呼子岳を正式には(よぶこだけ)ではないかというお問い合わせがありましたが、調査のところ江戸期の古地図には呼ヶ嶽と書かれたものが複数存在します。
呼ヶ嶽(よぶがたけ)→(よぶぃがだけ)→(よぶこだけ)に変化したのではないかと思います。また沼津市西から富士市まではよく見えますが、長泉、裾野市からはまったく見えず、字が呼子に当てられてから読んだので(よびこだけ)と発音するのではないかと想像します。
現在でも富士市方面に長くお住まいの方は(よぶこだけ)発音が多く、東部あるいは新しくお住まいの方は(よびこだけ)発音となっています。
須山地区にある呼子団地は(よびこ)と発音します。
※ 伝わる伝説
1、姥捨て説
長男が年老いた母親を背負い山深く入って行った。愛鷹山は深く入ると道を見失い二度と出ることができない死の山と言われていた。
息子が帰路道に迷わないよう、帯を裂いて木に目印とし山深く老婆は遺棄された。長男は後ろを振り返らずただ夢中で下山した。途中道に迷ったが母の付けた目印を見つけありがたく山を後にした。
ところが秋も深まり山の夜はたいそう冷え込んだ。老婆は耐え切れず山奥から息子の名を呼ぶのであった。
長男は耳をふさいで母親への不孝をわびた。村人達も山にこだまする母の声を悲しく聞いたのだった。
母の声は3日続いたがやがて尽きた。
愛鷹山の奥にツンとそびえるこの山をやがて村人たちは「呼子山」と呼んだのであった。
2、死の山説
愛鷹山は死の山として恐れられていた。それはこの山に入ると帰らぬものが多く、山の邪神、あるいは狼に襲われると思われていた。
しかし、山には食材が豊富にあり飢えた村人の腹を満たすため若者たちは何度となくこの山奥に入るのだった。
しかし、若者たちは何日待っても帰らなかった。我が息子をひたすら待つ母親は大声で息子たちの名を呼び続けた。
しかし、いくら呼んでも応答はなく、やがて愛鷹山の最深部にあるこの山を「呼子山」と呼んだのであった。
3、呼子笛説
古くから愛鷹山に食、あるいは生活具に使う材料を求めて入山する事が多かった。
(鹿肉等は古くは食す習慣はないと言われているが飢餓時には食したという言い伝えがある)
シカの高い鳴き声を合図に使う笛の音として山の方向に向かって呼子岳とした。
参考※…現在須山地区に呼子団地、富士市赤渕川に呼子橋と命名された場所があります。 |