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東京旅情


2013年5月〜2014年2月

「秋葉原の今昔」
 私が秋葉原に出かけるようになったのは
 コンピューターを使って商売をしようと思い始めたころからです。
 時代はwin3.1が主流のdos/vとpc98の覇権争いの時代です。
 (macは独自路線を貫いて斜陽の時代です。)
 PCを扱うメーカーは競って秋葉原に拠点を作っていました。

 その当時の秋葉原は、今思えばかなり混沌としていました。
 駅前は秋葉原デパートの怪しげな実演販売
 PCのメーカーやソフトのメーカーは
 ボールペンやクリアファイルなどの無料配布で競争し
 店頭では歩道を大きくはみ出して
 怪しげなマウスやキーボード、コードや部品が販売され
 挙句の果てには、普通にコピーされたと思われるソフトが
 路上で平気に売り買いされていました。

 そのような中、家電の街と呼ばれてきた秋葉原は
 家電を扱うお店が徐々になくなり
 そのお店はPCを扱うお店に変わってきました。
 その中でも特に1社は店舗数を増殖させ
 そのお店の前には必ずゴミ箱があり
 お店のゴミ捨てが間に合わずに
 いつもゴミの山ができていました。
 相当数のチラシやカタログが
 無秩序に膨大に配布されていたなれの果てです。

 でも、そんな秋葉原が私は好きでたまりませんでした。
 そんな、こんなで何十年、秋葉通いが続いています。

 不思議なもので、専門性の高いPCの世界から
 PCが徐々に使いやすくなるにつれて
 PCのお店が少なくなっていきます。
 その代わりにソフトから派生した
 フィギュアやグッズ、同人誌などのお店が現れます。
 それらが一般のおもちゃ屋さんや本屋さんで売られるようになると
 その世界の萌といわれる感性からメイド喫茶に発展し
 更にアイドルの聖地として変化してきています。

 独自の連続した感性により、街はどんどん変わっていきます。
 今では東京都の条例により、街にゴミが無くなり
 路上での販売も見られなくなりました。
 技術者の街からおたくの街と
 あまり普通の人が寄り付かなかった秋葉原も
 今では世界的な観光地となり
 貸し切りバスで特定の店舗に入っていく外国人や
 バックパッカーの外国人、子供連れの家族の外国人など
 たくさんの外国の方が集まる街になっています。
 (日本人はまだ特殊な人のほうが多く集まっているように見えます。)

 街は間違えなく大きな変貌を短い時間で行われているのに
 それぞれコアな部分はしっかりと秋葉原に定着しています。
 家電を扱う商店は間違えなく減ってきていますが
 電子部品や専門的知識の必要な音響、測定器などの
 特殊なお店は残っています。
 PCもハードユーザー向けのお店は残っています。
 大きなおもちゃ屋さんは少なくなってきていますが
 古物としてのフィギュア、プレミアの付いたフィギュア
 メジャーではないフィギュアなどは今でも売られています。
 行ったことは無いのですが
 メイド喫茶は質やサービスが変化しているようですし
 AKBは日本のトップアイドルになりました。
 秋葉原は特殊な街だと思いますが
 これが東京の歴史と文化だというような
 分厚い積層の様相を現在にまで持つ
 THE東京cityだと思います。

 今、東京の特徴のある都市が大きな変貌を遂げています。
 再開発の名の元に
 東京駅周辺や渋谷などが大きな変化を遂げようとしています。
 ですが、東京ですから
 古い文化や伝統は新しい形で残っていくはずです。

 私は小田急線沿線の大学に通っていたので
 クラブの飲み会は下北沢をよく利用しました。
 最近のニュースで下北沢の駅の地下化で再開発が起こり
 下北沢独自の文化が喪失するというものを見ました。
 東京で独自の文化を持つ下北沢のことですから
 再開発によって新たな重厚な積層された文化が
 構築されるものと信じていますが
 もしニュースで報道されたとおりに
 下北沢独自の文化が喪失するのであれば
 重厚な積層された文化は東京独自の文化ではなく
 江戸っ子と呼ばれる気質が生み出す文化なのかもしれません。
 最近下北沢には通っていませんが
 学生時代に大変お世話になった街です。
 是非、昔の良さを失わずに
 再開発を成功させてもらいたいと思っています。


「旧古河庭園」
 東京で美しいバラの庭園のあることで有名な
 昔の古河財閥の家で、現在東京都の財団法人が管理している
 旧古河庭園へ行きました。
 普通バラの季節は6月ですが
 近所の家のバラがほぼ見頃なのを見て
 今年はかなり季節が進んで訪れていることを感じ
 そそくさと出かけてみました。

