足音がし
た。振りかえると、相変わらずむっつりとしたヨシュアと、その後ろにはしょんぼりと台所に向かう
デイジーがいた。
「で、これからどうするんだ? 医者探すのか?」
「まぁな......。ちょっと調べたいこともあるしな。なにを言ってたんだ? 村の衆は」
「おばさんの看病でしばらく作業に出なくてもいいってさ」
 ヨシュアは眉を吊り上げてみせた。「そりゃ、ありがたい」
「おばさん、まだ気がつかないのか?」
「あのひっくり返りようじゃ、そもそもへばってたろうからな。寝られるだけ寝かせてやろう」
 居間の戸棚の中を覗きこみ、ごそごそと漁っていたが、救急箱を引っ張り出すとヨシュアはさっさ
と階段を上がっていった。
「なにすんだ? 手伝うか?」
 声をかけると「いや、必要ない」と怒鳴り声が返ってきた。やがてヨシュアは元のように救急箱を
ぶら下げて戻ってくると、それをケリーに押し付けた。
「これ片付けとけ。......ちょっと出てくるからな、留守番頼む」
「父さん、どこ行くの?」
 手桶に氷を盛って抱えた格好でうろたえる娘の頭をぽんぽんと叩く。
「母さんの痛み止めを貰ってくるだけだ。ちょっと時間かかるかもしれんがな」
「......うん」
 そそくさと出ていく姿を見ていて、ケリーはヨシュアの胸ポケットに何か入っているのに気がつい
た。救急箱を開けてみたが、なにを使ったのか見当もつかない。
「......ま、いいか」
 呟くと戸棚の元の場所に箱を戻すと、まだ立っているデイジーに振りかえった。
「どうすんだ、それ?」
「......母さん、なんだか熱っぽいの」
「そうか......じゃあ、おばさんについてなよ。俺が外の仕事してくるからさ」
「え、でも......」
 いつも分担している仕事もするというのを感じてデイジーはためらった。
「心配だろ? なにかあったら呼んでくれよ」
「うん......ごめんね、ケリー。あたしのことまで......」
 涙を拭く肩を抱いてやる。
「いいんだよ。ディーが一番不安なんだからさ。元気だしなよ」
 そのままこめかみにキスをするとデイジーは真っ赤になり、ケリーも無性に照れくさくなった。
「じゃ、じゃあ、仕事片付けてくる」
 あたふたと外に出るとどっと汗が出てきた。
「ちょっと大胆だったかな」
 左の拳を口許に当て、ぶつぶつと呟く。でもデイジーの不安を取り除いてやりたくて、ああいう方
法しか咄嗟に思いつかなかったのだから仕方が無い。
「ヨシュアの奴、また医者と喧嘩してないかな」
 1年だなあ、とふと思った。去年の今ごろはまだ牛や豚の世話にも慣れなくて、デイジーにいろい
ろと教わりながら世話をしていたっけ。鶏の締めかたも覚えたし、どの茸が食べてはいけないのかも
わかるようになった。火打石を探すのも、使いかたのコツもわかるようになったし、今だったら野営
訓練でずっといい成績をとれるようになっただろう。
「......馬鹿だな、俺」
 呟く。いまさらなにを野営訓練するっていうんだ? 野営しても殺す相手はいない。殺す相手はど
いつもこいつも都市に住んでるじゃないか。
「おばさん連れて行く時に、俺も連れてってくれないかなあ」
 ため息をついた。出来るだけ早く復讐を再開したかった。道のりは遠いのだ。
 放牧に出して空っぽになっている豚小屋や牛小屋の掃除、ひよこ小屋の確認と順番に仕事を片付け
る。ひよこはケリーを見ると一斉に寄って来てさえずって餌をねだる。
「ちょっと待ってろよ?」
 水と餌を取り替え、鋭い視線でひよこに異常が無いかチェックする。ちょっと足を引きずっている
のや弱っているのや怪我をしているのがいないのを確認してほっと息を吐いた。
「おまえらまで、ディーに心配かけちゃ駄目だぞ」
 家庭菜園にまわると収穫できそうな野菜を確認する。病気のついたものは用心深く取り除いてボイ
ラーに繋がる焼却炉にいれて処分する。空腹を覚えた。
「昼メシ食ってなかったんだっけ」
 家に戻るとそっと階段を上がった。
「ディー?」
 大人たちの寝室の、開いているドアをそっとノックして覗きこむ。ドアに背を向ける形でベッドの
脇に座っていたデイジーが振り向いた。
「おばさん、具合どうだ?」
 デイジーはかぶりを振った。滑りこんでベッドを覗きこむとジェーンは眉をしかめた表情のまま眠
っていた。その額には氷水で絞ったタオルが載せてある。
