袴腰岳は標識は現在の富士市方面への分岐点にあるが、これは間違いで本来は馬場平標識地点が袴腰岳であるという説がある。 由来図を見ていただいてわかるとおり、袴の腰部分は馬場平に位置する。 馬場平とはかつて愛鷹山が御領地として野生化した(源頼朝が愛鷹山山頂の
愛鷹大明神奥社、沼津市青野興津家神代に寄進した99頭が繁殖したといわれている)馬を保護していたため、南方一帯の愛鷹山の背後の穏やかな斜面を指して用いられた地名で、裾野市方面からの袴腰岳は本来馬場平ということではないかということである。
一方、袴腰とは呉服関係者によると「お椀を伏せたような形」を指す場合をいい円錐形に見えることから袴腰岳ではないかという話もある。
また、長老系の話によるとこの袴腰から馬場平方面はかつて笹が茂っておりちょうど袴の腰のあたりまであったらしい。このことから袴腰岳といわれたという説もある。
さらに建設関係者によると、木造建築で用いる筋交いの一種に袴腰という台形の木材部品があり、これに似ていることからこの名前が付いたのではという意見もある。
今の袴腰岳を「袴腰分岐」という人もいる、なお「袴越岳」と書かれた文献も存在する。 |