 家から訪れる時の最寄りの駅は上中里という
 JR京浜東北線の駅になります。
 この駅がまた不思議な駅で
 ホームが崖の下、駅が崖の上というような
 感じで立っています。
 よく田舎の海岸線の駅にある構造ですが
 東京のそれもすぐそこに上野がある都心バリバリのところに
 こんな駅があるなんて…と考えてしまいます。
 たぶん、大昔の東京の海岸線の場所なのかもしれません。
 電車のことはあまり詳しくないのですが
 京浜東北線は昔の海岸線にそってできた鉄道と
 何かは忘れましたが、聞いたことがある気がします。

 駅舎からさらに高台の尾根筋は
 上中里不動、平塚神社と神聖な場所となります。
 特に平塚神社はとても長い参道を持った神社で
 不思議な雰囲気を持っています。
 ナント御祭紳は源義家、義綱、義光の3兄弟で
 関東の武将の祖ともいうべき方々を祭っています。
 鎌倉よりも由緒正しい神社といっても良いのではないでしょうか?
 ちなみに
 内田康夫原作の「浅見光彦」シリーズの
 浅見家の実家はこの周辺のようです。
 光彦のお母さんが普通に歩いているような雰囲気の街です。
 ただ、お兄さんが桜田門に通うのは少し大変かもしれません。

 平塚神社から参道を鳥居に向かって進み
 鳥居をくぐり本郷通りを渡るとそこが旧古河庭園です。
 入園料の150円を払い中に入ると
 美しい石造りの洋館が出迎えてくれます。
 美しい洋館は大正初期のもので
 洋風庭園とともにイギリスの建築家コンドルの設計のようです。
 コンドルという方は東大で教鞭をふるい
 日本の近代建築学の創生に多大な影響を与えた方のようで
 東京にある有名な洋館は、ほぼこの方の設計といっても
 過言ではないかもしれません。
 ただ、洋館の中は往復はがきで申し込まないと入れないようです。
 めんどくさがり屋の私では、なかなか機会は無いようです。

 訪れた日、洋風庭園のバラは満開でした。
 たくさんの種類のバラがまるで自らの美を主張するかのように
 大輪を咲かせて競演していました。
 バラの香りが一面に漂い、少し高貴な思いに浸れます。
 バラの季節に訪れたのは初めてだったので
 感動してしまいました。
 ただ、今までで一番たくさんのお客さんが入っていましたので
 いつもの静かな庭園散策をすることはできなかったです。

 バラの庭園に洋館、大正ロマンに思いを寄せることのできる
 魅力的な場所でしたが
 圧巻は高低差を利用した洋風庭園と日本庭園の共存です。
 日本庭園は京都の庭師「植治」こと小川治兵衛によるもので
 池を中心に回遊を楽しむことができます。

 洋館付近からは日本庭園は森にしか見えませんが
 バラ園から日本庭園に降りていく際
 途中につつじがたくさん植えられた場所があり
 自分の感性が洋から和に少しずつシフトしていきます。
 比較的細い道をしばらく降りていくと
 急に視界が開け、池が現れます。
 たくさんの形の灯篭が魅力的な石とともに配置され
 池を回遊してどの場所にいても、景色を堪能できる
 計算された美を堪能することができます。
 普通に池を回遊すると登りの勾配となり
 自然に洋館に戻っていくコースとなります。

 実は池を回遊する途中に更に奥へと続く細い道があります。
 その道は茶室に導いてくれるのですが
 特別に目立った見どころはありません。
 あまりこの道を通る人はいないようです。
 意識的に日本庭園の回遊の脇道にして
 人が入りにくい環境を作っているのかもしれません。
 もしかしたら、これが侘びという感性なのかもしれません。
 この道は最後に芝生の庭の端っこにつながっています。

 人があまり通らない道としては
 茶室に向かう道のほかに
 洋館と庭園をコの字で囲むように
 正門から裏門(現在裏門は常に閉じられています。)へ
 馬車道が通っています。
 比較的高い樹に覆われ、森の中にいる錯覚に陥ります。
 とても気持ちの良い道となっています。

 私は東京の文化は積層された文化だと思っています。
 古い文化の上に容赦なく新しい文化が生まれ
 新しい文化も古くなればさらに新しい文化が
 その上に乗っかっていくイメージです。
 ただし、その為に古い文化が消えていくのではなく
 何らかの形で、その土地や人の心に
 永久に古い文化が残っている不思議な世界です。

 だから、財閥といえども個人の邸宅と庭が
 大正初期の完全な形で残っているのは
 東京では奇跡に近いと思っています。
 都心から少しだけ離れていたのが幸いしているのかもしれません。
 貴重な文化財として
 永遠に残ってほしい庭園です。