「疲れないか?」
「ううん、平気」
 覗き込んだ顔は、しかし疲れているようだった。
「なんか食べるか? 喉乾かないか?」
「お腹は空いてないけど......」
「じゃあ、なにか飲むもの持って来るよ」
 階段を駆け下り、氷を水差しにつめこむと水を入れる。まず自分で飲んでみると体が冷えるのがわ
かった。
「やっぱ、こうだよなあ」
 デイジーのマグも掴んで部屋に戻ると、デイジーに差し出した。
「飲みなよ、涼しくなるよ」
 頷くと一口飲んだが、それをそのままジェーンの口許に持っていく。
「母さん、これ飲んで」
 なんとか飲ませようとするのを手伝って肩から抱え上げる。唇を湿らせるようにマグを当てると、
微かに唇が動く。
「飲んで、ね?」
 ほんの一滴のようだったが、唇の隙間に流しこむと、ジェーンは呻いて身じろぎした。
「母さん?!」
 ジェーンは息を吐くと目を開いた。
「よかったあ......」
 べそをかきながらマグを差し出す。「母さん、お水。冷たいよ。飲む?」
 腕を動かそうとするジェーンの肩を、ケリーは慌てて抱え上げた。
「そうっとだよ、そうっと」
 2人がかりで飲ますと、ジェーンはぐったりとケリーの腕に体を預けた。
「ぐあい、どう?」
「......だいじょうぶだよ」
 かすれ声で答えると疲れたように息をついた。「......暑いねえ」
 慌ててデイジーは額にのせたタオルを手桶ですすぐとのせ直したが、すぐにそれで汗の流れる首や
腕を拭く。
「ありがと......。あんたたちは?」
「暑いけど、おばさんほどじゃないよ」
 すかさずケリーが返事をした。「家中の窓やらドアやら開けたら風が通って涼しくなるかな?」
 カーテンの下がる、開け放った窓をデイジーは不安げに眺めた。カーテンは微かに揺れるだけで風
らしい風が吹いているようにも見えない。
「一雨来ないかなあ」
 ケリーは立ち上がって窓の外を見たが、ぎらぎらと眩しい空しかなく、雲ひとつない。
「デイジー、......悪いけど......氷枕をね」
 息も絶え絶えのかすれ声でジェーンが言った。「戸棚にあるから」
「う、うん」
 慌てて駆け下りていく姿を見ていると、呼ばれた。
「ケリー、うちの......ひとは......?」
「痛み止め貰ってくるって出かけた」
 枕許に近づいて覗き込んだ。「探してこようか?」
「いいよ......」
 弱々しく呟いた。「なんだろうね、ほんとに」
「医者探して首都でも行くつもりみたいだよ」
 ジェーンは疲れたのかぐったりと口も開かなかった。デイジーが氷枕にタオルを巻きつけて戻って
きた。
「母さん、枕よ」
 ジェーンは喘ぐように息を吐いた。「身体の脇にね」
 そうっと上掛けを取りあちこち具合を聞きながら置くと、ジェーンは微かに笑った。
「気持ちいい?」
 頷くと目を閉じる。安心したように母親の顔を覗きこむデイジーを見て、ケリーも安心した。立ち
上がって窓の外を見ると、ヨシュアが庭先を歩いているのが見えた。
「ヨシュアも帰ってきたよ、ディー」
 ほっとして告げる。「おばさんが気がついたって言ってくるよ」
 階段を駆け下り、ドアをあけるとヨシュアは目の前だった。
「おかえり。おばさん気がついたよ」
「ああ」
 ぶすっとした顔でヨシュアは返事をするとケリーを押しのけるようにして階段に向かう。
「なんか食う? 俺、腹減ったけど」
 ヨシュアは一瞬立ち止まったが、返事もせずにそのまま上がって行く。
「食わないのか?」
「......ああ、なんかあるならな」
「あるんじゃないかなあ」
 いそいそと台所に向かう。パンやチーズや肉を取り出すと、見よう見真似で薄く切って皿に盛り、
トマトも切るとそれを抱えて階段を上がった。どうせだからジェーンのそばで食べるのがいいだろう
と考えたのだが、デイジーが途方に暮れた様子でドアの前に立っていた。
「どしたんだ?」
「あのね......下に行けって」
「はあ?」
 ドアを見やると試しにノックしてみる。
「下に行ってろ!」
 部屋の中からヨシュアの怒鳴り声がして、ケリーは首を竦めた。
「機嫌悪いな......じゃあ、下でこれ食べよう。俺、腹減ったし」
 皿を示すとデイジーも頷いた。
「あたしもおなか空いてきちゃった」



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