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===過去のぽつり【2】(2000年8月〜12月分)===


2000.12.29

新世紀も間近である・・・

日付が変わるだけで、
ほんとは何ひとつ変わらないのかもしれないが
「21世紀」という言葉の響きに遥かなるものを
思い描いてきた私には感慨深い

20世紀の時代背景......いや、もっと大きく捉えると、
古来から人間の世界ではいつも争いごとが絶えなかった

他人をひどく傷つけ、同じだけ自分を痛めつける・・・
人の喜びを奪った分、おのれの喜びもまた消え失せる・・・

争いごとにより流された血や涙のあとが目立たなくなり
歴史上風化したかのように見えるのは、傲慢な幻想でしかない

与えた痛み、受けた痛みは癒えることなく
歪んだり、きしんだり、形を変えながら疼き続けるだろう

誰かの生きている喜び(時として辛くむなしくもあるが...)を奪うことなく
むやみに傷つけ合わなくていい時代の訪れを望んでやまない

「こぐま座を 指して見おろす 末法の この夜は更けて 風吹かむとす」

「ゆびさきは 同じ重さに つりあって 過去と未来を 乗せている...今」

※今年も『映画の小道具たち』を可愛がっていただきましたこと、
心よりお礼申し上げます。どうもありがとうございました。※

※※※ みなさま、良いお年をお迎えくださいませ。 ※※※

by歌詠み管理人



2000.12.11

木枯らしの朝
台所のファンヒーターをつけ、コーヒーをいれる

家族が出かけた後
灯油とコーヒーの残り香が混ざり合う場所にひとり

「私が育った家の台所も、冬場はこんな匂いだったな・・・」

石油ストーブ(炎の濃淡)、壁の時計(定時にボンボン鳴る)、
トースター(焼けたらパンが飛び出す)、
コーヒー牛乳(レモン色にみかんの絵柄がついたカップ)、
手袋と靴下(母が編んでくれたっけ)

匂いと静寂が運んでくるすべてをいとおしく想う

「なくしたものばかり・・・だから?」

「そう・・・もうどこにもないね・・・形あるものなど」

見ることも触れることもできない
だけど、いつまでも消えないだろう

匂いの記憶



2000.10.4

み〜んなたのしい運動会!?

笛・号令・ピストル音・音割れしてるBGM・応援席のざわめき

はちまき・色帽子・風にはためく万国旗・踏んではならぬラインの白さ

整列・体操座り・友達の背中・運動靴のかかと

どこかよそよそしく・そして晴れやかな先生の笑顔

親が撮りまくったであろうスナップ写真!!!!!

それにしても・・・

褪せかけた写真からたちのぼる居心地の悪さは何なのだろう?

目をこらしてもう一度写真に目を落とすと

列のすみっこで砂いじりしている子供がひとり

「ああぁっ・・・この子はわたしだ・・・」

色帽子を深めにかぶり足は前に投げ出した姿勢

ちらりと見える横顔はふくれっ面である

「なんてこった・・・・・・運動会だよ・・・」

今となってはぶんむくれている原因などわかりかねるが

6歳の運動会はどうやらあまり楽しくなかったらしい・・・なぁ(笑)



2000.8.17

時々、同じ題名なのに全然別の曲に出会うことがある

仮に、AとBというミュージシャンが歌う同タイトルの曲があったとする

私の場合、「Aの曲はすごく好きだけど
Bの曲はあまり好きでない」
またはその逆で、「Bが好き、Aはいまいち」
もしくは、「どちらもまあまあ好き・・・」のパターンが多い
(たまに「どちらも好きでない」こともあるが...)
不思議に「どちらも大好き!」と感じることは少ない

しかし・・・これにも例外はあって
Y、J、Sという3組のミュージシャンが歌う同じタイトルの曲は
「どれもとても好き!」なのである

◆8月の小道具話に『運命の饗宴』という映画を取り上げました
「1着の燕尾服がもたらす、6つの運命のお話」です◆

◆私が3曲の『Destiny』と出会い、
それぞれに心惹かれたことも
「運命的なものかな?」と思っています(^^)◆


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