「神田明神」
 秋葉原周辺から神田明神を目指すと
 急な坂や階段を上ることとなり
 神田明神が高台の端にあることを思い知らされます。
 極端に言えば崖の上といっても良いかもしれません。
 江戸時代、お城の鬼門守護の役目を持った神社ですので
 逆を言えば秋葉原から上野周辺などは
 鬼門の難を受けていたのかもしれません。
 でも私は鬼門云々(うんぬん)の話は
 江戸時代の後付けのような気がします。
 やはり、高台から東京の崖下を
 見守ってくださる神様だと思っています。

 実はあまり知られてはいませんが
 本殿の後ろ側、神田明神の境内に
 たくさんの神社や碑があります。
 その神社には
 「末廣稲荷神社」「三宿金刀比羅神社」
 「浦安稲荷神社」「江戸神社」
 「大伝馬町八雲神社」「小舟町八雲神社」「魚河岸水神社」
 と地名が付いていることから
 何らかの理由で信仰されていた土地を離れて
 神田明神に移ってきたものと思います。
 信仰されてきた土地を離れた神様のことを考えると
 少しさびしく感じますが
 神田明神が、それだけ広く
 江戸を見守っている神様だからかもしれません。
 私は埼玉の川口というところに住んでいますが
 広重「名所江戸百景」に川口が描かれているので
 ほんの少しでもご利益をいただけないものかと
 埼玉県なのに図々しく思っています。

 神田明神の創建が西暦730年ごろのようです。
 よく東京は、徳川家康が入るまでは
 ただの草っ原で何もない土地だったといわれますが
 少なくても西暦700年ごろは
 神様を信仰するだけの人と文化と文明を持った
 土地であったことは間違えないと思います。
 その当時の神田明神は
 現在の東京都千代田区大手町の将門塚周辺にあったそうです。
 平将門様が亡くなられたのが940年ごろといわれていますので
 心霊スポットといわれる首塚は
 それ以前から神聖な場所だったようです。
 (実際は石棺などが発見されている古墳だったようです。)

 私の通っていた中学の近くに
 氷室神社と呼ばれるひっそりとした社があります。
 その起源もやはり西暦700〜800年ごろ
 出雲系の神様を祭ったものと記憶しています。
 現在の繁栄を比べると天と地ほどの差はありますが
 その起源は何か近しいものを感じます。
 何か、東国人の魂の根底に深くかかわっているのかもしれません。
 とても想像を掻き立てる事象ですが
 私の想像力では思いも浮かばない事象です。


「ソラcityから太田姫神社」
 前に、お茶の水の東芝のビルが
 あっという間になくなった話を書きましたが
 その場所にあっという間にビルが建ちました。
 その名前は「ソラcity」と言います。
 今まで東芝のビルとして侵入不可能の場所が
 下階の食堂や広場となって我々一般の人間が入れることは
 とても気持ちの良い事です。
 中上階はオフィスとなっているようです。
 上階も一般に開放して
 素晴らしい風景を公共のものにすればもっと良いのにと思います。
 広場から見るニコライ堂は一見の価値があります。

 ソラcityができるまで私は、御茶ノ水駅の両端(橋)の
 大きな道路に挟まれた、太田姫神社へと続く
 自動車のあまり通らない道を使っていましたが、
 ソラcityから見るニコライ堂の景色が気に入ってしまって
 今では、ソラcity経由で太田姫神社に行くようになりました。
 そこで見つけたのが
 日大理工学部と三井住友海上関連の新しいビルの間の道です。
 道というよりはビルと建物の間の隙間といったような雰囲気で
 ほとんど人が合う事が無い抜け道となっています。
 周辺の喧騒がうそみたいに遮断され
 風の通る音が聞こえる道です。
 通行止めの表示が無いので通っていますが
 もしかしたら、三井住友海上の私有地で
 勝手に通ってはいけない道なのかもしれませんが…

 そして三井住友海上のビル(旧)の横を通って
 太田姫神社に行きます。
 その三井住友海上のビル(旧)の横に歩道があるのですが
 その場所だけ、ほかの歩道と異なり
 緻密に計算された植樹で
 あたかも明るい林の公園の散歩道のような場所です。
 普通の道の歩道ですから、千代田区保有の道と思いますが
 もしかしたら、三井住友海上が特別にお金を出して
 保守管理しているのかもしれないと思ったりします。
 この歩道の、その一角だけですが
 私の大好きな道の一つです。
 ちなみに、太田姫神社は現在修復中です。
 9月ごろ完成予定と聞いたことがあります。
 完成したら太田姫神社についても書きたいと思っています。


「神保町と古本の出会い」
 千代田区で歩きたばこに罰金を付ける条例が施行された時
 同時に、街をきれいにする一環として
 ポイ捨てや立て看板を禁止する方向にまとまりました。
 その際に神保町の古本屋の前の歩道を占拠していた
 格安本の棚も条例違反になる可能性もあったようです。
 格安本目当ての私は路上の棚を漁って(あさって)いる時
 よく知り合いの店員さんと
 これからどうなるのか心配していたものです。
 結局その心配は杞憂となりました。
 神保町はいつもの通り
 格安本の棚は今も靖国通りの歩道側に並んでいます。
 千代田区という日本の中心で
 杓子定規な条例ではなく
 その町の文化に沿ってルールができているのに
 とても嬉しくなりました。

 私が頻繁に神保町に通うようになったのは
 会社勤めを辞めてからなのですが
 実際に神保町で古本を買うようになったのは
 学生のころです。
 その時は神保町の古本屋さんは
 私にとっては、かなり敷居が高かったことを思い出します。
 今のように安い本を漁るという意思がなかったので
 純粋に本を探していた時の話です。
 最初は三省堂や、東京堂、書泉などで新書で本を探し
 本が見つからない時、古本屋まわりをするという感じでした。
 大抵は三省堂、東京堂、書泉をまわれば
 必要な本が見つかるのですが
 どうしても見つからない時、古書店のお世話になるという感じです。

 古本屋さんの店舗の中の棚は珠玉混合です。
 普通の装丁に見える書籍に数万円の値札が付き
 豪華な装丁の書籍にもかかわらず数千円の場合があります。
 そう言う棚を美しいと思えるようになったのはつい最近のことです。
 今では書店の棚に並ぶ本を眺めることで
 本屋の品位がなんとなくわかるような気がします。

 話を元に戻しますが
 必要な本があって、それを探す行為は
 私にとって、喜びと幸せに満ちた行為でした。
 ましてや、探して本を見つけられた時は
 天にも昇る気持ちでした。

 そう言うことが続くと
 本を探す行為から、次第に本を漁るようになります。
 私が書籍との出会いを意識するようになったのは
 本を漁ることを覚えたからだと思います。
 本を漁っていて、最初の喜びを感じた出会いは
 雪華社発行の鳥見迅彦編集「山の詩集」という本です。
 私は、その当時は写真部に入り、
 風景写真を中心に撮影に夢中になっていました。
 写真撮影のためによく低山に登っていたのですが
 その詩集をよく山頂まで持って行き読んでいました。
 今思うと、くさすぎてあまりにも恥ずかしい話です。
 「山の詩集」を見つけたのは
 まさしく、格安本の路上の棚でした。
 値段は300円くらいだったと思います。
 それから、古本との出会いを求めて
 神保町に通うようになっていきました。

 そんな私ですが、
 古本を漁るようになっても
 古本と自分の出会いを感じられる本は
 10冊有るか無いかぐらいです。
 今では本を漁ることと商売が一緒になってしまって
 じっくりと本を読んでいないことが悔やまれます。
 あるいはもう年を取りすぎて
 書籍を1冊じっくりと
 読みこなす体力がなくなっているのかもしれません。

 神保町の紀行的文章を書こうと思っていたのですが
 いつの間にか自分の思い出話をつづってしまいました。
 でも、東京都千代田区の神田神保町は
 街ぐるみで、本の出会いを求める人たちを
 応援してくれる有卦なる街です。
 もし神保町を訪れることがありましたら
 是非、敷居の高い古本屋に一歩踏み出してください。
 本との新しい出会いがそこにあるかもしれません。


「私と神社」
 私が古書を仕入れる道すがら
 柳森神社、神田明神、太田姫神社と
 複数の神社をまわります。
 更に時間のある時は
 3つの神社に加え、靖国神社と築土神社を巡ります。
 たったひとつの神を信仰する人たちにとっては
 なんて罰当たりの人間なんだと思います。
 しかし、複数の神様を信じることができるということは
 日本人の特徴で、最も根幹的に良いところだと思います。

 私はそれぞれの神社でお祈りする事柄が異なっています。
 柳森神社は仕事関係
 神田明神は家庭や生活関係
 太田姫神社は健康関係といった具合です。
 靖国神社は大変図々しいのですが
 世界の平和と安定を祈っています。
 ただ、それではあまりにも大きいお願いなので
 「私が生きている間は…」という
 かなり利己的な条件を付けています。

 私が靖国神社に向かう時
 大鳥居の少し手前、靖国通り沿いに
 コンクリートでできた本殿の後ろ側と思われる
 社殿建築を見ることができます。
 どうしても気になって、ビルの隙間のような道(階段)を行くと
 立派な神社があり、そこが築土神社でした。
 築土神社は平将門をご神体にして
 また、武道館の氏神として著名な神社のようです。
 勝負ごとにご利益のありそうな神社なのですが
 私は勝負する前に逃げてしまうタイプの人間なので
 あまり具体的なお願いはせずに参拝しています。
 しかし、都会のビルに組み込まれたような社殿は
 なぜか異次元の入り口を想像させ
 真摯に神聖な思いを受けられる感覚に陥ります。

 私がたびたび訪れる神社に
 平将門が祭られているのは全くの偶然です。
 築土神社も神田明神も
 たまたま古本を入手するための過程で訪れます。
 それでも、東京と将門の何らかの関係を
 勝手に妄想してしまいます。

 日本の正史において将門は悪党と呼ばれています。
 東国を征服して、朝廷に反旗を翻し、悪政を行い
 朝廷によって成敗されたことになっています。
 でも、私を含むたくさんの日本人は
 東国において将門は思慮深く、民衆の側に立った
 ヒーローであったと考えているのではないでしょうか?
 一番はNHKの大河ドラマの影響と思いますが
 東京で、これだけ長い間、神様として崇められているのは
 間違えなく、尊敬できて魅力的な人物だったからだと思います。
 東京と将門の関係は色々と妄想していますが
 私が文章にするには
 もう少し歴史を勉強する必要がありそうです。

 以前何かで読んだことがあるのですが
 将門を神と崇める信者の一部は、
 千葉の成田山には訪れないようです。
 それは、将門追討の護摩を焚いて祈ったのが
 成田山新勝寺だったからだそうです。
 しかし大半の日本人は
 神田明神や築土神社にお参りした後に
 成田山にお参りすることに何の疑問も持ちません。
 それは日本にはたくさんの神様がおられ
 それが人や場所、動物や植物、
 かまどなどの生活必需品にまで神様として崇められ
 神聖な信仰の対象になっているからだと思います。

 一神教を信じる方や神様を神様と認められない方は
 日本人の宗教観が許せないものであることは理解できます。
 でも、どうかそのような日本人の感性を敵視しないで
 1500年以上連続して築かれた日本の文化の一部分と理解いただき
 自分が信じている宗教の道徳観から異なる文化があることを
 ご承知の上で日本を語っていただきたいと思います。
 最近そんなことを感じています。


「太田姫神社考」
 2013年10月12日、修復中だった太田姫神社に
 ようやく参拝ができました。
 社は全体的にきれいになりましたが
 美しくなった以外、見た目、以前と大きな違いはありません。
 ただ、あの風雨にさらされてかなり細部が朽ちてきていた社が
 劣化された部分を微塵も感じさせず、
 見た目、以前と大きな違いが無いのは
 かなり高い技術の工事だったことを予想させます。
 社の屋根は瓦から銅にかわっているようです。

 大きく変わったのが
 社務所的な木造の今にも朽ちそうな家が立派に建て替えられ
 1階におみこしが展示保管されていました。
 あと、金座関係の小さな石の社がなくなっていました。
 お金にご利益のありそうな社だったので
 少し残念に思っています。

 何はともあれ、何か月も敷地の外の歩道から
 人の目を気にしてお参りしていたのが
 ちゃんと社殿にお参りできることは
 とても嬉しいことです。

 太田姫神社はJR御茶ノ水駅を挟む
 本郷通りと明大通りの間の
 細い坂をだらだら下っていく
 突き当りのクスノキの近くにあります。
 東京では最も古いお稲荷様の一つと聞いたことがあります。
 昔水道橋の駅のある場所にあったのが
 鉄道を通すため、今の場所に移されたそうです。
 今ではその場所は御神木を残すだけとなっています。

 いわれでは京都の稲荷大社の分社「一口(いもあらい)稲荷」という
 大変病気にご利益のあるお稲荷様があって
 太田道灌が娘の病気を治すためにお祈りをしたら
 ケロリと治ってしまったこともあって
 太田道灌が江戸城を作る際、城の鬼門に建てる神社として
 「一口(いもあらい)稲荷」を分祀し建立したそうです。
 また、太田道灌が病気の時、
 娘が自分が身代わりになってでも病気の回復を祈ったところ
 道灌の病気が娘にうつり、二人とも回復した
 という言い伝えも聞いたことがあります。
 どちらにしても健康に関してご利益のある神社のようです。
 その為、私は神保町へ古本を漁りに行く際
 必ず、自分と家族の健康をお祈りさせていただいています。

 最近年を取ったからでしょうか?
 やけに日本人に生まれてきてよかったと思うようになっています。
 日本にはたくさんの神様がいて
 それぞれの神様にそれぞれのお祈りができるからです。
 そして、その祈りが個人的な煩悩であっても
 神様は受け入れてくれるからです。
 そして、その祈りの届かない苦しみに関しては
 日本人は仏様におすがりすれば良いわけです。
 だから、日本人は神や仏をそれほど強く意識しなくても
 自然と人間の生活の中で
 神や仏とかかわりを持って生きていけるような気がします。
 そういうことが、なんとなく幸せに必要なことだと
 最近つくづく思います。


「神保町のサイン本」
 神保町の古書店の前に
 歩道にはみ出す形で、割安本の棚が置かれています。
 まれにその中に著名な方のサイン本が混じっていることがあります。
 そういう本を探すことは
 まるで宝探しの宝を見つけるようで、心躍る瞬間です。

 古書店によってはサイン本に
 特に付加価値を付けないところがあります。
 大昔のブックオフでは
 サイン本をただの書き込みのある書籍として扱い
 100円で販売していたこともありました。
 神保町では署名が価値を下げる要因と
 判断するところは無いでしょうが
 それでも書籍の価値そのものに 一家言あるお店では、
 署名に付加価値をあまり付けないお店もあるようです。
 そのような中で、私は掘り出し物を漁っては
 ネット上で商売をさせていただいています。

 私がヤフーオークションで商売をしていて
 私ほどサイン本を出品しているお店は無いと思っています。
 実際サイン本に関しては、
 売れ行きがあまり良くないにかかわらずです。
 当然ネットの怪しげな商売の中で
 署名の真贋をネットでの取引で判断するのは難しいことです。
 それでも、丁寧にお取引をしていけば
 ネット上の取引でも信頼関係を結べると信じています。

 実は署名における真贋を判断するのは難しいことです。
 実は当店にはその正確な判断はできません。
 どんなに老舗の古本屋でも
 その判断をできるところは少ないと思います。

 書体の違うサインがあったとしても
 本人が書いていないことを証明することはできません。
 少し書をかじった人が書体をまねてサインを入れれば
 それが本物として流通してしまうことは良くあることです。
 一流の芸能人はマネージャーが代筆をすることもあります。
 ビートルズの現存するサインの半分以上が
 マネージャーが書いたものだということは有名な話です。
 また、家族が代筆するということも良くあることです。
 谷崎潤一郎の晩年の繊細なサインは
 奥様が書いていたそうです。
 結局のところはサイン本の所有者が本物と信じる以外ないようです。
 実力不足の私でも、ご購入いただいた方々を裏切らないよう
 頑張らなくてはいけないと思っています。

 どうしてこんな文章を書いているかというと
 最近ジャニーズ系のサイン色紙のネット上の偽物販売が
 警察によって摘発されたことが原因となっています。
 すごいのはそれを立件したのが警察だということです。
 購入された方はすべて本物と判断していたようです。
 それはジャニーズ系のアイドルの方は
 サインを極力しないルールとなっていて
 それを知っていた警察が、大量の出品を疑問に思い
 アイドル本人に直接偽物であることを確認して立件したそうです。

 ただ、本の場合はそれほど簡単に立件することはできません。
 書籍の著者はどんな巨匠でも
 書籍にサインを依頼されたら、まず断る事が無いからです。
 更に新刊の書籍などは
 大きい書店にサイン本が平積みされることもざらにあることです。
 数で真贋を疑うことは困難です。

 真贋の判断が難しい以上
 結局のところ、サイン本の価値と書籍の価値に
 大きな差が無いことが理想なのかもしれません。
 ただ、私の場合はサイン本を所有することで
 なんとなく、作者が近くにいる気持ちになり
 あまり安価に値を付けられないのが実情です。

 あまり役には立たないかもしれませんが
 私が真贋を判断する基準を列記しておきます。
 参考になったら幸いです。

1.限定書籍、高額書籍の署名は本物の可能性が高い
  書籍そのものの価値が高いので
  わざわざ偽物を作らない可能性が高い。
  ただし、書籍そのものに印刷で署名を入れている場合があり、
  書籍そのものの知識が必要となる。
2.謹呈署名のほうが本物の可能性が高い
  謹呈名の無い書籍のほうが流通しやすい為
  わざわざ偽物を作る場合謹呈名を記載しない可能性が高い。
  少なくとも同じ書籍に同じ謹呈名があれば偽物と判断できる。
3.サイン本を扱っている書店で購入する
  たくさんのサインを扱っているお店のほうが
  贋作を見つける可能性が高い。

 如何にも当店が他力本願でサイン本を扱っているか
 ばらしてしまったようなものですが、
 最近少しづつ、なんとなくですが
 本物的なオーラがわかってきたような勘違いを
 持てるようになってきました。
 少なくとも、当店は条件付きですが返品返金に対応しています。
 少しでも当店の出品にご興味を持っていただければ幸いです。
 偽物屋ではない事だけは信じていただければ幸いです。
 蛇足ですが、この手の真贋の問題は
 ネット販売であろうが、店舗販売であろうが
 危険は同様にあると思っています。
 ただ、ネット上では明らかに偽物屋とわかるお店が多いのも確かです。
 私としてはできる限り
 お客様との信頼関係を
 裏切らないよう努力していくだけだと思っています。


「東京の紅葉」
 厳しい冬の気配が日々感じられるこの頃ですが
 実は東京の紅葉の季節がちょうど今頃であることを
 気が付いている人はあまりいないかもしれません。
 12月に入れば街はクリスマス一色になり
 赤と緑で飾られた世界で、
 空から浅く粉雪が舞う世界を想像してしまいます。
 そんな中で
 街路樹の銀杏並木や公園のケヤキが
 美しく、はかなく色づき、妖艶に輝いているのに
 人はあまり気づかずに通り抜けていきます。
 まあ、空っ風が一つ吹いてしまえば
 あっという間に、冬枯れの世界になってしまうのですから
 このタイミングで刹那の美に気付くのは
 結構難しい事なのかもしれません。

 北の丸公園の田安門から入ると
 武道館の前の駐車場のところにべらぼうに大きな銀杏があります。
 秋に圧倒的な黄色の黄葉を見せるのですが
 やはり武道館に目が行くのであまり知られていないのが実情です。
 武道館を過ぎて、休憩所の前で右に曲がる少し細い道を行くと
 北の丸公園の池に繋がるとても短い渓谷があります。
 そこの紅葉の美しさは都心部の紅葉では
 一番美しいと私は思っています。
 もみじを中心に渓谷に何層にもかかる紅葉のグラデーションが
 逆光を受けて燃え上がる世界は
 あたかも金糸銀糸をぜいたくに使った西陣の織物を連想させます。
 このメールが届くころには
 すでに紅葉は終わっている可能性もありますが
 街の紅葉を楽しむのは秋の終わりではなく、冬の最初だということを
 頭の片隅に残しておいても損ではないと思います。

 少し話は変わりますが
 私が今年の4月終わりごろ、神保町で本を漁り終わった後
 つつじの季節と重なったため北の丸公園をうろついていた時
 武道館から妙な
 膨大な量の集団と出合ったことを思い出してしまいました。
 なんとなく女性のアイドルのコンサートの
 帰りではないかと思ったのですが
 それにしては女性の割合が比較的大きく
 子供連れの若い家族もそこそこ混じっていたのです。
 何よりかなりの確率で
 応援のためのメッセージの書かれたTシャツが
 「へたれ」など後ろ向きの言葉が書かれていたのです。
 普通のコンサートの帰りの騒がしさは無く
 にこやかな中にも整然と、
 そして公園のごみなどを拾っている人がいるのに少し驚きました。
 最近になってわかったのですが
 そのコンサートはAKBのグループが
 連続して単独で武道館でコンサートを開いていた
 そのHKT48のコンサートが終わった際のファンだったようです。
 ちょうど指原さんが文春の恋人問題で移籍してすぐのころですので
 その応援の意味があったのかもしれません。
 そして日本全国が驚いた総選挙1位の結果も
 その一因が
 そのコンサートを見に行ったファンにあるのかもしれません。
 とても不思議な感覚に陥ったのは確かです。

 北の丸公園から本丸公園にかけての公園は
 東京の中心でありながら、
 歴史や文化、科学技術や自然の深いところです。
 現代と近代の融合した景色は独特の世界観を作っています。
 何より公園内は無料で入れますし
 周辺の施設も公共の施設が多い為。かなり安価で楽しめます。
 東京観光の際はぜひ訪れてみてください。


「初詣」
 今年も私の駄文に目を通していただき深く感謝いたします。
 できる限り月一のペースを崩さずに
 文章をつづっていきたいと思っていますので
 少しでも気に留めていただければ幸いです。

 今年は元旦に母の付き添いで埼玉県の大宮のにある氷川神社に
 2日に柳森神社から神田明神、太田姫神社に行き、
 靖国神社には向かわず、築土神社に初詣しました。
 元旦の氷川神社はたくさんの人で込み合い
 拝礼に困難を極めましたが
 埼玉の話なので省略して
 2日の初詣の話を書きたいと思います。
 (正確にはすでに氷川神社に行っているので
 初詣ではないのですが…)

 私が商品の仕入れを行う際
 その通り道に点在する神社に寄ることは
 すでに何回かこのコーナーに書いてきました。
 柳森神社は商売のこと
 神田明神は自分や家族の平穏
 太田姫神社は健康のことにお祈りをしています。
 初詣でも、その3つの神社は
 それほど混むということはありません。
 しいて言えば、神田明神は大変混むのですが
 秋葉原方面から男坂を登っていくので
 混雑する参道を避けお参りできます。
 参道から並んで参拝している方にとっては
 横からずるをしているようには見えるかもしれません。

 ここ数年は太田姫神社から靖国神社に向かうのですが
 毎年少しずつ混むようになってきているので
 今年は築土神社をお参りしました。
 今年は混雑に合わず、静かに参拝できました。

 年末に日本の総理大臣が靖国神社にお参りしたので
 いくつかの国が非難や批判をしていたので
 何かあるかもしれないと少し怖がったのも
 靖国神社に行かなかった一つの理由ですが
 年が明けても周辺諸国が比較的静かなのは
 少しだけ安心しました。

 靖国神社に総理大臣が行かれた時
 比較的よく言う言葉に
 「哀悼の意を表す」という言葉がありますが
 私は少し違和感を感じます。
 日本で一番の権力のある総理大臣でも
 やはり一介の人間なのですから
 神様に対して
 「哀悼の意を表す」ことが
 失礼に値することと考えてしまうからです。
 戦争で亡くなられた方が祀られていることは知っていますが
 人としてではなく神様として祀られているのですから
 ちっぽけな人間が神様に対して哀悼の思いを持つことは
 神様を人間と同格に扱うような気がしてしまうのです。
 ただ、神社側は哀悼の意を受け止めているようなので
 私の方がうがった考えなのかもしれません。
 日本には八百万の神様がいるのですから
 人間の哀悼の意を受け止めてくださる神様がいても
 不思議はないのかもしれません。
 ただ、そうすると
 「家内安全、商売繁盛」などの俗的な祈りは
 ふさわしくないのかもしれません。

 そう考えると不思議なもので
 大晦日の夜、凍える静寂の中
 108つの除夜の鐘を聞きながら
 1年間の煩悩をそぎ落としていきながら
 年明けには初詣で
 神様に人の煩悩から起因する俗的な願い事をするのですがら
 矛盾の極みなのかもしれません。

 ただ、そんな日本という国の日本人に生まれて
 本当に良かったとつくづく思っている今日この頃です。


「東京再開発」
 東京駅の屋根が、丸いドーム型になったのは
 つい最近のことです。
 それと同時に駅の周辺が縦へ縦へと
 次々に高層化していきます。
 大都会東京のさらなる都市化といったところでしょうか?

 高層建築が作られていく様子は
 見ているといつも感動させられます。
 あの巨大でどれだけ重いかわからない建物を支える
 分厚く大きな鉄骨が
 壁の隙間や、たまたまトラックが通った開いた扉から見えると
 スカートめくりのあのチラリズムに通じる
 胸の高鳴りを感じることができます。
 それが完成したら、わからなくなる場所ですからなおさらです。
 そんな変態的目線で
 東京駅の周辺をぶらついています。

 私が東京駅周辺をぶらつくのは
 古本を漁るために神保町へ行って
 あまり良い本を物色できずに、時間の余裕ができ
 国立近代美術館に絵を見に行って
 本丸公園の入場時間に間に合ったとき
 本丸公園を突っ切った後のこととなります。
 その際は、大手門から噴水公園を目指すか
 少し遠回りして将門塚にお参りするか
 2つのコースをその時に応じて選ぶことになります。

 噴水公園を通るときはほとんど夕方なので
 西に傾く太陽が小さな美しい虹を架けたり
 逆光に輝く水の煌めきを楽しむことができます。
 そこから東京駅へと続く道は
 皇居と駅を最短でつなぐ太い道と
 歴史を感じさせる石垣やお堀
 平然と並ぶ街路樹
 世界の首都として恥ずかしくない風景を楽しめます。

 それに比べて将門塚は
 深い高層建築の谷間に静かに存在します。
 普通の街並みにポツンとある史跡と同じたたずまいなのですが
 それが周囲の高層建築群の中に存在すると
 異次元の入り口でもあるかのような雰囲気になります。
 この土地は昔の神田明神があった場所のようで
 それ以前も古墳として神聖な場所だったようです。
 お線香や花が絶えているのを見た事が無いので
 周辺の信仰の深さを強く感じます。
 どんなに東京が発展しても
 この神聖な土地は何千年先も同じ風景なのだろうと
 信じて疑いません。
 何か日本人独特の感性のような気がします。

 そんなこんなで東京駅に着きます。
 東京駅は東京駅そのものがアミューズメントパークのようですが
 なかなか駅以上の使い方ができません。
 何回か東京駅の駅中探索をしたのですが
 あまりしゃれたお菓子やお弁当には興味が無いようです。
 ただ、文明堂の季節限定のリンゴのどら焼きは
 なかなかのものでした。
 あらためてそのブースを探したのですが
 もう見つけられませんでした。
 どうも建物の中を彷徨うのは苦手なようです。
 そして人ごみも苦手ですし…

 東京駅についてしまったので
 比較的長く続けてきたこの2回目の東京紀行的文章も
 とりあえず終了させようと思っています。
 この次は東京国立近代美術館について
 何か書ければ良いなと思っています。



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